初詣は新しい参詣スタイル!?――鉄道が生んだ伝統行事

はじめに

 

初詣と言えば一般的には古くから続く“伝統”のようにイメージされている。ところが、初詣は明治以降に鉄道と深く関わりながら成立した意外にも近代的な参詣行事である。

 

筆者はこれまで初詣の近代史を掘り起し、『鉄道が変えた社寺参詣』(交通新聞社新書、2012年)と『初詣の社会史』(東京大学出版会、2015年)の二著にまとめた。以下、拙著の内容紹介もかねて初詣の成立過程について述べてみたい。

 

 

古い俳句には「初詣」が出てこない

 

小説家・俳人の高桑義生は「俳句に見る初詣と初午」と題したエッセイ(『朱』第8号、1969年)のなかで、次のような指摘をしている。

 

「意外なことに古句には初詣の作品がない」

 

高桑は次のように説明する。古句には、恵方詣はみられるのだが、「古歳時記をひもといても初詣の季語すら無い」。つまり、現代では当たり前のように用いられている「初詣」という季語が昔の俳句の世界にまったくみられないということに高桑は気づき、「意外なこと」と記したのである。

 

それでは、「初詣」という季語はいつ登場したのだろうか。明治以降の季語について調査した研究(橋本直「近代季語についての報告(2)秋季・新年編」『中央大学大学院研究年報』第31号、2001年)によると、「初詣」が俳句の世界に初めて登場するのは1908年である。

 

ただし、歳時記で「初詣」と立項されているだけで「初詣」を含む例句は示されておらず、「初詣」を詠んだ俳句が多く登場するのは大正時代以降のことであるという。つまり「初詣」は、俳句の世界ではたかだか100年程度の歴史しかもっていない“新参者”の季語なのである。これはいったいどういうわけなのだろうか。

 

 

「初詣」の初出

 

結論から言えば、初詣とは鉄道の誕生と深く関わりながら明治中期に成立した近代の新しい参詣スタイルである。その成立からしばらくたった明治末期になって、後を追うように俳句の世界で「初詣」という季語が登場したのである。

 

それでは、季語に限らず「初詣」という言葉そのものが登場したのはいつなのだろうか。筆者がこれまで調べた範囲では、次の1885年の新聞記事が「初詣」の初出である(図1)。

 

「新橋横浜間の汽車ハ急行列車の分ハ平生ハ川崎駅へ停車せざれど、昨日より三ヶ日ハ川崎大師へ初詣の人も多かるべきなれば、夫等の便利のために特に停車せらるゝこととなりしとぞ」(『東京日日新聞』1885年1月2日)

 

1872年、新橋~横浜間に日本最初の鉄道路線が開業し、その途中に川崎停車場が設けられたことによって、東京から鉄道を利用して川崎大師に参詣することが可能となった。そして、この川崎大師こそが初詣の成立の端緒をなすこととなる。それはなぜだったのか。

 

 

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図1「初詣」の初出(『東京日日新聞』1885年1月2日)

 

 

「初詣」の中身の曖昧さ

 

ここで確認しておかなければならないのが、「初詣」の中身の曖昧さである。

 

もともと江戸時代の社寺参詣には「いつ」「どこに」お詣りすべきかについて細かいルールがあり、このルールにもとづいて参詣をすることで御利益を授かることができると考えられていた。

 

この慣習に従えば、大師の縁日は21日なので、川崎大師は元日ではなく初縁日である1月21日に参拝するのが順当ということになる(なお、東京では1872年の改暦にともなう縁日の新暦への移行は比較的スムーズであった)。

 

一方で、もし元日に川崎大師に参詣するとすれば、基本的にそれは恵方詣としての参詣であった。恵方詣とは、居住地からみて恵方に当たる方角に位置する社寺に元日に参詣するというものである。ただし、恵方は5年周期で毎年変わる(注)。つまり、川崎大師が毎年元日に恵方詣で賑わうということはあり得ない。

 

(注)恵方とはその年の歳徳神がいるとされる方角のことで、「寅卯→申酉→巳午→亥子→巳午」の順に5年周期で毎年変わる。川崎大師は東京から巳午(ほぼ南南東)の方角に当たるとされていたので、川崎大師が東京から恵方に当たるのは5年に2回となる。

 

このような江戸の正月参詣のあり方と比較してみると、現在行われている初詣には「いつ」「どこに」に関する細かいルールがないことに気づく。

 

「いつ」については、多くの人々が休み日となる元日(あるいは三が日)に賑わいが集中しているものの、4日以降にお詣りしたら初詣ではない、というわけでもなかろう(たとえば神田明神では仕事始め当日に多くの企業が団体参拝する形の初詣が恒例となっている)。

 

一方、「どこに」については、神社仏閣であればどこでもOKという感覚だろう。近所の氏神でも、明治神宮、成田山、川崎大師のような有名どころでも、神社仏閣であればどこへお参りに行っても「初詣」なのである(注)。

 

(注)「注」というよりは「余談」になってしまうが、1982年12月26日付の『読売新聞』に東京サマーランド(東京都あきる野市のテーマパーク)が「アラレちゃん神社に初詣」とうたった広告を掲載している。筆者の世代には馴染み深い漫画キャラクターであるアラレちゃんが和服姿で「アラレ神社で初詣!! みんなで来てチョ!」と呼びかけており、これをみた筆者は「これも初詣なのか……」としばし唖然としてしまった。著作権の関係でここにその広告を掲載できないのが残念である。

