2014.07.24
地方住民の政治参加を促すパンチャーヤト制度――インドの「進んだ」地方自治・行政組織
最近、レイプ事件など女性に対する暴力が何かと話題になっているインドで、今年になってまた衝撃的な事件が報道された。他のコミュニティの男性と恋愛関係になったトライブ(少数民族)の女性が、村のトライブの長によって招集された村裁判の会議で集団レイプの刑を宣告され、複数の男性からレイプされたという凄惨な事件である。
インドでは、地域によっては、特定のコミュニティやカースト内での慣習や規律に関する問題を扱う長老会議・裁判のようなものが存在し、社会で一定の権威を保持してきた。よく知られているものに、カープ・パンチャーヤト、あるいは、カースト・パンチャーヤトなどと呼ばれるものがある。そこでの決定はしばしば個人の婚姻の自由を侵害するものや、女性への暴力となるようなものが含まれることから問題視されている。
もちろんこうした決定機関に正式な法的地位・権限はない。インド法律委員会(Law Commission of India)も名誉や伝統の名の下で婚姻の自由が妨げられるような行為や集会を禁止する法律の制定を提言している[*1]。
[*1] Government of India, Law Commission of India,(2012) “Prevention of Interference with the Freedom of Matrimonial Alliances (in the name of Honour and Tradition): A Suggested Legal Framework”, Report No.242を参照。
先述のレイプ事件を報じるニュースでも、農村部に存在する非合法な自治組織について言及され、カープ・パンチャーヤトの語が紹介されていたりする。ただ、こうした記事を目にした読者が、同じくパンチャーヤトの名で知られているインド農村部での正式な地方自治・行政機構と非合法な(慣習的な)パンチャーヤトとを混同してしまわないかといささか気になる。以下では、インド農村の自治組織に関する誤解を防ぐ意味も込めて、地方自治・行政組織であるパンチャーヤト制度について紹介したい。
地方自治・行政機構としてのパンチャーヤト
パンチャーヤトという語は、かつてインドの農村社会で5(パーンチ)人程度の長老の合議による自治が行われていたことにその名は由来する。もちろん、現在の地方自治・行政機構であるパンチャーヤトは5人の長老によるものではなく、普通選挙で選ばれたパンチャーヤト議員で構成される議会制にもとづくものである。現制度のパンチャーヤトは、一般的には、州より下位の県レベル、中間(郡、ブロック)レベル、そして、村レベルの3層の地方議会からなり、当該地方の農村開発事業の計画策定・実施に責任を負う。
独立後のパンチャーヤトは州によってその形態や機能はまちまちであったが、1993年の第73次憲法改正によって地方自治体としてその機能や権限が明確化され、(一部の州を除き)全国一律のパンチャーヤト制度の整備が各州で進められた[*2]。同改正の主な点は以下の通りである。
[*2] 独立後から憲法改正までのパンチャーヤト制度の展開に関しては、井上恭子(1998)「インドにおける地方行政-パンチャーヤット制度の展開-」『アジア経済』39巻11号 pp.2-30に詳しい。
・3層(県・中間・村レベル)のパンチャーヤトの設置。
・すべての層のパンチャーヤトにおける直接選挙による議員の選出。
・「指定カースト(Scheduled Castes=SC)」、「指定部族(Scheduled Tribes=ST)」に対する人口比に応じた留保議席の導入。
・3分の1の議席を女性に留保。
・5年を任期とし、解散の場合、6か月以内に選挙を実施。
・有権者全員が参加できる村民会議(グラム・サバー)の設置。
・開発事業の計画・実施の権限をパンチャーヤトに移譲。
以上のような憲法改正を受けて、各州でパンチャーヤト制度が整備され、パンチャーヤトへの権限移譲による分権化の促進、地方政治の民主化(住民の政治参加)の促進、公正で効果的な開発政策の実施が期待されてきた。
2004年には、パンチャーヤト制度による分権化と参加型の地方自治の実現を目指し、独立した省(パンチャーヤティ・ラージ省)も設置されるにいたった。2014年3月時点で、全国で、県レベル、中間レベル、村レベルのパンチャーヤトの数はそれぞれ594、6,326、237,460にのぼる[*3]。この巨大な数の議会が、民主主義大国インドの草の根レベルの民主主義を支えているのである。
[*3] インド政府パンチャーヤティ・ラージ省のホームページより。
住民の政治参加を促すパンチャーヤト制度
ここでは、地方政治の民主化(住民の政治参加の拡大)の観点から、パンチャーヤト制度の特徴や現状について述べてみたい。
まず、何よりもパンチャーヤト制度において特徴的なのが、社会的弱者層に対する留保議席の制度を設けていることである。
