2017.04.17

改めて考える、「ポピュリズム」とは一体何か?

水島治郎×遠藤乾×荻上チキ

政治 #ポピュリズム

トランプ大統領の誕生や、英国のEU離脱の原動力となったとも言われる「ポピュリズム」。日本では、小泉純一郎元総理や橋下徹元大阪市長などに対する批判的な言葉として用いられるが、しばしば民主主義との区別が明確でないまま使われているのが現状だ。そもそもポピュリズムとは一体何なのか、その功罪を専門家とともに考える。2017年1月16日放送TBSラジオ荻上チキ Session-22「トランプ大統領誕生、英国のEU離脱の原動力!? 『ポピュリズム』とは一体何?」より抄録。(構成/畠山美香)

■ 荻上チキ Session-22とは

TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら →https://www.tbsradio.jp/ss954/

なぜポピュリズムは生まれるのか

荻上 今夜のゲストをご紹介します。ヨーロッパ政治、比較政治学がご専門、千葉大学教授の水島治郎さんです。

水島 よろしくお願いいたします。

荻上 のちほど、政治学者の遠藤乾さんにも、お電話でお話を伺っていきたいと思います。

さて、昨年12月に出版された水島さんのご著書、『ポピュリズムとは何か』(中公新書)が話題になっています。なぜ、このタイミングでポピュリズムについて本を書こうと思われたのですか。

水島 近年、世界中で次々とポピュリズム政党が躍進するという状況が続いています。その中で現代のポピュリズムを捉えるためには、安易に「排外主義」「大衆迎合主義」といった批判的な言葉で片付けてしまうのではなく、歴史を追って比較政治学的な視点から考える必要があると思いました。例えば、20世紀のラテンアメリカでは、ポピュリズムがエリート支配から人民を解放する原動力となったという事例もあります。こうした流れを踏まえて分析することで、ポピュリズムが持つさまざまな機能を明らかにすることができるのではないかと思ったのです。

荻上 そもそも、ポピュリズムとは何を指す言葉なのでしょうか。

水島 さまざまな解釈がありますが、やはり本質にあるのは、反エリート、反既成政治、反既得権益だと考えます。近年のヨーロッパやアメリカ、日本では「日本維新の会」がそれに相当しますね。メディアでは、利益をばらまいて人気取り政治をする人を「ポピュリスト」と呼ぶ場合も多いのですが、近年の英国のEU離脱やトランプ当選などの事例を考えると、むしろ下から上への反逆、一般大衆のエリートへの反感をすくい上げて政治運動に変えていくといった側面が強いですね。

また、現代においては「人気取り政治=ポピュリズム」と定義してしまうと、どんな政治家もポピュリストになってしまいます。そうすると、ポピュリズムの持つ劇薬のような性質が見えなくなるんですね。

荻上 なるほど。すると、与党、野党の二大政党が存在する国の場合は、「既成政党には任せられておけない」という形でポピュリズム政党が誕生するケースが多いのでしょうか。

水島 はい。これは日本にもヨーロッパにも共通する展開なのですが、歴史的に見てみると、かつての20世紀型の政治では、左右にそれぞれ安定した政党があり、各政党を支える団体(労働組合や農業団体、中小企業団体など)がいくつも存在し、それらの団体に個人が属しているという構造がありました。つまり、個人は自らが所属する団体が支持する政党に投票していたわけです。

ところが、この構造は1990年代以降崩れていきます。特定の団体・政党に属さない人が増え、既成政党に対して「既得権益を守っているだけだ」という後ろ向きな見方が一般的になっていきます。そして、既成政治を批判しながら大胆な改革を求める方向性が支持されるようになるわけです。イギリスやドイツでは、かつては保革を代表する二大有力政党が政治空間を占めていたわけですが、今その基盤は相当崩れています。ポピュリズム政党の批判が市民に届きやすい状況になっています。

荻上 なるほど。日本では90年代以降、安定成長期から低成長期に入り、55年体制が崩れたことも相まって無党派の割合が大きくなっていきましたよね。ヨーロッパの場合はどうだったのでしょうか。

