2012.08.23

尊厳死法案の問題点 ―― 法律家の立場から

青木志帆 弁護士

社会 #介護#尊厳死#尊厳死法案#終末期#インフォームド・コンセント#介助

今、医師と患者が尊厳死を選択することを保障する法律が国会に提出されようとしています。「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(以下、「尊厳死法案」といいます。)」です。この法案の是非をめぐり、日本尊厳死協会、障害当事者、難病患者、宗教界、法曹界などで激しく議論が交わされています。ただ、この議論が広く一般化されているかというと、必ずしもそうではないように思います。

「生命」を左右する法律であるにもかかわらず、ほとんど注目されずにその採否が決定されてしまうのは、法案の是非にかかわらず問題でしょう。そこで、現在の議論状況を整理した上で、主に法律的な見地から、この法案がどうあるべきなのかについて考えてみたいと思います。

尊厳死法案に関する議論の争点整理

1 尊厳死法案とは

まず、「尊厳死」とは、不治の病で死期が迫っている時に、延命治療を拒否し、自然死を選ぶことです。一番イメージしやすいのは、自発呼吸のない人において、人工呼吸器の装着をしない(延命治療の不開始)、装着している呼吸器のスイッチを切る(延命治療の中止)などの行為です。

では、なぜ尊厳死が法制化されようとしているのでしょう。

これまで、末期患者の人工呼吸器を医師の手で取り外すという行為は、患者本人や家族の同意のもとで行われてきました。ただ、尊厳死を選択するとは、生命の帰趨を決定する行為であること、その運用方法の統一的基準が存在しなかったことなどから、その過程で医師が民事・刑事両面で責任を問われることも何度かありました。このため、尊厳死を支持する人々(主に日本尊厳死協会)は、尊厳死のルール化、法制化を長く求めてきていました。

2007年には、尊厳死を選択する際の最低限のルールとして、厚労省が「終末期医療の決定プロセスに関する指針」というガイドライン(以下、「厚労省ガイドライン」といいます)を発表しました。法律という形式ではないにせよ、これにより尊厳死を選択する際の手続きが明確化され、今に至っています。

現在、国会に提案されようとしている法案の内容は、大要次のようなものです。

《尊厳死法案の内容》

(1)行いうるすべての適切な医療上の措置(栄養補給の処置その他の生命を維持するための措置を含む。)を受けた場合であっても、回復の可能性がなく、かつ、死期が間近である(これを「終末期」といいます。)と判定された患者について、

(2)患者本人が尊厳死を希望するという意思を文書で表示している場合に、

(3)医師は、単に当該患者の生存期間の延長を目的とする医療上の措置(これを「延命措置」といいます。)を中止したり、新たな延命措置をしないことができる。

(4)この法律に基づいて延命措置の中止などをした場合は、民事上、刑事上の責任を問えない。

 およそこのような内容+αのことを、13箇条で定めている、比較的簡単な作りの法律です。

2 問題点

大変重要なことを、13箇条の条文で決めているので、全体的にやや大雑把な感触は否めません。事前に、延命措置を希望しない意思を表明する文書(これを「リビングウィル」といいます。)さえ作成しておけば、現場の複数名の医師の裁量で終末期に入ったと判定され、延命措置をすることなく最期を迎える、ということになりそうです。このため、現在の法律案がそのまま成立した場合、大小多くの問題が発生すると考えられます。ここでは、紙幅の都合上、重要と思われる3点について検討します。

法案の問題点の検討

1 尊厳死に先立つ権利の保障

(1) インフォームド・コンセント

尊厳死とは、リビングウィルによって表明された患者の意思に基づいて行われるのですが、何の情報もなく自分の生命の行く末を決定するわけにはいきません。そこで重要になるのが、患者が、医療者から、自分の病状や治療方針などの治療に関する情報のインフォームド・コンセント(「説明と同意」と和訳されます)を受ける権利の保障です。

無論、インフォームド・コンセントは、終末期の尊厳死を決定する場面だけに必要とされるわけではありません。当然、ありとあらゆる治療を受ける際、患者の権利として、医師から自分の病状や、これから受けようとする治療方法、その危険性などの情報を十分受ける権利がすべての患者にあります。

この点、治療全般に渡るインフォームド・コンセントについては、医療法第1条の4第2項に規定されています。ただ、同法は主語が「医師」の法律であって患者の側から「権利」を定めたものではない上、努力義務を定めたものに過ぎず、患者の権利の観点からは不十分なものである、という評価が一般的です。

