2013.09.26
「呪術」という癒し ―― 東アフリカのザンジバルにおける呪術利用
現代でも身近にある「呪術」
「呪術」というと、科学を知らない「未開」な人々がおこなう、近代に背を向けたおどろおどろしいもの、というイメージを持たれるかもしれない。
私たちは呪術などという不可思議なものと自分とは無関係だと思いがちである。しかし、受験の際に「すべる」「おちる」などの言葉を忌避したり、縁結びのご利益があるというパワースポットを訪れること、また、いわゆる「おまじない」を試してみることも、ある種の呪術的行為であるといえる。つまり、呪術は私たちにとっても身近なものとしてとらえることができる。
東アフリカに位置するタンザニア連合共和国の東部に、ザンジバルという島嶼地域がある。ウングジャ島と、それより少し小さなペンバ島というふたつの島を中心とした多数の島々からなるこの地域は、古くよりインド洋交易によって栄えてきた。近年では先進国からのリゾート客を対象とした観光業の進展もあって都市化がすすみ、特にザンジバル最大の都市部であるウングジャ島の旧市街周辺地域に住む人々にとって、病院や薬局、警察、さらには携帯電話やインターネットなどの近代的なサービスまでもが、ごく当たり前の存在となっている。だがそんな近代的な都市空間でも、呪術は身近に存在する。
アフリカ大陸の中でも、国や地域によって呪術のありようはさまざまで、タンザニア国内においても地域や民族によってその様相は大きく異なる。ザンジバルにおいては、呪術的行為は何かしらプライベートな問題を解決するための手段として利用されることが多い。それに加えて、呪術的行為は近代的ではないというイメージも強いため、街ゆく人々に面と向かって「あなたは呪術を信じますか?」とたずねても、素直に肯定する人は少ないだろう。しかしながらザンジバルは、タンザニア大陸部からも呪術師が出稼ぎに来ていると言われるほど、呪術の需要が高い土地だとされる。ではザンジバルの人々は、どのような呪術とどのようにかかわっているのだろうか。
ザンジバルにおける「精霊」と「呪術師」
筆者は、2005~2009年の間に合計約20か月間、ザンジバルにおいて観光業に関するフィールドワークをおこなっていた。そしてその際、日常生活を共にしていたザンジバル人の友人たちが「精霊憑依」「コーランを使った占い」「呪物や薬草を使ったお祓い・まじない」などの呪術的行為に関わる場面に何度も遭遇した。なお、ザンジバルはインド洋交易の中継地点であった土地柄、現在も住民の90%以上がイスラーム教徒であるとされるが、精霊を憑依させる行為や、コーランを紐でぶら下げる占い方法などは、イスラームの正統な教えではない。これらはザンジバルという土地で独自に育まれた呪術的行為であると思われる。
■精霊憑依
まず、ザンジバルには「ジニ」と呼ばれる精霊がいる。それは目に見えないものである。人間世界と並行して存在する世界に住んでいるとも、海からやってくるとも言われている。ジニは、呪術師ではない一般のザンジバル人に憑いていることもよくある。特に女性はジニを持ちやすいとされ、一人の女性に複数のジニが憑いていることも珍しくない。
ジニは時折、人間の身体に憑依し、動いたりしゃべったりする。その際には何か欲しい物を要求することもあるが、特に理由もなく、音楽や香りなどの刺激に反応して出てくることもある。ジニを怒らせると良くないことが起きると言われており、ジニを持つ人間は定期的にジニの好きな供物を捧げ、友好関係を保つのが良いとされる。
ザンジバルの女性にとって、ジニが憑いていることや憑依状態になることは、日常的ではないにせよ、それほど珍しいことではない。ただし、憑依状態になるためには、ある程度リラックスして集中できる環境が必要なため、道端や人前で突然憑依状態になることは滅多にない。また、たとえば気持ち良い音楽や香りに誘われて憑依状態になった場合は、特に心配されることもなくジニの気が済むまでそのままの状態にされる。
だが、もしジニが何か不満を持って表出してきた場合、ジニの性格によっては興奮して人間の身体を傷つけようとすることがある。その時は周囲の人間が羽交い絞めにして動きを押さえ、要求に耳を傾けてなだめるなど、緊張が走ることがある。
