2014.06.12
未完のプロジェクトとしてのフェアトレード――現場から見る可能性と限界
選択される売却先
長い雨季があけた2009年11月初旬、わたしはラオス南部のコーヒー農家のもとで収穫の手伝いをしていた。
東南アジアというと熱帯のイメージが強いものの、ここラオスのコーヒー生産地は標高1200メートルに位置するため、日中の日差しは強いが、あのじめっとした嫌な暑さはなく比較的涼しい。もっともこのような気候はラオスに限ったことではなく、コーヒー生産地の一般的な特徴だといえる。
2001年以降、アラビカコーヒーの国際市場価格は多少の変動はあれ2011年4月まで上がり続け、その後下降に転じた。ちょうど2009年はこの上昇の最中にあり、コーヒー生産者たちはつかの間の夢を見ているかのごとく、毎年上昇し続ける報酬に気分をよくしていた。
一方、フェアトレード団体もそれに合わせて高額での買い取りを実施しており、ラオスコーヒーの庭先価格(実際に農家に手渡される価格)は、フェアトレード団体の方が一般の仲買人より若干高い状況が続いていた。
わたしがお世話になっていた農家もフェアトレード価格の方が高いのをよく知ってはいた。ところが、この農家はフェアトレード団体にコーヒーを売却しているわけではなかった。彼らは収入に余裕があるわけではない。わたしにもよく「お金がない」とぼやいていた。おまけにフランスの輸入会社にコーヒーを輸出するフェアトレード団体の方も、できるかぎり多くのコーヒーを売却するように各農家に要求していた。
にもかかわらず、この農家はより多くの収入が得られるはずのフェアトレード団体に収穫したコーヒーを売却せず、すべて仲買人に売却しているのである。これはいったいなぜなのか。
フェアトレードをめぐる議論
そもそもフェアトレードとは、グローバルな国際貿易のもとで疎外されている生産者や労働者に対して、持続的かつ公正な交易条件を提示し、持続可能な生活や発展の機会を与える仕組みを指す。数あるフェアトレード団体のなかでも、フェアトレード・インターナショナル(FLO)は、地域の物価など多様な要因を考慮して設定された「最低保証価格」を遵守し、それとは別に学校や診察所など生産者コミュニティ全体の福利向上に使われる「社会的割増金」を生産者団体に対して支払うことを輸入会社に求めている。
一方、生産者団体には児童労働の禁止、環境基準、民主的な組織運営などのルールを遵守するように求め、これらのルールを遵守する企業や団体に認証を付与している。この認証制度のもとで取引された産品にはFLOマークを付けて販売することが認められている(図1)。
「FLO=フェアトレード」というわけではないが、FLOは、もっとも人口に膾炙したフェアトレードの仕組みを作り、国際的に展開している団体であるといえる。本稿におけるフェアトレードも、このFLO認証のもとでの取引を指すことにする。
フェアトレード認証制度の影響については、数々のジャーナリストや研究者がこの10年の間に肯定、否定の両方の立場からさまざまな見方を示してきた。「フェアトレード認証制度の影響」といった時には、その市場シェアを広げていくための消費者側へのアプローチと、認証制度の恩恵にあずかる生産者側へのアプローチがある。本稿は、生産者側のアプローチを対象としてみたい。
生産者への影響について言及している代表的な論稿のうち、フェアトレードにかかわる生産者世帯に対する金銭的恩恵に関する議論がある。アレックス・ニコルズとシャーロット・オパルは、「フェアトレード認証制度は、生産者へ市場価格を上回る価格を保証している。よってすべての調査が、フェアトレード市場へ販売している生産者の収入がより高いとしているのは、驚くにはあたらない」と述べる(ニコルズ他2009: 230)。
一方、民主的な組織運営の導入による生産者コミュニティへの影響に関する議論もある。たとえば、サラ・ライアンはグアテマラのコーヒー生産協同組合が環境や健康維持の問題に取り組むなど、コーヒーの生産とは別の活動を自主的におこなうようになったと指摘している(Lyon 2002)。
