2012.05.29

3.11以後の世界とSF第一世代の可能性

新城カズマ×稲葉振一郎×田中秀臣

社会 #東日本大震災#SF

想像を超える自然災害、急激に変貌する経済の動向、日常生活が直面する先の見えない不安。東日本大震災以後、私たちの想像力と論理的思考の成果と限界とが問われて続けている。

SFというものは、人間の思索(Speculation)の限界に挑戦し、その限界を拡張する試みだといわれている。例えば、多くの日本人は日本を代表したSF作家小松左京の『日本沈没』のエピソードのいくつかを、今回の大震災においても想起したに違いない。それは小松の世界観の強度を改めて私たちに認識させると同時に、また私たちが(小松でさえも予想しなかったような)新しい環境に直面していることをもいやでも認識する出来事だったろう。

今回の座談に集まった私たち三者は、小松左京を中心に、日本のSF「第一世代」といわれる作家たちの業績を振り返り、その3.11以後における想像的可能性について語り合った。作家、社会学者、経済学者と専門とする領域は異なるが、それぞれがSFの想像力について期待する点では一致していた。日本のこれからの文化と社会を考えるうえで、SFがどのような役割を果たすのか、その極限について明らかにしたい。(構成/田中秀臣)

SFの「実践的」な可能性

田中 僕の周りでも新城さんのファンの方が多いですし、僕も長い間ご著作を拝読してます。去年出た『3.11の未来』で、僕はたぶん追加メンバーで、依頼があって締切まで一ヶ月なかったんですよ。しかも初めて書くSFの原稿で、一体どれだけ難易度の高いことを依頼するのかと(笑)

新城 『3.11の未来』はほとんど突貫工事だったと伺っています。地震の後でやったわけですからね。

田中 当時、震災関連の本がたくさん出て、SFでも小松左京関連が出るのではないかと思っていました。小松さん自身は書くことができなくなっていて、よく存じ上げないんですが、何年間も書けない状態が続いていたんでしょうね。

新城 調子のいい時と悪い時があったという話は伺いました。調子がよくても昔みたいに根を詰めて作業はできなかっただろうなと思います。

田中 それまで小松さんの作品はいちファンとして読んでいたんですけど、この本の原稿を書くために読めるだけ読んでみたんです。90年代の阪神淡路大震災の『小松左京の大震災’95』以降、小松さんの創作意欲がほぼ無くなってしまっていて、肉体的にも精神的にも震災が彼の創作意欲に与えた影響は大きかったと思います。昨年の終わりに僕と山形さんと稲葉さんでやったSFトークイベントでも話題になったんですが、小松左京の阪神淡路大震災のルポが率直に言って全然面白くないんですね。

当時、政府の初動の遅れが指摘されていましたよね。村山内閣があまり大したことないと当初は認識して、危機管理対策なとの対応が遅かったです。まあ、いまの方が遅いんですが。そうしたことに対する批判を小松左京はするのかなと思ったら、全くしないんです。小松左京の震災論でクローズアップされているのは地震の違いです。彼が扱った『日本沈没』では、プレートの動きによって日本全体が動くという話でした。ところが、阪神淡路は局地的で限られた地域に激震をもたらしたんです。

阪神淡路ルポは、そうした地震のタイプの違いに着目して、学術的に追うという話なんです。これを一年近く続けて、ある種の学会ウォッチング・政府の地震見解のウォッチングになってしまっています。今回の震災でもそうですけど、震災を扱う話としては、いかにコミュニティや社会インフラを復興させるかという話が出てくるんですが、小松さんの場合は、地震のウォッチになってしまっている。そういう意味では、実践的ではなくただ地震のレベルに驚いていると言えると思います。

新城 これは新聞連載ですか?

田中 そうです。初期の頃は週一で連載されてました。

新城 体調の問題もその頃からあったんでしょうか。『日本沈没第二部』は一応共著で出してますけど、『虚無回廊』は連載をまとめたんですよね。

稲葉 確か、こないだ出た定本を見たら、『虚無回廊』の第三巻が2000年で、それ自体『SFアドベンチャー』(*1992年3月号で終了)に載ったものなので90年代初頭のものですね。

田中 小松左京は失われた20年には、ほとんどコミットしないまま亡くなってしまった。新城さんのエッセイでケインズの話が出てますよね。この20年でどういう風に経済学者が変わったかというと、やたら実践を意識しはじめたわけです。誰がどう見ても長期で停滞が続いているのはおかしい。「優秀」な官僚や経済学者がこんなにいるのにこれはおかしいと誰でも思うわけです。そこで調べてみると、政策的な問題があるということに僕と違う立場の人も気づくわけです。結果、実践的な関心が芽生えてきた。

こういった実践的なアカデミズムの変容が、マージナルな場所で起こっていた。その中で、社会とか経済が長期に停滞すると、総体で物事を見ないと実践的なことがなかなか言えなくなってしまう。今日の話で言えば、みんながミニ小松左京にならないと、実践的なことが言えなくなるという状況になっていると思います。

東浩紀さんがいますよね。僕の印象ではもっとも実践的な問題に縁遠いと思ってましたが、彼も『思想地図β』をみると実践的なことを言ってます。みんなこの20年で「実践する」こと、というのを嫌でも意識するようになってしまった感じです。

新城 実践というのは、政策に反映されるという意味で?

田中 そうです。政治と文学というのが東浩紀さんや宇野常寛さんたちのテーマだと理解しています。その文脈の中で猪瀬直樹東京都副知事や村上隆さんたちとのコラボレーションも増えているのでしょう。21世紀のはじめに柄谷行人さんが今の文学には政治へのルートはないと言い切っていましたが、今の東浩紀さんのやっていることは文学の政治へのルートの確保に見えるんです。

同様に、僕がSFに見出しているのは、実践的な関心を拾うちょっとバイアスがかかった見方ですね。さきほど言及した年末トークイベントでもそうだったのですが、どうしても社会政策的な生存の問題に注目してしまう。人類滅亡だとか環境の根本的な破壊とか破滅テーマが多いですけど、僕はそれに惹かれるんです。そうした環境の中でどのように人類の生存が計られているのか。これには2つのパターンがあって、1つはクラーク的に、人類がガラリと変化してどこかへ飛んでいくというパターン。もう1つは、絶滅的環境の中でみんな不平不満を言いながら結局、絶滅してしまうかもしれないけど生きながらえていくという、漫画版『風の谷のナウシカ』みたいなパターンです。僕はどちらかと言うと、前者より後者にSFの可能性を見出しているんです。

新城 可能性を見出すというのは、今後そういうのが多くなっていくだろうという意味でしょうか。

田中 そうですね。バラードの『スーパーカンヌ』とか『殺す』とか作品的には面白くないですけど。それを面白く書くこともできるんではないかと。昔の『1984』とか『素晴らしき世界』のようなはっきりとしたユートピア否定論ではなく、マクドナルトのように長居できない設計をしたり、絶えず路上をカメラが監視することでマズイ人間を排除していくというような、そんなSFが増えていくと面白いと思う。

「物語」の経済学

稲葉 田中さんが新城さんにお話を伺おうと思ったのは?

