2012.05.07
紛争地の人々へ、生きる選択肢を
現在、世界の約20の地域で武力紛争が起こっているといわれている。そのなかでもっとも被害を受けているのは、女性や子どもを含む一般の人々だ。幼くして戦争にかり出される少年兵、難民となる人たち……。日本紛争予防センター(JCCP)事務局長の瀬谷ルミ子さん(35)は、紛争が終わったあと、兵士たちから武器を回収し、一般市民として生きていけるように職業訓練や心のケアなどをほどこす「武装解除」の専門家として、被害者を含めた紛争地の人々を支援する活動をつづけている。国際社会で日本が求められている役割とは何なのか。現地での取り組みについて話を伺った。(聞き手・構成/宮崎直子)
自らの手で生き方を選べるように
―― 世界の紛争の現状についてお聞かせください。
「紛争」の定義がここ10年くらいで大きく変わっています。以前は、単に国同士の争いや内戦を指すだけでしたが、最近はテロのように、拠点をもたないネットワーク型の紛争が増えてきています。今までのような「危険な地域に行くと危ない」ものから、「脅威が国境を超えて向こうからやってくる」形に変わっています。アジアの観光地で、日本人が自爆テロの被害にあうといったようなニュースもよく聞かれるようになりました。テロは私たちにとって身近なものとなり、日本も一瞬にして紛争地に変化する脅威のある世界になりつつあります。
同時に、紛争解決の方法も変わってきています。今までは内戦が起こっている地域に行って、政治調停をしたり、被害者を支援したり、元兵士に武装解除や社会復帰のケアをしたりと、ある程度包括的に解決策が考えられていました。しかし、テロの場合は、誰が加害者であり、被害者となりうるかが曖昧です。よって、それに対処する方法も、たとえば若者が不満をもってテロに向かわないような環境をつくるなど、日常の生活レベルでの対策を考えないといけません。
JCCPも元々は、アフガニスタンやカンボジアで地雷除去や武装解除を主にやっていましたが、5年前に私が事務局長になった頃から、現地の住民たちが、自ら紛争の問題解決を進める担い手になるように、「人材育成」と「能力強化」に焦点を当てて活動を行うようになってきています。
戦闘状態が続いている地域は、中東とアフリカに集中しています。シリアでは政権による市民の弾圧が続き、多くの被害者が出ています。また、1年前には、内戦か独立運動か解釈の仕方は曖昧ですが、北アフリアで「アラブの春」が起きました。そんな中、現在、私たちは主にソマリア、ケニア、南スーダン、バルカン地域で、「治安の回復と改善」「経済的・社会的自立の支援」「和解と共存の促進」の3点に重点をおいて活動しています。これらは、現地にニーズがあるにも関わらず、解決するノウハウをもつ専門家が世界的にも不足している分野です。
紛争で壊れた社会を立て直す
―― JCCPの活動についてお聞きしたいと思います。まずは「治安の改善に向けた取り組み」からご説明ください。
たとえばソマリアでは、国連への治安情勢の分析手法の開発、民兵や武装勢力の登録プロセス開発、現地の住民たち自らが、地域の治安を守るための案件立案ができるような研修立案を行っています。今後、地域によっては、警察も軍もいない環境で自分たちを守れるように自警団を組織したり、伝統的な長老による問題解決をベースにしたコミュニティ裁判制度の創設などが実施されたりという展開が想定されます。
ソマリア中南部は、首都モガディシオを中心に、暫定政府(TFG)を支えるPKOであるアフリカ連合ソマリアミッション(AMISOM)と、イスラム系反政府勢力であるアル・シャバーブとの間で戦闘状態が続いています。
今までこうした地域で治安を回復しようというときは、国家によって武装解除や警察訓練、裁判所の建設などが行われていました。しかし、トップダウンの、国レベルでしか行えない方法では、外国人や政府さえ立ち入れない地域は完全に置き去りにされてしまいます。ソマリアでは住民たちが安全に生きられる地域は極めて限られているため、その現状を変えるための方法を国連とともに考えた結果、この方法にたどりつきました。
また、昨年から東アフリカ全体がここ数十年で最悪の干ばつに見舞われています。この状況は内戦も深く関係していて、無政府状態のソマリアでは、本来政府が行うべき干ばつ対策が一切とられていないため、雨が降ると洪水が起こりやすくなっています。アル・シャバーブによって国際援助機関の干ばつ被害者への活動が妨げられていることもあり、被害の拡大に拍車をかけています。
