2011.03.01

経済が豊かになれば、民主化運動が起きる。それはいわば、歴史の法則といえるのかもしれない。けれどもエジプトでの革命は、ほとんど奇跡的であったようにもみえてくる。エジプト社会の下部構造について、考えてみよう。

世界史を塗り替えるほどのインパクト

昨年末からアラブ諸国でつづいている騒乱は、世界史を塗り替えるほどのインパクトをもつかもしれない。今年1月14日、チュニジアで23年間続いた長期政権が崩壊すると、その余波はエジプトにも波及した。エジプトでは、インターネットや携帯電話を駆使する若い世代が中心となって民衆のデモがつづき、ついに2011年2月11日、それまで29年以上つづいてきたムバラク大統領の強権政治を崩壊させるにいたった。

一部では「ネット革命」とか「フェイスブック革命」とも呼ばれるこの革命は、情報ネットワークがもたらす政治的効果を、ドラスティックに示したといえるだろう。現在、その余波は隣国のリビアにも波及し、予断を許さない情勢である。

いったい、民主化の波は、他のアラブ諸国にどこまで及ぶのか。あるいは革命の波は、たんなる内乱状態をもたらすだけなのか。アラブ諸国における一連の「騒乱」が、名実ともに「革命」と呼ばれ、それにつづいて実質的な「民主化」が成功するためには、どんな条件が必要であろうか。社会構造に照らして考えてみると、民衆の側にもさまざまな条件が成熟していなければならないだろう。

ここで考えてみたいのは、そもそも、民主化運動を促すための国民的な条件とは、どんなものか、という問題だ。ソ連の民主化を予測した社会経済学者として知られるフランスのエマニュエル・トッドによれば、出生率が低下すると、女性の社会進出が進み、それが原因となって民主化運動が起こる可能性が高いという。もちろん、出生率が下がるためには、同時に、女性の識字率が高くなっているはずであり、そのためには当然、教育投資も増えているだろう。また、GDPも増えているだろう。民主化のためには、さまざまな要因が相互に関連しあって、その条件が熟していくのであろう。

ではさまざまな国際指標のなかで、エジプトの革命を条件づけた要因は、とりわけどんなものであろうか。ここでは素人的な分析として、OECDが提供する人間開発指標のさまざまなデータ、および、国連が提供する出生率のデータを用いて、日本、中国、エジプト、イラン、リビア、チュニジアの六か国を比較してみることにしよう。

民主化運動を促すための国民的な条件 日本、中国、エジプト、イラン、リビア、チュニジアにおける諸指標

OECDは毎年、教育や貧富の格差や女性の社会進出などの諸指標を総合した「人間開発指標(Human Development Index)」を作成している。2010年のデータによると、日本は169か国中、第9位。また最近革命が生じたチュニジアとエジプトは、それぞれ81位と101位であった。これに対して、民主化の進んでいない中国とイランは、それぞれ89位と70位であり、紛争中のリビアは53位である。

この「人間開発指標」の総合順位をみるかぎりでは、あまり人間開発の進んでいない101位のエジプトで先に民主化が起きた、ということになる。逆にいえば、それ以上のランクの国々では、民主化が起きる可能性があり、とくに53位のリビアは可能性が高いといえるのかもしれない。

つぎに「基本教育」(暫定的にこのように名づける。これは15歳以上の人が短い文章を理解するなどの基本的なリテラシーを身に付けている割合である)の指標をみると、1980年から2010年までの30年間で、日本とチュニジアを除く多くの国では、大幅な改善がみられることが分かる。

ところが他の国と比較してみると、エジプト人の基本的なリテラシーは66.4%という最低の水準である。この値は、国民の三分の一が、まだ基本的な教育を享受できていないことを示している。ただ、エジプトでは若者たちの基本的リテラシーが急激に改善されているということなのかもしれない。その場合には、基本教育は民主化のための条件となりえたかもしれない。

第三に、期待教育年数(子どもたちがどれだけの期間、教育を受けると予測されるかについての値)をみると、この点でもエジプトは、他国に比べて、もっとも低い水準であることが分かる。期待教育年数という点では、イラン、リビア、チュニジアの方が上位であり、この順位だけを取り出してみれば、イランやリビアでも、民主主義の政治を営むだけの、十分な教育資源があるといえるのかもしれない。

第四に、ジェンダー不平等指数をみてみよう。この指数は、女性の身体の健康や、仕事への参加、あるいは社会的地位について総合的にみた場合の男女不平等を表すものであり、高い値ほど不平等を示している。この指標をみると、エジプトは、女性をもっとも不平等に処遇している国であることが分かる。トッドの理論では、民主化のための成熟した条件として、女性の社会進出が重要であるとされていた。ところがエジプトの例は、それに反しているようにみえる。

