なぜ若者は遣い潰されるのか――日本のアニメはブラック業界

先月(2015年4月)の末にようやく公表された「アニメーション制作者 実態調査報告書 2015」が大きな反響を呼んでいる。

 

まずNHKニュースで「アニメ若手制作者 平均年収は110万円余」と報じられるや、ネット上で話題になり、その反響の大きさを受けて調査を請け負った日本アニメーター・演出家協会(通称ジャニカ)はこの報告書の公開を早める判断をして、同月29日の日付が変わるのとほぼ同時に公式サイトにアップされた。

 

日本国内でのアニメ労働人口は1万人前後といわれている。文化庁の企画で今から6年前にも同種の調査がなされ、基礎データのいくつかはネット上で公表されてはいたのだが、今回は報告書そのものの無料公開に踏み切ったこともあって、ジャニカ側も想定していなかったほどの反響が今も続いているという。

 

なにしろそこに綴られている労働実態のデータは衝撃的だ。NHKニュースでの取り上げられ方をみれば、アニメがどうやって作られているのか知識がない者でも、この業界がどれほど世の常識からかけ離れた悲惨なものであるかがわかるだろう。

 

すでに話題になっているように、特に衝撃が大きかったのが年間収入。回答者全体でも平均332.8万円と、全国平均値(約414万円)に比べて低い水準にとどまりましたが、さらに就業属性別で見ると、若手の多い「動画」では111.3万円、「第二原画」で112.7万円と、就業属性による収入格差が非常に大きいことが浮き彫りになりました。また、1カ月あたりの作業時間も平均262.7時間と、これも全国平均(168.4時間)を大きく上回っているほか、さらに全体の15.9%が「350時間超」と回答していたことも分かりました。(NHKニュースから)

 

何より衝撃的なのは、この報告書の後半を占める、アニメ労働者たちの生の声だ。いきなり「アニメ業界は一度滅びたほうが良い」という声に始まって、結婚したくてもできない、老いた親の面倒がみられない、子を産み育てる余裕さえない、自分の老後も危うい、等の生々しい本音が、機関銃の乱射のように何十ページも続いていく。まさに阿鼻叫喚だ。

 

一方で「アニメーター『年収110万円』報道はウソ? 平均333万円、最頻値は400万円だった」という報道がされ、ネット上でも「食べていけないというが、よく報告書を読んだら、キャリアを積めばそれなりの年収になっていくじゃないか」という反応があった。

 

さらにはこの調査報告書の責任者がテレビやラジオやツイッター上で「アニメーターは結婚して家庭を持つのも大変ではないか? の問いにはなるほど世間はそう感じるのか、と思う。それは職業ではなく個人の資質の問題だろう。現に、都内に戸建てを持ち子供を何人も育て幸せに暮らしてる人がいるかと思えば、独身貴族を貫き海外旅行や趣味を楽しむ人もいる。つまり、ずっと駆け出しのままの年収110万なわけでは無いということ。」と、NHKニュースでの取り上げられ方に異議申し立てするかのような発言を行っている。

 

報告書の阿鼻叫喚とは裏腹のこうした自己弁明的な発言が、当の調査関係者からとびだしてくるのはいったいどういうことなのだろう。

 

 

トリックは「離職率」

 

この調査報告書は、職種や年齢層ごとの調査サンプルが、統計数学で算出される必要数に足りていないことを隠ぺいするためか、まるで異なる職種どうしを同一枠に押しこんで無理やり有意の分析に見せかけたりする等の、粉飾決算めいた小技が目につく。

 

なかでも気になるのは、「離職率」について何の言及もないことだった。

 

関係者を問いただしたところ「今回は現在現役のひとたちを対象にしたアンケート調査だから」ともっともらしい説明をされた。だがそれならそうと一行でも報告書のなかで弁明すべきではなかったか。

 

実はこの「離職率」こそが、問題の調査報告書に仕掛けられた最大のトリックなのである。

 

 

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Wikipediaの「離職率」の項目から引用。労働厚生省が作成した「新規学卒者の離職状況に関する資料一覧」を元にしている。

 

 

離職率とは何か。Wikipediaの簡潔明瞭な説明を引くと「ある時点で仕事に就いていた労働者のうち、一定の期間(たとえば、ひと月、ないし、1年なり3年)のうちに、どれくらいがその仕事を離れたかを比率として表わす指標」のことだ。日本では厚生労働省が毎年調査して、数字を公表している。

 

