2015.09.15
急転するトルコの政治情勢――11月に今年2度目の総選挙へ
6月にトルコでは国会の任期満了に伴う総選挙が実施された。2002年からおよそ13年間単独政権を維持していた与党・公正発展党(AKP)はそれまでの経済実績をアピールしたが、初めて国会で過半数を失った。その後の与野党間の連立政権樹立に向けた協議は失敗に終わり、エルドアン大統領は8月24日、ついに再選挙を行うことを決定した。トルコの有権者は11月1日に今年2度目の総選挙に臨むこととなる。
エルドアン大統領は、6月選挙で過半数を割り込んだ出身母体のAKPが、11月選挙では勢力を回復することを期待している。しかし本稿執筆時点で与党の支持率は戻っておらず、再選挙が政局打開につながる見込みは薄い。11月以降も政治的空白が続く恐れがある。
首都アンカラで連立協議が続く中、トルコ南東部では情勢が急速に悪化した。クルド人武装組織「クルディスタン労働者党」(PKK)は7月上旬にトルコ政府との停戦を破棄しトルコ軍に対する攻撃を再開した。7月下旬には過激派組織「イスラム国」によるものと思われる自爆テロで33人が死亡する一方、PKKがトルコの警官を殺害する事件も発生する。
その後トルコ軍はシリア北部の「イスラム国」とイラク北部のPKKの拠点に対する空爆に踏み切った。国内では、PKKによるトルコ軍を狙った攻撃が連日発生し、兵士だけではなく民間人にも犠牲者が出ている。
ここ数年トルコで民主主義の退行が指摘される中、6月総選挙では有権者が与党の求める大統領制への移行に異議申し立てを行い、一方ではクルド系政党を初めて国会に送り込むなど、トルコの民主化の行方に一定の希望を与える結果に終わった。しかしその後の政治状況はむしろわれわれを悲観的にさせるかたちで推移している。そこで本稿では、6月総選挙の結果を踏まえた上で、7月以降の政治状況をまとめ、「イスラム国」とPKKに対するトルコの政策を検討する。
6月総選挙で与党は初めて過半数割れ
まず6月7日に行われた総選挙を振り返ろう。トルコの国会は一院制(定数550)で、選挙前は与党・公正発展党(AKP)が311議席を有し過半数を握っていた。選挙の最大の争点は、議院内閣制から大統領制への移行の是非であった。
昨年にトルコでは初めて国民の直接投票による大統領選挙が実施され、当時はAKPの党首であったエルドアンが選出された。国会議員にではなく国民に選ばれた大統領として、エルドアンは「走り回って汗をかく大統領になる」と宣言した。つまり、従来の象徴的な大統領ではなく、積極的に政治を牽引する大統領を目指すとの姿勢を明確にした。
しかし、現行の議院内閣制では大統領の権限は限られており、エルドアン大統領は憲法を改正し、執行型大統領制への移行を訴えた。野党側は、こうした制度変更は大統領による独裁につながると反対した。しかしエルドアン大統領にとって、「国民の意思」を体現する大統領が政治の中心となる大統領制こそトルコの民主化プロセスの総仕上げである。
こうしたことからエルドアン大統領は選挙前、大統領職に求められる中立性を無視してまで有権者に与党支持を訴えた。しかし、有権者の多くは今回の選挙で大統領制を拒否した。AKPは改選前から53議席も減らし258議席に終わり、初めて過半数を割り込んだ。ダウトオールAKP党首は選挙後、「国民は大統領制を望まなかった」と述べた。
一方、共和国建国の父で初代大統領のアタテュルクのイデオロギーを受け継ぐ世俗派の共和人民党は7議席増やして132議席、トルコ民族主義を掲げクルドとの和平に強く反対する民族主義者行動党(MHP)は28議席増の80議席、そしてクルド系の人民民主党(HDP)は50議席増やし80議席を獲得した。
AKPが過半数を割り込んだ大きな要因がHDPの躍進であった。AKPとHDPはトルコ南東部を中心にクルド票を取り合う競合関係にある。これまではAKPのクルド政策とPKKとの和平交渉に期待するクルド人の多くが与党を支持してきた。しかしAKPに対するクルド人の支持は昨年来低下傾向にあった。トルコ政府はシリア北部のクルド人の町コバニが「イスラム国」に襲われた際、コバニ支援を訴えるトルコ国内のクルド人の声に応じず静観の態度を示した。また、2013年にトルコ政府が正式に開始したPKKとの和平交渉も停滞し、クルド人は不満を強めていた。
