2017.02.06
患者の人生の伴走者になる「家庭医」の仕事とは?
今回の「高校生からの教養入門」では、「家庭医」として地域の医療に携わり、一般社団法人「みんくるプロデュース」で市民と医療者との対話の場づくりをされている、東京大学・医学教育国際研究センター講師、孫大輔さんのインタビューをお届けします。地域の人々のかかりつけ医として、患者と家族の健康を管理する家庭医のお仕事、そして医者・患者間のコミュニケーションに関する研究、医学生への教育としてどのような取り組みをされているのか伺いました。(聞き手・構成/大谷佳名)
人間全体をみる「家庭医」という仕事
――孫先生は家庭医として勤務しながら、医療・健康に関わる研究や教育などにも携わっています。まず、家庭医とはどのようなお仕事なのでしょうか。
家庭医は、地域に住む人々のかかりつけ医として、患者さん本人だけでなく家族の健康までも管理する医者です。一般的に医者の仕事は「体の中の壊れている部分を修理する」というイメージですが、家庭医の場合、特定の疾患だけをみるのではなく「人間全体をみる」という視点が大きいのが特徴です。これは「総合診療」と呼ばれます。
また、内科のみならず精神科、小児科、整形外科などあらゆる病気やけがを扱うのも家庭医の役割です。また欧米など、家庭医・総合診療医の育成が進んでいる国々では、お産を担当する場合もあります。
――海外では家庭医や総合診療医の数も多いのですか?
はい。欧米の先進国を中心に、1970年代ごろから研修システムが整備されてきました。特にイギリス、フランス、オランダなどでは、国民一人一人に登録されたかかりつけ医がいます。「GP制度」といって(総合診療医[General Practitioner])、病気になれば初めに担当のGPに診療してもらい、専門医が必要だと判断すれば紹介を受けて専門医に診てもらえる、という制度になっています。
日本にはこのような制度はありませんが、家庭医は症状が重い患者さんの場合、必要に応じて他の専門医療機関につなぐ役割を担っています。
――日本では、何科に行くべきかを患者自身が選んで受診するのが一般的ですよね。家庭医の数もまだまだ少ないと思います。
はい。2010年に、ちょうど僕が家庭医の研修をやっていた頃ですが、家庭医を専門医として認定する学会の制度が本格的に準備されました。専門医というのは学会が認める医師の資格のことで、家庭医の場合は「日本プライマリ・ケア連合学会」というところが認定をしています。家庭医と専門医の役割分担に関しては、どこまでが家庭医の診療できる範囲で、どこからが他の専門医の領域なのか、ある程度指針を示すガイドラインが整備されてきた段階です。
僕は医者の仕事を始めて今年で17年目ですが、はじめは腎臓内科医をしていました。だんだん自分のやりたいことと違うな、という気がしてきて、9年目にして家庭医にシフトしたんです。
――医師のような専門職だと、途中でご自分の専門分野を変えるというのはかなり思い切った転換だったのではないですか。
確かに大きな決断でした。専門が変われば知識から実践的な技術まで全てが違いますし、とくに内科では16歳以上しか診療しません。家庭医になって自分は子どもが診れるのかなど、不安はありました。
でも、やはり患者さんを全人的に診たいという思いはあったので、3年間の研修プログラムを終えて家庭医になった時は、「やっぱりこういう医療がしたかったんだ」と思いましたね。全人的、と言いましたが、例えば体の病気だけを治しても、実は心の問題が絡んでいたりします。あるいは、家族との関係が上手くいっていない、一人暮らしで孤独な生活を送っているために、病気が悪化してしまうケースもある。このような精神的、社会的な側面も含めて、人間を全体的に診ていこうというのが全人的な医療と言われます。
10年、20年、30年先も患者の人生に寄り添う
――そうした家庭医療・総合診療への関心は、医学生のころからお持ちだったのですか。
そうですね。ただ、当時は「人間全体をみる医者」というカテゴリすらなかったです。大学でも学ぶことができませんでしたし、言葉すら聞かない。総合的な診療はもっと昔の地域の開業医ならできたけど、医療が高度専門化していくにつれて難しくなっているわけです。当時の大学の先生にも「そんな医者はいない」と言われました。