一番離職率が高いのが「宿泊業、飲食サービス業」で、高卒者だと66.6%、短大等卒だと56.4%、大卒だと51.0%だ。

 

アニメ業界ではどうだろう。

 

驚くなかれ、3年間で90%が去っていくといわれている。

 

歴史ドラマが好きな向きなら、数年前にNHKで放映された『坂の上の雲』をご覧になったことがあるだろう。今から110年前、日本とロシアが中国の海に面した土地で戦った。ロシア側はいくつもの丘を堅固な要塞に作り上げた。いわゆる旅順要塞だ。

 

とりわけ難攻不落を誇ったのが、標高たった203メートルの、通称「二〇三高地」。攻め込んでいく日本の兵たちが、当時の最新兵器・機関銃で血祭りにされていく様が、このドラマでは臨場感たっぷりに再現されていて目を見張らせた。

 

 

二〇三高地全景

二〇三高地全景

 

 

さらにこの二〇三高地攻略戦では、恐ろしいことに自軍の兵たちに向かって日本軍は砲撃を加えるのだ。立てこもるロシア兵の反撃を封じ込めるために地上から「援護砲撃」を加え、そのなかに自軍の兵を突撃させる。そうでもしないともはや残された時間内には落とせないという理由で。

 

アニメの世界に入ってくる若者は、まさにあの二〇三高地に攻め込む兵隊たちに重なる。最終的にこの要塞の山頂は日本陸軍によって奪取され、兵たちは国旗を掲げて万歳を繰り返す。ドラマでも感動的な場面だ。しかしながらその兵たちの足元には、血と肉の破片となった両軍の兵たちの亡骸が広がる……

 

 

屍の山(イラストレーション)

屍の山(イラストレーション)

 

 

先の「現に、都内に戸建てを持ち子供を何人も育て幸せに暮らしてる人がいるかと思えば、独身貴族を貫き海外旅行や趣味を楽しむ人もいる。つまり、ずっと駆け出しのままの年収110万なわけでは無いということ。」という発言のトリックが見えてこないだろうか。

 

ここでいう「幸せに暮らしてる人」とは、二〇三高地の山頂にたどり着くまでに弾に当たらなかった、当たっても致命傷ではなかった幸運な兵たちのことなのだ。または二〇三高地の攻略までに昇格して、敵と味方の両方から降り注ぐ砲弾のなか、兵たちに「いけー!」と号令をかける側になった者たちのことなのである。

 

ちなみにこの攻略戦を含め、旅順要塞を落とすために駆り出された日本兵は合わせて10万人、うち死傷者6万212人、死者1万5千4百余人――

 

 

あのひとたちは「労働者」ではない

 

ところで先に私は「3年間で90%が去っていくといわれている」と述べた。

 

なぜ「いわれている」と、曖昧な言い方をしたのかというと、これまで統計調査がなされたことがないからだ。

 

先ほど引用した各業種での離職率の表は、厚生労働省による調査にもとづいている。このなかで最も離職率が高い、つまり新人が辞めてしまう率が高い「宿泊業、飲食サービス業」でさえ60%前後。アニメが90%だとするならば、なぜこの表に出てこないのか。

 

答えは簡単だ。アニメの世界で働く人々は「労働者」ではないからである。

 

アニメの世界にも様々な職種があって、絵を描く職種に絞ってもいくつも種類があるのだが、ここでは便宜的に「アニメ絵描き」と総称しておく。アニメスタジオの紹介映像で、机を並べてうずくまるようにして絵を描き続けている人々の姿を目にしたことがあるだろう。

 

だがあのひとたちはスタジオの社員ではない。プロ野球選手やお笑い芸人と同じ「個人事業主」(フリーランス)とされている。ひとりひとりがひとり零細企業の社長といえばイメージはつかめるだろうか。

 

全国の労働者平均を大きく上回る労働時間でありながら、法で定められているはずの残業代もなにもつかない。ひどいとやはり法で定められているはずの最低賃金すら大きく下回るにもかかわらず、国の機関が動き出さないのは、このひとたちがスタジオに雇用されているわけではなく、個々が独立した個人事業主という建前だからなのである。

 

労働法の盲点をついたこの就労システムが、どうやって日本で編み出され、すっかりこの業界の基本になってしまったのか、そして労働組合がろくに機能しないでいるのかについては、すでに私の小論「アニメーションという原罪」で論じたので、ここでは取り上げない。話を続けよう。【次ページにつづく】

 

 

 

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