田中 単純にファンですから。今回『3.11の未来』で書かれた中で会いたい、と思ったのは笠井潔さんか新城さんしかいません。そこで新城さんが展開されたテーマは時間をコントロールするという経済学の話ですよね。時間をコントロールするということを意識的にやっている学問は経済学だけなんです。物理学とか理工系はおいておきますけど。社会学ではそんなことを考えもしないと思います。インフレ目標というのは、人間の時間に対する感覚をコントロールするということなんですね。新城さんの作品では、、最初の『蓬莱学園』でもマネー的要因と時間の経済を論じているなと思っていて、そんな作家の方はほとんどいないんです。新城さんは一貫して経済的なテーマを扱っている日本では希少な作家だと思っています。

稲葉 ライヌンガムのタイムトラベルの不可能性(* Marc R. Reinganum, 1986, “Is Time Travel Impossible? A Financial Proof,” Journal of Portfolio Management 13(1): 10-12.)の話があるんですが、彼はファイナンスの人で、タイムトラベルは不可能であると証明したんです。なぜかというと、タイムトラベルが可能であれば競馬の予想も金融市場の予測もできるので、裁定機会があっという間にとりつくされ利子がゼロに収束するはずなのになっていない、だから不可能であると。証明ではないんだけど。

新城 宇宙人がまだ来ていないのは・・・という、例の論理と似ていますね。

田中 あと新城さんの『物語工学論』も面白いですね。物語の経済学というのが、経済学のわりと最先端の話題なんです。日本のサブカルチャーだといまさらという感じかもしれませんが。ノーベル経済学賞をとったトマス・シェリングという人がいて、彼はキューブリックの『博士の異常な愛情』のアドバイザーをやった人なんです。普通、経済学者はモノやサービスの選好を論じるんですが、彼は心の中の消費を論じるんですね。例えば、「名犬ラッシー」を観た多くのアメリカ人は名犬ラッシーがあたかも現実に存在するかのように消費した、そうした心の消費が重要なんだということを彼が最初に言ったんです。

それをタイラー・コーエンという経済学者が、物語の消費という形で拡張していったんです。リーマンショック以降、ブログだとかツイッターだとかの利用が増えた。そこで人々が何をやっているかというと、物語を生み出して消費するという、生産と消費がイコールな世界が広まっていった。これのベースが物語の消費であるわけです。そうした色んな人の物語と自分の物語が接続してネットワークを作り大きな物語になるということを彼は示唆しているんです。

また、物語というのは欲望のストッパーにもなるんです。普通、モノを消費するときのストッパーは金銭ですよね。だけど、心の中は一見すると無制限のように見えるけれど物語がストッパーになっている。つまり、これだけは自分の価値観では受け入れられないと人は思いますよね。自分の人生をひとつの「物語」として人は把握していて、その「物語」からなかなか自由になることはできない。しがらみや過去へのとらわれ方も物語の欲望がストッパーになってしまう。

つまり、人間のアイデンティティとか、この一線は譲れないというのは、自分の物語から出ているのではないか、物語が欲望のストッパーになっているのではないか、という話を経済学者はやっているんです。僕が書いた小松左京論はそういった物語の経済学を小松左京に見出していこうというつもりだったんです。昔から、内田義彦などの経済学者は文学との接点を求めてきました。、文学というのは、市場の無意識の塊なので前衛であると考えられて、そことの接触が経済学にプラスをもたらすというのが内田義彦のスタンスなんです。

新城作品の批評性

稲葉 新城さんの作品は『サマー/タイム/トラベラー』しかフォローできなくて、もちろん『蓬莱学園』は存じ上げてはいたんですけど。あれはいつ頃からですか?

新城 最初のゲームは90年で、小説版が91年からですね。最初のゲームの後はテーブルトーク版を出しつつ小説も、というのが90年代半ばくらいまで続いきました。

稲葉 オンライン化の話は?

新城 当時はインターネットもなかったので、紙媒体・郵便媒体でやるしかなかったんですが、90年代後半くらいに携帯ゲームかなんかでやれませんかという話があって、でもそれはどうこうなるという規模ではなかったです。今はSNSとかUGCとかいう言葉があるので、あぁそうだったんだと分かるんですけど、当時は自分たちが何をやっているのか分かっていなかったというのが正直な所で、紙メディアで可能なおもしろいことをやっていた、というくらいです。

稲葉 『蓬莱学園』のマスターだったというのはつい最近知って驚いきました。僕はTRPGは触ったことがないので分からないですが、そういうものがあるということは認知してはいました。電子化される以前のネットワークゲームのパイオニアに新城さんはなると思うんですが、そのころから20年くらい第一線で活躍していて、そこからしか見えないものがきっとあるだろうなと思うので興味を持ちました。

もう1つ、『サマー/タイム/トラベラー』は長い経験に基づいて批評的に組み立てられた作品だなという印象があります。それ以前に長谷川裕一さんのまんが『マップス』へのトリビュートアンソロジー『マップスシェアードワールド』を拝読していて、あの中で、他のみなさんが直球を投げている中、一人新城さんがビーンボールを投げて長谷川さんに喜ばれたというのがありますね。

田中 稲葉さんは長谷川裕一論(『オタクの遺伝子』)を書いていますね。何であれが出たのかすごいよね。

稲葉 誰が得すると言われても誰も得してないというか。装丁家のミルキィ・イソベは得したという話ですが。長谷川裕一という人はライターズライターという印象があって、トリビュートに参加している作家のみなさんは、失礼ながらどちらかというとマイナーな ―― マニアックな方々だけれど、イラストでピンポイント参加しているまんが家の皆さんは村枝賢一とか三浦建太郎とか、メジャーシーンで知られている錚々たるメンバーです。あと、長谷川裕一ファンを自称している人は意外とそこここに存在していて、たとえば奈須きのこさんもそうなんですね。

奈須さんといえば、シナリオを手掛けられた『Fate/stay night』(2004年)のプロットがほとんど長谷川さんの『クロノアイズ・グランサー』(2003年)とのそれとほぼ重なっていて、ちょっとパクリじゃないかと思ったくらいです。ただ、この件についてはちゃんと制作の時系列を確認した方がおられて、タッチの差でパクリにはなっていないと判明したんですが、それにしてもほぼ同時期に「最大の敵は主人公の未来の姿だった」というプロットが使われていたことになります。あれが無意識で行われていたとしたらシンクロナイゼーションがあったんだと思います。

新城さんはこれまで2巻出た小説版の『シェアードワールド』に1本ずつ、計2本書かれていましたよね。1つは『マップス』世界の構造を外から俯瞰するというか、物語の外側に出て、『マップス』物語の展開するその前の宇宙の、そのまた前の宇宙でどんなことがあったのか、について神話的に描かれたものです。

