2010.09.27
記憶というもうひとつのグローバル・コンペティション
フランスのニュース専門チャンネルをみていて、日韓併合条約発効100年に際して、「日本が戦後はじめて韓国に謝罪した」とのテロップが流れるのを目にした。8月10日に発表された首相談話のことである。
記憶の再構成の時代
1995年の村山談話以前から、首脳による反省と謝罪の念はずっと表明されてきたのだから、「はじめて」とするのはまったくの誤報である。抗議の電話をしようかと思ったものの、夜半だったためそのまま諦め、そして翌日には忘れてしまった(所詮テロップで流れる程度のニュースである)。
そもそも日本のマスメディアで流されるアメリカやヨーロッパ、その他の国々についての「誤報」のことを考えても、無知は一方的なものではない。そして、それは日常の一部にすぎない。
グローバル化は、決して画一的な政治空間を作り上げるものではない。そこでは人とモノと情報が、一瞬にして世界を駆けめぐると同時に、明確な道標(レファレンス)が失われる。それゆえそれは、過去の記憶が人為的に表象され(『再帰的伝統主義』)、その歴史認識の正統性を互いに競い合う、もうひとつのグローバル・コンペティションの時代を意味するのだ。
20世紀が強烈な事実の集積の時代だったとすれば、21世紀は記憶の再構成の時代を迎えたといえるかもしれない。
「歴史の記憶に関する法」
いくつかの事例を紹介しよう。
バチカンは、もともと領域性に依存しない国家だが、スペイン内戦(1936年~)で命を失った信者を2007年に殉教者として祀った。そして、スペインもまた、内戦とフランコ独裁時代(1939~75年)に被害を被った人びとに対する補償を認める、その名も「歴史の記憶に関する法」を同年、採択した。
「短い20世紀」(E.ホブズボーム)のほぼ全時代を占め、この時代を生きた人びとが人口の少なくない割合を占めるなかで、歴史に道徳的な「ケリ」をつけようとしたのである。
歴史の暗部に手を突っ込むのには痛みも伴う。実際、保守派は過去の傷に塩を塗るようなものと非難したが、それはカトリック教徒を迫害した共和派の側の罪を歴史の明るみに出すことにもつながった。
解かれることのない「ゴルディアスの結び目」
こうした特定の国家の歴史認識や記憶の例は比較的分かりやすいが、もっと複雑な事例もある。
たとえば、1915年のオスマン・トルコによるアルメニア人虐殺について、トルコ側はこれをずっと無視しつづけた。だが、2000年代に入ってアメリカ、フランス、カナダ、ロシアなど、各国議会で公式の歴史的事実として認定されるようになったことで、国際的にも認めざるを得ない状況に追い込まれた(アルメニア人というと日本では余り馴染みがないが、俳優のグレゴリー・ペックや歌手のシェールなどがアルメニア系として有名だ)。
アルメニア人は基本的には離散民族である。エスニック共同体の集団的記憶が、他の共同体によって認められることで、その集団内に共有された記憶が公式化される、という構図をとるのだ。フランスは、さらに踏み込んで、2007年にこの事実を否定する発言に対して、刑事罰を下すことのできる法律も可決している。
こうしてアルメニア人虐殺は、ドイツにおけるナチスドイツによるホロコーストと同等の地位を得るにいたった。背景には強力なアルメニアン・ロビーがあったともされるが、これも他者の追認を受けることで、共同体の記憶を再構成するという、近年よくみられる事例のひとつである。
事はこれだけで済まなかった。アルメニア人虐殺を否定しつづけていたトルコは、冷戦時代は東西の拮抗線にあったから(キューバ危機の際に、トルコに核兵器を配備するというアメリカの脅しがあったことを想起せよ)、同盟国からの政治的支援を受けることができていたのが、冷戦が崩壊し、EU(欧州連合)加盟の戸口に立った途端に、非難の矢面に立たされることになった。
しかし、イスラムとの世俗主義の覇権争いがつづくトルコ国内は、アルメニアに対する反発一色に染まるのではなく、「アルメニア人への謝罪」キャンペーンもはじまるなど、むしろ西欧による「断罪」に同調することで、自国のイスラム勢力に対する攻撃の材料とする現象がみられた。
これに対するイスラム勢力は、アルメニア人が1920年にまた、数万人のムスリム教徒虐殺を行った事実を指摘して、やはり補償を求める運動をはじめた。結局、アルメニア人虐殺という記憶の表象が、他の共同体の記憶をふたたび呼び戻し、際限のない抗争のプロセスがはじまり、こうして解かれることのない「ゴルディアスの結び目」が生まれることになるのである。
西欧人が黒人奴隷の歴史を自戒すると、それがアラブ人による黒人奴隷貿易の記憶につらなり、そのままアフリカ人自身による奴隷貿易への加担の事実の掘り起こしにつながる。この連鎖は日本の従軍慰安婦をめぐる論争などでも再現された。このようにして、記憶の根源を特定しようとすればするほどに、逆に事実は拡散し、歴史の主体は曖昧になっていくという逆説が生じる。
欠けているのは重層的で複数の記憶の競争空間
高原基彰氏が「日韓併合100年首相談話の背景と問題点(https://synodos.jp/international/1567)」で喝破したように、歴史認識はもはや国民国家間で解決できるようなものでも、あるいは、その内政上の高度な考慮を抜きにして論じられるものではない。
その拡散のされ方も、経済のグローバル化とまったく同様である。「フランス人によるフランス」を唱える極右政治家ルペンが、一水会の招きで日本の国粋主義の象徴(としてしか海外では認識されない)靖国参拝を行うという、国境を越えた記憶の再構成の運動は、それ自体としては「ねじれ」てはいても、記憶を軸に、もはや国民国家という既存の共同体の枠組みを完全にオーバーライドしているという意味では、しごく自然なものとして存在するようになっている。
固有の歴史の希求は、むしろ他者との歴史の共有と対話を強制するものになるのだ。
自身がディアスポラだった哲学者ベンヤミンは、歴史の勝者によってつくられる歴史ではなく、そのなかに埋もれている廃墟から敗者の歴史を救い出すことが、われわれの救済を意味するとした。そのためには、「歴史」と呼ばれているものによって隔てられている、「根源」からのメッセージに耳を傾けなければならない、と。
こうした観点からみると、自国民や共同体の過去の正統化を求めることを「右傾化」と一刀両断するのは、あまりにも想像力に欠けた言説である。そうではなく、それは国民国家というこれまでの共同体の枠組みが揺らいでいることの反作用なのであり、自らの根源について問いただすことの終わりのないプロセスのはじまりなのである。
もちろん、終末論とメシアニズムを前提に、認識的な革命を追い求めたベンヤミンの歴史哲学は、後期近代に突入した現在では、そのままには通用しない。だが、少なくとも、グローバル化によって根源を求める争いが止め処もなく転移して、着地点を見出せなくなるのは、正の作用である。
おそらく日本にもっとも欠けているのは、歴史認識や歴史論争それ自体ではなく、こうした重層的で複数の記憶の競争空間なのだ。それなくしては、和解はおろか、対話可能な歴史にすら、到達しえないだろう。
推薦図書
歴史を追い求めるという態度が、逆に歴史を殺してしまう結果を導くことになることを「歴史の危機」と呼ぶ、日本の歴史論争にも積極的に発言する著者による論評。
プロフィール
吉田徹
東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学博士課程修了、博士(学術)。現在、同志社大学政策学部教授。主著として、『居場所なき革命』(みすず書房・2022年)、『くじ引き民主主義』(光文社新書・2021年)、『アフター・リベラル』(講談社現代新書・2020)など。