2014.09.29

部落出身者と結婚差別

齋藤直子 部落問題論・家族社会学

社会 #部落#結婚差別

大学の講義で現代の部落問題について話すと、「まだ差別がなくなっていないことに驚いた」、「昔の話だと思っていた」、「もう差別などないと思う」、「高齢者は差別するかもしれないけど若い世代は差別しない」といった反応がある。また、部落問題を知らなかったという学生や、耳にしたことはあるが学校で習った経験は一度もないという学生は、クラスの中の一定の割合を占めている。

一方、少数ではあるが、小・中・高で日常的に部落問題学習(同和教育)を受けてきて、非常に身近な問題だったという学生もいる。とはいえ、年に1回程度、道徳の時間や全校集会で勉強したという学生が割合として一番多い。

生まれ育った地域に被差別部落があるかどうか、地域で部落問題がどれだけ顕在化しているか、行政が問題解決にどれぐらい力を注いでいるか、同和教育をどの程度受けているか、親や周囲の人がどのように伝えていたか、そして本人がどう捉えていたかなどによって、若者の部落問題に関する考え方や知識の程度には、非常に幅がある。

上述の学生たちのように、部落問題は「昔の話」「若い世代は差別しない」と思っている読者もいるかもしれない。では、部落差別は現在もあるのか。残念ながら、ある。

特に、就職と結婚といった人生の転機において、部落差別は顕現するといわれている。これらには「就職差別」「結婚差別」と名前がつけられ、部落問題の解決における重要な課題であると捉えられてきた。採用や結婚の際、興信所・探偵社などを通じて、相手の出身地や国籍などをさぐる「身元調べ」は、驚くべきことに、いまだにビジネスとして成り立つほどの規模でおこなわれている。

そのひとつの例が、2011年11月に発覚した司法書士らによる戸籍謄本等不正取得事件である。発覚の発端になった探偵会社名から「プライム事件」と呼ばれている。この事件は、不正請求された1万件におよぶ戸籍謄本等から得られた情報や、携帯電話会社などの社員から提供された個人情報が、身元調査等に利用されていたというものである。

不正に取得された戸籍謄本等のうち半分程度が部落出身者かどうかの身元調査に利用されていたとされる。26人が逮捕、うち2人が実刑、4人が罰金刑、残りの20名は執行猶予を言い渡された。この事件の存在だけみても、部落差別が「昔の話」ではないことがわかるだろう。

本稿では、結婚差別を例として部落差別の現状について考えていきたい。

統計データからみる結婚差別

まずは統計データから、結婚差別の現状を概観してみよう。2012年の三重県伊賀市の旧同和対策事業指定地域(以下、同和地区とする)の生活実態調査では、同和地区居住者のうち、過去5年に差別を受けた経験のある人は25.7%だった。結婚や恋愛に関する差別に限ると、全体の約1割に被差別経験があった。また、部落差別によって「結婚を意識しながら結婚まで至らなかった」経験は、16歳以上の回答者1444名中125名となっており、全体の8.7%が「破談」を経験している(伊賀市2012)。

次に、部落外の人々の部落に対する忌避意識についてみていこう。2010年大阪府の人権意識調査では、「結婚を考える際に気になること」について聞いており、結婚相手が同和地区出身者かどうかを気にすると答えた人は、20.6%であった(大阪府2011)。5人にひとりが部落に対して忌避意識を持っているのである。

一方、結婚差別は時代を経るごとに解消しつつあるとみなすことができるデータもある。部落出身者同士で結婚する組み合わせよりも、部落出身者と部落外出身者で結婚する組み合わせのほうが、割合が高くなっているのだ。

2000年大阪府同和地区実態調査では、結婚の組み合わせについて質問している。65歳以上では7割以上が部落同士の夫婦であった。40-44歳で、部落同士と部落・部洛外の割合がちょうど半々になる。25-29歳では部落・部落外夫婦が67.4%に対して部落同士夫婦は24.5%になっている(大阪府2001c)。若い世代ほど、部落外の相手との結婚が増加しているのである。

