2015.12.11
昔は新米より古米の方が高かったし、 戦国時代の人は整然と歩けなかった!?
現代ソマリランドと室町日本は驚くほど似ていた! ――この驚きの事実をノンフィクション作家・高野秀行と歴史家・清水克行が語り合った『世界の辺境とハードボイルド室町時代』が注目を集めている。どのように室町時代とソマリアは出会ったのか、そして米、納豆、河童の話まで。縦横無尽のトークイベントの模様をお伝えする。9月25日、東京堂書店神田神保町店で行われた『世界の辺境とハードボイルド室町時代』トークイベントより抄録。(構成/山本菜々子)
室町時代とソマリアの邂逅
清水 本日は二人の対談集『世界の辺境とハードボイルド室町時代』の刊行記念イベントです。まずはあの本がどういう経緯でできたのか話をしなくてはいけませんね。
高野 そうですね。
清水 そもそも二人は、まったく何の縁もなかったんです。柳下毅一郎さんがツイッター上で高野さんの『謎の独立国家ソマリランド』のソマリア人と、ぼくの書いた『喧嘩両成敗の誕生』の室町人が似ているということをつぶやきました。
高野 そうですね。それをぼくがツイート上でグルグル回ってきたのを発見して、「へぇ、そうなんだ」と。
清水 で、ぼくもそれを発見したんです。常に定期的に自分の名前を検索してますから(笑)。
高野 基本ですよね、それはね。
で、ぼくは『喧嘩両成敗の誕生』をすぐ読みました。それがすごい面白かったんですよ。室町人はどういう人なのか定義づけている箇所があるのですが、室町をソマリに置き換えると全部通じてしまう。そうしたら、この本をつくってくれた編集の河井さんから「紹介しましょうか」と連絡がきました。
それで、明大前のキャンパスに行って、最初すごい清水さんがね、緊張してるというか、警戒した感じだったので……。
清水 今までに会ったことのないキャラクターだなと。狭い研究の世界にいたもんで。まあ、研究者も変な人多いですけど、それとはまた違うので、どうなのかなと思って。
高野 ぼくのほうは、本になるなんて考えてもいなかったし、そんなことより「話をしたい!」っていう気持ちが空回りするほどになって。それで、清水さんちょっと引いてましたよね。
清水 そう。かなり前のめりで、圧倒されました。だから、高野さんから「室町時代の人ってこうですよね」って言われても、「エ、えぇ…、まぁ…」って言うぐらい。ただ、そのあと、「じゃ、飲みに行きましょうか」と、下北沢に飲みに行ったんですね、編集の河井さんと三人でね。お酒が入ったら、だんだんぼくも心のストッパーが外れて(笑)。
高野 なんか日本酒飲んだら急に、ねえ、スーッと楽になったのか……「これは麹の味がする」とかって言って。
清水 そんなこと言いました?(笑)
高野 おお、さすが日本史の先生って思いましたよ(笑)。
清水 その時、ライトな文体で真面目な話を扱うと世間では「不真面目だ」と怒る人もいる。それってどうなんでしょうという話を酔った勢いでしたんです。そしたら高野さんも「ぼくもそう言われます」と答えてくれて――あ、詳しくは、本の五章にその時の話があるので読んでください――で、お互い二人で「そうですよね!」って言って、手を握り合って。
高野 そう。立ち上がって握手してたって。ぼくはもうその前後の記憶がほとんどないんです。
清水 ぼくはそこだけは覚えてます(笑)。編集の河井さんはそれを横で見て、「あ、これは売り物になる」とすぐ二人の会話を文字に起こしてくれたんですよね。
高野 なにしろ僕らは、僕らというか、少なくともぼくは忘れてますから。内容を半分ぐらいは。そのテープ起こししたものを読んだら、意外に面白いんですよね。
清水 ええ、ええ。新鮮に読めました(笑)。そして出版の運びとなったわけです。
米と納豆そして自己紹介
高野 この本、けっこう手間がかかっているんです。たとえば米の話。昔は新米より古米の方が値段が高かった。清水さんが著作に書かれていて興味を持ちました。
