2016.04.12

戦争は誤算で起こる!?――「抑止力」と今後の東アジア情勢

柳澤協二×植木千可子×小原凡司

政治

3月29日、安保法制が施行された。抑止において、安保法制はどれほど有効なのか? そして、日本がこれからとるべき戦略とは? 元防衛官僚の柳澤協二氏、安全保障が専門である植木千可子氏、東京財団研究員の小原凡司氏が語り合う。NHK出版新書特別セミナー2015年12月18日(金)三省堂書店神保町本店2階特設会場「『抑止力』幻想と東アジア安全保障の実際」より抄録。(構成/山本菜々子)

安保法制4つの疑問

柳澤 本日は植木さんと小原さんのお二人に来ていただき、今後の「抑止力」と東アジア情勢についてお話できればと考えております。まず、私から今回の安保法制について問題提起をさせてください。

私が安保法制に賛成できない理由はいくつかあります。

1点目は、抑止論についてです。安倍総理は、「この法案でアメリカの船を護ることにより一体化が明らかに示され、抑止力が高まるから戦争になることがない」と言っています。

でも、私はいいとこ取りの理論だと思っています。アメリカの船を守ることは、アメリカの船を攻撃する国にとって敵になることです。かえって日本を攻撃するインセンティブを与えかねない。だから、戦争に巻き込まれてしまう、という論理だって成り立つわけです。

結局、抑止力はなにを抑止しているのか。今、南シナ海で起きていることで特徴的なのは、「サラミスライス戦略」と呼ばれるものです。中国はアメリカが軍事的にはっきりとした対応を取れない形で南沙諸島での人工島建設計画をやってきました。

埋め立てが終わったあと、アメリカはイージス艦を一隻出しました。イージス艦は、防御には優れていますが、地上に対する攻撃能力はもっていない船です。ですから、戦争を挑発するというよりも、本気で戦争はしないとメッセージを出しているのではないか。中国も口では非難しているけれど、以前やったように、軍艦の進路を力づくで妨害するような行動は取っていない。

海上自衛隊と米海軍の大規模演習の直後、中国の情報収集艦が尖閣の接続水域に出没したというニュースがありましたが、「手薄になった尖閣はどうするんだ」というメッセージを出しているのかと私は見ました。

最初は、自衛隊もパトロールとして出すべきだという議論もありましたが、アメリカにとってみたら、そういうことはしてほしくないでしょう。米中の間でもう少し、相場感づくりをやりたいフェーズでしょうね。

その観点でいくと、今回の安保法制は、実際に使いようがない。自衛隊が行くことにより、かえってその状況が悪化して、拡大するとすれば、日本の安全にとってマイナスになるのではないか。南シナ海の現状をみると、安保法制は役に立たない上に、使ってしまえば有害というのが、私のとりあえずの結論です。

そもそも、アメリカの船を護ることが抑止につながるような言い方ですが、それは本当に抑止なのでしょうか。確かに、その船に悪さをしようとするのであれば、抑止なのかもしれませんが、本気で戦争をするならば、船が強かったら避けてその後ろにある基地を叩く方が手っ取り早い。抑止は、船そのものではなく、その背後にある圧倒的な米軍の軍事力のはずです。そこにある船を護る文脈で語っていることがよく私は分からない。

つまり、この安保法制のメッセージは、アメリカの船というアメリカのパワーの象徴を日本も守る点にあるのでしょう。だから中国向けというよりは、アメリカに向けて、いつでもアメリカと共にいますというメッセージを出している。これが、今までの流れから見る私の評価であります。安保法制の背景にある、政府の「抑止論」は、少なくとも雑に見えます。

2点目は、中東情勢について。パリのテロがおこったとき、国際連帯のムードがわっと盛り上がりましたね。9・11テロ後の雰囲気に、非常に似ていると思いました。もし、地上部隊を送り込む話になったとき、日本はどこまで参加するのでしょうか。

たとえばイラク戦争が始まったとき、アメリカ、イギリス、スペインの三カ国が中心でしたが、スペインでは列車テロがあって軍隊を引かざるを得なくなった。ロンドンでも地下鉄でテロがあった。そこまで考える必要があります。

