ヘイトスピーチと「傷つきやすさ」の社会学

ヘイトスピーチはなぜ許容されるのか

 

2000年代後半以降の日本社会では、いわゆる「ネット右翼」や「行動する保守」などと呼ばれる人々による、外国人住民をはじめとする民族的・社会的マイノリティ(*1)に対する攻撃的な言動が注目を集めるようになった(板垣2013; 安田2012; 前田2010a; 高・雨宮2013)。それにともない、「ヘイトスピーチ」という概念への関心も改めて高まっている。

 

(*1)本稿では「マイノリティ」を、ある社会においてネガティブだとされている差異(マイノリティ性)を有しているがゆえに不利な立場に置かれた人々と定義する。なお本稿では、近年の日本において急速に顕在化してきた、外国人住民をはじめとするエスニック(人種・民族的)・マイノリティへのヘイトスピーチを主な検討対象とするが、それ以外の社会的マイノリティへのヘイトスピーチについてもあてはまる分析については、「エスニック・マイノリティ」ではなく「マイノリティ」という言葉をあえて用いる。

 

本稿ではヘイトスピーチを、人種・民族/エスニシティ・宗教・ジェンダーといった集団に属しているとみなされた人々に対して、そうした属性を侮蔑し差別意識を煽って憎悪をかき立てるような表現と定義する(Delgado and Stefancic 2004: 11-12; 桧垣2010: 232; 長峰1997: 180; 小谷2004: 149; 安西2001: 2; 飛田2004: 204; 師岡2012a: 55-56)。従来、日本ではヘイトスピーチに関する学術研究は法律学の領域において行われることが多かった。そのなかにはヘイトスピーチが被害者やその所属する集団、そして社会全体に与える害悪を重視し、その規制を訴える議論もあるが、おもに米国での判例を念頭に、表現の自由を重視する立場から規制に消極的・批判的な主張も多い(奈須2000, 2004ab, 2009; 志田2002; 師岡2012b; 榎2006; 小谷1999, 2004; 梶原2007)。

 

筆者の専門は社会学であり、ヘイトスピーチ規制の是非をめぐる法律学的な論争に介入する能力はない。いっぽうヘイトスピーチをひとつの社会現象としてとらえたとき、それが明らかに非道徳的で非人道的であるにも関わらず一定の社会的影響力を維持している理由を解き明かすことは重要である。社会学の領域における先行研究のなかには、レイシズムやヘイトスピーチを人々が支持する要因の分析や、そうした集団に人々が動員されていく過程の分析を試みたものもある(樋口2012, 2013)。

 

それに対して、今日の日本社会では、レイシズムやヘイトスピーチを「支持」しているとまではいえない人々、とくに若者のあいだでも、そうした発言や主張が黙認・許容されてしまう「空気」が広がっていると指摘する論者もいる(安田2012: 314-365; 有田2013; 16-17)。この「空気」がもっともわかりやすく表象されているのはインターネットにおける言説であるが、インターネットもまたメディアである以上、そうした言説を形成し、それに影響されながら現実の社会で暮らす人々が存在する。本稿ではレイシズム・ヘイトスピーチを黙認・許容する、現実社会におけるこうした「空気」の存在を仮定したうえで、それがレイシズムやヘイトスピーチ運動が影響力を維持・拡大する社会的土壌を提供していると仮説づける。

 

この「空気」の実態を実証的に明らかにすることは現在の筆者の力量では困難だが、それは筆者が大学生に対して多文化主義や多文化共生を教える際に直面しているものでもある。

 

教員としての筆者が接している日本の若者たちは、受験、恋愛や人間関係、家族関係、就職活動や将来の進路選択など、さまざまな出来事を日々経験する。その結果、心理的に「傷つきやすい(vulnerable)」状況に置かれる若者も少なくない。そうした若者といっしょにマイノリティと社会との関係について議論すると、自らの「傷つきやすさ(vulnerability)」を強く意識している人ほど、マイノリティの権利の擁護や差別からの保護の主張に対して複雑な反応を示す。それは、同じように「傷つきやすさ」を抱えたマイノリティへの共感という、教師がしばしば期待する反応であるとは限らない。むしろ、同じように「傷つきやすさ」を抱えているのに、なぜマイノリティの人々だけが保護され、優遇されなければならないのか、という違和感・反感であることも少なくない。

 

そんなとき、「マジョリティであるあなたの『傷つきやすさ』は『たいしたことではなく』、マイノリティの『傷つきやすさ』は『より深刻』なのだ」という「教育的」説得はあまり有効でない。誰にとっても、自分自身の「傷つきやすさ」は自分にとっては「たいしたこと」であり、他人の経験と安易に比較などできないからだ。

 

この「傷つきやすさ」は単に個人的な感情というだけではなく、社会的な条件のなかで構築され、人々に内面化されていくものでもある。それゆえ、もし人々の「傷つきやすさ」がヘイトスピーチやレイシズムを黙認・許容する風潮と関係しているのであれば、それに注目することでレイシズムやヘイトスピーチの社会的影響力の拡大メカニズムを社会構造・社会変動研究の観点から分析できるだろう。そのような問題意識から、本稿では社会的構築物としての「傷つきやすさ」が、社会現象としてのレイシズムやヘイトスピーチの影響力の拡大とどのように関連しているかを試論的に考察する。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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