2016.10.18
福島第一原発の廃炉はどうなっているのか?
今、廃炉はどうなっているのか? そこで暮らしている人はどんな生活をしているのか? 福島第一原発の現場に初めて迫った『福島第一原発廃炉図鑑』(著者:開沼博,竜田一人,吉川彰浩)が太田出版より上梓された。7月13日に横浜・さくらWORKSで開催されたトークショー「ラボ図書環オーサートークvol.37『福島第一原発廃炉図鑑~編者の開沼博さんに聞く~廃炉独立調査プロジェクト』」を抄録。(構成/大谷佳名)
廃炉をめぐる「委ねざるをえない感」
開沼 今日は、今年6月に出版した『福島第一原発廃炉図鑑』(太田出版)を中心に、福島第一原発の今についてお話をしていきます。編集に協力していただいた粥川さんにも、後ほどコメンテーターとして登場していただきます。
震災から5年が経ち、民間の立場から福島第一原発の実態を調査することがようやく可能になりました。福島の復興や原発については今でもニュースで報道され、ネットでもさまざまな情報が飛び交っています。
そんな中で、多くの方が「福島の問題はよく分からない」「本当の情報は隠蔽されているんじゃないか」と不安や不満を感じています。確かに事故当初、あるいは事故以前の情報隠蔽等は大きな問題でした。私たちの大きな不安・不満がそこから始まっていることは間違いありません。
しかし、時間がたった現在、私たちの不安・不満の源泉はまた別なところにも存在するようになっています。それは情報過多の問題です。情報過多は、意外にも、情報不足、あるいは情報が無い状態とほぼ同じ状態を作り、私たちが議論し民主的かつ事実にもとづいた判断をしていくための受け皿ができることを遠ざけます。
例えば、「福島第一原発では、いまだに海に大量の汚染水が漏出し続けている」というイメージを持っている方もいるかもしれない。「そのデータは隠蔽されている、加工されているに違いない」と思っている人もいるでしょう。
果たしてそうか。
福島第一原発周辺の海の汚染状況を調べてみると行政や東電、その他、研究機関や市民団体など含めた組織が膨大な情報を公開し続けています。具体的な検証は『福島第一原発廃炉図鑑』にゆずりますが、そのデータをクロスチェックしていけば、「福島第一原発では、いまだに海に大量の汚染水が漏出し続けている」という見方は無理だし、そもそも、データは隠蔽どころか、過剰なほどに存在し、整理されぬままに多くの人に検証され、伝えられることなく放置されていることに気づきます。
「行政・東電が信じられない」とか「アンダーコントロールは嘘だ」と繰り返さずにはいられない、アディクショナルな思想信条を持つことは自由ですが、それならば、他の組織がとっているデータを見て検証すればいい。その前提は既に整っているわけです。
情報と知識は違います。情報があるからといって、それが知識になるかどうかは別。情報が知識として誰にとっても受け取り可能な形に加工されていないのが問題です。まずはそこを繋いでいくために、この本を作りました。
そもそも「3.11後の福島が抱える問題」とは何か。私は2015年3月に刊行した『はじめての福島学』で5年ほどたった時点でわかったことをまとめました。ただ、そこに回収しきれなかった問題もありました。
それは具体的に、大きく二つあります。一つは、3.11から現在に至る福島に存在するさまざまな事実関係から(物理的・社会的な意味で)遠いところに飛んでいってしまっている放射線忌避にまつわる社会問題です。そしてもう一つが、3.11の諸問題のど真ん中にあると言ってよい福島第一原発の廃炉の現場そのものです。
前者の「放射線忌避にまつわる社会問題」について、今でもFacebookやTwitterをみると、「被ばくした子供がバタバタ死んでいる」「中絶・先天性障がいが増えている」「福島ではもう農漁業などやることは許されない」など、事実に基づかず、極めて差別的な話が語られています。放射線が過剰にタブー化されたため、外から見た福島のイメージと現実に大きなギャップができています。
たとえば「福島の避難による人口流出は震災前とくらべてどれくらいなのか?」という問いについての意識調査をすると、20-30%ほどという数字がでます。しかし、実際のデータでは2%です。98%の人たちはそこに暮らしつづけている。イメージと現実に10倍のギャップが有り、その中でデマ・差別が助長される状態が生まれている。
