2016.08.17
「リベラル」は、ほんとうに「うさんくさい」のか?
「リベラル」の二つの類型
近年、「リベラル」という言葉を頻繁に目にするようになった。
その具体的な契機は、2011年3月11日の東日本大震災と原発災害だった。以後、脱原発を掲げる社会運動が盛り上がったことは記憶に新しい。さらに、2012年12月に誕生した第二次安倍政権が進めた特定機密保護法・安保関連法制の整備、これに対する反対運動も高揚した。こうした状況で、安倍政権への対抗言説をまとめる言葉として「リベラル」という呼称が使われるようになった。
しかし、この「リベラル」という言葉は、なんとなく使用されるのが常である。そこには、なんらかの共通理解があるはずだが、明確な整理はなされていないというのが現状ではないか。
現代社会において、「リベラル」という言葉はどのような意味を担わされているのか。まずは、その使用法を二つの類型に整理してみたい。
政権交代可能な反自民勢力としての「リベラル」
「リベラル勢力結集」というような語り方に代表される使用法が、「リベラル」の第一類型である。政権交代可能な二大政党制を視野に入れ、自民党政権への対抗を強く意識している。
この第一類型の起源は、昭和と冷戦が終わり、ソ連が崩壊し、日本の政界が再編期を迎えていた1990年代にある。『朝日新聞』『読売新聞』のデータベースを見ると、「リベラル」という略称が定着し始めたのは、この時期の議会政治の場だったことがわかる(と同時に、この時期にもやはり「リベラル」の概念規定はほとんど行われていないこともわかる)。
1993年、改憲に消極的な自民党の「ハト派」と呼ばれた議員たちが、社会党の若手議員とともに「リベラル政権を創る会」という勉強会を立ち上げた。同年12月には、社会党の機関紙が「リベラルとは何か」を問う連続インタビューを掲載して話題になった。
こうした動向は、「リベラル勢力の結集」などと報じられ、政権交代可能な二大政党制を目指す機運とともに、「リベラル」という言葉が使われるようになる。日本の政治用語・論壇用語としての「リベラル」は、保守のなかの革新寄り、あるいは革新のなかの保守寄りの人びとが、政権交代を目指して結集しようとした状況で、定着し始めたと言えるだろう。その意味では、「保守」と「リベラル」は対立する概念であり、アメリカと重なるところが多い。
アメリカでは、政治・社会問題に対する個人や集団のスタンスを説明する際に、「コンサバ(保守)」と「リベラル」という対立軸を用いるのが常である。「コンサバ(保守)」は、相対的に自由主義的経済を重視し、政府の介入の少ない社会を志向する。政府の介入が少ないのだから、個人は「自由」を享受できるということになる。
これに対し、「リベラル」は平等志向であり、格差や不平等の是正や社会問題の解決のために政府が積極的に介入すべきだと考える。個人の「自由」を守るために政府が介入すべきだというのである。その意味ではヨーロッパの社会民主主義に似ている。歴史的経緯に立ち入る余裕はないが、少なくとも現代のアメリカにおける「コンサバ」と「リベラル」の対立は、「小さな政府」対「大きな政府」という対立軸だと言いかえることが可能だろう。
こうしたアメリカのモデルを踏まえて、「リベラル」勢力を結集して二大政党制を目指そうというのが、「リベラル」の使用法の第一の類型である。では、第二の類型はどのようなものだろうか。
「平和」「脱原発」「反基地」を掲げる「リベラル」
第二の類型は、「平和」「脱原発」「反基地」を原則として掲げる「リベラル」である。
この第二の類型は、公正で平等な社会を求めて現状を批判し、より良い未来への提言を行う。したがって、見かけは旧来の「左翼」「革新」に似通ったものとして理解されがちである。その意味での「リベラル」は、少なくとも論壇用語としては、共産党に代表される「左翼」と旧・社会党(現・社民党)に代表される「革新」から社会主義を取り除いて、新たに「別の選択肢」を立ち上げようとする機運を指す言葉になっているのである。