人間に害をなす悪いジニは、シェタニ(悪霊)と呼ばれる。日常生活において何か悪いことが起きたり、体調や精神状態が急に悪くなった場合、シェタニの仕業ではないかと疑われる。シェタニは自然にあらわれることもあるが、悪意をもった誰かから飛んでくることもある。こういった場合の解決策として、ザンジバルにはジニや呪物を使った治療をおこなう呪術師たちがいる。彼ら/彼女らは、自身のジニと交信することで問題解決のための助言を得たり、依頼者のジニを呼び出して要求を聞いたり、依頼者に憑いたシェタニを祓うことができる。また、生薬や呪物を処方することでシェタニが憑くことを防いだり、呪物を使って「まじない」をかけたりする。以下では、ザンジバルの呪術師たちによる具体的な治療事例を紹介したい。
■ムガンガの治療儀礼
スワヒリ語で「呪術師」は「ムガンガ」と呼ばれる。これには生薬などを扱う伝統医や、ジニと呼ばれる精霊を使う技術をもった施術師など、近代医療ではない治療をおこなう人々全般が含まれる場合が多い。ザンジバルの都市部において、多くのムガンガはごく普通の民家に住んでいる。看板などは出さずに営業している者が多く、人づてに噂を聞いて訪れてきた依頼者相手に自宅で施術をする。治療にどのような手法を用いるかは、そのムガンガの得意分野による。生薬しか扱わないムガンガもいれば、呪物利用や精霊憑依を専門とするムガンガもいる。また、複数の手法を併用する者もいる。
ムガンガを訪れる依頼者は、当然ながら何かしら「解決したい問題」を抱えている。以下は具体的な相談例と、ムガンガが処方した解決方法である。
【事例1】
問題:依頼者は1歳の子供を持つ母親。2度の流産を経てやっと生まれた長男だが、発育が悪く病気がちである。病院に行って薬を飲ませてもなかなか元気にならない。数日前、天井についていた大きなファンが突然壊れ、昼寝をしていた子供のすぐ横に落ちてきた。あと少しずれていたら子供は死んでいたかもしれない。子供の可愛さに嫉妬した誰かが呪っているのではないかと心配になって、ムガンガを訪れた。
解決法:ムガンガから、赤いインクでアラビア文字が書かれたココヤシの実を渡され、夜の交差点で誰にも見られないように叩き割るよう指示され、実行。さらにシェタニ除けのために「マビマビの木」という臭い木の枝を身近に置いておくよう指示され、実行。
【事例2】
問題:依頼者は23歳の青年。なかなか定職に就けないため、何か悪いものが憑いているのではないかと思い、ムガンガを訪れた。
解決法:ムガンガはコーランを紐でぶら下げて回転させ、自らのジニと交信しながら治療法を占う。依頼者に憑いているシェタニを生きたニワトリに移すための儀礼をおこない、さらに赤い液から作られた飲み薬と浴び薬を処方した。
ムガンガを訪れる理由は人それぞれであるが、上記の事例のように、病院では解決しきれない心配事や、個人の努力だけではうまく解決できないことなどについて「治療」を求めることが多い。日本で言うところの「厄払い」に近い感覚であるともいえるだろう。
■「心を取り戻す」ための治療
次に、より深刻な悩みを抱えたひとりの女性が呪術を利用する過程を紹介したい。依頼者は、ふたりの息子をもつ40代の女性である。25年間連れ添った夫が突然家を出て隣の島に移住し、子供ほどに年の離れた若い女と結婚してしまった。新しい嫁はすでに妊娠しているようである。宗教上、夫は4人まで同時に妻を娶ることが許されているが、もし新しい嫁に男の子が生まれた場合、ザンジバルでは男性の方が女性よりも多くの遺産を相続できるため、依頼者の息子たちが持つ相続分が大幅に減ってしまう。25年間、浮気は多々あったものの妻は自分ひとりだったため、今さら新しい嫁を娶られたことに依頼者はショックを受け、子供たちのためにもなんとか夫が自分のところに戻って来るようにしてほしいとムガンガを訪れた。
依頼に対して、まずムガンガは赤いマジックでココヤシの実と生卵ふたつに、新しい嫁の名前と夫の名前、何かしらのアラビア文字を書いた。そして部屋に香木を焚き、ゴザを敷いて依頼者に足を伸ばして座るように指示した。ムガンガはスワヒリ語で「○○(夫)よ、ここに来い」と唱える。そしてココヤシの実を煙にあて、「これが割れたら全てうまくいくように」「新しい嫁と夫が仲違いするように」と祈った。そのココヤシの実を部屋の隅で叩き割るよう依頼者に指示し、さらにその破片をムガンガが粉々に叩き割った。