インドでは周知のように、カースト社会の中で「不可触民」として長らく差別に苦しんできたカーストの人々が存在する。それらのカーストは現在、法的・行政的には「指定カースト(SC)」とよばれている。また、広大なインド亜大陸には独自の文化を有する少数民族も各地に存在し、社会経済発展から取り残されてきたこれらの少数民族は「指定部族(ST)」と呼ばれている。インドではSC、STの人々の社会進出を促進させるべく、議会での議席、公的雇用、教育などで優遇措置がとられている。パンチャーヤトにおいてもSC、STのための留保議席が上記の憲法改正によって義務付けられるようになった。
SC、STへの議席の留保に加え特筆すべきなのは、女性のための留保議席がパンチャーヤトで導入されたことである。インドでは、州議会や連邦議会において女性の留保はまだ実現していない(憲法第108次改正案は連邦下院議会ならびに州議会の議席の3分の1を女性に留保しようとする法案であるが、連邦上院議会で2010年に可決されたものの、下院議会で審議はペンディングになっている)が、地方議会においては女性に対するポジティブ・アクションが積極的に進められてきたのである。
少々古い数字になるが、2008年3月時点の3層合わせたパンチャーヤトの議員の総数は約281万8000人。そのうち、SC、STの議員の占める割合は、はそれぞれ18.5%、11.3%、また、女性議員の割合は36.9%である[*4]。
[*4] パンチャーヤティ・ラージ省のホームページより。
また、2009年には、パンチャーヤトにおいて女性の留保枠を50%に引き上げようとする第110次憲法改正案が連邦議会で審議され始めた。この憲法改正法案に関しても連邦下院議会でペンディングになったままで、まだ可決されてはいないが、いくつかの州ではすでに独自にパンチャーヤト法の改正を行い、女性の留保枠を50%に引き上げている。そのため、現時点での女性議員の割合は上述の数値よりさらに高くなっていると予想される。
ちなみに、日本政府も、2020年までに指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%程度にするという目標を掲げ、積極的改善措置(ポジティブ・アクション)の推進をはかろうとしている。平成23年版の『男女共同参画白書』ではポジティブ・アクションに関する特集が組まれているが、同白書によると、日本の国会議員における女性の占める割合は、衆議院で11.3%、参議院で18.2%と、国際的にみてかなり低い水準にとどまっている。
インドにおいても国会レベルではまだ女性のクオータ制がとられていないため、連邦下院議会では10.8%、連邦上院議会では10.3%である[*5]。しかし、地方議会に目を向けると、日本の都道府県議会議員に占める女性の割合はわずか8.1%に留まっており、町村議会においては、女性のいない議会の割合は38.0%にものぼっている[*6]。インドにおける地方議会との差は歴然としている。
[*5] 内閣府『平成23年版 男女共同参画白書』p.8。
[*6] 同上pp.20-21
留保議席の制度と並んでインドの地方制度におけるもう一つの大きな特徴は、有権者すべてが参加できる村民会議の存在である。住民(特に貧困層)の声を反映した開発政策の実施、また、汚職を減らし、開発政治の透明性を高めていくうえで、住民の政治参加、とりわけ、直接的な参加は欠かせない。パンチャーヤティ・ラージ省も、地方自治やグラム・パンチャーヤトの健全な機能にとって中心的な役割を果たすものとして村民会議を位置づけている。
西ベンガル州のパンチャーヤト制度
インド各州のなかでもパンチャーヤト改革に積極的に取り組んできた州のひとつとして西ベンガル州が挙げられる。西ベンガル州では1977年に「インド共産党(マルクス主義)」(以下、CPM)を中心とする左翼の連合政権である左翼戦線(Left Front=LF)政権が発足するが、同政権が土地改革とならんで農村開発政策において特に力を入れたのがパンチャーヤト改革であった。それ以前もパンチャーヤトは組織されていたが、選挙もろくに行われず、大土地所有地主層など村の有力者による政治が村内で行われていたのが実情である。
同州では、1973年に「西ベンガル州パンチャーヤト法」が成立していたが、同法に基づき初めて選挙が行われ、新たなパンチャーヤト機構がスタートするのはLF政権発足後の1978年であった。その後、西ベンガル州では5年おきにパンチャーヤト選挙が行われるようになり、住民の直接選挙によって選ばれた議員による政治が行われてきた。同州のパンチャーヤト機構は、県レベルの議会であるジェラ・ポリショッド、中間(ブロック)レベルの議会であるパンチャーヤト・ショミティ、村レベル(複数の村/選挙区で構成される)の議会であるグラム・パンチャーヤト(以下、GP)の3層からなる。