また、最新の調査である「全国部落青年の雇用・生活実態調査」(以下、「部落青年雇用調査」とする)では、青年の両親の組み合わせについてたずねている。「両親とも部落」は29.7%だが、「父のみ部落」24.0%、「母のみ部落」13.7%となっており、このふたつを合わせると37.7%で、部落と部落外の夫婦のほうが多数を占めている。なお、「両親とも部落外」が13.8% であった(無回答18.7%)(内田2012)[*1]。

[*1] この調査は、部落解放同盟中央本部が部落解放・人権研究所に委託し、研究所において組織された「全国部落青年の雇用実態調査研究会」(代表・福原宏幸 大阪市立大学)がおこなった調査である。成果の一部は、「部落における青年の雇用と生活(上)」『部落解放研究』196号(2012年)、および「部落における青年の雇用と生活(下)」同上198号(2013年)で特集されている。なお、研究会のメンバーである福原宏幸・内田龍史・齋藤直子・堤圭史郎・妻木進吾・西田芳正によって一冊の本にまとめられる予定である。

ところが、結婚差別が解消しつつあるとみなすことができるデータがある一方で、それとは反対に、若い世代のほうが結婚差別経験の割合が高いというデータもある。前述の2000年大阪府調査では、結婚に際して差別を経験した人の割合は全体で20.6%であるが、15-39歳の年齢に限ると24.7%になる(大阪府2001c)。この数字からは、むしろ結婚差別が増加しているようにもみえる。

恋愛婚時代の結婚差別

夫婦の組み合わせをみると、結婚差別は解消しつつあるようにみえる。しかし、被差別体験の割合をみると、結婚差別は逆に増加しているようにもみえる。これらは一見すると矛盾しているようだが、日本社会全体における結婚のありかたの変化を反映しているのである。

周知のとおり、戦後の日本社会においては、結婚相手との出会いは見合いから恋愛へと移行した。見合い婚では、部落外出身者の見合い候補から部落出身者をあらかじめ排除することができるので、候補者の選別の過程で差別が生じることになる。

それに対して、恋愛婚が主流の社会では、部落出身者と部落外出身者が自由に出会って恋愛する機会が用意されている。これは大きな変化であったと思われる。

また、1969年に同和対策特別措置法が施行され、日本社会が高度成長期であったこともあいまって、部落出身者の学歴は上昇した(とはいえ、その格差は完全になくなることはなかったのだが)。これらの変化を受けて、部落青年の就職機会も拡大した。そして、高校や大学、一般企業の職場で、部落出身者と部落外出身者が出会い、恋愛する機会も増大した(内田2004)。

その結果、結婚差別に出会う機会も増大したのである。見合い婚では、部落外出身者との結婚から構造的に排除されていたわけだが、逆にいうと、あらかじめ結婚相手のリストから外されているということは、部落出身者ひとりひとりが結婚差別事象に直面する可能性は低くなるのだ。

しかし、部落出身者と部落外出身者が自由に出会い恋愛をするということは、交際に至った後、交際相手やその親から直接的に排除を受ける可能性が生まれてしまうことを意味する。出会うチャンスの増大が、差別体験の増加をうみだしているのである。結婚差別は、恋愛婚の時代にこそ重大な事件としてあらわれるのだ(齋藤2002)。

80年代までの状況を描いた結婚差別のルポルタージュや手記などでは、「社縁」による結婚差別の事例が目立つ。社会の変化を受けて、その時代に頻発した特徴的な事件だったからだろう[*2]。

[*2] 社縁については、岩沢2010を参照。

「例外化」・「脱部落化」による容認

ところで、結婚差別の割合は高いが、部落・部落外夫婦の割合も高くなっている現状から、もうひとつの推論が浮かぶ。結婚差別を受けながらも、なんらかの形で乗り越えて結婚した人々が少なからずいるはずだということだ。おそらく、反対なく結婚したケースや破談に終わったケースよりも、反対を受けながらも乗り越えて結婚したケースのほうがかなり多いのではないか。