私たちはステレオタイプにとらわれるあまり、事実を理解することなく、知ったつもりになることで思考停止してしまい、実際にそこで起きている新たな問題に目を向けられていない。まず事実を受け止め、そこに存在する問題を正確に把握することから始めなければ、その解決への道は一切開けることはないでしょう。
本日は、もう一つの問題である、「廃炉の問題」についてお話します。先日刊行した『福島第一原発廃炉図鑑』はまさにここに焦点をあてています。改めて言うまでもなく、福島第一原発の廃炉に対しては多くの人が不安・不満を、事故から5年経ったいまでも持っています。その不安・不満の根底にあるのは、「委ねざるをえない感」でしょう。
福島の問題は過剰に科学的で難しい、過剰に政治的で面倒くさいから理解できない。仮に、理解できたとしても、その解決のために自分自身が何をできるのかというとそうでもない。自分の手ではどうにもできない。でも、そこから生まれる危害は自分たちに降りかかってくる。にも関わらず、政府や東電、ゼネコンやメーカーに「委ねざるをえない」。これが「委ねざるをえない感」です。
対処しろと急き立てられつつ、お前は対処するなとも拒絶されるような、ダブルバインド状態とも言い換えることができるでしょう。一般に、人はダブルバインド状態におかれると、妄想にのめりこんだり、過剰反応したり、あるいは理解を諦めたりするわけですが、このような感覚が根底にあるままでは、この問題なかなか解決できません。
そこで、市民の方々が民主的・科学的な議論をするための前提となる“ものさし”を作っていく。そして未来に教訓を残していく。それが今の私たちの課題です。そこで、まずは人々のイメージするズレた福島像とのピントをあわせていこう。本書では福島第一原発の中身に焦点をあて、オンサイト(福島第一原発の構内)そしてオフサイト(その周辺地域)の両方から現場の実態を掘り下げています。
今、廃炉はどうなっている?
開沼 今、廃炉の現場はどうなっているのか。実際にそこで暮らしている人の生活はどうなっているのか。ここからは、福島の現状と廃炉の課題について、データとともに見ていこうと思います。
そもそも「廃炉」とはどのような作業でしょうか。大きく三つのステップからなりたつとご理解頂ければ大丈夫です。「汚染水対策」「燃料取り出し」そして最後に「解体・片付け」、ここまで終えて廃炉の終了といえます。今の状況は、汚染水対策から燃料取り出しへと徐々に重心を移しはじめようというところです。
断続的に伝えられる福島第一原発についてのニュースを聞いているだけでは、細かい情報に振り回されるばかりで全体像を理解できません。これまで、事あるごとに「◯◯が全く稼働しない」「◯◯が破綻した」などとセンセーショナルに報じられてきましたが、結果として状況は大きく変化しています。
そう報じられたものも無事に稼働し、あるいは、破綻したとされたものも代替案が実行され、それなりに進んできているのが現状です。例えば、「ALPS(多核種除去設備)が稼働しない」というニュースが繰り返されたことがありました。そのイメージが強くて「いまもALPSは失敗した」と思っている人がいます。しかし、事実は全く違います。処理すべき汚染水の浄化の大部分の作業が済んで役割を終えようとしているというのが事実です。
そういうオオカミ来たと叫ぶことで注目を集めようとする福島第一原発の語り方は今も続きます。5年たっても、「オオカミが出た」と聞くたびにその都度振り回され続けている人もいるでしょうが、多くの人が、オオカミ少年の話をもう聞かないように、特に気にもしなくなっているのが実状でしょう。オオカミ少年は話を聞いてくれないから、些細な事でも機を見てより大きな声で「オオカミが来た」と叫ぼうとしているというのが現状です。
そういうことを続けることの問題は、本当のオオカミを見誤るようになるということです。オオカミ=残る課題はより見えにくく、複雑に存在するようになっている。その姿を正確に見極める術を私たちは身につけるべきです。
汚染水対策の目的は、「原発の下に流れている地下水に、放射性物質で汚染された水が混ざって海に流れ出ないようにする」「その上で、そもそもの汚染水を減らしていく」ということです。それでは、現在どれくらいの放射性物質が海に流れ出ているのでしょうか。
Q1 1〜4号機付近の港湾の中、放射性物質セシウム137の量が最も多い地点では、1Lあたり何ベクレルほど含まれている?
