家族で支える? 社会で支える? ――少子高齢化社会の家族政策を考える

6月22日公示、7月10日投開票の第24回参議院議員選挙。選挙権年齢が18歳以上に引き下げられてから最初の投票となります。シノドスでは「18歳からの選挙入門」と題して、今回初めて投票権を持つ高校生を対象に、経済、社会保障、教育、国際、労働など、さまざまな分野の専門家にポイントを解説していただく連載を始めます。本稿を参考に、改めて各党の公約・政策を検討いただければ幸いです。今回は、家族政策の観点から、筒井淳也さんにご寄稿をいただきました。(シノドス編集部)

 

 

政治の世界へようこそ

 

高校生のみなさん、「政治の世界」へようこそ。ようやく日本でも選挙権年齢が18歳まで引き下げられることになり、みなさんの一部も投票して政治家を選び、積極的に国や自治体の政治に関わる時代がやってきました。

 

しかし他方で、これはたいへんなことでもあります。政治家を選ぶということは、それなりに責任を伴うことだからです。私たちはしばしば、自分たちが投票して選んだ政治家を、その後批判します。自分たちで選んだ政治家の失態を追及することは、それはそれでもちろん政治の重要なプロセスであることには間違いありません。政治家のなかには、こっそり悪いことをしていたり、公約を守らない困った人たちもたくさんいたりするからです。

 

しかし、いったん選んでしまった政治家は、途中で辞任することがないかぎり、次の選挙までは政治に関わることになります。だから、「よく考えて選ぶ」ということもまた大事なことです。「適当に選んでおいて、あとで批判しよう」というのは、ずいぶんと効率が悪いやり方です。政治家を選ぶ有権者の目が厳しくなればなるほど、政治家は生半可な気持ちで立候補することができなくなります。政治家を鍛えてよい政治家にするのは、他ならぬ私たち有権者の役割であり、また義務なのです。

 

政治家の第一の役割は、よい政策を考え、実行することです。そしてそれは、私たちから集めた税金や社会保険料の「使いみち」を決めることでもあります。ですので、私たちは政策についてしっかりと理解した上で、投票に臨む必要があります。

 

「なんか有名な人だから」「いい人そうだから」といった<身近>な基準だけで選んではなりません。政治家を選ぶことは、基本的に<公共的>な判断です。公共的な判断をするには「好き嫌い」以上の知識が必要ですから、なかなか難しいところもあります。しかし身近な友達や恋人を選ぶときのノリで政治家を選ぶことは、できるだけ避けなければなりません。

 

では、これから政策の話をします。この記事では、少子化問題などに絡む家族政策について、できるだけわかりやすく解説していきます。

 

 

日本はいまどういう状態?

 

ところで、政策は、現状の社会の問題点を改善するための公的な介入です。ですので、政策を正しく理解するためには、その前提として現状の問題を大雑把にでも把握しておく必要があります。政策というのはいわば、病気の治療や体力づくりのための方針のようなものです。

 

経済学者の飯田泰之先生のたとえを拝借させていただくと(飯田泰之(2010)『ゼロから学ぶ経済政策』角川書店)、社会は全体的に基礎体力が弱ってくることもあるし、体力があったとしても一時的に病気にかかってしまうこともあります。政治家というのは、社会というカラダに基礎体力をつけたり、また病気にかかっていたらそこからの回復ができるような方法を考えて、実行したりする人です。(なかには弱ったカラダに寄生して肥え太っているような論外な政治家もいて、そういうときには政治は政策論議どころではなくなるので、始末に終えないのですが。)

 

さて、残念ながら私たちが済む日本社会はいま、病気から完全に回復していない状態にあります。その病気とは、デフレによる不況です。ですので、あれこれ体力をつける前に、デフレ経済という風邪をちゃんと治すことが優先的な課題です。ただ、デフレという風邪の治し方(金融政策が代表的です)についてはこの記事では触れませんから、先ほど触れた飯田先生の本や、別の記事を探してごらんになった上で、しっかりと勉強してください。(たとえば、「デフレと金融政策に関する9つの論点」片岡剛士

 

しかし万が一デフレという風邪がうまく治ったとしても、まだ問題があります。日本社会は先進国で最も人口高齢化が進んでいる国です。いってみれば、加齢による体力の衰えがみえている状態なのです。風邪をひいた若者の方が、風邪をひいていない状態の高齢者よりも力強く動けることもあるでしょう。日本は、デフレという「病気」から脱却したとしても、「基礎体力の衰え」という大きな課題を抱えているのです。

 

では、なぜ人口の高齢化が進むと体力が衰えるのでしょうか? たしかに個々の人間のカラダについては、加齢による体力の衰えはあるでしょう。しかし国全体としてみた時にも、同じようなことがいえるでしょうか?

