2010.11.19
中国におけるネット世論の勃興と民主主義
削除とコピー&ペーストのいたちごっこ
中国をめぐる激震が止まらない。尖閣諸島事件につづいて、劉暁波氏へのノーベル平和賞受賞、さらに五中全会での新指導部決定など、大きな事件が相次いでいる。
劉暁波氏の受賞は、つい最近まで、中国国内の既存マスメディアでは報じられていなかった。六四(第二次天安門)事件の際の著名な活動家であった氏が、最近ふたたび注目されたきっかけであり、また逮捕されている理由でもあるのは、2008年にネット上で発表された民主化要求声明「零八憲章」だった。
この「零八憲章」も、既存マスメディアではほぼ何も報じられず、またネットで検索できない検閲対象語だった。大多数の中国人がその存在を知ったのは、政府系メディアで受賞後の劉氏に対するネガティヴ・キャンペーンが本格化してからのことだろう。
中国のマスメディアは政府の情報機関の統制下にあり、情報の流通は西側諸国などと比べればはるかに制限されている。しかしながら、いかに既存マスメディアを規制しても、またネット上で「金盾」ファイヤーウォールを構築しても、それを飛び越えるかたちで各種の情報が漏れ入ってくるのは避けられない。
とくに、インターネットのリテラシーが高い、都市部の若年層にとっては、すでに既存マスメディアよりもインターネットの情報の方が正確であるという意見が多数派になっている。BBSやブログへの書き込みなどのうち「政治的に敏感」なものは、当局の指導による削除と、コピー&ペーストによる増殖が、いたちごっこで繰り返されている。
こうした動きを加速させたのがツイッターであることも、だんだん日本で報じられるようになってきた。ツイッターは2009年から、フェイスブックやユーチューブなどとともに、中国国内からは基本的にアクセスできないウェブサービスとなった。
「VPN租界」としてのツイッター
先日、客員研究員をつとめさせて頂いている国際大学GLOCOMにて、とくにツイッターを駆使したネット上のオピニオン・リーダーのひとり、安替(Michael Anti)氏の講演会に参加する機会があった(10月21日)。
ツイッターはAPIを開放しており、サードパーティのアプリケーションが多数存在する。公式サイトをブロックされても、リテラシーの高いユーザならば、VPNサービスなどを使って侵入する手段がいくつも存在する。一度ブロックしたサイトは、もうブロックすることはできない。そしてブログや掲示板は削除もできるが、ツイッター上で毎日莫大な数が吐きだされる140文字の「ツイート」をすべて検閲することはできない。
安替氏は、こうしたツイッターやネット世論が、汚職や不正逮捕を暴き出し、大衆的抗議運動を呼びこんで改善させた実例を豊富にあげた上で、とくにツイッターを、民国期に自由な言論がおこなわれていた租界になぞらえて「VPN租界」と表現した。
中国ネット世論への働きかけ
報告のなかでとくに重要だったのは、在北京アメリカ大使館が、ブロガーやツイッターユーザのうち著名な人びとを集めた会合を、定期的に行っているという報告だった。そのなかには、北京五輪前後、各国での聖火リレーとチベットでの騒乱に関連し、中国を批判する西側の報道の事実誤認を細かく指摘していた「Anti CNN」という有名なサイトの管理者も含まれている。つまりアメリカに対して批判的なネット論者もそうでない論者も区別なく、大使館がわざわざ招聘し、忌憚のない意見交換をしているという。
それだけではなく、改革的な言論を行う論者を集めた討論会を定期的に開催している西単の書店「三味書屋」にアメリカ大使が登壇し、みずから聴衆に語りかけたこともある。
安替氏は、中国のネット世論の政治的先鋭性と、中国においてそれがいかによい機能を果たしているかを強調していた。日本もアメリカのように、中国内のこうした新しい世論に注目し、積極的に交流したり語りかけたりすべきだという。それ自体はまったく筆者も同意見である。
「新意見階層」の台頭
実際、中国ではネットの普及とともに、それを活用した社会運動の成果が多数報じられるようになっている。幹部による汚職や犯罪もみ消しが、ネット上の書き込みで露呈し、コピー&ペーストされてネット上で話題になるとともに当局もこれを無視できなくなり、再捜査や告発に至った事例などは、枚挙にいとまがない。
改革派の大物論者である周瑞金は、こうした風潮をさして「新意見階層」の台頭と呼び、これを民主化の進展であるとして高く評価した。
新意見階層はネットにかぎったものではなく、既存マスメディアのなかにも改革的な言論を行っているものもあれば、既存マスメディアがそのネット版で「市民記者」などを使い、通常の紙面では行えない議論を行う場合もある。安替氏も、既存メディアの記者や大学教授などが、ネット上において匿名で、本業では書けない裏話や率直な意見発表を行うことがよくあることを強調していた。
このような動きは、中国における「民主化」という問題系が、劉暁波氏のような逮捕も辞さない「反体制派」の活動に留まらない広がりをみせていることの一例である。そして、こうした世論の勃興を歓迎する体制内のエリートがたくさんいることも、あまり日本では知られていないのではないだろうか。ネット世論の存在をもって、中国における「民主主義の進展」の証左だという中国の知識人もたくさんいる。
「民主主義の進展」のための高いハードル
個別の事件の解決などの意味においては、新しい世論の勃興を現体制が無視できなくなっていることが、良き結果をもたらしていることには疑いの余地がない。
しかし一抹の不安もある。個別の事件の次元を超えて、たとえば外交政策やマクロ経済の運営などについてまで、ネットに現れる大衆的情動を体制側が無視できなくなるのならば、ただ歓迎するばかりでは済まない問題がいろいろ出てくるだろう。
安替氏も、中国のネット世論は直接的な「参加民主主義」要求なのではなく、あくまで漸進的な、個別問題についての要求なのであると述べていた。現状、中国では「そうとしかいいようがない」のは筆者にもよく分かる。
現在の中国では、そもそも議会制民主主義も、三権分立も、「建前」「理念」としてすら存在していない。どこの国でも、実態としてそれらが十全に実現していないことを指摘するのはたやすい。しかしそもそも「建前」「理念」が存在しないというのは、それと次元が違う状態である。
過渡的な対策としてのネット世論の勃興は、やはりどこかでハードな政治改革の問題とつなげて考えられないかぎり、これを「民主主義の進展」と呼ぶことはできないだろう、というのが筆者の感想だった。
次期総書記への就任が確実視されている習近平は、政治改革に否定的な派に属するとされている。その一方でこうした、中央が統制できないかたちでの情報・世論の盛り上がりが無視できない規模になっている。両者のせめぎ合いが今後どういう方向に向かうのか、誰にも予想のできない状態が続いている。
推薦図書
文化大革命後の中国における左右対立を、改革派の立場から概観した本。1978年(文革路線の否定)、1992年(社会主義市場経済路線の確定)、1997年(眷小平理論の正式採用)という三つの主要な論争を振り返り、極左路線を唱える守旧派の抵抗に負けず、思想解放・改革を唱える勢力により市場経済・改革開放路線が定着していったとする。現在から考えると「改革」をやや楽観的に捉え過ぎているきらいがあるものの、基礎知識の整理として非常に便利。
プロフィール
高原基彰
1976年生。東京工科大学非常勤講師、国際大学GLOCOM客員研究員。東京大学院博士課程単位取得退学。日韓中の開発体制の変容とグローバリゼーションにともなう社会変動を研究。著書に『現代日本の転機』(NHKブックス)、『不安型ナショナリズムの時代』(洋泉社新書y)、共著書に『自由への問い6 労働』(岩波書店)など。