これに対し、現在、患者の権利一般について保障する「患者の権利法(医療基本法)」を制定しようとする市民運動がありますが、いまだ結実していません。このように、医療者に対する患者の一般的権利すら法制化されていない段階で、先に「死ぬ権利」を法律で保障することが果たして妥当なのか。十分な情報が権利として保障されない中で、生命の処分に関する真の自己決定が担保できるといえるのかは考える必要があるでしょう。

(2) 24時間介護をはじめとする「生きる権利」の保障

「在宅介護」と「尊厳死」。一見、何の関係もないこの2つの単語ですが、実は極めて密接に関係しています。

尊厳死法案を推進する日本尊厳死協会は、「回復の可能性がなくかつ死期が間近である」状態の典型として、末期の癌など、余命いくばくもない状態のみを想定している、と述べています。しかし、現在の法案が用意した要件だけで「終末期」を定義すると、呼吸器や胃ろうを利用しながら生きておられる重度身体障害者(代表的な例がALSの患者さんです。ALSという疾患については、川口有美子氏の記事 http://synodos-jp/society/1481 をご参照ください。)が含まれます。

すなわち、彼らは呼吸器や胃ろうなどの設備がなければ、現在のところ確実に死に至りますという意味で、「死期が間近である」と言えます。そして、生命を維持することは可能であっても、「回復の可能性」はありません。そうすると、ご本人が「延命措置を希望しない」という意思を表示さえすれば、尊厳死が可能になります。

ここで、ご本人が「呼吸器や胃ろうをつけて生きていきたい。」と思っているのなら、リビングウィルさえ書かなければ、何も問題は発生しません。ところが、ALS患者を取り巻く状況は、そのように簡単ではありません。

寝たきりの状態である上に呼吸器の使用が必須となりますので、常時介護が必要となります。そうなると、一次的に介護の担い手としてあげられるのは、どうしても「家族」ということになります。ところが家族には家族の人生があり、24時間365日その人のために捧げるわけにはいきません。このため、いざ呼吸器をつけるという局面で、医師、家族が「呼吸器がいかにしんどいものであるか」ということを切々と説得し、呼吸器の装着を諦めさせようとする、ということがしばしば発生します。

そのような状況で、「それでも呼吸器をつけてください。」と言える人が、果たして何人いるでしょうか。彼らには、人工呼吸器をつけて「生きる」という選択肢が用意されていないのです。このような説得の末に患者がリビングウィルに署名した場合でも、任意に意思表示したとして扱われますので、問題なく尊厳死を実行できます。

たしかに、この国には、重度障害者に対し、必要に応じて在宅介護を公費で保障する制度は存在します(障害者自立支援法)。それがきちんと機能していれば、家族に過重な負担をかけることなく、ALS患者であっても、地域で自立した生活をおくることができるはずです。

ところが、現状、介護の支給を申請しても、希望通りに支給されることは極めて稀です。財源の問題、他の障害者との公平の問題など、様々な理由をあげて自治体は十分な介護を支給しません。このために、十分な支給量を求めて、全国各地で相次いで裁判になっています。平成24年4月25日には、和歌山地方裁判所で、ALS患者に対して1日21時間以上の介護を支給するよう命じる判決が出されました。この判決が全国の実務に与えた影響は小さくはありませんが、それでも不十分な実務は相変わらずです。そして不足分は、やはり家族の負担として重くのしかかります。

尊厳死法案よりも、日本中のどこであっても、家族の負担なく自由に在宅介護を受けられる社会を構築するほうが先ではないか、という重度身体障害者たちの思いは軽視できません。

2 漠然とした内容

生命を扱う法律である以上、尊厳死が許容される要件は厳格かつ限定的であるべきです。しかし、現在の法案は定義が漠然としていたり、要件間の関係が不明確であったりするなど、実際の適用の場面がイメージしづらい内容となっています。ここでは最も重要な点である「終末期」の定義に絞って検討しましょう。

はじめにご紹介した《尊厳死法案の内容》をごらんください。「終末期」とは、「行いうるすべての適切な医療上の措置を受けた場合」であっても回復可能性がなくて死期が近いことです。ところが、「延命措置」とは、「単に当該患者の生存期間の延長を目的とする医療上の措置」です。では、呼吸困難に陥った患者が人工呼吸器を装着することは、「行いうるすべての適切な医療上の措置」でしょうか、「生存期間の延長を目的とする医療上の措置」でしょうか。

