2013.08.27
「反日」化する韓国司法 ―― なぜ「解決済み」の問題が蒸し返されるのか
相手の行動の結果や意味が分からないだけではなく、そうした理由や選択の基準、すなわち行動準則が分からないと、信頼できず、付き合うのも嫌になってくる。逆に、行動準則が分かると、一つひとつの行動には同意できなくても、辛抱強く相手に向き合い、粘り強く関係を進めることができる。
日韓関係は、今、双方、相手の行動準則が分からず、相互不信に陥っている。日本からすると、韓国の司法が突然、「反日」化したことに発端があるように見える。本稿では、その理由を説明した上で、日韓関係への含意を読み解き、日本がとりうる対応策を模索してみたい。
韓国司法による「反日」判決
この7月、韓国のソウル高裁(判決文(PDF))と釜山高裁(判決文(PDF))は、10日と30日にあいついで、それぞれ新日鉄住金と三菱重工業に対して、戦時期に徴用された韓国人労働者に賠償を命じる判決を下した。この判決は、日韓の過去の問題をめぐる訴訟において、個人に請求権を認めた韓国でも最初のもので、画期的である。この2つの件について、日本では最高裁が、請求権問題は個人も含めて法的には解決済みであるとして、それぞれ2003年10月(判決文(PDF))と2007年11月(判決文(PDF))に棄却している。
新日鉄住金はすでに大法院(最高裁判所に相当)に上告していて、三菱重工業も後に続くという。しかし、そもそもどちらの件も大法院からの差し戻し控訴審であるため、上告審の結果はほとんど自明である。一部報道(産経新聞ウェブサイト「新日鉄住金、韓国の戦時徴用訴訟で賠償の意向 敗訴確定時『無視できぬ』」2013年8月18日)によると、高裁判決が大法院でそのまま確定すると、新日鉄住金は賠償に応じるという。報道の翌日、新日鉄住金は「大法院にて、当社の主張の正当性を明らかにしていく」というプレスリリース(新日鉄住金「昨日(8/18)の一部報道について」2013年8月19日)を発表したが、報道は「敗訴確定時」のシナリオに関するもので、両者の間に矛盾は存在しない。
この一連の判決について、日本では、「解決済み」の問題がまた蒸し返されたとして、うんざりした感じが広がっている。それだけでなく、個別の人物や政策ではなく、「韓国は真っ当な国なのか」という国の成り立ちそのものに対する不信感や嫌悪感が、在特会やネトウヨなど一部のサークルにとどまらず、閾値を超えつつある。
公式には、「韓国は我が国と、自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する重要な隣国である」(外務省ウェブサイト「大韓民国」「基礎データ」「二国間関係」)と規定されている。「基本的価値」の共有が高らかとうたわれているのは、米国を別にすれば、韓国だけである。それくらい日韓両国は国の仕組みや信条を共有しているというのである。今では白々しくも映るが、司法制度や法の支配はその中でも核心を成しているはずである。
韓国の司法が日本で注目されるようになったのは、2011年8月30日の憲法裁判所の判決である。憲法裁判所は、慰安婦問題において個人請求権の解釈をめぐって日韓の間で「紛争」(日韓請求権協定第3条第1項)があるにもかかわらず、韓国政府が当事者同士の「外交上の経路」(同上)や第三者による「仲裁」(第3条第2項)といった日韓請求権協定の規定通りに「作為しない」のは違憲であるとした。これ以降、大統領の対日外交政策は司法によって制約されるようになり、それまで歴史問題に対して微温的で、「親日」とも評価された李明博前大統領は、「責任ある措置」や「政治的な決断」を日本政府に対して求めるようになった。
この他にも、ソウル高裁は、今年1月、靖国神社を放火した中国人に対して「政治犯」であると認定し、日韓犯罪人引渡条約があるにもかかわらず、日本に引き渡さず中国に帰国させた。さらに、2月、大田地裁は、対馬の寺院から盗まれた仏像について、日韓両国が加入している文化財の不正輸出入禁止に関するユネスコ条約があるにもかかわらず、日本に返還しないという仮処分決定を下した。
「反日」化の理由
韓国司法が「反日」化したのはなぜなのか。よく挙げられる理由について、一つひとつ検討してみよう。