いま、日本が「普通の国」になるために、積極的平和主義を進めていくという話になっています。ですが、「普通の国」ってなんでしょうか。軍事行動を、ほかの国の人がやっているから、自分もやるんだと言ったって、しょせん、一個大隊程度の陸上自衛隊を出して後方支援をやったって、物事が大きく動くわけじゃありません。

イラク派遣では人道復興支援をしました。私は、自衛隊がアメリカのお付き合いで出て、一人も犠牲者を出さなかった点は成功だったと思っています。しかし、アメリカの中東政策自体が失敗したので、手伝った日本も成功とは言えないでしょう。そういう視点で、今の中東情勢とどう向き合うのか考えてみないといけない。

そして3つ目に、自衛隊の武器使用権限が広がることのリスクです。戦死者が出る可能性は否定できません。戦後70年、戦死者を出した経験のないわれわれが、その事実をどう受け止めるのか。

20世紀の戦争は、国家の生存権をかけた戦争でした。国のために尽くす、国のために命を落とすことが立派だとされ、戦死者が英霊になるというプロセスで戦死が受け入れられてきたわけです。

今のわれわれは「普通の国」になるために、戦死し犠牲になった人をどう受け入れることができるのか。民主化のためや世界平和のためと言ったって、自分の家族や友人が死ぬことになったら納得できないと思うんです。

私は官邸にいたとき、イラクに自衛隊を派遣しました。一人も亡くならなかったからよかったものの、死んでいたら、私はそれをどう受け止めて、ご家族にどういう話ができたんだろうかと考えてしまいます。

そして、4つ目、私はこれからの戦争はなんであるのか考える必要があると思っています。ギリシャのツキディデスによれば、戦争の要因は利益と恐怖と名誉であるようです。現在、グローバル化の経済の中で、繁栄している国家同士が戦争する合理的な理由はあるのか。それがあるとすれば、それを上回る恐怖と名誉であると。

恐怖が軍事バランスであるとすると、これだけ情報手段が発達していれば、お互いの手をだいたいは読みあうことができるので、恐怖に駆られることはないだろう。でも、厄介なのが名誉なんですね。ナショナリズムが高揚するとコントロールできなくなり、多少の戦争が起きてしまうかもしれない。

戦争は、意志の問題であるわけですから、そこをどうコントロールするのか。現在の世界経済は、国家間で相互に依存していますから、戦争をすると「損」だと思える仕組みになっていけないかと――こう言うと理想主義者だと批判されそうですが――考えています。以上が私の問題提起です。

抑止の条件

柳澤 植木さんはどうお考えになれましたか。

植木 安保法制は、法案が審議される中で、「抑止力を増すためである」と言われました。日本に対する「邪な思いを抱く国を思いとどめるんだ」と。

抑止は、元々は核抑止の文脈で生まれた考えです。核兵器同士の戦争では、攻撃されてしまえば勝った、負けたというレベルではないダメージを負ってしまいます。MAD(相互確証破壊)と呼ばれる形、すなわちアメリカが核兵器を使えばソ連も必ず撃ち返すので、最初に撃つと天に唾するようなものだと。それを思いとどまらせる、高いレベルの恐怖の均衡で発展してきたのです。その裏には、「もう戦争をしても勝つ・負けるの時代じゃない。戦争は抑止するものだ」という考え方があります。だから、核戦争だけではなく小規模な戦争でさえもできれば抑止したいと思っている。

今回の安保法制の文脈で「抑止」しようとしているのは、米中の核戦争よりも、もっと小規模な紛争や行動です。でも、小規模な紛争をどう抑止するのかには、学者の中でコンセンサスがありません。結果が明らかな核戦争と違って、小規模紛争は見通しが明らかでない。ひょっとしたら攻撃が失敗するかもしれないと相手に思わせる程度で抑止は成功するという学者から、耐えられないほどの痛みを与えないと抑止できないと主張する専門家もいます。でも、その耐えられないほどの痛みも人(国)によって違うので、何をすれば抑止が成功するのか不透明なのです。

抑止が成功するためには3つの条件があると言われています。1つ目は、やられたら反撃する軍事能力がある。そして、それを使う意図があること。今回の安保法制は、日米の協力を増して軍事能力を高め、「一緒になって戦う」と言っているので、意図を明確にすることを目指していると考えられます。ところが、実際は明確になっているとはいえません。

