2013.04.18

一人一票を実現するための一案 

山口浩 ファィナンス / 経営学

政治 #一票の格差#選挙制度

前回の衆議院総選挙に関して各地で争われていた、いわゆる1票の格差訴訟の高裁判決が相次いで出た。16件すべての判決でいずれも選挙は違憲ないし違憲状態で行われたとするもので、とくに選挙無効まで踏み込んだ厳しい判決が初めて出たのは特筆すべきだろう。政治の怠慢に対し「司法判断の甚だしい軽視」と判決は断じ、「司法の忍耐が限界に達した」とメディアは伝えた。しかし、軽視され、忍耐の限界に達したのはむしろ、自分の1票を軽く扱われてきた有権者だ。

「衆院選訴訟、無効2・違憲12=16訴訟の判決出そろう―最高裁が統一判断へ」(時事通信 2013年3月27日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130327-00000085-jij-soci

2012年衆院選の「1票の格差」をめぐり、全国で起こされた16件の訴訟の判決が27日、出そろった。同日判決の仙台高裁秋田支部は、選挙を違憲と判断し、無効請求は退けた。16件の内訳は「違憲・無効」が2、「違憲」12、「違憲状態」2となり、格差是正を進めなかった国会に極めて厳しい結果となった。

当然、最高裁まで争われるだろうが、上告審判決は年内にも出される見通しらしい。選挙無効と判断するかどうかは別として、厳しい判決にはなると予想されている。まさに「待ったなし」の状況・・・のはずだが、こうした動きに対して、政治家たちの反応は、正直にいって、相変わらずだ。与党が「最優先で成立させる」と合意したいわゆる小選挙区の0増5減案は、すでに上記の判決の中に「必要最小限の改定にとどめようとしたもの」と批判するものがあるほどの、その場しのぎのものだ。

一方、「最優先」とまではいかない対策として、比例区で議論されている定数削減では、少数政党枠なるものが持ち出されてきている。自分たちに有利なように選挙区割をすることを「ゲリマンダー」と呼ぶ、と小学校で習ったような記憶があるが、どう呼ぶかは別として、今回与党が持ちだしてきた案もまた、自分たちの不利にはならないようにという「きめ細かい」配慮に満ちあふれていて、しかもそれを隠そうともしないあたりがなんとも「微笑ましい」。

「衆院選挙制度改革、14日に自民党案 石破氏「公明党が飲めない案出せない」」(産経新聞2013年3月8日)

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130308/stt13030811470002-n1.htm

石破氏は役連後の記者会見で「公明党が飲めない案は出さないだろうと承知している」と述べ、事前に公明党と水面下で調整を図る意向も示唆した。

提案は、比例定数(現行180)を30削減し、一部議席を第2党以下に優先配分する細田氏の「私案」がベースとなる見通し。

これで1票の格差がなくなるのかというと、もちろんそんなことはない。1.998倍、だそうだ。かろうじて2倍を切る、というのは、2倍を切れば違憲とはいわれまいという計算だろうが、今回の高裁判決の中には格差2倍未満でも違憲としたものが複数ある。そもそも、近年の人口動態からみて、次回の国勢調査をベースにすればふたたび2倍を超えるだろうことは容易に予想できる。「とりあえず」の案にしてもこれを出してくるというのは、有権者をなめているといわざるをえない。

「衆院区割り審、改定案を勧告…格差1・998倍」(読売新聞2013年3月28日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130328-00001536-yom-pol

衆院選挙区画定審議会(区割り審、会長・村松岐夫京大名誉教授)は28日、衆院小選挙区のうち、17都県42選挙区の区割り改定案をまとめ、安倍首相に勧告した。

現在の区割りでは最大で2・524倍となっている1選挙区あたりの人口格差(1票の格差)は、改定案では、1・998倍に縮小される。

「<1票の格差>0増5減「直ちに成立させたい」 安倍首相」(毎日新聞2013年3月28日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130328-00000016-mai-pol

安倍晋三首相は28日午前の衆院予算委員会で、昨年12月の衆院選での「1票の格差」をめぐって違憲・無効判決が相次いだことを踏まえ、「こうした状況を一刻も早く解消するため、政府としても努力したい」と表明した。衆院選挙区画定審議会は同日、小選挙区を「0増5減」する区割り改定案を首相に勧告する予定。首相は「法制化して直ちに成立させたい」と述べ、公職選挙法改正案の早期成立に意欲を示した。【小山由宇】

これに対し野党は、与党案は不十分だとして、より抜本的な改革を求めて反対する意向、と報じられている。抜本改革が必要という総論はいいとしても、各論に入るととたんにいつもの党利党略が顔を出すのはやはり鼻白む思いだ。