次に、細い木の枝を小さくちぎったものを赤い布に包み、ひとつの生卵と一緒に持って、香木の煙にあてる。コーランの一節を唱えながら、夫と新しい嫁の名前を唱え、依頼者と幸せに話し合えるようにとスワヒリ語で祈る。赤い布にくるんだ枝と煙にあてた生卵は、紙に包んで青い糸でぐるぐる巻きにして、墓場に埋めるように指示された。
さらにもうひとつの生卵は、ムガンガと依頼者がふたりで持ち、煙にあてた。夫と依頼者が円満に関係を修復できるように、そしてもうこれ以上夫が依頼者を困らせないようにと祈る。そしてムガンガは、祈りながら煙にあてたその生卵を、夜の交差点の真ん中で誰にも見られずに割るようにと依頼者に指示した。
夜になるのを待ち、依頼者は家の近くの交差点に行き、筆者を見張りに立てて誰もいないことを確認した上で、生卵を地面に叩きつけて割った。
結果として、その後数年経った現在でも、まだ夫は戻ってきていない。新しい嫁が生んだ子供が女の子だったことは彼女にとって不幸中の幸いであったが、生卵を割った後も、彼女はしばらく何人ものムガンガのところに通い続けていた。人づてに「良いムガンガがいる」と聞けば遠方まで足をのばし、効かないようであればまた新たなムガンガを探した。
夜道で生卵を割った1年ほど後、依頼者は夫と離婚した。現在、彼女は「もう男はこりごり!」と言って、長男とふたりで自宅1階に雑貨店を開き、生計を立てている。自宅は夫名義であるため、夫の気が変わればいつでも追い出される可能性がある。そのため、彼女は苦しいながらもやりくりし、子供たちの将来のために地価の安い郊外に土地を購入し、家を建てはじめた。
なんのための「呪術」なのか
ザンジバル社会に生きる人々にとって、呪術とは、ムガンガとは、いったいどういう存在なのだろう。前節で紹介した彼女は、戻ってこない夫のために、なぜ1年もの間、何人ものムガンガを渡り歩いていたのだろうか。その理由は、精霊や呪術などの「効果への期待」ではなく、呪術的行為を「おこなうこと」そのものにあったのではないかと推察できる。彼女は、必ずしも夫や新しい嫁を呪いたかったわけではない。彼女はおそらく、何よりも自分自身の心を癒したかったのだ。
■「呪われる」ということ
そもそも「呪う-呪われる」という関係は、呪われた方に「自分は呪われた」という自覚がなければ成立しない。いくら誰かが誰かを呪ったとしても、呪われた方が気づかなければ、何か悪いことが起きても、それはただの不運や偶然であると認識されるだろう。たとえばタンザニアの内陸に住む人々の呪術は、「白い人には効かない」と言われている。白い人、つまり植民地時代の入植者である西洋人など、自分たちと異なる文化を持つ人間との間には、「呪う-呪われる」という関係が成立しないため、呪いが効かないと考えられているのである。
前節で紹介した事例の中でも複数あらわれるように、ムガンガは呪物を処方する際、「人目につかないところで割れ/埋めろ」と指示することがある。「割れ/埋めろ」というのはつまり、「そのままそこに置いてこい」ということである。彼らが暮らしている都市部は、ザンジバルで最も人口密度の高い地域である。放置された生卵やココヤシの実は、いずれ誰かに発見されるだろう。そして、それらにはびっしりと赤いインクで何かが書かれていたり、不自然に包まれていたりする。それらが呪物であることは一目瞭然である。
こういったパフォーマンスによって、「誰かが呪術をかけたらしい」と人づてに噂となり、何か心当たりがある人が「自分が呪われた」と思い込んで本当に体調を崩したり、偶然何か悪いことが起こった時に呪術のせいだと思い込んで精神的に弱る、といった効果があらわれることがある。しかしこれらも、「赤いインクで何かが書かれた生卵は呪物である」という前提を共有しているからこそ起こることであり、また、自分が呪いたい相手が「呪われた」と気づいてくれるとは限らない。
■心を癒すプロセスとしての「呪術」
それでは、隣の島に移住した夫に対して効くとも限らない呪物を利用しながら、前節の彼女はなぜ何度もムガンガのところに通い続けたのだろうか。その背景には、ザンジバルにおける精霊や呪術に関するいくつかの言説が関わっていると思われる。