A1 0.98Bq/L(2016年3月31日発表データ)です。
とは言っても、なかなかイメージがわかないかもしれません。たとえば、福島産の米すべてに対して行っている放射性物質の検査の基準は、1kgあたり100ベクレルです。この基準がどの程度厳格かというと、震災前時点の欧米の基準が1kgあたり1200ベクレル程度でしたので、これに対し、10倍以上厳しい基準にしたものです。
そして、現在のさらにその100分の1くらいの数値まで下がっているのがこの数字です。たしかに、定期的に細かいトラブルがあることは報じられるものの、原発事故直後に比べれば、大量の汚染水が海に漏れで続けているという状況ではないと判断して良い状況です。
とはいえ、汚染水問題の解決には程遠いのも現状です。当面は、原発のなかに、冷却するための水を入れて、循環させ続ける必要があります。では、その水の量がどのくらいか想像できるでしょうか。次の問題です。
Q2 2016年2月現在、福島第一原発1〜3号機の原子炉を冷却するために1時間あたり何m3ほどの水が入れられている?
A2 約15m3(1〜3号機の合計)
いきなり㎥(りゅうべい)と言われても、なかなか想像しにくいかもしれませんが、分かりやすく言えば、縦1m×横1m×高さ2m=2㎥くらいの電話ボックスが7個分くらいです。もちろん少ないというつもりはないですが、巨大な原子炉建屋の大きさに比べれば、大量の水を常に入れ続けないと爆発してしまう、というわけでは必ずしもなくなっている状況です。
とは言え、当然問題がないわけではありません。先に言った通り、問題の重心は「汚染水対策」から「燃料取り出し」へと移りはじめています。
では、燃料取り出しとは何なのか。事故を起こした福島第一原発1-4号機の中にある燃料を取り出すその作業は2つに分けられます。事故時に「使用済み燃料プール」の中に入っていた、溶けていない形状を維持している燃料の取り出しと、原子炉のなかで溶けてしまった「燃料デブリ」の取り出し。この2つです。
この2つの作業が福島第一原発廃炉プロセスの一番の壁です。特に、「使用済み燃料プール」の中の溶けていない燃料よりも、溶けてどろどろになってしまった「燃料デブリ」の取り出しが難関です。さらに、取り出せば終わりではないことも理解しておかなければなりません。
これまでの議論は、あまりにこの点に無自覚でした。これらの燃料を全部、あるいは一部になるのか取り出せたとして、それをどこでどう処理・処分するのか。このことこそが、最後まで残る、極めて難しい課題です。「燃料デブリ」は技術的に難しい、という話ですが、取り出した燃料の処理・処分はそういったプロセスの全体像を見据えて、いまから議論していかなければなりません。
Q3 福島第一原発の廃炉が完全に終わるまでにどのくらいの時間がかかる?
