2017.11.17

人をつなぐ芸術――その社会的評価を再考する

吉澤弥生氏インタビュー / α-Synodos vol.232

情報 #知見#長瀬千雅#αシノドス#橋本努#吉澤弥生#アートプロジェクト#現代演劇#タックス・ヘイブン#増田穂

はじめに

「α-Synodos vol.232」、今回の特集は秋にちなんで「芸術へいざなう」です。

第1稿巻頭インタビューでは、近年広まりつつあるアートプロジェクトの可能性について、共立女子大学准教授の吉澤弥生氏に伺いました。アーティストと市民が共同で作り上げる芸術は、社会にどのような効果をもたらすのでしょうか。

続いてのQ&Aでは、現代演劇を取り上げます。「今」という時代を捉えようと模索する演劇の魅力、そして初心者におすすめの演目などについて、長瀬千雅氏にお答えいただきました。これを機に、ぜひ劇場にも足を運んでみてくださいね。

第3稿、「今月のポジ出し」では、今世間を騒がせている「タックス・ヘイブン」の倫理的問題ついて、北海道大学教授の橋本努氏が解説します。法的には問題のない租税の回避。しかし、その裏には逃れられない不公平さが存在します。タックス・ヘイブンを規制するためのご提案をいただきました。

最後は、編集部増田による論考です。大学、大学院と戦争と平和について学んできた中で、「知見」が有効に活用される上での「壁」を感じてきました。専門知が社会に還元され、最大限その可能性を発揮するためにはどうしたらいいのか。シノドスでの経験も踏まえて分析します。

以下に巻頭インタビューの冒頭を転載しております。ぜひご覧ください。

吉澤弥生氏インタビュー 人をつなぐ芸術――その社会的評価を再考する

アーティストが、市民や子どもたちと共に作品を作るアートプロジェクト。作品制作の過程までを作品とする新しい概念の芸術が、2000年代以降広まりつつある。近くなる、芸術と社会の距離。芸術は、社会に対してどのような影響を及ぼし得るのだろうか。共立女子大学准教授の吉澤弥生氏に伺った。(聞き手・構成/増田穂)

 

 

◇近くなる芸術と社会の距離

――吉澤先生はご著書『芸術は社会を変えるか?: 文化生産の社会学からの接近』(青弓社ライブラリー)の冒頭を「芸術の社会化」というテーマで始めていらっしゃいますが、「芸術が社会化する」とはどういったことを指すのでしょうか。

「芸術」というと、多くの人は彫刻や絵画などをイメージされると思います。こうした作品は、一部のパブリックアート、つまり道路や公園などの公共の場に設置されたものを除いて、美術館やギャラリーなど、「芸術のため」の場所に出向かないと出会えないものでした。

しかし今日では、必ずしもそうした形で残る作品だけでなく、仮設のものやパフォーマンス、ワークショップなど、芸術のかたちが多様化しています。現代アート、コンテンポラリーアートということでカタカナの「アート」と呼ばれることが多いのですが、これらは必ずしも美術館の中に収まるものではなく、むしろその外、たとえばまちなかや自然の中、あるいは廃校や空き店舗といった場所を舞台に、さまざまな人々の協働によって作られる作品やプロジェクトです。

こちらは、2003年に大阪市で始まった「ブレーカープロジェクト」の最近のプロジェクトの写真です。写真1は、廃校となった校庭の一角を、きむらとしろうじんじんさんという作家を中心に、地域に開かれた「作業場」にするというプログラムの一コマです。写真2は、元家具屋のスペースを改装しワークショップを続けていたところ、地域の女性たちにとってのサードプレイスとなった拠点「たんす」の様子です。ブレーカープロジェクトは過去のアーカイブをwebや紙媒体でも公開しているので、長く続いているアートプロジェクトの一例としてぜひご覧いただきたいと思います。

「きむらとしろうじんじん「作業場をつくってみる!」@旧今宮小学校、2017(撮影:ブレーカープロジェクト)
「きむらとしろうじんじん「作業場をつくってみる!」@旧今宮小学校、2017(撮影:ブレーカープロジェクト)
kioku手芸館「たんす」2015(撮影:ブレーカープロジェクト)
kioku手芸館「たんす」2015(撮影:ブレーカープロジェクト)

話は戻りますが、さらに場所が社会に開かれるというだけでなく、芸術を通した町おこしなど、芸術が社会問題解決の一つの契機として位置づけられることもありますし、社会包摂の一環として医療や福祉の分野でアートが取り入れられることがあります。こうして社会のさまざまな場面や文脈でアートが作られるようになってきている。その状況を、「芸術の社会化」という言葉で表現しました。

近年では「ソーシャリー・エンゲージド・アート(社会に関与する芸術)」のような、積極的に社会と関わっていく芸術を表現する言葉も使われるようになりました。これまで以上にアートと社会が物質的にも、思想的にも近い存在になってきていると見ることができます。

――こうした変化は何がきっかけでおこったのですか。

まずアーティストやキュレーターが、自分が1番表現をしたい場所、自分の表現に最も適した場所を探した結果、それが美術館の外にあった、ということがあると思います。加えて、文化政策が推進される中で、芸術の社会的有用性を示すことで予算が付くようになったことも大きく関係すると思います。こうした作り手の動機と政策のあり方が折り重なったことが背景にあるのではと。