このような恩恵が謳われる一方、結局、フェアトレードの試みは、その目的に反してうまく機能していないではないかという、フェアトレード認証の機能不全を指摘する声もある。例えば邦訳も出ているジャーナリストのコナー・ウッドマンによる『フェアトレードのおかしな真実』(英治出版)では、タンザニアの認証を受けている「協同組合に入る金額の大部分が、協同組合の長に払う人件費を含む管理費に費やされていた」と記されている(ウッドマン2013:242)。
もちろんこういった事例が一つあったからといって、すべての認証団体に問題があることにはつながらない。とはいえ、この指摘は生産者団体の内部で何が起きているのかはしっかり調査しなければ分からないことを教えてくれる。
一方、研究者はもう少し地に足の着いた形でフェアトレード生産者への影響について論じてきた(Jaffee2007、Lyon2011など)。とくにわたしを含む文化人類学者は、1、2年の間、特定の生産者のもとで彼らと一緒に生活しながらフェアトレードの影響についてさまざまなデータを収集し分析してきた。
もっともこのような特定の生産者に定位した調査では、世界中に広がる1300万人ともいわれる生産者を代表するものとなるか批判が投げかけられることもある。だが、広く浅く実態を把握するよりむしろ、ひとつの具体的な事例の方がより深く実態をえぐり出せることもある。本稿ではこうした利点を活かして、わたしが長期にわたってかかわってきたラオス南部のコーヒー生産者の例に即して、フェアトレードの影響について考えてみたい[*1]。
[*1] 本稿は[箕曲2013]に記した2009年までの出来事に加えて、2013年までに起きた現地の出来事を踏まえて論じている。
コーヒーの価格変動
フェアトレードの対象としてコーヒーが頻繁に取り上げられるのには、それなりの理由がある。貿易額が、一次産品としては石油に次ぐ世界第2位となるコーヒーは、欧米の植民地化と密接にかかわる作物であり、アジア、アフリカ、ラテンアメリカといった発展途上国において生産され、そのほとんどが欧米や日本といった先進国で消費されるといった取引構造のなかにある。ラオスはベトナムと同様に、1910年代に当時の宗主国であったフランスから苗木が持ち込まれている。
さらにコーヒーの取引価格はロンドンとニューヨークの先物取引市場において日々変化するため、投機の対象となり、ときには生産コストを下回るほどの低価格で取引されることもある。これまでにも1992年と2001年に極端な低価格に見まわれ、「コーヒー危機」と呼ばれる事態に陥ったことがある。この時期には世界中のコーヒー生産者がコーヒー栽培で生計を立てることができなくなり、生産者が都市に移住するなどコーヒー農家は大きなダメージを被った。
一方で、ラオスコーヒーは2000年代に入るまで国際コーヒー市場での存在感がそれほど高くなく、相場より低い価格で取引されていたため、「コーヒー危機」の影響をそれほど強くは受けなかった。
とはいえ、ラオスのコーヒー農家も不安定な生業であることに変わりはない。もともと焼畑耕作をしてコメを自給してきたラオスの農家は、1990年代に政府が焼畑を全面的に禁止したことによって、コメの代わりにコーヒーを栽培し、その売却益で主食であるコメを購入するという生業パターンになった経緯がある。このため、農作物栽培には必然的に付きまとう気候変動というリスクに加えて、市場価格の変動という新たなリスクに対処しながら生計を立てていかねばならなくなったといえる。
社会主義国であるラオスは、1986年の市場開放をきっかけに輸出産品としてコーヒー栽培を奨励し、フランス政府やFAOなどの国際機関によって継続的な支援が行われてきた。収穫量や輸出量は年々増加し、2006年にはアメリカの民間団体の支援によって初めてフランスのフェアトレード市場にコーヒーを輸出する生産者協同組合が誕生した。その後、2008年にラオス農林省が主導する「ボラベン高原コーヒー生産者農業協同組合(AGPC)」に吸収され、今日に至っている(AGPCは2009年にFLO認証取得)。
