2013.01.17

コミュニティデザインを考える 

山崎亮×古屋将太×大野更紗

社会 #ISEP#環境エネルギー政策研究所#コミュニティデザイン#ランドスケープデザイナー

「つながりをデザインする」 —— 地域住民が自分たちの手で自分たちのまちを築いていくために必要なものとは何か。まちづくりワークショップ、市民参加型のパークマネジメントなど、全国で50以上のコミュニティづくりにかかわる山崎亮さんへのインタビュー。(構成/宮崎直子)

コミュニティデザインとは何か

古屋 本日はわたしと大野さんで、山崎さんに「コミュニティデザイン」についてお伺いしたく思います。大野さんは到着が遅れているようなので、まずわたしから自己紹介をさせてください。わたしは大学ではドイツの環境政策などを学んでいました。卒業後、自然エネルギー、再生可能エネルギーについて、もっと深く勉強したいと思い、国内の大学院に入学すると同時に、環境エネルギー政策研究所(ISEP)でインターンをはじめました。

これまでISEPは、政策の研究・提言活動に加え、地域の人たちが風力発電や太陽光発電などの事業などを起こすための支援活動をおこなってきました。そうした事業開発の現場に直接/間接的にかかわってトレーニングを積んだ後、三年間ほどデンマークのオールボー大学に留学しました。

ヨーロッパでは、70年代から、原発に頼らず化石燃料も減らしていくことに取り組んできた国があり、とくにデンマークは協同組合で風力発電事業を行っているケースがとても多い。電力の20パーセントくらいを風力でまかなっているのですが、そのうち85パーセントが協同組合を通じて地域の人たちによって所有されています。住民たちが事業計画をつくって出資を募り、そして稼働させて収益をシェアする。こうした「ビジネス」が当たり前に行われてきた社会的な背景を調査し、3.11後に帰国しました。

帰国後は日本のエネルギーをめぐるいろいろな新しい動きにかかわってきましたが、その中でも環境省の支援事業で、地域の人たちを中心に再生可能エネルギー事業計画をつくるというのがあり、ISEPは全国15地域をサポートする事務局を担当しています。実際に担当地域に足しげく通い、コーディネーターの方たちや協議会のメンバーたちと相談したり、あるいはセミナーやワークショップを開催しながら、住民参加によるプロジェクトづくりを支えるのがわたしのいまの仕事です。

これまでのような大規模集中型の開発ではなく、小規模分散型で地域の人たちが参加し、彼ら彼女らがオーナーシップをもって、しかもそのことが地域のメリットになるような「分散型エネルギー社会」のあり方を模索しつつ実践しています。山崎さんのお仕事とはすごく近いので、本日はぜひ勘所のようなものをお伺いしたいなと思っています。

コミュニティデザインと聞いて、すぐにわかる方はそれほど多くないかと思いますので、まずは簡単に、山崎さんがなさっていることをご説明いただけますか。

山崎 ぼくたちは、地域の課題を地域の人たちが発見し、解決するためのお手伝いをしています。いろいろな地域をたずね、そこに住む人たちの話をとことん 聞きながら、その人たちの想いを引き出していきます。その中で、地域の人たちが自分たちの力で、楽しみながら課題に取り組んでいくきっかけや仕組みをデザインする仕事をしています。

危機感を共有する

古屋 山崎さんは先日、中公新書から『コミュニティデザインの時代』を出版されました。そこでもお書きになっていますが、これから人口が減少していくなか、中央と地方との関係も変わっていかなければなりません。いままで専門家や行政にまかせていた問題に住民自身が向き合い、自らが解決の担い手になっていく必要があります。そこでは住民たちの意識のあり方が重要になってきます。住民の意識変革を促しながら地域が自立する方向に社会の仕組みを変えていく、という困難な仕事を、山崎さんはどのように実践なさっているのでしょうか。

