2014.02.25

「憎韓」のいなし方――日韓関係の「現住所」

浅羽祐樹 比較政治学

国際 #synodos#シノドス#朴槿恵#反日#悪魔の代弁人#嫌韓#憎韓#パククネ

1.相互不信という「現住所/현주소/address」

韓国語の「現住所현주소」は多義語で、「軌跡、到達点、限界、課題、可能性、挑戦」という意味がある。英語の「address」も同じで、「宛先、演説、呼びかける、問題に取り組む、働きかける」と多義的である。本稿では、この意味で日韓関係の「現住所」、「日韓関係←イマココ」について概観する。

2014年2月現在、日韓関係は相互不信に陥っている。しかも、双方、相手が先に裏切ったと等しく認識している。日本からすると、韓国が反日化したのに対して、韓国では日本が右傾化・軍国主義化したと映っている。要は、相手が「約束」を反故にしたのだ、と互いになじり合っているわけである。

「コンストラクティヴィズム(constructivism)」といって、軍事力や経済力など客観的に指標化できるパワーだけでなく、誤認も含めて、互いにどのように認識し合っているのかという間主観性(intersubjectivity)が国際関係を構成しているとする考え方がある(例えば、大矢根聡『コンストラクティヴィズムの国際関係論』有斐閣、2013年)。

間主観性は入れ子状態になっていて、私の自己認識(A→A)、相手の自己認識(B→B)、相手に対する私の認識(A→B)、私に対する相手の認識(B→A)、「私の自己認識」に対する相手の認識(B→[A→A])、「『私の自己認識』に対する相手の認識」に対する私の認識(A→{B→[A→A]})、以下無限に続く。

これらの認識のズレに対してメタ認識を持つと交渉のパワーになるのは、カードゲームのポーカーに似ている。顔色に騙され、なめてかかると自他のカードの強さを読み間違えて、勝てるはずのゲームも落としてしまうことがある。日韓はそんなゲームに臨んでいる以上、プレーヤーとしての戦略がそれぞれ問われている。

相互不信という現状に対して、今では日韓両国とも望ましくないと認識している。しかし、同時に、現状を変えるためにまず行動すべきなのは、そもそも先に裏切った相手である、と双方とも認識している。そのため、現状を変更するインセンティブがどちらにもないという(ナッシュ)均衡のままで、現状が維持されている。

投資の世界では、どの株を買いどの通貨を売るかということだけでなく、今は何も売買しないという「ホールド(hold)」も重要な選択である。相互不信の現状維持(status quo)もまさにそうした「ホールド」に他ならないが、選択の連続だと認識されていない。

2.どのように相手を「見立て」るか

韓国は「悪」「阿呆」なのか、「したたかな」なのか。それぞれ実像なのか、見立てなのか、それが問題だ。

よく解らない言動に直面したとき、「善意解釈の原理(principle of charity/rational accommodation)」で臨むというやり方がある。こちらには不合理に思えても、相手にとって最も合理的で整合性がとれるように解釈するのである。相手に対する「思いやりcharity」というよりもむしろ、そのように見立てる方がこちらにとって都合がいいからである。

例えば、竹島領有権紛争の国際司法裁判所への付託に韓国が応じないのは「自信がないから」なのか。韓国政府の立場は、「独島は、歴史的・地理的・国際法的に明らかに韓国固有の領土です。独島をめぐる領有権紛争は存在せず、独島は外交交渉および司法的解決の対象にはなり得ません。大韓民国政府は、独島に対し確固たる領土主権を行使しています」(韓国・外交部『韓国の美しい島、独島』p.4)というもので、紛争の存在そのものを認めておらず、まして「司法的解決」は論外としている。

しかし、同時に、「独島をめぐる領有権紛争」がハーグにある国際司法裁判所に持ち込まれ、日韓が論争を繰り広げる『独島イン・ザ・ハーグ』という小説を書いた判事の鄭載玟を外交部に独島法律諮問官としてスカウトした。鄭の使命は、あえて日本側に立って韓国側主張に反論・反駁だけをする「悪魔の代弁人(devil’s advocate)」(詳しくは「<悪魔の代弁人>を立てるかどうか、クライアントこそ問われている」を参照されたい)に徹することである。そうすることで万が一の「いざハーグ」に備えた書面を鍛え抜くことができるというのが、クライアントとしての韓国政府の狙いである。