この干ばつでは、難民となった女性や子どもの中に、逃げる途中や避難先キャンプで性的被害にあう人たちが後を絶たないことも問題の一つとなっています。JCCPはそうした人々への物資配布と心のケアを、今年からはじめています。
―― 「和解をすすめる」ための活動とは。
民族間の紛争が集結して10年が経つマケドニアは、表面的には安定していますが、過去の内戦への否定的な印象が強く残り、互いの民族交流は非常に限られています。最後まで残るのは、心の問題や他の民族への憎しみや心のわだかまりです。そこで、JCCPは、異なる民族の子どもたちが共同で街の清掃や植林活動を行い、民族間の和解を促進する事業を実施してきました。
ケニアもマケドニアと同じ問題を抱えています。4年前に、大統領選挙の後に起きた暴動で、国内避難民となった人たちと、避難先の土地に元から住んでいた人たちとの間で、差別や偏見などの大きな壁がいまだに残されています。そこで、私たちは、彼らが共同でヤギ・羊・鶏などの家畜の飼育を行うことで、経済的に自立しながら相互理解を深められる機会を提供しています。現地で事業を実施するときには、基本的に和解のためとはいいません。和解という言葉すら耳にしたくない人たちが共通の利害や利益を見出し、自然と交流する機会を社会につくることが必要だからです。
―― 若者への啓発・職業訓練にも力を入れていますね。
ケニアの暴動で、最も被害を受けた地域はスラム街でした。貧困層が住んでいるので、それだけ社会的不満は大きくなります。教育を受けてない人が多く、新聞などから複数の情報を精査できないので、政治家や権力者がきて「君たちが貧しいのはあの民族のせいだ、彼らを倒せば君たちは幸せになれる」といわれると、その情報源のみを信じてしまうんですね。結果、民族は違えど友達同士だった人たちも争いあい、約一ヶ月の間に1000人が亡くなり、30万人以上が避難民となる事態になりました。今年ケニアで選挙が行われますが、また同じような暴動が起きるのではないかと危惧しています。
私たちは、ケニアのスラム街に住む若者のグループを、この3年間訓練してきました。彼らは元々、ボランティアでスラム街のごみ拾いをやっていました。コミュニティのために何かをやろうとしても、学校に行けるわけでもなく、スキルをもっていない彼らができることは、唯一ゴミ拾いだけでした。私たちは、彼らに住民たちに対して心のケアができるようになるための研修を行いました。専門的スキルを提供し、ボランティアで住民からの相談を受けてもらうようにしました。
最初は給料がほしいといわれましたが、「あくまでこれはあなたたちのコミュニティの問題であって、最終的にはあなたたちが自分でどうにかしなければならない問題。だから、私たちは必要なスキルを提供するだけです」ということを根気強く説得しました。「コミュニティのために」という気持ちがないところに、外部の人が給与まで与えてしまったら、私たちがいなくなれば活動は終わってしまいます。
最終的に彼らは、この3年間で、基本的な心のケアから薬物中毒のカウンセリングまでできるようになりました。住民から頼られる存在になったこと誇りに思うようになってきています。彼ら自身も自尊心が回復され、NGOを立ち上げたり、専門家として他の団体で活躍したりしています。
海外で広がるビジネスチャンス
―― これからのJCCPの活動ビジョンを教えてください。
アフリカでは今後も内戦は続くと思いますが、テロや住民間の暴動が発生しているアジア地域においても、コミュニティ主導で治安を改善する取り組みはまだほとんど行われていません。ソマリアで私たちが国連と共同で行った取り組みは、世界でも初めて包括的に行われたものです。住民主導で自分たちの安全を確保するというアプローチを確立させ、アジアの国においても実践していきたいと思っています。
中長期的なビジョンとしては、紛争解決・平和構築といったものをビジネスにつなげることです。途上国の開発分野で企業と連携して、最貧困層の人たちを対象にしたBOPビジネスの展開を考えています。紛争地関係のものになると、武器を売るなど暴力に向かうことがビジネスになりがちで、平和に向かう活動は主に税金でまかなわれてきました。これから、特にアフリカ地域はどんどん発展していきます。日本のビジネスセクターで、アフリカの可能性を模索しているところと連携しながら、日本の教育産業や外食産業のノウハウを現地につなげるしくみをつくりたいと思います。
