2013.11.01
ネット中傷被害を考える ―― もし、ネット上で「殺人犯」にされてしまったら
ある日、突然「殺人犯」に!? 前ぶれもなくはじまったネットでの中傷被害に、10年以上も悩まされることになったお笑い芸人・スマイリーキクチ氏。見えない敵とどう戦ってきたのか、ジャーナリストの江川紹子氏と共に語り合う。(構成/山本菜々子)
事件の発端
江川 『突然、僕は殺人犯にされた』(竹書房)を拝読いたしました。キクチさんは全く身に覚えのない事件の犯人と疑われ、10年間以上もネットでの誹謗中傷を受け続けた。まずは、どのような被害を受けたのかについてお話して頂ければと思います。最初に被害を受けたのはいつですか。
キクチ 今から14年前の1999年です。事務所のホームページに設置されている掲示板に「殺してやる」「死ね」「人殺し」といったぼくへの誹謗中傷が書きこまれるようになりました。あまりにも身に覚えがなかったので、怒りが湧いたというよりも不思議な感覚でした。
ぼくが犯人として疑われた事件は、1988年に足立区で起きた凄惨な殺人事件で、当時犯人達は少年だったので名前が伏せられました。たまたまぼくが足立区出身で、犯人達と同世代だったので、このような書きこみがあったのかと思っていました。
江川 何件くらいあったんですか。
キクチ 1000件くらいはありましたね。読んで行くうちに疑問がどんどん膨らんでいきました。中には「殺人事件をネタにしやがって」といった書きこみもあり、この人達は何がしたいんだろうと思っていました。
当時はまだ携帯電話にインターネット機能が付き始めたばかりで、誰もが気軽にネット詮索をする時代ではありませんでした。それほど影響力があるとは感じていなかったので、否定すればすぐ終わるものだと思っていました。
江川 デマについて否定はしたんでしょうか。
キクチ しました。事務所のホームページ上で「このような事実は一切ございません」とコメントしたんです。すると、「やってない証拠を出せ」とまた中傷がはじまりました。
江川 やっていない証拠なんて出せませんよね。言う方に説明責任があるに決まっています。
キクチ 噂自体がどこから出てきたのかも分かりません。「ライブ終わりに来てください。疑問に答えます。」と告知して待っていても誰も来ませんでした。しかし、怒りの矛先が自分に向かっているのを感じました。中傷があまりにも酷いので、事務所のホームページの掲示板を閉鎖したんですが、そうすると仕事先に苦情が来るんです。当時出ていたCMの会社やテレビ局などにも「殺人者をテレビに出すな」という抗議が多数ありました。
仕方ないので、事務所の掲示板を再開させると、また誹謗中傷が続き、ファンの方がぼくを擁護する書きこみをしてくれたら、その方々まで「犯罪者擁護だ」と叩かれてしまいました。さらに、ライブに来てくれるお客さんに対しても殺害予告がありました。そこで、事務所の判断で警察に相談しようと思ったんです。
江川 最初のうちはいくら警察に相談しても取り合ってもらえなかったようですね。
キクチ 当時はインターネットの犯罪がほとんどなかったため、書きこみに対して「危険性がない」という判断がされました。刑事さんにも一生懸命やっていただいたんですが、そもそもインターネットがわからない刑事さんも多かった。
江川 噂の出所は分からなかったのでしょうか。
キクチ 数千の誹謗中傷の書きこみのうち、5件の発信元を割り出すことができました。しかし、本当にその人が発信したのかが分からないということで捜査は打ち切りになってしまいました。
後で分かったのは、「犯人の実名」として数人の名前がある掲示板に書き込まれていて、そこにぼくの本名である「菊池聡」または一文字違いの「菊地聡」という名前が一緒に並んでいたということです。そこから、スマイリーキクチと本名も出身も一致すると思われたのでしょう。しかし、その並んでいる名前には何の根拠も信憑性もありません。なぜこのような情報を信じてしまえるのか不思議です。
