2013.08.09

生活保護の現実はどうなっているんだろう――最後のセーフティーネット・生活保護の意味

『生活保護リアル』著者・みわよしこ氏インタビュー

情報 #社会保障#生活保護#新刊インタビュー#生活保護リアル

近年、繰り返しセンセーショナルに取り上げられるようになった「生活保護」。生活保護受給者を身近に感じない生活を送っている私たちは、どれだけ「生活保護のリアル」を知っているのだろうか? 2013年7月にみわよしこ氏が上梓した『生活保護リアル』は、生活保護受給者のリアルな声と、さまざまな立場で生活保護に携わる人々の声、さらに生活保護の制度面と、生活保護制度を取り巻く全体像を描いている。なぜ、みわ氏はこの本を書いたのか。その思いをうかがった。(聞き手・構成/金子昂)

世の中の多くの人が知りたがっているであろうことを

―― 『生活保護リアル』は、ダイヤモンド・オンラインの連載「生活保護のリアル」がもとになっていますが、この連載のきっかけは、どのようなことだったのでしょうか?

後ほど詳しくお話することになるかと思いますが、ダイヤモンド・オンラインさんには最初に災害と障害者の問題についての記事を持ち込んでいるんです。ダイヤモンド・オンラインさんに持ち込んだのは、ビジネスパーソンの方々にこそ、読んでいただきたいと思ったからです。

「災害に強い町づくりを、過疎の町と障害者たちに学ぶ」

前編

http://diamond.jp/articles/-/14888

後編

http://diamond.jp/articles/-/15024

並行して、生活保護問題についての企画を、いくつかのビジネス系媒体に持ち込んでいたのですが、あまり乗り気になっていただけなくて。災害と障害者に関する記事を載せていただいたダイヤモンド・オンラインさんなら、この問題も取り上げてくれるのではないかと思い、企画を提案したところ、非常に良い反応をいただきました。それから、前・後編での単発記事としての掲載を前提に取材を始めました。結局、さまざまな偶然が重なった結果、いまも続く長期連載になりました。

―― 何名くらいの当事者の方に取材されたのでしょうか? また、その中から5名の方を選ばれて本書に収録しているのは、どんな理由があったのでしょうか?

正式に取材依頼をした上で取材をさせていただいたのは20名弱なのですが、短くてもお話をうかがったことのある当事者の方は、200名程度になります。立ち話に毛が生えた程度でもお話をうかがったことのある方を含めますと、過去10年ほどの延べ人数で4~500人程度にはなっているかと思います。接触の機会は、さまざまな場所にあります。気がつけば、そして相手が受け入れてくれれば、ですが。

本書に収録する際には、なるべく「典型」といえる方に登場いただく方針としました。なぜ生活保護を申請したのか、保護開始後はどのような生活をしているのか。ご登場いただく当事者のお一人が、登場されない何名もの当事者を代表できるように、と考えました。

生活保護当事者もさまざまです。不正受給も含めて、とても稀な、センセーショナルで驚くような話題をお持ちの方ではなく、例えば30代の生活保護当事者なら、その「典型」と言えるような方に登場いただくことを意識しました。そして、「原家族に若干の問題があり、さらに社会構造の問題に不運が重なって、資産がなく収入が足りない状態に陥り、生活保護に至る」という多くの方々に見られる経緯を代表できるかどうかという視点から、登場いただく方を選択しました。

―― 生活保護はこの二年弱、いろいろなかたちで注目を受けました。連載を始められてから、さまざまな反応があったと思いますが、とくにどんなものがありましたか?

驚いたのは、誹謗中傷ではなく、「そういうことだったんだ!」という声が多かったことです。私の記事を読んで、ご自分の心の中に真剣な関心があったことに気がつかれた感じの反応が、数多くありました。

皆さんきっと、生活保護とその周辺には目を向けるべき問題が数多いことに気がついていらっしゃるんだと思うんです。でも肝心の生活保護当事者の方について知る機会が少ないのですよね。生活保護の受給とはどういうことなのか、当事者の方がどんな日常を送っているのか、どういうお店で買い物をしていて、家の中はどんな様子なのか、どこで何をして息抜きしているのか。当事者の友達がいない限り、こうしたことはなかなか知ることはできないと思います。堂々と「生活保護を受けている」とカミングアウトされる方は少ないですから、たとえ、隣の方が生活保護を受給していても、通常は知ることができません。