もう1つは、最後の数ページがなければリアリズムの青春小説として普通に完結するのに、その最後緒の数ページの力技で無理やり『マップス』世界の中に押し込むというものですね。『マップス』の物語が始まるさらに前、映画『スター・ウォーズ』公開の時代に田舎の高校生たちのロケット遊びを、大人になって銀河文明との接触を横目に回想する。そうやって『マップス』の物語世界と僕たちが生きているこの現実世界を接続するという、非常にメタフィクショナルな一編です。そういう批評的なところを礼賛するのは大人気ないといえば大人気ないですけれど、お話として面白いと思うんです。

また『サマー/タイム/トラベラー』もメタフィクション、作品それ自体でもってSFというジャンル、形式に言及するメタSFですよね。普通のタイムトラベルSFの基準的主題は、何と言っても「過去に戻る」なんですが、この物語の主人公たち、そこでの時間旅行者自身は過去には行かないわけです。タイムトラベルの物語的謎や神秘を、「過去に戻る」ことではなくて「一時的にではあれこの宇宙の外側に出る(ことによってエネルギー保存則その他を破る)」、というところに位置づけています。これがちょっと異例。

それからこの作品は、同時代だと阿部和重の『シンセミア』とテーマを共有しています。2000年代に日本の小説の世界では、「取り残された地方」が好んで主題化されましたが、本作はそういう意味での、現代的地方小説として読むこともできます。ただ、2000年代の小説ではあるのだけれど、それにとどまらない違うニュアンスもあります。

第一にこの小説には、ことにタイムトラベルのイメージは、ジャック・フィニイのそれによって支配されている。さらに第二に、そこに隠し味として内田善美をお使いになっておられる。フィニイのハヤカワ版の『ゲイルズバーグの春を愛す』の表紙は内田善美さんが描いておられて、何十年も変更されてないですよね。しかしそれ以上に重要なのは、この物語は、信州の名門高校の秀才たちの話なので、まさに内田さんの『空の色に似ている』の本歌取りですね。

新城 まさにその通りですね。

田中 なんでそんなに知ってるんだ!(笑)

SF漫画史における内田善美

稲葉 80年代は内田善美の影響は強くて、あの山形浩生ですらどこかで『星の時計のLiddell』の話をしていたはず。美しい中二病と言うんですかね。80年代にまんがや小説を読んでいた人にはこの小説の内田善美的なるものがビビッドに響いてくる。内田善美の『空の色に似ている』は、まあありがちな「ありえなかった過去への郷愁」ですよね。だけど、ありえなかった過去への郷愁という感情に支配されながらも、その延長になんとか現実の未来をつかみとろうという苦闘にも見えました。そういう意味では、内田善美さんはそこから出ることに失敗して筆を折ってしまったのではないかと僕は思っています。似たような意味で、筆こそ折らなかったけれども、作家として挫折されたまんが家さんとしては、川原泉さんがおられると思う。

新城 内田善美さんが出ようとして出られなかったのか、出ないことを選択したのか分からないですけど。内田善美さんの影響は圧倒的に大きいですし、フィニイを知ったのも内田さん経由なんです。初期の短編で目にしたのが最初だと思います。

稲葉 内田善美さんで連想されるのが先ごろ亡くなられた佐藤史生さんです。まさに「地方中核都市の名門高校の優等生」を主人公にした『死せる王女のための孔雀舞』、あれだけが復刊されていないのも暗合といいますか(2012年5月復刊)。

新城 佐藤さんの話はどれを読んでもそういった味わいがあって、『ワン・ゼロ』なんかも自分たちが転生したという事実はさておき優等生たちがワサワサやっている、というあたりが非常に面白い。そういう意味では『ワン・ゼロ』にも大いに影響を受けています。

稲葉 『ワン・ゼロ』は早い時期における、ネットワークをテーマにした日本版「サイバーパンク」ですね。でも作品を支配している感情は多くの「サイバーパンク」とは少し違う。「ありえなかった過去への郷愁」に対応した「宙に浮いた土着性」とでもいうか。

新城 内田善美さんにあるのはノスタルジーでありメランコリーですよね。

稲葉 80年代を代表するSF漫画として内田さんの『星の時計のLiddell』は一時期はとても重要な漫画として愛読されていました。僕は全部読めてないんですが。SF漫画史における内田善美というのは1つのテーマだと思います。

新城 再評価というか、内田善美さんは今こそちゃんと評価されないといけないと思います。

稲葉 すごく愛されているんですけど、おそらくはご自分の意思で再版されてないんですよね。大泉実成さんの『消えたマンガ家』でありましたよね。

新城 とにかく現物が手に入りにくいので若い人が読んでいないのが悲しいです。文化的損失ですよ。もちろん、ご本人が意図しておられるのであれば仕方がないですけど。私自身は内田善美さんあり、ジャック・フィニイありの思春期で、そういうのがものすごく好きすぎて、だからこそ過去に戻る話をまだ書いてはいけないと思ったんです。書いてもフィニイのパクリにしかならないだろうという気がしていて。それを下敷きにしつつ、青春SFにするとこうなったわけです。

『首都消失』の考古学的楽しさ

稲葉 『蓬莱学園』の経験とつながっていると思われますか?蓬莱学園の設定ですが、学校という仕掛けは便利なんですよね。自覚的に学校という設定を選んでおられるんでしょうか。

新城 直接的にいうと、蓬莱学園的世界で使ったネタをいかに使わずに話を進めるかという縛りとして、学校を選んだ記憶がありますね。読んでいただければ分かるんですが、学生なんだけれど夏休みなので授業だとか学校の話がほとんどなくて、同級生もほとんど出していないんです。こういう街でこういう状況でああいう頭のいい奴がいたら、ほかの頭のいい奴のネットワークや頭のわるい奴のちょっかいとか、休みの間でも絶対にあるはずなんですよ。でもそこを話の都合上すっとばしてしまって。

蓬莱学園というのは学校が面白いので休みになってもみんな学校にくるんです。そこで描けなかった夏季休暇の話をしたかったというのもあります。あと、経済学や社会学に興味を持ったのは蓬莱学園のゲームをマネジメントした経験が大きかったです。3000人くらいの人間に個別に1人ひとり会うのと一度に会うのとでは質的に違うんですよ。人間集団というのを感じ続けた経験なんですね。それは文学的興味としての人間とは違った、全体としての人間集団ってなんなんだろうということに興味が湧いたことを覚えています。

田中 日本経済という言い方をよくしますけど、それを把握している経済学者はそんなに多くないんです。その方法は2つあって、1つは論理的に把握するという方法があります。もう1つは直観ですよね。意外と経済学者は直観で把握した人間が成功しやすい傾向にあります。ケインズなんかはその代表です。彼はGNPなどという概念以前の人間なのでイギリス経済を直観で捉えているんです。