その後、段々と噂は収まっていき、ぼくも安心していました。しかし、2008年にブログをはじめてから、また誹謗中傷が書きこまれるようになります。
前例ありき
江川 2008年にブログをはじめたら、誹謗中傷の多さに驚いたということですね。
キクチ もう何年も前に終わった話だと思っていたので、まだ続いていることに衝撃を受けました。疑問に思い調べてみたところ、事件を扱った一冊の本に辿りついたんです。
その本は「元刑事」という肩書きの人が執筆したもので、「犯人の一人は少年院を出てお笑いコンビを組んでいる」という内容が書いてありました。「Yahoo! 知恵袋」では「本に書かれていたお笑い芸人は誰ですか」という質問に、ぼくの名前が回答としてあげられていましたので、この本の影響力は大きかったと思います。
実際に、発売前の2005年ごろにはほとんど苦情や抗議はありませんでしたが、発売後から誹謗中傷が急激に増ました。この本にある犯人は何の根拠もないデマの情報でしたが、「元刑事」という肩書きだけで信じてしまう人が出てきてしまったんです。
ブログはコメントを承認制にしていたので、事件に対する書きこみは削除されるようになりました。しかし、今度はブログで交流している周囲の人達に攻撃をはじめたんです。しかも女性だけに的を絞り執拗に攻撃をしていた。2ちゃんねるのスレッドなどでは、自分のやった行為を自慢げに報告する人もいて、まるで誰が一番苦しめたのかを競うゲームのようでした。
このように、ぼく自身だけではなく周囲の人にまで攻撃の対象が広がってしまったため、警察に再度相談することにしました。時代的にも、これだけインターネットが普及しているなら大丈夫なのではという思いもありました。
江川 周りに被害が及ぶのが許せなかったということですね。今度は対策してもらえたのでしょうか。
キクチ まず、「ハイテク犯罪対策総合センター」という警視庁窓口に電話をしました。すると、「誹謗中傷というのはほっとけば収まる」「サイトに削除依頼をすれば消してくれる」と言われてしまいました。
江川 実際は簡単に削除してくれませんよね。
キクチ そうなんです。お互いの知識についても差がありました。8年間誹謗中傷を受けていることを言っても、「誰もキクチさんのことを犯人だと思っていませんよ」と取り合ってくれませんでした。ぼくも必死だったんで、一生懸命訴えたら上司に電話を代わられて、また一から説明しなければいけない。こんなことの繰り返しで、たらい回しにされました。所轄の警察署に行った時も「あなたが殺されたら捜査してあげる」と笑われて、悔しい思いもしましたね。
警察の不祥事や怠慢などのニュースを目にする度に、こういう警官も中にはいるんだなぁとしか思っていませんでした。しかし、実際に自分の身に危険を感じて相談してみたら、深刻な被害を受けてはじめて調査してくれるところだと知りました。しかし、それじゃあ遅いんですよね。
確かに、ストーカー被害の対策も、被害者が殺されてはじめて「ストーカー規制法」が設定されました。被害を受けないとなにも出来ないというのが今の司法の在り方なんだと思いましたね。
結局、「刑事告訴をしたい」と、生活安全課ではなく刑事課にいったら対応してもらうことができました。この件で勉強になったのは、警察にも様々な課があるということです。病院で例えると、今までは、鼻水が出るのに整骨院にいっていたようなものでした。
そこで、担当して下さった刑事さんがインターネットに詳しい方で、積極的に捜査してくださったんです。2008年に名誉棄損罪として19人を検挙することになりました。
真剣度が違う!?