そうなんだ、残念だなと思って、結局、内科の中のどこかの臓器(心臓、脳、腎臓、消化器官など)を専門に選ぶことになりました。医学生は、大学5〜6年の時期に病院実習を経験するのですが、いろいろな科を回るうちに自分の専門を考えます。今の学生もそうですが、循環器内科(心臓や大動脈を診る専門科)に行けば「心臓こそが内科の王道だよ」とか、神経内科に行けば「神経が一番推理的で面白いんだ」とか、まるでサークルの勧誘みたいに、行った先々で口説かれるんですね。そのうち、家庭医を目指していた学生も「ぼんやりと総合的にみるよりは、ある分野に特化したエキスパートの方がかっこいいかもしれない」と、気持ちが揺らいでしまうわけです。
――そんな中で、家庭医の魅力と言える部分や、孫さんがやりがいを感じるところは何ですか。
全人的にみるという視点があるので、体だけ治せばいい、薬だけ出していれば良い、というわけではありません。例えば、僕は認知症の方もよくみるのですが、認知症の場合、大変なのは患者さんご本人だけでなく、介護しているご家族もなんですね。だから、認知症の方とそのご家族を一緒にケアしていかなければいけない。
認知症の薬というのもありますが、治る薬ではありません。重要なのは、医者だけでなく看護師やリハビリ専門職、ご家族の状況を細かいところまで把握してくれるケアマネージャーなど、さまざまな職種の人と連携しながら、患者さんの心も診て、家族のこともみる。このようなチーム医療における「協働」が大変でもあり、やりがいもあるところです。とくに最近ニーズが高まっている在宅医療・地域医療においては、いろいろな分野の医療従事者の方と連携が必要になってきます。
また、精神の病気をみることもありますが、その場合も患者さんを支えてくれるご家族、あるいはサポーターの方を巻き込んでケアをしていきます。そうしないと、患者さん一人では薬を出しても飲んでくれないかもしれないし、ふさぎこんで病院に来なくなってしまうかもしれない。一ヶ月に一回とか、時間をかけて継続的に診ていきますが、必ずサポーターの方も一緒に病院に来てもらいます。
僕は長い方だともう6、7年くらいずっと診ているうつ病の患者さんもいますし、中には不安障害だった方が2、3年診ていくうちに薬も飲まなくていいくらい回復したこともありました。たとえ完治はしなくても、治療を続けていくにつれて患者さんとの信頼関係が出来上がっていきます。症状が良くなっていって患者さんに感謝された時などは、やっぱり嬉しいですね。
10年、20年、30年という長いスパンで健康を支えていくというのは、その患者さんとご家族の人生の一部を見させてもらうということです。その人の人生観や価値観、家族との関係性や、その中で大事にされていることまでを見つめ、時には人生の最後にも立ち会ってきちんとケアをさせていただく。家庭医の仕事は、患者さんの人生に寄り添って、マラソンで横について走るような「伴走」をするというイメージですね。
ブラック・ジャックのような医者に
――孫先生はいつから医者を目指されていたんですか?
医者を目指す人にもいろいろなパターンがありますが、僕は中学校一年生の時には医者になろうと思っていました。
――それは早いですね!中高生のころは、どのように過ごされていたのですか。
中学時代はいくつかの部活に入っていたのですが、高校一年生になってからは、何を思ったか東大医学部を目指そうという壮大な野望を立ててしまい……。それからは帰宅部になり、勉強していましたね。中高一貫校の男子校で、見た目もさえないし、スポーツもできない、全然イケてない暗い6年間を過ごしました。
医者になりたいと思ったきっかけは、中学の時に読んだ手塚治虫の 『ブラック・ジャック』という漫画です。主人公のブラック・ジャックは、医師免許を持っていないもぐりの医者なのですが、一見、患者に対して冷たいようで、実はハートが熱くて正義感のある人物なんですよね。そうしたアンチヒーロー的な魅力もありますが、ストーリーを読んでいくと純粋に医療の素晴らしさを感じられるような作品です。今思えば、医療の科学的な面白さと、人間の命を扱うヒューマニスティックな側面というバランス感覚に惹かれたのだと思います。
――総合的に患者を診たいという思いも、ブラック・ジャックの影響があるのでしょうか。
そうですね。単に体を治せばいいのではなくて、精神的な面、社会的な面も健康に関わっているんだな、というのは『ブラック・ジャック』を読んでなんとなく思っていました。また、ブラック・ジャックは基本的には外科医ということになっていますが、実は内科や他の専門についても詳しいんです。甲状腺の病気を治療する際に、他の内科医たちにブラック・ジャックが的確に指示をするという印象的なシーンもあります。医者としての自分の原点となった漫画です。
医療者と患者の間に流れる“共感”
――孫先生は大学での活動もされていますが、どのような研究をされているのですか?