聞き取り調査をしてみると、反対する親などと「縁切り」することで結婚する場合もあるが、親が「容認」に転じるというケースが多い(本来、結婚は両性の合意のみに基づくのであるから、親等の容認は必要ないはずなのだが)。あるいは、「縁切り」して結婚した後になって、親がさまざまな条件や理由をつけて容認するという場合もある。

反対していた親が容認に転じた場合であっても、かれらが差別的な態度を克服しているとは限らない。部落出身者を「部落の人にしては、すばらしい人物だ」といって部落の「例外」的な人物とみなしたり、部落出身者を部落から転出させて自分たちのイエの成員にしてしまえば「脱部落化」され部落出身でなくなると考えることで、自らの忌避を正当化したまま結婚を容認できるのだ。

自分の子どもなどが部落出身者と結婚するとき、いくつかの条件をつけることでそれを「許可する」ということがしばしばある。その条件について、筆者は「非告知」・「非居住」・「非運動」・「非出産」に分類した(齋藤2007)。

まず、親せきや知人など周囲の人々に、結婚相手が部落出身であることを知らせてはいけないというものである(「非告知」)。部落出身であることを隠して生きろ、というのだ。部落出身者は、この条件を受け入れて結婚したとしても、自らのルーツを隠し続けなければならない。ルーツを隠すために、自分の親やきょうだいとの交流も制限されてしまう。

次に、結婚したら部落に住居をかまえてはいけないというものである(「非居住」)。部落に住めば、そこに住む家族全員が部落出身者とみなされるから、部落と関わりのない土地で暮らせというのである。

「非運動」は、部落解放運動に参加しないことを要求するものである。部落解放運動だけでなく、例えば、人権センター職員など部落問題にかかわる職業に就かないことや、部落問題学習に取り組まないことなども含まれる。つまり、部落になんらかの関わりを持っていると、部落出身者であることが周りに知られてしまうと考えているのである。

最後の「非出産」は、子どもを産んではならないなど、子どもをめぐる条件である。他にも、産んでもよいが、産まれた子どもは部落外の「イエ」の成員であり、部落とは無関係であると約束させるという条件も含まれる。産まれた子どもは、部落出身の祖父母や親せきとの関わりを奪われてしまうことになる。

これらすべての条件をつきつけられた人もいる。筆者も調査者として参加した2000年大阪府被差別体験調査の事例をみよう(齋藤2007)。

【Aさん 40代 女性】

Aさんは、部落出身の男性と交際していた。Aさんたちは結婚するつもりであったが、Aさんの両親は結婚に反対だった。結婚をめぐって、Aさんと両親は連日のように口論になった。両親は、娘の決意を変えさせることはできないと判断し、そのかわりに4つの条件を与えて結婚を許容した。

A 「じゃあそんなに結婚したいって思うのなら、3つ条件をつけます」って言ったんですよ。で、ひとつは部落解放運動を仕事にしてるので、その仕事を辞めて、全く違う仕事についてください。で、ふたつめは、部落の中に住まないで一般に住んで下さい。で、みっつめが、あなたたちは好きで結婚したからいいけども、自分の孫が差別されるのは見たくないんで子どもは作らないでちょうだいってみっつ言われて。

―― さらに、夫が部落出身であることを周囲には伝えない条件もつけ加えられた。

A 結婚式のときにはね、うちの親戚には部落であるっていうことは今の段階ではね、伏せておいてほしい。やっぱり、まだまだ、いとこたちが結婚をしてない中ではね、迷惑をかけては困るのでそういうことがクリアされるまでは。まあうちの旦那にしたらオルグしたい[*3]っていうのがありますよね、でもそれはちょっと控えてほしいっていうことで、それだけは呑んだんですよ。