一般に自作農がフェアトレード市場にコーヒーを売るには、協同組合を設立し、その組合を通すことになっている。だが、ラオスでは1980年代に政府主導の協同組合が誕生したものの、支払い遅延などの理由により農家から支持されず、誕生後2、3年で機能不全に陥ったという苦い経験がある。したがって、政府による農業の集団化に対していまだ慎重な姿勢を保つ農家も多い。
では、実際に彼らはいったい、どこにどれだけコーヒーを売却しているのか。
庭先コーヒー価格の変化
マックテーン村に住む27歳のミーさんは、コーヒー産地の同村から約120キロメートル離れたチャンパサック郡より2007年にやってきた[*2]。16歳で学校を卒業し実家でコメ作りをしていたが、農閑期には親戚の伝手をたどって同村を訪れ、住み込みでコーヒーの収穫を手伝っていた。その後、手伝っていた家の娘と結婚し、このマックテーン村でコーヒー栽培に従事するようになった。ミーさんは2013年の時点で3ヘクタールの農園を使ってコーヒーを栽培している。このように収穫の手伝いに来た相手と結婚するケースがこの地域ではかなり多く、収穫は出会いの場となっている。
同村において、一般市場にコーヒーを売却する仲買人の買取価格は2012年には1キログラムあたり2200キープ(約22円)から3500キープ(約35円)であった[*3]。買取価格は10月末の収穫期の始まりが一番低く、その後、少しずつ上昇し、11月中旬ころにピークを迎え、その後はふたたび下降していく。一方、AGPCは収穫期の始まりから終わりまで1キログラムあたり3770キープ(約37円)という一定の価格で買い取っていた。
FLO認証制度のもとでは、一般市場価格がFLOの最低保証価格を上回る場合は、輸入会社も一般市場価格に合わせて買取をすることが義務付けられている。一般市場価格が上昇傾向にあったこの5、6年の間フェアトレードの最低保証価格は、一般市場価格に対して目立った優位性はなく、仲買人の最低買取額とAGPCの買取額の差は1キログラムあたり1500キープ(15円)前後、最高買取額との差はあまりないという状態が続いている(表1)。
確かにAGPCの場合、「社会的割増金」は村落基金の原資に充てられるため、農家の手取りのほかに間接的な金銭的恩恵を得ることは間違いない。だが、この両者の差を踏まえたうえで、農家がどのような選択をするのかをしっかりと理解しておく必要がある。
実際、農家がどれほどの収入を得ているのかというと、ミーさんの場合、2012年には4000キログラムのアラビカコーヒーの実を仲買人に売っており、1200万キープ(約12万円)程度の収入を得ている。これに加えてロブスタという別種のコーヒーも300キログラム(生豆)仲買人に売却しており、ここから430万キープ(約4.3万円)程度を得ている。合計すると1630万キープ(約16.3万円)となるが、これで一家4人のコメ代は賄えている。とはいえ、子どもが中等・高等教育を受けるようになれば、この収入ではまだ不十分である[*4]。この収入の合計額は、幹線道路から比較的離れている同村の中では平均的な数値である。
実は、ミーさんは2012年に組合への売却を止めた。仮にすべてのアラビカコーヒーをAGPCに売った場合、1508万キープ(約15万円)の収入になるが、その差は300万キープ(約3万円)だ。この金額は中古のバイクが一台買えるくらいなのだが、ミーさんはそれを望んでいないようだ。
追加収入が期待できるにもかかわらず、AGPCにコーヒーを売らず、仲買人を選ぶのはなぜか。AGPCにコーヒーを売らなくなったのは、ミーさんだけではない。マックテーン村ではAGPC発足当時の2008年には179世帯中113世帯が加盟していたものの、2013年には12世帯に減少していた。この急激な減少は何を意味するのか。これにはいくつかの理由が考えられるが、以下ではそのうちの一つについて取り上げてみたい。
[*2] 文章中の村名と人名はすべて仮名である。
[*3] 文章中のカッコ内の日本円は2012年当時のレート。以下、同様。数値は、未加工のチェリー(実)の状態での買取額。
[*4] このような家計状況の詳細については[箕曲2013]を参照されたい。