水島 やはり日本と同様、冷戦の終了のインパクトは大きいです。それまで対峙していた左右の政党間の対立が薄れ、大連立政権も珍しくなくなります。しかしそうなると、「既成政党はどちらも同じようなことを言っている」という批判から免れません。

そもそも特定の政党を支持するメリットが失われてきている、ということもあります。国によっては、かつては何らかの団体に属していることが、政党からの恩恵を被るための条件でした。しかし、経済成長が衰えてくれば、当然ながらそういった利益配分の流れからこぼれ落ちていく層が出てきます。彼らからしてみれば、既存の団体・政党はまさに旧来の利益に固執する守旧派としか見えなくなってしまうのです。

それに加え、個人個人のライフスタイルも変わっています。「平日は仕事をして、休暇は家族とゆっくり過ごしたい」という人が増え、何らかの団体に所属して活動する時間を取ることがなかなか難しくなってきたからです。個人のあり方が大きく変わり、それを受けて団体や政党も変化しているわけです。

荻上 産業形態の変化も関係するかもしれませんね。現在、日本では6割以上がサービス業という状況になっているので、既存の第一次産業、第二次産業をベースにした支持母体は相対的に影響力が弱まっている。

水島 はい。比較的自由に働ける第三次産業の労働者が増えるにつれ、工業労働者を基盤としてきた労働組合が持つ凝集性がかなり弱まっている側面もあるでしょう。組織や政党から個人が自由になっていく中で、ポピュリズム政党が支持を受ける余地が増えていることは否定できないと思います。

 

置き去りにされた人びと

 

荻上 現代のポピュリズム的な動きを加速させているのは、どのような要素があるのでしょうか。

水島 今のヨーロッパは緊縮財政の動きが広がり、また中東からの移民も増えている状況です。そうした中で、移民に仕事を奪われている、あるいは、グローバル化によって海外への工場移転が進み、無責任なグローバル・エリートによって自分たちの生活が脅かされているという意識が広がっています。いわば「置き去りにされた人びと」と呼ばれる層が生まれています。イギリスでは、この「置き去りにされた人びと」がEU離脱を問う国民投票で決め手となりました。

荻上 それはアメリカのトランプ現象にも通じるところがありそうですね。

水島 まさにそうです。「忘れられた人びと」とトランプ氏は呼んでいましたね。

ただ私としては、トランプ氏自身はポピュリスト的な政治家だとは思いますが、共和党そのものがポピュリスト政党になったわけではないと認識しています。トランプ氏の支持層には旧来の共和党支持者も多く含まれます。今回の選挙では、激戦州のうち特にラストベルトの衰退した工業地帯の労働者層、つまり「忘れられた人々」の投票が、決定打となり、そのためラストベルトが特に注目されたわけですが。

荻上 それは今までの政権に対する鬱屈であると同時に、第三極を求める期待があったわけですよね。

水島 そう思います。トランプ氏はいわゆる伝統的な共和党とはかなり違っていて、ある意味では「保守のアウトサイダー」ともいえます。例えるならば、小泉純一郎氏に近いとも言えるでしょう。つまり、アウトサイダーとして既成の保守政党のトップにのしあがり、ポピュリスト的なスタイルで支持を集めていく。

一方で橋下徹氏は、自前のポピュリズム政党を作り、既成政党に真っ向から挑戦しようとした点で、ヨーロッパのポピュリズム政党のリーダーと似ています。

荻上 現在の都知事である小池百合子氏や石原元都知事はどうでしょうか。

水島 石原氏は旧来の保守政治家の中ではやや尖った部分はあるものの、反エスタブリッシュメントとはいえない。異色の右派政治家、というあたりでしょうか。

逆に、小池氏のスタイルは非常にポピュリズム的です。自分が既成保守政党である自民党から、「いじめられている」「抑圧されている」ようにメディアの前で演出するところがうまい。ただ、その場しのぎで対決を演出しているようにもみえ、具体的にどういう政策を掲げて新しい政治運動を作っていくのかという面が見えてきません。

荻上 劇場化することが目的化しているようにも見えるということですね。トランプ氏や、他のポピュリストと呼ばれる方々にも共通するかなと思うのは、メディア批判を強烈にするということですよね。