山崎 おっしゃるとおり、外から専門家がやってきて、手取り足取り面倒を見てくれる、という意識自体をかえなくてはいけません。本人たちが立ち上がらないかぎり、外部の人間ができることなどほとんどありません。ところが、ある市で記者会見をしたときの話ですが、翌日の新聞がこぞって「地域再生の救世主きたる!」みたいな記事を書いちゃうんですよ。そうなると住民はお客さんになってしまいます。

「皆さん自身が動き出さないと、何ひとつ変わりませんよ」ということをいかに伝えるか。いくつか手法があるかと思いますが、ひとつは危機感を共有することですね。古屋さんのお仕事でいえば、「このまま、このようなエネルギーのつくり方、使い方をしていてはいけない」というところを共有する。そして、自分たちが参加しないかぎり地域のマネジメントはできないと、社会構造の変化を共有することですね。

そこで、ひとつ注意が必要なんですが、ある程度の信頼関係ができたら、「ぼくはこの地域がどうなろうと知ったことではないんです」ということを伝える必要がある。「ぼくはここに住んでいるわけでも、ここで働いているわけでもない。だから、皆さんがやる気を出すのなら、最大限応援したいと思いますが、やる気がないのであれば、別にそれを叱ろうとも思わない。美しく消えていくのもひとつの選択肢ですよ。でも消えるときには、こんな地域もあったんだと、きっちりアーカイブ化して、伝統や文化はWEB上に残しましょう」というようなやり取りを住民と真剣にやります。

そこで、よく話すのは次のようなことです。「ぼくらは隙あらばサボろうとします。地域に来ないように、来ないようにします。皆さんにできることをどんどんやっていただいたら、ぼくらのやることは少なくなっていく。行政の委託費がどんどん下がって、いずれぼくらは地域にいなくてもよい存在になっていく。一年でぼくらの知識や経験をすべて伝えるつもりです。皆さんにどんどん動いてもらって、できないところだけをぼくらはやるようにしたいと思います」。

このように専門家というものの概念をずらしておかなくてはいけない。そうしないと、住民が待ちの姿勢になってしまいます。

古屋 そのとき、山崎さんがお書きになっている「質問力」というのが、すごく大事になると思います。専門家が一方的に話すのではなく、ぼくであれば、「皆さんはコミュニティって何だと思いますか?」と問いかけてみたりする。もちろん、最初はよくわからないという反応なのですが、そこでデンマークの事例を話したりすることで、住民の想像力を少しずつ広げていく。あくまで主役は皆さんなんですよ、というかたちのコミュニケーションのあり方が、ここ一年半くらいの模索でようやくみえてきた感じです。

山崎 おっしゃるとおり、質問力いりますよね。

山崎亮氏(左)

「よそ者」であるということ

古屋 ところで、ワークショップなんかをしていると、日本の中高年男性って、何かを決めるというコミュニケーションは得意なんですが、何かを決めることを目的としないで共通理解をつくろうとするコミュニケーションは苦手なんだなという場面によく遭遇します。質疑応答の場面で、マイクをとって「市はすぐに○○するべきだ!」と演説をしてしまう方が必ずいる。あるいは、大野さんがエピソードとしてあげているのですが、入院しているときにラウンジや食堂なんかで、中高年男性は必ずひとり黙って座っていて、ほとんど他の人と会話していないとか。

山崎 ありますね。ラウンジで隣の人に「どこから来たんですか?」とか聞くことなく、黙ってひとりで座ってる。ワークショップをやるときは、意図的に午前と午後をまたいで昼食をはさむかたちにします。そこで参加者に仲良くなってもらいたいという意図ですが、やはり男性と女性のあいだに如実に違いがあらわれます。