清水 そう。今は新米の方が高いんですけど、昔は古米の方が高かった。古米は乾いていて圧縮されるので、同じ一升でも炊くと新米より増えてお腹にたまるんです。そのことに気が付いたのは、東南アジアでは古米の方が高いとネットで知ったのがきっかけでした。それを、室町時代にもフィードバックさせたんです。高野さんがそれを読まれたんですね。
高野 そうそうそう。タイやミャンマーはぼくがよく通ってるフィールドなんですけど、全然そんなこと知らなくてびっくりしました。色んな研究者に聞いたんですけど、みんな知らない。だから、タイの町の市場に行って実際に値段を比べたりとかね。
清水 対談なのに裏取りに行っちゃうんですよ(笑)。普通しないですよ。それはそれで本にしたほうがいいんじゃないかというぐらいの取材量です。
高野 そうすると、新米派と古米派がいることがわかった。全体としては古米派が多いんですが、新米派は「香りがいい」って言うんですよね。で、古米派は新米のことを「べちゃべちゃして嫌だ」と言って。「日本人は新米が好き」と言うと、「ああ、あのべちゃべちゃしたのが好きなんだ」って、ちょっと軽蔑されたり。「米の味がわかってないやつ」みたいな顔されたり。あとは東大のミャンマー農村経済専門の先生にミャンマーでは籾(もみ)で貯蔵するところが多いので劣化しにくいという話を聞きましたね。
清水 結局、やっぱり古米がまずいというのは、劣化しちゃうんですよね。でも籾貯蔵の場合と玄米貯蔵の場合では違う。
高野 そうそうそう。玄米のままだとカビたり、虫がつく場合があるんですが、籾だとかなり劣化が防げる。ぼくはミャンマーの山奥の村に住んでたことあるんですけれども、そういうときでも毎朝こう杵でつくんですよね、その日食べる分をトントントントン。食べる分だけ脱穀するわけですよ。だから、理論的にはすごく鮮度の高いものを食べていて、別の意味で「新米」なのかもしれません。
というようなことをかなりの時間をかけて調べました。
清水 で、盛り込んでないんですよね。
高野 そうそう(笑)。
清水 けっこう大胆にカットして。すごい贅沢。あと、あれですよ、ひどいの、納豆の話。
高野 納豆ね。
清水 収録は全部で五回か六回ぐらいやったんですけど、ある収録のときに、「今、納豆に夢中なんだ」と高野さんが言いだして、ずっと納豆の話をしたんですけど、それ文字になった時点で、「ごめん、あれこれから雑誌に書くから丸ごとカット」って(笑)。
高野 ちょっとまずいなあって。
清水 「なかったことに」と言ってカット。あと、第五章でお互いの人生を語ってるとこがあります。本当はね、均等にお互いの人生を語ってるんですよ。ところが、やっぱり本になる前の段階で、高野さんが他の人との対談で、ほぼ同じ話をしちゃった。二度書くわけにいかないからカットさせてって、なぜか第五章、ぼくだけが自分の人生を語っているという。
高野 (笑)。
清水 しかも、お互い同じようにしゃべってるのに、高野さんのところだけ抜くから不自然なんです。何の脈絡もなく、「そういえば、ぼくが大学生の頃」とぼくが唐突に自分の話を始めるとか、ちょっとなかなか分裂した人格みたいになってるんですけど。ぼく、ものすごい自分好きな人みたいになっちゃって。
ここにいらっしゃる方だけは信じてください。そういう編集上の事情の結果、ああなったんで、私はそんなに自分のことを語るの好きな人間じゃありません。そうだ、思い出した、今日はこれだけは言っとかないといけないと思ってたんだ(笑)。
高野 そんなに強調しなくてもいいじゃないですか(笑)。
清水 だって不自然じゃないですか。不自然に思いませんでした? 読んだ方。「この先生、よくしゃべるなあ。この章、一人でこの先生しゃべってる」と思う人がいるんじゃないかと。
高野 もっともっと言いたいことあったんじゃないですか。
清水 いえいえ、もういいです(笑)。
戦国時代の人は整然と歩けなかった?