2つ目は正しく相手に伝えることです。反撃する能力と意図があっても相手に正しくつたわっていないと意味がありません。そのためには、情報の意思疎通ができるメカニズムや、こちらの情報の信憑性や信頼性がないといけません。

3つ目に、相手と状況認識を共有している点です。この線を超えたらやられるけれども、この線を超えなければやられないと、お互いが認識している必要があります。「安全保障のジレンマ」という言葉がありますが、お互いに攻撃するつもりがなくても、相手への不信感で関係が悪化する。これをいかに防ぎながら最悪を起こさないか。

ですから、攻撃する基準を、相手にわかってもらう。この一線を越えても越えなくてもどのみちやられるのであれば、先に手を出した方がいいとなると、とても不安定になりますよね。

柳沢さんが相互依存についておっしゃっていたこととつながるかもしれません。相互依存は、これだけ貿易をして交流があるから戦争なんか損だと訴える方法です。難しいのは、これだけ相互依存の関係にあることを、政策決定者も私たちも含めて実感しづらい点です。

たとえば、中国との間で私たちはかなりの量の貿易をしています。経済の相互依存の度合いもかつてとは比べようもないものになっているはずです。もちろん、中国だけではなく、様々な国から何百という工場の部品を取り寄せ、組み立て、輸出して……と一国だけでは生きていけない世の中になっています。

そうなると、戦争を防ぐためにはそのつながりを認識する必要があります。一つの方法としては経済的な制度を作って、無くなってしまうと大変だと認識する。第一次世界大戦のとき、イギリスとドイツは確かに一番の貿易相手国でした。今の日本と中国のような形です。でも、その時になかったのは制度でした。

「旅の恥はかき捨て」という言葉がありますが、もう二度と会うことのない相手にはひどいことができるけれど、また会うかもしれないとそんないい加減なことはできないわけです。今の利益で割に合わなくても、1年先、2年先、10年先までお世話になると思えば、ひどいこともできなくなる。そのためには、FTA(自由貿易協定)のようなものを制度化していくことは非常に大切です。

いま、日本では「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のような感じで、中国と問題を抱えている国はみんなお友達のような気になっています。ですが、南シナ海がどれだけ日本にとって大事なのかという議論はあまりされていない。アメリカがそこで何をしているのか、何をしてほしいのか明確な議論はされていないのです。

先週末、日米の中国専門家が集まる会議があり、アメリカは何をしようとしているのか議論になりました。スビ礁という高潮になると海面下に沈んでしまう暗礁があります。正確には、常に海の上に出ていないので、領土にはならず領海も発生しません。暗礁には何を建てても、決して島になれないものでした。中国はそこを埋め立て滑走路をつくっています。先日、その周りをアメリカの船が通ったことがありました。これは、中国に対する挑発だと解釈されました。

でも、本当の作戦は違っていたようです。スビ礁の近くには、サンディ・ケイという島があります。これは、今はどの国も実効支配していないようですが、中国と、フィリピン、ベトナム、台湾が領有権を主張しています。その一二海里の中にスビ礁がある。

領有権はいま確定していないのですが、誰のものでなくても、誰かの領海ではあるわけです。アメリカはそこを、無害通航をしました。無害通航は国連海洋条約で決まっています。軍事行動ではなく無害通航したわけです。中国は国内法で、自分のところの領海に入るときには事前通告するように言っていますが、今回アメリカはそうせずに、国際法にのっとってスビ礁の領海ではなくて、サンディ・ケイの領海の中を通って無害通運をしたと。

これに対して、ミスチーフ礁は中国が建造物を建てている礁ですが、他の島の一二海里の中には入っていません。中国がそれを島であると主張するとするならば、次の作戦はミスチーフ礁の一二海里の中を軍事行動として、レーダーを回して通る。領海とは認めていないサインを出すということです。

ですから、アメリカの行動は、挑発でなく、国際法にのっとって自分たちは行動する、だから軍事的なものを使ってもダメだというシグナルでした。でも、アメリカ国内でも正しく伝わっていないし、研究者の中でもよく分かっていない。正しく伝わっていないと抑止は成功しません。