私自身は障害者であり、障害を持った友達が多いです。そして障害者は、健常者に比べると生活保護の受給率が5、6倍と言われています。ですから私は、生活保護を受給されている方がどういう生活を送っているのかを、比較的よく知っていました。それは、メディアがなかなか報じないことであり、きっと世の中の多くの方が知りたいと思っていることだと思います。

ですから先ほどの話に戻りますが、インパクトのあるエピソードは極力書かないようにして、生活保護当事者の「この類型の方は、有利とはいえない人生のスタートを切り、不運が重なり、現在はこういう生活を送っていることが多い」ということが少しでも伝わるように意識しました。

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一部上場企業の企業研究者からライターへ

―― そもそもみわさんはなぜ生活保護について書こうと思われたのでしょうか?

これはきっかけがあるようでないといいますか、とても長い、でも自然な流れで行きついたんですね。

私は1990年に大学院修士課程を修了しています。この頃はバブルが膨張していた時期で、苦労もなく一部上場の大手メーカーに入れてしまいました。1990年から2000年までは、そのメーカーで半導体の研究開発をしていました。

でも91年末ごろ、半導体業界ではバブルが弾けてしまい、それからは、ほとんどのメーカーが企業としての生き残りをかけて、いわゆる「血で血を洗うリストラ」を始めました。私の勤めていた会社でも、93年から94年ごろ、中高年の管理職多数が閑職に異動したと思ったら、半年もしないうちに全員が会社からいなくなったりしました。さらに95年ごろになりますと、研究所の女性研究員が、一か月に4、5人ほど退職するほどの事態になっていました。

私は、事業部に付属している研究部門にいましたので、つぎは私の番だと思いました。研究所での動きが次に飛び火するとすれば、その部門だったんです。でも、成果の出はじめていた研究テーマもあったので、会社を辞めて転職活動をするのではなく、勤務を続けながら転職活動をすることにしました。

転職活動の際には、いろいろな転職パターンを考えて動いていました。電機メーカーにこだわるか、仕事の内容にこだわるか、それともマイペースに生活できるような仕事を選ぶか。その間にも、猛烈な退職勧奨を受けました。98年ごろには、横領の冤罪をされそうになったり。ここ数年で話題になっている退職勧奨の手段のいろいろは、ほとんど一通り経験していますよ(笑)。

会社に居続けるのは、どう考えても無理な状況でした。背景には、半導体業界と会社の不振がありましたから、闘ってしがみつくことに意味があるとも思えませんでした。そこで、もともと、子どものときから「ライターになりたい」と思っていたこともあり、すでにライター活動をしていたICT技術者の友達に相談してみたところ、書き手を探している編集部を紹介してくれたんです。

まず、単発記事を数本書いたんです。好評で、次は連載の仕事をいただいたのですが、また幸いに評判がよく、あっという間に、3本の連載を抱えるようになりました。そうなるとボーナスはありませんが、勤務していた会社の月収よりも、毎月いただく原稿料の方が多くなったんです。「たぶん、会社を辞めても、ライターとして食っていけるんじゃないかな?」と思い、退職することにしました。

気がつかないうちに困窮していた生活

―― そうした経験が生活保護への連載に繋がっていったのでしょうか?

ところが、紆余曲折がありまして、生活保護について書き始めたのは、そのさらに10年以上後なんです。

2000年に会社員をやめた直後は、ICT技術媒体を中心に活動していたんですが、数年のうちに、媒体が急激に減少しました。インターネットの普及による影響です。ICT技術媒体の読者の多くは、早い時期からのインターネットユーザですから、紙媒体からインターネットに流れていくことを止められませんでした。背景には、20年前から続いている、出版業界の構造不況もあります。それで、仕事が減ってきた上に、単価も安くなっていったんです。

収入減少は、社会人向け技術教育や専門学校などの非常勤講師業などで補っていたのですが、2005年末ごろから下肢を中心に運動が不自由になってしまって、そういった仕事を続けるのも、新規に受けるのも困難になりました。その上に、車椅子などの補装具の費用を、自分で支払う必要があったわけで、負担は何倍にも増えてしまいました。

しばらくは少ない貯金を減らしながら生活を送っていたのですが、あまりにも手元のお金が心もとなくなってしまったので、2006年の夏、杉並区の社会福祉協議会に融資の申し込みに行ったんです。