「与党「0増5減」優先 野党「抜本改革」対案提出へ」(産経新聞2013年3月28日)

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130328/plc13032823580015-n3.htm

政府・与党は28日、衆院選挙区画定審議会(会長・村松岐夫京大名誉教授)の区割り改定案勧告を受け、「一票の格差」を2倍未満に収める小選挙区「0増5減」のための公職選挙法改正案の早期成立を目指す方針を改めて確認した。ただ野党は0増5減の先行処理に対し「不十分だ」と一斉に反発。改正案の国会審議の行方は不透明だ。

「選挙無効」で改革は進むのか

別に政局を予想する術など持ち合わせてはいないが、政治の世界では「とりあえず」はしばしば「これでおしまい」であり、「当分のあいだ」はたいてい「半永久的」になる。これまでのパターンからすると、「より抜本的な改革」を迫る野党とのあいだでぐだぐだの議論が展開され、業を煮やした与党が一部野党などとも組んで与党案を強行可決し、野党がさらに反発してその後の審議が空転し・・・みたいなことをやっているあいだに別の緊急課題が浮上して関心がそれていき、やがて忘れ去られて、強行可決した与党案だけが成果として残る、といった経過をたどりそうな予感がむんむんと漂っている。今回司法は「選挙無効」という新たな領域に踏み込んだわけだが、最高裁がそれを支持するかどうかはわからないし、たとえ無効で確定したとしても、何らかの方法でかいくぐる「妙案」を考えだしてくるかもしれない。

これは単なる与党批判ではない。与野党の立場が変われば主張がそっくり入れ替わるだけで、むしろこれは、野党も含めた国会議員全体の問題だろう。そもそも、政治家に選挙制度を決めさせること自体、まちがいなのではないか、という気になる。現行の選挙システムによって選ばれた政治家たちには、今そこにある問題を解決しようという動機があまりないのだと思う。

この件については、専門家の皆さんがさまざまな意見を出しておられる。これまでも、さまざまな議論がなされてきた。しかし、ときの政権や政治家たちの思惑を超えた知恵が反映されることは、少なくとも短期的には残念ながらあまりなさそうだ。もちろん、これまでそうした専門家の知見が充分に生かされてきた上での現状なのだとしたら、なおさら事態は絶望的だが。

いずれにせよ、少なくとも素人目には、違憲判決で喜んでいられるほど事態は明るくないように思われる。とはいえ、関心が高まっている時期でもあるので、いろいろな議論が行われるのは悪いことではないだろう。というわけで、わたしもひとつ、素人なりの提案をさせてもらいたい。現状では容れられる見込みが低いという点では、わたしの妄言と専門家の意見とのあいだに、さしたるちがいはなかろう。

この意見は、別にわたしが最初の提唱者ではないし独自性があるとも思わない。基本的には、ちょっと考えれば誰でも思いつくような案だが、どうせ0増5減の弥縫策の後は議論が紛糾してそのうち棚上げになるだろう(勝手に決めつけて申し訳ないが)今の方向性よりも、少なくとも「1票の格差」の是正という観点では、はるかにましではないかと個人的には思っている。

政治家の「失業」問題

1票の格差への対策がいつも棚上げになり遅々として進まないのは、露悪的ないい方をすれば、それが個々の議員の地位と生活に直結するからだ。TPP反対論にせよ医薬品ネット販売規制論にせよ(もちろん他にも無数に例がある)、政治関連で議論が紛糾するときはたいてい(そして「○○になったら日本は滅びる」といったおどろおどろしい表現が使われるときは必ず)、関係者の地位やら生活やらが脅かされるという懸念が人々を突き動かしている。

選挙制度改定や選挙区割変更の場合は、主に人口が減少している地域で、当該選挙区の議員定数を減らされたり選挙区が統合されたりして、ポストを失うことをおそれる議員が反対する。その議員を抱える政党も、自党の議席数が減ることは困る(政党助成金が減ってしまう!)から同じ動機を持つが、同じ改定や変更が逆の影響をもたらすこともありうるから、正味で議席数が増える見込みがあれば、そこは損得計算の問題となる。改革を阻むのは関係者の失業問題、という構図は、産業界と基本的に変わるところはない。表だってはいいにくいが、誰もがわかっている話だ。

それが悪い、といいたいわけではない。わたしたちが今送っている豊かな生活は、さまざまな領域の数多くの人々の努力とその微妙なバランスの上に成り立っている。考えなしにそのバランスを崩せば、望ましくない影響が出るのは当然だ。社会を支える役割を果たしている人々が、それを維持できるようにすること自体は、社会を維持していくためにも、それなりに意味がある。そもそもわたしたちの社会は、おおざっぱにいえば、利害関係者が声をあげ、そのバランスをとるというかたちで運営されているのだ。