A3 25~35年と言われています。
ただ、これは計画です。何の保証もない。しかし、何の保証もないから無理だ、破綻していると言っていても仕方ない。工程の流れは細かく計画されています。いかにその計画にそって必要な技術を開発し、決めるべきことを決めていけるのか、そこに全力を注げるかどうかでこの問題が早めに片付くのか、だらだら長引くのか決まります。
現時点での終了予定は2041~2051年と予想されています。廃炉を終わらせるためには専門家のコミットメントも重要ですが、その状況を支えていくための世論も必要です。放射性廃棄物の処理をどうするのかという難問をクリアすれば、技術的な面より加速される可能性もあります。
福島第一原発で働く人々
開沼 ただ、こうした問題はなかなか他人事でしかないと感じる方もいると思います。その点で重要なのは、そこにどういった人々の生活、営みがあるのかということです。
今、福島第一原発では一日あたり何人くらいの人が働いているのでしょうか。講演に来てくださった方に聞いてみると、だいたい2000、3000人と、実際より少ない人数を答える人が多いです。報道によって「原発は過酷な労働環境で誰も働きたがらない」というイメージがつくられてきた面もあるのだと考えられます。
Q4 福島第一原発では一日あたり何人くらいの人が働いている?
A4 6000人〜7000人
年齢層は40〜50代が中心で、地元雇用率は40〜50%です。しかし、これから少なくとも25〜35年かかるであろう作業を考えると、重要なのは若い働き手を今から育成していくことです。そして、地域の雇用元として安定させていくことも考えなくてはいけません。
ただ、「そんなこと言っても放射線被ばくのリスクは?」と気になる方が多いでしょう。実際に福島第一原発で働いている方の被ばく量の現状はどのくらいになっているのか。
Q5 廃炉作業に従事している人の被曝量は一ヶ月平均でどれくらい?
A5 0.47mSv(2015年12月の平均線量)
これは、NYと東京を飛行機で2.5往復したのとほぼ同じ数字です。職業被ばくとしては十分ありえる程度の数字です。また、下図の通り、最も被ばく線量の多い作業員の方も10〜20mSv以下の方で全体の0.1%ほどです。90%ほどは1mSv以下であることがわかります。被ばくという点で安全な状態をつくらないと長期的に働ける人を確保しにくくなります。その点でもこのような現状になってきています。
一方で、働いている方にとっての労働上の安全性、快適性の確保という点で、厳しい面は、他にも色々あります。例えば、朝が早いということ。
Q6 一日のうち、福島第一原発構内に最も人がいるのは何時台?
A6 午前9〜10時台
つまり、仕事が始まるのが朝5〜6時、ピークが9〜10時で5000人くらい、その後退勤する人も増えていって17〜18時には落ち着く、という流れです。また、夏場は熱中症のリスクがあるため、日中の作業を制限するなどの改善策も取られています。
周辺地域の人々の生活
開沼 また、オフサイト(福島第一原発の周辺地域)の環境に目を向けることも重要です。例えば、一度は「ここに生活する人は全員避難しろ」という話になった福島第一原発周辺の地域について、現在、24時間切り取ってみると、そこではどれくらいの人数が拠点を置いて生活をしているのでしょうか。
Q7 2016年2月現在、福島第一原発周辺の避難指示を経験した地域に何人の生活(居住&仕事)している?
A7 約3万人
それなりの規模に意外と思うかもしれません。現在、全国には約1700の市区町村があります。その中で3万人規模というのは上から700位台くらい。それなりの人口規模の生活圏が既にそこにはあるわけです。避難から帰還してきた地元住民の方々も年々増えており、福島第一原発から20kmほど離れたところにある広野町、楢葉町、川内村では4579人(2015年末時点)が居住を再開しました。おそらく今年から数年かけて一万人に近づいてくるのではないかと考えられます。
では、先程は働いている方の被ばく量について触れましたが、周辺地域で生活する人の被ばく量はどれくらいでしょうか。
Q8 楢葉町に帰還した人が1年間で追加被ばくする線量(推定値)の平均値は?