「スカウト(scout)」の原義は「斥候」。いち早く前線に乗り込んで、戦況を伝えるのが使命で、そのモット―は「備えよ、常に(Be prepared)」である。竹島領有権紛争はまさにそうしたインテリジェンス戦である。

本来、「独島イン・ザ・ハーグ」より「竹島イン・ザ・ハーグ」、さらには「現に」「有効に支配してい」て、「解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない」(外務省ウェブサイト「日中関係(尖閣諸島をめぐる情勢)」)「尖閣諸島イン・ザ・ハーグ」が切実である。「いざ鎌倉」「いざハーグ」でガチンコ勝負をするまでは、互いの強さや勝負の行方は分らない。だとすると、カカシ相手に勝利宣言(straw man fight)するのではなく、相手にも当代最高の悪魔の代弁人が付いていると見立てて、よくよく準備しておくのがいい。

3.「反日」化する韓国司法

日本からすると、よく解らない韓国の典型は司法である。憲法や条約、法の支配よりも「国民情緒」が上位にある国とは、同じ価値観や体制を共有しているとは到底思えないというわけである。

ソウル高裁は2013年1月3日、日韓犯罪人引渡条約があるにもかかわらず、靖国放火犯を日本に引き渡さなかった。同年2月26日には、大田地裁はユネスコ文化財不法輸出入等禁止条約に反して、窃盗された仏像を対馬の寺院に返却しなかった。

さらに、7月、ソウル高裁と釜山高裁は戦時期の徴用工に対して、日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決された」(同協定第2条第1項)はずの個人請求権を認め、日本企業に賠償を命じた(詳しくは、拙稿「『反日』化する韓国司法:なぜ『解決済み』の問題が蒸し返されるのか」を参照されたい)。

両件とも大法院(最高裁判所に相当)に上告中で、2014年上半期にも結審すると言われているが、そのまま確定する見込みが強い。そもそも、大法院からの差し戻し審で、「日帝強占(韓国併合条約に基づく韓国統治は、「日」本「帝」国主義によって「強」制的に「占」領されていたにすぎないという認識)」は「大韓民国憲法の核心的価値と全面的に衝突」(大法院判決)するため、「そもそも無効(ab initio null and void)」であるという法的評価に基づいている。慰安婦についても、憲法裁判所が2011年8月30日に個人請求権を認め、韓国政府に対して日韓請求権協定の「解釈及び実施に関する紛争」(同協定第3条第1項)について日本政府と外交交渉を行うよう義務を課した。

慰安婦問題については、すでに日韓国交正常化40周年の2005年の時点で、韓国政府は被爆者やサハリン在留韓国人とともに日韓請求権協定でも個人請求権は否定されていないと主張した。徴用工問題について日本弁護士連合会と大韓弁護士協会は日韓両国の政府と関連企業が加わる「2+2」の財団の設置を呼びかけているが、05年以降、独自の立法措置で対応してきたこととの整合性に韓国政府も腐心せざるをえない。

慰安婦にせよ徴用工にせよ、請求権問題は「法的には解決済み」というのが日本政府の一貫した立場である。ただ、前者については、あくまでも「人道的見地」からアジア女性基金などで取り組んできた。後者については、日本企業の敗訴が確定し、強制執行になれば、「仲裁」(日韓請求権協定第3条第2項)や日韓投資協定など二国間の協定だけでなく、WTO政府調達協定やウィーン条約法条約など一般国際法にも訴える構えである。

4.政治外交における「擬制」

「~~ということになっている」を「~~である」とベタに受けとり、「必ずしも『~~である』とは言えない」と言い返すのは何ともイタイ。そういう「擬制」とそれに応じた「役割」を演じてこそ政治外交のフル・メンバーたりうる。

1965年、日韓両国は国交正常化において、それまで交渉過程で最も熾烈に争った韓国統治/「日帝強占」の法的性格について、「もはや無効(이미 무효/already null and void)」(日韓基本条約第2条)ということにして妥結した。「玉虫色」「エリート間の談合」という批判もあるが、「合意できないことに合意する(agree to disagree)」という政治的深慮(prudence)であったと評価できる。その後、それぞれ自らに都合よく解釈し、国民に向けて説明する反面、互いに異なる解釈をしていることは知りつつも、外交の場で問題にしてこなかった。