清水 お互いのフィールドは全然違うけど、しゃべっていると噛み合う点が、この本の最大の面白味です。
指導教授の先生に言われたことがあるのですが、未開社会のような近代化していない社会を観察すると、歴史的な前近代の社会がよくわかる場合がある。だから、歴史学者だからと言って古文書にうもれず、今の世の中にも目をむけた方がいい。実際に高野さんと話しているとインスピレーションを受けます。
早速ですが、今日ぜひ聞きたいことがあって。大河ドラマとか映画の戦国モノの合戦シーンで、よく大将が「行けー!」って言うと、バーッと足軽が走って突撃したりするじゃないですか。あのイメージは合ってるんですかね。つまり戦国時代の人たちって、整然と歩けたのかな。
高野 いや、ぼくが海外で見てきた経験で考えると、絶対歩けないと思いますよ。無理でしょう。
清水 あ、やっぱりそうだ、よかった。「行けー!」とみんなが一斉に行くってのは、近代の軍隊のイメージですよね。古文書見るかぎり、どうしても戦国時代の軍隊がそうだったとは思えないんです。
高野 訓練されていないと整然と歩いてる人って少ない。たとえば、昔コンゴに行ったときにポーターを雇ったんですけど、一緒に歩いてくれない。行くなと言っているのに、荷物が用意できたらみんな行く。さあ行こうと言っても、用があるからって帰っちゃったり。途中で勝手に休んでメシ食ったりとか。とにかく全員で一致して行動するってことが習慣としてないんです。
清水 どうもね、黒澤明の映画『影武者』あたりからあのイメージが出来あがったんじゃないかな。こないだ久しぶりに『影武者』を見ていたら、大将が兵士たちに「折り敷けー!」って号令かけるシーンがあるんですよ。そんな号令、戦国時代の史料で見たことなかったんで、なんだろうと思って調べたら、敬礼を意味する近代陸軍の軍隊用語だったんです。
そのほか、整然と一列に行進するマスゲーム的な軍隊も、戦前の軍隊を知っている黒澤のなかの軍隊イメージですね。実際の戦国時代の進軍時の軍令を読むと、「沿道のものを盗んじゃいけない」「味方同士で喧嘩しちゃいけない」という、すごくレベルの低いことが書いてありますからね。
高野 まあ、あっちのほうが映画的にカッコいいですけどね(笑)。みんながバラバラバラバラ行ってたら締まらない。
清水 突撃したけど、ついてこないというのじゃね(笑)。だから、われわれ研究者も、実は子どもの頃から見てる映画やテレビドラマで刷り込まれていることって、けっこうあるんですよね。
高野 でも、ダラダラしたり、勝手に逃げるやつがたくさんいたでしょうから、後ろから追いたてて前に進ませるための役目の人はいたでしょうね。
清水 ええ。あとはね、戦場に行くと、足軽たちは堂々と略奪ができるんですよ。で、彼らは略奪目当てで従軍する。なので、敵を襲撃すればいいのに、敵の陣地じゃなくて隣の集落を襲っちゃったりして。武田信玄も困ってる。
だから、何日かのうち一日ぐらいは「略奪公認の日」を作らないと、軍隊の士気に関わると『甲陽軍鑑』に書いています。だから、人間、目の色変えて突進するのはそういう物欲に関わるときで、そうじゃないと、やっぱり基本はチンタラしてるんでしょう。
高野 そんなね、お家のためにとか、主君のためにとかって命を投げ出して、まっしぐらに行くってわけじゃないわけですよね。
清水 ええ、そうです。近代になって国民国家というのができて、ナショナリズムみたいなのが自分のなかに血肉となると、できるんでしょうけど、戦国時代って違うんでしょうね。
河童の気持ち
清水 高野さんから何かないですか。
高野 えーとね、ぼくは、この前、東北の北上川に行ったんです。北上川は岩手県の盛岡のちょっと先が水源になっていて、そこからずっと探検部の先輩とカヌーで二週間ぐらいかけてダラダラと川下りをしました。