 

答えは、ある程度同じことがいえる、というものです。

 

このことを考えるときに、ある国の「体力」に関係するいくつかの数値について説明しなければなりません。ひとつは、「依存比(dependency ratio)」と呼ばれている数値です。依存比とは通常、「15歳から64歳までの人口に比べて、14歳以下あるいは65歳以上の人口がどれくらいあるのか」という数値です。

 

「15歳から64歳」というのは、元気に働いてお金を稼ぐことができるおよその年齢帯だ、と考えられていて、「生産年齢人口」と呼ぶこともあります。0歳から14歳はたいていまだ働く年齢ではなく、65歳以上は引退することが多い、ということですね。もちろん例外もありますから、依存率はおよその目安です。

 

世界銀行のデータによれば、2014年の日本の依存比は63.0です。つまり、ざっくりいえば生産年齢人口100人で、子どもと高齢者63人を支えている、ということです。かなり多いな、たいへんそうだ、と感じた人もいるでしょう。しかしこの数値は、他の先進国と比べて突出して高いわけではありません。たとえばスウェーデンではこの数値は58.0です。

 

依存比の計算には子どもと高齢者の両方が使われていました。このうち子どもは、現在では依存する側ですが、近い将来は依存者を支える側になります。そこで、生産年齢人口100人で65歳以上の高齢者何人を支えているのかという数値である、「高齢者依存比」(「老年人口指数」ともいいます)をみてみましょう。今度は他のOECD加盟国と比較してグラフにしてみます。また、参考までに国の経済的豊かさの一つの指標である「一人当たりGDP」を横軸に、高齢者依存比を縦軸にとってグラフを描いてみました(図1)。

 

 

図1 一人当たりGDPと高齢者依存比(老年人口指数)

図1 一人当たりGDPと高齢者依存比(老年人口指数)

 

 

縦軸を見てください。今度は、日本(JPN)がいかに突出しているのかよくわかるでしょう。高齢化が進んだ先進国のなかでも、日本の「老い」の程度は飛び抜けているのです。経済的な豊かさをみても、日本はもはやトップクラスではありません。これには先に述べたデフレ不況が少なからず影響しているのですが、いずれにしろ一人ひとりがそれほど多くを稼いでいるとはいえないなかで、他国に例を見ないほど多くの高齢者を支えていかなければならないのが、日本の現状なのです。

 

 

働き手を増やすためには

 

「高齢者を支える」といっても、私たちの社会ではおよそ二つのやり方があります。ひとつは「家族内で支える」ことです。高齢の親が経済的に困っていない場合でも、介護が必要になれば支援の必要が出てきます。もうひとつは「社会的に支える」ことです。つまり、働いて得たお金の一部を、税や社会保険料としていったん政府(公的部門)に預け、政府がその資金を使って高齢者の生活を保障していく、というやり方です。

 

「自分の家族は自分で支える」という方針を、家族主義と呼ぶことができます。家族主義で行くか、みんなで(公的部門を経由して)支えるかが政策の焦点の一つです。あとでも触れますが、戦後日本の政治を担ってきた自民党は、大筋では家族主義でした。

 

ただ、家族主義で行くにせよ、公的部門重視(「大きな政府」路線)で行くにせよ、どちらの場合でも「働き手」がいることが前提となります。自分の親を支えるにしても、親一人につき子どもが一人いるよりも二人、三人いるほうが、支えるのは楽になります。社会全体で高齢者福祉を分担するにしても、全体として働き手が多くいるほうが、ひとりあたりの税や社会保険料の負担は小さくなります。

 

