2016.07.29
コピー・ケータイの道義性――もうひとつの資本主義をめぐる人類学
シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「最前線のアフリカ」です。
「俺のケータイは、オリジナルか?それともコピーか?」「私のケータイ、本物?偽物?」。2016年3月、タンザニアの地方都市ムワンザの路上は、このような問いかけであふれかえっていた。
2016年2月、タンザニアのモバイル通信規制局は、2016年6月17日までにコピー/偽物の携帯電話(以下、「携帯電話」はケータイと記す)を強制的にシャットダウンする旨を発表した。通信停止の通告に先立ち、タンザニア通信規制局は、2015年12月に「中央機器識別登録(Central Equipment Identification Register)」と呼ばれる新システムを導入していた。これは、国際携帯識別番号(IMEI: International Mobile Equipment Identity)のデータベースを構築するものである。このデータベースにはブラックリストに載っている識別番号も含まれており、通信規制局はプロバイダーにIMEIと対照させることで、コピーや偽物ケータイによる通信を停止することとしたのだ。
通信停止の通告はタンザニアの人びとを混乱の渦に陥れた。タンザニア通信規制局によると、ケータイの利用登録台数は、2000年の11万518件から2014年には3303万8500件に急増。さらに2010年代には、スマートフォンが急激な勢いで普及した。この普及を後押ししたのが、中国製の安価なコピー/偽物ケータイ(以下、コピーと記す)である。
スマートフォン市場は当初サムスンとノキアが圧倒的なシェアを誇っており、コピーもこの二つのブランドを中心に出まわっていた。しかし、しだいに中国のブランド企業がアフリカに進出し、テクノ(TECNO)、アイテル(iTel)、ファーウェイ(Huawei)、レノボ(Lenovo)といった中国のブランド企業のケータイが市場を席巻するようになった。その結果、現在ではこれらの中国ブランドのコピーも出まわるようになった。
ケータイは、いまやタンザニア人にとってなくてはならないツールである。モバイル通信会社が提供する送金サービスは、故郷の家族や友人への送金のみならず、日々の商取引や買い物にも活用されている。WhatsAppやFacebookなどのSNSでコミュニケーションをしたり、YouTubeで音楽やビデオを楽しんだり、カメラで記念撮影をしたりといった習慣も日々の生活の一部になった。スマートフォンが使えなくなったらたいへんだ。それに、コピーだとわかったからと言って、高価なスマートフォンはそれほど容易に買い替えることなんてできない。
なかには、あえて安いコピーを選んで買った利用者もいたし、安いスマートフォンを「たぶんコピーだろうな」と疑いながら買った利用者もいた。そこそこの値段を払ったのだから「どうかコピーじゃありませんように」と祈っていた利用者も、オリジナル(正規品)を買ったつもりだが「もしかしたら、だまされたかもしれない」と一抹の不安を抱く消費者もいた。
要するに、自分のケータイが100%本物だと信じている利用者のほうが少なかったのだ。上記の通告がでた直後、現地メディア各紙はタンザニアに出まわるスマートフォンの約38%から40%がコピーであると推計していた――人びとはもっと多いと予想した。
タンザニア通信規制局の通達を受けて、モバイル通信会社は、利用者に次のようなショートメッセージを送るようになった。
「2017年6月17日が来たときに、オリジナルではないケータイ(の通信)は停止します。あなたの携帯電話がオリジナルであるかを知るために、*#06#にかけて、IMEIを取得してください。その後にIMEIを15090に送信してください。無料です」。
友人と一緒にこの番号にかけて調べたところ、それらしき番号が出てきたので、「やったね。君のケータイはオリジナルだよ」と言ったのだが、友人は「でも、その番号が正しいのかわからないよ」と不安な顔をした。
そのようなわけで、人びとは互いにケータイを見せあいながら、冒頭の問いに答えてくれる人びとを探し求めることとなった。多くの人はIMEIだけに頼るのを断念し、巷のうわさを頼りにさまざまなコピーの見極め方を試し始めた。ある者は、「コピーは、じゃっかん重い」という。道端では、同じメーカーのスマートフォンを両方の掌に載せて、「こっちのほうが軽いかな」などと言いあう人びとの姿を目撃した。別の者は、「コピーは、カメラのレンズが曇っている」という。カメラのレンズをシャツの袖などでこすり、透かしみる人びとも至る所で出現した。