清水 なぜ川下りなんですか(笑)。
高野 前から、川下りをやってみたかった。最近、辺境が便利になってバスやバイクでけっこういけちゃう。自力で体を使って旅をするという感覚がなくなっていたんです。実感がないか面白くないんですよ。かといって、わざわざそういう交通機関のあるところを歩くのも違う気がする。だから、川旅を……
清水 昔は普通に川旅をしていたわけですからね。
高野 そうそう。今でもコンゴのあたりは、道路が乏しくて、主要交通路は川です。道路を引くのは大変だけど、船で川を行くのは簡単ですからね。
北上川も昔は同じような場所でした。東北本線とか東北自動車道が通ってる盛岡、花巻、北上市って町は北上川沿いで、しかも大きな支流のところに町があります。要するにそこに市(いち)が立ったわけです。昔は川がルートでしたが、そのうち鉄道に取って代わられ、今は車に取って代わられた。
清水 川って簡単に下れるもんなんですか。堰とかないんですか。
高野 ありますよ。そういうところは、持って移動するんです。
清水 すごい(笑)。
高野 参ったのが、ぼくの先輩はもう三十年間、日本と世界の川を旅してきた冒険家なんですけど、ちょっともうどうかしてる……。
清水 高野さんが言いますか(笑)。
高野 うん、まあ、私の師匠なんです。その人によると、昔は川の横に町がちゃんとあった。今もあるんですが、町の機能を果たしてないんです。行っても店がない。食料品買い出そうと思っても、雑貨屋も何もない。じゃ、どうしてんのかっていうと、みんな遠く離れた街道沿いのイオンに行ってる。だから、丘に上がっても物資が補給できない。
で、船に乗ってるとけっこう自由だけど、陸(おか)に上がるといきなり徒歩(笑)。日本の地方で徒歩の人なんかいない。陸に上がった河童ってまさにこの状態で、どうにもならないんですよ。片道四十分歩いて……
清水 ボートはどうするんですか。ボートを抱えて?
高野 ボートは先輩が見てて、ぼくが一人で歩いてペタペタと……。サンダルとか足袋で四十分歩いてイトーヨーカ堂に着いたりとか。すっごいきれいなのに、そのなかに汚い格好して入らなきゃいけないんですよ。
テントは河原に張るんですが、テントを張る場所もなかなか難しい。要するに人の土地にテントを張っちゃまずいわけ。だから、やっぱり河原が欲しいんですよ。北上川は森や林が多くてテントがはれない。河原はいつもあるとは限りません。
一番いいのは橋の下。橋っていうのは、強い日差しも遮るし、雨も遮るので居心地がいい。橋の下で河原があるっていうのがベストポジション。こうやって、室町時代に河原者と呼ばれていた人たちにどんどん自動的に近づいていく。
清水 ああ、なるほど。河原や橋の下というのは、彼らなりの合理性があったと。
高野 そうそう。水は手に入るから川辺にいる。で、ときどき、町に行く。そうすると、けっこういろんな人に、「どこから来たんですか」とかね、「何してるんですか」って聞かれるんです。やっぱり明らかに違うんでしょうね。真っ黒に日焼けしているし、多分、川くさいんだと思うんですよ。だから独特の視線を感じました(笑)。
今年の八月って雨が多くて寒かったんですよ。で、そこで雨のなか、河原にテント張って、しかも川で移動してるなんてもう、ちょっと尋常じゃないんですよね。
清水 (笑)。自分で言いますか。
高野 そう。やっぱり、「なんかちょっとこの人は違う」と感じるらしい。で、しかも、ぼくは買い出しが終わると、川に帰っていくわけです。町から川に帰っていく感覚というのはね、独特のものがあって。
清水 それは、え、ちゃんと地元の方々に身元明かしました? 北上周辺で何か不審者情報が(笑)。付近で小学生がいなくなったとか(笑)、言われてませんでした?
