多元性のある民主主義を取り戻せ――自民党派閥の系譜をたどる

かつての自民党はハト派からタカ派まで、各派閥が競いあう多元性を持った政党であった。しかし派閥政治は衰退し、現在は安倍総理のもと一元的に右傾化しているように見られる。その変化を招いた原因とは。そして今、自民党はどのような位置にあるのか。これまでの思想的な系譜をたどり、一橋大学大学院教授・中北浩爾氏が解説する。TBSラジオ「荻上チキSession22」2015年09月29日(火)「自民党」より抄録。(構成/大谷佳名)

 

■ 荻上チキ・Session22とは

TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/

 

 

デモ、総裁選挙…「民主主義の回路」を無視

 

荻上 今夜のゲストを紹介します。『自民党政治の変容』(NHKブックス)の著者で、一橋大学大学院教授の中北浩爾さんです。よろしくお願いします。

 

中北 よろしくお願いします。

 

荻上 最近は政治学者にとって気になる動きがたくさんありましたね。安保法案の成立、無投票再選、それに至る前の党内のやり取り……特にどういったものが気になっていますか?

 

中北 安保法案から無投票再選の流れですね。安倍政権の強引さが目に付いたと思います。一部に安倍政権はファシズムだという見方もありますが、私はそうではないと見ています。この間の出来事に通底しているのは、国政選挙こそが民主主義であるという選挙至上主義的な考え方です。世論調査でこれだけ反対が多くても、大きなデモが起きても、耳を貸さない。そうした選挙以外の民主主義の回路を重視しないのです。

 

自民党の総裁選挙も実は同じことで、有権者からみれば、党員として自民党の人事に関与するという、一つの重要な民主主義の回路です。自民党は一生懸命、党員集めをして、その最大の特典として総裁選挙への投票権があるわけですから、民主主義という意味でも、総裁選挙は行うべきものなのです。それをやらなかった。企業で言えば、株主総会を開かないようなものですね。商品が消費者の支持を受けて利益が上がっているから、株主総会はやらなくてよい、ということと同じなんです。色々な意味で民主主義の捉え方が狭くなっていると感じます。

 

荻上 政治家を選んだだけでは民主主義は完成しないので、デモ・陳情・署名集め・様々なメディアを使った議論などで補完することが必要です。しかし昨今、政治家の側から「嫌なら選挙で落とせ」「民意で選ばれたんだから」という発言が増えましたよね。

 

中北 選挙は最も重要な民主主義の手段です。しかし、ある時点における選挙制度を通じた民意の表出であって、それ以上のものではないのです。その限界について謙虚であるべきだと思います。

 

荻上 先日、石破茂地方創生担当大臣が新しい派閥「水月会」を立ち上げました。この動きについてはいかがでしょうか。

 

中北 石破さんは地方組織での人気が依然として高く、これまでの実績もあります。安倍さんのグループと争うとしたら、おそらく未だに石破さんが最有力の候補者でしょう。ただ、石破さんは政策に強い政治家ですから、派閥ではなく政策中心にグループを固めていく方向もあったのではないかと思います。

 

荻上 本人は「あくまで政策立案集団としての派閥は否定しない」と言っていましたよね。

 

中北 今でも多くの派閥は政策集団を名乗っています。私が言う「政策を中心としたグループ」とは、「派閥横断の政策集団」という意味です。2012年の総裁選挙で、安倍総理は所属している派閥の「清和会」に依拠して勝利したわけではありません。「創生日本」という派閥横断のグループを基盤として勝ったわけです。昨今、派閥が全体として力を失ってきている中で、あえて派閥を作る。作るとなると当然、他の派閥とも摩擦が生じます。それが本当に合理的な計算に合う行為だったのか、少し疑問が残ります。

 

 

自民党の派閥の源流

 

荻上 今回の動きは過去と比較することで、より浮き彫りになる点がたくさんあると思います。自民党の派閥の源流はどこにあるのでしょうか。

 