[*3] 本来、「オルグ」とは運動団体等に動員することを意味するが、ここでは、Aさんの家族や親戚などに部落問題の理解を深めてほしいといった程度の意味で使われている。

―― 筆者は、結婚差別に関する講演やワークショップの場、聞き取り調査や結婚差別の相談の場面において、これまでの聞き取りから集められた4つの条件について話したり質問することがあるが、実際に結婚差別を受けた方から「これ全部当てはまります」「全部言われました」と返答が返ってくることが少なくない。

では、なぜこれらの結婚の条件が付与されるのだろうか。それは、出身を周囲に隠させたり、他の土地に住まわせたり、極端な場合、子どもを作らせないことなどによって、結婚相手を「脱部落化」させるためなのだ。

これらの条件を受け入れることで、結婚は「許可」されるのだが、部落出身者は自らのルーツから切り離されてしまう。同時に、親などが忌避・差別意識を克服したことの結果ではないことから、結婚した後にも部落出身者に対して差別的な言動が続く場合がある。

こうして、実際のケースをつぶさに調査することによって、部落・部落外夫婦の割合の増加と結婚差別体験の増加が同時に説明できるのである。部落・部洛外夫婦の割合の増加だけでは、部落差別が「なくなったこと」を説明できないことがわかる。

それでは次に、結婚したあとも続く「結婚後差別」についてみていこう。

結婚後差別

部落外出身者たちの忌避的・差別的態度が維持されたまま結婚に至ると、夫婦間あるいは家族のなかで部落差別がおこなわれる可能性が残されてしまう。親等によるいじめや親せき関係からの排除、差別的表現を使ったDVなどである。従来、結婚差別と呼ばれてきたものを「結婚前差別」とするなら、結婚後に家族のなかでおきる差別は「結婚後差別」と呼べるだろう。

前述の2000年大阪府被差別体験調査から、ある部落出身女性の結婚後差別の事例を紹介しよう(齋藤2007)。

【Bさん 30代 女性】

―― Bさんは、部落外出身の男性と結婚を約束していた。だが、男性の両親は結婚に反対した。男性は両親と「縁切り」し、Bさんとの結婚生活を始めた。その後、Bさんの出産を機に、夫の両親から「可哀想やから、入れ」といわれ、夫婦は夫の実家で同居をはじめた。しかし、同居後も夫の両親の差別発言は絶えなかった。のちに、Bさんに対し、夫まで差別発言をするようになった。

B 差別発言みたいなこともするんですよね。「部落民のくせに」とか。なんかこないだも言われたんですよ。真剣に喧嘩してて。で、マジにきれちゃって、私が。カッてきて。(Bさんの母親も、部落外出身の父親から同じように差別発言を受けていたので)「うちのお母さんをこれ以上傷つけるな」、みたいな感じのところがあるんですよ。だから、結構ひどいことを言われたりしたら、があって言い返したりして、それがもとで喧嘩、大喧嘩したり。

―― 差別発言を聞くたびに、部落外出身の父親から差別発言を受けていた部落出身の母親のことを思いだし、夫に強く反発するが、逆に夫の態度もかたくなになり、夫から暴力をふるわれることも度々あった。

本稿ではBさんの例だけしか紹介できないが、他の事例では結婚後差別によって離婚に至ったケースもあった。使い古された表現ではあるが、結婚すること自体はゴールではないのだ。結婚前差別において不問にされた忌避的態度は、結婚後差別に持ち越されてしまうのだ。

恋愛差別

さて、従来の結婚差別を「結婚前差別」とし、その概念では「恋愛結婚時代の結婚差別」の実情を捉えきれないこと、そのために「結婚後差別」という概念が必要であることを述べた。