日本はパトロールすることが求められているとよく話を聞きますが、たぶん、中国の主張と国内法を無視して航海することが求められているのだと思います。中国がもし軍事力を使って対抗し、エスカレートしたら日本はどう対応するのかを議論する必要があると思います。

最後に戦争の大義についてお話できればと思います。私は安全保障を狭く捉えてるほうです。やはり「やらなければやられてしまう」くらいギリギリの状況でないと、自衛権行使も、戦争もしてはいけないと思っています。ですから、亡くなった自衛官の親御さんに何と言ったらいいのか、とお話をされていましたが、「犠牲になったけれども、そうでなかったら私たちが死んでいた」といえる時にしか戦争はしてはいけないと思うんです。

日本人は何を守るためだったら戦争をするのか、ずっと議論をしてきませんでした。私たちが命を犠牲にしてまでも守るべきものはなんだろうか。なかなか答えは出ないかもしれませんが、考え続けることが重要だと思っています。

安全保障は悲観的

小原 東京財団の小原です。私は集団的自衛権に賛成の立場でここに参りました。私はもともとヘリコプターのパイロットをしていて、冷戦時代にはソ連の船の監視、追尾、並走、相手のヘリコプターとテールチェイスのようなこともしたり、仲間のパイロットには、レーザーを当てられた者もいます。私は今の安全保障の問題を悲観的にみています。

冷戦期と今が違うのは、アメリカと中国が対称でない点です。アメリカとソ連が抑止し合えたのは、同じような能力をもっていたからですが、中国は決してそうではない。もし戦争になればアメリカが負けることはありません。ただ、平時にコストを払うことがつらくなってきているので、基地の再編を行っています。中国もアメリカと戦争をしたら勝てないことを知っているので、戦争は避けようとしています。

ですが、私が悲観的な理由はその非対称さによって、誤認が生まれる可能性がある点です。中国はアメリカに対して抑止を効かせたいのですが、軍事的にまったくかないません。そこで、非対称戦の形を取ります。そうなると、バランスを取るのが難しく、抑止は効かなくなるのではないでしょうか。

相互依存があれば戦争は起きないという考えを、実は中国の方でよく聞きます。ただ、これだけ相互依存が進んだ中で、アメリカが中国に軍事力を行使するはずがないというとらえ方なのです。これは非常に危険で、中国はもっと好きにやっていいと暴発しかねないし思考です。中国はアメリカの限界を探っていますが、その見立てが甘い。

特に、サイバー空間と宇宙空間において、オバマ大統領は中国に危機感を抱いています。核兵器の数では、中国は圧倒的にアメリカに劣りますから、アメリカの監視ネットワークをハッキングしたり、衛星を破壊したり、電磁妨害を実際に行っています。その現状はアメリカ国内で議会報告書として出されましたが、オバマ大統領はもっと詳しい報告を受けているでしょう。アメリカの国防相も宇宙に対して手を出すなと何度も警告をしています。しかも、これ以上やると核攻撃も辞さないかまえです。宇宙にある衛星は自分の眼のようなものですから、その眼をつぶされることに警戒を強めている。

南シナ海の話も、アメリカ中でもいろんな意見があります。太平洋軍は、領海ではないと示したかったようですが、政策決定者の中には違うことを考えている人もいる。アメリカの本当の意図はなかなか見えないわけです。

それでは日本はどうするのか。日本は日本の国益を追求する必要があると思いますが、それがただアメリカに要求されたから、中国は嫌いだからでは国益にならないでしょう。南シナ海のパトロールも何を求めるのか自分で考えるべきです。

現段階で、行けるのかといわれれば能力的にはいけます。ですが、北朝鮮の核開発やミサイル発射にも備える必要がありますし、尖閣諸島の中国海軍の監視もある、さらにソマリア沖の海賊対処にいっている。しかも、日本周辺の任務もありますから、これにプラスして南シナ海のパトロールにいくのであれば、非常にコストになります。

私が航空部隊の指揮官をしていたときに、自分の部隊からソマリア沖の派遣対処を第二次隊で出しました。しかし、ミッションを始めてから、自分の部隊の訓練にいろいろと支障が出てきた。海上自衛隊全体でそのような影響が出ることも考えなければいけない。