古屋 違いますね。

山崎 女性は午前のワークショップで顔見知りになった方に、「一緒に食べましょう」と声をかけるのですが、中高年のお父さんたちはひとりで食べる。どこかの会社の部長だった方が、「おれは部長だぜ」というような感じで食べているんですね。そういうのにお母さんたちが気づいて、「何とかさんも一緒に食べたらいいのに」といわれると、本人もものすごくうれしいんですが、「じゃあ、行くか」みたいな感じで行くんですね(笑)。

古屋 (笑)。ただそれは、これまでそうした機会をあまり経験してこなかったのかなという気もします。新しく場を作っていくなかで、そうした男性たちも変わっていくというのは事例からもみえてきます。一方で、コミュニケーションの仕方が習慣になっている部分もあって、人間の習慣が変わるのはそう簡単でないので、これは大変だなぁと。

ちなみに、大野さんはこれについてよく「女子力だよね」といいますね。

山崎 それは大事! 日々、実感してます。コミュニティデザインなんて、女性がいなかったら全然進まないですから。

大野 電動車いすが立ち往生するアクシデントにおそわれました、遅れて申し訳ありません、大野でございます。山崎さんのご著書は、最初に読んだときビックリしたんです。こういう人が建築やデザインの、メインストリームの世界で活躍するようになったのかと……。ワークショップの光景を映像で拝見したのですが、山崎さんは「おばちゃん」たちにすごく好かれていますよね。

山崎 おばちゃんには好かれるんですよ。若い人には好かれないですが、おばちゃんにはなぜだかムギューってされるんですよ(笑)。若い女性ももちろんそうですが、おばちゃんたちの力はすごくありがたいですね。これまでのコミュニティって地縁型で、男たちで決めてきたという歴史があるんですが、その力がぐっと落ちてしまっています。それなのに同じような決め方をしようとするから、コミュニティがいま機能していないのだと思います。

大野 とても印象的だったのが、自治会的なコミュニティのなかでは、自分が抱えている深刻な問題や、本当に言いたいことをみんなの前で発言する場を、地域の人は実は持っていないとおっしゃっていた。そこに山崎さんのような「部外者」が入っていくことで、地域の人たちが胸襟を開いて話せる場ができていく。部外者は、とても重要なんだなと思いました。

山崎 ぼくたちが何か特別な能力を持っているというわけではなくて、「よそ者」であるということが大事なんだと思うんですね。だからいつもいうのですが、誰にでもできる仕事なんですよ。人の話が聞けて、日本語がある程度解せれば、だいたい誰でもできる仕事しかしてないんです。ただその存在が地域の外の人間であるということ、これがすごく大きいなところだと思いますね。

大野 わたし自身は、都会の社会が自己像の反転のように、その時代ごとに、ムラ社会に幻想を抱くという一種の傾向には、常に懐疑的な思いを抱いてきました。確かに、地方の共同体には相互扶助機能のようなものはあって、健康で肉体労働に耐えられれば、あまりお金をかけずに暮らしていくこともできる。しかし苛烈で閉塞的な側面もあります。たとえば、友だちが遊びに来ると、集落の人たちがみんな知っている。「今日、更紗ちゃんの家に知らない車がとまって、あれはいったい誰の車なんだ」と訊かれるような世界が、一方である。内部にいたときは、堪らなく息苦しかった。小さい頃から「早くここから出られるようになりたい」、「外部に出たい」とずっと思っていました。

これはどこの地域も抱えている問題かもしれませんが、例えば大卒以上の人が安定して自己実現できる職が地方公務員くらいしかない、あるいはインフォーマルなコネクションや人脈を持っていないと職がない、そういう厳しい状況が続いてきた。あるいは、地方が都市に複合的に相互依存して成り立っているということは、暮らしてみればまざまざと感じることです。自分は「いるべきではない場所にいる」という強迫観念のようなものにずっと貫かれてきたように思います。ミャンマーでフィールドワークをしているときも、また違った意味で、つまり「部外者」としてそうした意識がありました。