一方、クルド政治運動を支えるHDPは、クルド票を固めるとともに、政府に対する批判票も一部取り込み、国会で議席獲得に必要な10%の得票に成功した。これまでのクルド系政党は、10%の足きり条項を避けるために候補者を無所属で立候補させ、当選後に院内会派を立ち上げてきた。しかし昨年の大統領選挙に立候補したセラハッティン・デミルタシュHDP共同党首が10%に迫る得票を得たことで、今回初めて公認候補を立て、政党として選挙を戦う決断に踏み切った。
HDPが足きり条項を乗り越えて国会で議席を獲得したことで、その分AKPは議席を大きく減らすことになった。もし逆にHDPが得票率10%未満に終わっていたとしたら、AKPはその分の議席を獲得していたはずである。
ただし、AKPは改選前から議席を大きく減らし全国レベルで支持率を落としたものの、地域別に見ると今でもトルコで唯一の全国政党であることは忘れてはならない。HDPの地盤はクルド人の多い南東部、CHPはエーゲ海沿岸を中心とするトルコ西部で支持を固めたが、これ以外の選挙区でAKPは比較第一党のままである。
連立協議の空転とシリア国境の緊張
選挙から1カ月後の7月9日、エルドアン大統領はようやくダウトオールAKP党首に組閣命令を下した。ダウトオール党首に与えられた時間は45日間で、この間に組閣できない場合、大統領は憲法にしたがい再選挙に踏み切ることができる。ダウトオール党首は最大野党のCHPと連立協議を8月まで続けたが、最終的には協議は決裂した。外交や教育政策をめぐり両党の溝が埋まらなかったとも言われている。しかし、政治改革などを実行するために長期連立政権を求めるCHPに対して、AKPはあくまでも早期再選挙を睨んだ選挙管理内閣の成立を求めていた。つまり、そもそも両党は連立枠組みをめぐって対立していた。
連立政権をめぐって政治的空白が続く中、トルコの安全保障環境は7月から急速に悪化していった。7月11日にはPKKがトルコ政府との停戦破棄を発表し、アルダハンやアールなどトルコ東部でトルコ軍の車両などに発砲するなどテロ活動を再開した。
20日にはトルコ南東部でシリア国境のスルチという町で「イスラム国」によるとみられる自爆テロが発生し、33人が死亡、100人以上が負傷した。スルチの自爆テロは、シリアのコバニの復興支援を行うクルド人らの集会を狙ったことから、PKKは「スルチ事件は『イスラム国』に対する厳しい措置をトルコ政府が怠った結果」と判断、報復として22日にはシリア国境のジェイランプナルで警備中だったトルコの警官2人を殺害してしまう。
PKKの停戦破棄、スルチの自爆テロ、ジェイランプナルでのPKKによる警官殺害事件を契機として、トルコ政府はそれまでの方針を転換、7月24日、シリア北部の「イスラム国」に対する空爆に踏み切ると同時に、イラク北部およびトルコ南東部のPKKの拠点に対しても空爆を開始した。また、「イスラム国」への空爆にトルコ国内の基地使用を米軍にトルコ政府が許可したことも判明した。
「イスラム国」をめぐる方針転換
米国などからの批判にもかかわらず、トルコはこれまで「イスラム国」に対しては消極的な対応を維持してきた。国内基地を提供するように求めるワシントンの度重なる要請をはねつけるとともに、「900キロ以上にわたるシリアとの国境を完全に管理することは不可能」との理由で、トルコ経由で「イスラム国」に戦闘員や資金、武器が流入するのを事実上黙認してきた。
そもそもトルコ政府は「イスラム国」はイラクおよびシリアにおける現在の問題の原因ではなく「結果」と考えている。イラクではマリキ前首相がシーア派中心の政治を行ったがゆえにスンナ派住民の中に同じスンナ派の「イスラム国」への支持が強まった。シリアでも同様に、アサド大統領が退陣せずに内戦が拡大し、「イスラム国」が台頭する権力の空白を生んでしまった。このように「イスラム国」問題をとらえるトルコは、イラクに対してはスンナ派を排除しない政権運営を求めるとともに、シリアに対してはアサド大統領の退陣を要求している。
