「韓国ムカつく」「訳わからん」と投げ出す前に――『戦後日韓関係史』の使い方

釣り合いのとれた日韓関係をめざして

 

白鳥 国と国の間の和解や、かつての出来事の克服については、ある程度の面まで政府レベルで合同してやっていくということが、当然必要だと思います。しかし、それは、「入口」よりも「出口」に据えたほうがいいのはないでしょうか。

 

日米関係でいえば、昨年おこなわれた広島と真珠湾の相互訪問ですね。あれなんかは、まさに出口として、原爆投下をめぐる日米の間での和解の象徴になったわけです。当然、原爆投下に対する日本国内の評価と、アメリカ国内の評価は違うし、その違いについてお互いの国がわかっています。さまざまな意見はあるわけですけれども、基本的にはオバマ大統領の広島訪問は日本国内で高く評価されましたし、安倍首相の真珠湾訪問も高く評価をされているようです。

 

これは、歴史認識問題そのものに向き合い続けたというよりは、戦後70年間かけた日米間の積み重ねではないでしょうか。1990年代には、スミソニアン博物館の原爆関連の展示をめぐって大いにもめたこともありました。

 

そう考えると、入口のところに究極的には一致することのない歴史認識問題を据えてしまうと、いつまで経ってもデッドロック(膠着状態)になってしまう。だからこそ、より実務的な関係を築けるところから築き、そうした実務的な関係のためにこの問題だけで対立するのはよくないよね、というところまでもっていければいいんですが――もちろん、被害者の救済というのに時間が限られているということは留保したうえでのことです。この点は韓国側の問題も大きいと思います。

 

浅羽 この本の終章で、「ホッブズ的な敵」「ロック的なライバル」「カント的な友人」という3つの類型が示されています。これは本来、どれが優れているとかではないはずなのですが、李鍾元先生は「水平的な『パートナー』を経て、『友人』の関係に深化できるか」というように、歴史的な段階や今後進むべき方向として理解しているということがにじみ出ています。

 

このあたりについては、李先生、木宮正史先生、磯崎典世先生、そして私という4人の著者のなかでも温度差はあるでしょうね。私なんかだと、ビジネス(商売/しごと)を一緒にするパートナーや、いろんな分野で切磋琢磨するライバルくらいがちょうどいいのではないかと思っています。「友人になれなければ敵だ」という間合いが目につきますからね。

 

それと関連して、和解だって、法的な和解もありますし、「心からおわびと反省の気持ちを表明する」というときの「心」のなかは確かめようがありません。「心」のなかはどうであれ、日韓双方がフォーマルに合意したということが重要です。それなのに、韓国語でいう「真情性」があるかどうか、あとになって問題にされるわけですが、これではもちませんよ。

 

私はいちど、あるシンポジウムで、「あなたがいう「悪魔の代弁人(devil’s advocate)」になるなんて俗人にはできない」「すごく高いハードルを設定している」と批判されたことがあります。俗人、不完全な人間なのに、いつでも誰とでも友人になりましょうとか、心からおわびしましょうとやっちゃうと、国内でも無理なのに、まして外国との間では実現しないですよね。

 

慰安婦合意にしても、日本は日本で法的賠償をしなかったので何も譲ってないといいますし、韓国は韓国で合わせ技一本で事実上個人賠償だといえるようにできあがっているわけです。そもそも名と実を取り分けるという絶妙なバランスで成り立っている合意ですので、100点でなければ0点だというのでは、均衡が崩れます。そうなると、この問題はもうやり直しがきかないでしょうね。「正解」志向だけだと、政治や外交という営みは成り立たないし、もたないということをよくよく考えたいですね。

 

佐々木 そうですよね。インターネットを通しての翻訳技術の進歩によって、相手の言葉がわからなくても、相手が何をいっているのか、だいたいのことが理解できるようになっています。そうしたなかで、「正解思考」が強まるというのはどういうことか。わかりすぎるとだめなんでしょうか。

 

また、LCC(格安航空会社)ができたので、いまは韓国や中国に2万円台で往復ができるなど、日韓の交流のチャンスが爆発的に高まっているわけですよね。交流が増えつつ、この2010年代については関係が暗転しているというのは、どういう意味をもっているのかなということを、最近、考えています。

 

交流が増大しているにもかかわらず、相手に対する理解が足踏み、すれ違っているように感じるのです。特に日本側の韓国に対する理解が足踏み、あるいは後退しているような感じがします。どうしてそういうことが起こっているのか、またこれをどうやって解いていけるのかと考えています。

 

こうした交流の問題を、この本のなかでは「国家」「市場」「市民社会」という三層の枠組みで、それが相互に連携しながら相手の国との関係をつくると説明しています。もちろんそのとおりだと思いますが、私としては、市民社会のなかの一翼を担っていると思われるメディアの役割、あるいは、そのなかで一般の人たちの交流が、これだけ条件が良くなっているなかで、意識はむしろ後退しているのはどうしてなのかということが気になります。

 

それを、どうやったら逆転できるかということを、これからも考えていかなければならないのかなと思っています。

 