しかし、今、以前抱いていたような感覚とは少し違うものを感じるようになりました。福島にはいま、震災が起きてから、善かれ悪しかれ外からたくさん人が来るようになりました。これまでだったら、絶対に来なかったような人たちがたくさん来るんです。

古屋 ぼくも昨日一昨日と行ってきました。

大野 そう、こんなふうにね。それで土地の人たちが外部者から刺激を受ける。そして変わっていくんです。変わっていくのを外からまざまざとみていて、いままでの「中と外」とか、「中心と周辺」とか、「中央と地方」とか、そのような構造的な問題はもちろんあるのだけれども、今はもっと複雑なフェーズに入っているんだなと感じています。感覚のレベルですが。山崎さんのご活動をみていると、まさしくその最中で実践していらっしゃる方なんじゃないかなと思うんです。

山崎 なるほどね。

新しい肩書きへ

大野 山崎さんが「コミュニティデザイナー」という仕事をおやりになろうと思ったのはなぜですか?

山崎 もともとはランドスケープデザイナーといっていたんです。ランドスケープデザインというのは、簡単にいえば公園とか庭を設計するというような仕事ですね。ただ、それだと造っただけで終わりになって、そのあと全然使われないことが多い。でき上がった後をどうマネジメントするのかが、その後のランドスケープを決めるなと痛感していました。

そこで、地域の人に主体的に使ってもらうための仕組みがいるだろうと考えはじめた。そして、では地域の人に聞いてみればいいのではと、いろいろなところを回って話を聞きはじめたのがそもそものはじまりです。

その結果、でき上がった空間がみんなに使われるようになったのですが、そのときふと気づいたのは、「別に空間をつくらなくても、いまある空間を皆で寄ってたかって使いこなせばいいのでは」ということでした。で、ぼくも使いこなす方だけに集中しようと、コミュニティデザイナーを名乗りはじめたという次第です。

古屋 地域で新しいなにかを創り出そうとするとき、形式的であれ暗黙であれ、そこにいる人々の行動規範は無視できないわけですね。単純に新しく風車をつくればいいというわけではなく、また、単にインフラや建物をバリアフリーにすればいいだけでもない。環境というか、地域のニーズを細かく把握した上で人や組織が動く前提条件を改善していかなくてはいけなくなったとき、もっと広い「政治」のようなものに関わる必要がでてきたという感じですね。

山崎 そうですね。もともと、ぼくが勤めていた設計事務所が、日本にはじめてユニバーサルデザインを持ち込んだんです。国交省のユニバーサルデザインの指針もその設計事務所のボスが一緒につくったんですが、これ、考えれば考えるほど、いま古屋さんがおっしゃったような話があるんですよ。

たとえば、公園をバリアフリーにしたり、ユニバーサルデザインにしても、そもそもその公園まで行くことができなければ意味がない。そこには心理的バリアもあるし、物理的バリアもある。あるいは、社会的バリアもあるということを考えたとき、いったい誰が公園まで一緒に連れて行って、そこでどんなことをして、最後に送り届けるのかということを、たとえば特養のような、障害者の方がいる施設と一緒にやっていかなければいけない。

そのようなことをずっとやってきたのですが、そうするとハードで解決できることって相当少なくて、しかも営利に乗らない部分も多いですから、ボランタリーな力も相当うまく結集していかなくてはならない。

そこでとても面白いことに気づいたんです。ボランティアの人たちに来てもらって、たとえば目の見えない方を公園に案内するとか、公園の美しさを伝えることをやってもらう。風景構成法というのがあって、一番奥の背景から順番に頭の中で風景をつくりながら、ウィスパーリングしていくんですが、それをボランティアに教えてあげると、知らなかったことだといってすごく喜ぶんです。これで高齢者の方たちや目の見えない方たちを癒してあげたい、と盛り上がる。