しかしトルコ政府は「イスラム国」に対する方針を転換、7月29日に米軍が対「イスラム国」軍事作戦のためにトルコ南部のインジルリク空軍基地を使用することを許可した。さらにトルコは8月28日、シリア北部の「イスラム国」関連施設に対して米軍主導の有志連合と共同で空爆した。翌29日、トルコ政府は有志連合による空爆に継続的に参加すると発表した。
方針転換の背景には、複数の要因がある。まず、トルコ国内で「イスラム国」の脅威は着実に高まっていた。「イスラム国」によるリクルート活動が活発化するとともに、「イスラム国」に多くの若者が参加している。さらに6月には「イスラム国」がトルコ語版の広報誌を刊行した。タイトルは『コンスタンティニエ』、すなわちイスタンブールであり、「イスラム国」がイスタンブールの征服を目標にしたことを示唆している。この中で「イスラム国」は読者に「イスラム国」への移住を薦め、「エルドアン大統領は無神論者のPKKを支援している」と批判した。そしてスルチ事件を契機にトルコへの直接的な「イスラム国」の脅威が及ぶことになり、トルコ政府は軍事的対応を余儀なくされた。
それまで渋っていた空爆作戦に参加を決めた第二の要因は、トルコが要求していたシリア北部での「安全地帯」の設置を米政府が承認したためと思われる。「安全地帯」は「イスラム国」が支配するトルコ国境一帯に設置が検討されている。トルコ政府は、「安全地帯」は難民保護のためと説明する。トルコにはすでに190万人を超えるシリアからの難民がおり、これ以上の難民を受け入れることは政治的にも経済的にも難しくなりつつある。そこでトルコはこの「安全地帯」で難民への支援を行うことで国内への流入を防ぐことを考えている。
そのためにはまずこの一帯から「イスラム国」を排除することが不可欠であり、トルコの空爆参加はそのための措置である。空爆で「イスラム国」が排除された後は、トルコと米軍に支援されたシリアの穏健派反政府勢力が「安全地帯」を掌握するという算段のようだ。
第三に、トルコ政府はこれ以上の対米関係の悪化を避けるうえでも対米協力が必要と判断したとみられる。対米協力を拒否し続けるトルコ政府に対して、ワシントンは不信感を募らせていた。政府関係者や有識者の中からは、トルコに見切りをつけてイラクのクルド自治政府(KRG)との協力関係を重視すべきだとする意見や、「イスラム国」に対して米軍と協力するPKKのテロ組織指定を早急に解除すべきだとの意見も出ていた。また、イランがP5+1(国連安全保障理事会常任理事国5カ国とドイツ)との核合意を経て急速に欧米諸国に接近する中、トルコの国際的イメージがそれとは対照的に悪化したこともトルコ政府は気にかけていたはずである。
トルコが空爆に参加した第四の理由は、シリア北部でクルド人勢力の台頭を防ぐことだ。「イスラム国」掃討後、「安全地帯」をどのシリア反政府組織が治めるのかについて、トルコと米国はまだ合意に至っていない。しかし少なくともシリアのクルド人勢力が「安全地帯」に進出することをトルコが認めないことは明らかだ。シリアのクルド人勢力はトルコ政府がテロ組織指定するクルド人武装勢力PKKと密接な関係にあるため、シリア北部でクルド人勢力が支配を強めることにトルコは神経を尖らす。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルによると、米政府は8月3日までにトルコ政府に対し、「イスラム国」排除後の「安全地帯」にシリアのクルド勢力を進出させないとトルコ政府に確約している。こうして「イスラム国」を殲滅したい有志連合と、クルド勢力を抑え込みたいトルコ政府の利害は一致した。
PKKとの和平交渉は事実上崩壊
トルコ政府はPKKと2013年に正式に和平交渉を開始した。同年5月、PKKはトルコ国内からイラク北部の拠点へ戦闘員の撤退を開始した。しかしその後の交渉は停滞してしまう。PKKはトルコ政府が合意事項を実行していないと不満をあらわにし、トルコ政府はPKKが武装放棄に応じていないと批判した。さらに6月総選挙を前にして、それまでクルドとの和平を進めてきたエルドアン大統領が突然「クルド問題などは存在しない」と発言し、クルド側の政府に対する不信感はさらに強まった。
