「新型うつ」は若者のわがままか?

新型うつとは何か

 

「新型うつ」と呼ばれるものが、20代から30代の若手社員を中心に増えていると言われています。「新型うつ」の特徴はいくつか挙げられています。

 

たとえば、気分が沈み出社できないが、プライベートでは遊びに出かけているというもの。仕事でうまくいかないことがあると、上司や同僚の責任にするなど他罰的な傾向があるといったものです。「新型うつ」は「現代型うつ」と呼ばれることもあります。

 

まず、指摘しておきたいのは、「新型うつ」という言葉や概念は、病名や診断名といった医学の専門用語ではないことです。2007年ごろからメディアを中心に広まった言葉で、精神科医の香山リカさんが使い始めてから広がっていきました。

 

「増加する新型うつ」といったようなことが言われますが、「新型うつ」の増加を示す調査はありません。病名でも診断名でもないわけですから、調査がされたことがありません。また、この言葉は日本独自のもので、海外では全く使われていません。

 

「うつ病」の一般的によくある言説は、生真面目な人がなりやすいといったものや、一日中、抑うつ気分が続く、やる気が起きないものだろうと思います。「新型うつ」の言説を支持する人たちの中には、こういったうつ病を「従来型うつ」と呼ぶ人もいます。

 

それに対して「新型うつ」は、「わがままで不真面目な人」だとされます。会社を休んでいるのにもかかわらず旅行に行ったり、会社でうまくいかないことを上司や同僚の責任にするなど、非常に不真面目なものとして描かれます。

 

 

「新型うつ」はうつ病の症状そのもの

 

嬉しいことがあると気分が少し高まったり、嫌なことがあると気分が落ち込む症状は「気分反応性」と言われます。気分反応性はうつ病の少なくとも7割に見られることが調査で判明しています。

 

嫌な会社に行けないけども、プライベートでどこかに遊びに行けるというのは、珍しいことではありません。遊びに行けるといっても、うつ病ですから、心の底から楽しいと感じられるわけではなく、実際には、辛うじて出かけられるというというレベルです。

 

また、うつ病他人の責任にしたがる「他罰的な思考」はうつ病ではよく見られるものですし、「新型うつ」によくあるとされている「過眠」や「過食」なども、うつ病の診断基準そのものに含まれているので、これらの症状が「新型うつ」に特徴的なことだとは言えません。

 

ですから、日本で「新型うつ」と呼ばれている人は、欧米では当たり前のようにうつ病とされます。また「新型うつ」は若者に多いとされていますが、そういった関連付けも行われていません。

 

 

若者叩きのための「新型うつ」

 

「新型うつ」の一番の問題点は、若者と結び付けられるということです。最近の若者は不真面目だとか、責任を他人のせいにするといった年長世代の不満は古今東西どこにでもあります。こういった言説のパターンの一つとして「新型うつ」を捉えるのが正確です。

 

先ほども述べたように「新型うつ」の症状は不真面目に描かれます。うつ状態になったとしても同情の余地がありません。

 

会社の中で若手社員がうつ状態になったとします。原因はいろいろ考えられるでしょう。雇用環境が悪いブラック企業なのかもしれませんし、上司がいじめをしているのかもしれません。しかし、そういった就労環境や人間関係を考慮せずに、体調が悪くなったことを個人の責任にするのが「新型うつ」の概念です。

 

しかも、「新型うつ」はわがままな病気なのですから、会社や上司に落ち度があったとしても彼らは免罪されるのです。「新型うつ」は社員を管理する側にとっては非常に使い勝手のよい言葉なのです。

 

社会にあるいろいろな問題を改善しようとせず、「最近の若者はなってない」と結論付けるもの。それが「新型うつ」という言葉の正体だといえます。

 

 

科学的装いを持つ「新型うつ」

 

「新型うつ」は科学的・医学的な装いをしているように見えます。疑似科学と同じ問題を持っています。科学的に見える言葉というのは私たちの判断力を奪う力があります。「科学的に証明されているものだろうから正しいのだ」と。

 

専門的にいえば、「新型うつ」に科学的な根拠はないのですが、精神科医や臨床心理士といった肩書を持った人が主張するとお墨付きが与えられます。

 

医師や大学教授の肩書をもった人間が科学的に効果の示されていないサプリや健康食品を売ったり、広告塔になっていることがありますが、そういったものとよく似た性質があります。