ところが、振り返りシートをみると、8割方のボランティアが「わたしが癒されました」といっているんですよ。実家のおばあちゃんを思い出しましたとか。これをみて、ものすごい相乗効果があるなと。コミュニティって、上手く座組みをしてやって、それぞれにメリットがある仕組みさえつくれば、皆が喜んで帰ることができるんだと。これはハードだけでできることではないし、ましてや専門家が一方的に何かを与えて達成できるものでもない。そういったものを超える価値がそこに生まれているということをすごく感じましたね。

古屋 自然エネルギーについても同じですね。いろいろな人をうまく組み合わせないと動き出さない。首長さん、議員さん、自治体職員、金融機関、NPO、市民などなどと、いろいろな人が関わってくるのが大事だし、それも早い段階から皆を巻き込んでいく必要がある。誰かが突っ走ってやると、必ず反対が出て終わっちゃうことになりますから。

また、それぞれのプレイヤーは文化的背景というか、使う言葉が違っていて、政治家はリーダーシップの言葉を話し、市民は日常生活の言葉で話し、行政はルールのなかで使える言葉、使えない言葉があったりして、議論が齟齬をきたす場面があるけれど、そこをどう対話でもって共通基盤をつくっていくかが大事ですね。また、それぞれの役割の違いもある。たとえば行政は許認可を出したり、事業者のリスクが下がるような方策をとってあげて民間の事業が育っていくようにするなど。支援をして場作りするには、こうした事柄をものすごく細かく観察して、計画していく必要がありますね。

ワークショップの実践

大野 山崎さんが地域に入っていく際に、最初に感じた難しさは何でしょうか?

山崎 すでに小さな難しさを感じていたので、やり方を少しずつ変えていったというのが正確ですね。たとえば、先ほどの話ですが、建物をつくっても黙っていては誰にも使われないというのがあった。そうであれば、設計の段階で、どんなものをつくるか皆でワークショップをしながら設計を進めた方がいいのではないかと思うようになった。

50人くらいで「この空間どういう風にしたいですか」みたいな話をしながら、5回ほどワークショップをして、最後は模型と平面図をみせて、「皆さん、これからこんな建物をつくっていきます。おつかれさまでした」、となります。しかし、その後ご飯にいって話していると、せっかく50人のコミュニティができているのに、「おつかれさま」で霧散してしまうのがすごくもったいない気になったんです。この人たちが工事期間も集まることができたり、あるいは建物がオープンしたときに迎え入れることができるようなコミュニティになったら、もっといいコミュニティになるんじゃないかなと思ったんですね。これが3段階目ぐらいにありました。

その次に思ったのが、先ほどもいいましたが、建物や公園をつくるという行為がなくても、皆ですでにあるこの空間をどうしようって話し合ったりすることで、地域が元気になるかもしれないな、ということでした。そこで、チラシを配ったり、HPで募集したりしたのですが、あまり人が集まらなかった。そこで次の段階にいきました。

実際に何かをつくるということだったら、利害もあるし、「おれも何かいってやろう」という人たちも出てくるけれど、「いまある空間をどうしましょう」では、「いや、おれたち忙しいから」と、出て来ないのがわかってきた。では、どうしようかと考え、「こっちから話を聞きに行けばいいんじゃないか」と思って、ヒアリングをはじめたんですね。

市役所に「この地域で面白いことをしている人を紹介してください」とお願いして、3人紹介してもらって、それぞれ一時間話を聞いて、で、最後にその人が面白いと思う人を3人紹介してもらい、数珠つなぎで50人くらいの人に話を聞いていった。そうすると、その人たちは友だちになっていますので、ワークショップやるときに「来てくださいよ」と電話できるんですね。

そうしてワークショップをしてみたら、100人の参加者のうち50人が話したことある地域のキーマンなんですよ。この人たちが来てくれて、ワークショップがすごく面白くなってきたんです。それで、一日5人ずつ話を聞いていくというのを、都市部だけでなく地方でもやりはじめました。ですので、質問に答えますと、集落に入るのが難しいと思ったことはなくて、むしろその前にいろいろと壁があったので、それを解決するために少しずつ実験していったら、いまのようなやり方になったという感じですね。