中北 結党当初から派閥は存在していました。派閥ができる原因は、大きく言って二つあると思います。一つは、自民党が初めて保守政党として導入した「総裁選挙」。当時の言葉では「総裁公選」ですが、国会議員と地方組織の代表が選挙で総裁を決める画期的な制度でした。そこで総裁の候補者が票を集めるために派閥を作ったわけです。

 

二つ目の原因は、衆議院の「中選挙区制」。これは一つの選挙区で3〜5人の当選者を出す選挙制度です。過半数の議席を確保し続けた自民党は、各選挙区に複数の候補者を立てました。その結果、同じ自民党の候補者同士が争い、党の中が割れて「党内党」である派閥ができたわけです。

 

同じ自民党でも、同じ選挙区の議員同士が一番仲が悪いのです。他党の候補者以上に関係が良くなかった。例えば、岸信介と佐藤栄作は同じ選挙区でした。本人同士は兄弟で仲が良かったのですが、支援者同士が犬猿の仲でした。かつての群馬三区では福田赳夫、中曽根康弘、小渕恵三という歴代首相同士が争っていました。いずれも違う派閥に所属していました。

 

荻上 システムとして、派閥が求められがちな状況だったというわけですね。当時はどういった派閥があったんですか。

 

中北 自民党の結党を主導したのは、安倍首相の祖父にあたる岸信介です。「岸派」が当時の最大勢力で、それ以外にも吉田茂の系譜をひく「池田派」と「佐藤派」、河野洋平さんの父である河野一郎の「河野派」、エコノミストとしても有名な石橋湛山の「石橋派」など。1956年の総裁選挙で「8個師団」と呼ばれる派閥が確立したと言われます。その後、派閥が自民党の中で次第に制度化されていきました。

 

荻上 政策を動かしていく上では別の機能も考えられます。例えば「族議員」と呼ばれる特定の分野に詳しい議員が各派閥の中に育っていったり、それぞれの派閥が強みを発揮する得意分野があったり。あるいは教育装置として、派閥の中で後輩を育てたり。この辺りの機能はどうだったのでしょうか。

 

中北 そのような機能に一番長けていたのは「田中派」です。田中角栄が佐藤栄作の派閥の大部分を奪い取る形で作った派閥です。田中派は当時「総合病院」と言われたように、色々な種類の族議員を抱え、様々な陳情を派閥の中で回しあって処理をするシステムを作っていました。とりわけ強かった領域があり、一つは放送を含む郵政関係。田中は郵政大臣を務めましたから。また、建設や道路などの公共事業にも強かったですね。

 

荻上 様々な利権を集めることで権力が集中する。一方で、特定の分野に詳しい議員を切れ目なく継続していく。そうした機能が派閥の中にあったのですね。

 

 

中北氏

中北氏

 

 

自民党の変質を招いた「小選挙区制」と「民主党の台頭」

 

荻上 一方、よく「自民党にはかつてハト派もタカ派もいた」と言われますが、政策理念の面での派閥間の対立はどういった緊張状態にあったのですか。

 

中北 自民党結成当初に一番力があった岸派は、タカ派的な理念を持っていました。憲法9条を改正して軍隊を保持し、アメリカと相互防衛条約を結び、集団的自衛権の関係を作り合う。こうした構想を持っていたわけです。結党から5年くらいは非常に大きな力がありましたが、岸が安保改定を推進したことで、60年安保の巨大な反対運動が起きた。このため岸は退陣を余儀なくされました。

 

その後にできたのが池田勇人の政権です。池田が率いていた「宏池会」という派閥は、憲法改正に否定とまでは言わないけれども、あまり積極的ではありませんでした。60年安保で大きな反対運動が起きたので、「国民レベルの合意を無視すると政治が安定しない。それは自民党政権にとってマイナスだ」と判断したんですね。

 