水島 はい。主要メディアを批判しながら、自らTwitterやその他のメディアを活用して、「自分は直接有権者に発信しているんだ」とする姿勢は、ポピュリストの場合顕著ですね。ただ逆説的なのは、ポピュリズムの躍進にはメディアが相当貢献しているということです。

例えば今回のアメリカ大統領選でも、トランプ氏がメディア露出したおかげで、テレビ局は広告費換算で相当な収益を得たという計算もあります。メディアを批判しながらメディアを利用しているというのが、勝ち上がってきたポピュリストの特徴ではないかと思います。そしてメディアはポピュリストと対決しつつ、そこから利益を引き出している。一種の共犯関係とは言えないでしょうか。

荻上 逆にメディア側からすると、自分たちが政治家にうまく利用されていることになりますよね。しかし、だからと言って「あの政治家はポピュリストだ」という報道をしても、その政治家を支持している人にとっては「ポピュリストだから良いんだ」という形に響くこともある。メディアの認識と支持している人との認識の間には随分と溝がありそうな気がします。

水島 そうですね。まさに今回の大統領選で、世論調査のデータを大きく裏切る結果になりました。世論調査の際には、一般市民がメディアに対して距離をとってしまっている。でも最後にサイレントマジョリティは投票所で自らの意思を示したわけです。その「ずれ」が今回、はっきりと見えてしまったのが面白い現象かなと思います。

民主主義の劇薬

荻上 ポピュリズムと呼ばれる運動が最初に始まったのは、いつごろなのでしょうか。

水島 19世紀末のアメリカです。このころ、世界初のポピュリズム政党と言われる「人民党」が誕生しました。この動きは、その後20世紀のラテンアメリカ諸国におけるさまざまな政権、政治運動にも影響を及ぼしていきます。

19世紀末のアメリカでは、共和党と民主党の二大政党が確立していましたが、腐敗した金権政治が行われ、庶民の生活になかなか目が向かない状態が続いていました。そうした中で、特に農民層などの「置き去りにされた人びと」が中心となって、二大政党では反映しえない自分たちの要求を表明するため、人民党を結成します。すると、既成政党側はすぐさま人民党の要求を部分的に取り入れるようになり、人的にも取り込んでいきました。そして役割を果たした人民党は、しばらくすると解体していくことになります。

荻上 庶民の意見を政治に反映するという目的を果たしさえすれば、ポピュリズムの運動はあっさりと消えてしまうということなのですか。

水島 はい。ポピュリズム政党のジレンマといえましょう。野党である時は非常にラディカルな改革を声高に主張し、多くの人の支持を得るのですが、与党に入ったとしても、要求を全て実現することはほとんど不可能です。むしろ、既成政党が部分的にその意見を取り入れることで、ポピュリズム政党が牙を抜かれてしまうということが現実にはよく起こります。ただ、だからと言ってポピュリズム政党をどんどん政権に引き入れたら良いのかというと、それもリスクがあるのです。

ポピュリズム政党は概して、人民の主張をエリートを介さずに直接実現するという立場を取りますので、単独政権を握った場合には、権力が極端に集中してしまうという状況が起こりえます。純粋民主主義という側面を持つが故に、「三権分立は、エリートが人民の要求を邪魔する制度である」と解釈するのです。もちろんそれは急進的な改革を短期に実行するという意味では効果的かもしれませんが、他方で反対派に対する抑圧や権力の乱用に陥る危険性があります。

現代でも、例えばフィリピンのドゥテルテ大統領は多くの民衆から支持を集めているものの、超法規的な殺人を認めており、きわどい存在です。大統領を批判する者の自由が確保されているのかという疑問もあります。ポピュリズムは人民の立場から問題提起を行うと同時に、権力を握った場合に暴走するリスクもある。その意味では、「民主主義の劇薬」であると思いますね。

右派的なポピュリズム、左派的なポピュリズム

荻上 ポピュリズムの中にも、保守的なポピュリズム、あるいはリベラル的なポピュリズムというものは存在するのでしょうか。あるいは、そうした政治的思想の枠組みとの繋がりは薄いのでしょうか。