大野 まさにオーガナイザーですね。

山崎 そうなんですよ。「かたちづくらないデザイン」ということで、コミュニティデザインなどと、だれもやってないことをやっているんだと意義込んでいた時期もあったんですが。なんのことはない、コミュニティをオーガナイズしたりエンパワーメントしたりと、いたって普通のことをしているんだなと最近気づいたんですよ。

先ほど古屋さんがおっしゃったように、現場ではいろいろな意見がでてきますからね。それをどうやってまとめていくか。ただ、ぼくらは厳密にいうと、誘導尋問をしている気がしますね。さまざまな事例が頭にあって、このパターンで地域がよくなったとか、当然先入観のようなものがあります。先ほど、専門家が答えを出したら、住民たちがお客さんになってしまうといいましたが、住民たちの話を聞いていると、やりたいことが出てくるんですね。

でも、それを生でいってしまうと、「お前がやれ」という話になってしまうので、ぐっと我慢して、住民の言葉を一つひとつ紡いでいって、最後の最後に「皆さんがやりたいことはこういうことですか」という形で口に出してみる。そのとき、「そこまでは考えてなかったけれども、いわれてみればそうなのかも」となったときに、住民たちの顔がパッと明るくなるんですね。

古屋 専門家のもっている引き出しをどのように使って、どこで止めるかという問題ですね。住民にさまざまな事例を並べて見せていくなかで、ある事例の反応が悪かったらすぐ引っ込めるという、ファシリテーターの倫理のようなものがコミュニティデザインでは重要になってきますね。

山崎 それはありますね。「こんな感じですか」と事例を提案してみて、「そうじゃないよ」という反応が返ってきたら、「これは違うか」って却下したりします。ただ最後に重要になってくるのは、「あのアイデアはおれがいったんだ」というのを、参加者全員が思えるかどうかです。あの髭面の坊主にいわれたことだって思われたら失敗です。「おれがいったことだから、おれがやるんだ」ってなるように話を進めていかなくてはいけません。

キーマンとの出会い

大野 わたし、『震災のためにデザインは何が可能か』(NTT出版)を震災直後に買って読んだんですが、2009年時点でこのアイデアを明確にもたれていたわけですよね。

山崎 関西に住む者として、やはり1.17が大きかったんでしょうね。ハードが多くの人間を潰したのを目の当たりにして、他方で、互いに助け合っているコミュニティが希望の光をつくっているのを目撃して、普段からこれをやるべきなんだと思いました。

大野 studio-Lをつくられたときは、どのようなお考えだったんですか?

山崎 前の設計事務所に建築家の先生がいて、彼はアメリカで活躍したあとに、日本に帰ってきてその事務所をつくりました。自分は当時、デザインをしたくて、すごい先生の弟子になったつもりでいたのですが、先生の奥さんの方がかなりパワフルだったんです。

彼女はマーケティングとかをやっていて、「公共空間をつくるにはワークショップや!」とか、だいぶ鍛えられました。その方は口も達者だし実行力もあって、ユニバーサルデザインの関係で国交省の委員をやったりするようにもなり、結局、兵庫県立大に引き抜かれたんですよ。6年間勤めている間に、彼女こそがいちばん刺激を与えてくれる存在になっていたので、事務所に居続けるかどうか、かなり悩みました。

大野 なるほど、特異な組織が機能するにはいくつかパターンがあって、異様なバイタリティを持つ「キーマン」がいることは往々としてありますが、そういう方がいらっしゃんたんですね。

山崎 浅野房世さんという方です。浅野さんがいなくなったら、普通の設計事務所に戻ってしまったんですよ。そこで、ワークショップとか、組織づくりみたいなことをするパートがいるなと。事務所のなかにつくってもよかったのですが、一旦独立して、この事務所と一緒に仕事するソフトの部分を担ってもいいかなと思って、2005年にひとりで事務所をつくりました。そうしたら、いろいろと声がかかるようになって、コミュニティデザインの仕事をよくやるようになってきたという経緯でstudio-Lをつくったんです。

大野 建築の人だけではないんですよね?