しかし、結婚前差別よりもさらに前の段階、つまり恋愛関係における部落差別も存在する。ここで、さしあたってそれを「恋愛差別」と名づけておきたい。

近年、若者の雇用が不安定化するなか、正社員同士の社縁婚は衰退している。前述のように、80年代ごろまでの状況を描いた結婚差別の手記やルポでは、社縁による出会いが典型として描かれていた――主人公は部落出身の女性である。高校在学中や企業でOLとして働いているときに、恋をする。恋愛は順調に育ち、ふたりは結婚を決意するが、彼の両親に結婚を反対されてしまう。すでに性的な関係も結んでいた。にもかかわらず、部落差別によって引き裂かれ、愛する恋人に裏切られる。そして、ある例では破れた愛は裁判に発展し、ある例では自死という最悪の事態にいきつく――(宮津 1993)(八木1987)(石飛ほか 1996)(和田1995)。

この時代の恋愛は、「つきあう自由」はあるが、一度交際した相手とは結婚すべきであるとみなされ、「別れる自由」はなかった(山田1996)。したがって、ひとたび結婚差別を受けると、結婚することもできなければ別れることもできずに、まったく身動きがとれない状況に追い込まれた。

一方、最近では「つきあう自由」に加えて「別れる自由」を手に入れて、複数の相手と恋愛をすることができるようになった。別れることの障壁が低くなったので、相手が部落出身であると分かったとき、何らかの理由をつけて交際を絶つことがかつてよりも容易になった。従来なら、よっぽどのことがなければ交際を絶つことができなかったので、相手が急に態度を変えれば、そこに部落差別が関わっていることは想像しやすかった。ところが、別れることの障壁が低くなると、結婚差別による心変わりかどうか見分けることが難しくなる。

上述の「部落青年雇用調査」のヒアリング調査から、この点について語っている事例を紹介しよう。部落差別が原因であると直感的にわかるものの、確かな証拠のない別れを、Bさんは「恋愛差別」という言葉で表現している(齋藤2012)。

【Cさん 20代 男性】

C 恋愛差別があったんですよ、正直。まあこの仕事(部落解放運動団体の職員)ついて、「どういう仕事してんの?」って言われた時に、隠すのもおかしいし。自分がやってることがなんかおかしなこととも思ってないんで、普通にそういうこと伝えてたら、やっぱりなんか徐々に(彼女の態度に)違和感があるというか。たぶんその子はその同推校(同和教育推進校出身)とかでもなかったと思うんで、最初言ったときは、もう「ぽかん」ってかんじやって。なんか聞いたことあるみたいな。「あ、そうなんや」ぐらいやったんですけど、たぶんまあ「親には会われへん」っていうことになって。たぶん親からも言われてたんやろうとも思うんですけど、それでちょっと「会われへん」とか、なかなか変な空気なって。けど、そんなんって、何ていうんですか、証拠がないというか確証がないから。しかも、もう付き合ってる状態やし、結婚とかも別にその時は考えてなかったんで、まあ一個の恋愛の中でそういう差別があった。まあ自分ではねえ、(出身を)言ってからいきなりそんなんなってるから、もう確実やろなあっていうのはあるんですけど。

―― このように、結婚差別事件として表面化しないけれども、恋愛差別を受けて人知れず傷ついている若者も少なくないのである。

間接的結婚差別

最後に、経済状況全体の悪化が部落に住む人びとに対して特に不利に働き、そのことによって恋愛や結婚からますます遠ざかるという、「間接的結婚差別」について論じておきたい。特別措置法の時代には、日本の経済成長、行政の施策、部落解放運動の高揚、「国民的課題」としての企業の取り組み等、さまざまな要因が絡みあって、部落出身者の雇用はかつてよりも安定した。一般の企業に就職したり公務員になるなどして階層上昇を果たして部落から転出していった人々もいる。だが、2002年に同和対策事業が終結して以降、日本社会の経済状況が厳しいこともあいまって、再び部落の不安定化・貧困化が進んでる(妻木2012)(岸2010)。また、結婚差別同様、就職差別もなくなっていない。