高野 ちゃんと「カヌーで旅しています」といいました(笑)。昔だったら何か物がなくなったら「あいつらのせいじゃないか」って話になると思うんですよ。
清水 『遠野物語』の世界ですよね。
高野 そう。だから、河童なんかも本当はそうなんじゃないかって。あの町から川に帰るっていうのは不思議ですよ。
清水 電車がかつては動脈だった時代から、今はモータリゼーションに変わって。駅前が寂れて、みんな国道沿いに買い物に行く。でも、考えてみたら川って、その電車の前ですもんね。川を利用していた時代の痕跡なんか跡形もないはずです。
高野 ないですよ。しかもね、川っていうのは、一番低い場所。土地として一番低いですよね。だから、常にみんなに見下ろされてるんですよね。
ぼくのその師匠である先輩がずっと南米とかアフリカを旅しているんですが、川旅の良さも悪さも「目線」だと言うんです。たとえば車で村を訪れると、道路は一番高い場所にあります。とくにアジア・アフリカでは、雨よけにちょっと高くつくる。さらに車って高さがあるじゃないですか。で、そんな目線の高いところから、外国人が下りてくると、ちょっとコンプレックスと反感を抱きますよね。
清水 文字通り「上から目線」。
高野 ところが、川というのはだいたい下を流れています。思い切り「下から目線」です。その上、無防備でしょう? スピードはのろいし、上からならいくらでも襲えるし。で、下からノコノコ上がってくる。あのノコノコ感がすごい。だから、全然尊敬されないけど、全然警戒されないっていうんですね。その気持ちがね、すごくよくわかりました。
清水 はぁー。そうか、考えたこともなかった。
よくぼくも歴史の授業で聞くんです。「港ってどこにできるか」って。すると、学生は大体、「海にできるんでしょう?」って言うんだけど、海じゃないんですよね、必要条件は。むしろ川なんです。
高野 そうですね。
清水 川の河口に港ができるんです。ただの砂浜に港はつくれない。海から上げた物資を今度は内陸に移動させなきゃいけないので、動脈としての川が必要なんです。港の必要条件というのは、海じゃなくて川。とくに内陸部とのアプローチの問題だと授業で話していたんですけど、それを実践した人は初めて見ました。
高野 いやいや、たくさんいるんですけどね。今頃やってる人はいないだけで。それで、昔の山水河原者に興味が出てきたんです。そこから、芸能や歌舞伎、能も出てきて。そういう人たちは水を操る力があったっていうふうに信じられていたそうですね。
清水 水と土ですよね。水と土には神仏が宿っている感覚がある。今でも、井戸を勝手に掘ったり、生きてる井戸を埋めるのはあまりよくないっていうじゃないですか。おいそれと普通の人間がやってはいけない。
で、かわって、タブーのある仕事をやるのが中世の河原者なんです。彼らは普通の人と違うマジカルな力を持っていて、土を動かしたり、石を動かしたりっていうことができるんだと思われていて、それがために反面で畏れられてもいたんです。
この人と話してると、こういう面白い話がいろいろ出てくるんですよ(笑)。
高野 とりとめもなくね。
ハードボイルドな世界
清水 この本でソマリ社会と室町時代とを比較したじゃないですか。「バカなことを」と批判されるかと思ったんですが、ぼくと同じ日本中世史の研究者も、ほとんど大目に見てくれてます。もうぼく自身、研究の世界で見捨てられてるのかもしれないけど。
高野 (笑)
清水 日本中世史研究のなかで非常に大きな影響力を持っている、内藤湖南の学説があります。その人が言うには、「応仁の乱以前は日本の歴史じゃない」と。日本の歴史を勉強したかったら、応仁の乱以後を勉強すればいいんであって、それ以前は外国の歴史と同じだと言うんですね。
とんでもない暴論のように聞こえますけど、われわれが日本的だと思っているような生活、畳や、三食ごはんを食べる生活が出来あがったのが応仁の乱あたり、室町時代から戦国時代にかけてなんです。なので、それ以前の歴史はむしろ、今のわれわれから見れば異文化の世界、外国の歴史同然だったんじゃないかと。これは、中世史の研究者のなかではかなり支持を得てる見解なんですよ。
だから、この本の主題である、ソマリアと室町時代が似てるというのは、あながちずれてないんじゃないかなって思うんですよね。近代史と江戸時代という時間の堆積はありますが、それを引っぺがすと、やっぱり人類の社会ってどこでも似てくるのかもしれません。室町時代だから、厳密にいうと応仁の乱よりちょっと前っていうことになりますね。
もちろん生活文化の問題なんで、応仁の乱で劇的に変わるわけではないですが。まあ、戦国時代ぐらいが分水嶺ですかね。
高野 自尊心が高くて、傷つけられると復讐せずにはいられないというメンタリティは、応仁の乱より前の話なんですね。
清水 それ以降になると今度は江戸時代特有の、ムラ社会的な、非常に協調性を重んじるような、性格が前面に出てくる。だから、それ以前の日本人は、過激なメンタリティを持っている可能性はある。
ただ、厳密に言うと、ソマリ人と室町人は完全に同じというわけではない。「中世」は、教科書的に「武士の時代」だと言われます。「武士」というのは主従制・封建制で生きてる人たち。土地を仲立ちにした主従関係が社会の基軸になってる社会が「中世」であり、「封建社会」だっていうんです。この本では、そのへんの話は面倒くさいんで全然触れなかったんですけど、そういう人と人を結びつける原理ってソマリにありますか?