山崎 はい、そうですね。もともとぼくと同じような仕事している人が3人いて、最初は設計と関連づけて仕事をしていたんですが、次第に雑誌の編集やっていましたとか、行政の職員やっていましたっていう人たちが、うちの仕事に関心をもって、合流してくれるようになってきた。それをみて、ぼくらのなかにはそういう可能性があるのかもしれないと気づいた。

現在は、さまざまなフィールドにコミュニティデザインの考え方を拡張しています。たとえば大学です。大学の学科長に誘われて、「自分の好きなことばかりやっている教授たちがいる。これをどうコミュニティにまとめていくかもコミュニティデザインの仕事じゃないか」といわれて、たしかにそうかもしれないとお引き受けしました。

東北で若手の育成を

大野 もっといろいろお伺いしたいことがあるのですが、駆け足のインタビューになってしまいました。最後に、山崎さんの短期的な目標と、「10年後社会がこうなっていたらいいな」というのをお聞かせいただけますか。

山崎 短期的にはコミュニティデザインができる人を増やしたいですね。とくに東北で増やしたい。これだけ混乱した状態になっていて、地域が自分たちのビジョンを描けないという状態になっているときに、東北のそれぞれの集落や地域に入っていって、みんなのビジョンを描けるところまで話をまとめられる若手を1000人くらい育てたいですね。

長期的には、矛盾しますが、コミュニティデザインという仕事が世の中から消えればいいと思います。本来、地域というのは、外から人が入ってきて変えなければいけないようなものでないと思います。地域の人たち同士でコミュニティをつくり上げられる社会が理想でしょう。医者が究極の目的として病気をなくしたいというのと、あるいは弁護士の仕事の究極の目的が、諍いが起きない社会であるのと同じですね。コミュニティデザイナーが地域に入って調整しなくてもいいような世の中ができたら、ぼくらは喜んでこの仕事をやめて、また何か新しいことをはじめると思います。

大野・古屋 本日はお忙しいなか、どうもありがとうございました。

(2012年9月27日 東京芸術学舎にて収録)

プロフィール

大野更紗医療社会学

専攻は医療社会学。難病の医療政策、難治性疾患のジェネティック・シティズンシップ(遺伝学的市民権)、患者の社会経済的負担に関する研究等が専門。日本学術振興会特別研究員DC1。Website: https://sites.google.com/site/saori1984watanabe/

この執筆者の記事

古屋将太環境エネルギー社会論

1982年生。認定NPO法人環境エネルギー政策研究所研究員。デンマーク・オールボー大学大学院博士課程修了(PhD)。専門は地域の自然エネルギーを軸とした環境エネルギー社会論。

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山崎亮コミュニティデザイナー

1973年愛知県生まれ。コミュニティデザイナー、株式会社studio-L代表。京都造形芸術大学教授。人と人とのつながりを基本に、地域の課題を地域に住む人たちが解決し、一人ひとりが豊かに生きるためのコミュニティデザインを実践。まちづくりのワークショップ、市民参加型のパークマネジメントなど、50以上のプロジェクトに取り組んでいる。主な著書に『コミュニティデザイン』(学芸出版社、2011)、『コミュニティデザインの仕事』(ブックエンド、2012)、『ソーシャルデザイン・アトラス』(鹿島出版会)、『コミュニティデザインの時代』(中央公論新社、2012)、共著に『まちの幸福論』(NHK出版、2012)、『藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか』(学芸出版社、2012)、『まちへのラブレター』(学芸出版社、2012)など。

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