請求権問題も、単なる「解決済み」ではなく、「完全かつ最終的に解決された『こととなることを確認する』」(日韓請求権協定第2条第1項、括弧による強調は筆者)となっている。つまり、日韓基本条約や日韓請求権協定といった、日韓関係をそもそも成立させ、これまで安定させてきた法的枠組みにおける擬制とそれに応じた役割が問題になっているのである。

同じような問題として、靖国神社参拝がある。安倍総理は日本政府として昨年4月28日に、初めて「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を挙行したが、61年前のこの日にサンフランシスコ講和条約が発効した。そこでは「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」(同条約第11条)したことになっている。

極東国際軍事裁判所の性格については数多くの論点はあるものの、「受諾」した「裁判」の結果刑死したA級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝は、「不戦の誓い」(首相官邸ウェブページ「安倍内閣総理大臣の談話~恒久平和への誓い~ 」)とは別に、国際社会における「戦後レジーム」への挑戦として映ってしまう。

安重根に対する評価が「犯罪者」/「義士」と真っ向から対立するのも、日韓それぞれにおける擬制が異なること以上に、今や、その相違について双方とも公然と問題にするようになっているからである。

5.日韓関係の構造変化

このように、日韓関係は構造的に変わりつつある。ゲームのルールやゲームそれ自体が変われば、当然、それに応じてプレーの仕方を変える必要がある。同時に、自らプレーしないウォッチャーも、この変化を読み解くには、新しい「外国語」を「翻訳・通訳」できるようにならなくてはいけない。にもかかわらず、私たちの手元にある「辞書」は旧いままなのである。

例えば、日韓議員連盟は、昨年末2年ぶりに開催された韓日議員連盟との総会で、朴槿恵大統領が提案した日中韓歴史共同教科書について、その実現を双方政府に対して働きかけることに合意した。膠着した関係を打開し、日韓首脳会談につなげる呼び水として、厄介な歴史問題は専門家に委ねて政治から切り離そうとしたのだろうが、双方の思惑は平行線で、やすやすと応じられるものではない。第2期日韓歴史共同研究でも、韓国側はむしろ主戦場として臨み、「独島」論文だけが報告書に掲載される羽目になるなど手痛い経験があるのに、あまりに不用心である。

一般に、不良設定問題(ill-posed problem)は解けないし、解いてはいけない。まずは問題を「適切に(well)」設定することが何よりも重要である。

日韓関係における新出単語は「法化(legalization)」である。特定の二国間の条約や協定だけでなく一般国際法や法の大原則が、国際関係における紛争解決でも基準になるというわけである。「請求権問題は日韓請求権協定で解決済み」という主位的主張を展開するときも、「合意は拘束する(pacta sunt servanda)」というより上位の原則との整合性が問われる。同時に、韓国の憲法裁判所所長が昨年10月にハーバード大学ロースクールで講演したように、慰安婦問題はいかなる合意によっても逸脱が許されない「強行規範(jus cogens)」に該当するかもしれないという万が一のシナリオに対しても、予備的主張をきちんと準備しておくことが重要である。

もう一つの新出単語は、二国間関係(bilateralism)の「マルチ化」である。相手とだけやり合うのではなく、オーディエンスやジャッジという第三者の存在を前提に、国際世論といかに関係を築くのかという戦略的PR(public relations)が問われている(詳しくは、渡辺靖『文化と外交:パブリック・ディプロマシーの時代』中公新書、2011年や高木徹『国際メディア情報戦』講談社現代新書、2014年などを参照)。

6.微分と積分で検算する

国際関係の変化と持続の両方を適切に理解するためには、「過去と現在と未来」、「全体と部分」といった時間と空間の2つの軸におけるプロポーションが重要である。

韓国外交の変化として、伝統的な米国との同盟関係から離れて、中国につき従うという「離米従中」という見方がある(鈴置高史『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』日経BP社、2013年や鈴置高史『中国という蟻地獄に落ちた韓国』日経BP社、2013年)。華夷秩序への回帰に適応できず、「中国に立ち向かう日本」に対しては、一段下に見る「卑日」になるという。確かに、朴槿恵大統領は歴代大統領の中で初めて米国に次いで中国を訪問した反面、安倍総理との首脳会談は拒み続けている。韓国にとって中国のプレゼンスがかつてないくらい大きくなっているのは間違いない。