ただ当時の私は、社会保障については、それほど詳しくなかったんですよ。社会福祉協議会と福祉事務所の区別がつかないほどでした。そのときも、誤って福祉事務所に行ってしまったんです。すると、窓口のワーカーの方が丁寧に話を聞いてくださって、「すぐに生活保護を申請してください。権利なんですから使ってください」と。パンフレットと申請書を、その場で渡していただきました。私は、目の前の問題の数々に対処するだけで手一杯で、自分がそこまで困窮していることに気づいていなかったんですよ……(笑)。

もう、生活保護について書くしかない

―― そのワーカーさんは、いわゆる水際作戦でみられるようなことはしなかったんですね。

はい、本当に親切な対応を受けて。いまでも感謝しています。この本にも書いていますが、決して、すべてのワーカーさんが不親切なわけではありません。水際作戦を余儀なくされるとしても、平気でやっているとは限りません。

そのワーカーさんは、その場で、私が受給できる生活扶助の金額を計算してくれました。それは、当時の私にとっては、本当に魅力的な金額でした。その金額を見て、私は「最後にこの制度があるんだったら、もうちょっとだけ頑張ってみよう」と思いました。そして、もともとの専門だった半導体分野の研究で学位を取るため、大学院の博士課程に進学することを決めました。当時の博士課程では、貧弱でしたが経済的支援が用意されはじめていましたから、それをフル活用して学位を取得し、さらに、学位を活かして定職に就きたいと思ったんです。研究職は難しいとしても、研究の周辺の仕事だったら可能性はあったでしょう。問題は、進学までの生活費をどうするかでした。生活保護を受給すると、大学院への進学はできなくなりますから。その直後に、新規に創刊された雑誌の編集者からお声がけをいただいたので、何とかなりましたけれど。

ただ、結局、大学院はほとんど、何も出来ないまま辞めてしまいました。というのも、また話が長くなってしまうのですが、2007年4月、大学院に合格してから大学の障害学生支援室に相談に行ったところ「障害者手帳を持ってきてください」と言われまして。私は2005年の終わりから2007年の前半まで、運動障害があるけれども、障害者手帳は取得しておらず、障害者福祉は受けていないという状態にあったのですが、そこでようやく「障害者手帳を取らなくては」と思ったわけです。。

そのときまで障害者手帳を取得していなかったことには理由があります。私の障害は、いまだに原因がわかっていません。現在、原因疾患不明の状態で障害者手帳を新規に取得することは、ほとんど不可能です。私の下肢が不自由になった頃も容易ではありませんでした。障害者手帳が必要な状況ではあったのですが、何人もの医師に、「これでは診断書は書けません」と言われてしまっていたんです。

しかし、幸運なめぐりあわせで、私と同じように、車椅子に乗って職業生活を継続している障害者の方が、ご自分の主治医を紹介してくださったんです。

いまお話したように、原因疾患が明確でない状態での手帳の取得は、2007年当時も容易ではありませんでした。でも、「医師による総合的判断」による手帳取得が、まだ可能だったんです。その医師の方が東京都とやりとりして下さった結果、「スムーズに」とは行きませんでしたが障害者手帳を取得でき、ヘルパー派遣(介護給付)の申請もできるようになりました。

ただ、最初の介護事業所、次の介護事業所では、ヘルパーさんから嫌がらせや虐待を受けて。耐えかねて事業所に申し入れをしたら、その週からヘルパーさんが来なくなってしまったり。「もう派遣しません」という連絡すらありませんでした。あわてて他の事業所にお願いするのですが、10か所に電話して、相談に乗ってくれるのは5カ所、派遣を検討してくれるのは3か所、実際に派遣できるヘルパーがいるのは1カ所という感じです。結局、3回事業所を変えて。その度に、大変な手間をかけて、フラストレーションを味わうわけです。

介護給付の時間数も、最初は15時間/月で、全然足りていませんでした。4年間かけて、杉並区と何回も粘り強く交渉し、現在の約50時間/月まで増やしてもらいました。その間、仕事も細々とですが続けていましたから、大学院で研究をする余裕は、もうまったくなく、何も出来ずに退学することになったんです。専門の研究はほとんどできず、勉強も進まず。障害者福祉に関連する知識と経験ばかりが、不本意に増えていって。