白鳥 トランスナショナルな交流が意味をもつのは当然ですけれども、日韓関係に関していうと、私はむしろインターナショナルな(国家間の)関係をどう管理するかという、そこの部分をもっとしっかり考えるべきだと考えています。

 

それはさきほどいったような意味で、外交は本質的には妥協だよねということも含めて、外交がどのような営みであるのかや、国家間の関係というのをどうしていくのかいう意識が、特に日韓関係に関心をもつ人たちの間で、もう少し幅広く意識される必要があるということです。

 

トランスナショナルな交流との関係で、とくに考えなければならないのは、政治という営みの意味です。政治や国家を否定すれば問題が解決するわけじゃないということは、もっと意識されたほういいのではないでしょうか。安全保障を否定すれば安全になるわけじゃ全然ないのと同じことです。日韓関係に関して、国家と国家の間の妥協というものをどう考えるのかということを、もう少し深く考え、実践していくということが問われているのです。

 

佐々木 それについて、浅羽先生は、韓国側の文化的な背景がこれを難しくしているという立場に立たれているんでしょうか?

 

浅羽 問題は、プロポーショナリティなんです。インターナショナルだけでも困るし、トランスナショナルだけでも困る。ひとつの領域だけを過度に強調したい人というのはあちこちにいます。たとえば2000年代に目立った「若者同士が交流すれば日韓関係は良くなる」というのは、市民社会、トランスナショナルの部分のみの強調です。

 

白鳥 おっしゃるとおりで、私がインターナショナル、すなわち政治や外交の意味を重視すべきだといったのは、他はどうでもいいからということではなく、この問題を論じるときに、まずしっかりと考えるべきなのは国家間の話だという文脈です。

 

浅羽 まったく同意ですね。私も、最近一番欠けているのは、このインターナショナルな部分だと思っています。それこそ、この本で出てくる「国家」「市場」「市民社会」という分類だと、「国家」の部分で妥結することの意味合いがあまりに軽んじられているのではないでしょうか。

 

白鳥 そうなんです。慰安婦合意自体がやはり大きな意味があったし、日韓双方にとって成果だったと思うんですけれども、現時点では韓国側の状況によってこの先どうなるかがまったくみえないわけです。合意の履行を後押しする可能性があるアメリカの状況もトランプ政権発足でまったく予測できないということで、完全な漂流状態ですが・・・。

 

佐々木 本当に、漂流状態ですよね、日本政府側、特に韓国にかかわった人たちに、韓国側に対する不信感がありますね。いったん合意してもそれがどれだけ実効性があるのか。2015年12月の慰安婦合意でも、あれがちゃんと履行されるのかというのは、ずっと懸念材料になっていて、それが昨年12月の慰安婦少女像の設置で、やっぱりだめかという雰囲気が広まっちゃったということですよね。

 

なので、いったんは回復基調にのるかなと思われた力技の合意だったわけですけれども、それが、結局はなんか引き伸ばされたまま、どんどん失速していって、少女像がまたできて、今度は強制徴用の像もつくろうという話にまでなっています。そうなると、日本の政府関係者、さらには一般の人たちの対韓感情が、すなわち「国家」だけでなく「市民社会」のレベルの関係が、さらに悪化するのではないかと非常に危惧しているところなんですよね。

 

浅羽 私自身は、「釣り合いのとれた」といういい方を好んでずっと使っています。韓国語の「衡平性」ということですが、このプロポーショナルというのは、バランスじゃなくて釣り合いなんですよね。重いものは重く、軽いものは軽く、小さいものは小さく、大きいものは大きくということです。機械的に「50対50」とか、「3分の1ずつ」とかではなくて、ある局面ではインターナショナルな部分がやっぱり重要なわけですよね。

 

個人的な心情ばかりを重視しても、国家の内外に利害が異なる多様な集団が存在するなかで、それで国家間合意になるかというと、なりっこないわけですよね。すごくハードルの高い心情倫理で政治や外交という営みの責任倫理を問うのは、単に「カテゴリー違い」なんですけどね。心情、責任、政治・外交それぞれのプロポーショナリティについて、ある種の「感覚」が問われているといえそうです。

 

白鳥 そのハードルの高さというのは、非常に示唆的です。ハードルが高いという状態のときに、高いハードルをいかに越えるかという思考と同時に、ハードルをいかに避けるかというやり方も当然あるわけです。

 

「釣り合い」という言葉を使われましたけれど、そうしたことを考える際に、たとえばさきほどもいったような、冷戦後でも日韓は実はすごく変化していますし、民主化した韓国でも、中国との関係は変化してきています。いまのものが絶対ではないのです。現在を過去からの継続としてとらえ、未来を考える材料にしつつ、考えていくということが、まさに問われているんだろうと思います。

 

 

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戦後日韓関係史 (有斐閣アルマ)

著者/訳者:李 鍾元 木宮 正史 磯崎 典世 浅羽 祐樹

出版社:有斐閣( 2017-02-23 )

定価:

Amazon価格:¥ 2,376

単行本(ソフトカバー) ( 314 ページ )

ISBN-10 : 4641220778

ISBN-13 : 9784641220775


 

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