もちろん、一部の人々の反対のために多数の利益が損なわれる状況があれば、それはやはり望ましくないわけだが、だからといって、反対している人たちを「抵抗勢力」と呼んで非難すれば解決するという話でもない。どうすればそれが問題でなくなるかを考える方が生産的というものだろう。

1票の格差問題と選挙制度を切り離す

以上を前提とすれば、対策の方向性が見えてくる。問題は、1票の重みの格差と選挙制度や選挙区割が結びついていることから発生しているのであるから、それらを切り離せばいいのだ。前者は主に有権者の権利の問題であり、後者は主に議員たちの問題である。つまりこの問題は、「依頼人」たる有権者とその「代理人」たる議員たちとの利害の食い違いであるわけだが、この両者は必ずしも絶対不可分のものではない。1票の重みの格差是正を行っても、議員が「失業」しないようにすれば、彼らが反対する理由はなくなりはしないだろうが、小さくはなる。

ではどうすれば切り離せるのか。

1票の格差は、端的にいえば、議員1人あたりの有権者数の比でとらえられている。当該選挙区内の有権者数を議員定数で割った数が選挙区によってちがうことが格差として認識されるわけだ。有権者数40万人の選挙区で1人の議員を送り出している有権者からみれば、有権者数20万人の選挙区で同じ1人の議員を送り出している有権者の票は2倍の重みがあるようにみえる。

しかし議員定数が1票の格差、すなわち有権者間の不公平に直結しているのは、そこにひとつ、暗黙の前提条件があるからだ。それは、結果として選ばれた議員の議席、言い換えれば議場で各議員が持つ投票権が1人1票で固定されているということ。つまり、わたしたち有権者のあいだで1票の重みに格差があるのは、国会における議員の1票の重みが同じに設定されているからだ、ということができる。

もしこれが動かせるとすれば、話はまったくちがってくる。議員が議場で持つ投票権の重みに差をつけ、有権者のあいだで生じている「格差」を打ち消すように設定すれば、結果として有権者のあいだの1票の重みの差は実質的に解消することができる。有権者数の少ない選挙区から選出された議員の投票権をその分だけ軽く、有権者数の多い選挙区から選出された議員の投票権その分だけ重くするわけだ。

荒唐無稽な数字の遊びのように思われるかもしれないが、同じことをこう表現するともう少しわかりやすくなるだろう。議員は、その選挙区内の有権者数と同じ重みの票数を「預かり票」として議場で行使する、と考えるのだ。たとえば衆議院小選挙区で、有権者が20万人の選挙区から選ばれた議員は20万票、40万人の選挙区から選ばれた議員は40万票を有権者から預かっている。2人区ならその半分。小選挙区選出の全議員の「預かり票」を集めれば全有権者数に一致することになる。「預かり票」、つまりわたしたちが議員に託した1票1票は、それぞれすべて1票として同じ重みをもって、議会での意思決定に反映される。議員を、有権者が託した票を行使する代理人だととらえれば、自然に出てくる発想だと思う。

衆議院も参議院も、選挙区制と比例代表制の2通りの選挙を行っている。上記の考え方は、基本的には選挙区制の選挙にあてはまるものではあるが、地域ごとに分かれている衆議院比例区にも適用できるだろう。一般に比例代表選挙では、1票の格差が問題になることはあまりないが、これは基本的に程度問題だ。全国区でなければ、議員定数が選挙区内の有権者数の比と完全には一致しない以上、1票の格差自体は小さいが存在する。

この場合、小選挙区選出の議員定数より比例区選出の議員定数の方が少ないので、計算上、議員1人あたりの有権者数平均は比例区選出の議員の方が多いだろう。したがって、この考え方を小選挙区と比例区の双方に適用する場合、小選挙区選出の議員が持つ1票と比例区選出の議員が持つ1票の価値のバランスをとる必要はあろう。

計算は省略するが、難しい調整ではない。比例代表選挙である党に投じられた票を同じ党内の議員にどう配分するかという問題もあろうが、これは各政党に任せてもよいのではないか。政党間で得票数に応じた投票権が配分されていれば、それを党の中でどう配分するかは、1票の格差という観点からすれば正直あまり大きな話ではない(比例区選出の議員が離党したらどうなる、という課題はあって、少なくとも拘束名簿方式である衆議院の場合は離党したら失職するのがスジではないかと個人的には思うが、それはまた別の問題だ)。

1票の格差を議員の問題へ

このような決め方の利点は、選挙制度や選挙区割をどのように決めようが、それと関係なく、1票の格差を完全に解消することができるということだ。選挙区割を決めるにあたっては、たとえば地方自治体単位など行政上の区割りや地域コミュニティなど、さまざまな要素の考慮が必要とされている。憲法では国会議員は全国民を代表するものと明記されているが、それはそれとして、自らの「地盤」が変更されれば地元有権者との人間関係をいちから作り直さないといけないから議員として困る、というのも実際問題として理解できる。