コピーだと承知しながら購入した利用者は、使用停止のデッドラインが来るまでに、何とかしてケータイを転売しようと躍起になった。タンザニアには中古のケータイ市場もある。ただし、中古のケータイ・ディーラーはこの時期に持ち込まれるケータイは間違いなくコピーだと信じたため、転売は難しかった。
最もやっかいな状況に陥ったのは、ケータイを販売する小売店主や路上商人たちである。各モバイル通信会社の直営店や、サムスンやノキア、中国のブランド・ケータイ会社の直営店以外の小売店では、ケータイがまったく売れなくなったのだ。消費者にとっては、6月17日が過ぎてからなら間違いなくオリジナルが買えるからだ。ほとんど開店休業状態になったケータイ販売店の店主たちは、「6月まで何とか経営を持ちこたえさせよう、きっと爆発的にケータイを売ることができるから」と励ましあっていた。
コピーの流通ルート
コピーの最大の生産地は、中国である。中国のコピー製造業者にタンザニアの市場の動向を伝えているのは、タンザニアの輸入商たちである。輸入商たちは、売れ筋のケータイのサンプル(オリジナル)をもって中国に渡航する。そして、「話のわかる」工場のマネージャーまたは仲介業者と「これのコピーを作れるか。とりあえず1000ピース」などと話をつけて発注する。彼らは、1、2か月に1度といった高い頻度で香港や中国に渡航し、発注から納品、その後のコンテナ輸送までを監督する。
隣国ケニアの首都ナイロビ市から買いつける交易人もいる。東アフリカ最大のコピー集積地であるナイロビ市にも、中国にあるのとそっくりなケータイ卸売ビルがある。またケニアには、ハウジングやキーボード、バッテリーなどのコピー部品が「まるでオリジナルのスペアのように」輸入されており、現地の工場でコピーが組み立てられてもいる。また最近では、中国系ディーラーがタンザニアに来て、現地の商人たちに「サンプル」としてオリジナルを代金後払いで流し、売れ行きが良かったコピーの注文を受けて回るといったこともある。一つ具体的な事例を紹介したい。
ムワンザ市の目抜き通りに店を構えるロイ(仮名、34歳、男性)は、ナイロビ市の輸入兼卸売商からコピーを仕入れている。ロイによれば、ケニアの卸売ビルは、彼のような隣国の零細商人は立ち入ることができるが、一般の消費者や正規の業者は立ち入り自体が難しい。たとえビルに入っても、ケニアの卸売商たちは、客を身なりや少しの対話で見分け、異なる対応をする。相手がコピーにあう客であるとわかると、ケニア商人は「クオリティが欲しいか、それとも安さとリスクをとるか」と聞くという。ロイは、タンザニアの消費者や商人からのオーダーに従って、正規品とコピーのいずれも仕入れる。
タンザニアに戻ってくると、まず注文者にコピーを販売する。コピーの最大の注文者は路上商人である。路上商人はコピーと正規品の違いや相場をよく理解したうえで、しばしば消費者にオリジナルであると偽ってコピーを売りさばく。ただし大半の客は、路上商人が扱っている品にはコピーが数多く含まれていることを知っているし、中には安いコピーを手に入れるために路上商人からしかケータイを買わない者もいる。たとえ知らずにコピーを購入したとしても、路上商人はレシートなどを出さないので、客が後から交換や返品を求めるのはむずかしい。
ロイは、自身の店でも正規品とともにコピーを販売している。消費者にはまずオリジナルを見せて、それがいかに高額であるかを説明する。その後の対応は消費者の反応をみて決める。コピーの販売をもちかけたら面倒を起こしそうな客だと判断すれば、より手ごろな旧モデルの正規品を勧め、購買力が定価に届かなければ交渉を打ち切る。コピー商売の事情をよく理解しており、コピーでも構わないと考えそうな客には、ケニアの商人と同様に「クオリティが欲しいか、それとも安さとリスクをとるか」と聞く。そこで客が納得すれば、コピーを販売する。コピーの値段は、さらにその消費者がいかにコピー市場に通じているかによって変化する。
コピーを売らない商人もいる
もちろん、すべての小売店がコピーを販売するわけではない。エディ(仮名、30代半ば、男性)は、オリジナルのケータイしか販売していない。その理由について、次のように語った。