政治家は日本のためにという言い方をしますが、日本をイメージできている政治家はほとんどいないと思うんですよ。政治の中には日本とか世界とかを論理的に構築する手法はないわけです。なので、直観ベースで成功しているかどうかになるので、それができる人間はごく少数だろうと思います。論理的な集合表象が確立される前は、例えば、北村透谷は日本の貧困をどうにかしなければならないと語るんですが、全部直観で詩人の心で捉えていて、それ以外はないんです。あくまで直観なのでうまくいっているときはいいけれど、外れると全然ダメなので悩んじゃうんですね。

新城 今の話で『日本沈没』のことを思い出したんですが、田所博士が『科学者にとって一番重要なのは直観とイマジネーション』と答えるんですが、外れたらどうするんだろう?と読む度に気になっちゃって。

稲葉 あれは書かれた当時は新鮮に読まれた言葉ですね。小松さん自身は竹内均との交流で生まれた言葉だと思うんですが、今ではそんなことは誰でも言える言葉になってしまっていますね。直観と自分が作った理論とどっちを信じるかといえば、理論が信じられなければダメだと言わなければならない局面になっていますね。あの当時あの言葉は、科学は自動手順を踏んでいけばいいというものではないんだということを啓蒙する言葉として印象的でした。

新城 あのころはオペレーション・リサーチが流行って、ゲーム理論が出てくるか来ないかという時代で、巨大な組織をアルゴリズムとして理解するんでいいんじゃね?と盛り上がっていたことに対して、小松先生はそうではないと言う言葉だったのかもしれません。あの中で日本の首相の言葉として、「もっと政治をサイエンスにできないものか』云々というのがありましたが、時代の雰囲気はまさにこんな感じだったのかなと。『首都消失』も、政治の科学化・工学化をニューメディアの視点から書いていて、今読むとかえって面白いです。話自体の面白さというより、当時の時代の空気が凍結して残っているのを今見れる、という考古学的な楽しさですね。

田中 政治をサイエンスできないかというのは、総体を捉えるのが直観ベースだからですよね。いま『首都消失』を読むとゲーム理論みたいな話ですよね。合理的に動くいろんなプレイヤーがいて、その中でいかに先の手番を読んでいくかという。

新城 サブプロットが結構ちゃんとしているんですよ。ロシアのほうに行った外交官が風邪ひきながら必死にデータを送ろうとしたりとか。本当はもっと膨らませたかったんだろうなという気がします。

『日本沈没』のジャーナリズム性

稲葉 小松左京論における一つのストラテジーとしては、『日本沈没』を焦点として一連の作品系列を論じる、というものがありますね。焦点のあて方やリーダーシップというものの考え方がそれぞれ違っていて、原点に『物体O』があって、『日本沈没』があって、その語り直しとして『首都消失』があって、という。

『物体O』では地方政治家しか生き残っていない中で大学人が張り切って、科学的知見をもとにテクノクラートとして統制経済をやっているけれど、『日本沈没』では政治家や官僚が主役になって、もっと泥臭い話をしているんですね。あと、70年代80年代までは「黒幕」とか「フィクサー」といったものへの信憑があって、『日本沈没』は黒幕がいたからこそ物事が上手く運んでいくという話ですよね。

新城 今回の地震が起きる前から「どうしたら小松先生に追いつけるかプロジェクト』を独りでひそかに進めていて、色々読み返してたんですよ。それで気づいたのは、『物体O』を発表した時にはもう『日本沈没』を構想し始めているんですよ。だから原点というよりは習作に近いのかなと。あの時点で出せるネタの反応を見た、とも言えるのかな。『日本沈没』を書き終わってから出したのが『アメリカの壁』で、他にも所謂『日本沈没』系列でないと思われている作品に、資料の再利用をしている痕跡もあったり。

稲葉 『アメリカの壁』は『日本沈没』で抜けていた「アメリカ」「日米関係」という主題を補う作品ですね。

新城 あるいは『日本沈没』を、もっと当時の娯楽小説ジャンルと比較して読む、とか。特に冒頭4分の1くらいは、当時流行していたサラリーマン小説の技法やアイテムを使っている。当時の梶山季之とかを意識しているのかな、とか。『日本沈没』が出たのは73年ですが、64年から構築を開始しているということを考えに入れないと、見落としてしまう所が結構あります。最終的に出たバージョンも、最初に書かれたものとどれだけ違っているのかという書誌学的研究もなされていないと思うので、それがあればもっと色々判明すると思います。

田中 梶山の話で思い出したんですが、この時期は日本のジャーナリズムの黎明期じゃないですか。梶山と並走しているような草柳大蔵だとか、彼らがジャーナリズムを確立していく時代と小松左京の日本沈没の形成過程は一致していますよね。いま思ったのが、小松左京のジャーナリズム的なものが『日本沈没』の中にはあるのかなと。

新城 最初に読んだときは当然ながらSF・日本人論として読んだんですけど、最近読み返すと、70年代小説・昭和40年代小説としても面白い。

田中 小松自身は自分でも自慢しているように飛行機の利用時間が並のパイロットより長いとか、海外旅行とかジャーナリスト的活動を強めていますよね。出ている本を観ると大宅壮一と変わらないですよね。

新城 当時、海外に行ける人間が限られていた時代から、ニクソン・ショック以降そうでなくなった時代への端境期に日本はあって、『日本沈没』はその真っただ中で書かれていますよね。『日本沈没』のジャーナリズム性を見るには、三島由紀夫の海外に行って帰ってきた話とか沢木耕太郎なんかと重ねあわせて、海外渡航が自由になっていく過程を見なければならないかなと思います。60年代は、通貨も渡航も自由化していない。そこが変わるとほぼ同時に『日本沈没』が出て、その後の沢木耕太郎になると個人が個人としてふらりと行ってくる時代になっている。

稲葉 『日本沈没に先立つ国際政治小説として『見知らぬ明日』がありますね。あといま言われた文脈でノンフィクションだと『歴史と文明の旅』があって、ちょうど1971年のチリ軍政復帰クーデター前後の貴重な話ですね。転向共産主義者としてストレートに「これじゃだめだ」と書かいたら本当にクーデターが起きてひっくり返されちゃったという。もう1つ、小松のジャーナリストとしての、それもライトな側面が出ているのが観光小説としての『エスパイ』。あれは、初期の五木寛之や小川国夫なんかと共通する「海外に行って見てきただけ」という小説です。

新城 そのベースとしてあるのが、観光としての娯楽映画かも。本音は観光名所を観たいし観せたいだけなんだけれど映画なのでストーリーもあります、みたいなのが、あの当時山ほどあったんですよね。

稲葉 最終章手前の章のタイトルが「ヨハネスブルグ」なんだけど、ヨハネスブルグは全く描かれていないという。

田中 あれ行ってないし。

稲葉 ホラだと思いますが「百科事典見て書いた」とか韜晦されてましたね。

新城 『観光映画』としての007がベースにあって、その他にも社長漫遊記シリーズとか若大将シリーズとか。当時のサラリーマンが欲しがっていた栄養分だったんだと思います。