江川 19人の検挙が明るみになると、メディアに大きく取り上げられましたね。
キクチ 新聞を読んで驚いたのは、ネットの書きこみを情報源にした記事になっていたことですね。それまでは、新聞ってもっと綿密に取材をして、記事を書いていると思っていました。
例えば、ある新聞ではぼくを「足立区の元不良」という肩書きで事務所が売りだしたのが、殺人犯と疑われた理由と記事に書いてありました。しかし、そんな事実は一切ありません。ネットにあったデマの一つです。そもそも、そんな売り出し方をしてどんな仕事が来るんだと、普通に考えればわかりますよね(笑)。
本当の発端は、ぼくの本名が殺人犯の一覧としてネットに書きこまれたとことが原因ですが、そのことは新聞には一切のっていませんでした。
江川 取材は受けられたんですか。
キクチ 当時は一切受けませんでした。事実無根を証明したいだけで、売名行為だと思われるのが嫌だったんです。
しかし、後で捜査をして下さった刑事さんに、「マスコミがもっと扱っていたら送検後の結果が違ったかもね」と言われて、世間の声って大きいんだと思いましたね。
江川 マスコミが取り上げているから、頑張るというのもおかしいですよね。
キクチ みんな普通の人間なので、やる気のある人もない人もいます。警察も検察も沢山の仕事に追われていますから、世論が注目していないと真剣度が落ちるのも、仕方のないことなのかもしれません。
江川 逆に、マスコミで取り上げられたり、世論が盛り上がると、法律的には無理なことでも捜査機関はやらなければいけない雰囲気になっていくこともありますよね。例えば、JR西日本の「福知山線脱線事故」。事故の原因を作った運転士は死亡しているし、今の法律体系では誰の刑事責任を問うことも難しい。けれども、それでは被害者が納得しない。マスコミは被害者の言うことは常に肯定的に伝えますから、誰かを刑事訴追しないと捜査機関に非難が集中する雰囲気が出来上がってしまう。
それではたまらないということで、何とかかんとか一人を起訴する。裁判では、当然、無罪になりましたが、これはこれで問題ではないか、と思います。キクチさんの場合は、マスコミに取り上げられなかったという理由もあるかもしれませんが、当時の状況では、インターネットの知識の有無で対応に差が出てしまうというところもあったでしょうね。
キクチ そうですね。特に、インターネットなんて年配の方はよく分かりませんから。「見なければいいじゃない」という一言ですまされてしまう。しかし、ぼくが見なくても、スタッフさんから「こんなことが書いてあるんですが」と問い合わせが来ることがあります。ぼくがいくらインターネットを拒絶していても、周囲に影響を与えてしまうんです。
江川 とはいえ、キクチさんがはじめて相談された時と、警察も検察もネット犯罪に対する意識は変わっていますよね。秋葉原の事件が起きて以降、殺人予告の摘発が増えています。
一方で4人が誤認逮捕されて2人が虚偽の自白に追い込まれたパソコン遠隔操作事件のような冤罪事件も出てきます。その後に鳴り物入りで逮捕された現在の被告人に対しては、警察は160人もの捜査員を投入しました。この件については、彼が本当に犯人なのかは捜査上の問題点もたくさんあり、今後の裁判を見ていかないと何ともいえないところがあります。ただ、サイバー犯罪に対して、警察は専門の人を置いたり、外部と提携したり、積極的に対策しようとはしています。状況はかなり変わっていますよね。
キクチ そうですね。被害を受け始めた1999年当時と比べれば状況は変化しているでしょう。
江川 検挙された人たちは処分を受けなかったんですよね。
キクチ 結局、検挙した犯人は、不起訴処分になり事件は一応幕を閉じる形となりました。
(つづきは「α-Synodos vol.135」で! → https://synodos.jp/a-synodos)
α-synodos vol.135 発信の重みを感じて
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プロフィール
江川紹子
東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、神奈川新聞で社会部記者として勤務。その後、フリーランスに。著書に『人を助ける仕事』(小学館文庫)、『勇気ってなんだろう』(岩波ジュニア新書)など。近刊では、村木厚子『私は負けない』(中央公論新社)の取材・構成を担当。
スマイリーキクチ
昭和47年東京下町生まれ、平成6年よりピン芸人「スマイリーキクチ」として活動。危ないコントや毒のある漫談を、笑顔と独特のキャラクターで演じる。ネット中傷被害の経験を活かし、学校や教育関係での講演活動も行っている。著書「突然、僕は殺人犯にされた」(竹書房)