エディは、オリジナルをムワンザ市内の輸入商から仕入れて小売店で販売することから、ケータイ商売をはじめた。しかし、いつまで経っても売れず、経営は赤字だった。コピーを販売している周囲の店はみな儲かっているようだった。友人の小売店主に「なぜコピーを売らないのか。オリジナルは3か月経っても売れないことがあるが、コピーなら2日と店にとどまることはないぞ」と諭された。
そこでエディもコピーを仕入れてみた。その翌日に事件は起きた。一人の客にレシートを要求された。販売したのはコピーだったので、嘘のサインを書いて渡した。エディは、客に「コピーじゃないだろうな」と何度も念を押された。隣の店主には、「気にするな。何を聞かれてもコピーじゃないと突っぱねればいい」と励まされた。しかしその客は、翌日にまたやってきて「テクノの直営店に行き、オリジナルのケータイを調べてきた。昨日買ったケータイはコピーだと思う」と怒った顔でいう。
エディは、「コピーはカメラのレンズが艶々していないが、これは…」などと嘘を並べてコピーではないことを説得しようと試みたが、客は納得しなかった。隣の店の主人には「この客にはもう全部ばれている。これ以上、説得しようとしてこじれると、(ケータイ会社の)中国人や警官がやってきて店中を調べられる。そんなことになれば、もっと面倒なことになる。悪いことは言わない。さっさと彼に金を支払ったほうがいい」と昨日とは180度違うことを言われた。結局、エディは返品を受け入れたうえ、口止め料(迷惑料)としてその客に10万シリング(約5,040円)も支払うことになった。それ以来、エディは面倒に巻き込まれることを恐れ、正規のケータイしか販売しないのだという。
ロイとエディの対立――コピーの販売をめぐる是非
じつはこの話をエディから聞いているとき、先に紹介したロイも居合わせていた。ロイに流通経路についてインタビューしているときに、偶然に別の友人にエディを紹介されたため、二人に了解を得て、同時に話を聞くことになったのだ。
ところが、オリジナルしか売らなくなったというエディの話に、ロイが「コピーの販売は、悪くない」と反論したため、二人(と彼らをわたしに紹介した商人たち)はコピー販売の是非をめぐって議論しはじめた。ロイと彼を援護した商人たちの主張を要約すると、次のようになる。
タンザニアにおいてコピーを欲しがる客がいるのは、仕方のないことだ。それらの客はカネがないので、コピーがなくても、どっちみちオリジナルなスマートフォンは買えない。コピーが買えなければ、インターネット機能のないケータイしか手に入らない。インターネットが使えなければ、人生の多くのチャンスを逃す。また、路上商人たちは、コピーの販売で商売のニッチを得ているのだから、コピーがなくなったら、仕事がなくなる。
わたし(ロイ)は、路上商人として商売をした経験が長いので、コピーを売りさばくネットワークを数多く持っている。エディに足りないのは、路上商人との連携だ。また、そもそもタンザニアにおいて、「まっすぐな道」を歩んでいる零細商人は一人もいない。エディもたまたま仕入れた翌日に面倒な客に遭遇したから、コピーの販売をやめただけで、そうでなければ、いまもコピーを販売しているはずだ。
コピーにはコピーの道があり、オリジナルにはオリジナルの道がある。オリジナルを欲しがる客に無理やりコピーを売ると、客は不満をもつ(ただし、騙されたことに気づかない客は、満足しているのだから問題はない)。オリジナルを購入できる(カネ持ちの)客にコピーを販売すると、中国人(ブランド企業)は客をとられたと怒る。だから俺たちは、この二つの道の交通整理をうまくやって、みんなの需要を満たす。俺たちの仕事はそういうふうに世の中を回すことだ。
それに対してエディと彼を援護した商人たちは、そういう考え方こそが、サムスンやノキアといった外国企業、あるいは中国のコピー製造業者の思うつぼだと反論した。彼らの主張は、次のとおりだ。
中国人がコピーをつくり、俺たちが「カネがないので中国産のコピーでいいや」とするせいで、オリジナル企業は安くて質の良いケータイをつくろうとせず、ケータイの価格はいつまでも高いままだ。例えば、サムスンの××のシリーズは、見た目は変化しているが、中身(性能)はほとんど同じだ。この大企業がやっていることは詐欺だろう。
