貧困の基準はどこにある?――「貧困女子高生」報道から考える

経済的な理由から専門大学への進学をあきらめた女子高校生が、「現実を変えるために、子どもの貧困は日本にも存在するのだと理解してほしい」とNHKのニュース番組で訴えた。しかし、インタビュー中に映り込んだ彼女の自宅の文房具や、彼女のものと思われるSNSで1000円以上のランチを食べていた様子から「貧困ではない」と判断した人々が、NHKの捏造であると批判。国会議員までもが言及する騒ぎになった。そもそも、「貧困」とはどのような状態を指すのだろうか。その定義ついて、生活困窮者の相談支援に携わるNPO法人もやい理事長大西連さんにお話を伺った。(構成/山本菜々子)

 

 

彼女は貧困じゃない?

 

――今回の騒動では、「放送局の捏造だ」「1000円のランチを食べずに、貯金をしろ」「一度働いて専門学校にいけばいいのでは」「報道に配慮がなかった」など、様々な批判が飛び交いました。その前提に「彼女は貧困ではない」という判断があります。一連の動きについて、大西さんはどう感じましたか?

 

大前提として、「彼女が本当に貧困か」をニュース番組の断片的な情報だけで、判断することはできません。

 

その上で、「彼女は貧困じゃない」と断定していくような批判をみていくと、貧困についての理解が進んでいないこと実感しました。

 

 

――今回「貧乏と貧困は違う」「彼女は貧困ではなく貧乏」 のようなバッシングがありました。「貧困」には定義があるのでしょうか?

 

貧困には、「絶対的貧困」と「相対的貧困」という定義があります。

 

「絶対的貧困」は、ご飯を食べられない、住むところがない、着るものがない、病院にいくことができない、などのすぐさま生存の危機におちいりかねない、この極度の貧困常態のことを指します。多くの方の「貧困」のイメージはこれかもしれません。

 

 

――「痩せた子どもをハゲタカが狙っている写真」のようなイメージが沸いてきます。

 

そうです。「絶対的貧困」は発展途上国での指標として使われます。一方、日本などの先進国では、こういった貧困状態にある人は、生活保護などの制度を使っているのでいない、ということに建前上はなっています。

 

そこで、先進国では「相対的貧困」という概念が使われます。

 

「相対的貧困」はあくまで「相対的」なもので、時代や地域、国によって計算方法は同じでも金額や生活水準は変化します。一般的なのは、OECD(経済協力開発機構)によるものです。「等価可処分所得の中央値の半分未満の割合」(注)という計算方法で算出しています。

 

(注)収入から税金と社会保険料等をひいた可処分所得を世帯人数で合算し、世帯人数の平方根で割って「等価可処分所得」をだす。

 

 

――「等価可処分所得」は「手取り」のようなイメージでしょうか。その中央値の、半分未満の収入であれば「貧困」ということですね。

 

そういうことです。一般的に、1人で生活するより、2人で生活する方がお金がかかりませんから、世帯人数の平方根で割ることになっています。詳しく知りたい人は、厚生労働省の「国民生活基礎調査(貧困率) よくあるご質問」を参照してください。

 

さて、2012年の厚労省国民生活基礎調査によれば、日本で貧困ラインは単身で122万円/年(月に10万円)であり、2人世帯で173万円/年(月に14.4万円)、3人世帯だと211万円/年(月に17.6万円)、4人世帯だと244万円/年(月に20万円)です。

 

 

――単身世帯では「月に10万」が貧困ラインということですが、家賃の高い東京での10万円や、持ち家のある人の10万円、野菜をタダで分けてくれる優しいご近所さんのいる10万円だと、意味が違うように思います。

 

もちろん、同じ金額でも、住んでいる地域(都市と地方)や、数字化できない金銭的以外の資本(人間的なつながりや地域のつながりなど)の違いによって、実際の生活水準は変わってきます。

 

それこそ、単身で貧困ラインの122万円/年(月に10万円)で生活することが難しい人と、そうでない状況の人がいる、ということも事実であると思います。

 

また、「相対的貧困」はあくまで収入をもとにしたものであり、資産は含まれません。極端な話、無収入でも1億円の貯金がある人は一般的には富裕層にはいるかと思いますが、この計算だと貧困ライン以下の等価可処分所得とされてしまいます。

 

「貧困」についての完全な定義や統計の取り方は難しいのですが、おおまかなイメージとしては「相対的貧困」は大きな指標となると考えます。

 

 

――今回の発端になった番組は「子どもの貧困」を取り上げたものでしたが、「子どもの貧困」の定義はあるのでしょうか?

 

「相対的貧困」ライン以下の状態で生活している子ども(17歳以下)を、「子どもの貧困」と定義するのが一般的です。

 

2012年は16.3%の子どもが「貧困」であると公表されました。6人に1人の割合です。また、ひとり親家庭の場合は、54.6%で、OECDのなかでも一番高い子どもの貧困率と言えます。

 

 

OECD「Poverty rate」(2012)より編集部作成https://data.oecd.org/inequality/poverty-rate.htm

OECD「Poverty rate」(2012)より編集部作成https://data.oecd.org/inequality/poverty-rate.htm

 

 

「貧困は○○だと思う」がダメな理由

 

――「こんなにいろいろ買っているから貧困ではない」と議論がありましたよね。その点についてはどう考えていますか?

 

「こんなにいろいろ買っているから……」という議論は、その目的が「その人が貧困かどうか」のジャッジメントを目的としているのであれば、まったくもってナンセンスな問題だと思います。

 

というか、「議論」というのもはばかられる話です。たとえば、生活保護制度などの要件が厳格な制度を申請した人がいたとして、本当にその要件を満たしているかを判断する立場の人が、上記のような評価をしたり、聞き取りをしたり、調査をするのは当たり前のことだと思います。

 

それが仕事ですし、公的機関による公的支出には、法律があり政省令があり、通知があり、運用規則があり、それに基づいて給付やサービスが実施されるからです。そして、そういった公的支援や給付に関しての微妙な判断、すなわち「○○の費用を公費で出してよいか」などの話で議論がおこるのは非常によくわかります。

 

しかし、今回の件は全く違います。「この人が貧困であるかどうか」を、テレビの画面やSNSといった限られた情報で、自分の価値基準で、レッテル張りをしたり、断定をするものでした。【次ページにつづく】

 

 

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