2013.10.29

ヘイト・スピーチと「自由」の意味

早川誠 政治理論

社会 #自由論#ヘイト・スピーチ#多文化共生#J.S.ミル

法規制とその外部

ヘイト・スピーチをめぐる議論は、現在のところ多くの場合で法規制に関する問題に集中している。すなわち、現在の日本の法制度の下でヘイト・スピーチを規制することが妥当か否か、または、もし現在の法制度で不十分なのであれば新たな法規制のあり方に踏み込むべきかどうか、という問題である。これらの問題に関する見解は多様で、言論の自由と天秤にかけた場合に積極的な規制に踏み切るべきではないという立場から、国際人権基準に準拠して厳格な規制をおこなうべきだという立場まで広がりを持っている。とはいえ、その間の距離は見た目ほど遠いというわけではない。

ヘイト・スピーチは、民族や性別などの属性を理由に、少数派集団に対して差別的、侮蔑的表現を用いる行為とされる。したがって、単なる批判であればヘイト・スピーチの範疇には入ってこない。反対に、ヘイト・スピーチと見なされるケースでは、ある集団に暴力をふるって人々の生命に危険を及ぼすことを示唆するなど、法律を引き合いに出すまでもなく一般的な市民感覚として許容できない行為が多く含まれる。その意味では、確かに法律解釈や立法論の問題はあるにしても、それはあくまでも技術的な問題であって、何らかの形でヘイト・スピーチに対抗する必要がある、というところまでは多くの人が賛同するであろう。

ヘイト・スピーチに対して、表現の自由との衝突を理由に法規制に消極的な立場を取るにしても、それはヘイト・スピーチの承認とは異なる。厳格な法規制までは主張しないが、ヘイト・スピーチを勧めているわけではない、というのがその場合のスタンスの取り方である。ヘイト・スピーチに対しては、「思想の自由市場論」の立場から規制に消極的な態度が取られることがあるが、それもさまざまな思想や言論が競合し合う中でヘイト・スピーチが淘汰され駆逐されることを期待しているからであって、ヘイト・スピーチが奨励されているわけではない。

だが、このような法規制をめぐる問題が何らかの形で解決されたとしても、残存する問題はあるように思われる。安田浩一が在特会を描いた『ネットと愛国』(講談社)の中で、ヘイト・スピーチの問題に直面した人物の次のような述懐が記録されている。

在特会って、わかりやすいですよね。腹も立つし、悲しくもなるんやけど、あまりにわかりやすいだけに恐怖を感じることはないんです。僕が怖いのは、その在特会をネットとかで賞賛している、僕の目に映らない人たちなんです。いっぱい、おるんやろうなあと思うと、正直、つらくてしかたないんですよ(363頁)

著者の安田自身もまた、この述懐を受けて次のように記述する。

たとえ在特会がどんなにグロテスクに見えたとしても、「社会の一部」であることは間違いない。彼らは世間一般の、ある一定の人々の本音を代弁し、増幅させ、さらなる憎悪を煽っているのだ(364頁)

ここで示されているのは、法律上の問題ではない。どの程度の広がりを持つかはわからないにしても、一定数の(ヘイト・スピーチを浴びせられる当事者からすれば自らのアイデンティティをひどく傷付けられるほどに相当多数と感じられる)一般の人々が、法律とは関係なく、ヘイト・スピーチが広がる状況について、少なくとも消極的には認容しているのではないか、という問題である。先ほどの法律上の議論では、規制積極派も消極派もヘイト・スピーチに賛同しないという点では一致していた。しかし、もしかしたら世論の中には、こうした法律論とはまったく別の次元でヘイト・スピーチを支えるような風潮があるのではないか。

はっきりとした表現形態をとらない風潮を数値化することは難しい。実際にはヘイト・スピーチの激烈さに惑わされているだけで、そのような風潮は大した広がりを持っていないのかもしれない。だが、ヘイト・スピーチを伴うデモがかなりの人数を動員していることも確かで、隠れた憎悪の広がりを恐れるには十分である。その上、日本の社会にはヘイト・スピーチへの強い抵抗力が育たないような土壌があるのではないか、と思われる節もある。

以下では、政治理論の分野から、自由論と多文化主義論という二つの領域の知見をもとにして、この問題を考察してみたい。というのも、やや遠回りではあるのだが、この分野での日本の議論の特性がヘイト・スピーチ論争の構造を深く規定している可能性を否定できないからである。