西ベンガル州でも、先述のインド憲法改正の動きに合わせるようにいち早くパンチャーヤト法の改正が行われ、SC・STならびに女性への留保議席が1993年の選挙より導入された。村民会議の規定もその際盛り込まれたが、その後の1994年の改正法ではさらに、2層の村民会議の設置が義務づけられた。すなわち、全GPレベルでの村民会議(グラム・ショバー)と、GP内の選挙区レベルでの村民会議(グラム・ションショッド)である。西ベンガル州のパンチャーヤト組織を図にすると以下のようになる。
グラム・ショバーは年1回、グラム・ションショッドは年2回の開催が義務付けられている。会が成立するための定足数は、グラム・ショバーで全有権者の20分の1以上、グラム・ションショッドで10分の1以上である。2003年の同州のパンチャーヤト法の改正では、法に照らして問題がある場合を除き、GPがグラム・ションショッドの意見を無視あるいは拒否できないことが明文化され、最も末端の村民集会であるグラム・ションショッドに大きな権限が付与された。
さらに、同年の改正では、住民参加による公正な開発政策の実施に責任を負う「農村開発委員会」を各グラム・ションショッド(選挙区)に設置することも義務付けられた。20人ほどで構成される委員会の構成員はグラム・ションショッドで選出される。構成員には、当該選挙区から当選したGP議員、選挙の際に次点で敗れたGP議員立候補者、ボランティア組織や協同組合等の公的団体のメンバー、自助グループのメンバー、現職あるいは退職した公務員、現職あるいは退職した教員が含まれなければならない。また、構成員の3分の1は女性でなければならないとされている。
委員会の長は当該選挙区から当選しているGP議員が務め、委員長と共に開発政策の実施において重要な役割を担う委員会書記は構成員の中から互選されることになっている。
また2012年には、女性の留保議席を50%に引き上げる改正も行われた。さらに、同年の改正では、SC、ST以外の「その他の後進諸階級(OBC)」の人々にも留保枠が設けられることになった。
以上のような改革を通して、西ベンガル州では、地方政治への住民の参加を促すための制度が強化されてきた。
ここからは、筆者が調査をしてきた同州のひとつのGP(B.GPと呼ぶことにする)を取り上げ、パンチャーヤトにおける住民の政治参加の様子を紹介したい。2008年の選挙に関しては、B.GPの14の選挙区から計15名がGP議員として当選した。2008年の西ベンガル州のパンチャーヤト選挙で特筆すべきことは、それまで農村部で強固な支持基盤を持っていた州政府与党のCPMが大幅に議席を減少させたことが挙げられる。B.GPにおいても、初めてCPMが敗れ、与野党の逆転が見られた。
B.GPにおける住民の政治参加
B.GPでは、1978年に選挙が行われて以来、それまで政治的権威を保持していた大土地所有地主層に代わり、農村社会での中・下層の人々がGP議員として村内政治における中心的な役割を担うようになった。90年代の留保議席の導入は、さらなる新たな層を政治の表舞台へと連れ出した。
ところで、留保議席は選挙区にローテーションで割り振られるため、留保議席に当てられた選挙区からは必ずしも選挙区内で最も意欲的あるいは実力・経験のある人物が立候補するとは限らない。留保議席で当選した経験の乏しい議員のなかには、選挙区内の有力な政治家の傀儡と化す者もいる。女性議員の場合、夫が妻に代わって様々な仕事を肩代わりしている場合もある。これらのことは留保議席導入後のインドのパンチャーヤトに関してしばしば指摘されてきた。
B.GPにおいても経験不足の女性議員に代わり、夫が仕事の手助けをするケースはこれまで見られた。しかし、そのことは必ずしも女性議員の消極性や意欲のなさを示すものではない。B.GPでも2008年選挙では、議長の座が女性に留保されていたため、女性が議長になっていた(議長は当選議員の中から互選で選ばれるが、議長職においても女性への留保が導入されている)。確かに議長の夫は彼女の仕事をサポートしていたが、その女性議長は決して受け身の姿勢ではなく、自ら住民の苦情や陳情に耳を傾け、外回りの仕事も積極的に行っていた。また、別の女性議員は、対立政党支持者からの嫌がらせを恐れた村人たちは集会に参加することをためらったため、選挙戦では一人で村内を積極的に歩き回り、自らの主張を訴えたと話していた。留保議席とはいえ、政治に臨む意欲や姿勢において決して他の議員に引けを取らない女性議員も存在するのである。
とはいえ、新規にGP政治に参入した議員がリーダーシップを発揮していくことは容易ではない。GP議員とともに選挙区内での開発プログラムを動かしていく農村開発委員会書記の役割はその意味で重要である。農村開発委員会のメンバーはグラム・ションショッドで選出されるため、どうしても当該選挙区から当選したGP議員と同政党の支持者が多数を占めることになり、その中から互選される書記はその政党(支持者)内のある程度の実力者ということになる。2008年のパンチャーヤト選挙の後に各グラム・ションショッドで成立した農村開発委員会の書記の顔ぶれをみると、その多くが、元GP議員あるいは党のローカルな組織で何らかの役員をしている人物であり、議員に対する影響力の大きさが察知できる。
