2021.08.09
大規模調査から見えてきた「部活動」の課題と未来
部活動研究の第一人者として研究・情報発信の両面で活躍する、内田良氏の編著『部活動の社会学――学校の文化・教師の働き方』(岩波書店)が刊行された。
部活動の過熱や生徒・教師の負担という問題の認識が広がり、社会での捉え方も変わってきている。だが内田氏によると、部活動の状況が全面的に変わってきたというには遠く、学校内の理解、また部活動に関するアカデミックな研究もまだまだ進展していないという。
そこで、部活動をめぐるこの数年の変化や現状、独自の大規模社会調査から見えてきた部活動問題の背後にある構造や教師の意識、今後想定される民間委託への展望、さらには研究と情報発信のあり方について、内田良氏にお話を伺った。(聞き手・構成/岩波書店 大竹裕章)
部活動問題を真正面から問えるようになってきた
――これまで部活動に関する研究と情報発信を続けて来られましたが、今回刊行される『部活動の社会学』の研究上の背景と位置づけを教えて下さい。
本書は2017年に実施した、約4000人の公立中学校教員を対象とする大規模な社会調査をベースにしています。実はこの調査については、先にブックレット『調査報告 学校の部活動と働き方改革』(岩波書店、2018)で速報的に結果を紹介しています。調査の実施からブックレットの刊行まで1年と、大規模調査の成果公表としては非常に早かったのですが、今回は調査データに多変量解析などの分析・検討を、時間をかけて行い、様々な視点から論点を整理しました。
どんな教師が部活動に熱中しているのか、男女差や世代・家族構成による差が部活動顧問の負担にどう影響しているのか、地域によって部活動の熱中度合いに違いがあるのか……等々、これまでわからなかった部活動の実態を、エビデンスをもとに明らかにしています。加えて、部活動やそれが現在のように社会問題化された経緯など、歴史的な観点についてもいくつかの章で言及しました。
実はブックレットを刊行した当時、書名を「部活動」に関わる言葉だけでよいのか悩みまして、最終的に「部活動」と「働き方改革」の両方を入れたタイトルにしました。その頃は学校の働き方改革の議論がまさに盛り上がっていたこともありますが、同時に部活動を真正面から問うのが難しい時期でもありました。部活動に特別な思いを抱いている人は多いですし、部活動改革に関するアレルギーは今よりもかなり強かった。
2017年に私は『ブラック部活動』という、より過激なタイトルの書籍を出してはいましたが(笑)、これは見てわかるように、世論を喚起するという問題提起の意図がありました。そうして社会の状況が変わる中で、アンケート調査でリアルな先生たちの声を拾い、より実態に迫る作業を進めたのですが、研究色の強い内容をどのように打ち出すか、当時は留意が必要だったのです。
それから3年後の今、社会状況も変わり、こうした懸念はまったくありません。ですから、真正面から部活動について取り組む書名にしました。研究内容から考えると自然ではあるのですが、世間の状況に左右されず、真正面から部活動を取り扱って考えられる空気も出てきたと思います。こうした時代に、部活動についてエビデンスをもとに掘り下げることができるのは、重要なことです。
――『ブラック部活動』を刊行された当時のインタビューでは、社会問題として部活動が取り上げられつつある一方、「職員室は無風状態」であるという状況も指摘しています。お話頂いた社会状況の変化に対して、先生たちの部活動への受け止め方に変化はありましたか?