私は、心から研究したかったんです。そのためには、まず生存・生活の基盤を整備しなくてはならない。そのためには、障害者福祉に詳しくならざるを得ない。障害者福祉に向かいあっている間は、専門の研究ができない。専門の勉強にも使えるはずの時間を、泣く泣く、障害者福祉の勉強に回さざるを得ない。毎日のように、そういう選択を迫られるわけですが、そのたびに悲しかったです。「ああ、こうやって、障害者は自分の望む道での向上や成長を阻まれていくんだなあ」と。

―― 本当にいろいろなことがあったんですね。

そうなんです。それから「半導体分野の研究の周辺で食べていけないなら、いったい何ができるだろう」と試行錯誤しているうちに、不本意に詳しくなってしまった社会保障の問題に行きついたんですね。

でも、「自分が障害者だから社会保障をやっているんだ」と見られるのは嫌だ、という思いがありましたし、自分の中にも、「科学技術から追い出されて社会保障をやることにしようとしてるんじゃないか」という感じ方があって、なかなか、踏み切れなかったんです。

でもグダグダしているうちに、2011年3月、東日本大震災が起きてしまいました。そして、その後は、そんなことは言ってはいられなくなりました。この本のまえがきにも書いたように、震災以降、障害者の友達からたくさん相談を受けました。被災地とはいえない東京のような場所にも、厳しい状況に追い込まれた障害者がたくさんいることも知っていました。それに、震災後1、2か月すれば収まると思っていた相談は、時間が経っても収まらなかったんです。

なぜだろうと気になって調べてみたら、その頃から「社会保障ケチケチ作戦」が、とくに生活保護を利用している方々に対しての締めつけめいたことが始まっていたんですね。「もう、これはやるしかないかなあ」と思いまして。それで、最初にお話したように、ダイヤモンド・オンラインさんに企画を持っていったんです。

「健康」で「文化的」な「最低限度」の「生活」ってなんだろう

―― 本書を読んでいても感じたのですが、お話をうかがっていると、いろいろなひとたちにとって生活保護、あるいは社会保障の問題はまったく別の世界の話ではないのだと思いました。どこで必要になるかわからない。しかし、最初に読者からの感想をお聞きしましたが、やはり自己責任論を展開される読者もいるのだと思います。または、例えば生活保護を受給していて煙草を吸われている第二章の小林さんに対して「なんて贅沢だ」と思う方も少なからずいると思うんです。そうした部分をカットすることもできたと思うのですが、なぜお書きになられたのでしょうか?

そうした反応は当然あると予想していましたし、実際にありました。でもそういう部分も含めて、その方の生活であり、人生なのだと私は思います。

確かに、煙草を吸っている小林さんに対して「煙草なんてやめちまえ」という反応もありました。煙草は健康を害しますし、環境に優しくもありませんし、百害あって一利なしかもしれません。私は決して賛成しませんが、「生活保護なんだから、そんなものはやめろ」という論理は、成り立ちます。

でも小林さんは、「そういう息抜きや気晴らしがあって人間の暮らしは成り立っているんじゃないか」と、静かに、しかし自信をもって主張されます。だから私も、予想されるいろいろな風当たり、当事者に対する風当たりを一緒に受けるつもりで、書かせていただいたんです。

―― 小林さんだけでなく、この本に書かれている方々は、さまざまな境遇で生活保護を受給されるようになり、生活保護に対してそれぞれに違った考えを持ちながら、それぞれの生活を送っていらっしゃいます。読んでいるうちに、そもそも生活保護制度の根拠となっている憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活」っていったいなんだろうって考えざるを得ませんでした。

そう思います。10章には、社会福祉学がご専門の岩永理恵さんを紹介しています。岩永さんは、「最低限度の生活」に関する研究もなさっています。岩永さんが参加されている「くらしのもよう」というサイトは、「基本的な暮らし」とはなにかを考えるための調査を行っていますので、ぜひご覧ください(http://kurasinomoyou.com/)。

「健康で文化的な最低限度の生活」の内容を考えるって、本当に難しいですよね。

戦後すぐの公的扶助研究で、すでに、最低生存費と最低生活費の両方が考えられていたようです。最低生存費だと子ども世代に貧困が連鎖するけれども、最低生活費ならば子ども世代に対して充分な知的発達をうながすことは可能、とか。最低生存費は文字通り、人が死なないための最低限の費用のことです。公的扶助が最低生存費であってよいかどうかはともかく、最低生存費そのものは比較的理解されやすいと思います。でも最低生活費の方は、「最低限の生活」っていったい何なのかを考えなくてはいけません。そして、「最低限」も「生活」も、意味するところは人によって異なるので、合意に至るのが難しいんです。