即金主義の仲買人
加盟世帯数減少の理由を理解するためには、まずラオスにおいて仲買人が、どのようにコーヒーを買い取っているのかを説明しなくてはならない。仲買人は一般的にコーヒーの産地で生まれ育った人々が多く、輸出業者や銀行から融資を受けて、その資金を元手として農家からコーヒーを買い取り、輸出業者に売却することによって利益を上げている。利益は1キログラムあたり100キープ(1円)程度であるが、なかには年間に1億キープ(100万円)程度の利益を得る者もいる。
この仲買人の取引の特徴は、収穫期に毎日、トラックで村々を回って農家を訪問し、コーヒーを即金で買い付けていることにある。仲買人は毎日輸出業者が提示する買取価格を参考にして、100キープ程度の利益が出るように調整して、農家から買い付けをしているのである。
仲買人は決して支払いを遅延することはなく、必ずその場で取引が完了する。それは農家が仲買人を信頼していないためであり、いくら顔見知りであったとしても、一般的に金持ちだとされる仲買人は、農家から「何かずるをして金儲けをしているのではないか」という疑念を向けられている。
ある農家は「私たち農民は計算が得意ではないので、仲買人のいうままにコーヒーを売却していた。でも、あるとき仲買人が計量機を細工しているという噂を聞き、仲買人の言っていることが信じられなくなった」と愚痴をこぼす。このため農家はその場で計量機を前にして仲買人と一緒にコーヒーの重量を計り、仲買人がずるをしていないかどうかチェックしているのである。こういった疑念が払しょくされない以上、仲買人の「後で支払う」という申し出に、農家が承諾することはなく、即金での支払いが原則となる。
一方、AGPCの買い取り方は、仲買人のものとは異なる。AGPC傘下の各単協[*5]の組合員は、収穫したコーヒーをその日のうちに各々の住む村落内にある加工場に持っていかねばならない。そこでコーヒーの重量を計ったうえで、単協幹部がまとめて本部に情報を伝え、コーヒーを加工場に預けて1週間ほどして報酬全体の8割ほどがもらえる。その後、収穫期から半年ほどたって残りの報酬が手渡される仕組みになっている。
フェアトレード団体との取引を制約する要因
AGPC設立後数年の間は、農家も様子見の状態で、積極的にAGPCにコーヒーを売るというよりも、政府の指示があるから売却していたようだ。設立から数年たって、2013年の段階では、一般の仲買人よりも買取額が少しは高いことを誰でも知るようになったものの、加工場に豆を集めて一括管理するというルールを守らず、世帯ごとに加工している単協があったり、報酬を規定通り組合員に渡さない単協があったりして、AGPC側が幾度かの改善要求を提示したにもかかわらず、改善されない村がAGPCから脱退するといった事態も起きていた。
もっとも、2013年には53の単協のうち脱退した村がある一方で、新たに加盟した村もあり56単協が加盟しており、それなりに金銭的な恩恵を得ているとはいえる。したがって、AGPCが1980年代の官制協同組合のように機能不全に陥り、消滅するというほどの事態には至っていない。組織の根本を揺るがすような、大問題は今のところ発生していな
とはいえ、その活動を制約する要因があることも見逃せない。
組合に売るのを止め、仲買人に売るようになったミーさんは、その理由について次のように述べる。「組合はなかなか報酬をくれない。一部は半年後だ。それでは組合に借金をしているみたいで好きではない。仲買人はすぐに報酬をくれるので楽だ」。こういった発言は、決して珍しいものではなく頻繁に聞くことができる。
[*5] 単協とは各村落内にある農業組合のことを指し、AGPCはこの単協が集まった上位組織を指す。
「誤解」や「悪い噂」を生み出す不安定な取引環境
いずれにせよ、農家が「借金」を避ける理由は、その相手を信頼していないからである。ある農家は「たとえフェアトレードがいい仕組みであっても、その中で働いている人間が信用できなければ、誰も従わない」という。農家は公務員による汚職や商人のごまかしといった事例を数多く知っているだけに、そう簡単に取引相手を信じていない。