田中 うちの親父は犬が大好きで、アメリカのドッグショウを見に行くために外貨持ち出し枠をめいいっぱい使って行ってしまったんですよ。そういう日本人がある程度いて、珍しいから現地のオタク同士で仲間ができるんですよね。そして日本にオタク的知識を持ち帰る。梶山季之なんかは海外に取材していましたけど、当時のジャーナリズムでは少数派ですよね。企業のスキャンダルについても経営者の下半身ばかりが注目されて、大きな枠で語る人がいない。その中で小松左京は既存のジャーナリズムへのアンチみたいな形で、「世界とは」「世界の中の日本とは」というものをぶつけていく気概があったのかもしれません。小松左京のジャーナリズムをいまお聞きした限りだと、僕も論文書きたいくらい面白い素材ですね。

新城 仕事とは関係なしに調べるのが好きで、年表とか作っていると、いろいろ符合することが結構あるんですよね。小松左京先生についてはまだ分かっていないことが沢山ありますが、こうすれば分かるだろうなという気がします。

戦後SF第一世代の群像

田中 今日は日本のSF第一世代の話なんですけど、率直に言って小松左京だけがいまだにまとめて読む価値があって、筒井康隆は最近ちょっと読み返したんですけど…。

新城 筒井さんはご本人がいまどこまで自分をSF作家と捉えているのかという問題も含めて、世間的にももっと安部公房的な立場になってしまったのかなと言う気もしないでもないです。

稲葉 筒井さんに関しては、ぼくは自分であまり公平な見方ができないことをお断りしたうえであえて申しますが、作家としては彼はどちらかというと早熟型ですよね。実は彼の魅力の根底には清新なリリシズムがあって、特に初期のスラップスティックはそうしたものに支えられていたからこそ説得力を持ったのだと思います。しかしそうすると彼の一番いい時代は60年代だった、ということになってしまう。筒井さんが私淑する大江健三郎にもそういうところがあって、彼の場合にも「作家として最良の時代はお子さん、光さんが生まれる前の学生作家だった時代ではないか」という評価がありえます。『芽むしり仔撃ち』が最高で『個人的な体験』以降は……と。

ある時期以降、筒井は直観とか体力に任せて書くのではなく、考えて、意図的に構築して書こうとしていくわけです。ラテン・アメリカ小説の影響もあると思うんですが、「小説にはやはり物語がなければならず、そのためには確固たる世界観が必要なので、それを構築していく」と、中年を過ぎると意識的になっていく。にもかかわらず、そういう成熟以降の作品より、深く考えずに力任せに書いていた時代のものの方が面白い、というタイプの作家に見えてしまうんです。そういう構造は大江だと露骨なのは『同時代ゲーム』以降だし、筒井だと『虚航船団』や『虚人たち』が分かりやすいと思います。

そうしてみると、小松左京は筒井などとはちょっと違う、晩熟型、老成型の作家だったのではないか。ただ、本当の意味での「老成」には失敗したと思います。

新城 作品数の分布がまずそうですよね。

稲葉 いろいろな意味で「若書き」ですね。でも正体が掴みきれない。戦後第一世代のSF作家で他に「文化現象」としての存在感を放っているのが平井和正でしょう。中島梓が『道化師と神』の中で、「平井和正は日本のSF史上とても重要である」と強く主張しています。確かに彼は、大藪春彦などと並んで、80年代以降隆盛する「エロスとヴァイオレンス」の原型を作った人であり、それと同時に、SFを超えてオカルトへ、さらに「新新宗教」「精神世界」といった「あっち側」に行ってしまった人ですね。平井は論じるのがすごく難しい対象です。行き詰ってはっちゃけちゃった人ではあるけど、文学的コンプレックスとか自意識が高い人でもあります。

戦後SF第一世代の中で、一番一貫してブレずにいるのは、実は眉村卓ではないかと思います。あたかも全く何にも影響されていないかのごとく、狭い意味でのSFを倦まずたゆまず書き続けて、しかも「文化人」化もしていない。もちろんお歳を召されてからは大学に職を得てらっしゃいますけど、「(純)文学者」になった筒井さんや、「文化人」になった小松左京とは対照的に、関西に根をはりながら、一貫して『SFマガジン』で誰も読まない ――というと失礼ですが、敷居の高い大長編を書き続ける。あのブレなさは第一世代の他の皆さんには見られないことだと思います。

眉村さんは「インサイダー文学論」という問題提起を60年代にしておられて、SF仲間のほとんどから「お前の言っていることは理解できない」と言われていました。しかしいま読んでみますと、「インサイダー文学論」はしごくまっとうな文学論、SF論として読むことができます。「文学者は往々にしてアウトサイダーを気取るが、近代社会においては実は誰もが「インサイダー」であり、誰もが「官僚」なのであって、そのこと自体は別によくも悪くもないんだ」と論じた彼は、まさにその論を実践して、『EXPO’87』そして一連の『司政官』シリーズと、官僚SFを何十年も書き続けている。

田中 平井は『道化師と神』でいうと神の方を目指してしまってますね。前半の冒頭で言ったように、生存の2つのあり方でクラーク的な選択肢の方ですよね。それを想像の世界だけじゃなくて実践でもやって、自分が神になろうとしている。眉村の方は、今の話を聞くと、道化師ですよね。官僚だとかの情けない話をずっと書いていて、管理しようとしているんだけど、細かい問題が出てきてうまくいかないということを書いているんでしょうね。眉村の方は、現実にはタッチせず、想像の世界だけにとどまっていますけど。

『日本沈没』とふたりの女性

新城 去年夏のSF大会で1コマ持って小松先生の話をしたんですが、いつ何が発表されたかを並べただけでも新しい発見がありました。

田中 経済制度だけでも固定為替制度から変動に移っていますし。

稲葉 あれは石油ショック以前の小説ですよね。

田中 ニクソン・ショック以降の高度成長が終わった時代の小説として読まれたじゃないですか。堺屋太一の『油断!』もそうですが。

新城 あれはあれで興味深い作品ですね。下手をすると『日本沈没』より起承転結がしっかりあって、内面の描写があって、小説として妙にちゃんと体裁を整えている。『日本沈没』は投げっぱなしのエピソードとかありますから。作品の完成度と価値は必ずしも比例しないという好例、と言いますか。

田中 銀座の女の子の話とか、どうなったのかなと思ったら最後は死んでいたという。使い捨てですよ。

稲葉 銀座の女の子の話は、東浩紀の小松左京論「小松左京と未来の問題」(http://www.webmysteries.jp/sf/azuma1001-1.html)でクローズアップされています。ただ彼は、『日本沈没』の第二部をオミットして、第一部の範囲において、2人のヒロインの対比をしているんですね。第二部は谷甲州さんの筆になるんですが、基本プロットは小松さんが提供して相談しているはずですね。小松さんの第二部構想の中ですでに、主人公小野寺と、ヒロインの一人阿部玲子が再会する予定は決まっていたはずなのに、東さんは論じていない。