自由の意味

ヘイト・スピーチと表現の自由が相対していることからもわかるように、ヘイト・スピーチを認めるかどうかは自由の問題領域に関連している。ヘイト・スピーチは許されない言論である。しかし、言論の自由は憲法上もっとも重要で、厳格に守られなければならない権利でもある。そうであるならば、ヘイト・スピーチが許されないにしても、それが言論である以上は、どこまでが許されどこからが許されないのか慎重に判断する必要があるのではないか。その基準はどこに求められるのか。

このような自由をめぐる議論で、しばしば出発点とされるのが、J.S.ミルが『自由論』(1859年)で表明した、いわゆる「危害原理」である。

この論文の目的は、用いられる手段が、法的刑罰という形の物理的力であれ、世論という道徳的強制であれ、強制と統制という形での個人に対する社会の取り扱いを絶対的に支配する資格のある、一つの非常に単純な原理を主張することである。その原理とは、人類が、個人的にまたは集団的に、だれかの行動の自由に正当に干渉しうる唯一の目的は、自己防衛だということである。すなわち、文明社会の成員に対し、彼の意志に反して、正当に権力を行使しうる唯一の目的は、他人にたいする危害の防止である。(「自由論」『中公バックス 世界の名著 ベンサム・ミル』224頁)

つまり、個人にせよ国家にせよ、他人の自由を束縛できるのは、その他人の自由な言動によって他の人びとに害が及ぶ場合に限られる、ということになる。逆に、もしある言動が他の人びとに害を及ぼさないのであれば、その内容がいかに常識外れであっても、また国家の進める政策から隔たっていても、干渉は許されない。このミルの危害原理は、特に言論の自由に対する国家からの不当な干渉を排除する論理として重要視されてきた。

だが、自由の概念は危害原理だけに尽くされるものではない。20世紀自由論の古典とされる「二つの自由概念」(1958年講演)で、I.バーリンは、他人からの干渉を受けない「消極的自由」と、自分の人生の方向性を決定していく「積極的自由」とを区別して論じている。ミルの危害原理は消極的自由に含まれるが、消極的自由ではどのような生が営まれるべきかという内容については論じられない。しかし、欲望や情念からの自由などという表現があることからもわかるように、人間はただ自分の欲するままに生きることそれ自体を自由と感じるわけではない。自由であるということは、何か有意味な目的を実現するために理想的な生を営んでいくこととも考えられる。その理想を提示できる存在としては、国家や教会や民族のような集合体が挙げられる。消極的自由においては集団による干渉を排除することで自由が獲得されたのと対照的に、積極的自由においては集団の一員として生きることで人は自由になると考えられるのである。

このように、消極的自由と積極的自由は、同じ自由を論じながら正反対の結論に行き着いてしまう。しかもさらに厄介なことに、バーリンによればこの二つの自由を別個のものとして切り離すことはできない。それは、なぜか。消極的自由が認められたとしても、それだけで人々は共存していけるわけではない。自由にふるまう人々が共存するには、何かの調整の基準がなければならない。その基準が「理性」である。一人一人が自由に振る舞ったとしても、理性に従っていれば人びとが衝突することはない。

もしもわたくしが理性的存在であるなら、わたくしにとって正しいことは、同じ理由によって、わたくしと同じく理性的存在である他のひとびとにとっても正しくなければならぬということを否定できないことになろう。理性的な(あるいは自由な)国家とは、あらゆる理性的な人間が自由に受けいれるような法律によって統治されている国家であるだろう。つまり、その法律は、理性的存在者としての人間が要求するものを問うてみることによって、かれら自身が制定した法律であるわけだ。(「二つの自由概念」『自由論』みすず書房、342-343頁)

自分にとって正しいことがそのまま他者にとっても正しいなどとは理性の押し付けであり、消極的自由が批判していた干渉と変わりない、という人もいるかもしれない。しかし、積極的自由の論理の中では、理性が押し付けられるなどということはありえない。正しい理性とは、自由な人々が本来自発的に到達すべき目標であり、もし理性から逸脱した生き方をしている人がいたとしたら、それこそ誤った考えに支配された不自由な人生なのだから。そして自分の過ちを理解しさえすれば、人は自らの意思で理性的な生き方をするはずであるのだから。こうして、正反対の意味を持つ二つの自由概念は、消極的自由から理性を経由し積極的自由へと至る連続体として理解されることになるのである。

日本における自由の理解

もうしばらく遠回りを続けよう。上記の自由概念の二重性は、日本における自由論の展開の中にも見て取ることができる。ただし、そこには独特のねじれも見られる。明治維新期に翻訳語としての「自由」が導入されて以降、伝統的要素との間にどのような化学反応が生じたかを分析した石田雄の業績を参考に考えてみたい(『日本の政治と言葉 上 「自由」と「福祉」』東京大学出版会)。