A8 0.70mSv
これは、避難指示解除前の数字です。日本に暮らすと私たちは年平均、2.1mSvの被ばくをしています。大雑把に言えば、そのくらいの値に0.7mSv追加して被ばくしている、というイメージを持てばいいです。ただ、この2.1mSvという数字は世界的に見れば低めで、世界を見れば、この数倍、あるいはそれ以上、自然に被ばくをしている人は多くいます。今の時点で避難指示が解除されている地域についてはこれくらいの数字になっているとご理解いただければと思います。
ただ、直近の政府方針によれば、今後は「帰還困難区域」と呼ばれる、より線量の高い地域の避難指示が解除されていく予定です。そうなると、世界的に見ても特異な線量の中で暮らす人も出て来ることは事実です。精神的・身体的な影響については、これまでとはまた違ったケアの仕方を社会的に用意することが必要になるでしょう。冷静に議論していく必要があります。
オフサイトについては「誰も戻りたがらない、人が住むべきではない地域」「3.11以降なにも変わらない風景が広がっている」などと紋切り型な語られ方をさんざんされてきました。実際はそんなことはなく、多くの人がそこで生活をしています。
たとえば元々5500人ほどの住民規模だった広野町には、現時点で住民票ベースで半分ほどの人しか帰還していません。ところが、水道使用量を街全体でみてみると5000〜6000人ほどの人が生活していることが分かります。おかしな話です。しかし、そこに行けば、その裏事情にすぐに気づきます。
つまり、残りの半分は廃炉や除染の作業員の方がここで暮らしているわけです。先程、廃炉の現場で働く方の朝がとても早いという話をしましたが、その意味で、できるだけ福島第一原発に近いところで暮らしたいという人もいて、そういう人がここにいます。
最後に2016年春までに分かっている、事故収束に関する国家予算の概数をみていくと、廃炉に2兆円、賠償に7.1兆円、除染・中間貯蔵に3.6兆円、合計で12.7兆円ほどになります。賠償は支払いの動きがピークを過ぎつつあります。
一方、除染は今後、線量が高く手付かずだった帰還困難区域や、除染が難しい山林に手がつけられることになりますが一定の予算の増加があるでしょう。廃炉も今後の技術開発の必要性等に応じて状況は変わります。
オンサイト/オフサイトを歩く
粥川 はじめまして。ライターで編集者の粥川準二と申します。この「廃炉図鑑」の製作にも少し協力させていただきました。
僕自身は放射能関係のデータはそれなりに知っていたつもりでしたが、本書を読んで改めてオンサイトやオフサイトの現場を把握することができました。どこからでも読める構成になっているので、ニュースで気になったことがあればパッと調べばれるのが良いですよね。文字通り「図鑑」ということで写真やイラストも多く、必要な情報がとてもコンパクトにまとめられているなと感じました。
本の感想はこれくらいにして、ここからは先ほどの開沼さんのお話を補足するような形で、福島を訪問したときの写真とともにお話していきたいと思います。
まず、オフサイトです。これは去年の8月に開沼さんのガイドで福島県の楢葉町を訪れたときの写真です。楢葉町はこの後2015年9月に避難解除されました。
この時点で楢葉町役場の前にはこのような仮設商店街ができており、作業員の方をはじめ多くの方が行き来している様子が伺えました。
新しく進出する民間企業もあり、身近なところでいうと何軒かコンビニができていました(最近はオンサイトにできているようです)。これは浪江町役場前のローソンで、2014年の8月に開店したそうです。
また、周辺の除染作業もなされているようでした。
これは富岡町で撮影した、被ばく線量の記録です。他にもオフサイトにはたくさんのモニタリングポストがあり、リアルタイムの空間線量を知ることができます。ここでは一時間あたり0.28マイクロシーベルトと記されていました。除染目標基準の年間追加被ばく線量である1ミリシーベルトまであと一息というところだったと思います。
次に、オンサイトの方も簡単に見ていきたいと思います。私は開沼さんと一緒に今年の2月にオンサイトに行ってきました。