特に、男性の場合、雇用の格差によって恋人との出会いにも格差も生まれる(山田2011)。かつては、正社員の男女が社内で「自然に」出会っていたが、雇用の流動化によってそのようなシステムが崩れてしまった。自然な出会いがないのであれば、結婚意欲を持ち「婚活」をおこなう者も出てくるが、男性の場合、結婚意欲が正社員であるかどうかに大きく依存し、婚活行動にも影響を与えている(山田2013)。

「部落青年雇用調査」では、部落青年の非正規雇用比率は男女とも全国の数値よりも高かった(福原2012)。また、「結婚していない理由」をたずねる項目で「結婚のための安定した収入がない」からと回答した人は、男性で45.8%にものぼった。部落青年の雇用の不安定さが結婚の状況にも影響を与えていると考えられる。部落青年の雇用の再不安定化は、家族形成の不安定さにもつながるのである。これは、「直接的な結婚差別」に対して、「間接的な結婚差別」といえるだろう。

さらに、「直接的な結婚差別」と「間接的な結婚差別」とが複合している例もみられる。次に紹介するのは、不安定就労と部落差別の両方によって結婚に反対されたと語っている事例である。

【Dさん 20代 男性】

―― Dさんには、長く交際し結婚を考えている女性がいた。Dさんは一度、都会に出てフリーターを経験し、地元に戻ってきた。そして、いざ結婚をしようとすると、彼女の両親は「あの子との結婚はやめなさい」と言いだした。ふたりで説得を試みようとしたが、途中で彼女の気持ちが「折れ」てしまった。彼女から、Dさんのもとに別れの手紙が届き、交際は終わった。

D 一つ後悔っていうのがあるとしたら、そういう道じゃなくて、高校卒業して、どんな就職先か分からんけど就職して、ダメになった彼女とずっと、○○(地元)にいれたら、ちょっと違ってたかなっていうふうにも思います。結婚できてたんではないかと。向こうの親が認めてくれたというか。自分がまじめに19で就職して、ずっと5年、6年っていう期間を経てなくて、ずっと就職……

―― ある意味、フリーター状態だったんですよね、7年間

D そうです、そうです。非正規でずっと何をしてたんやろっていうふうに、思ってたんじゃないかなと思います。それと自分が部落っていう、この2つがあるんじゃないかなと思うんで。

結婚差別は身近な問題

晩婚化・非婚化とそれに伴う少子化が進行し、若者の結婚をめぐる状況は、もはや社会問題になっているといってよい。政府や研究機関によるアンケートや雑誌等の記事において、若者の結婚に関する意識はくり返し調査・取材されている。

そこでは、結婚相手に「望ましい」条件に関して質問し分析することは非常に重要であるとみなされているが、「忌避される」条件についてはほとんど語られることはない(望ましい条件を持たない人として、暗黙のうちに語られることはあるが)。

あらゆる差別には根拠などなく、部落出身者もまた差別される根拠などない。だが、望ましいとされる条件が欠如している人や、忌避される条件をそなえている人が、結婚を避けられたり反対される場合があるのが現実である。親や周囲の反対によって、自分が選んだ人との結婚を阻まれている人もまた少なくない(国立社会保障人口問題研究所2012)。

また、結婚差別は部落出身者に対してだけではなくて、あらゆるマイノリティに対して起こりうる。自分や身の回りの人に起こる可能性もあり、結婚差別を受ける側でなく差別する側になる可能性もある。結婚差別は身近な問題なのである。

結婚差別が身近な問題であることを感じてもらうために、筆者は講義で、もし何らかの理由で(その理由についても学生に考えてもらっている。部落問題だけでなく、同性婚について書く学生や、刑を終えて出所した人について書く学生もいる)結婚を親や周囲に反対されたとき、自分なら(結婚するつもりがない人は一般論として)どうするか/どうしたらいいかと質問することがある。

学生たちの回答は「なにがなんでも説得する」「親は無視して結婚してしまう」「説得してダメならあきらめる」「親のいうことはたいてい正しいと思うので親に従う」など、多様である。とはいえ、大半はまず説得を試みると答える。