現在は東京大学の医学教育国際研究センターというところにいますが、そこで僕が担当しているのは家庭医の領域ではなく、医学教育です。どのように学べば、医療の現場に立つ上で必要な知識・技能・態度をバランス良く身につけることができるのか。そのために医学部の6年間のカリキュラムをどうデザインすれば良いのか。それを研究したり、授業で実践したりしています。
最近の医学教育では、学生のころから問診や採血など、実習を通して教科書からは得られない技術を学びます。中でも僕が専門的に携わっているのは、患者とのコミュニケーションに関する教育です。
多くの大学では6年間かけて医学の知識をたくさん学びます。でも、それを頭に入れていざ患者さんの前に出てみると、ほとんどの人が何もできないんですね。20歳ちょっとの若者が60〜70歳くらいで人生経験が豊富な、しかも病気を抱えている方々とコミュニケーションしなくてはいけない。そうした難しさがあるのは当然で、やはり知識だけでは医療を提供することはできないわけです。
――そうした実習も含むコミュニケーションの教育は、どのように行われているのですか?
東京大学のカリキュラムは少し変わっていて、最初の2年間は他の学部と一緒に教養科目を学ぶので、医学教育は3年生から始まります。そこから、解剖学、生理学、病理学などの基礎医学を学び、4年生になると内科学、外科学などの臨床医学を学ぶ。それと並行して、患者さんと接する準備をします。
僕が主に担当しているのは「医療面接実習」という授業で、問診の練習をしながら患者さんとのコミュニケーションを学んでいきます。具体的に言うと、「模擬患者」という、患者さんの演技をする人たちが相手をするんです。
――ちゃんと患者役の人がいるんですね。
はい。ボランティアの方々で、60〜70代の方が大半ですね。事前にトレーニングも受けてもらい、細かい症状の伝え方なども実際に近い形で演じてくれます。ちなみに模擬患者さんのトレーニングも僕が担当しています。
そして対話を繰り返し練習していくわけですが、初めはほとんどの医学生が「対話を通していかに情報をゲットできるか」というように考えています。診断して治療するために有効な情報をどう引き出せるか、と。しかし、医療者と患者のコミュニケーションは、実は情報を引き出す以上のものを含んでいます。関係性ができて信頼感が高まると、それだけで治療効果が高まることもあるんです。
情報を取るだけならロボットにでもできますよね。でも、病院に行ってそこにロボットの医者が座っていたとしたら、どう思うでしょうか。ロボットは非常に正確に、「どこが痛いですか?」「痛みの種類はどんな種類ですか?」「一から十のうち、いくつくらいの痛みですか?」と症状を聞いてきます。それで、症状をすべて伝えられたとします。でも、それだけでは患者さんは満足できないんです。
情報を伝えるだけでなくて、人間対人間のやりとりによる、「信頼できるな」「私のことを思いやってくれているな」という気持ち。あなたの病気はこういうもので、こういう治療をすれば治りますよ、心配しないでくださいね、と声をかけてくれると、良かった、安心できた、と感情が動きますよね。それはロボットだと起こらない。
そうした、医療者と患者の間に流れる“共感”は、どのような心理的要素を含んでいて、健康にどのような影響を与えるのか。それは教育によってどこまで学習可能なのか、という研究もしています。
医療者も患者も自由に語り合う場所
――孫先生は、「みんくるプロデュース」という一般社団法人の代表もされていますよね。「みんくるカフェ」という、病院の外で地域の人々と健康について語り合う、医療者-患者のフラットな対話の場を作られています。なぜ、このような取り組みを始められたのですか。
僕は家庭医になって、診療所に勤め始めたのですが、だんだんと患者さんの生活に近い視点で病気を診ていくうちに、病院に来た人だけをみるだけでは限界があるなと思うようになりました。
というのも、家庭医が扱う病気の多くは、糖尿病、認知症など長い期間付き合っていくような慢性疾患です。薬を投与すれば治って終わり、と単純な病気ばかりではありません。患者さんのライフスタイルに向き合っていく必要があります。治療していくうちに、患者さんと一緒に伴走するマラソンみたいな感じになってくるんですね。