第一に、韓国政府の介入はありえない。一連の判決は韓国政府の法的立場とあいいれないものである。韓国政府はこれまで、慰安婦はともかく、徴用工については、日韓請求権協定で個人請求権は消滅し「法的には解決済み」という日本の政府や司法と同じ法的立場に立ってきた。「韓国は三権分立が成り立っていない後進国」ではなく、むしろ、司法府が大統領制における選出された憲法機関である立法府や行政府に対して自律性を確保することで、権力の抑制と均衡が成り立っているということである。これこそが、新興民主主義国家である韓国が単なる選挙民主主義ではなく、日本と同じように自由民主主義体制として定着してきた証拠でもある。
第二に、大統領だけでなく司法ですら「反日」世論に迎合したという説明である。韓国は憲法や外国との条約の上位に不文律の「国民情緒法」があり、法的安定性が確保されていないというわけである。一見もっともらしいが、日韓請求権協定の解釈という高度な専門的知識を要する事案について世論がよく知っているわけでもないし、ここにきていきなり変わったわけでもない。何でも説明できるマジック・ワードは、実は、何も説明していないし、現状をきちんと分析し、対応策を練る上では、まったく役に立たず、むしろ有害である。
第三に、大法院は「親北朝鮮の盧武鉉政権が任命した裁判官で構成された、いわば『負の遺産』」で、「客観的かつ公正な司法判断は期待でき」(ZAKZAKウェブサイト「片山さつき氏激白『新日鉄住金は韓国で賠償金を払ってはいけない』」2013年8月20日)ないというある自民党議員の主張は、そもそも事実誤認に基づいている。大法院長(最高裁判所長官に相当)以外、残り13名の大法官(最高裁判所裁判官に相当)はすべて、李明博政権期に任命されている。
とはいえ、人的構成の変化というのは、十分ありうる理由である。例えば、韓国社会で最も進歩的な「386世代(2002年の大統領選挙当時、1960年代生まれで80年代に大学に通った30代で、現在は40代から50代前半)」が今では高裁の統括判事に就いていて、判決の傾向に何らかの影響を及ぼしている可能性はある。裁判官の交代だけが判決を変えているという、もう一つ別の司法機関である憲法裁判所に関する知見(朴ジェヒョン『韓国政治と憲法裁判所』集文堂、2010年、この本に対する拙書評(PDF))とも合致する。
「反日」がビルトインされている韓国憲法
そもそも、「反日」は韓国の憲法そのものにビルトインされているため、それに基づく司法が「反日」化するのは、遅かれ早かれ、ある意味、論理的帰結にすぎない。
高裁に差し戻した2012年5月24日の大法院判決(ソウル高裁に差し戻した判決文(PDF)と釜山高裁に差し戻した判決文(PDF))を精査してみよう。
まず、「『強制徴用』以前に、そもそも『日帝強占(引用註:日本による韓国統治は帝国主義によって強制的に占領されたものであるという意味)』自体が大韓民国憲法の核心的価値と全面的に衝突」(括弧による強調は引用者)するという。そのため、1910年の韓国併合条約は「強占」ではなく双方の合意に拠るものであるという日本の法的立場をそのまま承認したことになる下級審の判断には、法的瑕疵があると断じた。その上で、「日本の国家権力が関与した反人道的不法行為や、植民地支配と直結する不法行為による損害」に対する個人請求権は、日韓請求権協定によって消滅していないだけでなく、韓国政府による外交保護権も放棄されていないという判断を示した。
憲法自ら、「3・1運動によって建立された大韓民国臨時政府の法統」を「継承」(大韓民国憲法前文)しているとうたっている以上、1919年に起きた「3・1運動」が抗った「日帝強占」はそもそも不当かつ不法であり、それ以降の国家総動員や戦時徴用も当然、「日本の国家権力が関与した反人道的不法行為」、あるいは「植民地支配と直結する不法行為」となる。つまり、問題は、「戦時」徴用ではなく、それ以前からの「日帝強占」そのものにあるというのである。
「もはや無効」という賢慮は「もはや無効」なのか
一連の「反日」判決は「反日」がビルトインされている韓国憲法に由来し、この点にこそ、日韓の歴史認識が正面から食い違っているため、日韓関係への波及は甚大である。
日本とすれば、「両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題」は、日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」(同協定第2条第1項)として、「法的には解決済み」という立場を政府も司法も一貫して堅持してきた。「両締約国及びその国民(法人を含む。)」と規定されている以上、個人請求権も消滅しているとみなしているのは当然である。