それと、もう一つ、自衛官に何かあったらどうするんだと言う疑問がありました。新しい安全保障法制はなんでもできるように言っていますが、個別的自衛権を行使するための条件はまったく変わっていません。

日本に対する組織的攻撃がなければ個別自衛権を発動できない。とすると、南シナ海で護衛艦が攻撃されたからといって、日本は自衛権を発動できないのです。軍事的な手段が取れないのに、その前段階の軍事作戦を行うことは普通あり得ない。

一方で、中国からしてみれば、「自衛権の行使が~」と言ったところで、アメリカの作戦を担っているわけですから、軍事行動以外のなにものでもありません。

私が指揮官をしているとき、自分の部隊の部下が亡くなったことがありました。その家族の対応も指揮官がします。家族の悲しみは相当なものです。その部下は殉職ではありませんでしたが、感傷的な問題にとどまらず、国の殉職者に対する保障は十分ではありません。

部隊の指揮官たちは、残された家族が今後の生活に困らないように保険をかけさせたり、奥様が職につけるように働きかけるのですが、これは単発の事象だからできるのであって、戦闘行為が行われると、もっと考えなければいけないことは多いはずです。

それでも、私は今回の安全保障に意味があると思っています。抑止が効くからではありません。そもそも、中国に対して短期的な抑止は効かないと思います。今の国際秩序を実力をもって変えることを許してしまってはいけないと思うからです。

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写真:左から柳澤氏、植木氏、小原氏

戦争はほとんど誤算でおきる?

柳澤 ありがとうございました。軍事にかかわる人は、抑止が崩れて実際の戦争になったときのことを考える必要があります。だから、小原さんの意見にも一理あるのでしょう。

私からひとつ問題提起をできればと思います。アメリカは世界の覇権国として、従来からアジア地域にアメリカを排除して覇権を唱えることは絶対に許さなかった。昔、日本がやろうとしてこっぴどく叩かれたわけですけれども。今、中国が同じことをしようとすれば、アメリカは絶対に許さないでしょう。

それは軍事だけではなく、政治的にもそうだと思います。南シナ海についても、やはり民主党系のシンクタンクは中国と戦争をしてはいけない話をしますが、共和党系のシンクタンクは弱腰でいたら中国はますます増徴すると思っている。やはり、アメリカの中でも両論あるのですね。そこから、AIIBには参加しないけれど、こっちはTPPで行くぞといった同じ経済アリーナでどっちがリーダシップをとるのかという争いはしている。

そのとき、アメリカ全体の方向として、3つのやり方があると思っています。一つはとにかく力づくで強くなる。二つ目は撤退して、太平洋西半分は中国に任せる。3つ目はなんとか共存しようとする。いまやろうとしているのは共存でしょう。その共存の在り方をめぐって摩擦がおきているのが実情です。

日本にとっての悪夢は、政治的に米中が手を握って無視されてしまうことでしょうね。アメリカの船を守ってあげるから、アメリカが助けにきてくれるとは限らない。いまのところ、どう日本の立ち位置を取っていけばいいのか。

植木 今、柳澤さんはアメリカと中国が政治的に手を握ったら、日本にとっては悪夢だと言われましたけれども、おそらく最悪のシナリオは、アメリカと中国が調整できずに戦争に突入していくほうでしょう。

最近、アメリカの政府系の人と話しても、戦争は高くつき、抑止は安上がりだと言う。でも、いざとなったら戦争をする構えと覚悟がないと抑止なんてできません。小原さんは非対称といいましたが、たしかに中国はキューバにいってミサイルを置くようなことはしない。

そうすると、非対称の一つはアメリカが東アジア地域にどれだけ自分の国益があるかの判断にかかっている点でしょう。経済依存は認識しづらいので、確認できるような形で発信していかなければならない。

やはり、どんなに優秀でまじめな学生でも落第がなければ勉強しません。動かすためには、「協力したら素晴らしい世界がある」という一方で、協力しなければ悲惨なことがあると同時に見せないといけない。