 

 つまり、「いつ」「どこに」に関する細かいルールがあった江戸時代の正月参詣と異なり、現代の初詣は「正月にどこかの神社仏閣にお詣りする」という程度のきわめて曖昧な中身しかない行事なのである。なぜこのような中身のあやふやな行事が成立したのであろうか。

 

 

「鉄道(ハレの乗りもの)+郊外散策」という行楽的魅力

 

前に述べたように、川崎大師は日本最初の鉄道路線に設けられた停車場のおかげで鉄道によるアクセスを得たが、そうは言っても、縁日や恵方といった江戸時代以来のルールが守られているかぎりは、中身が曖昧な「初詣」のスタイルは生じえなかったはずである。

 

ところが、明治中期になると、川崎大師は今日と同じように(初縁日にも恵方にも関係なく)毎年元日に参拝客がつめかけるようになり、それが「初詣」と称されるようになった。

 

この変化の要因を端的に示す新聞記事がある。この記事は東京およびその周辺の元日の参詣の賑わいを報じているのだが、そこには「川崎大師がちよツと汽車にも乗れぶらぶら歩きも出来のん気にして至極妙なりと参詣に出向きたるも多くありし」(『東京朝日新聞』1891年1月3日)とある。

 

つまり、汽車に乗れて手軽に郊外散策を楽しめるという川崎大師特有の行楽的魅力にひきつけられた人々が、従来のルールを気にせずに正月休みに参詣につめかけるようになったのである。もっとも、この魅力が当時の人々にとってどれほど格別なものだったのかを現代人が理解するのはおそらく容易ではない。以下で補足説明しておこう。

 

現代では鉄道を日常的に利用するのはごく当たり前のことだが、明治期には鉄道による通勤・通学はまだ広く定着してはおらず、多くの人々にとって、汽車は特定のハレの日にだけ利用できる乗り物であった。つまり「ちよツと汽車にも乗れ」ることが、現代で言えば有名テーマパークのアトラクションにも匹敵するほどの非日常的な魅力をもった時代だった。

 

また、「此日ハ風もなくいと麗らかに大師河原の長堤景色最も好く三四月の頃郊外漫歩の心地しけり」(『読売新聞』1893年1月3日)という新聞記事も示すように、当時の川崎大師周辺は都会の喧騒から離れてのんびりと「郊外漫歩」を満喫できる場所であった。

 

すでに江戸の人々ですら都会の人ごみから離れた郊外での散策に魅力を感じていたほどだから(鈴木章生「名所記にみる江戸周辺寺社への関心と参詣」、地方史研究協議会編『都市周辺の地方史』雄山閣、1990年)、東京が近代化とともに喧騒を増していけばいくほど、この都市に住む人々にとって郊外散策はレクリエイションとしての重要性を増していくことになった。

 

そして、明治中期(明治20年前後)は、元日の川崎大師参詣のための臨時列車が毎年運行されるようになるとともに、参詣客を受け入れる川崎大師の側でも、川崎停車場からこの仏閣に至る新道を開通させ、桜の木を植えて風情を出すなどして環境整備に努めるようになった。つまり、「ちよツと汽車にも乗れぶらぶら歩きも出来」るという川崎大師の魅力が飛躍的に充実した時期だったのである。

 

さらには、1899年に関東最初の電気鉄道である大師電鉄が川崎停車場近くの六郷橋と川崎大師のあいだに開業した。「汽車+電車」を一度にダブルで体験できることが当時の人々にとってどれほど魅力的であったか、現代人にはなかなか想像がつかないだろう。

 

小括すると、ハレの乗り物(鉄道)と郊外散策をあわせて満喫できるという、川崎大師の(当時では)他に類をみない独特な行楽的魅力にひきつけられて、多くの人々が初縁日や恵方といった旧来のルールにこだわらずに正月休みに参詣する形が広がっていった。そして、この新しいスタイルが「初詣」と称されるようになったのである(注)。

 

(注)筆者は大阪における初詣の成立過程についても調査したが、東京とほぼ同様の過程をたどったことを確認している。大阪において初詣が定着する先駆けとなったのは、南郊の住吉神社(現、住吉大社)である。江戸時代以来の正月の同神社への参詣は、その年の最初の卯の日に参詣する「初卯詣」が主流だったが、1885年に関西で初めての私鉄である阪堺鉄道(南海電鉄の前身)が開業すると、その沿線にある住吉神社に「初卯」にこだわらずに正月休みに参詣する形が生まれ、これが「初詣」と呼ばれるようになった。

 

ちなみに、現代メディアでは「初詣は氏神にお参りするのが正しい」などとまことしやかに初詣の「正しいルール」について説く専門家(と称する人々)が散見される。

 

しかし、もし仮に成立当初のあり方を忠実に再現するのが「正しい」とすれば、細かいルールにはこだわらず、鉄道を利用して郊外の社寺にお詣りし、ついでに周辺をのんびりと散策することこそが、初詣本来の「正しい」あり方なのだ! 鉄道を利用せねば初詣にあらず! ルールより、レール! ……などと主張するのは、さすがに原理主義的すぎるだろうか。【次ページにつづく】

 

 

 

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