廃炉の作業員というと、多くの方がイメージするのは全身を覆うタイプのカバーオールの防護服かもしれません。これは一番リスクの高いところに入る時だけです。誤解してほしくないのは、オンサイトのすべてのエリアでこのような防備をしなければいけないのではありません。構内の8割くらいでは一般服での作業が可能のようです(「廃炉図鑑」、176頁参照)。
1〜4号機の中で事故前の姿をとどめているのは2号機です。水素爆発は免れたものの、内部の圧力容器が破損し核燃料が溶け落ちてしまっているようです。今後は燃料取り出しのために上部の解体が予定されているとのことでした。その他、1号機、3号機においても燃料取り出し向けた作業が始められているということでした。(4号機は燃料取り出し完了)。
責任追及か、課題解決か
粥川 こうした福島の現状認識といったときに、私はいつもネット上の反応などを見ていて感じることがあります。福島に限らず、STAP細胞や環境ホルモンの議論などでも同じようなことが言えるかもしれません。
それは「情報が隠蔽されているんだ」「ちゃんと公開しろ」というような責任追及を優先する人々と、課題解決のための現状認識を進めようとする人々との間にすれ違いが起きているのではないか、ということです。
ここで問題なのは、責任追及ばかりを優先すると課題解決のための事実関係が軽視されてしまう恐れがあるということ。逆に言えば責任追及を疎かにすると、それに我慢できない人も出てくるのだと思います。
開沼 ご指摘の点、非常に重要です。福島では誤情報による混乱、デマ・差別の問題など「二次被害」と呼ぶべき問題が具体的に起こり、その被害は深刻化しています。
福島に関する諸問題の解決を遠ざける背景に、「事故検証・問題解決」と「事故責任の追及」とを混同し、特に後者の側に立つならば、事実の誇張、極端な解釈、デマも差別も許されるという態度で議論を意図的に混乱させる者がいまも存在することは間違いありません。「事故検証・問題の解決」と「事故責任の追及」とを明確に区分けしながら議論を進めなければいけません。
福島の問題に関しては、ジャーナリズムが誤報を、アカデミズムがニセ科学をいまでも産み出し続けています。『福島第一原発廃炉図鑑』の中でも、様々な形でその点について具体的な言及をしました。
そのような不健全な状態になった背景には、適当なことを言う少数者が大手を振って歩ける特異な言論環境が存在します。それはいかなるものか。誰かが福島の問題に言及した瞬間、「それは責任追及になっているのか?」という踏み絵を踏まされ、少しでも「責任追及」に不利になりそうな内容が含まれた瞬間、お前は敵である、社会的悪だと吊るし上げられる。
本来の、科学的な合理性や、そこに生きながら何らかの課題を抱えて困っている人にとって意味あることなのかという倫理性の問題ではなく、イデオロギーにもとづいた擬似的な「倫理」の問題に回収されてしまう。自らが正義の側に立っているという責任追及の快楽に酔いしれる特殊な人に議論が独占され、その中で、事実を事実として見ようという人ほど福島のことを議論しなくなってしまうわけです。
いま必要な議論は何か。整理するために、「事故検証・問題の解決」と「事故責任の追及」という軸の他に、もう一つ「上から・外から現場感覚を軽視する」か「下から・内から現場感覚を重視する」かという座標軸を設定する必要があります。
今の状況は、責任追及志向かつ現場感覚がない人々によるデマや差別的な表現が広がっているせいで、そこにある人々の生活や課題解決の知恵がないがしろにされている状況が固定化しています。
しかし、この縦横2本の軸で分けた時に「責任追及・現場感覚軽視」の象限の他に、3つの象限があります。責任追及と現場重視は両立するし、課題解決のために上から・外から大所高所にたった議論をすすめることももっと必要です。
私たちの課題は、これまで不足してきた残りの3つの象限を繋ぎ合わせ、健全な責任追及と課題解決に向けていくことだと思っています。
こうした議論の偏りがなぜ生まれるのか、なぜこれほどまで、福島に関する議論において、「インテリ」や「リベラル」と目されていた人が狂い、差別に加担し、疑義を呈する人や異論を持つ人に対して言論弾圧と言っても過言ではないような言動を続けるのか理解できない、という方もよくいらっしゃいます。背景には、マックス・ウェーバー的な意味での「魔術」的な世界観が蘇ってきていると考えています。
