2016.03.24
魚は性を自由に換える
はじめに
一部の魚には、成熟した親でありながらあっさりと反対の性に転換する種が知られています。今まで卵を産んでいたメスが短期間でオスとなって精子を作り、別のメスが産んだ卵と受精して子供を作る、ということが平気で起こります。このように魚の性転換の特徴は子供も作れる機能的なものです。同時に、性行動も雌型から雄型へと変わりますので、脳も転換してしまうのです。オスからメスの逆の転換も見られます。
私は、魚の性転換の生理的仕組み(ホルモンや遺伝子)や「なぜ性転換できるのか?」ということに興味を持ち、大学院生とともに過去15年間沖縄で研究してきました。今回はその成果について紹介いたします。
多様な魚の性転換
性転換する魚は約400種いると言われています。性転換と言っても多様で、オスからメス(雄性先熟)、メスからオス(雌性先熟)、雄雌どちらの方向に何回でも転換できる(双方向性転換)の3タイプに大きく分けることが出来ます。我々は雄性先熟として、水族館で人気者のクマノミ(写真1)、雌性先熟魚として、沖縄に沢山生息するベラの仲間のミツボシキュウセン(写真2)とカンモンハタ(写真3)、双方向性転換魚としてオキナワベニハゼを飼育しながら研究をしてきました。3タイプの性転換全てをお話しすると混乱しますので、分かり易い例をあげて説明します。
何のために性転換するのか
諸説はありますが、どうして魚は性転換するのでしょうか。ヒトの子供はお母さんのおなかにいる時に卵巣と精巣が作られ、女、男の区別ができます。魚は卵から孵化した直後くらいに卵巣と精巣ができ、そこで雌雄が決まります(図1)。性転換するクマノミとハタの性の決まり方を調べてみると、両種の孵化した直後の子供は、全ての個体が卵巣を持つメスであることが分かりました(図2)。オスからメスに性転換するクマノミもはじめは全て卵巣(メス)でした。生まれつきのオス(精巣)がいないのです。
卵と精子による受精で繁殖する有性生殖では雌雄がいなければ子供を残せません。このままでは子供が出来ずに滅びてしまいます。従って、この場合、性転換によりオスを作る必要があります。性転換とは、子孫を残すためにいない方の性を作るための現象である。これが我々の結論です。
空気を読み性転換
性転換の開始は、「社会の空気を読むこと」が引き金となります。良く知られているハワイのベラの例を紹介しましょう(図3)。ベラはメスからオスに性転換します。①大きいメスと小さなメス、または小さなオスを同じ水槽に入れると、いつも大きい方がオスとなります。②三尾のメス(♀)では一番大きなメスがオス(♂)になります。ところが、③メス単独では、体が大きかろうと小さかろうと性転換しません。また、④大きなオスとそれよりも小さいメスとでも、性転換しません。このことから、メスからオスの性転換には周りに同種の小型のオスかメスが必要であることが分かります。
次に、性転換のシグナル(空気)は、視覚、触覚、臭覚(フェロモン)のいずれであるのかを、以下のような水槽を準備して大小二尾のメスを飼育して調べました(図4)。その結果、①お互いが見えて接触できる状態では性転換しました。②お互いが見えるが接触出来ない、ただ水の交流がある仕切り(網など)を入れて飼育すると大きい方のメスはオスになります。③二つの水槽の間に水の交流が出来ない、お互いが見えない仕切りを入れた場合、どちらも性転換しません。④水の交流があるがお互いが見えない様にして飼育すると、共に性転換しません。
このことから、視覚による情報(空気)を読み取ることで性転換することが明らかとなりました。クマノミもオキナワベニハゼも同じ様に、空気を読んで性転換します。
性転換とは生殖腺(卵巣と精巣)が換わる現象
魚のメスとオスの定義はヒトと変わりません。メス(女)は卵を作る卵巣を持つ個体、オス(男)は精子を作る精巣を持つ個体です。従って、雌雄は「生殖腺」(卵巣か精巣)で判断しますので、性転換とは、生殖腺が劇的に変わることなのです。実際にベラでは卵巣が精巣に完全に換わります(写真4)。
つまり、今まで卵を産んでいた魚が精子を出すようになるのです。しかも、一ヶ月という短期間で換わります。卵巣が精巣に換わるのですから、性決定の生理機構があるはずです。そこの仕組みを解明すれば、性転換しない魚でも性転換を可能にする技術を開発できるかもしれません。
ひとつ予想できるのは、主に卵巣では女性ホルモン、精巣では男性ホルモンがそれぞれ作られますが、これらの性ホルモンが関係して性転換を誘導しているのではないか、ということです。そこで、メスからオスへ換わる過程の性ホルモン量の測定を行ないました(表1)。
性転換前と後との変化をみてみると、メスの時に高かった女性ホルモンが性転換のごく初期に劇的に低下していることが分かります。つまり、この女性ホルモンの低下が性転換のきっかけとなっているのではないかと考えられます。そこで我々はメスの女性ホルモンを無理矢理低下させると性転換を引き起こすかどうか、実験をしました。