第一部では、資産家令嬢の玲子とバーの女の摩耶子がいて、最後の方で資産家令嬢が死んで、記憶が混乱した状態でバーの女と日本を脱出する、となっているんですが、第二部では、死んだと思われていた令嬢は国際公務員として難民関連の仕事をしていて、30年を経て主人公と再会するんですね。

新城 一色登希彦の漫画版では、バーの女の子が死ぬvs令嬢と再会するという構造が活用されていますね。

稲葉 第一部末尾で、バーの女の子は「生き延びて子どもを生み、未来へとつないでいく」と宣言しているのに第二部ではそれがなかったことにされていて、それが非常に納得がいかない。「子どもみたいな女だった」と回想されて、あの女の子の存在そのものがファンタジーにされちゃっているんですね。

田中 エロゲーでいうとあるルートだと国際公務員とハッピーになりそうなんだけど、実はどこかで重要なヒロインが見殺しになって、そのトラウマをゲームのプレイヤーがずっと感じているという、そういったテーマを扱っていた東さんがねぐっているところが許せませんね(笑)。

稲葉 ひょっとしたらこの後書く予定なのかもしれませんが、webに乗っている範囲だと第一部までですね。あれはまとまった小松左京論としては秀逸なものなので、それだけにちゃんとやってほしいなと思います。

田中 第二部は女性があまり生きていないと思います。

稲葉 第一部は東も指摘しているように、小松的ないかにも古い女性観で通されているので、批判はありうるんですけど、谷甲州が担当する第二部になると、その辺のポリティカル・コレクトネスはクリアされてるんですけど、なんにもなくなっちゃう。彼は女性を書きたくないという人ではないと思うんだけど、『日本沈没』第二部には女性があんまり出てこないですね。谷さんは『エリコ』がトランスジェンダーの話ですよね。『パンドラ』を見ても重要な副主人公に女性科学者がいますし。それが『日本沈没』第二部では、国土沈没がきっかけで日本女性の社会進出が進む様を書いてはいるんだけど、話として上手く転がっていない。

田中 『日本沈没』を中学生の時に読んだんですが、真っ先に反応したのが伊豆の海岸でのベッドシーンですね。意外とSF小説はエロいのが多いじゃないですか。ジャーナリズム云々とか格好つけましたが、当時の僕にとっての小松はあのシーンに集約されていました。

稲葉 誰かが言っていましたが、小松は無重力セックスへのオブセッションがあると。

SFの大衆化

稲葉 改めて新城さんにお伺いしたいのは、蓬莱学園のTRPGからコンピューターゲームを含めての架空世界遊びが日本に定着したプロセスについてです。SFの大衆化といった時、いくつかの契機があると思うんです。『マップスシェアードワールド』で書かれた小説は、「スター・ウォーズ」小説ですよね。

『スター・ウォーズ』前後では確かに何かが変わったわけです。例えば、小林信彦も『唐獅子シリーズ』で取り上げている。『スター・ウォーズ』は世界文化史的に重要だけど、日本特殊的にも重要でした。あの頃は外国映画が日本で公開されるまでに、1年ほど時差があって、そのタメ自体に意味があった。これが1つ大きな契機です。

もう1つがコンピューターゲーム。特に日本にとってはファミコンの大衆化があります。たしかに日本では、TRPGは大衆化していない。けれど、一定のコアなファン層は存在していました。それ以上にSFプロパーにとってすごく重要だったのは、「安田均をゲームにとられた」ということです。日本SFは、文学的素養の深い先鋭な批評家であり実作家であった山野浩一と石川喬司を競馬にとられて、その上に、海外SFの精力的な紹介者であった安田均をゲーム――TRPGにとられたんです。

その安田均の薫陶を受けた水野良がライトノベル・ジュブナイルの牽引者になって、やはり安田の弟子筋にあたる山本弘がライトノベル作家からプロパーのSF作家になって、ようやく元が取れた、と言いますか。新城さんも傍目にはそういう、「ゲームからSFへ」という存在に見えるのではないでしょうか。大塚英志さんも「安田均が重要だ」と言い続けています。

あと、安田さんがSFから離れていくのとほぼ同時代に、荒俣宏さんが批評家、紹介者から実作者に転じていきました。批評家、書誌学者時代には、SF、ファンタジーをより広い文学史、文化史の中に位置づけて、『理科系の文学誌』などで一部に熱狂的なファンを持っていた荒俣さんはしかし、そうしたかつてのファンを『帝都物語』などの実作でいたく失望させたわけです。

安田や荒俣がSFプロパーから離れたこの時代は「SF冬の時代」と言われていたけれど、SF的な意匠それ自体は、むしろ大衆的に浸透したわけです。まさに70年代に言われていた「SFの浸透と拡散」がほぼ完了した。そこで一般的に目立つのがファミコンであり『ドラクエ』なんだけど、その底流にはTRPGを下敷きにできたコンピュータRPGの原点である『ウィザードリィ』や『ウルティマ』があります。

考えてみれば戦後SF翻訳の草分け矢野徹は、『ウィザードリィ』紹介者と言ってもよいほどだし、日本産のTRPGを作っていった安田均とその弟子たちの活動があって初めて、日本でこれほどライトノベルにおけるSFの層が厚くなったわけです。81年に書かれた中島梓の『道化師と神』での重要なテーマのひとつが、「日本SFには頂点ばかりで裾野がない」ということでした。

ところが、それ以降、裾野が、ゴミのような作品と、それを書くゴミのような作家たちが一気に広がって、文化として本来あるべき姿に移行したと言えます。彼女が『グイン・サーガ』を延々とか書き続けるのもそれ以降ですから。その中で、ゴミの山になっていったわけですが。

新城 栗本さんをきちんと評価するのは、ほとんど不可能なんですけど重要ですよね。私自身も彼女のやおい小説とか結構読んでいるつもりなんですけど、舞台は観ていませんし。そこまで観ないと彼女の全体像把握はできないのではと思います。

稲葉 彼女は変な人ですけど、評論家としてはおそらく一流で、小説家としては一流ではないかもしれないけど、それでも常人離れした力のあった人です。『ベストセラーの構造』はすごく重要な本で、社会学者の佐藤健二さんが非常に高く評価しておられました。あれは簡単に言えば「ゴミがこれほどたくさん読まれているけれど、ゴミは重要なんだ」という本ですね。(その当時ですと引き合いに出されていたのは『窓際のトットちゃん』でしたが、そういった)ゴミのような本があんなに読まれるということはどういうことなのか、をまじめに考えて、そのこと自体は決して否定されるべきことではない、とはっきり言っている。実作者として、それを実践した方だと思います。ただ、公平な評価がしにくいです。

田中 さっきの小松左京のジャーナリズム論にひきつけると、80年後半からネット社会が始まって90年半ばになるとネットを探るとゴミの知識がいっぱい出てくるじゃないですか。それまでは海外情報であるとか最先端の専門知識はごく一部の人間が得るもので、情報の独占性が強かったわけです。そうした独占性がネットにより弱まり、それと同時に間違った解釈などのゴミ情報の裾野が広がって、小松的なジャーナリズムのあり方も確実に変化していったんでしょうね。ゴミの中で小松左京を再評価するという。