中国や韓国は、今ものすごい勢いでアフリカに資本投下していますが、日本はなかなかそこに参入してきません。近場のアジアにビジネスチャンスがありますし、地理的に遠いなど様々な企業の考え方があると思います。ただそこをつなげることができれば、現地にとってメリットがあるだけでなく、日本の企業や若者にとってもチャンスになります。海外にはまだ日本が進出できるところがあり、可能性は広がっています。その際に必要な、現地の慣習・文化・情勢などの情報や人材育成のノウハウを私たちは提供できます。
「できること」と「できないこと」を見極める
―― 紛争地での問題解決の方法は、東北被災地の復興にもいかせられるヒントがあるように思います。
日本の被災地と、紛争地で求められる復興のプロセスは似ていますね。まず住民が一番に求めることは安全の確保。紛争地の場合は、民兵に襲われないか、ロケット弾が落ちてこないかというレベルですが、日本の場合は原発です。それから住民間の対立などが起こってきます。実際に、東北被災地の支援をしている日本の民間企業から、住民間の対立をどう解決すればいいかと相談を受けました。
「援助慣れ」という言葉は私たちの業界でよく使います。あまりにも外部が与えすぎると、自分たちで立ち上がる力を奪ってしまいます。そのバランスの見極めが難しい。被災地でも同じことがいえると思います。人が自発的に動く上でもう一つ大事なのは、「できること」と「できないこと」の見極めをつけることです。日本の震災の場合は、どこまで政府がやって、どこまでNPOがやって、どこまで住民がやるのかという区切りがないので、その不安が今も続いているのだろうと思います。
「やらない言い訳をしない」というのは私のポリシーです。「やらないこと」と「できないこと」は違います。やれるかやれないかは自分たちの意志の問題です。
震災直後に、私たちは現地入りをしないと決めました。JCCPは基本的に国内における支援活動のノウハウをもっていないからです。寄付の申し出については、災害活動に特化した別の団体を紹介して対応しました。ただ、海外のNGOや国連から「支援をしたいけど窓口がわからない」といった問い合わせが多くあり、それは震災直後に政府機関などと連絡をとりながら対応しました。東北に車で支援に向かう際に必要な支援ナンバー取得の手順など、情報を翻訳して海外と共有していました。
小さな声を、世界に届ける
―― 最後に、瀬谷さんがこの仕事をする上で、心の支えとしているものは何ですか。
2010年7月、私がソマリアで訓練した20代前半のファヒアという女性が、帰宅途中に民兵に撃たれて命を落としました。彼女は研修を受けている最中に私にいったことがありました。「ソマリアでは女性であるというだけで教育も受けられず、自国のために何かしたいと思っても、何をしていいのかわからなかった。でもJCCPが来て、訓練を受けて、自分が貢献できる道がやっと見つかった。その目標に向かって自分は生きていこうと思った」と。彼女からいわれたその言葉はとても心に残っています。
日本にいると、ある内戦の被害者が50万人から60万人出ましたなどといったニュースを聞きます。しかし、この10万人は大きな誤差です。そして、その人たちが上げる声の多くは、世界の誰にも届かない。一方、現地で活動をしていると10万人一人ひとりの顔が見えてきます。一家が虐殺にあい、村が焼き討ちになり生きる希望を見失っても、なんとか生きて、社会を変えたいと思っている人たちがたくさんいます。手段さえあれば、前向きに生きていける人たちが大勢いるということを伝え、日本にいる私たちができる支援と現地をつなげることが、私の義務ですし、活動する心の支えとなる成果だと思っています。
プロフィール
瀬谷ルミ子
認定NPO法人日本紛争予防センター事務局長。1977年群馬県生まれ。中央大学総合政策学部国際政策文化学科卒業、英ブラッドフォード大学紛争解決学修士課程修了。ルワンダ、アフガニスタン、シエラレオネ、コートジボワールなどで、国連PKO、外務省、NGOの職員として勤務。専門は紛争後の復興、平和構築、治安改善(SSR)、兵士の武装解除・動員解除・社会再統合(DDR)など。アフリカのPKOセンターで軍人、警察、文民の訓練カリキュラム立案や講師も務める。第二回秋野豊賞受賞。2011年、Newsweek日本版「世界が尊敬する日本人25人」、日経ウーマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。