「リベラル」は、ほんとうに「うさんくさい」のか?

「リベラル」の二つの類型

 

近年、「リベラル」という言葉を頻繁に目にするようになった。

 

その具体的な契機は、2011年3月11日の東日本大震災と原発災害だった。以後、脱原発を掲げる社会運動が盛り上がったことは記憶に新しい。さらに、2012年12月に誕生した第二次安倍政権が進めた特定機密保護法・安保関連法制の整備、これに対する反対運動も高揚した。こうした状況で、安倍政権への対抗言説をまとめる言葉として「リベラル」という呼称が使われるようになった。

 

しかし、この「リベラル」という言葉は、なんとなく使用されるのが常である。そこには、なんらかの共通理解があるはずだが、明確な整理はなされていないというのが現状ではないか。

 

現代社会において、「リベラル」という言葉はどのような意味を担わされているのか。まずは、その使用法を二つの類型に整理してみたい。

 

 

政権交代可能な反自民勢力としての「リベラル」

 

「リベラル勢力結集」というような語り方に代表される使用法が、「リベラル」の第一類型である。政権交代可能な二大政党制を視野に入れ、自民党政権への対抗を強く意識している。

 

この第一類型の起源は、昭和と冷戦が終わり、ソ連が崩壊し、日本の政界が再編期を迎えていた1990年代にある。『朝日新聞』『読売新聞』のデータベースを見ると、「リベラル」という略称が定着し始めたのは、この時期の議会政治の場だったことがわかる(と同時に、この時期にもやはり「リベラル」の概念規定はほとんど行われていないこともわかる)。

 

1993年、改憲に消極的な自民党の「ハト派」と呼ばれた議員たちが、社会党の若手議員とともに「リベラル政権を創る会」という勉強会を立ち上げた。同年12月には、社会党の機関紙が「リベラルとは何か」を問う連続インタビューを掲載して話題になった。

 

こうした動向は、「リベラル勢力の結集」などと報じられ、政権交代可能な二大政党制を目指す機運とともに、「リベラル」という言葉が使われるようになる。日本の政治用語・論壇用語としての「リベラル」は、保守のなかの革新寄り、あるいは革新のなかの保守寄りの人びとが、政権交代を目指して結集しようとした状況で、定着し始めたと言えるだろう。その意味では、「保守」と「リベラル」は対立する概念であり、アメリカと重なるところが多い。

 

アメリカでは、政治・社会問題に対する個人や集団のスタンスを説明する際に、「コンサバ(保守)」と「リベラル」という対立軸を用いるのが常である。「コンサバ(保守)」は、相対的に自由主義的経済を重視し、政府の介入の少ない社会を志向する。政府の介入が少ないのだから、個人は「自由」を享受できるということになる。

 

これに対し、「リベラル」は平等志向であり、格差や不平等の是正や社会問題の解決のために政府が積極的に介入すべきだと考える。個人の「自由」を守るために政府が介入すべきだというのである。その意味ではヨーロッパの社会民主主義に似ている。歴史的経緯に立ち入る余裕はないが、少なくとも現代のアメリカにおける「コンサバ」と「リベラル」の対立は、「小さな政府」対「大きな政府」という対立軸だと言いかえることが可能だろう。

 

こうしたアメリカのモデルを踏まえて、「リベラル」勢力を結集して二大政党制を目指そうというのが、「リベラル」の使用法の第一の類型である。では、第二の類型はどのようなものだろうか。

 

 

「平和」「脱原発」「反基地」を掲げる「リベラル」

 

第二の類型は、「平和」「脱原発」「反基地」を原則として掲げる「リベラル」である。

 

この第二の類型は、公正で平等な社会を求めて現状を批判し、より良い未来への提言を行う。したがって、見かけは旧来の「左翼」「革新」に似通ったものとして理解されがちである。その意味での「リベラル」は、少なくとも論壇用語としては、共産党に代表される「左翼」と旧・社会党(現・社民党)に代表される「革新」から社会主義を取り除いて、新たに「別の選択肢」を立ち上げようとする機運を指す言葉になっているのである。

 

「平和」「脱原発」「反基地」を掲げる「リベラル」に対しては、様ざまな立場から、厳しい疑問が呈されている。保守派が『うさんくさい』『甘え』『思考停止』などという批判を投げかけるのは見慣れた風景だが、興味深いのは、第一類型の「リベラル」からも批判を受けているということである。

 

第一のタイプの「リベラル」からすれば、「平和」「脱原発」「反基地」などを原則的に掲げるだけで、現実的な力をもたない「リベラル」は、真の意味での「リベラル」とは言えないということになる。

 

他方で、「平和」「脱原発」「反基地」を重視する第二の「リベラル」からすれば、政権獲得を目的にして原則的立場を軽視し、現実に妥協を重ねる第一のタイプは、それこそ「真のリベラル」への裏切りということになる。両者はともに「リベラル」を否定的に見ているが、その立場は大きく異なっている。【次ページにつづく】

 

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