ただ、いつも外来が混んでいて、午前中だけで30人みるようなこともしばしばです。そうなると1人5分とか10分になってしまう。そんな短い時間では限界がありますし、もう少し、病院とは別の場でも対話ができたらいいなと思ったんです。それには、やはり病院の中では患者さんも本音が話せていないんじゃないかな、という気持ちもありました。また、病気になっていない人は病院に来ませんから、その人たちが病気になるのを医者は待っていることしかできないのかな、と。
だから病院の外で、病気になっていない人も含めて健康や医療について対話する場をつくろうとしたわけです。それが、2010年ごろのことですね。
――病院の外だと変な緊張感もなく、些細な悩みや疑問も打ち明けられそうですね。
はい。病院の中ではこっちが医者で、相手は患者という決められた関係、決まった時間の枠での対話になりますが、まちのカフェのような場所だと僕も一個人として参加できるし、本音も聞ける。自由に話し合えるのが、純粋に楽しいんです。
最初は一般の人や患者さん、つながりのある医療者を呼んで、細々と10人くらい集まってカフェの一角でやっていました。続けていくうちに、だんだんと人が集まるようになり、現在は毎回20人くらいで開催しています。また、他の地域の方から「私もやってみたい」という声をいただくようになりました。そこで2012年から、カフェでの対話のやり方やファシリテーション(対話を円滑に進めるスキル)を学んでもらおうと「みんくるファシリテーター育成講座」というのを始めたんですね。現在は全国各地の医療従事者の方をはじめ230人くらい修了生が出ていて、全国20〜30箇所くらいでみんくるカフェが広がっています。
パウロ・フレイレの精神
――今後はどのような活動をされていきたいですか。
僕自身は大学に籍を置いているので、フルタイムで家庭医をしている医者とは違う立場です。その分、がっちりと地域に密着するという側面は弱くなるのですが、若い人たちの育成に携わったり、家庭医療やみんくるカフェでの実践を研究に活かすことができる。それが僕の役目なんじゃないかなと思っています。
欧米では「アカデミックGP」と言われる、大学ベースで研究や教育に携わるGPが注目されています。ヨーロッパ、北米、カナダでは、大学で家庭医療・総合診療を学んだり研究できる機会が圧倒的に多いのです。そうしたアカデミックGPとしての立場をもっと突き詰めていけたらな、とも思います。
――アカデミックな領域と実践との間で、常にフィードバックをしながら両方に活かしているんですね。これからの地域の中での活動については、いかがでしょうか。
今取り組んでいることでは、東京の「谷根千」(谷中・根津・千駄木)という下町でお寺や銭湯、古民家といった人の集い場に注目した研究をしています。地域の中で、いかに市民主体による健康づくりが可能なのかというのがテーマです。というのも、これからの日本において、健康な社会づくりをしていくためには、実は医療従事者などの専門家主導ではなく、市民が主体になって取り組む活動が重要になんじゃないかと思います。僕自身、専門家としての「白衣」を脱いで、一市民として地域に入って活動するのが好きなんですね。
谷根千でも、医療の専門家ではないけれど、実は地域の健康づくりに関わっている人はたくさんいます。たとえば、地域密着型の漢方薬局の方で、まちの保健室的な活動をされている方。常連さんも多い銭湯なども、見守りやコミュニケーションの場として役立っています。お寺にも地域に開かれている場があって、住民主体の縁日を開いているお寺や、座禅会や住民の集いの場に提供しているところもある。こうした地域住民の「つながり」は、こころと体の健康に効果があると考えられます。
みんな健康になろうという目的を持っているわけではないのですが、自然と健康づくりにつながっているような住民活動がある。そうした市民目線で健康を考えていく方が、日本のこれからの社会にとっては効果的なんだと思います。そこに専門家も参加していって、一緒にネットワークを作り、支えていくことに可能性を感じています。
――今ある資源にも注目しつつ、地域の健康づくりにつながる様々な可能性を試されているんですね。
はい。実はこうした僕の活動のモデルになっている人がいます。ブラジルの教育学者、パウロ・フレイレです。彼の活動は「市民参加型アクションリサーチ」の源流になっています。その活動は、教育によって社会を変えるということに起点をおいていて、専門家主導ではなく市民が主体的になるよう、市民をエンパワーメントすることを大事にしました。