確かに農家は協同組合の人々と同様に仲買人も信頼していないが、それでも仲買人は取引の現場で報酬を渡してくれるため、農家からすればまだマシといった感覚なのだろう。このような取引相手に対する不信は、数多くの信頼のある行動の積み重ねで徐々に解消されていくのであろうが、わたしが見てきたさまざまな「誤解」や「噂」について考えると、そう簡単に解消されるものでないこともわかる。
AGPCは自らの方針などの情報を末端の組合員に伝達する場合、各単協の組合長をAGPCの事務所に呼び出し、口頭で伝達した後、組合長は自分の村に戻り、組合員に伝達することになっている。AGPC側からは紙に印刷された資料が配られる場合もあるが、末端の組合員に紙の資料が配られることはない。そうなると、この会議の場に出席していなければ情報が伝わらなくなってしまう。たとえ出席していたとしても、組合員はメモを取るわけではなく、ただ聞いているだけなので、後になって思い違いや誤解が生じることもある。
さらに、組合長が伝達する場合も、AGPC幹部の話がそのまますべて伝わるわけではなく、組合長が取捨選択して伝えるため、たとえばAGPCの理念やフェアトレードの意義といった部分は、伝えられない場合もある。組合員はいくらで買ってくれるかといった実利的な部分には興味があっても、理念のような迂遠な部分にはそれほど興味を示さないからだ。こういった情報伝達の不正確さから、伝えたはずなのに伝わっていない、あるいは伝えてほしいのに伝えていないといった状況を招き、AGPCの意図とは離れて、AGPCと組合長、あるいは組合員の間に誤解が生じる。
たとえば、2009年、最初にAGPCが買取を始めたころは、事前に買取価格を組合員に告げていたが、競合他社が買値を釣り上げる問題があり、次の年には値段の事前公表を避けた。その後、先述の通り報酬の支払いが2回に分かれるようになり、暫定価格として収穫期に8割を支払い、残りは半年後という措置を取るようになった。だが、この買取額を事前に伝えない理由や残りの支払額が何割分なのかといった情報を知らない組合員も多く、ある組合員は「今年はいくらで買い取るか教えてくれなくなった。これではフェアな取引ではない」と文句を言っていた。
このような誤解は、容易に悪い噂を誘発する。たとえば、「AGPCのマネージャーは何を考えているかわからない。結局、都会の人ばかりが儲けて、農民は貧しいままだ」という者まで出てきた。AGPCのマネージャーは農家ではなく都市のオフィスワーカーであるが、こういった都会に住む人々に対する不信はAGPCにだけ投げかけられるのではなく一般的なものであり、「都市民は何か悪いことをして儲けているのではないか」という噂を生じやすくさせている。この不信の背景には、都市部と農村部における経済格差がある。
会計の状況をみる限り豆代の支払いに関してAGPC側が何か不正を働いているようにはみえないが、農村における情報伝達の曖昧さは、誤解や悪い噂を生み出しやすい環境にあるといえる。こういった状態ではいくら誠実な取引を行おうとも、いつどこで悪い噂が広まるかわからず、ラオスのコーヒー産地は不安定な取引環境にあるといえるだろう。
一歩先のフェアトレードへ
このようにラオスのコーヒー産地では、フェアトレード団体である「AGPC」と、一般の輸出会社と農家をつなぐ「仲買人」という2つの売却ルートがある。農家は誤解はあるものの、それぞれの利点と欠点をよく理解しており、状況に応じて売り分けているのである。この場合、買取価格は数ある選択要因の一つに過ぎず、買取価格が少しばかり高いからといって、必ずしもフェアトレード団体に売るわけではない。
農家の選択を決めるのは、本稿で指摘した「誤解」や「噂」といった人間関係に起因するものばかりでなく、ほかにも追加労働や品質向上にかかわる規則の遵守といった組合運営にかかわるものもある。いずれにせよ、これらの要因がフェアトレード市場への豆の流れを制限する要因となっているわけである。