水島 やはり、「エリートの抵抗を排して人民の意思を実現するべき」という立場なので、いわゆる保守主義やリベラリズム、社会民主主義などと比べると、思想的には弱いですね。ただ現実には、ポピュリズムの中でも色合いの違いはあり、特に右派的なポピュリズムと左派的なポピュリズムは、同じポピュリズムでもだいぶ違います。概して言えば、ラテンアメリカでは左のポピュリズムが強く、ヨーロッパでは右のポピュリズムが強いと言えます。

荻上 現代のヨーロッパで考えると、例えば移民問題や難民問題に対してアンチを唱える、あるいは欧州連合のあり方を批判する、そういった主張によってポピュリズムが右派的になっていくということでしょうか。

水島 そう思います。一方、ラテンアメリカの場合は、今もなお圧倒的な所得格差があるため、エリート層に富と権力が独占されている、それを再分配せよという左派的な方向性になりがちなのです。

ヨーロッパ、特に北部の発達した福祉国家では、一部の特権階級の独占する富を再分配に回せという主張は広い支持を受けにくい。他方、福祉国家のシステムの中で恩恵を被っていると思われる移民や難民の人びとが、特権階級として認識される現象が起きます。日本の場合も生活保護批判に代表されるように、福祉国家の保護の対象となった人が特権階級扱いされがちですよね。

荻上 しばしばネット上で「在日特権」などという言葉を使って在日朝鮮人の方々をバッシングするといった問題が起きますが、あれも「恩恵を不当に享受している」という一方的な批判が含まれていたりもしていますね。

水島 やはり、再分配がある程度なされている国においては、それによって恩恵を被る人が、不当に甘い汁を吸っている人だと見なされることが起こりやすいんです。しかも、その際に恩恵を被っている人びととリベラルな政治家が結託している、といった筋書きが作られてしまうんですね。

荻上 ただ、日本はずっと保守が強い状況が続いていながらも、そこから生まれてくるポピュリズムは反保守主義的な側面が弱く、むしろ反朝日新聞、反知性主義といった立場のように見えます。そのあたりのバランスはユニークだなと思うのですが、どう考えれば良いのでしょうか。

水島 日本は、良くも悪くもグローバル化にさらされている度合いがヨーロッパやアメリカよりも低い部分があります。特にヨーロッパは欧州統合が進んでいますので、各国レベルでできることがかなり減ってしまっている。それに対し、日本は自国通貨を維持していますし、国内の政策的な余地はかなりあります。また、自民党政権は伝統的に地方重視の政策をとってきたということもあり、アメリカやイギリスと比べれば露骨な格差の拡大は抑えられている状況です。

圧倒的な所得差があり、一部のエリートが富を独占している社会であれば、エリートはあいつらだとすぐ分かるわけですが、日本のように一種の平等感覚が残っている国では、誰がピープルで誰がエリートなのか、必ずしもはっきりしない。むしろ朝日新聞に象徴されるような知的エリートのヘゲモニーの方が、際立って見えてしまうということがあるのではないでしょうか。

荻上 ということは、誰がポピュリズムのターゲットになるのかという線引きは、その都度、社会的に構築されていくものなのでしょうか。

水島 そうですね。それはポピュリズム側の戦略によるところも大きいでしょう。例えばヨーロッパでは、イスラム移民を批判する際に「彼らは男女平等を守ろうとしない」「政教分離、個人の自由を認めていない」と言って批判しますが、本当にポピュリズム側が心から男女平等を信じているかというと、それはなかなか疑わしい。しかし、そういう「進歩的」な主張をすることで、既存の極右政党には乗れない有権者から、「ポピュリズム政党の方がましだ」といった形で支持が集まる、そういうことが現実に起きているわけです。

荻上 そういった移民批判をするポピュリストに対して、支持者らが「実は歴史修正主義ではないか」「実は右翼じゃないか」といった疑いを持つことはないのでしょうか。

水島 近年のヨーロッパでは、数としては、極右ではなくリベラルな起源を持つポピュリズム政党も多いのです。例えばオランダのヘルト・ウィルダース議員が党首を務める自由党などは、もともと自由を基本的な価値として設立された党とされており、その自由尊重の価値観に基づいてイスラムを批判する、という立場を取っています。歴史修正主義のような「重たさ」もこの党には感じられません。