――芸術の社会化はいつ頃から進んでいるのですか。

作家たちの動向としては、1980年代くらいからだと思います。しかし文化政策が変化しはじめ、作家のこうした動きを後押しするようになったのは2000年代頃からです。大学でも1990年代からアートマネジメントやアートプロデュースを教えるコースが現れていました。

一世代前だと、行政からお金をもらって制作をすることに抵抗感を持つ人も多かったのですが、若い世代のアーティストは、こうした背景もあり、「アートが社会の役に立つ」という文脈で表現することに抵抗感のない人が増えているように思います。

◇秩序を客体視させる芸術

――その点は気になっていました。芸術には反社会的・反秩序的な側面もあると思うのですが、行政から助成を受ける場合には、ある種制度に順応しなければならない部分もあるかと思うんです。その辺り、アーティスト本人たちはどう感じているのでしょうか。

行政からの支援に抵抗感の少ないアーティストが増えていると言いましたが、とはいえ作家は「有用性」とか「活用」という言葉には抵抗感を持つ人が多いです。現在、いろいろな表現が「アート」という言葉でひとくくりにされていますが、反秩序的なアートも存在しますし、一方で制度や既存の秩序と相性のいいアートも存在します。近年芸術のもつ社会性がクローズアップされる中で、そうした制度順応的なアートが多いように見えるのではないかと思います。

とはいえ、実際に一つ一つの現場を見ていくと、一見制度順応的に見えても、意外と細部がそうでなかったり、制作の過程でとても革新的なことをやっていたり、予想外の関係性が立ち現れていたりと、そんなに単純ではないんですね。

――具体的にはどのような点で画期的な面が見え隠れするのでしょうか。

例えば、かつて横浜市の黄金町には売買春を行う「違法飲食店」が立ち並び、人身売買や病気などの問題も深刻化していました。そこで地域住民や警察、横浜市が一体となって関係者を一掃する「バイバイ作戦」が実施され、2006年以降、その高架下の新しいスペースがアートと防犯の拠点として活用されるようになります。そしてこれらを拠点に2008年に黄金町バザールというプロジェクトが始まりました。

当初こうした一連の動きに対しては、その町から一掃することはできても根本的な問題は解決していないとか、アートを使ったジェントリフィケーションではないかといった批判がありました。ジェントリフィケーションとは、主に何らかの都市問題を抱えた町に付加価値のあるものを持ち込んで再開発を行い、その結果地価が上昇するなどして元々の住民が退去を余儀なくされるというプロセスです。つまりアートがそういうものの手先になったのではないかと。

実際、2008年の黄金町は、バザール開催時にも24時間体制で警官が立って監視をしているような、ものものしい状況でした。前出のきむらとしろうじんじんさんがその年、ここでプロジェクトを行ったのですが、彼自身こうした経緯にはとても葛藤されたそうです。じんじんさんはは野点(のだて)という、参加者が自分で作った焼きたてのお茶碗でお茶を楽しめる移動式お茶会を全国各地で開催しています。その町のどの場所で野点を行うか、地元の人たちと対話し、町を歩くというプロセスを大切にし、当日も集まった人たちがじっくり絵付けをできるように丁寧に場を作ります。ドラァグクイーンの装いがじんじんさんの正装で、いろいろな衣装をお持ちなのですが、黄金町では初めて、警官のコスチュームを着ていたんです。

私はこの日の野点に参加して絵付けをしていたので、いつもと違う衣装だなと何となく思っていました。そしてしばらくして、あ!と思ったんです。数十メートル先には、長い警棒を持った警察官がずっと立っている。じんじんさんはこのコスチュームを着ることで、この場所が、都市問題を排除し「浄化」された町なのではなく、権力の監視が必須であり、またその管理の下にアートプロジェクトが行われている町であることを意識化させる目的があったのだろうと考えています。このとき「武装より女装を」と語っていました。

――決められた枠の中も、無批判に枠に収まりきるのではなく、その中で何ができるか試行錯誤をしているのですね。

そうですね。枠の存在を意識しつつ、見た人にその枠の存在を客体化、意識化させ、その枠について再考させることができる作品が、批評性をもつ作品だと思っています。

こうした内部からの批判的な作品は、これまでの世代のように行政からのお金をもらうことを避けていては現れなかったかもしれません。そういう意味では、果敢に攻めている作品もあるんですよ。細かく見ていくと、アートが単に手段化しているとは、一概には言えないと思います。……つづきはα-Synodos vol.232で!

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2017.11.15 vol.232 特集:芸術へいざなう

1.吉澤弥生氏インタビュー「人をつなぐ芸術――その社会的評価を再考する」

2.【現代演劇 Q&A】長瀬千雅(解説)「時代を捕まえるダイナミクス――現代演劇事始め」

3.【今月のポジ出し!】橋本努「タックス・ヘイブン改革 香港やシンガポールにも圧力を」

4.増田穂「『知見』が有効活用されるために」

プロフィール

シノドス編集部

シノドスは、ニュースサイトの運営、電子マガジンの配信、各種イベントの開催、出版活動や取材・研究活動、メディア・コンテンツ制作などを通じ、専門知に裏打ちされた言論を発信しています。気鋭の論者たちによる寄稿。研究者たちによる対話。第一線で活躍する起業家・活動家とのコラボレーション。政策を打ち出した政治家へのインタビュー。さまざまな当事者への取材。理性と信念のささやき声を拡大し、社会に届けるのがわたしたちの使命です。専門性と倫理に裏づけられた提案あふれるこの場に、そしていっときの遭遇から多くの触発を得られるこの場に、ぜひご参加ください。

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