高野 えーと、そこはソマリと室町人を比べるときに一番違うとこだと思います。というのは、よくソマリの氏族社会が日本のヤクザに似てるいると指摘されるのですが、ぼくはちがうと考えている。たとえばヤクザだと、山口組のトップというと、それはもう最初からトップにいて、そこの傘下のいろんな団体があるわけですよね。
清水 ええ、ピラミッドになって。
高野 でも、ソマリの社会は、たとえ今その氏族の長であっても、どこかの小さな氏族の構成員の一人に過ぎないわけですよ。
清水 はあ。上下関係にはないんですね。でも、なぜ長老になれるんですか、その人が。
高野 選ばれて代表になったんですが、基本的に平等で、そこに身分制はない。そこが決定的に違いますよね。主従関係も、氏族内にはない。
清水 氏族のあいだで上下関係はあるでしょう? 血筋のいい氏族と、そうでもないのとか、って。
高野 うーん、でもね、日本人や外国人が考えるほどのものではないんです。血筋といってもそこから英雄や偉い人が出たということなんだけど、そのあとボンクラが出てれば、別にたいしたことはないし。身分として、その家柄が固定することもない。
清水 はあ。やっぱりそこは違うんだ。
高野 ただ、ある種封建的な部分は別にあります。ソマリは契約社会です。海賊などを想像してもらうと分かりやすいかな。金を持っている人が、兵隊や通訳、人質交渉をする人間を雇います。で、雇われている間はみんなそのために働きますし、退治する方に雇われたらそのために働く。氏族はまったく関係なく、これはお金をもらっている期間の問題で……
清水 主従関係による束縛ではなくて、金銭契約の律儀さなんですね。主従関係の忠誠度とはまた全然違う。
高野 違うんですよ。しかも、かなりきっちりやる。ぼくが思っていた以上に忠実にやるんです。
清水 向こうだと、誘拐でさらわれた人が、お金払えばちゃんと帰ってくるんでしょう? 基本的には。
高野 そうそうそう。
清水 そこの律儀さですよね。お金だけもらって人質殺すことは原則的にはない。そこはビジネスであり、契約ということで。違法な行為のなかにも、ある種の契約性はちゃんと生きている。
高野 強いですよね。で、あともう一つね、遊牧民社会じゃないですか。で、遊牧民というのは日本の武士に似てるなって思うんです。
結局、遊牧民は、家畜をたくさん飼って移動をして商売もやっている。でも一番の主食は農産物で、彼らはそれをつくれない。だから、農民から買うなり奪うなりします。農民たちは自分たちで生きていけるけど、遊牧民に略奪されて支配下にあるわけです。
ソマリアでも、全員が武装しているわけではなく、農民の氏族は武器を持っていません。なので襲われたらひとたまりもない。その代りある氏族と契約して保護―被保護の関係を保つんです。
清水 ああなるほど、『七人の侍』の村人と侍の関係だ。侍を雇って、その保護下にあるから、よそのグループは手出しができない。
高野 そう、野武士は手出しはできない。黒澤の『七人の侍』は、野武士と侍は別ものだって描いてますけど、同じだと思います。
清水 ああ、そうです。入れ替え可能です、「侍」と「野武士」は。出自に注目すれば、彼らはまったく同じ階層です。『七人の侍』は志村喬さんや三船敏郎さんが、カッコよくて、いい人そうだけど、結局、彼らも報酬を得た上でやっている。「あぶれもの」だというところでは共通してるんですよね、山賊も侍たちも。
高野 ねえ。雇ってくれる村がなかったら、ほかの村行って略奪しないといけない。
ソマリも一緒で、ぼくの親しくしているソマリ人も農民氏族で弱い氏族です。もともと武力をもっていないので、首都のモガディショでは勢力が弱くて、危険なんだって。そうすると、別の種族、ぼくが本のなかで「源氏」と呼んでるんですが、源氏系の氏族に頼んでお金を払って守ってもらってるんです。で、それは今、頼朝系と義経系とすごく覇権を争ってるわけですけども、源氏の第三の勢力があるんですよ。頼政かわかんないけど。そこに頼んで守ってもらってる。