ポピュリズムはディナーパーティの泥酔客

荻上 水島さんはご著書の中で、ポピュリズムの主張に賛成か反対かという議論で終わってしまうのではなく、ある種の機能を持った存在として分析する観点が重要だとおっしゃっています。ポピュリズムの機能というのは、どのようなものなのでしょうか。

水島 さきほど申し上げた通り、ポピュリズムには純粋民主主義という性質がありますので、民衆の要求を直接実現しようとするが故に、逆に反対派を抑圧したり、反法治国家的な振る舞いに対して目をつぶってしまう傾向があります。ここには当然問題があります。他方で、ポピュリズム政党の躍進によって既成政党に緊張感が走り、一定の政治的な変化を呼び起こす効果もあります。実際、ポピュリズム政党が出てくると既成政党は概して改革に走り、改革派に転向したふりをするのですが、それによってこれまで成しえなかった政策転換が起こる可能性もあります。

本の中で最後に「ポピュリズムは、ディナーパーティの泥酔客のような存在だ」という喩えを引用しました。どういうことかと言うと、着飾った人びとがパーティを楽しんでいる最中に、突然、泥酔客がやってきて下品な言葉を吐き始める。人びとはなんとか追い出そうとするのですが、泥酔客の発言の中にはときどき真実が含まれていたりするんです。例えば、動物愛護を訴える上流階級が集まるパーティだったら、「パーティで肉を食べてるんじゃねえよ」と吐き捨てるように言ったりする。すると言われた側は、表情は変えなくても心の中ではドキッとするわけです。もしかすると、それをきっかけに社会のあり方が変わっていくかもしれない。あるいは、単純に追い出すだけかもしれない。いずれにせよ、何らかの波紋を呼び起こす存在としてポピュリズムは現実に存在する。リスクはあるが変化の可能性もある。やはり功罪半ばするというのが私の主張です。

荻上 リスナーの方から質問がきております。

「トランプ氏の当選に絡めてポピュリズムがよく語られていますが、『大衆迎合主義』と言いつつ、オバマ大統領の就任前の支持率とは相当な開きがあるそうです。政治的に正しいかどうかは別にして、支持率だけ見ればオバマ大統領の方が、実現の難しい理想を並べて大衆の支持を集めたと言えなくもないと思うのですが、なぜオバマではなくトランプがポピュリストと呼ばれるのでしょうか。」

 

ポピュリズムという用語がもっぱら否定的に使われがちなのは、私も強い違和感を覚えますね。大統領の資質という点ではトランプ氏にはかなり疑わしいものを感じますが、社会的に苦境に置かれ、彼を支持せざるを得なかった白人労働者たちの叫びを無視して、ポピュリズムという一言で片付けてしまっている。彼らの問題提起を無視すべきではないと思います。

水島 そうですね。見捨てられた白人労働者階級、いわゆる「ニューマイノリティ」と呼ばれる方々も、やはり重要な国民の一部です。主張そのものが妥当かどうかは別問題として、まずはさまざまな立場の意見を取り入れながら政治を進めていく。そうしなければ、必ずいつかは反逆が起こります。

これからのポピュリズムと民主主義

荻上 ここで、もうお一方にご意見を伺いたいと思います。『欧州複合危機』(中公新書)などの著書がある、北海道大学教授で政治学者の遠藤乾さんです。遠藤さん、よろしくお願いします。

遠藤 よろしくお願いします。

荻上 遠藤さんはヨーロッパ政治がご専門ですが、ヨーロッパにおける現代のポピュリズムの役割や位置づけ、評価についてどうお感じになっていますか。

遠藤 ヨーロッパ社会に広がるポピュリズムは、自由や平等というリベラルな理念を軽視する傾向があり、そこが将来的にやはり心配なところです。ここでいうリベラルとは、井上達夫氏が指摘するところの「反転可能性」、つまり自分と他者が反転したとしても受け入れられるかどうか、ということです。その点で、国内外の「敵」を可視化して、主流国民との越えがたい溝を強調するポピュリズムの手法には懸念が残ります。