その個人請求権について、今回、慰安婦だけでなく徴用工についても、消滅していないと韓国の司法が認めたわけである。韓国政府は今のところ公式見解を示していないが、高裁判決が大法院でこのまま確定すると、慰安婦の場合と同じように法的立場を変更する蓋然性が高い。
「この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争」(同協定第3条第1項)が存在することは、もはや明白である。だとすると、いみじくも慰安婦問題について韓国の憲法裁判所が指摘したように、「まず、外交上の経路を通じて解決」(同上)を図り、当事者同士で解決できない場合は、第三者の「仲裁委員会」(同協定第3条第2項)に付託するシナリオがいよいよ現実味を増してくる。
1965年に、日韓国交正常化を成立させ、今日までおよそ半世紀の間、日韓関係を安定させてきたのは、日韓基本条約と日韓請求権協定など付随する諸協定、そして日韓紛争解決交換公文という法的枠組み自体である。それが、今、日韓関係をむしろ不安定化させているのである。
日韓請求権協定はそもそも「サンフランシスコ講和条約第4条(a)」(同協定第2条第1項)に基づく「特別取極」(同条約第4条(a))である。サンフランシスコ「講和」条約は、敗戦国として、戦勝国である連合国との「戦後」処理の法的枠組みであり、その締結をもって日本は「主権回復・国際社会復帰」(首相官邸ウェブサイト「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」2013年4月28日)を果たした。同時に、「朝鮮の独立を承認」(同条約第2条(a))し、「台湾及び澎湖諸島」(第2条(b))、「千島列島並びに(略)樺太の一部」(第2条(c))、「国際連盟の委任統治制度」(第2条(d))などに関する「すべての権利、権原及び請求権を放棄」(同条(a)~(d))した。
その「独立」以前の「朝鮮」の法的性格をめぐって、日韓は、国交正常化交渉で熾烈に争った。日本は、韓国併合条約は合法で、敗戦とともに失効したとみなしていた反面、韓国は、「日帝強占」はそもそも不法であると主張していた。韓国とすれば、日本との国交正常化にあたって、焦点は「戦後」処理ではなく、あくまでもポスト「日帝」、つまり日本による植民地支配の謝罪と清算にあった。そもそも、韓国は日本と戦争したわけではなく、当然、連合国でもなければ戦勝国でもない。
この韓国併合条約の法的効力の解釈に関する日韓間の紛争は、当時は、両国の政治リーダーによる「賢慮(prudence)」で解決された。当時の佐藤栄作総理と朴正煕大統領は、韓国併合条約は日韓基本条約でもって「もはや無効である(이미 무효)(already null and void)」(同条約第2条)とした。これは「合意できないということに合意する(agree to disagree)」の典型で、双方それぞれ都合よく解釈し自国民向けに異なる説明をしても、相互に干渉せず、外交問題にもしなかった。言うまでもなく、佐藤元総理は安倍晋三総理の大叔父で、朴元大統領は朴槿恵大統領の父である。
このメタレベルの「合意」は、2013年の今、それこそ「もはや無効」なのか。韓国の司法は、「日帝強占」が「そもそも不法かつ無効(ab initio null and void)」という立場であることはもはや明白である。韓国政府は、当然、その法的制約を受けていて、朴槿恵大統領がとりうる政策空間の幅も限定されている。こうした中、安倍総理は、一体、どのようなリーダーシップを示すことができるのか。
「法的には解決済み」一本槍はリスキー
日本政府は、慰安婦だけでなく徴用工についても、日韓請求権協定で「法的には解決済み」という従前の立場を改めて表明している(例えば、首相官邸ウェブサイト「内閣官房長官記者会見」2013年7月30日)。もちろん、いくら一方の当事国で司法の「完全かつ最終的」な判断が下り、国内事情が変更されたとしても、ただちに対外関係に反映されるわけではないし、まして相手国もそのまま尊重しなければならないわけでは決してない。「条約は国内法に優先する」というのは、国際法の大原則である。
しかし、同時に、原則論を繰り返すだけでは、物事を動かし、結果を出すという政治の本質にもとる。そもそも、相互に、相手が置かれている環境やとりうる手を先読みした上で、自らの一手を打つのが戦略的コミュニケーションであり、政治的リーダーシップが求められる所以である。こうした日韓のコミュニケーションのあり方は第三者からも注目されている。