しかし、これまで政党や政治活動からは距離を置いていた(その意味で清廉潔白で、党派を超えて広く人々から信用されている)人物が書記として選出されている場合もあり、政党間の対立が熾烈で、支持者びいきが当たり前のように行われていると思われているパンチャーヤトの開発政治において、一定の公正さを担保するものとして、その役割に期待することができる。
次に、村民会議に目を転じてみよう。B.GPでは、GP全レベルの村民会議であるグラム・ショバーより、強い権限も付与された選挙区ごとの村民会議であるグラム・ションショッドに人々の強い関心がある。とはいえ、どのグラム・ションショッドの場合でも、定足数ぎりぎり(おおよそ70~100人程度)で開催されているのが実情である。なかには開催途中で定足数を切ってしまう場合も珍しくない。
また、村民会議では、質問や意見のある者が一人ひとり順に発言し、皆がそれに静かに耳を傾けるといったように、秩序正しく会が進行するわけではない。あちらこちらから同時に参加者たちが思い思いに言いたいことを言い出すため、会場はすぐに騒然となる。一度騒然となると、GP議員や農村開発委員会書記やGP事務局担当者など、会を仕切っているメンバーたちもそれを制御し、鎮めることは困難である。
村民会議で議題になるのは、もっぱら政府の貧困削減のための開発プログラムの実施(場所の選定)や受益者選定に関するものである。パンチャーヤトは地方自治体とされているが、その仕事の大部分は中央・州政府の開発プログラムを現場で実施することであり、政府の末端行政機関といった意味合いが強い。
貧困層を多く抱える農村部では税収などから自主財源を確保し、独自の行政を行うことは難しい。政党や政治家も票の獲得のためには住民の負担になることよりも、上から降りてくる開発資金をいかに多くの住民(支持者)に分配するかに心血を注ぐことになる。そのため、限りある上からの開発資金の奪い合いと、そこから派生する、熾烈な党派間の争いといった構図はインドのパンチャーヤト政治に大なり小なり共通する。B.GPのグラム・ションショッドにおいても、政府の貧困削減プログラムの受益が参加者の大きな関心事となっている。そのため、受益のターゲットとなる貧困層からの参加者が目立つ。
このように、村民会議では、その議題は限定され、参加者も開発プログラムにおける利害関係者に偏ってしまうなどの問題点、また、会議が騒然としたものになってしまうという難点が見られる。しかし、会議で飛び交う参加者の情熱的な発言、さらには、パンチャーヤト行政や議員に対する厳しい批判は、政治家の説明責任を促し、開発政策をより公正に実施させる大きな力になっていると言えよう。また、会議では女性が積極的に発言する姿も見られる[*7]。
[*7] B.GPにおけるパンチャーヤト政治の記述は、森日出樹(2011)「インド西ベンガル州における農村政治の転換-左翼政党の敗れたグラム・パンチャーヤトの事例から-」『松山東雲女子大学人文科学部紀要』19巻pp.55-86に依拠する。
「遅れ」た印象と「進んだ」制度
以上、西ベンガル州での事例をもとに、住民の政治参加の視点から、インドのパンチャーヤト制度について紹介した。インドの地方制度においては、女性や社会経済的弱者への留保議席制度、直接民主主義の制度である村民会議など、民主主義の根幹とも言える住民参加を促す制度が整えられている。制度運用上の問題点は多々あるにしても、私たちが草の根レベルでの民主主義や幅広い住民の(直接的な)政治参加を考える際に参考にすべきものがそこにはある。
インドをはじめ新興国や途上国に関するニュースには、その国の社会や制度の「遅れ」を印象付けさせる、あるいは、そうした印象を増幅させるような報道(のされ方)が目立つ。冒頭で紹介した農村の自治組織を報じるニュースもその例外ではない。その意味で、本稿のパンチャーヤト制度の紹介が、インドの「進んだ」制度の紹介として受け止めていただければ幸いである。
プロフィール
森日出樹
松山東雲女子大学教授。関西学院大学大学院文学研究科博士課程前期課程修了。カルカッタ大学大学院博士課程満期退学。大学院時代より、主にインドの西ベンガル州の農村と農村開発に関して調査・研究を行う。主な論文に、「インド・西ベンガル州における農村開発政策と社会・政治変容―左翼戦線政権下の1グラム・パンチャーヤト区の事例から―」(『アジア経済』38巻8号、1997年)、「インドにおける草の根の民主主義と開発政治―カルナータカ州と西ベンガル州でのパンチャーヤトにおける住民参加の事例から―」近藤則夫編『インド民主主義体制のゆくえ―挑戦と変容―』(アジア経済研究所、2009年)など。