ポピュリズムとデモクラシーには親和性があり、どちらも「置き去りにされた人びと」の声をすくい上げるという大事な機能があります。ただ、どういうやり方ですくい上げるのかは検証しなければいけません。特に、すくい上げるリーダーがどういう社会を作ろうとしているのかは、十分に検証する必要があります。

荻上 既存の専門家やメディアの主張をみんなで批判すれば一つの力にはなりますが、蓄積された知識をいっぺんに捨ててしまうと、合理的な選択は得られないけど満足感だけは残る、長期的には首を絞める結果になることもありますよね。

遠藤 はい。ただ、水島先生のご著書にも書かれていましたが、例えばベルギーではかつてポピュリズムが興隆する中で、既存の政党が民意の声をすくい上げる方向に向かい、政党自身が再活性化したという事例があります。ポピュリズムにもそういった機能があるのです。

しかし他方で、ブレグジットもトランプ氏もそうですが、民主的なプロセス自体がデマや嘘に満ちているということが起きている。この劣化の先に、今後、法治国家の枠の中でこの運動が留まっていくのかどうか。留まったとしても、ナチスのように法治国家の形式を取りながら全体主義に進んでいった例もあるわけです。そういった懸念が拭えない。今のヨーロッパの大手新聞社の見解にも、こうした懸念が表れていると思います。

荻上 ポピュリズムにはデモクラシーを装いながらも、デモクラシーを壊すような側面があるということですが、水島さんはいかがでしょう。

水島 それはラテンアメリカを例にとりますと、ベネズエラのチャベス政権やそれ以降の政権でも言えることだと思います。法治国家の枠を超える行動に出ている面があります。民衆の支持があったとしても、そこで自由や平等がきちんと守られているのかという問題がありました。

ただ、現在のヨーロッパのような先進諸国の場合、ポピュリズムが政権をとったらそのままデモクラシーが崩れていくのかというと、それには疑問はあります。私たちが見てきたデモクラシーは、そんなに脆いものだったのでしょうか。もしかすると、ポピュリズムをも包摂するデモクラシーの伝統や奥深さに期待できるかもしれません。ですから、ポピュリズム政権が誕生した時に実際にどう機能するかは、これから見ていかないと分からないところではあります。

荻上 例えばブレグジットの時も、EU離脱派の人たちはいざ勝ったとなるとオロオロして、ちょっと言い過ぎたと撤回するような動きもありましたよね。

ただ一方で、ポピュリズムの具体的な攻撃の対象が難民だったりすると、人権を侵害され、国を追い出されてしまう人も実際に出てくるので、これは長期的に見るのか、それとも個別に見るのかで随分と映る背景が変わりそうですね。

水島 そのとおりで、実際に難民を多く受け入れたドイツでは、難民キャンプ襲撃など様々な問題が起きていますね。ただ、ポピュリズム政党がなければそういった問題が起きなかったのかというと、そう単純ではないでしょう。いずれにせよ、遠藤先生がおっしゃるように、そのようなポピュリズム政党が社会の主流を占めるに至ったとき、むしろ難民や移民を差別する見方が当たり前になってしまうとなると、やはり大きなリスクを抱えていると思いますね。

荻上 今後のヨーロッパのポピュリズムの動きについて、遠藤さんはどのようにご覧になっていますか。

遠藤 非常に懸念しています。3月のオランダ、4、5月のフランス、その辺りでポピュリズム勢力が伸長するのがほとんど確実視されているのです。これが、戦後ヨーロッパの内外政の構造を根底から揺り動かすようなことになるのかどうか、注視しているところです。