6月総選挙でクルド系のHDPが大躍進し、今後の和平交渉に一縷の希望が見えたのもつかの間、PKKは7月11日、停戦破棄を発表した。声明の中でPKKは、「停戦期間中にトルコ政府はトルコ南東部で道路建設やダム建設を推し進めてきたが、これはPKKとの戦いを念頭に置いた軍事的行為である」と主張、「ゲリラ部隊の総力を挙げて抵抗する」と宣言した。そして12日から13日にかけて実際にトルコ軍の車両などに攻撃を仕掛けている。そして前述したように、スルチでの爆弾事件を受けてPKKはトルコ軍兵士2人を7月22日に殺害し、トルコ政府は空爆に踏み切ることとなる。
「イスラム国」への空爆は数回で終了したものの、PKKへの空爆は8月になっても継続され、PKKも連日トルコ軍への反撃を繰り返している。空爆開始から1カ月でトルコ軍はPKK戦闘員771人を殺害した。一方、PKKの攻撃による犠牲者も増加し、兵士や警察官ら72人、民間人20人が8月21日までに死亡した。
PKKとトルコ軍の戦闘が激しくなる中、PKK指導者のアブドゥッラー・オジャランは獄中から停戦に向けたアピールを行った。HDPのデミルタシュ共同党首は「PKKもトルコ政府も武器を置き、和平交渉を再開させるべきだ」と訴える。
しかし現在のところPKKが一方的に停戦する気配はない。オジャランの釈放をトルコ政府に要求するPKKは、オジャランの停戦呼びかけを「トルコ政府に言わされたもの」と考えている。そしてHDPからの呼びかけについても、「HDPとPKKは組織上無関係だ」として、PKKの決定に影響は与えないとはねつける。PKKの幹部の1人は独紙のWelt am Sonntagに対し、「PKKもトルコ政府も武器で問題を解決できるとは思っていない。しかしPKKが一方的に停戦することはできない」と述べている。
PKKはもちろんオジャランを指導者として崇め、そのイデオロギーはオジャランの理念に基づく。しかしながら、オジャランは終身刑で長年服役中であり、彼がPKKの実際の行動を決定しているわけではない。PKKの内部にもオジャランの交渉路線に反対し、武装闘争を求める勢力も存在する。また、街頭での抗議行動などで力を誇示するYDG-H(愛国革命的青年運動)のように、PKKの青年組織でありながらもPKK執行部からはある程度自立して動くグループもある。そして今年の春以降、オジャランとHDP議員団との面会をトルコ政府は許可しておらず、オジャランとPKK側のコミュニケーションもスムーズには進んでいない。
再選挙は11月1日に
8月24日、エルドアン大統領は連立協議を打ち切り再選挙を決定した。投票日は11月1日。PKKに対する空爆は、6月選挙でAKPを追い詰めたHDPのイメージ悪化を狙ったエルドアン大統領の戦略との見方は根強い。しかしながら、8月以降の世論調査からは、AKPの支持率は国会で過半数を確保できるほどには回復していないようであり、エルドアン大統領の思惑通りには推移していない。総選挙まであと一か月半。現在の政治状況が強いリーダーシップを望む世論を生み出し与党AKPに有利に働くのか、逆に与党批判が噴出し野党を利することになるのかが焦点になるだろう。また、PKKとトルコ軍の衝突が続く南東部では選挙に向けた治安の確保が重要課題となる。
11月の再選挙で再び6月選挙と同じような結果が繰り返されるのであれば、当然連立交渉が求められ、新政権の成立は年末にずれ込む可能性がある。それまでの間トルコは「イスラム国」およびPKKとの戦いを続けながら暫定政権による不安定な政治運営を余儀なくされる。トルコにとって2015年は、政治的に「失われた年」になりそうだ。
プロフィール
柿﨑正樹
1976年生まれ。テンプル大学ジャパンキャンパス上級准教授。(一財)日本エネルギー経済研究所中東研究センター外部研究員。トルコの中東工科大学政治行政学部修士課程修了後、米国ユタ大学政治学部にてPhD取得。ウェストミンスター大学非常勤講師、神田外語大学非常勤講師などを経て現職。専門はトルコ政治。