 

一般の人たちは科学的に何が間違いで何が正しいか判断するために論文を読んだり、専門書を読む暇はありませんから、自分で確認をするのは困難です。人によっては「新型うつ」という病気があるのか、と信じてしまうかもしれません。

 

「最近の若者はダメだ」というようなことを日ごろから愚痴ったり毒づいたりしている年長者にとっては「新型うつ」は「我が意を得たり」というところがあるでしょう。

 

 

「新型うつ」を支持する専門家の傾向

 

「新型うつ」には科学的根拠がありません。これは間違いないことなのですが、一部の専門家が「新型うつ」を主張しているのも事実です。そのような主張が生まれ、彼らが確信をもって主張をしている理由について考えてみたいと思います。

 

専門家であるのに勉強不足だと批判をするだけでも良いのかもしれませんが、背景には精神医学という学問がこの半世紀の間に目まぐるしい変化し、科学として確立されていった歴史があります。あまりの急激な進歩に取り残された専門家はたくさんいるのです。

 

「新型うつ」や「現代型うつ」を肯定する専門家には傾向があります。一つは比較的年長世代であるということです。先端の精神医学を学んでいる人が「新型うつ」主張することはまずないでしょう。

 

もう一つの傾向は、精神分析・力動や比較的古い精神病理学を学んでいる人に多いということです。現代的な精神病理学は遺伝研究や脳の画像研究などの成果を取り入れた発展を遂げていますが、そういった病理学は日本ではあまり一般的ではありません。「新型うつ」の概念を広めた香山リカさんも精神分析や精神病碩学が専門です。

 

臨床心理の分野では、フロイトやユングといった一世紀も前の知見を基に精神疾患を理解し、近年の科学的エビデンスに基づいた研究を考慮しない専門家も少なからず存在います。そういった人たちは何十年も前の古典読解はするのでしょうが、最新の統計学が応用された研究や遺伝子研究や脳の画像研究、薬理学の文献は読まない傾向にあります。

 

一般書を書いたり、メディアへの露出をする専門家は精神医学が科学になる前、人文的であったころの精神分析を専門とする人が多い傾向にあります。科学的なエビデンスを考慮しない議論を行うため、「新型うつ」という科学的根拠を欠いた説が支持されるのだと考えられます。

 

 

精神医学におけるパラダイムシフト

 

では、「新型うつ」はなぜ日本で生まれてしまったのでしょうか。ここからは、精神医学の歴史を紐解きながら考えてみたいと思います。

 

精神医学が科学的な学問として確立されるようになったのは、それほど昔のことではありません。1980年に精神医学にパラダイムシフトが起こります。その年に、アメリカ精神医学会によってDSM-III(精神障害の診断と統計マニュアル第3版)という診断基準が発表されました。

 

それ以前には精神医学には、診断に科学的根拠がないという強烈な批判がありました。

 

この批判は2つの問題に集約されます。第一の問題は精神科医によって診断が異なるということでした。2人の精神科医の診断が一致することは稀であり、ほぼ偶然と言っていい一致率の低さだという研究が1949年に発表されています。当時は診断システムが確立されていなかったので、診断が医師によって違うことが日常茶飯事でした。

 

第二の問題は、国によっても診断が異なっていた点です。70年代には統合失調症の診断をめぐって大きな議論が起こりました。医師が統合失調症と診断する範囲がイギリスよりアメリカの方が広いという研究が1972年に発表されました。

 

イギリス人医師は統合失調症と診断する範囲が狭いということは、イギリスでは統合失調症ではなかった人が、アメリカでは統合失調症になってしまうということです。診断はその国の中で影響力のある研究者の見解に沿った形で行われていたと言われています。

 

国によって診断が異なる、そして、医師によっても診断が異なる状況が長く続いていたのです。その時代に診断の「確からしさ」を保障していたのは「医師」という資格や社会的な影響力のある研究者といった社会的な権威でした。いうまでもなく、それは「科学」ではありません。

 

ですから、精神医学を科学として成立させようと動きが70年代のアメリカで盛んになってきました。そういった「資格」や「権威」を根拠にした診断から「科学」によって根拠づけられた診断への転換というパラダイムシフトが1980年に策定・発表されたDSM-IIIという診断基準です。

 

 

DSMの診断方法の特徴

 