一般的にフェアトレードに関わる人々は、仲買人が農家を搾取する悪玉として理解する傾向がある。このような見方は農家があくまで受身な存在であり、庇護が必要な対象としてみなすことにつながる。だが、実際は自作農であればそれぞれの世帯の状況に合わせて売り先を選ぶことができるのであり、フェアトレード団体はこの能動性を前提にした農村支援の仕組みを構想しなくてはならない。
肝心なのは、農家が仲買人を選んだからといって、それでこの地域に住む人びとの生活上の脆弱性が改善されるわけではないということだ。たとえば健康保険に加盟することがほとんどないこの地域の人びとは、病気になれば50~70キロくらい離れた町の医者にかかり、入院や薬代で年間に500万キープ~1000万キープ(約5~10万円)程度払う者もいる。突発的に生じるこのような出費に対応できるほど余裕のある世帯は村の中でも一部であり、医療費の支払えない者は治療の見込みのないままとなる。
フェアトレードはこのような問題に対する決定的な処方箋を提示することはできないが、少なくともAGPCによる村落基金の原資が増えれば、突発的に生じる医療費を少しは賄うことができるかもしれない。その点で仲買人よりフェアトレード市場を選ぶことに意味はあるのだが、農家の売り先選択において、この点が考慮されることはない。
フェアトレードの仕組みは決して完成されたものではなく、各々の産地で生じる問題に対して個別に解決していかねばならない。その意味で、フェアトレードは「未完」のプロジェクトなのである。
本稿の意図は決してフェアトレードの試みを批判し、その問題を告発するものではない。むしろ、できればそのオルタナティブな試みが広まってほしいと考える。そのためにはこの試みのもとに何が可能になり、どこが限界となっているのかを冷静に分析する研究が必要なのである。
参考文献
Jaffee, Daniel, 2007 “Brewing Justice: Fair Trade Coffee, Sustainability, And Survival”, University of California Press.
Lyon, Sarah, 2002 “Evaluation of the Actual and Potential Benefits for the Alleviation of Poverty Through the Participation in Fair Trade Coffee Networks: Guatemalan Case Study”.[http://www.colostate.edu/dept/Sociology/FairTradeResearchGroup/ doc/guatemala.pdf, accessed on June 13, 2008].
2011 “Coffee and Community: Maya Farmers and Fair-Trade Markets”, University Press of Colorado.
ウッドマン、コナー(松本裕訳)2013『フェアトレードのおかしな真実――僕は本当に良いビジネスを探す旅に出た』、英知出版。
ニコルズ、アレックス/シャーロット・オパル(北澤肯訳)2005 『フェアトレード――倫理的消費が経済を変える』、岩波書店。
箕曲在弘2013『フェアトレードの生産者への影響をめぐる人類学的研究――ラオス南部ボラベン高原におけるコーヒー栽培農村の事例から』(博士学位請求論文)、早稲田大学。
プロフィール
箕曲在弘
東洋大学社会学部社会文化システム学科助教、(株)オルター・トレード・ジャパン、ラオスコーヒー事業アドバイザー。博士(文学)。早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。明治学院大学社会学部付属研究所研究調査員を経て現職。2008年からラオス南部ボラベン高原にてフェアトレードの生産者への影響について調査研究を行っている。論文に「ラオス南部コーヒー栽培地域における農民富裕者の誕生要因」『東南アジア研究』(51号2巻、2014年)、「ラオス南部ボラベン高原におけるコーヒー仲買人の商取引戦略」『明治学院大学社会学部研究所年報』(43号、2013年)などがある。