先ほど小原さんがおっしゃっていた、国際システムとルールについては、私はものすごく賛成です。少しずつ人間はルールに基づいて力づくでなく協調できるように世界は進化してきたので、絶対に守らなければいけない。でも、アメリカが落ち目になった時にこの理論を言い出したので、ちょっといい加減だなぁとは思いますけどね。

やはり、ルールを破っている国が自分たちが正当でないことをやっていると意識することが大事なんですよね。ですが、国際法も国際システムも、アメリカに有利にみえることがある。そして、中国もあいまいなところをついてきたりする。

しかし、ASEANの国々は、ルールをきちっと書いて罰則を入れた取り決めをすることに拒否感があります。最近、ASEANの研究者と一緒に、『ナビゲーティング・チェンジ』という本を出しました。この地域の変化を、海図を描くようにナビゲーティング(操縦)しようという意味がある。しかし、ASEAN諸国は、罰則化に抵抗があることを実感しました。すごく難しい。合意形成が困難なのです。

日本は海洋ルールについて議論をする場を提供していく必要があると思います。この地域を引っ張っていける国はそんなに多くありません。日本はそこで汗をかいて、ASEAN地域でルールをつくる必要があると思いますね。日本は、尖閣の問題があるため当事国のような感じなので、下心が透けて見える点が弱い点ですが。

柳澤 安倍首相は法の支配やルールの確立について言っていますが、実際にやっているのは、オーストラリアに潜水艦を売ったり、共同訓練をしたり、やっていることは力のほうに傾いているような感じがするんですけど、そこはどうでしょう。

植木 おそらく、ルールに従わせるためには、従わないと頭を叩かれることもあると思わせる必要がある。やりたくない人にやらせるためには、3つの方法があります。頭を殴るか、お金で買収する(経済支援をする)か。本当にいいことだと思って行動を変えさせることもできますが、これは、非常に難しいので、現状は頭を叩かれるかもしれないとおもわせながら、行動を少しずつ修正していくしかないのかもしれません。

柳澤 ただ、叩く力を持っているのはアメリカですよね。

植木 そうですね。また、規範を守るための戦い、という位置付けにすると、海洋の自由だけでなく人権を守ることも含まれる。それは、日本人には、違和感がある。日本人の人権だけでなく、インドネシアや中国、はたまた、聞いたこともない国の人権のためにも本当は戦わなくてはいけないのだけれど、日本人はそこまで考えていない。

先の戦争でも一応大義はありましたから、価値のようなものに対して命をかけて戦うことに、抵抗感もあると思うんですね。だから、国際貢献とか、規範とか、自由とかを守るために戦うというのは、なかなかストンとは落ちない気がします。

小原 非常に悲観的な立場からすると(笑)、戦争には大義なんかない。もちろん、相手の国が悪いことにしますが、あとからの言い訳にすぎないと思います。アメリカにしろ、中国にしろ、基本的にはお金のためにやっています。中国が今、こうした挑発的な行動をとるのも経済発展が必要だからでしょう。

だから中国は、「アメリカも同じなんだからわかるでしょ」と思っているところがある。でも、そう思っているからこそ、非常に危険なんです。ですから、誤算はいつでも生じ得ると思います。日本はどちらかというと、美しいものをそのまま信じる傾向にある。でも、国際社会は表向きと実際に考えていることは必ずしも合致しない。よく言われる共通の価値も私は存在しないと思います。必要があれば誰とでも組む。その時々に理由はつけられる。

たとえばアメリカ海軍が今度、シンガポールに船を常駐させると言いました。シンガポールは制度上、民主主義国家ですが、実態は人民行動党の一党独裁です。でも、必要であれば、「シンガポールは民主主義国家だから」と言い訳するでしょう。

でも、「金のためにやるんだ」というと、もちろん国民には受けが悪いわけです。ですから、どうしてもきれいな話でないと、国民は動かすことができない。部隊でも、隊員を鼓舞するときに、現実的な話をしてもダメで、このミッションがいかに尊いものか、人を助けるものかということを強調します。実際、今までの自衛隊の任務は人を助けるものでした。