「平和」「脱原発」「反基地」を掲げる「リベラル」に対しては、様ざまな立場から、厳しい疑問が呈されている。保守派が『うさんくさい』『甘え』『思考停止』などという批判を投げかけるのは見慣れた風景だが、興味深いのは、第一類型の「リベラル」からも批判を受けているということである。
第一のタイプの「リベラル」からすれば、「平和」「脱原発」「反基地」などを原則的に掲げるだけで、現実的な力をもたない「リベラル」は、真の意味での「リベラル」とは言えないということになる。
他方で、「平和」「脱原発」「反基地」を重視する第二の「リベラル」からすれば、政権獲得を目的にして原則的立場を軽視し、現実に妥協を重ねる第一のタイプは、それこそ「真のリベラル」への裏切りということになる。両者はともに「リベラル」を否定的に見ているが、その立場は大きく異なっている。
「真のリベラルとは何か」という問い
このように、近年の状況は「真のリベラルとは何か」という問いを喚起している。「真のリベラル」は、反自民政権のための勢力結集とそれを可能にするための魅力的な政策体系なのか、それとも「平和」「脱原発」「反基地」などの普遍的価値や正義なのか、という問題が存在しているのである。
こうした問いが根底に存在しているにも関わらず、第一の類型も第二の類型も、ともに「リベラル」と呼ばれている。その理由は、両者がそれなりに共通点を持っているからだ。その共通点とは、「経済や福祉、安全保障などの社会問題を是正するため、政府の積極的な介入を求める」という社会民主主義的態度であり、「社会的弱者への想像力と、それに基づいた問題提起」という理念である。以下、このような思想を「ソーシャル・リベラリズム」と呼ぶことにする。
「ソーシャル・リベラリズム」
20世紀の後半以降、政治的には民主主義が、経済的には資本主義が、否定できない現実になった。そこでは、現実に対処する政治経済思想としての「ネオ・リベラリズム」と「ソーシャル・リベラリズム」が、対立しつつも共存してきたと言える。
西欧や北欧では「ソーシャル・リベラリズム」は、伝統的な社会民主主義勢力を主要な担い手としてきた。また、社会民主主義が存在しえなかったアメリカでは、民主党のリベラル勢力が「ソーシャル・リベラリズム」の担い手となった。これに対して、日本の場合、アメリカ型ではあるが、アメリカと違って「ソーシャル・リベラリズム」の政権が、その政策を成功的に実施した歴史的伝統がほとんどなかった。
ここで、日本における「リベラリズム(自由主義)」の展開を整理しておこう。
そもそも、「リベラリズム」とは、身分制と宗教的不寛容、さらにはそれが生み出した宗教戦争に抗して、人間の自由を重んじるための思想として、17・18世紀の西洋で生まれた。そこから、人が生きる権利としての「人権」、他者の自由を尊重する「寛容」の精神、自由の内実を統制する「正義」の意味、それを実現するための制度設計などが派生的に問われ、様ざまな思想が練り上げられていった。
日本では「自由主義」と訳された「リベラリズム」は、明治から大正にかけて知識人のあいだで定着していった。日本における「自由主義」の源流は、明治期に欧米の思想や制度を紹介した福沢諭吉や西周らの「明六社」グループや、「自由権」を説いた中江兆民にまでさかのぼることができるだろう。
その後、「自由主義」は、たとえば経済学者で政治家の田口卯吉、新聞『日本』を創刊した「国民主義者」の陸羯南らに引き継がれていった。田口卯吉も陸羯南も、日清戦争後の政府が軍備拡張に走り、個人の自由を抑圧し始めたことを批判して、「自由主義」の確立を説いたのである。
昭和初期にあたる1920年代後半以降は、世界的にリベラリズムの意味が変容しはじめていた時期にあたる。世界恐慌を経て、経済的格差や不平等の是正のため(つまりは人びとの「自由」の基盤を守るため)に、政府が積極的に介入するべきだという、新しいタイプの「リベラリズム」が登場した。