だからこそ、この両者を切り離してはどうかという案になるわけだ。1票の格差問題と選挙制度や選挙区割を切り離せば、議員たちが自らの「失業」をおそれる必要は、少なくとも当面はなくなる。結果として、1票の格差是正は議会の手から離れて迅速に行われるようになり、選挙制度や選挙区割という名目で、実質的には議員失業問題に議会の貴重な時間を割く必要もなくなるのではないか。もちろん選挙制度や選挙区割について意味のある議論もあるだろうから、それは議会や学界で、とことん時間をかけてやればいい。1人1票は、それらとは基本的に切り離せるように思う。

とはいえ、議会で他の議員より小さな議決権しかもてない議員は、それを不満に思うかもしれない。しかし、ここがもうひとつのポイントだ。ここで彼らは初めて、「1票の格差」を他人である有権者ではなく、自分たち自身の問題として認識することになる。言い換えれば、この案は、1票の格差問題を、選挙時の有権者間の地位の格差から、議会における議員間の地位の格差に転換することによって、議員たちに自ら事態を改善するインセンティブを与えようというものだ。

1票以下の投票権しか持たない議員が他の議員と同等の地位を欲すれば、選挙区割などを変え、より多くの有権者を代表するようにならなければならない。逆に、地域代表として地元の声をきめ細かく国政の場に届けることを選択するというのであれば、小さな選挙区を選択することもありえよう。自ら制度を作ることができる国会にとって、それは総体としての自ら選択するものであって、押し付けられた不平等ではない。政党としても、選挙戦略から議会運営まで、これまでとはちがった対応が求められようから、せっせと考えていただくとよい。

憲法では、国会の議決は「多数決による」と規定されている。これは当然、議員が「1人1票」を持つという想定で書かれたものであろうから、議会における議員の議決権の重みを変えてしまえというここでの案は憲法に反するのではないか、という意見もあるかもしれない。しかし、憲法の解釈には一定の幅があり、立法機関には幅広い裁量の余地が認められている、ということは、1票の格差問題にせよ自衛隊の問題にせよ、数々の裁判で認められてきたことだ。この程度の解釈の自由度は許されてしかるべきだろう。もちろん、国会法や公職選挙法など、関連法令は改正が必要だろうが。

他分野の知見を活かす

上記の通り、1票の格差問題については、専門家の方々のさまざまな議論がある。当然ながら、そうした議論には大きな意義があり、それらは尊重されるべきものと考える。しかし素人目には、それらはえてして、既存の制度の枠内、あるいは過去や外国との比較をしながら制度の微調整を主張するものが多く、専門家としては適切なアプローチなのだろうが、もう少し自由に考えてもいいのではないか、と思わなくもない。この文章は、「部外者」の気楽さゆえに書けているものなので、元より専門家の論考と同列に論じられるべきものではない。

上記の通り、ここに書いた案は、似たようなものを複数見かけた記憶がある。とはいえいずれもアイデアレベルのものであって、それらがどのように発想されたものかはわからない。わたし自身の基本的な発想は、企業統治の分野での知見を政治分野に持ち込んでみたら、というものだ。株式会社の株主総会における議決では、株主の議決権はその頭数ではなく、持株数によって決まる。これを不平等と呼ぶ人はいないだろう。株主から株式を託された運用機関が、数多くの株式を抱えながら1社として1票しか投じられないのであれば、その方が不公平だ。同じように、有権者から票を託された議員は、その託された分に応じて発言権をもってしかるべきだ。

間接民主制も企業統治もいわゆるエージェンシーの問題という点では同じだが、乱暴にいえば、全体として前者は、手書きで名前を書かせる投票用紙に象徴されるように、後者と比べて古めかしいしくみに縛られている部分が少なからずみられるという印象がある。後者とちがって前者は、これまでシステム内部での闘争に明け暮れ、システム間の競争にはあまりさらされてこなかったために、当事者が改善へ向けたモチベーションを持ちにくかったせいなのかもしれない。その意味で、政治領域でのシステムには、企業のしくみや経済システムなどから学べる点が多少なりとあるのではないか、と部外者としては思う。

プロフィール

山口浩ファィナンス / 経営学

1963年生まれ。駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部教授。専門はファイナンス、経営学。コンテンツファイナンス、予測市場、仮想世界の経済等、金融・契約・情報の技術の新たな融合の可能性が目下の研究テーマ。著書に「リスクの正体!―賢いリスクとのつきあい方」(バジリコ)がある。

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