もし前者であるならば、呼吸器はむしろ積極的に装着すべきものであって、間違っても尊厳死選択の場面にしてはならないことになります。後者であるならば、ALS患者がリビングウィルを残した場合、問答無用で尊厳死の対象となるでしょう。ところが、ALS患者のうち、呼吸器をつけながら元気いっぱい生活している人は厳然として存在しています。

要するに、何が「適切な医療上の措置」で、何が「生存期間の延長を目的とする医療上の措置」であるか、その内容は一義的には定まらないのです。そのような曖昧な概念では、要件としての存在意義が乏しいと言わざるを得ません。すると、結局「終末期」とは、「回復の可能性がなく、かつ、死期が間近であると判定された状態にある期間」ということになります。さらに、「死期が間近である」ということは、「回復の可能性がない」わけですから、「回復の可能性がなく」という文言はあってもなくても同じ、ということになります。

このように詰めていくと、結局終末期とは、「死期が間近であること」しか要件としての意味を持たないことになります。これとて、「死期が間近であること」など、だれが、どのように判定するのでしょうか。

「終末期」がどのような状態であるのかが一義的に定まらないということは、運用する側の解釈次第で「終末期」の範囲が広くなったり狭くなったりするおそれがある、ということです。それでは法制化の意味がありません。定義規定は、その法律の適用対象を画定するものですから、一番神経を使わなければならない条文なのです。

3 「法律」とする必要性

そもそも、尊厳死協会が主張する法制化の必要性とは、「厚労省が平成20年に行った国民意識調査では、8割以上の国民が尊厳死に賛成している」ということ、そして「刑事、民事責任に問われることを恐れて、患者が尊厳死を望んでいるのに医師がこれを躊躇する事態を避けること」です。

しかし、法制化への反対は、尊厳死の否定ではありません。現にこれまで厚労省が策定したガイドラインに従って、患者・医師・家族の十全な信頼関係と合意のもと、平穏に尊厳死が行われてきているのですから、前者は法制化の根拠になりません。また、後者についても、実際にそのような事態が発生しているのであればきちんとそのような事例が具体的に紹介されるべきでしょう。

現在のところ、ALS患者が呼吸器をつけたくとも介護不足で断念せざるを得ない、という事例は山のように聞きますが、リビングウィルを残し、本人が尊厳死を希望しているのにそれが実現されていない、という報告はあまり聞きません。逆に、尊厳死協会がリビングウィルを推奨した結果、遺族の9割が「最期の医療に生かされた」と回答していると、尊厳死協会自身が宣伝しています(*1) 。このように、ガイドラインを運用する方法での安全な尊厳死を実現に、尊厳死協会は非常に大きく寄与していると思います。

以上のような現状であっても、あえて今、無理をして尊厳死法を定めなければならないのか、若干の疑問はあります。もしどうしても「法律」という形で規律されることが必要なのであれば、さらに具体的に必要性が示されるべきでしょう。

(*1)日本尊厳死協会会報No145「2011年ご遺族アンケート」(2012年4月1日発行)

おわりに

尊厳死法案に反対するということは、尊厳死そのものを否定するものではありません。ですので、この議論を「尊厳死の是非」と捉えるのは誤りです。

現在のところ、厚労省ガイドラインが適切に運用されており、またそれによって大きな問題が発生しているように見えません。尊厳死協会の推奨するリビングウィルと、厚労省ガイドラインが推奨する医療者との話し合いに基づけば、今でも十分納得の行く最期をむかえられるはずです。

もしあえてさらに一歩進んで法律まで進化させるのであれば、乗り越えなければならないハードルが大量に発生します。少なくとも、現在の法案ではそのハードルを克服できているとは言いがたいのではないかと思います。

プロフィール

青木志帆弁護士

大阪府生まれ。弁護士。弁護士法人青空尼崎あおぞら法律事務所(兵庫県弁護士会)、「日弁連人権擁護委員会障害のある人に対する差別を禁止する法律に関する特別部会」、「介護保障を考える弁護士と障害者の会全国ネット」所属。障害者自立支援法違憲訴訟弁護団、和歌山石田訴訟弁護団、和歌山ALS訴訟弁護団などに参加。自身が難病(間脳下垂体機能障害)当事者である縁から、 難病をはじめとする「見えない障害」を啓発するポータルサイト「わたしのフクシ。」にてコラムを執筆。

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