まず、呪物を利用するなど呪術的行為をおこなった後は、「効果が出るまで待つ」ことが必要だとされる。さらに、呪術を利用していることをむやみに他人に口外すると、効果が薄れたり、カウンターマジックをかけられたりする恐れがあるため、できるだけ他人に口外してはいけない。また、悩むことそのものに関して、「あまりにも強い悩みは、頭の中でシェタニに化ける」と言われている。
これらの言説が彼女にどう作用したかというと、まず、呪術的行為をおこなった後、効果が出るまで数週間ほど待っている間に、彼女の心は少し落ち着きを見せはじめた。いわゆる「時間薬」である。その後いくら待っても効果があらわれないため、気が済まなかった彼女はまた異なるムガンガを訪れたが、何度も呪術的行為とその待ち時間をくり返し、1年も経つころには、彼女の心はずいぶんと冷静になっていた。そして彼女は離婚を決意し、女手ひとつで店を開き、子供たちの将来のために土地を購入し、家を建てようとするまでに立ち直ったのである。
つまり、ムガンガのところに通って呪術的行為をくり返すことは、彼女にとっては「心を癒す」ためのプロセスであったといえるだろう。新しいムガンガに会いに行くたびに事情を説明するため、そのたびに少しずつ自分の状況を冷静に把握できるようになってくる。夫が戻ってくることを願いながら呪物を使い、その効果を待つ間にまた少し冷静になる。最初は怒りと悲しみとショックで冷静な判断ができなかったのが、日に日に現実的な問題として受け入れられるようになり、しだいに自分が今すべきことを冷静に考えられるようになってくるのである。また、その間、呪術を利用したことを口外しないことで、感情にまかせて家庭内の醜聞を周囲に晒すことを避けられた。そして、つらい時でも、「あまり悩むとシェタニに化けるから」と意識して思いつめないようにすることで、より効果的に心を落ち着かせることができたと考えられる。
呪術利用で人間関係を円滑に
アラブとアフリカの中間にあるザンジバルは、もともとタンザニア大陸部とは異なる国であったという歴史と、島嶼部であるという土地柄、特に都市部の旧市街においては現在でもやや排他的な雰囲気が否めない社会である。狭い島の中で円滑な人間関係を維持していくためには、表立った争いごとを起こさないようにする必要があるのだろう。不毛な争いを続けるよりも、人に知られないように気が済むまでムガンガのところに通った方が、表面的には波風は立たない。
また、誰が呪いをかけたかわからない道端に放置された呪物は、心当たりがある人間がそれを見て後ろめたさに苛まれ、人に恨まれないように生きようと自戒するためのリマインダーとして機能することもあるだろう。女性たちに憑いているジニが定期的に指輪や香水などの供物を要求することも、あくまで人間ではなくジニの要求である。ジニの機嫌を損ねると、ジニはシェタニに化けて悪いことを引き起こすため、人間はジニの要求に従わねばならないのだ。
ザンジバル社会において、精霊や呪術といった存在は、病院や警察ではどうしようもないことや、面と向かって不満や要求を言うには憚られること、自分ひとりでは抱えきれない感情など、人間社会に生きる上で起こりうるさまざまな問題を消化するための手助けとして機能しているといえる。それらの問題の多くは人間関係からくる悩みであり、他者を思い、他者との関係に苦悩し、その社会の中で生き続けていこうと思うからこそ生まれるものである。ザンジバルにおける呪術は、他人を傷つけたり不幸にするためのものではなく、自分や他人の幸せを願い、人の心を癒すための手段であるといえるだろう。
プロフィール
井上真悠子
1981年生まれ。京都文教大学文化人類学科卒。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程研究指導認定退学。タンザニアのザンジバルを中心に、東アフリカ海岸部のみやげ物業従事者を対象とした調査研究をおこなう。主要論文に「「アフリカ」の売り方-グローバリゼーションのなかの東アフリカみやげ物業-」『グローバリゼーションズ─人類学、歴史学、地域研究の現場から』(三尾裕子・床呂郁哉編、2012年、弘文堂)など。エッセイとして「フィールドワーク便り:呪術師のところに行こう-東アフリカ・ザンジバルの暮らしの中で-」『アジア・アフリカ地域研究:第7-2号:pp.272-276』(2008年、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)など。