清水 ただね、『七人の侍』について言えば、あのまま日本の中世の村をイメージすると間違いなんですよね。映画の農民たちは刀の持ち方も知らずに侍に頼ってばかりだけど、中世の段階で農民たちは武装しています。侍を雇わなくても自分たちで戦えるんですよ。
高野 どっちかっていうと江戸時代の村のイメージに近いんですかね。
清水 ええ。江戸時代の農民たちは、刀狩で侍になる道を奪われたと解釈されているんですが、ものは考えようで江戸時代になって武器をもたなくてもよくなったと考えるべきなのかもしれません。年貢さえ収めていれば武装する必要がなくなる。
だから、江戸時代の年貢は、自分たちにかわって治安維持業務をしている武士階級に、農民たちが支払う用心棒代だったのかもしれませんね。ソマリの農民氏族がやっている保護契約を、国家体制として実現しちゃったのが、「江戸時代」なんでしょうね。
この国も捨てたもんじゃない
清水 最後に一言ずつ。この本は完成するまでに長い時間がかかったので、出来上がった頃には本当に読んでもらえるのか、大丈夫なのか、だんだん不安になってきました。そこで、本のあとがきで思い切って、「こんな内容の本が売れて、このレベルの話を読んで楽しいと思ってくれる人がいっぱいいたなら、この国はまだまだ捨てたものじゃないんじゃないか」なんて、生意気なことを書いたんです。
高野 健全度を測るバロメーター。すごいこと言ってるよなあ(笑)。
清水 だって、この本の内容はこれから普通の人が生きていく上で、なんの足しにもならない知識ばかりです。会社で出世したりお金が儲かることはない。でも、ソマリにしても室町にしても、自分の生活と関わりのない社会に興味を持てる余裕がこの国の人たちに残っているなら、捨てたもんじゃないと思いました。そしたら、案の定売れてくれまして(笑)。しかも、こういうイベントをすると、これだけの方々に集まっていただいて。ぼく自身も今まで自分のやってきたことは無駄じゃなかったんだという思いを新たにしました。
高野 最初、自分の個人的な興味から清水さんにお会いして、めちゃくちゃうれしかったんです。その時は、一緒に飲みにいったり、史跡めぐりと称して遊んだり友達みたいになってしまうとは夢にも思いませんでした。
この仕事はやっていてすごく楽しい仕事です。それが、形になって売れてくれるのは、なんというかうれしい話です。まだお読みになってない方もいらっしゃると思いますけども、まあ、こんな感じで続いてますんで、ちょっと読んでみてあげてください。どうもありがとうございました。
プロフィール
高野秀行
ノンフィクション作家。1966年東京都生まれ。早稲田大学探検部当時執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。タイ国立チェンマイ大学日本語教師を経て、ノンフィクション作家に。『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫)で第一回酒飲み書店員大賞受賞。『謎の独立国家ソマリランドそして海賊国家』(本の雑誌社)で講談社ノンフィクション賞、梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。著書は他に『移民の宴』『イスラム飲酒紀行』(以上講談社文庫)、『ミャンマーの柳生一族』(集英社文庫)、『未来国家ブータン』『恋するソマリア』(以上集英社)など多数。モットーは「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、それをおもしろおかしく書く」。
清水克行
明治大学商学部教授。専門は日本中世史。1971年東京都生まれ。大学の授業は毎年大講義室に400人超の受講生が殺到する人気。NHK「タイムスクープハンター」など歴史番組の時代考証も担当。著書に『喧嘩両成敗の誕生』(講談社選書メチエ)、『日本神判史』(中公新書)、『大飢饉、室町社会を襲う!』『足利尊氏と関東』(吉川弘文館)、『耳鼻削ぎの日本史』(洋泉社 歴史新書y)などがある。モットーは宝処在近(大事なものは身近なもののなかにある!)。