ただ、少なくとも現在の「生活保護費は高すぎる」という議論はおかしい、と思っています。例えば最低賃金や老齢基礎年金と比べて生活保護費は高すぎるという議論があります。困ったことに、それらは一見、正論に見えます。実は屁理屈なんですが。

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―― 最低賃金や老齢基礎年金をあげれば、いわゆる「逆転現象」は解消できますね。

そうなんです。それに、憲法25条を実現するための制度である生活保護制度が、他の制度に引きずられてよい理由はないと思います。

極端な例ですが、研究の結果、単身者の一か月の最低生活費が30万円であることが分かったとしましょう。それが十分に根拠のあるまっとうな研究なら、その30万円が他の制度の一か月の最低金額や最低賃金より高かろうが低かろうが、それはそれだと思うんです。

いまの経済状況で、単身者の最低生活費が一か月に30万円ということになると、実際の制度の設計や運営を考えたときに、当然、無理や矛盾が発生します。でも、そこで初めて、その無理や矛盾を「では、どうやって解消しましょうか」という議論ができるのではないでしょうか。しかし、うーん……単身者が一か月に生活費を30万円使える生活……私自身にも想像つきません。何に使えばいいんでしょうね(笑)。

そもそも、いまの生活保護費が高いのか低いのか、それとも妥当なのかを考えるには、「最低限の生活」が何なのかを検討し、ある程度の合意に至る必要があります。そして、その検討と合意への試みが、まだ始まったばかりにすぎない現状をそのままにして、「生活保護費は高いから削減」という議論になってしまっています。

―― 本書にもお書きになっていましたが、生活保護を受給されている方が、生活保護を受給している、働けるけど働いていない若者に苦言を呈したりすることもあるんですね。また、生活に困窮されているけれど生活保護を受給していない方が、受給されている方をバッシングしていることもあるんですね。

はい、あります。ただ、「必ずそうなる」というわけではないです。「そういうこともある」という感じです。本当は非常に少ない不正受給がセンセーショナルに取り上げられて大きく見られるのと同じことなのかもしれません。

感情論の問題として「俺は生活保護を受けないで頑張っているんだ。なのに生活保護受給者は贅沢をしている、だから保護費を引き下げろ」というのは理解できます。でも、感情に引きずられて議論を進めてはいけないと思います。

生活保護制度の存在自体が希望になっている

ぜひ皆さんに知っていただきたい実例があります。

私の周囲には、会社の事業に失敗して資金繰りができなくなってしまったり、病気をして半年ほど仕事を休んでいたら仕事がなくなってしまったり、いろいろな理由で生活が苦しくなっている方が何人もいます。そうした方の中には、「生活保護を申請するしかない」と覚悟して、福祉事務所に行こうと決意する方もいます。すると、落ち着いて先のことを考えられるようになるんです。

そうなると、例えば信頼出来る知人に、ある程度冷静に、「実は、いま行き詰っていて、生活保護を申請しようと思っているんだ」と話せたりします。すると、「だったら、この仕事をしてくれない?」という成り行きになることがあります。

あるいは、「過去に非常に実績をあげていた会社の経営者が困窮しているらしい」という噂を耳にして、「なんでそんなことになったんだ?」と不思議に思った方が話を聞きに行ったところ、ご本人は生活保護を申請することを決めて前向きに物事が考えられるようになっていて、「生活保護の生業扶助をこんなふうに利用して、これから、こうやって再建するつもりなんだ」と、具体的な再建計画を話していたのだそうです。話を聞きに行った方は、「これなら、多分大丈夫だろう」と思い、再建を支援することにしたということです。その方を含めて何人かの方が、資金を含むさまざまな支援を行った結果、現在、その経営者は、事業を再建しつつあるそうです。とくに零細企業の経営者の場合、支援を受けられるかどうかは本人にかかっていますから、本人の精神状態が非常に重要です。

―― 生活保護という希望があるだけで、前向きに物事が考えられるようになるんですね。

そうなんです。その方たちは生活保護を実際は利用していなかったり、利用していても短期間なんですけれども、かつての私がそうだったように、生活保護というセーフティーネットは、存在するだけで生活再建を支えているんです。その方たちの多くは、申請どころか福祉事務所の窓口にも行っていないわけですが。