新城 戦後情報化社会が成立するまでと、してからの大変化があるわけですね。昔は海外情報を持ってくる人が偉くて、その人が選んできてくれた。SF界で言うならば野田昌宏大元帥とかが全部読んだ上で『キャプテン・フューチャー』を翻訳しましょうと。

稲葉 野田さんで印象的なのが『奇想天外』のベスト10でバラードの『ヴァーミリオン・サンズ』が好きだと言っていて。

新城 小松先生も『日本沈没』や阪神淡路ルポを書くときに、ゴミのような膨大な情報を飲み込んで、これは言わなくていいやということをやっていてくれたと思うんです。ただ、情報化社会がものすごく進歩して、我々自身が日々ゴミに触れる時代になって情報とのつき合い方が決定的に変わってしまった。小松先生の悩みもそこにあったのではないかと。

稲葉 作家になる前の荒俣宏さんとか、澁澤龍彦とか、英文学で言えば高山宏さんですね。そういった人達と共振しますね。そういう構造が今では成り立ちにくくなっているのかもしれません。

新城 戦後には人間フィルターみたいな人たちがたくさんいて、同時に彼らは先ほどの梶山さんのように多作だった。または逆にものすごく絞り込んで、ものすごく素晴らしいものをあたかも海外にはそれしかないように紹介してくれた。栗本さんが、その系譜の最後の人だったのかもしれません。あのレベルで多彩かつ多作な人は最近はいないんじゃないでしょうかね。ライトノベルの人たちが多作なのは同じジャンル内の同じシリーズが長期に続いた結果にすぎない。

田中 サブカルチャーでいうとJJおじさん植草甚一とかが典型ですけど、かれのアメコミ論とかは自分の読んだものしか書いていないんですね。非常にバイアスがかかっているけれど、これがまさにいまのアメコミであると書かれると、そうなんだと思っちゃうんですね。

新城 海外から情報源が絞られているんだけれど、国内で雑誌なり何なりを印刷したらそれだけ売れるという状態が仮にあったとすると、それが80年代から90年代に変わってしまった。今では海外からの情報源はいくらでもあるけれど、刷ってもあんまり売れないという状況で、この対称性は何か関連があるのかも。

エンターテイメントの重厚長大化

稲葉 小説のあり方としても、やたら分厚いエンターテイメントが出てくるという時代に80年代あたりからなりましたね。スティーヴン・キングなんかもそういう時代に乗っかって出てきた人だと思います。日本でいうと、高村薫さんにはそれに近いものを感じなくもないです。純文学でも、トマス・ピンチョンやジョン・バースが原型を提示していて、日本では村上春樹なんかはそんな感じですね。物量作戦も京極夏彦さんにあたりになると、突き抜けたセルフパロディといった感じになるんですが。

昔は商業上の要請もあって、ことにエンターテインメントは長編でも1冊200頁位に話をまとめるのが普通で、SFの場合でも、大ネタになればなるほどネタを振っただけで終わって、ストーリーやキャラクターの方はないも同然 ――というのが基本形だったんですが、80年代、90年代でそういうあり方ははっきりと変わったと思います。

SFプロパーだと原型を提示したのは60年代のハーバートの『デューン』だと思います。あと、70年代にラリー・ニーヴンがジェリー・パーネルと共同作業を始めて以降の展開が興味深い。最初の『神の目の小さな塵』はプロパーSFだったんですが、彗星の地球への衝突を描く『悪魔のハンマー』は普通のパニック小説ですよね。それ以降、彼らはどんどん普通のパニック・ノベルとしても読めるものを出していきます。あと、キング以降の、モダン・ホラーのジャンルとしての確立。キング以外には、瀬名秀明が師と仰ぐディーン・R・クーンツがいます。

このような、出版、小説におけるいわゆるブロックバスター的展開と、『スター・ウォーズ』以降の、映画における特殊効果の発達、虚構世界を言葉を通してではなく、視覚や聴覚を通じて「体感」させる技術の発達や、娯楽としてのゲームの浸透は、連動していると思います。読者を架空世界にどっぷり浸らせるための小説の重厚長大化と、それに浸れるように映画やゲームなどで訓練された読者の登場が80年代以降の展開ではないでしょうか。

純文学もミステリーも映画も、この時期、少し体質が変わっている。『日本沈没』はあの長さ ――というか短さで、70年代には十分みんな満足したわけですが、今あれをやったら小説でも10巻くらいを要請されると思うんですよ。漫画もある時期以降、重厚長大化しましたが、これは大きく見れば世界的かつジャンル越境的傾向だなと思います。

田中 漫画の『日本沈没』も長いですよね。

稲葉 村上春樹も以前「小説における技術革新というのがあるんだ」と言っていましたが、まず非常に皮相なレベルでは、重厚長大化傾向を簡単に確認できると思います。冲方丁さんが『マルドゥック・スクランブル』でやっているのもそうで、あれは昔だったら文庫1冊で済んだ話を延々と書き続けていますね。

田中 栗本薫から始まっているんですが、SF第一世代とそれ以降とでは、読書環境でも違いがありますね。

稲葉 そういう意味では平井和正は端境期にいるんですよ。

新城 とにかく長い話を書き続ける人と、色々書く人と何パターンかありますよね。

稲葉 そういう意味では眉村卓さんは異例なんだと思います。『消滅の光輪』を書いた後で『引き潮のとき』を書いて、もうちょっとライトな『不定期エスパー 』を書いて。重厚長大化といった時に、第一世代でほぼ唯一彼だけがそれをやっている。

新城 未完で終ってますが半村良さんの『太陽の世界』があります。あれが最初かもしれません。どちらにせよ、角川戦略の流れなんですが。たしか栗本さんが『グイン・サーガ』を書くときに『太陽の世界』が80巻だよという話を聞いて、じゃあ100巻にするか、といった話を聞いたことがあります。でも最初に80巻とぶちあげて書くのは異様な戦略ですよね。

角川戦略と第一世代2.0

新城 第一世代ということも含めて、小松先生と同じくらい私が影響を受けているのが半村先生です。これは最近ようやく気がついたんですが。『産霊山秘録』とか今読み返しても発見があります。

稲葉 半村良は風俗小説の書き手として卓越していた、という評価がよくなされますが、それだけではないですね。結果的には失敗作だとは思いますが、『妖星伝』という異様な作品を書いて、大変な試みをしていますね。「隆慶一郎はSFだ」とぼくは前に主張しましたが、似たような意味で「半村良はSFであり時代小説である」と思います。あのリアリティは現実の歴史的な江戸らしきものを基盤にしているわけだし。

新城 この辺はちゃんと調べているわけではないんですが、SF第一世代は角川戦略と親和性が高いという気がします。。確か光瀬龍さんもやってますよね。ノベルズ戦略と結びついて第一世代2.0というかルネッサンスがあったなと、今になって気づいたんですが。

