2010.08.24
職場と健康の関係
前回は、地域と健康との関係についてお話をいたしましたが、では職場と健康との関係はどのようになっているのでしょうか。
職場環境の健康への影響
両者の関係を考える場合には、ふたつの視点がありえます。ひとつは、職場環境が従業員の健康にどのように影響しているのか、という視点であり、もうひとつは、従業員の健康が企業の生産性にどのように影響しているのか、という視点です。
職場環境は従業員の健康にどのように影響しているのでしょうか。鈴木(2007)は健康保険組合のレセプトデータや本人へのアンケート調査を用いて、長時間労働が肥満を誘発し、さらにその肥満が医療費を上昇させることを示しました。
社会全体として問題なのは、こうした医療費は必ずしも雇用主や労働者本人だけが負担しているのではなく、健康保険などを通じて、第三者にも負担させている(フリーライダー)という点です。
この問題を解決するひとつの方策は、長時間労働をさせている企業にその時間に応じて課税することです。この研究では「肥満税」の税率は、少なくとも1時間あたり1.4円程度であることを示しています。
また、地域内での所得格差が健康状態に影響することはすでに知られていますが、では企業内での所得格差は健康状態に影響するのでしょうか。
河野・齊藤(2010)は、健康保険組合の組合別データを用いて、年齢や男女比などを調整した上でも、給与の格差が大きい組合ほど、長期休業者の割合(傷病手当金受給率)や死亡率(埋葬料受給率)が高いことを明らかにしました。
健康状態と企業の生産性との関係
一方で、健康状態は企業の生産性にどのような影響を与えているのでしょうか。
まず、われわれが想像するのは、病気によって休業・休職を余儀なくされ、企業の生産性が低下する事態です。厳密には企業ではありませんが、文部科学省によると公立学校教職員のうち病気休職者は約1%、そのうち約3分の2が精神疾患によるものです。
こうした教職員に支給されている給与は年間で少なくとも総額数十億円にのぼるものと思われますので、少なくともこの分だけは公立学校の生産性は低下しています。
しかし、健康状態が生産性に与える影響は、欠勤・休業に伴うものだけではありません。休業せずに出勤したとしても、体調が悪ければ集中力が落ちるなど、仕事の効率が悪くなることが予想されます。
欠勤・休業に伴う生産性の低下を“absenteeism”と呼ぶのに対し、体調不良で職務を行うことによる生産性の低下を“presenteeism”とよびます。Hemp(2004)などでは、“presenteeism”による損失は“absenteeism”や医療費の会社負担などによる損失の合計の2倍以上に上ると推計されています。
残念ながら、職場と健康に関する研究は、地域と健康に関する研究に比べて少ないように見受けられます。理由はいくつかあるのでしょうが、地域づくり・街づくりは自治体という公的な組織が関わる一方、職場づくりは企業内部の問題で、公的な問題ではないと考えられているからかもしれません。
最近ではメタボ対策の開始を契機に従業員の健康状態をデータベース化するなどして、健康増進に力を入れる企業も増えてきました。こうして収集されたデータによって、企業と健康との関係について、研究がさらに進むことを期待したいと思います。
参考文献
鈴木亘(2007) 「肥満と長時間労働」 2007年秋季日本経済学会
河野敏鑑・齊藤有希子(2010) 「健康保険組合データからみる職場・職域における環境要因と健康状態」 第5回医療経済学会
文部科学省「平成20年度 教育職員に係る懲戒処分等の状況について」
Hemp P. (2004) “Presenteeism: at work–but out of it” Harvard Business Review, pp.49 –58.
田中滋・川渕孝一・河野敏鑑(2010)「会社と社会を幸せにする健康経営」勁草書房(近刊)
推薦図書
企業と健康という視点での研究は少ないのが実状です。数少ない書籍のひとつとして拙稿で大変恐縮ですが、秋に刊行されるこの書籍を紹介したいと思います。この書籍は、経済産業省の研究会に関わった、経済学、会計学、CSR、コミュニケーションなどの研究者と健康保険組合や健康産業の実務家が、企業と健康の関係を理論と実例の両面からスポットをあてた書籍です。
プロフィール
河野敏鑑
1978年生。東京大学大学院経済学研究科修了。博士(経済学)。富士通総研経済研究所上級研究員などを経て、現在、専修大学ネットワーク情報学部講師。専門は社会保障・医療経済・ジェロントロジー(超高齢社会)・公共経済。編著書に『会社と社会を幸せにする健康経営』(田中滋氏・川渕孝一氏と共編 勁草書房)。その他、「「負けないで」は不況だからヒットしたのか」等のエッセイや学術論文も執筆。