しかし、出生家族への愛着が強く、親やきょうだいの祝福を得ずに創設家族をつくることへのとまどいを隠さない学生も少なくない。結婚差別を克服するほどの意思の強さが自分にはないかもしれないと不安に思う学生もいる。

「ひとりで(あるいはふたりで)悩まないで」というメッセージは、あらゆる人権侵害の被害者に対して、くり返し伝えられてきたメッセージであるが、結婚差別に悩む人に対しても同様のメッセージを送りたいと筆者は考える。

部落出身者への結婚差別の相談を受けているネットワークkakekomi寺という団体がある[*4]。筆者もその一員として、微力ながら結婚差別の相談にあたっている。ほかにも、各地でおこなわれている公的な団体による人権相談があるが、人権問題の中でも特に部落問題を中心に相談を受けている相談窓口がある。

[*4] ネットワークkakekomi寺については、http://rootless.org/kakekomi/を参照。

例えば、大阪府では、大阪府人権協会の相談などがある。これらの相談窓口では結婚差別の相談事例が蓄積されており、同和問題に特化した対処が期待できるだろう。また、小・中・高校時代の担任や大学の指導教官に相談する若者も多い(田中2004)。教師という社会的な立場のある人物が家族に介在することで、話し合いが解決に向かうこともありうる。

また、先述の「部落青年雇用調査」の調査結果によれば、部落の青年たちが結婚差別の悩みを打ち明けやすい相手とは同じ部落の青年であり、部落の青年たちのネットワークづくりが重要であるという意見が多数みられた(齋藤2013)。これまでは、被差別部落という地域ベースでネットワークづくりが可能であったが、現在、部落からの流出層とのつながりをいかに維持するかが青年たちの大きな課題となっている。

おわりに

以上、部落出身者に対する結婚差別の現状を論じてきた。ただ筆者は、部落差別が「いまなお厳しい」ことだけを主張したいわけではない。本稿では、結婚差別の状況を描くために結婚差別の事例を列挙してきたが、このような厳しい実態がすべてではない。

例えば、結婚前差別をした親が、後に部落問題を学ぶようになる例もある。孫の誕生を機に、孫が部落差別される社会を変えたいと、部落問題に強い関心を持つ例もある。また、部落青年のなかには、なんらトラブルなく好きな相手と結婚している例もある。「成功例」は語られることが少ないのである。

ここでひとつ結婚後に親との関係を改善していった事例を紹介したい。最初に紹介したAさんと両親のその後である。結婚の際、厳しい条件を与えた両親であるが、のちに部落問題に関する態度を改めていった。

【Aさん 40代 女性】

―― お父さんはやっぱりまだこだわって?

A そうですね、何にも言わないですけどね。でも母親も、まだまだ意識が薄くって(問題意識が低いので)すごい差別用語とか出てきたら、その度に「お母さん、それはね」って言われて(指摘されるので)、だいぶ意識の中身もすごい変わってきてくれ、「言うたらあかんねんやなあ」とか言ったりとかしてはるんで、ずいぶん変わってくれたかなっとは思いますね。今は部落やからどうやこうや、そういう意識はもうないですね。そりゃあ自分の孫が差別されるっていうのがすごく嫌なんで、そのへんがちょっと心配かなみたいな。

結婚してからはもう、そんなに反対っていうのはなく、両親たち、特に母親とかはもうこっち(部落内にある住居)に遊びにきたりとか、してくれるようにすごくなりました。

―― それは、結婚してから、子どもができてからというのじゃなく…

A 結婚をして特に子どもができて、(結婚前に母親は)「子どもはいらないよ」って言っててんけど、やっぱり私ひとり(っ子)なんで、初めての孫なんで、すごくかわいかったみたいで、その時はやっぱりころっと変わったかなと思うんです。