日本では特に依存する人の人口が大きく、またこれから増えていきますから、支える側を増やしていくことが政策の基本線になります。これはどの政治家でも踏まえておくべき前提だと思います。この問題についてきちんとした認識を持っていない政治家には、気をつけたほうがよいです。では、このとき具体的にはどのようなことを考えておくべきでしょうか。

 

さきほどの高齢者依存比の数値によれば、「100人が42人の高齢者を支える」ということになるのですが、しかし生産年齢人口にある人のすべてが現に働いて収入を得ているわけではありません。実際に働いて収入を得ている人、および働く気がある人の割合のことを、「労働力参加率」と呼びます。

 

この労働力参加率は、どの国をみても100%になることはありません。15歳から64歳の生産年齢に限ってみると、日本では男性で84.9%、女性で66.6%の人が働いてお金を稼いでいます(2014年OECD Employment and Labour Market Statistics)。ということは、現状では図2のようになっているわけです。

 

 

図2 高齢者を支える労働力

図2 高齢者を支える労働力

 

 

図の四角の大きさ(幅)は人口規模を表しています。現在は、やや大雑把ですが、ブルーで示した労働力人口で高齢者と生産年齢人口の白色部分(=非労働力人口)を支えています。ということは、生産年齢人口にある人でも、非労働力になっている人を労働力化することができれば、一人ひとりの支え手の負担も軽減できる、ということです(注)。

 

(注)ついでにいえば、女性の労働力には非正規雇用の人がたくさん含まれているので、この層の経済活動をもっと活性化することができれば、さらに「支える」効果が高くなります。

 

ここで、「福祉国家」として知られるスウェーデンではどうでしょうか。失業手当や年金などの生活保障の仕組みが充実しているスウェーデンでは、働いていなくても福祉が充実しているのだから、さぞかしみな働いていないのだろうと思いきや、むしろ逆で、労働力参加率は男性で88.5%、女性で79.3%です。これはOECDでもトップクラスです。

 

これはどういうことでしょうか。実は、スウェーデンでは「福祉が発達しているから人々が働かない」のではなく、「福祉が発達しているからこそ人々が働く」のです。二つの説明ができます。ひとつは、育児休業制度、介護や保育のサービスが充実していることで、人々が(特に女性が)仕事を中断することなく働き続けることができる環境があること。もうひとつは、充実した福祉を支える税収を確保するために、政府がいろいろな手段で働き手を確保しようとしている、ということです。

 

ここには、家族政策についての好循環の構造があります。図3をみてください。まず、Aの矢印は、「家族支援政策が充実していると、働きやすくなり、かつ子どもを多く生むようになる」ということです。Bは、「そのために(将来的にも)税収が増えて社会保障も充実する」ということです。Cは、そうして得られた財源を家族支援政策に還流させる、ということです。最後にDは、増えた財源によって高齢者福祉(年金や医療)もまた充実する、ということです。

 

 

図3 家族政策をめぐる好循環

図3 家族政策をめぐる好循環

 

 

もちろんこれは、ある種の理想の状態です。スウェーデンでさえ、実際にはこのように上手く行っているばかりではありません。そうはいっても、とにかく労働力参加率を上げて税収を増やしていかないと、いろんな政策がうまく回らない状態であることは確かです。これは、公的部門を頼らない家族主義の方針を取る場合でも同じことです。

 

要するにこういうことです。増えていく高齢者を支えるには、二つの回路がありました。家族内で支えること、そして社会全体で支えることです。しばしば、これらの<どちらを重視するか>という問題が注目を集めます。「家族の負担は限界だ、国(政府)がなんとかしなければならない」という考え方と、「国の財政も厳しい、家族が助け合うようにしなければ」という考え方です。しかしどちらの方針を取るにせよ、働き手を増やしていくことは極めて重要なのです。

 

ただ、現在非労働力化している人たち、特に女性の力を借りるためには、やはり何らかの政策的介入が必要になってきます。家族支援政策(ワーク・ライフ・バランス、育児休業制度、保育制度、児童手当など)を充実させれば、出生率も増えるだろうし、女性の労働力参加も増えますから、うまくいけば図にあるような好循環を生じさせることができるでしょう。【次ページにつづく】

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シノドス国際社会動向研究所

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