当時70年代の教育は、フレイレの言葉でいうと「銀行型教育」、教師は生徒に預金をしていくように知識を付け足すだけの教育でした。彼は、それではダメで、教育とは自分自身の力に気づいて、自分を変えていけるようなものでなくてはならない、と考えた。このように自らの現状を認識して、自分を解放していくような学習をフレイレは「意識化」と呼びました。
それで、彼が実際にやったことというのは、スラム街の中に入っていって読み書きを教えることだったんですね。文字が読めるようになってくると、今度はスラムの住民に自分たちが置かれている状況を理解させた。すると、今まで知らなかった社会の構造、自分たちは社会の底辺にいて、富裕層に抑圧されているんだということに初めて気づくんです。同時にフレイレは「言葉は作り変えることもできるんだ」と言って、2つの単語を合わせて新しい言葉をつくったり、実際に住民にやってみせた。それを通して、自分たちの状況や社会も変えることができるのだと教えていきました。これは、まさに「意識化」のプロセスですね。
僕はこうしたフレイレの精神が好きで、自分も教育に携わるときは知識をただ単に伝達するのではなく、常にエンパワーメントできるような方法を心がけています。
――最後に、高校生へのメッセージをお願いします。
僕には小学生の娘がいるのですが、この前彼女に「悩みとかないの?」と聞いたら「ない」と言うのでびっくりして。小学生でも友達とケンカぐらいするだろうと思うのですが、「みんなお互い気を使うからケンカにならない」と言うんです。今の子どもって、大人的な視点を早い段階から先取りしている子が多いなと思います。
昔だったら子どものうちは少し逸脱した行動もできたけど、今の時代はSNSですぐ自分の言動が拡散される、管理型社会になっているのかもしれません。社会の中で外れたことをするとバッシングされるかもしれない。とくに十代の子はそれをすごく気にすると思います。
ただ高校生時代は、大人になる前に自分はどういう人間なのか、この社会に生きている意味を考えるような時期です。だからリスクを恐れずに、自分が本当に好きなことはなんなのか、これから長い時間をかけてやりたいことはなんなのか、じっくり考えて欲しいなと思います。
高校生におすすめの三冊
プロレタリア文学の代表作……と言われると、とても固いイメージがあると思いますが、実際に読んでみると面白くて止まりません。ストーリーは、凍てつく北の海に蟹漁に出た船の中で、労働者たちは死人が出るほどの劣悪な労働環境にさらされます。その非人間的な扱いに対して、労働者たちが立ち上がる物語です。貧困の問題、ブラックな労働環境など現代にも通じる問題や、人間が団結して支配者にどう立ち向かうかという人間たちの姿がビビッドに描かれています。小林多喜二はこの作品を書いたため、当時の特高警察に逮捕され、凄惨な拷問を受け亡くなりました。
日本における市民運動の歴史が分かりやすく学べ、また現代において社会を変えるために何ができるのかを学べる一冊です。最近では国会議事堂前での「金曜デモ」が話題になりましたが、デモって何でしょうか?実際に社会を変えたいと思ったときって、デモをやるか、投票するかしかないのでしょうか?そうしたことを歴史学的・社会学的に論じていながら、これからの社会を生き抜くための実践的な知恵を学べる社会学者・小熊英二氏の本です。
精神科医であり、フロイトの精神分析学を構造主義的に発展させたジャック・ラカンの思想を分かりやすく解説した一冊。著者はやはり精神科医でありオタク研究家でもある斎藤環氏。超難解なことで有名なラカンの文章が、おそらく世界一分かりやすく解説されています。ストーカー、ひきこもり、おたくと腐女子、フェティシズム、など、不可解な現代の現象も、ラカンの理論で考えてみると理解可能なように思えてきます。
プロフィール
孫大輔
2000年東京大学医学部卒。腎臓内科、総合診療(家庭医療)を専門として勤務を続けた後、2012年より現職。医学教育および研究に携わりながら、家庭医としての勤務を続けている。研究テーマはヘルスコミュニケーション、医学生の共感とコミュニケーション教育、など。2010年8月より市民・患者と医療者がフラットに対話できる場「みんくるカフェ」を主宰している。2015年より、東京の下町である谷根千(谷中・根津・千駄木)をフィールドにCBPR(市民参加型アクションリサーチ)を進めている。日本プライマリ・ケア連合学会 家庭医療専門医。一般社団法人みんくるプロデュース代表理事。