DSM-IIIの特徴は「なぜその疾患になったか」という「原因」を不問にするという点に尽きます。これは精神医学の独特な方法ではありません。

 

肺がんを例にしましょう。肺がんの原因の一つとして喫煙があることは広く知られています。疾患を予防するという点では原因を探求することは重要です。

 

しかし、肺がんという診断をする場合に原因は必要ありません。必要になる情報は、画像検査や血液検査、生検、症状の所見といった情報です。肺がんという「状態」を確認するために、いくつかの角度から情報収集することによって、肺がんが確定するのであって、「原因」は関係がないのです。

 

DSM-IIIまでの精神医学では「反応」という概念が重要だと考えられていました。例えば人間関係やストレスによってうつ病になった場合には「反応性うつ病」だとされていました。

 

「内因性」という概念もあり外界の刺激がなくても疾患になる、原因はもともとの気質などに求められるというような意味です。従来の精神医学は、原因によって診断が変わっていたのです。

 

昔は反応性だろうか、それとも内因性だろうかと原因を探って診断していたのですが、DSM-IIIへの診断基準の変更によって、原因は考えずに診断するようにということになったのです。

 

これは、精神医学の診断方法が、他の医学と同じような方法に変更したということなのですが、やり方が変わると反発も起きました。診断基準が変更されても人材は急に変わることがありません。DSM-III以降のDSMへの批判というのは今も根強く行われています。

 

 

うつ病にかかりやすい病前性格

 

精神医学のパラダイムシフトとDSMの改定は世界的な出来事です。この出来事だけでは、日本のみにおいて「新型うつ」という概念が生まれた説明にはなりません。

 

日本独自の言説が生まれた理由は2つあると考えています。

 

第一に日本社会では、精神疾患と社会的な状況の区別を曖昧にして現象を理解するということです。「ひきこもり」などがその代表例ですが、日本では社会現象が精神病理として語られたり、逆に精神病理が社会現象として語られることがあります。精神病理と社会現象の境界が非常に曖昧に認識されているということです。

 

この境界の曖昧さは、精神病理を病というよりも社会や家族の問題だとして取り組むことができる利点がある一方で、「新型うつ」のように労働問題が精神病理として語られる危険性もあります。

 

今回は第二の理由である、「病前性格」という考え方が日本の専門家のあいだで広く共有されている点に注目したいと思います。

 

うつ病の「病前性格」とは、「うつ病になりやすい傾向の性格」のことです。日本の精神科の教科書やうつについての専門書には、うつ病の病前性格としてテレンバッハの「メランコリー親和型性格」という説への言及がされています。メランコリー親和型性格とは几帳面、秩序志向、他者配慮の三つの特徴からなる性格傾向だとされます。

 

テレンバッハの出身地であるドイツでは病前性格の議論がされることがあるようですが、ドイツと日本以外の国では病前性格という考え方が存在しません。現代の精神医学では、うつ病になりやすい性格(パーソナリティ)はないとされており、教科書・専門書にもそういった記述がありません。

 

しかし、現在でも日本の精神科の教科書や専門書には、一部を除いてテレンバッハへの言及が当たり前のように書かれています。

 

病前性格は先ほどの「内因性」の議論と関連があります。病前性格を持った人がうつ病になった場合には、その原因は内因ですから、内因性うつ病になります。疾患の原因を探る旧来の診断でした。そういった考え方が成立するには、うつ病には内因がなくてはありません。

 

ですから「新型うつ」という言葉は登場してから10年も経っていないのですが、考え方は数十年も前のものなのです。

 

日本の専門家・研究者の中には病前性格への批判をしている人もいます。ただ、多くの臨床家が勉強してきた古い教科書には病前性格の説明が載っていることもあり、多くの臨床家は教科書に書いてあることを信じているのが実際です。

 

「新型うつ」のに関する本や論文ではほぼ間違いなくテレンバッハへの言及があります。「うつ病患者は真面目である」という思い込みをもった人たちが、テレンバッハ説に当てはまらない「不真面目な」病前性格をもったケースに直面した時に、「これは新型だ」と感じるようになったのです。

 

精神医学の古い考え方と「若者叩き」が合体し「新型うつ」が生まれました。「堪え性のない、わがままな若者」を古い精神医学の考え方に則って病理化したのが「新型うつ」なのです。【次ページにつづく】

 

 

 

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