稲葉 角川商法の総括もされていないですね。SFを離れて大藪春彦や西村寿行さんといった人たちの評価とも絡んでいますね。

新城 ミステリーだと金田一シリーズを無理やり…

田中 角川商法の最初はエリック・シーガルの『ある愛の詩』で、アメリカのベストセラーを日本で当てることはできるのかということですよね。あれと並行して『野性時代』が出てきて、あの当時のライバルは『プレイボーイ』だったと思うんです。プレイボーイのエロを小説では西村寿行とかが補ってくれてたわけです。

新城 私的には、永井豪先生が強烈に。

田中 角川商法で本屋の平台が変わってしまいましたからね。

稲葉 あの時、版権がでかいというのがありましたよね。吉本隆明の『記号の森の伝説歌』は確か『野性時代』だったんじゃないかな(*1975年から1984年まで連載)。

田中 吉本の初期三部作を文庫化したのもあの時期ですよね。角川文庫の新しさは、表紙にイラストや写真を持ってきたというのがありますね。当時、文庫は棚に入っているんですけど、角川は他の単行本と同じく平積みにされるビジュアルを持っていたんですよ。同時にやったのがマルチメディア戦略ですね。結局、角川商法の限界は映画から来てしまったんですね。当時、配給会社は系列映画館で上映するという方式がとられていたのを角川は打ち破ろうとしたわけなんですが、それに失敗した。それができるようになったのが、90年代後半でシネコン方式がとられるようになってからですね。あと個人的に麻薬に手を出したっていう…

稲葉 角川は春樹もそうだし、弟歴彦も、どちらも異様なビジョンを持った人ですよね。

新城 『野性時代』と角川商法から色々派生しているんですね。歴史的には『野性時代』の成功からライトノベルが発生してきたわけだし、昭和的なものすごい人が映画を作ったり…『日本沈没』もそうですよね。あれは東宝ですが。当時はそういう情熱と、やってもいいよという凄いプロデューサーがいた。それがどうして受けたか、というとスターウォーズの影響もあったりでなかなか複雑ですが。

稲葉 ガンダムのせいでヤマトの影響感が一気になくなってしまったんですけど、ある時期まではすごい存在感でしたよね。

田中 しかもヤマトは再評価ですよね。初回放送時は、裏番組は「猿の軍団」がやっていて、それに小松左京は関与していましたよね。当時みんな男の子は「猿の軍団」、女の子は「アルプスの少女ハイジ」を観ていて、ごく少数派だけが「ヤマト」を観ていたんです。

稲葉 オリジナルのドラマの「猿の惑星」も似たような感じですよね。あれだけのものを作ったのに変なふうに蘇って。

新城 『猿の惑星』の世界観で人間が言葉を喋っちゃダメだろ!と私なんかは思うんです。

田中 「さよならジュピター」もいろいろな問題をはらんでますね。当時これと「だいじょうぶマイフレンド」が僕の中ではごちゃごちゃ。

稲葉 あれで借金を村上さんは背負ったわけですよね。

田中 あと手塚治虫の24時間テレビに書いたインチキSFが今では美談になってしまっていて、当時あまりの酷さに驚いたのに。

新城 美談というか怪談というか。放送が始まった時に後半パートをまだ作ってたという伝説も。

田中 このまま行くと「さよならジュピター」も美談になりかねないので、当時を覚えている人間がドライに言うべきですよ。

稲葉 あれは直後から糾弾の嵐でしたよね。企画会議からいきなり高千穂遙が先導してプロレスの話をして分けわからなくなったという都市伝説がありますよね。議事録が欲しいと思うんですけど。

田中 「さよならジュピター」はうかうかすると美談になってしまうからもう一度見なおそうということですね。

新城 当時映画を作るということが、今とは違った意味を持っていたんだなということは感じます。

稲葉 個人ではできない巨大プロジェクトですからね。その意味で言うと、SFファンタジーが日本映画を牽引することになったのが宮崎アニメなんだけど、宮崎駿という人が規格外の天才であったんですね。映画の意味が前後で変わることと関係していますが、宮崎駿はそうした意味だと異様な存在ですね。

切通理作さんが指摘されましたが、あの人は時間さえ許せば一人で長編アニメを作るポテンシャルを持っているんです。だけど現実的には商売にならないからプロダクションになっているんです。あのプロダクションは宮崎の下働きに過ぎないわけです。僕は『ナウシカ解読』を書いているときはそれを認識していなくて、一人で漫画を書いているときの宮崎とプロジェクト・リーダーの宮崎、少なくとも二人の宮崎がいるんだろうと思っていたの。だけどそうではなく、宮崎は一人しかいなかった。

しかしそういう体制のものとでは、後継者が普通の意味では育たないし、おそらくは宮崎の手綱をいかに取るかというのがジブリの大問題なんですね。鈴木敏夫の大きな功績は宮崎を上手く飼い慣らしたというところにあるんでしょう。あと岡田斗司夫さんが言っていますが、宮崎吾朗がなぜ重要かというと、宮崎駿に叩かれても萎まない「息子」であるということ。他人だと喧嘩して出ていってしまうんですね。プロジェクトとしての映画と個人技としての映画の端境期に彼もいるんだと思います。他に彼レベルで突出した技量を持った映画作家はいないのかな。

田中 そろそろ締めましょう。今回の鼎談では、主に小松左京のSFに代表される作品群が、一種のジャーナリズムとして、想像的でかつ科学的でもある情報を日本人に伝える機能をもっていたこと、それが日本の「物語」として、SF領域を超えて、文化的な土壌に浸透していったことが確認できましたね。

またSF第一世代の活躍がどのようなものかを、後半は80年代の終わりぐらいまでを実際にたどり、その多様な発展や他メディアとの交流をも語っていきました。SFがその本来の狭いジャンルを超えて、ほかの領域との接近遭遇を繰り返し、そこから新しい「物語」の方向を見出していくということが、これからも求められるのではないか、という思いを強く持ちました。今回はその最初の第一歩として、これからもさらに続けていくべき試みではないかと思いました。

プロフィール

稲葉振一郎社会哲学

1963年生まれ。明治学院大学社会学部社会学科教授。専門は社会哲学。著作『社会学入門』(NHK出版)、『オタクの遺伝子』(太田出版)など多数。

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新城カズマ小説家/架空言語設計家

小説家/架空言語設計家。著作『サマー/タイム/トラベラー 』(ハヤカワ文庫JA)、『星の、バベル 』 (ハルキ文庫―ヌーヴェルSFシリーズ)など多数 。近刊に『物語工学論 キャラクターのつくり方』 (角川ソフィア文庫) 。小説新潮で『島津戦記』連載中。

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田中秀臣

上武大学ビジネス情報学部教授。著作『AKB48の経済学』(朝日新聞出版)、『日本建替論』(共著、藤原書店)など多数。

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