中国人は賢い。なぜなら、彼らはタンザニアの消費者の心をとらえている。俺たちは、最新モデルをみると、コピーでもいいから欲しいと考える。でも本当は少し前のモデルで俺たちは十分に必要性をみたすことができる。そこで中国人は、少し前のオリジナル・モデルと同じ性能で、見た目だけ最新モデルのコピーをつくり、最新オリジナルよりも安く売って儲けている。
俺たちがまっすぐな道を歩んでいないというなら、俺たちも中国人のやり方を真似して、自分たちでコピーをつくればいい。中国人のコピーがなければ、タンザニア人自身が必要性に迫られて、ケータイをコピーしようと試みるはずだ。そしたら俺たちは、もっと儲かる。
コピーの道義性と下からのグローバル化
この二人の意見は、アフリカやアジア、ラテン・アメリカ諸国からコピーや模造品を買いつけようと中国に押し寄せた零細商人たちの、トランスナショナルな交易をめぐる近年の文化人類学の議論と合致している。たとえば、ゴードン・マシューズとグスタヴォ・リベイロ、カルロス・ヴェガが編集した論集は、中国に押し寄せた商人たちの大群を「下からのグローバル化」と呼び、先進諸国の多国籍企業による「上からのグローバル化」と対比しながら、次のような議論を展開している(Mathews, Ribeiro and Vega eds. 2012)。
下からのグローバル化の推進者は、資本主義経済を嫌ってはいない。この経済の内部には、ラディカルな革命家も、反グローバル運動家もいない。それどころか、国家や企業によるあらゆる規制を回避し、騙しや詐欺もふくめた自由な市場取引を好んでいる彼らは、「より徹底的に新自由主義化」した経済秩序を形成しつつある。しかし、この経済はより「人間的」な新自由主義で動いており、上からのグローバル化(主流派の経済システム)に抵抗するよりも、それが生み出している問題や不公正を自力で解決する場となっている。
たとえば、このトランスナショナルな交易のメインであるコピーや模造品は、ブランド企業の知的財産権を脅かしているかもしれないが、他方で、それまで活躍の場がなかったアマチュアやオタクと呼ばれる人びとの創造性や社会ネットワークの力を解放する場ともなっており、またこれらの商品がなければ、グローバルな流行や技術にアクセスできなかった発展途上国の貧しい住民の物質的な豊かさを、部分的にではあれ実現している。
そのため、下からのグローバル化は、逆説的なことに上からのグローバル化(多国籍企業など)に向けられるべき不満をみずから解消し、主流派の経済を存続・繁栄させる役割を担っているのだ。法には違反しているが、社会的には認められている領域によって、下からのグローバル化は形づくられている。たとえば、アフリカにおいて路上商人は、税金や営業許可料を支払わず、道路交通法に違反しながら営業しているという意味で不法労働者であるが、彼らから商品を購入するアフリカの消費者は、彼らをドラッグの密売人のような「犯罪者」とみなしているわけではない。同じようにコピーの生産や交易をになう者たちは、自分たちの活動を道義的には合法だとみなしている。
ロイのコピー販売に対する意見は、下からのグローバル化の道義性に関する文化人類学者たちの議論と同じだ。一方、エディの意見は、下からのグローバル化(中国のコピー生産者と彼らからコピーを買う自分たち)は、上からのグローバル化(オリジナル企業)に対抗しているのではなく、じつはその存続・繁栄に寄与しているという事実を見抜いたうえで、さらに下からのグローバル化の内部にも同じような構図(中国人とタンザニア人との関係)があることを指摘するものだ。それゆえ、自分たちもコピーをつくり、中国が推進する下からのグローバル化に新たなニッチを得ようと提案していた。そして実際に、後述するように、彼らは自分たち自身で新しいコピーをつくりはじめた。
コピーのゆくえ――新たなインフォーマルビジネスの興隆
2016年6月17日深夜。タンザニア通信規制局は予告どおり、コピーの通信サービスを停止した。その翌日、タンザニアの友人たちから私のパソコンメールにたくさんのメッセージが届いた。「オリジナルだった!!」と。「焦って売らなくてよかった」「誰にも売れなかったから、ずっと不安だった」と追記されたメールを見る限り、どうやら私の友人たちはみな自分のケータイをコピーだと疑っていたようだ。