しかし、韓米同盟の強化と韓中協商の進展の2つが、朴大統領の対外戦略の基本であり、少なくとも退任する2018年2月までの向こう4年間のうちに、米中の比重が逆転するというのはあまりに極論である。

SNS時代、タイムラインに流れる局所的な変化、いわば「微分」にだけ反応しがちである。事実、韓国の中国への傾きはこれまでで最も大きい。しかし、その大きさについて、まずは、現時点における全体像の中で適度な比重に調整し直さなければならない。戦時作戦統制権の移管時期の再延長を申し入れるなど、米国との同盟、ひいては韓米日の連携が安保の要である。その上でさらに、韓米同盟60年間といったこれまでの積み重ね、いわば「積分」を踏まることで歴史的に位置づける。つまり、微分と積分の両方で「検算」しないと、局所的な一時の変化だけが強く映るため、国際関係のダイナミズムを「衡平に(proportionally)」捉えることができない。

安倍総理は「地球儀を俯瞰する外交」を掲げている。月に一回以上精力的に首脳外交を展開し、アジア太平洋とインド洋をつなぐインドネシアやヨーロッパとアジアにまたがるトルコ、さらにはアフリカからホルムズ海峡を望むオマーンなど、地政学的な要衝を重視している。その反面、歴史性が問われる中国や韓国とは未だ首脳会談を行えていないのは何とも皮肉である。「地球儀を俯瞰する外交」はいわば「年表をめくり、アルバムに共に刻む外交」によって検算する必要があるかもしれない。日韓関係において「共にめくる年表」は1998年の日韓パートナーシップ共同宣言で、「共に刻むアルバム」は国交正常化50周年になる来年、2015年であろう。

7.「宇宙人ジョーンズ」の信頼外交

それでは、相互不信を「ホールド(現状維持)」し続けている中で、「共に刻むアルバム」としての日韓国交正常化50周年の2015年に向けてどうすればいいのか。

「信頼せよ、だが同時に検証せよ(Trust, but verify)」というのが交渉や外交の基本姿勢である。いちど信頼したら信頼しっぱなしでもなく、少しでも疑わしい点があれば一切付き合わないわけでもない。相手の意図や真正性は解らなくても、合意やルールどおりに行動するかどうか、その結果だけは明らかである。それを互いに一つひとつ確かめながら、信頼関係を築いていくのである。

国際社会において、北朝鮮はそういう存在である。閉鎖国家で情報が少なく、とても信頼できる指導者、体制、国家ではない。しかし、核兵器やミサイルを開発し、平和と安定を脅かす相手をそのまま放置するわけにはいかない。異質な相手とも粘り強く交渉し、行動の結果を一つひとつ検証しながら、「核放棄」や「拉致問題の解決」という結果を出さなければならない(例えば、Leon Sigal, Disarming Strangers, Princeton University Press, 1999)。

朴槿恵政権1年に対して韓国民の間で最も評価が高いのが外交政策で、まさにこの「信頼外交(trustpolitik)」が基になっている。中でも、北朝鮮による開城工業団地からの一方的撤退に対して一切譲歩せずに再開に同意させたことで、「そもそも悪い行動をとった相手を改めさせるのにインセンティブを提供しない」という原理原則は確証になった。同じ姿勢で日本に臨んでいるのは間違いない。

「韓国は我が国と、自由と民主主義、市場経済等の基本的価値を共有する重要な隣国」(外務省ウェブサイト「大韓民国基礎データ」)というのも一つの「擬制」かもしれない。「~~ということになっている」ことが本当に「~~である」かどうかは、缶コーヒーのBOSSのCMにあるように、「地球」の潜入調査に送り込まれた「宇宙人ジョーンズ」の姿勢で確かめればいい。「地球人」のやることなすことすべて、最初は「宇宙人」には解らない。しかし、ジョーンズは「地球語」を学び、「翻訳・通訳」できるようになると、「この惑星の住民」の世界観、信条体系、行動準則を理解し、それに応じて交渉や外交ができるようになる。ジョーンズの使命は「潜入調査」、つまり、「斥候」である。ジョーンズを韓国に送り込め。