たとえば、近代以前は伝染病が流行ったり天災が起きたりすれば、「神の怒りをかった故のたたりだ」などと魔術的な説明がされてきました。宗教的なと言ってもいいでしょう。それが近代になると、その魔術・宗教的な観点からなされていた説明の役割を学問が塗り替えていきます。不条理を条理として科学の言葉で説明していく、そして合理的な課題解決の選択肢を用意してきた。これが「脱魔術化」のプロセスでした。
しかし今、魔術化が再びリターンしてきているように感じます。科学が高度になりすぎて、多くの人々が「委ねざるをえない」感を抱く。そして昨今のスピリチュアルブームなど、魔術化にもう一回振り子が戻っている。その中で、福島第一原発の事故は起きました。そして、福島をめぐる議論は非常に魔術的に処理されてきました。ここには二つのパニックがあると考えます。
一つは現場をマネジメントする側や専門家サイドが災害の中で、高度に発展した科学とそれが政治・社会に及ぼす影響を制御できなくなり、状況を正確に伝えることができなくなるなど対処不能な状態になっていったという「エリートパニック」です。
そしてもう一つが「モラルパニック」。SNSなどにおける責任追及中毒とも言えるような論争のなかで、魔女狩り的に、とにかく敵と悲劇をでっち上げながら徒党を汲むことで、自らの不安に蓋をしようとする。そのためにはどんなデタラメ話でも饒舌に語り続ける。
これら対立するようで、根底にあるものは通じている双子のパニックが存在し事態を混乱させてきた状況です。
この二つのパニックのなかで、先に述べたとおり、なされるべき議論が活性化されないままに来てしまったのではないでしょうか。冒頭に少しだけ触れた放射線忌避の問題はモラルパニックの最たる象徴ですし、廃炉の問題においてはエリートパニックから始まった不信感が状況をよりややこしくしていると思います。
こうして科学が無効化されていく。そして無効化され魔術的な言葉で語られ、イデオロギー化されてしまう。そのイデオロギーに少なからず含まれる陰謀論と終末論の傾向、グラデーションはあるにせよ、その極論を端的に言うならば「福島は汚染され、そこに生きる人は皆病気になりバタバタと死んでいく。その汚れているはずの福島が復興してしまうと自分たちの理想が成立しないことになって困ってしまう」という傾向をどう乗り越えていくのかが大きな問題だと思います。
福島を語ること
開沼 ここで、会場に来てくださっていた共著者の吉川彰浩さんにもお話をお聞きしたいと思います。吉川さんは、東京電力に14年間勤めており、事故前から福島第一原発、第二原発で働いていました。そしてあの時に帰還困難区域に居住していた住民でもあり、今も避難生活をされています。現在は退職され、廃炉の現状を伝える活動をされています。
吉川 ご紹介ありがとうございます。今日はお客さんの一人として来たので、何も準備していないのですが、お二人のお話を聞いていて感じたことだけお話ししたいと思います。
私は福島第一原発で働いていた経験があります。この本を作った経緯は、「そこで暮らす人間として、より良い未来のために今何ができるか」を考えたからです。しかし、事故を起こした責任追及ばかりが取り上げられてしまうと、放射性廃棄物の量の課題、廃炉の技術的な課題がおざなりになってしまいます。
やはり、いくらアカデミックに解き明かそうとしても、そこに当事者がいなければズレた見方になってしまうんだなと感じました。何か一つに突出して語られていくことは、まさに問題の渦中にある人たちにとっては非常に重苦しい机上の空論に聞こえるのです。
そして、現地で暮らしている住民の立場から一つ言います。私は地域を語るときに、いろんな視点を持ってもらいたいと思います。
津波で大きく壊れた家や、震災から何も変わっていない風景――オフサイトを訪れる多くの方はそうしたところを写真に撮っていきます。他にもいろいろな景色がある中で、悪意がなくとも敢えてそこを選んでしまうわけです。私は、福島で撮られてきた写真を見てもそれが全てだと思わないで欲しいです。また、自分の家の写真が知らないところで共有されているとどんな気持ちになるのか考えてみて欲しいです。住んでいる人々からすると、そこは生活の場であり思い出の場所なんです。