自由が広く論じられていた自由民権運動当時、革命の理念として支持されたのは、個別具体的な権利の複合体として理解されたイギリス型の“諸”自由ではなく、フランス型の抽象的な自由、いわば単数形の自由であった。しかも、その単数形の自由は、儒教における規範主義の伝統と結びつき、具体的な自由とは無関係に「自由の大義」だけが強調される。そのため、自由を論じているにもかかわらず、その自由の具体的内容が何であるのかは不明確で、ただ自由を求める心情的純粋さだけが尊重されることになる。

その結果、人民全体の自由を確保するためには外国への対抗力をつけることが必要だという論理をたどって、心情的自由論は国権論へと結びついてしまう。石田の議論を言い換えるならば、消極的自由を求め唱えられた自由の大義は中身のない器であり、その空隙(くうげき)を国家に依拠する積極的自由が埋めるという事態が生じた、ということになるだろう。

他方で、自由は日本の伝統の中にある欲望の解放の思想とも結び付く。明治維新で儒教の厳格主義が否定されると、解放された人欲は社会秩序の形成に向かう政治的な運動とは関係を持たず、与えられた現状の中で勝手ほしいままに振る舞う私的な現状肯定主義へと向かっていった。その結果、政治的に無力であると同時に、その放埓さゆえ間接的に自由への反感を醸成することに寄与してしまう。

自由の導入期におけるこうした様相は、第二次世界大戦後にも相似形のように繰り返された。敗戦は、戦時の抑圧的体制からの解放をもたらした。だが、戦い取ったのではなく与えられたに過ぎない自由は、ただ欲望のままに享受する対象として認知される。欲望の対象とされた自由は、しだいに放縦と同一視されることとなり、結果として自由一般への反感を高めることになってしまう。

また、アメリカ的生活態度をモデルとして導入された自由は、歓迎されこそしたものの十分に理解されることはなかった。かつてイギリス型の諸自由が十分に理解されず、フランス型の自由の大義が重視されたのと同じように、戦後日本では民主主義という大義への関心の陰に自由にかかわる問題は隠れ、具体的にどのような諸自由が擁護されるべきかという議論が主役の地位を得ることはなかった。民権論が国権論に回収されたように、戦後の自由論も国全体としての民主主義至上主義の中に回収されてしまったのである。

石田の議論は大筋で以上のような展開をたどるが、細かい論点について一つ一つ正誤を論証していく余裕はここにはない。だが、論旨全体の流れ、つまり日本における自由論が、一方では自由の大義として国全体での自由をどのように求めるかという論点に集約され(維新期の国権論と敗戦後の民主主義論)具体的な自由の内容があまり論じられなかったこと、他方で自由が論じられる場合には政治から離れた私的な欲望肯定論につながっていったこと、さらにこの二つの流れが交わらないままに進展していったことは大筋として認めてよいのではないだろうか。つまり、バーリンの言葉を用いるならば、日本における自由論は、一方では国を中心とした積極的自由論と、他方では個人の私的欲望を中心とする消極的自由論とに分極化していた、ということになる。

ヘイト・スピーチに対する日本社会の脆弱性

ここで遠回りを終えて、日本におけるこのような自由論の構造が、ヘイト・スピーチをめぐる論争にどのように影響しているのかを考えてみたい。法的な規制論が扱っているように、ヘイト・スピーチは言論の自由の問題とされる。だが、言論の自由と言った場合に、それがどのような種類のもので、何の目的のために必要かということについて、戦後の日本で議論が深まることはなかった。もちろん、国家権力の抑圧に対する抵抗、つまり消極的自由論として言論の自由が重視されたことに間違いはない。しかしながら、国家権力に抵抗した後、そこで何が目的とされるのかについて、市民の間に共有された議論の場は確立されなかったように思われる。むしろ、共有された議論の場をつくり出そうという試み自体が、かつての国権論のように抑圧的な一体性を生み出す運動につながりかねないとして、忌避されたのではないだろうか。

バーリンのように、積極的自由も消極的自由と同根であり、消極的自由が容易に積極的自由に転化しうると考えるのであれば、単に消極的自由があればよいというだけで議論を終えるわけにはいかなくなる。転化した積極的自由論が抑圧的である可能性もあるわけだから、積極的自由の求めるものが国家なのか、民族なのか、宗教なのか、それともそれ以外の何かなのかを検討しておくことが必要になるし、いずれを取るにしても危険が多いということになれば、積極的自由への転化自体を全力で阻止しなければならない。