5月に提出された生活保護改正案は廃案になりましたが、生活保護制度が利用しづらくなってしまったら、生活保護制度を利用していないけれども、生活保護制度があること自体に助けられている人たちの希望すら奪ってしまいます。生活保護は「最後のセーフティーネット」と呼ばれますが、「最後のセーフティーネット」がどれだけ大きな意義を持っているのか、多くの方に知っていただきたいと思います。

しかも、生活保護によって回っている、いろいろなシステムがあります。アパートの大家さんの中には、入居者の生活保護費で経営を成り立たせている方もいます。言い方が悪くなってしまいますが、生活保護受給者に部屋を貸せば、家賃のとりっぱぐれは少ないんですね。定期収入が期待できるわけです。

でも、生活保護が利用しづらくなると、そういう大家さんの収入が減少したりなくなったりして、大家さん自身も生活保護を必要とするほど生活に困窮してしまうかもしれません。その大家さん自身は、何らかの理由で無年金だったり年金が非常に少ない高齢者であったりします。自己責任、自助努力でアパートを経営して老後の生活を維持してきた方々です。

「貧困ビジネスだからいけない」「公費を頼るなんて」という見方はできます。この大家さんたちに、「生活保護に頼るからいけない」と言うことは簡単です。でもすでに回っているシステムを使えないものにしまうことの影響の大きさを、考えてみてほしいです。削るなら、それを上回る何か。経済が豊かに回り、困窮している方々が容易に生活を立て直せるモデルを用意して、実現可能にして欲しいと思います。私はそれでも、生活保護費を削ることはやめてほしいですけど……。

生活保護の実像、全体像をみるきっかけに

―― そのために、まずは生活保護を受給されている方、生活保護に関係することに携わっている方の実態を少しでも知っていただきたい。この本はそれにぴったりだと思いました。最後に、みわさんがこの本で最も伝えたかったこと、考えて欲しいことをお話いただけますか。

難しい質問ですね(笑)。

この本を、「生活保護の現実はどうなっているんだろう」と考える始める手がかりにしていただければ、と思っています。

不正受給は確かにあります。それは生活保護の一端の事実です。生活保護費を受け取ったら、すぐさまパチンコに行く人も、いないわけではありません。人数が少なくても問題であることは確かだと思います。

でも、どれだけ極端な少数の事例を集めても、どれだけセンセーショナルに報道しても、生活保護を利用している方々の実像や全体像は決して見えてきません。私も、この本で実像を余すことなく描けたとは思っていません。でも、「できるだけ広く全体像が見えるように、そしてご自分で見ることのきっかけになるように」と思って書きました。

ですから、生活保護を受給している当事者や、当事者の支援者だけではなく、福祉事務所の方々のお話も紹介しています。受け手側だけでは一方的すぎますから、供給側の方々についてのお話も書きました。

福祉事務所の不祥事は、大きく報道されます。水際作戦の実態も、少しは報道されています。でもそれは決して、福祉事務所の日常の大部分ではありません。私自身が接してきた杉並区の障害福祉ワーカーさんたちにも、さまざまな方がいます。なかには、親切な方もいます。施政方針と自分の良心の間で悩みながら仕事をしている方もいます。

また、生活保護受給世帯の子どもたちについても、一章をあてています。生活保護について議論する時、なぜか多くの方が、生活保護世帯の子どもたちの存在を忘れてしまうのですよね。

この本は、どの章からでも読めるように作っています。ぜひ、お時間のあまりない方にも手に取っていただいて、関心のある章から読んでいただきたいと思っています。

(2013年7月16日 西荻窪にて)

プロフィール

みわよしこライター

1963年、福岡県生まれ。ICT技術者、半導体分野の企業研究者などを経験した後、2000年より著述業に転身。ノンフィクション全般を守備範囲とする。技術者・研究者としての経験を生かしたインタビュー、その分野を専門としない人に対する解説・入門記事に、特に定評がある。2013年3月、丸善より書籍「ソフト・エッジ ソフトウェア開発の科学を求めて」(中島震氏と共著)、2013年7月、日本評論社より書籍「生活保護リアル」を刊行。2015年3月、丸善出版より『おしゃべりなコンピュータ 音声合成技術の現在と未来』(山岸順一氏・徳田恵一氏・戸田智基氏との共著)を刊行、人と科学と技術と社会について、幅広く執筆活動を行っている。2014年、貧困ジャーナリズム大賞を受賞。また2014年4月より、大学院博士課程で生活保護制度の研究も行っている。

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