「震災の遺産として瓦礫を残そう」なんて話も聞きますが、私たちは壊れた家は直して、新しい街を作っていきます。だから、写真を撮る側の方ももう少し配慮ができればいいし、地域の人も撮っちゃいけない理由をちゃんと伝えなければいけないと思います。
私も被災者の一人として、時々面倒くさいことを言ってしまうときがあります。「地域の人の思いを知ってほしい」ということを言ったつもりが、相手を傷つけてしまったり。でも本音のお話をすると、震災から5年が経って訪れる人も少なくなり、なんとなく人恋しい気分なんです。だから是非、福島に遊びに来てほしいと思います。
開沼 こちら側もアップデートされていく最新の情報にアクセスできる環境を作っていく、あるいは「福島に来ていいんだよ、語っていいんだよ」という雰囲気を作っていく必要がありますね。
「委ねざるをえない感」を解消していく、その受け皿をつくっていくために、私たちは民間・独立の調査研究プロジェクトを始めました。この本だけでは伝わらないところや最新の情報を発信していけるよう、福島第一原発内部の状況や関係者の言葉、周辺地域で暮らす人々の現状を記録映像として残していこうというプロジェクトです。
現在、その資金調達のためクラウドファウンディング(下記リンク)を行っています。10月19日までです。廃炉の現状を誰でも分かりやすい形で伝え、そこに関わっていく機会をつくることを目指して、今後も取り組んでいこうと思います。
プロフィール
吉川彰浩
1980年茨城県常総市生。高校卒業後、東京電力株式会社に就職し、福島第一原子力発電所、第二原子力発電所に14年間勤務。2012年、福島原子力発電所で従事する方々を外部から支援するため同社を退職。13年「Appreciate FUKUSHIMA Workers」を立ち上げ、「次世代に託せるふるさとを創造する」をモットーに福島第一原子力発電所従事者支援と福島県双葉郡広野町を中心とした復興活動に取り組む。14年11月一般社団法人AWFを立ち上げ、目先の改善ではなく、原発事故後の被災地域を如何に、次世代に責任を持って託すかを模索する団体活動を展開。活動を通じて「廃炉と隣合う暮らしの中で生活根拠」を持てるよう、近くて遠くなった「福島第一原発」を視察という機会を通じて、一般の皆さんと一緒に学ぶ活動や、元社員としての知識を活かし「分かりやすい福島第一原発の廃炉状況」を伝える学習会を行っている。現在も、家族親類を含め原子力事故による避難生活中。
開沼博
1984年福島県いわき市生。立命館大学衣笠総合研究機構特別招聘准教授、東日本国際大学客員教授。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府博士課程在籍。専攻は社会学。著書に『はじめての福島学』(イースト・プレス)、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『フクシマの正義 』(幻冬舎)、『「フクシマ」論』(青土社)など。共著に『地方の論理』(青土社)、『「原発避難」論』(明石書店)など。早稲田大学非常勤講師、読売新聞読書委員、復興庁東日本大震災生活復興プロジェクト委員、福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)ワーキンググループメンバーなどを歴任。現在、福島大学客員研究員、Yahoo!基金評議委員、楢葉町放射線健康管理委員会副委員長、経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会原子力小委員会委員などを務める。受賞歴に第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞、第36回同優秀賞、第6回地域社会学会賞選考委員会特別賞など。
粥川準二
1969年生まれ、愛知県出身。ライター・編集者・翻訳者。「ジャーナリスト」とも「社会学者」とも呼ばれる。国士舘大学、明治学院大学、日本大学非常勤講師。博士(社会学)。著書に『バイオ化する社会』(青土社)など、共訳書に『逆襲するテクノロジー』(エドワード・テナー著、早川書房)など、監修書に『曝された生』(アドリアナ・ペトリーナ著、森本麻衣子ほか訳、人文書院)がある。