池田はスローガンとして「寛容と忍耐」や「低姿勢」を掲げ、コンセンサスを重視して政治を進めました。そこから池田の宏池会、つまり今の「岸田派」がハト派・リベラル派の筆頭と見なされるようになりました。1960年が自民党をタカ派的なものからハト派的なものに転換する上で大きな画期となりました。

 

宏池会は吉田茂が源流ですから「親米派」です。日米安保に賛成で、アメリカにかなりの程度守ってもらう。その代わりに日本は軽武装で、軍事的な側面をあまり重視しない。むしろ経済成長を専念した方が良い、という考えなんですね。宏池会には大蔵省(今の財務省)の出身者が多かったことも、経済重視の一つの背景になったと考えられます。

 

荻上 その後の自民党内の派閥の右・左の緊張関係は、どのように変わっていったのですか。

 

中北 1960年以降はハト派・リベラル派が優位にありましたが、この優位を確立する上で重要だったのは、田中派の存在だったのではないかと思います。田中派はさきほど言ったように「ザ・派閥」で、利益誘導政治に長けていたんですね。池田政権、そして佐藤政権を経て、田中は自分の派閥を作り上げていくのですが、その中で池田派を継承した大平正芳と同盟関係を結んだのです。つまり田中派がハト派の宏池会を担ぐような形勢になった。

 

それだけでなく、田中派にみられる利益誘導政治の発展によって、自民党内のイデオロギー的・理念的な側面が弱くなっていきました。かつて岸は保守イデオロギーを確立しようとし、「自主憲法の制定」という理念を追求したわけですが(今の安倍首相も同じ方向ですが)、そうした色彩が利益誘導政治の進展によって薄れていった。これがハト派の宏池会の優位につながったのです。

 

荻上 田中は公共事業を積極的に進めたので「利権誘導だ」という指摘もありましたが、そうした形で結果的には地方への再分配と等しいような機能を果たしていったわけですね。

 

中北 そうです。田中自身が新潟の出身で、初めて総選挙に立候補した際に「越後の山脈を切り崩して雪が降らないようにする」と演説したと言われています。中央と地方の格差是正を強く意識していたのです。また、田中派が得意だったのは国会での野党との駆け引き、つまり「国対政治」です。労働組合を基盤とする社会党と妥協しながら政治を運営していくことによって、自民党政権を安定させていった。そういう意味でも、格差の是正に気を配ったといえます。

 

その後、このようなリベラル派の優位がくつがえる最大の岐路となったのは、1994年の政治改革でした。衆議院の選挙制度が中選挙区制から小選挙区制を主とするものに変わり、バブル経済の崩壊も重なって、利益誘導政治からの脱却が進んでいきます。その決定打となったのが、小泉首相の構造改革でした。また、小選挙区制を背景として、リベラル色の強い民主党が二大政党の一角として台頭すると、自民党は現在の安倍総理を先頭に右寄りにポジションを取るようになります。2009年に民主党に政権を奪われると、それが加速し、自民党は現在のような姿になりました。

 

こうしたなか、派閥的にみると、池田・大平の流れを引く宏池会や、田中派の後継の経世会・平成研が衰退します。代わって、岸を源流とする清和会が、再び自民党の主導権を握るようになりました。ただし、清和会も人数的に増えているわけでは必ずしもありません。全体として派閥が衰退し、無派閥の議員が増えているのです。【次ページにつづく】

 

α-synodos03-2

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.220 特集:スティグマと支援

・稲葉剛氏インタビュー「全ての人の『生』を肯定する――生活保護はなぜ必要なのか」

・内田良「児童虐待におけるスティグマ――『2分の1成人式』を手がかりに考える」

・金泰泳(井沢泰樹)「在日コリアンと精神障害」

・加藤武士「アディクション(依存)は孤独の病」

・齋藤直子(絵)×岸政彦(文)「Yeah! めっちゃ平日」第五回