バーリン自身は最終的に消極的自由を擁護するが、それは積極的自由への転化について考え抜き、それを危険だと判断したからこその政治的な選択であった。ところが、日本の自由論は、消極的自由論にあたかも閉じこもったかのように、積極的自由への転化の危険には目を向けない。私的な欲望肯定論としての自由論は、政治的な場への登場を想定せず、そのことによって結果的に積極的自由への転化を阻止する力を欠くことになる。

ヘイト・スピーチは、この間隙を突いた。前段で述べたように、消極的自由が積極的自由へ転化する危険性を重視するならば、自由の内容を検討することは必須の作業となる。しかし、消極的自由を獲得した後に何を目指すかについて各自に任されるということならば、それがどのような積極的自由に転化しようとも問題化されることはない。ヘイト・スピーチの侮蔑的な表現でさえ、転化された積極的自由の一種として存在を許されてしまう。しかもこのような言論の場の構造の中で、ヘイト・スピーチは日本におけるもう一つの自由論の極点へと引き寄せられていく。すなわち、日本国家による自由の確保という、かつての国権論的な立場である。

ヘイト・スピーチは「誰が日本人でないか」を強調する。しかし逆に「日本人とは誰か」について語ることは少ない。日本人とは日本人でない者を定義することによって確かめられているとも言える。そこでは、そもそもいわゆる「日本人」自体に多様性があるのではないか、という論点に関する問題意識は薄い。網野善彦の言葉を借りれば、日本を強調しているにもかかわらず、そこで語られているのは「なんとなく日本人、いつまでも日本人」(『日本社会の歴史(上)』岩波新書、ii頁)という日本人像でしかないのである。

だが、こうした日本人像の曖昧さについては、ヘイト・スピーチに反対する立場においても同様の問題が生じうることに注意しておく必要がある。というのも、自由の大義と民主主義至上主義に隠れて具体的な諸自由の検討が行われなかった結果、「日本人とは誰か」という問題に対して、「平等な個人」という以上の答えは見いだせていないからである。そこでの平等とは、国家から自由を得た個人という意味での平等であって、どのような生の目的を追求するかはあくまでも各個人に任せられている。そして、各人に任せられた自由は、結局その内容や目的について語ることが少なく、それゆえにヘイト・スピーチの曖昧な日本人論に対しても一定の寛容さを持ってしまうことになるのである。

日本における多文化主義と多文化共生

この問題は、日本における多文化主義の受容という問題にも関わっている。多文化主義は、カナダの多文化主義政策や米国の多文化教育、ヨーロッパの移民政策など、国家内のさまざまな民族集団に注目し、平等な処遇を実現しようとする政治動向として展開してきた。近年では、一定の政策対応が定着する一方で、「多文化主義の失敗」が論じられるなど揺り戻しも見られる。今後多文化主義がどのような道をたどるかの予測は難しいが、いずれにしても日本において特徴的なのは、多文化主義の失敗以前に、そもそも多文化主義がこれまでほとんど注目されてこなかったということである。

とはいえ、日本でもいわゆる多文化共生論は盛んである。近年では、特に地方政治・地方自治の文脈で、外国人住民の増加を受け、異なる文化を持つ人々の間での交流と共生の試みが広がっている。総務省から平成18年3月に発表された「多文化共生の推進に関する研究会報告書~地域における多文化共生の推進に向けて~」では、冒頭で以下のように述べられる。

地域における多文化共生の推進については、これまでは外国人住民が集住する地域の地方自治体が必要に迫られて先進的な取組を行い、国に対して制度改正要望を行ってきたが、国の各省庁の対応は必ずしも十分なものとは言い難く、また、総合的・横断的対応に欠けていた側面は否定できない。国レベルの検討は、これまで主に外国人労働者政策あるいは在留管理の観点から行われてきたが、そうした観点からのみ捉えることは適当ではない。外国人住民もまた生活者であり、地域住民であることを認識し、地域社会の構成員として共に生きていくことができるようにするための条件整備を、国レベルでも本格的に検討すべき時期が来ていると言えよう。