たとえば、経済学者で思想史の河合栄治郎は、自由放任な資本主義とマルクス主義とをともに批判しつつ、自由主義と社会主義を架橋しようとした。その後、日本型「リベラリズム」を最良のかたちで受け継いだのは、ジャーナリストたちだった。長谷川如是閑や石橋湛山、丸山幹治(政治学者丸山眞男の父)らである。彼らは、教養による人格の陶冶を信じたエリートではあったが、個人の「自由」を立脚点に、社会矛盾を解消しようとした。
しかしながら、こうした取り組みは、マルクス主義者(左翼)と軍国主義者(右翼)から、厳しく非難されることにもなった。1920年代後半には、「リベラリスト」たちは、左翼からは軽蔑的に「リベ」と呼ばれ、右翼からは、共産主義者の同伴者と見なされるようにさえなったのである。この点は、2010年代の日本と似ている。
戦後の「リベラリスト」たちもまた、右翼でも左翼でもない「中道」を目指したが、左翼の影響力が最も強かった戦後しばらくのあいだは、戦前同様に見なされ続けた。同時に、敗戦にともなう論壇の世代交代によって、前述した長谷川如是閑らは、若い世代にとっては「保守的」に見えるようになり、「オールド・リベラリスト」と呼ばれるようになった。こうして、戦後日本においては、「リベラリズム」は政党レベルで結集することなく、論壇では「個人の自由」に基づいて「中道」を掲げる政治家や知識人を指す言葉として生き残ったと言える。
興味深いのは、日本においては政党レベルで「リベラル」が結集することはなかったが、自民党内部の「リベラル」勢力が自民党内部でそれなりに発言権をもつことで、「ソーシャル・リベラリズム」的な政策を実施してきたという歴史的現実である。しかし21世紀には、この自民党内部の「リベラル」勢力(第一の類型)も消滅してしまった。同時に、「平和」「脱原発」「反基地」という原則を掲げる勢力も、その影響力を低下させた。
こうした状況が、いわゆる「3・11」と2012年の第二次安倍政権の誕生により、変わろうとしているのである。
「リベラル」の今後
こうして、話は現代に戻ってくる。
いずれにせよ、政治状況については、1990年代にほとんど「総保守化」して以降、政治経済の対立軸の「左側」を「リベラル」と呼び習わし始めているというのが現状だろう。「リベラル」を批判する者たちは、「平和」「脱原発」「基地問題」といった「戦後民主主義的なもの」を「リベラル」に負わせ、批判するようになった。
「リベラル」内部では、現実的な二大政党制を目指す第一のタイプの「リベラル」が、第二のタイプの「リベラル」をどのように扱うのか、まだ見通せない。一種の「反安倍統一戦線」として「リベラル」という呼び名が定着したが、この対立軸のなかから何が生まれようとしているのか、それもまだわからない。さらに、こうした対立軸が何を取りこぼしてしまったのか、その渦中にいる私たちは、はっきりと見極めることができていない。
現代社会では、「リベラリズム」が前提としていた「自由」「人権」「寛容」「正義」といった概念がほとんど顧みられなくなっている。これらの概念を噛みしめることなしに、「リベラルの結集」を叫んでも、その効果は疑わしい。かといって、「平和」「脱原発」「反基地」を掲げる第二のタイプの「リベラル」も、いまのところは一定以上の勢力になり得ていない。
第一のタイプの「リベラル」と、第二のタイプの「リベラル」が互いに「真のリベラル」を争っている現状は、生産的だとは言えない。しかし、性急に二つの「リベラル」を接合しても、「何がしたいのか、わからない」ということになる(東京都知事選における鳥越陣営を見よ)。「自由」「人権」「寛容」「正義」といった概念を洗い直し、それを基盤にして「リベラル」の二つの類型を架橋する試みが、いま求められている。
プロフィール
山本昭宏
神戸市外国語大学准教授
1984年生まれ。専門は日本近現代文化史、歴史社会学。著書に『教養としての戦後〈平和論〉』『核と日本人:ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』『核エネルギ:言説の戦後史1945―1960』