第五に、所得格差を表す「ジニ係数」をみると、エジプトは、他国と比べて、もっとも平等な国であることが分かる。平等といっても、その水準は、Gini Coefficient World CIA Report 2009によると、日本とほぼ同じ水準であり、決してエジプトが平等な社会であるわけではない。ただ、他の国はもっと格差の広がった社会であり、そこには階級間の軋轢が、いっそう大きい可能性もあるだろう。一般論として、「エジプトは格差社会だから革命が生じた」ということはできるとしても、他国と比較する限り、格差はあまり大きな要因ではない、といえるかもしれない。

第六に、人口100人に占めるインターネット・ユーザー数をみると、エジプトはイランの約半分にすぎず、決して「ネット社会が成熟している」とはいえないだろう。隣国のリビアでは約5%の国民しか、インターネットを用いていない。この程度の利用で革命が生じたとしても、インターネットが果たす役割は、限定的なものでしかないように思われる。

第七に、失業率についてみてみよう。チュニジアやエジプトでは、失業率が高いことがわかる。両国では、独裁制の下で経済の自由化が進められたため、失業者の問題に対応できていなかった、といわれている。もしこの見解が正しいとすれば、イランでも民主革命が起きる可能性があるだろう。

第八に、一人当たりのGDP(国内総生産)の値をみると、驚くべきことに、エジプト人のそれは、六か国中、最低である。この水準のGDPで、しかも所得の平等性が他国よりも高いというのであれば、それは民主化を促す条件としては、六か国中、もっとも低いように思われるのだが、どうであろう。エジプトで革命が起きたということは、一人当たりのGDPでその約倍のイランや、その約3倍のリビアでも、革命が起きる可能性がある、といえないだろうか。

最後に、女性が生涯に何人の子どもを産むかという出生率の指標と、15歳から19歳までの女性が子どもを産む割合(1,000人の女性のうち、何人が子どもを生むか)についてみてみよう。するとエジプトは、この点でももっとも条件が悪いことが分かる。繰り返しになるが、トッドは女性の社会進出が、民主化を促すための条件であると考えた。ところが六か国の比較でみるかぎり、エジプトの女性は若くして子どもを生み、しかも多くの子どもを生んでいることが分かる。リビアもまた条件が悪く、これに対して中国やイランは、条件が熟しているようにみえよう。

20世紀の民主主義からどんな教訓を引き出すか

以上、合計で10の指標について検討してきた。総論的に評価すれば、エジプトは他国と比べて、諸々の指標においてランクが低く、民主化の条件があまり熟していないようにみえる。あるいは反対に、諸指標においてエジプトよりもランクの高い国は、すでに民主化の条件がそろっているのかもしれない。いろいろな解釈を立てることができるだろう。

今後、もしエジプトで民主主義が成功すれば、それは他の非民主主義国に対して、大きなインパクトをもつにちがいない。どうしてこの程度の条件で民主主義ができるのだろうか、と。今後の経過を追いつつ、さらなる分析が必要である。

だが反対に、エジプトで民主主義が失敗し、一種の内乱状態が生まれるとすれば、「やはり民主化の条件が熟していなかったのだ」といわれるかもしれない。エジプトは今後、どのように政治を運営していくのか。20世紀の民主主義から、どんな教訓を引き出すのか。それがいま問われているように思われる。

推薦図書

すでに1976年の著作『最後の転落』の段階で、ドットはソ連の崩壊を予測していたという。2003年に翻訳が出た本書『帝国以後』は、アフガニスタンやイラクを軍事的に統治しようとしていた当時のアメリカが、早晩、撤退するだろう、と予測する。というのも、中東のイスラム諸国では、しだいに民主化の条件が揃いつつあり、実際に民主主義の政治が実現されれば、もはや、アメリカによる軍事支配は必要でなくなるからである。

今年、2011年は、いよいよイスラム諸国での民主化に火がついた。もちろん、諸国が民主化しても、それでアメリカ支配がなくなるとまで楽観することはできない。それでも今回のエジプトでの革命が、世界民主化の希望につながることを願いたい。

プロフィール

橋本努社会哲学

1967年生まれ。横浜国立大学経済学部卒、東京大学総合文化研究科博士課程修了(学術博士)。現在、北海道大学経済学研究科教授。この間、ニューヨーク大学客員研究員。専攻は経済思想、社会哲学。著作に『自由の論法』(創文社)、『社会科学の人間学』(勁草書房)、『帝国の条件』(弘文堂)、『自由に生きるとはどういうことか』(ちくま新書)、『経済倫理=あなたは、なに主義?』(講談社メチエ)、『自由の社会学』(NTT出版)、『ロスト近代』(弘文堂)、『学問の技法』(ちくま新書)、編著に『現代の経済思想』(勁草書房)、『日本マックス・ウェーバー論争』、『オーストリア学派の経済学』(日本評論社)、共著に『ナショナリズムとグローバリズム』(新曜社)、など。

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