―― 以上のように、結婚差別についての聞き取り事例を通じて、結婚差別を受けてもそれを乗り越えて結婚に至っている人もいることがわかるし、具体的な乗り越え方を知ることもできる。またそこから、結婚差別に遭遇した人に対して、どのような支援が必要であり可能であるかが見えてくる。結婚差別の事例は、結婚差別にどう対応していけばいいのか、重要なヒントをわれわれに与えてくれる。

【参考文献】

福原宏幸2012「全国部落青年の雇用・生活実態調査(3)就労実態」『部落解放研究』部落解放・人権研究所

伊賀市2012『同和問題解決に向けた生活実態調査報告書』伊賀市

石飛仁・高橋幸春1996『愛が引き裂かれたとき 追跡ルポ・結婚差別』解放出版社

岩澤美帆「職縁結婚の盛衰からみる良縁追求の隘路」2010佐藤・長井・三輪編『結婚の壁』勁草書房

岸政彦2010「貧困という全体性−『複合下層』としての都市型部落から」『現代思想』6月号 青土社

国立社会保障・人口問題研究所 2012『第14回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)−第Ⅱ報告書− わが国独身層の結婚観と家族観』http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/207750.pdf 国立社会保障・人口問題研究所

宮津裕子1993『沈黙せず 手記・結婚差別』解放出版社

内閣府2010『平成22年版 子ども子育て白書』

齋藤直子2002「結婚差別のゆくえ─大阪府『同和問題の解決に向けた実態等調査報告書』調査結果から─」大阪市立大学人権問題研究センター『人権問題研究』第2号

−−−−−−−−2007『被差別部落出身者をめぐる婚姻忌避に関する社会学的研究』博士論文。

−−−−−−−−2013「部落青年の結婚問題 全国部落青年の雇用・生活実態調査から」『部落解放研究』198号

大阪府企画調整部人権室2001a『同和問題の解決に向けた実態等調査報告書(府民意識調査)』大阪府

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−2001b『同和問題の解決に向けた実態等調査報告書(被差別体験調査)』大阪府

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−2001c『同和問題の解決に向けた実態等調査報告書(生活実態調査)』大阪府

大阪府府民文化部人権室2011『人権問題に関する府民意識調査報告書(基本編)』大阪府

田中欣和2004「結婚差別をめぐる相談事例と教材づくりの課題」『結婚差別の現状と啓発への示唆』(社)部落解放・人権研究所

妻木進吾2012「貧困・社会的排除の地域的顕現 : 再不安定化する都市部落」『社会学評論』第62号第4巻

内田龍史2004「通婚と部落差別」『結婚差別の現状と啓発への示唆』(社)部落解放・人権研究所。

−−−−−−−−2012「全国部落青年の雇用・生活実態調査(2)量的データの特徴」『部落解放研究』部落解放・人権研究所

八木荘司1987『原告・宮津裕子』筑摩書房

山田昌弘1996『結婚の社会学』丸善

−−−−−−−−2011「若者の結婚フロセスの実情と家族形成支援の可能性」『結婚・家族形成に関する調査?報告書?平成23年3月?内閣府政策統括官(共生社会政策担当)』

−−−−−−−−2013「婚活の現実と格差 あきらめる男性、疲れる女性」『「婚活」症候群』ディスカバリー携書

和田武広1995『はじけた家族 手記・結婚差別』解放出版社

サムネイル「dark moment on the road」enki22

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プロフィール

齋藤直子部落問題論・家族社会学

大阪市立大学人権問題研究センター特任准教授。奈良女子大学大学院人間文化研究科単元取得退学。博士(学術)。専門は部落問題研究、家族社会学。主な著作に「結婚差別の社会学」勁草書房2017、「結婚差別問題と家族」永田夏来・松木洋人編「入門家族社会学」新泉社2017、「都市型被差別部落への転入と定着 – A地区実態調査から – 」大阪市立大学人権問題研究センター「人権問題研究」第10号2010など。αシノドスで、齋藤直子・絵×岸政彦・文「Yeah!めっちゃ平日」連載中。

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