8.対韓ポートフォリオ戦略

2013年における韓国に対する日本からの直接投資額は26億9000万ドルで、前年2012年の45億4200万ドルから40.8パーセントも減少した(韓国・産業資源通商部ウェブサイト「2013年外国人直接投資(FDI)動向」)。「円安等」によって萎縮したと分析されているが、日韓関係の悪化が実体経済にも悪影響を及ぼしている。

投資の基本は、「オール・イン(1点張り)」せず、分散投資(ポートフォリオ)することで中長期的にリターンを上げることである。対韓投資の場合、朝鮮半島リスクを別にしても、「4点張り」して、リスク・ヘッジする必要がある。

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もちろん、与党の現職(第II象限)、今なら朴槿恵大統領に大きくチップを張るが、野党や次期大統領を目指す「潜龍」にもツバをつけておく。大統領は憲法上再選出馬が禁止されているため、レイムダックになっていくことが必至である。大統領と国会の任期と選挙日程が固定されている中で、イベント(特に選挙)の進行に従って、配分比率(ポートフォリオ)を不断に見直していく。与野党間の「政権交代」(第II象限→第IV象限)だけでなく、与党内の「政権再創出」(第II象限→第III象限)にも「備えよ、常に」である。

事実、朴自身が同じ政党の李明博前大統領に対して、政権末期になって引きずられて一緒に失墜しないように最初から差別化を図ってきた。朴に限らず、投資家としての韓国の政治家や有権者は、ゲームの木を逆に解くこと(backward induction)に長けた戦略的プレーヤーである。2007年8月20日(前々回の大統領選挙に向けた党内予備選挙で朴が李に負けた日)の朴槿恵にとっての2012年12月19日(前回の大統領選挙)は、2012年11月23日(前回の大統領選挙で文在寅に野党候補を一本化するために安が候補を辞任した日)の安哲秀にとっての2017年12月20日(次回の大統領選挙)かもしれない。安は2014年6月4日に実施される統一地方選挙に向けて独自の新党「新政治連合」を立ち上げたばかりである。

だとすると、日本の外務省やマスコミや研究者など朝鮮半島ウォッチャーにも、それに応じた戦略的思考、すなわち対韓ポートフォリオ戦略が欠かせない。

9.日韓関係の「易地思之」、「普通の関係」へ

「易地思之(역지사지)」は韓国人が好きな言葉である。「相手の立場になって物事を考えよ」という意味で、日本に対して用いられるときは、事実上、「こちらが納得するように行動せよ」というニュアンスが強い。

書き下すと、「地ヲ易ウレバ之ヲ思ウ」である。そもそも原文では、「易地則皆然」(『孟子』離婁章句下三十)で、「地ヲ易ウレバ則チ皆然リ」で、「人の言動に違いがあるのは立場に違いがあるからで、立場を変えれば同じになる」というのが本来の意味である。一方が他方に対して一方的に言動を変えることを要求するものではない。むしろ、それぞれに対して、「甲乙を入れ替えてもじるかどうか自省せよ」という意味である。

この意味で、日韓両国は「普通の関係」になりうるのか、今、問われている。

サムネイル「Korea_Presidential_Inauguration_13」Republic of Korea

http://www.flickr.com/photos/42438955@N05/8515635496/

プロフィール

浅羽祐樹比較政治学

新潟県立大学国際地域学部教授。北韓大学院大学校(韓国)招聘教授。早稲田大学韓国学研究所招聘研究員。専門は、比較政治学、韓国政治、国際関係論、日韓関係。1976年大阪府生まれ。立命館大学国際関係学部卒業。ソウル大学校社会科学大学政治学科博士課程修了。Ph. D(政治学)。九州大学韓国研究センター講師(研究機関研究員)、山口県立大学国際文化学部准教授などを経て現職。著書に、『戦後日韓関係史』(有斐閣、2017年、共著)、『だまされないための「韓国」』(講談社、2017年、共著)、『日韓政治制度比較』(慶應義塾大学出版会、2015年、共編著)、Japanese and Korean Politics: Alone and Apart from Each Other(Palgrave Macmillan, 2015, 共著)などがある。

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