2010.11.09
ひとつの「組織」としての中国
企業所有主体の多様性
先日、「ああ、なるほど」と感じることがあった。中国企業に関する話である。
かなり前から、中国の企業のあり方についてはどう理解すればよいのか頭を悩ませていた。中国に行かれた方や中国経済の本を読まれた方はお気づきかもしれないが、中国では、さまざまな主体が企業を保有している。
たとえば、中央政府や省・市などの地方政府が国有企業を保有しており、また郷・鎮のようなより小さな地方政府を中心に集団所有制という形態で企業を保有している地方政府も多い(その典型がいわゆる郷鎮企業である)。家電メーカーとして急速に成長しているハイアール(海爾)も、もともとは山東省青島市の下にある集団所有制の冷蔵庫工場であり、今でも青島市が強い影響力を保持している。
それだけでなく、軍(人民解放軍)もさまざまなレベルで企業(航空会社やホテルのようなものから製薬会社まで)を保有していた。現在は人民解放軍による営利企業の経営は禁止されているらしいが、なお軍系といわれる企業は存在している。
また、大学も企業をもっている。北京の首都空港などにで「清華同方」というコンピュータ関係の会社の広告をみかけるが、これは清華大学が保有する企業である(コンピュータ以外の事業もやっている)。ちなみに、北京大学も北大方正という企業をもっており、その会社が北京大学の横に大きなビルを保有していたりする。
これがたんに出資関係を意味するのであれば日本でもありえない話ではないのだが、どうもそういう感じにもみえない。北大方正は北京大学とさまざまなかたちで結びついて存在しており、中央政府直轄の国有企業は中央政府との密接な関係をもつ。
さらに事態を分からなくするのが、政府機関が企業になってしまうという現象である。たとえば、中国最大の石油会社といわれる中国石油(中国石油天然気集団公司)はもともと中国の石油工業部(石油工業省)であり、1988年に石油工業部が廃止され、中国石油に組織替えしている。
日本でも政府や地方自治体の現業部門を会社にするというのはあるが、中央省庁ひとつがが丸ごと企業に鞍替えするとは一体どういうことなのか、すっかり考え込んでしまった。
中国における企業とは?
このような疑問を抱えながら中国に関する本を読んでいるなかで、ある記述が目に留まった。2007年に中国有数の自動車会社である第一汽車(中国第一汽車集団公司)のトップ(総経理)であった竺延風氏が、中央政府から吉林省副省長に任命された、という記述である。
同社は国有企業であるが、竺氏はもともとエンジニアで大学卒業後同社に就職し、そのまま総経理に昇進するというキャリアを経ており、行政とは何の関係もない。また、日本で県知事を選挙で選ぶのとは異なり、中国の省は中央政府の下にある一部門として位置づけられており、省長・副省長は中央政府が決定する。
つまり、日本でいえば、どこかの自動車会社の生え抜きの社長を、突然中央省庁の局長や次官に任命するようなものである。およそ日本では考えられない事態といえよう。
この記述を読んだときに、ようやく自分が勘違いをしていたことに気がついた。
そもそも、第一汽車や中国石油のような企業を、日本で想像するような独立した企業と考えるのが正しくなく、第一汽車や中国石油は現在でも中央政府の下にある一部門であって、それが企業という名前を持っているだけであると考えればよいのである。
中央政府の下にある一部であるから、人事異動で総経理を吉林省にもっていっても何の問題もない。また、中央省庁を丸ごと企業にしてしまっても、いわば会社の一部門を子会社化するようなものであってなんら驚くに値しない。
省・市が保有する国有企業や郷鎮企業、軍系企業や大学保有の企業についても同様の構造を考えることができる。つまり、たとえば省の国有企業は省の、郷鎮企業は郷や鎮の、軍系企業は軍の、そして北大方正は北京大学の一部門なのである。そう考えれば、たとえば先に述べた北大方正と北京大学の関係も理解できる。
さらにいえば、先に指摘したように、省自体も中央政府の下にある一部門と考えることができるし、軍や国立大学も同様である(軍は政府と中国共産党の両方の下にあるが)。また市は省の下に、県は市の下に、郷や鎮は県の下にある一部門と考えられる。
国家=企業としての中華人民共和国
これを全体としてみれば、中央政府と中国共産党を中心として、中央省庁や省レベルの地方政府、軍、あるいは中央直轄の国有企業などがその下の一部門となっており、その下に省レベルの国有企業や市が存在し(おそらく大学もこのレベル)、さらにその下に…というように、中国という国自体がひとつの巨大な組織を形成していると捉えることができる。
もちろん、個々の部門がまったく自律性を備えていないわけではない。それは日本企業の企業内の一部門を考えてもそうだろう。日本の企業内でも、たとえば事業部は自分の意見をもっているだろうし、取締役会と意見が異なるということもあるだろう。しかし、日本企業と同じように、中国というひとつの組織のなかの個々の「部門」も、最終的には上位のコントロールに服する。
一方、日本企業そのものは、そのような意味での上位をもたない。もちろん、さまざまな利害関係者―株主、従業員、中央政府、地方自治体等―の意見は聞かなくてはいけないだろうが、最終的には日本企業は「自分で」自分の意見を決めることができる。
中国においては、そのような意味で「自分で」自分の意見を決められるのは基本的には国家=企業としての中華人民共和国だけであり、この意味でひとつの日本企業に対応するのはひとつの組織としての中国そのものなのである。
ふだん、わたしたちは企業の競争相手は企業であると考えている。たとえばハイアールはパナソニックの競争相手だし、第一汽車はホンダの競争相手であるというように。しかし、ひょっとするとわたしたちは勘違いをしており、パナソニックもホンダも、中国という1つの巨大な組織を相手にしているのではないだろうか。
もちろん、巨大な組織にはそれ自体の欠点がある。たとえば、組織内部で意見を統一できないかもしれないし、統一できても動きが鈍いかもしれない。ゆえに、相手は巨大すぎて勝てないなどと最初から思い込む必要はない。しかし、少なくとも個々の「企業」を相手にして戦う場合とは競争の仕方は異なってくるだろう。
日本企業は、自分の会社が「誰を」相手にして戦っているのか、そしてどのように戦うべきなのかをまず一度考えるべきではないだろうか。
推薦図書
上の竺延風氏に関する記述があった本は徐静波『株式会社中華人民共和国』 (PHP研究所, 2009) であり、タイトルからも内容からも多くの示唆を受けているが、あいにくとこの本は政府機構の話のみをしており、本稿の中心である企業の話ではない。
そこで、中国企業に関する本としてこの本をあげておきたい。実際のところ、中国企業は多様あり、すべての企業が中国という組織の一部門をなしているわけではない。とくに最近では起業家により作られた企業も多くみられるようになっている。そのような中国企業の実態を理解するガイドとして、実際に中国を駆け回って企業をみてきた著者によるこの本は、大いに参考になるだろう。
プロフィール
清水剛
1974年生まれ。東京大学大学院経済学研究科修了、博士(経済学)。東京大学大学院総合文化研究科・教養学部准教授。専門は経営学、法と経済学。主な著書として、「合併行動と企業の寿命」(有斐閣、2001)、「講座・日本経営史 第6巻 グローバル化と日本型企業システムの変容」(共著、ミネルヴァ書房、2010)等。