こうした観点からすると、日韓請求権協定で「法的には解決済み」と主張するときも、あくまでも「合意は拘束する(pacta sunt servanda)」(この点については、例えば、拙稿“‘Promises and trust’ needed in Japan-Korea relations,” Asia & Japan Watch, The Asahi Shimbun, 2013年7月29日を参照せよ)という近代法の大原則における一つの事例として位置付け、相手以外にも幅広く訴求する戦略をとるのが望ましい。合意の遵守が法的安定性を担保するというのは、甲と乙の当事者が誰であれ妥当する一般論として示すことではじめて、第三者からも理解や支持が得られるのである。この意味で、「韓国は法を遡及適用する後進国である」といたずらに強調するのは、オーディエンス・コストを無視した論法である。
そもそも、法に関する議論では特に、一本槍の議論はリスクが高い。優れた弁護士であればあるほど、法廷に臨む前に、クライアントの意向はどうであれ、核となる主位的主張だけでなく、ときにそれと矛盾する予備的主張を複数立てておくものである。クライアントにとって最悪のシナリオも含めて、ありうるすべてのシナリオに対してシミュレーションをして万全の準備を尽くすのが、弁護士、より一般的には「悪魔の代弁人(devil’s advocate)」(詳しくは「<悪魔の代弁人>を立てるかどうか、クライアントこそ問われている 『したたかな韓国』著者・浅羽祐樹氏インタビュー(聞き手・構成/金子昂)」を参照せよ)の使命である。
日韓国交正常化50周年を前に40周年の教訓を学べ
そのためには、日韓国交正常化50周年となる2015年を2年後に控えた今、40周年の経験から教訓を学ぶ必要がある。
2005年、韓国政府は、慰安婦、被爆者、サハリン在留韓国人については個人請求権が消滅していないとして、日韓請求権協定に関する法的立場を変更した。その際、今回の一連の判決を支援している民間ネットワークが関わっていた。
弁護士や人権活動家などで構成されるこのネットワークは、日本の司法で敗訴が確定(新日鉄住金については最高裁が2003年10月に棄却し確定)すると韓国でも訴訟を始めると同時に、日韓国交正常化交渉に関連する外交文書を公開するように韓国政府に対して行政訴訟を起こした。その結果、北朝鮮との国交正常化交渉への影響という日本政府の憂慮にもかかわらず、外交文書が公開されただけでなく、合意の根底をなしている事実についてこの時点ではじめて明らかになったとして、時効消滅の法理を事実上無効化させた。さらに、「韓日会談文書公開後続対策関連民官(韓国ではこの順!)共同委員会」の発足に韓国政府に合意させ、この委員会に従前の法的立場を変更させた。韓国政府はその後、2007年に「太平洋戦争前後の国外強制動員犠牲者等の支援に関する法律(PDF)」、2010年に「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援に関する特別法(PDF)」を成立させ、徴用工に対して独自に支援を行ってきた。
こうした「成功」経験を有する運動の観点からすると、残された課題は、慰安婦や被爆者だけでなく、徴用工についても、韓国政府に法的立場を変更させることにあることは明らかである。三菱重工業の件は、広島で被爆した徴用工の問題である。
大法院で高裁判決のまま確定すると、徴用工についても韓国政府が従前の法的立場を維持するのはまず不可能で、変更した上で、慰安婦や被爆者の問題とリンクさせてくる可能性がある。憲法裁判所は、慰安婦問題について韓国政府に対して「不作為」違憲判決を下した同じ日に、被爆者問題についてもまったく同じ判断を示している。
さらには、日韓国交正常化50周年に向けて、日韓請求権協定そのものの見直しを要求する民間の運動が強まっていくことが今から十分予想される。その前年、2014年6月4日に第6回統一地方選挙、その翌年、2016年4月13日に第20代総選挙が予定される中で、政治的に敏感かつ脆弱になり、韓国政府がこれに呼応する可能性も否定しきれない。奇しくも、昨年末の時点にすでに、韓国政府傘下の研究・宣伝機関である東北アジア財団が検討を始めている(都時煥編『韓日協定50年史の再照明:韓日協定の国際法的な問題点に対する再照明』東北アジア財団、2012年)。
相手の言葉と論理で相手を突け
