2020.10.19

考えたいのは「市民(有権者)の責任」――『「高齢ニッポン」をどう捉えるか』(勁草書房)

浜田陽太郎(著者)

#「新しいリベラル」を構想するために

「高齢ニッポン」をどう捉えるか: 予防医療・介護・福祉・年金

著者:浜田 陽太郎
出版社:勁草書房

「政治部のデスクからは「世の中は、20人が決めている。それを取材するのが政治部」とたたき込まれた。官邸に常駐する「政府首脳」に生活に密着した社会保障の現場を取材してきたと自己紹介すると、「ああ、そういうの、男の記者でもやるんだ」といわれたことを、今も鮮明に覚えている。

そこでは、社会保障の制度・政策は生活から切り離され、「権力闘争の材料」の一つとして扱われていた。」(本書219ページ)

この本の中で、ひときわ思い入れの深い一節です。

「記者クラブ」という言葉を聞いたことがありますか。中央省庁などの役所に「記者会」などの看板を掲げた部屋があるのが普通です。多くの記者がそこに拠点に仕事をし、新聞やテレビで流れるニュースはここから発信されています。

僕も、今から17年前に「首相官邸の記者クラブで仕事をしろ」と言われました。今、官邸にいるのは菅義偉さんですが、当時は小泉純一郎さんが首相でとても人気がありました。ですが、その部下には、「お金がかかる大きな政府」を好まない竹中平蔵さんみたいな人もいて、社会保障にとっては厳しい時代でした。

さて、この「首相官邸クラブ」に配属される直前まで僕は、年金を受け取っているお年寄りや医療や介護を受けている人に取材し、そこで感じられた問題点や悩みを記事にする仕事をしていました。それが一転、国の行政の中心で働く官僚や政治家に取材し、新聞社内では「エリート」である政治部の記者と一緒に記事を書くことになったのです。これが、メディアと政治と社会保障の関係を考えるようになったきっかけでした。

社会保障もイザコザが起きやすい

僕が20年取材を続けている社会保障は、私たちの生活にダイレクトに影響を与えています。

医療を例にとりましょう。病気になったとき、保険証1枚持っていけば、本来かかった費用の1割~3割のお金を払うだけですみます。お金持ちでも、そうでない人でも病気になったら病院に行き、お医者さんに診てもらえる……。つまり、社会全体で、市民一人ひとりが貧富の差にかかわらず医療というサービスを受けられるよう「保障」しているのです。

そこで、政治が大きな役割を果たします。お医者さんの仕事や薬の値段も、政治家である国会議員が最後は決めています。その費用を賄うため、社会保険料や税をどれくらい集めるかを決めるのも政治家です。

そんな大事な「政治と社会保障」の関係ですが、どのくらいのお金をかけるのか、そのお金を誰がどう負担するかをめぐり、イザコザも起きやすいのです。

たとえば、企業は人を雇って働かせると社会保険料を払わないといけません。月給30-40万円の従業員を10人も雇えば、労使あわせた1カ月の保険料納付額は100万円にはなります。(本書177ページで説明)。従業員にとっては保険に入るメリットがありますが、経営者にとっては単なるコスト、出ていくお金です。

だから、経営者の人たちは、コストを抑えるために「保険料は低い方がいい」と考えます。では、保険料のかわりに税金として広く薄く集めようとして、消費税を増やすというのも、「景気が悪くなる」とか「貧乏人にも払わせるのか」といって、これまた大変な反対があります。(ちなみに、消費税は、すべて社会保障のために使うことが決まっています)。

首相官邸の記者クラブで取材をしていると、どうしてもこの「イザコザ」の方に関心が向きがちでした。たとえば、お医者さんや患者さんの団体と関係が深い議員は「もっと医療にお金を使え」と主張しますが、企業経営者とのつながりが太い議員は「そんなに高い保険料は払えないから、医者への報酬を下げ、患者の自己負担を上げてコストを抑えろ」と反対します。この政治的対立、つまりイザコザの構図を描く記事を書くのが大切な仕事でした。

つながり、見えにくく

こうした取材はプロレスを観戦するみたいで面白いのです。そして、権力闘争劇を追っかけるのが「男の記者がやるべき立派な仕事」と見なされていたというのが、冒頭で紹介したエピソードの含意です。

でも、僕はとても気になったのです。「政治家が決めたあんなこと、こんなことが、回り回って僕たちの日常生活にどう影響するのか」という「政治と生活のつながり」。それが、日々の政治報道の中ではあまりに見えにくかったからです。

ただし、その責任を「権力闘争にうつつを抜かす政治家」や「その対立構造をおもしろおかしく煽り立てるメディア」に負わせるだけでは物足りないかな、と思います。

考えたいのは、「市民(有権者)の責任」です。

僕たちが普通に働き、健康に暮らしていれば、社会保障の大切さを意識する機会はありません。それどころか、自分の給料明細を見て、2割近い額が「社会保険料」として天引きされていることに「なんか納得いかないな」と思う人の方が多いかもしれません。

そんな感じ方の代表選手として、この本の第1章「誰でも介護が必要に」には、ある男性が登場します。彼は「社会保険料はムダ」と考えて、断固支払いを拒否していました。国民健康保険は未加入。健康に自信があったのと、仏教の熱心な信者であった彼は「信仰によって健康を維持できている」と考えていました。国民年金の保険料は一ヵ月払っただけ。「働けなくなってお金が無くなったら飢え死にを選びます。介護を受けるなら生きている意味はない。認知症になるなんて考えられないですね」、という具合でした。

ところが、ある日突然、くも膜下出血で倒れて病院に救急車で運ばれました。日本の社会保障制度は、彼をどう受け止め、支えたでしょうか? この男性の後日談については、以下のサイトで「立ち読み」できます。

https://keisobiblio.com/2020/10/01/atogakitachiyomi_koureinippon/

大学時代の同級生はこの本を読んで、「これまで正直、少し憎い気持ちを抱きながら社会保険料という文字を見ていた。でも、この本を読んで、意義を見いだせるようになる気がする」という感想を寄せてくれました。みなさんがどう感じられたか、ぜひ聞きたいです。

プロフィール

浜田陽太郎

1966年生。1990年一橋大学法学部卒、朝日新聞社に入る。初任地、仙台支局で農家への泊まり込み取材で書いたルポにより農業ジャーナリスト賞(1993年度)。フルブライト奨学金を得て米ミネソタ大学客員研究員(2001- 2002年)。通産省、大蔵省、首相官邸、厚生労働省の記者クラブ詰めを経験。グローブ副編集長、社会保障担当の論説委員、デジタル編集部次長などを経て、現在:朝日新聞編集委員、社会福祉士。著書:『主婦とサラリーマンのための経済学』(共著、朝日新聞社、2002年)、International Journalism and Democracy: Civic Engagement Models from Around the World(共著、Edited by Angela Romano, Routledge, 2010)。

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