BBCニュースによると、この日に強制的に通信停止となったケータイは、約63万台だった。さらに120万台のケータイの通信がシャットダウンされる予定であるという。これは、全登録台数の約3%に相当する。しかし多くの人びとは、この台数は予想を大きく下まわる数だとみなした。上述した通り、2月に告知されたとき、多くのメディアは、38%から40%のスマートフォンがコピーであると推計した。6月17日が来たら赤字を挽回しようと耐えていたケータイ小売店主や路上商人からは、あからさまに気落ちしたメールも届いた。
通信停止されたケータイはその後、どうなったのだろう。気になってメールで聞いてみた。友人からの現地レポートによれば、通信サービスが停止したコピーの多くは、インフォーマルな修理業者に引き取られた。ケータイ修理業は、いま最も儲かる商売だという。友人のケータイ修理屋は、サムスンの液晶パネルの交換で5万シリング(約2,020円)の修理代をとる。このうち液晶パネルそのものの代金は、1万シリング(約404円)である。修理屋たちは正規代理店で部品を仕入れることもあるが、多くの部品は人びとから「壊れたケータイ」を二束三文で買い集めることで手に入れている。
液晶パネルやハウジング、キーボード、スピーカー、カメラのレンズなどは、同じメーカーの携帯であれば、交換できる。一部のブランドの部品のなかには、別のメーカーの部品と取り換え可能なものもある。レアメタルの宝庫であるケータイは、リユースできない部品についても、リサイクルディーラーに転売可能だという。つまり、修理屋にとっては「通信がシャットダウンされたケータイ」は、解体すれば、宝の山であったのだ。コピーを売っていた路上商人たちは、修理業に転職した。
先にも触れたが、近年、テクノやアイテル、ファーウェイなどの中国企業は、良心的な価格で質の良い正規のケータイをつくり、アフリカ市場においてサムスンなどの既存のケータイ会社を追い抜く勢いだ。ロイたちが言うように、中国人は賢かったようだ。中国は「下からのグローバル化」の道義性に対応しながら、「上からのグローバル化」に参入し、新たな経済秩序を創出する活力の源になっている。じつはいまタンザニアにおいてもっとも精力的にコピーの取り締まりを政府に働きかけているのは、中国のブランド会社である。彼らは、中国ケータイ=コピー/粗悪というイメージを払拭すべく、タンザニアに直営店を開き、自社ブランドのケータイに保証期間を設け、無料の修理サービスを提供すると同時に、コピーの掃討を草の根作戦で展開している。
インフォーマル経済、コピーの道は、資本主義経済の外側につくられるのではなく、その内側から立ち上がってくる、もう一つの資本主義経済、海賊的な領域だ。それらの海賊的領域が力をもてば、それに対する国家の法が整備され、それに応じて海賊的領域は変身を遂げ、やがて主流派の資本主義経済を構成する一部になる。すると、また新しいインフォーマル経済、海賊的な領域が立ち上がってくる。
タンザニアの修理屋たちが製造したのは、本体は別のメーカーのケータイに、ハウジングや液晶パネルだけ、別のブランドの最新モデルがついた「コピー」「偽物」である。最近では、修理屋たちが、中国から機材を輸入し、ケータイ部品を寄せ集めてつくった「カスタマイズ・ケータイ」の販売もしている。中国ブランドのケータイはサイズや仕様が似ており、カスタマイズが容易だという。修理屋に転身したコピー商人はいう。「中国産のコピーの規制は、俺たちにとっては新たなチャンスだ。俺たちの手によるコピーのな」と。
参考文献
Mathews, G., G.L. Ribeiro and C. A. Vega (eds.) 2012 Globalization from Below: The World’s Other Economy. London and New York: Routledge.
プロフィール
小川さやか
立命館大学准教授。博士(地域研究)。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科研究指導認定退学後、日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教を経て現職。現在、科研費プロジェクト「アジア―アフリカ諸国間の模造品交易に関する文化人類学的研究」を進めている。主著として『都市を生きぬくための狡知―タンザニアの零細商人マチンガの民族誌』(2011年世界思想社。第33回サントリー学芸賞)、『「その日暮らし」の人類学―もう一つの資本主義経済』(2016年光文社新書)。