韓国司法の「反日」判決でさらに大きく揺いでいる日韓関係をただちに安定させる妙案は存在しない。明らかなことは、「これが『正解』だ」としてすでに示されている案は、提案者の個人的心情を満足させるかもしれないが、日韓それぞれの社会において、そして、外交関係において、「均衡解」にはなりえないということだけである。倫理感や道徳意識の高い一部の勢力だけが先走っても社会関係は安定せず、長続きしない。政治・外交の落とし所は、ステイク・ホルダーの幅広い参加と同意があってこそ成り立つ。
例えば、日韓の政府や企業が共同で財団を設置し和解を図るという案が大韓弁護士協会から示されている。しかし、慰安婦問題に対して、「解決済み」という法的立場とは別に、日本は官民を挙げてアジア女性基金という「人道面での努力」(外務省ウェブサイト「日韓首脳会談(概要)」2011年12月18日)をしてきたにもかかわらず、韓国では評価されるどころか、一般には知られてもいない以上、同じような試みに、日本としては到底応じることができない。
さらに進んで、慰安婦や徴用工の問題は「戦後」/「帝国後」をめぐる歴史認識の問題で、日本は「帝国後」、つまり植民地支配について世界で初めて謝罪と賠償をする道義的なリーダーシップを示せ、という案も出ている(例えば、朴裕河『帝国の慰安婦:植民地支配と記憶の闘争』プリ(根)とイパリ(葉)、2013年、日本語版は来年初めにも刊行されるという)。
この案はあまりにラディカルであるだけでなく、慰安婦問題がここまで「普遍」化したのは、あくまでも「戦時下における女性の人権問題」として、「帝国後」や「軍隊と性」といった他の問題と切り離して提示されたからであるという韓国側の運動の戦略にも異議を唱えるものである。
あるいは、逆に、「韓国なんて相手にせず、場合によっては諸々の取極を破棄して、断交してしまえ」という勢いのよい声も聞こえてくる。気に入らない相手とは一切の関係を断つという潔癖主義も、ある種の倫理観や道徳意識の極みであり、清濁併せ呑む政治ではない。
両方の極論を排した上で、現時点で考えられる日本政府がとりうる最善策は、対外的に韓国を代表する朴槿恵大統領の言葉と論理でそのまま韓国政府を追及することである。つまり、相手の最も強い「矛」で、相手の最も弱い「盾」を突くのである。
2012年の貿易依存度が92.7パーセントを占める韓国(外務省アジア太平洋局日韓経済室「韓国経済と日韓経済関係(PDF)」2013年7月)にとって、契約履行に対する信頼性を確保することには死活的な国益がかかっている。そうした中、一連の判決とその後の対応が第三者の貿易パートナーや投資家にどのように映っているのかについて、韓国政府にしっかりと認識させるのである。
その意味で、日韓請求権協定の解釈をめぐる紛争に関する「仲裁委員会」(同協定第3条第2項)よりもむしろ、日韓両国が加入しているWTO(世界貿易機構)政府調達協定や日韓投資協定という貿易や投資の国際レジームの活用も十分検討しておきたい。いみじくも、朴槿恵大統領が強調する「約束と信頼」は、対北朝鮮政策の原則や対日外交政策の基調という以前に、法の支配が定着し韓国社会が先進化する上で欠かせないし、何より、ビジネスの根幹である。
直面する問題にすべてを圧倒されていると感じるときほど、「より大きな絵(bigger picture)」の中に位置付けることで、それぞれ適度な比重(proportionality)を回復させることが重要である。その意味で、今ほど、日韓関係を広く見渡し、先まで見通す「視座」が問われている秋(トキ)はない。
サムネイル「#Supreme #Court of #Korea #대법원 #law」Jordi Sanchez Teruel
プロフィール
浅羽祐樹
新潟県立大学国際地域学部教授。北韓大学院大学校(韓国)招聘教授。早稲田大学韓国学研究所招聘研究員。専門は、比較政治学、韓国政治、国際関係論、日韓関係。1976年大阪府生まれ。立命館大学国際関係学部卒業。ソウル大学校社会科学大学政治学科博士課程修了。Ph. D(政治学)。九州大学韓国研究センター講師(研究機関研究員)、山口県立大学国際文化学部准教授などを経て現職。著書に、『戦後日韓関係史』(有斐閣、2017年、共著)、『だまされないための「韓国」』(講談社、2017年、共著)、『日韓政治制度比較』(慶應義塾大学出版会、2015年、共編著)、Japanese and Korean Politics: Alone and Apart from Each Other(Palgrave Macmillan, 2015, 共著)などがある。