また、ポピュリズムが政治を活性化する場合にも課題は残ります。それは、ポピュリズムの躍進によって、政治とグローバル化の乖離がますます進んでしまうのではないかという問題です。手つかずのままグローバル化が残され、ポピュリズムがそれに手をかけられずに無力に終わってしまう。トランプ政権が典型的ですが、富裕層を偏重する軍人とウォールストリートの人たちは、グローバル化の本丸である資本移動の自由化にはまったく手を付けないと予想されるからです。そうなると、あれだけグローバル化批判をしたのですが、数年後には政策的に行き詰まって期待はずれに終わることは目に見えています。

荻上 トランプ氏は、グローバリズムを前提とした上でアメリカに来いと各企業に呼びかけているように感じますよね。

遠藤 ラストベルトの労働者たちが抱いていた夢と、今後の帰結が乖離することを意味していますよね。そこで更なる幻滅を生むのであって、本当に政治の活性化が予定されているのかどうかは相当疑問だと私は思います。

荻上 となると、今後のポピュリズムをどう見ていけば良いのでしょうか。

水島 ポピュリズムを全面的に受け入れることは危険ですが、無視することにもリスクがあります。国によってやり方は違いますが、ある程度、衝撃を受け流していくやり方もあるはずです。先ほどのディナーパーティの例で言えば、泥酔客に寄って行って、「君は何が言いたいのかね」となだめていく方法もあるだろうと。泥酔客を排除しようとして激高されたら、それはそれで厄介です。やはり、知恵を絞って対応しなければなりません。その方法を模索することが、デモクラシーを支えていくすべとなるのかもしれませんね。

荻上 なるほど。今後はトランプ氏やドゥテルテ氏のような国内向けのポピュリストが、国外とのさまざまな約束を破ったり、場合によっては地域の秩序を乱すようなことも起きていくかもしれません。そうした存在に対して、日本はどう向き合っていくべきなのか、これからの大きなテーマになるかと思います。遠藤さん、今年ヨーロッパでは選挙イヤーですが、余波は大きそうですか?

遠藤 大きいだろうと予想しています。ただ核となるドイツの政党政治は比較的安定しておりまして、やはり注目はフランスですね。最近、私は「もしルペ」と言っているのですが、もしも大統領がマリーヌ・ルペン氏になってしまうと、これは相当な激震になると思います。

荻上 もしそうなると、日本にもポピュリズムが感染していく可能性もあるかと思います。水島さんは、今後どこに注目したいとお考えでしょうか。

水島 やはり地方の問題ですね。日本の場合は都市と地方の格差がまだそれほど開いていないのですが、今後はわかりません。イギリスやアメリカの例を見ても、繁栄するグローバルな大都会と、置いてきぼりとなった地方との断絶が、ポピュリズムを支えるひとつの土壌となるのではないでしょうか。

荻上 歴史を参照しながら、より広い見方で考えていきたいですね。遠藤さん、水島さん、ありがとうございました。

プロフィール

遠藤乾政治学者

1966年生まれ。北海道大学法学部卒業。カトリック・ルーヴァン大学修士号、オックスフォード大学博士号。欧州委員会「未来工房」専門調査員、欧州大学院大学ジャン・モネ研究員、米ハーバード法科大学院エミール・ノエル研究員、在台湾国立政治大学客員教授等を歴任。現在、北海道大学大学院法学研究科・公共政策大学院教授。専攻は国際政治、ヨーロッパ政治。著書にThe Presidency of the European Commission under Jacques Delors: The Politics of Shared Leadership (Macmillan, 1999)、『統合の終焉』(岩波書店、2013年、第15回読売吉野作造賞)、編著に『ヨーロッパ統合史』(名古屋大学出版会 2008年)、『EUの規制力』(日本経済評論社2012年)など。

この執筆者の記事

水島治郎ヨーロッパ政治史

千葉大学法政経学部教授(専攻:ヨーロッパ政治史、比較政治)。1967年生まれ。東京大学教養学部卒業、99年、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。ライデン大学客員研究員、甲南大学法学部助教授などを経て現職。主要著書:『ポピュリズムとは何か -民主主義の敵か、改革の希望か』(中公新書)、『反転する福祉国家——オランダモデルの光と影』(岩波書店、第15回損保ジャパン記念財団賞)、編著に『保守の比較政治学 -欧州・日本の保守政党とポピュリズム』(岩波書店)など。

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荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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