ここで用いたのが、ヒトの乳癌の治療で用いられる女性ホルモン合成阻害剤(以下AIと略)です。乳癌は卵巣から分泌される女性ホルモンが高いと進行しますので、体の女性ホルモンの合成、分泌を低下させるために、このAIが開発されました。実はAIは、魚の女性ホルモンの低下にも有効なのです。ベラ成熟メスへのAI投与結果は驚くべきもので、たった5日間投与だけで一ヶ月後には成熟した精巣となりました。
ところがAIを投与しても女性ホルモンを補ってやると性転換が抑制され卵巣のままでした。これらの実験から、性転換には女性ホルモンの急激な低下が引き金となることを突き止めました。つまり、性転換魚は遺伝による性決定の変わりに性ホルモンによる性決定の生理機構を持っていたのです。【次ページへつづく】
性転換には脳が重要
先ほども述べた様に性転換のきっかけは視覚により空気を読むことでした。視覚情報が脳に入り、自分がオスになるべきか、メスになるべきかを判断する。そしてその情報が生殖腺に伝わり、女性ホルモンを変化させ転換させていると考えられます。このことから、次は脳から生殖腺に情報がどのように伝えられるのかを調べることにしました。
一般的に脳にある脳下垂体から分泌される生殖腺刺激ホルモン(FSHとLHの二種類)が生殖腺の発達を調節していますので、メスからオスへ転換するカンモンハタを使ってFSHとLHをそれぞれ調べました。すると、脳下垂体のFSHはメスでは極端に少なく、オスでは非常に多いことが分かりました。そこでメスにFSHを注射してみたところ、約二週間後に卵巣内に精子形成が進行し、精巣へと転換し始めたのです。このことから、脳にある脳下垂体からホルモンが出て性転換を誘導していることが明らかとなりました。
性転換しない魚も性転換可能か
性転換しない魚も、性転換させることは可能なのでしょうか。それは今までは不可能とされていたことです。これまでの研究から、メスからオスへ転換させるためには女性ホルモンを下げることが重要であると分かります。そこでまず、性転換しないティラピア(写真5)のメスにAIを長期間に投与する実験を行いました。予想としては、メスにAIを投与すると卵巣の発達が抑えられ、未熟な卵巣に留まるだけと思ったのですが、なんと卵巣中に精子を持つ精巣組織が出現したのです。更に長期間処理すると卵巣が跡形もなくなり、成熟した精巣へ転換しました(写真6)。
ただ、卵は精子にはなれませんので精子の由来が不明でした。最終的には卵巣の中に卵にも精子にもなれる細胞が見つかり、謎が解けました。また、性転換したオスは縄張りを持ちメスと産卵行動をして放精して受精させました。このように性行動も換わりましたので脳も転換にも成功したことになります。メスからオスなった魚の精子で受精すると子供は全てメスになりますので水産増養殖学上、重要な技術を開発することが出来ました。
終わりに
魚の性転換研究を通して、性に関する重要な幾つかの仕組みを明らかにすることができました。詳細は書きませんでしたが、魚は空気を読むことで、情報が視覚→脳→生殖腺と伝わり、最終的に末端の生殖細胞の精子、卵子への分化まで影響を及ぼすことが分かりました(図5)。性決定遺伝子をもたない魚は、このような経路を使って性転換して性を決めていたのです。
ヒトを含む高等な動物においても同様に、複雑に絡み合った環境情報(空気)は五感で受け止められ、脳に伝わり、集約、整理され、脳からホルモンや神経を介して最終的に各器官、組織の末端の細胞の分化にまで影響を及ぼし、それが病気の一因になっていると考えられます。従って、魚類の性転換研究は高等な動物の環境(空気)情報の体内へ受容、伝達機構、病気の原因の理解に役立つとともに、ヒトの性問題を解明するための重要な情報を提供してくれるものと期待されます。
魚の性転換の詳細を知りたい方は裳華房「ホルモンから見た生命現象と進化シリーズ」第3巻、第7章『魚類の性転換』として記しましたのでご覧下さい。以上の研究は小林靖尚助教(岡山大学)、野津了博士(沖縄美ら島財団)と行ないました。
プロフィール
中村將
1947年北見市生まれ、中学一年まで北見市で過ごす。小学生の頃、ニワトリと乳牛のメスとオスで飼育に雲泥の差があることを生活の中から学ぶ。北海道大学水産学部大学院で魚の雌雄の産み分け技術の開発を行い、1978年水産学博士を取得。1975年より帝京大学医学部、法学部で助手、講師、助教授。この間、教育とともに魚類の性分化生理機構の研究に取り組む。同時に、ハワイ大学と魚類の性転換機構の共同研究を開始。2000年に『魚類の性分化と生殖に関する内分泌学的研究』により日本水産学会進歩賞を授賞。2000年に琉球大学熱帯生物圏研究センター教授として異動し、魚類の性転換の生理学的研究を多くの学生、大学院生、ポスドクとともに本格的に開始。科学研究費補助金(日本学術振興会)基盤研究(A)2回、クレスト、ソルスト(日本科学技術振興機構)をはじめとした研究費の援助を得て性転換の生理機構の解明を行なう。最終的に、魚類の成熟した卵巣を機能的精巣に換えることに成功。国際学術雑誌を含む論文と著書(共著)は160編以上。日本動物学会論文賞2回授賞。2012年定年により退職、現在は沖縄美ら島財団でサメ・エイなど板鰓類の生殖生理機構の研究を行なっている。