また最近では、東日本大震災を受けて、外国人住民に対する災害時対応という観点からの検討も行われている。

しかし、これらの多文化共生政策は、基本的にはまず従来型の地域や自治体というものが前提としてあって、そこにどのように外国人住民が溶け込んでいくかという問題設定を脱していない。「外国人住民もまた生活者」という表現は、たとえば多文化主義でしばしば論じられる「差異の政治」への問題意識とのずれを感じさせる。つまり、言語や生活習慣などにおいて単に主流派文化と同じ処遇をするだけでは必ずしも平等が実現されない非主流派文化に異なる処遇を認めるのか、特別な言語権を認めたり一定の範囲で自治権を認めたりすることが必要なのか、といった論点への関心が希薄なのである。

本来の多文化主義の問題意識は、単に主流派文化の中に少数派をどのように受け入れるか、ということにはとどまらない。ある文化に属するものは、自らの文化が重要で意義あるものとして認められることを希望する場合がある。そこでは、文化は構成メンバーにとって生の意味や目的を与えるものと認識されている。宗教的な帰属を考えればわかりやすいだろう。その場合、消極的自由の観点から平等な個人として認められても、あるいは主流派文化を軸に構成される主権国家の枠組みに平等に参加する積極的自由が与えられても、「差異の政治」が論じるような意味での平等は達成されない。文化が重要だと主張されるのは、個人でも国家でも汲み取ることのできないそれぞれの生の目的、つまりそれぞれのアイデンティティが問題だからである。

それにもかかわらず、「平等な個人」という消極的自由論と「曖昧な日本人」という国権論的な積極的自由論に分極化した日本の自由論の構成の中には、文化的な生の意味を位置づけることが可能な場が存在しない。多文化主義に対して賛成か反対かという問題以前に、多文化主義の問題提起が当てはまるような議論の場がないのである。多文化主義ではなく多文化共生というわずかにニュアンスの異なる言葉が用いられるのも、それゆえのことであろう。さらに言えば、多文化共生の目的が、外国人誘致と経済活性化という市場主義的な方向へと回収されてしまう場合があるのも、こうした自由論の構造が与ってのことと言えるかもしれない。

議論の場の形成

先にも述べたように、近年は多文化主義の失敗も論じられるようになってきている。もともと異なる文化の共存は難しく、多文化主義のさまざまな議論ですら、共存を実現するための最終的な解答になっているとは言い難い。その意味で、多文化主義は万能ではない。また、特に第二次世界大戦当時の社会という歴史的経験を持つ日本で、文化や生の目的、生の意味について論じることの危険性も見過ごすことはできない。先に述べたように、積極的自由概念を提示したバーリンも、最終的には積極的自由論の危険性を憂慮し、消極的自由論を擁護していた。消極的自由にこだわるには、それ相応の十分な理由がある。

だが、現実の問題として、これから日本社会の多様性はますます増加していくことになるだろう。それに応じて、文化をめぐる問題も複雑さを増してくる。単に消極的な自由概念を固守しているだけでは、さまざまな文化が共存する社会を実現することはできない。社会の中で独自の文化が維持され、そして承認されることに意味を見出す人々が増えてくれば、消極的自由の領域にとどまるだけでは衝突を避けることはできないからである。ヘイト・スピーチは、こうした日本の問題状況を先鋭な形であぶり出したと言ってもよいだろう。

消極的自由へのこだわりと積極的自由からの要請という二正面に同時に応えることは非常に困難な作業である。唯一の解答を見つけることは不可能かもしれない。だが他方で、バーリンが論じたように両者が連続体であり、問題の発生が不可避だというのであれば、少なくとも生の目的や意味について議論をする用意だけはしておかなければならない。では、出発点はどこに求めればよいのか。

ヘイト・スピーチのように侮蔑的な言葉が誰かに投げかけられてよいわけがない、ということははっきりしている。その点では、たとえ消極的自由の中で自由の内容が議論されてこなかったといっても、許容されるべき自由の内容に関する直観的なイメージが人々の間にまったくないわけではない。その最低限の共感を基盤として、消極的自由と積極的自由の中間域に、文化とアイデンティティをめぐる言論空間を意識的に構築していくことは少なくとも可能だろう。解決からはほど遠い小さな一歩であり、両極に引き込まれやすい脆弱な一歩でもあるが、それこそが異なる文化が共生する社会を形成していくために必要な一歩でもあるということを、私たちは理解しなければならないのである。

サムネイル「09.WhatSay.Self.SW.WDC.28nov05」Elvert Barnes

http://www.flickr.com/photos/perspective/68225196/

プロフィール

早川誠政治理論

1968年生まれ。立正大学法学部教授。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は現代政治理論。著書に『代表制という思想』(風行社、2104年)、『岩波講座 政治哲学 第4巻 国家と社会』(岩波書店、2014年、共著)他がある。

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