任務の時に、危険だから嫌だと言う隊員を私はいままで見たことはありません。でも、ミッションの本質は嫌でもわかります。言い訳のような理由で、「軍事活動ではない」と言われたり、武器の使用が本来認められていないのに、「武器等防護のための武器使用をしろ」と言われる状況になる可能性があります。

自衛隊員は教育の中で、最後の最後の段階、しかも基地の中の武器庫等のような場所まで追い込められて、どうしてもダメだというとき以外は武器を使うなと言われてきます。でも、これからはもしかすると、洋上でアメリカの船を守るときの理由にも使われるわけです。たぶん違和感を持っている人は多いでしょうね。

植木 世の中は確かに汚いところは多いですし、理想ではないこともある。民主主義国は、しばしば、戦争で大義をあえてつくります。この戦争は正しい戦争だと言って国民に売り込むことができるからです。

とは言っても、金のためにしか戦争しないわけではない。やはり、私たちは民主主義の国に住んでいますから、大義のためにしか戦争はしないのだと私たちが思えば、それはそういう決定になるわけです。

小原さんがおっしゃっているように、ほとんどの戦争は誤認に基づいて行われています。戦争の定義の一つに、「勝敗がどうなるかについて双方で意見の不一致があるときに戦争になる」というものがあります。勝つほうも負ける方も、両方が勝つと思って戦争をはじめるんです。

やはり、誤認を少なくするためには、発信することが必要だと思います。民主主義はシグナルを出すのに向いていて、私たちみんながこの島は絶対に守るべきだと言えば、恐らくそれは守るんだろうと相手から見える。金正恩が何か言っても、私たちはあまり信用できないのは、民主的な野党の声がないからなんですよね。ただ、現状日本では、制度が未整備ですし、戦争決定に対して分析し判断する制度も十分でない。

やっぱり、国民一人一人が戦争をしてでも守るものはなんなのか考えることが重要だと思います。そのことが、長期的には制度の整備につながり、正しい判断ができる国になることにつながると思います。

柳澤 ありがとうございました。まだまだお話を伺いたいのですが、そろそろお時間です。戦争はほとんど誤算で起きる、これがこの鼎談のテーマになりましたね。どのように誤算を少なくしていくのかを私たちは考えなければいけない。

最後に一つ、戦後70年、戦争をしなかった蓄積をもう一度見つめなおす必要があると私は思っています。確かに、ラッキーだった部分もありますが、今度は意志をもって戦争をしない努力を続けていけるのかが問われているでしょう。

プロフィール

柳澤協二NPO法人国際地政学研究所理事長

1946年東京都生まれ。大学卒業後の1970年に当時の防衛庁に入庁。防衛大臣官房官房長、防衛研究所所長などを経て、2004~2009年まで内閣官房副長官補(安全保障担当)。イラクへの自衛隊派遣などを監督する。2009年の退官後はNPO「国際地政学研究所」理事長などを務める。著書に『検証 官邸のイラク戦争——元防衛官僚による批判と自省』(岩波書店)、「改憲と国防」(共著・旬報社)、「亡国の安保政策」(岩波書店)などがある。

この執筆者の記事

小原凡司外交・安全保障/中国

東京財団研究員・政策プロデューサー。1985年 防衛大学校卒。筑波大学大学院修士課程修了。2010年2月 防衛研究所 研究部。海上自衛隊第101飛行隊長(回転翼)、駐中国防衛駐在官(海軍武官)、海上自衛隊第21航空隊司令(回転翼)、防衛研究所研究員などを歴任。海上自衛隊を退職後、2011年からIHS Jane’s入社 アナリスト兼ビジネス・デベロップメント・マネージャーを経て、2013年から現職。 著書に『中国の軍事戦略』(東洋経済新報社)

この執筆者の記事

植木千可子国際関係論

早稲田大学大学院アジア太平洋研究科教授。マサチューセッツ工科大学(MIT)国際研究センター・安全保障プログラム客員研究員。専門は、国際関係論と安全保障。麻生内閣で首相の諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員を務める。朝日新聞記者、防衛省防衛研究所主任研究官などを経て現職。MIT博士Ph.D.(政治学)。現実的な視点に立つリベラルな安全保障の専門家として注目されている。著書に『平和のための戦争論』(ちくま新書)、『北東アジアの「永い平和」』(勁草書房)

など。

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