答えるのが難しいですが、先生たちから「部活動に力を入れたい」「部活動が大好き」と無条件には公言しにくくなった、という声は聞きます。そういう変化は、地域によってはあるのかもしれませんね。
ただ、総じて全国の先生たちの意識が変化したとは言えないでしょう。教育者として部活動にコミットすることの価値や教育的意義がこれまで何度も言われてきて、その蓄積が価値観として存在するわけですから、そう簡単には変わらないように思います。
部活動がネグレクトされているアカデミズムの現状
――本書では、「部活動に関する研究は驚くほど少ない」と、アカデミズムにおける偏りを指摘しています。
部活動に関する世論は成熟してきていますが、研究面ではまだまだ乏しいと思います。中澤篤史さんや神谷拓さんといった部活動の研究者はいますし、2010年代中頃には『運動部活動の戦後と現在』『運動部活動の教育学入門』といった労作が刊行され、運動部活動の歴史的な経緯についてはかなり明らかになっています。ただ、学校教育ではときに授業以上の存在感を持つ部活動ですが、膨大な授業研究の数に比べて部活動研究は極めて少ないと言わざるを得ません。またこのお二人の研究は、主として歴史という観点から運動部活動について研究されていますが、量的調査に関するものはほとんど皆無です。
――卒業論文で「部活動について取り上げたい」という学生が増えている、という話を各所から聞きますが、アカデミックな研究の領域への反映はまだ先ということでしょうか。
そういった学生は増えています。部活動に対する研究上の構えにも、少しずつ変化が生まれているように思います。これまで教育学では、部活動は「授業ではない人間関係の場」として、基本的にはポジティブに捉えられてきました。部活動は教育課程外の活動ですが、だからこそ、国の教育制度に絡め取られない自治的活動の場であり、授業にはない教育の力、授業にうまく馴染めない子どもの活躍の場としての魅力が語られてきました。
でも、こうした語りはある種の牧歌的な部活動観に基づくものですよね。部活動改革の議論を経た今、教育学者は素朴に「部活動はいいものだ」とは言えないでしょう。
このような中、部活動を捉える枠組みが変わってきたことは確かです。ですが、それを焦点化して部活動研究へとつながる議論はまだはっきりしておらず、これから研究の充実が必要です。本書については、エビデンスを駆使し、部活動に関わる教員の声を浮かび上がらせたという点が特徴であり、新しいと言えます。
――本書がベースとする独自の社会調査のほか、これまで部活動に関してどのような調査があったのでしょうか。
近年では文部科学省の「教員勤務実態調査」(2016)やスポーツ庁の「運動部活動等に関する実態調査報告書」(2017)などで、教員が部活動顧問に充実する時間を具体的に調査しています。とはいえ、これらの調査は部活動の活動形態・時間数など客観的な事実レベルを明らかにしていますが、教員の意識がわかるものではありません。今回の私たちの調査では部活動そのものにしっかり焦点をあて、教員の意識や現状の課題を浮かび上がらせるデータを取得できる設計にしました。社会調査としてこれまでになかったものです。
これだけ影響力が強い部活動の実態がわかっていなかったわけですが、部活動が教育課程外のものゆえに、国が調査し解明すべきものとは考えられてこなかったのでしょう。こうした背景もあり、部活動がブラックボックス化し、肥大してきたといえます。
データから見えてきた過熱の理由
――教員の実態や意識を「見える化」したことが本書のポイントですが、どのような興味深い知見があるのでしょうか?
それはぜひ本書を読んでほしいところですが、部活動の過熱に関して2つほど読みどころをご紹介します。
第1に、小学校でのスポーツ経験と中学校での部活動の関係を論じた第5章です。この章では、小学校での競技経験をもつ生徒の割合が高い部活動では過熱が起こる傾向が増し、大会成績も上位に行きやすいことをデータから導き出しています。
この指摘はとても新しいもので、これまで部活動については中・高に関する論点が中心で、小学校についてはほとんどなにもわからなかったのです。「小学校から野球をやっていた子どもが多ければ中学の野球部も強い」というのは、「言われてみたらたしかにそうだろう」とは思うかもしれませんが、これまで全く裏付けがありませんでしたし、成績だけでなく活動自体も過熱しやすいというのは重要な指摘です。言うなれば、小学校からすでに過熱が始まっていることを描いたと言えます。
もう1つが、先生たちの「勝利至上主義」と「楽しければいい」の2つの意識を分析した第6章です。部活動で子どもたちにどうなってほしいか先生たちに尋ねると、たいていの方は「勝ち負けはどうでもいい、生徒が活動を楽しんでくれることが一番」と答えるんですね。この調査でもこうした勝利至上主義か、楽しさ(教育的意義)かを問う質問をいくつか入れているのですが、ある項目では「勝ち負けにはこだわらない」と答える一方、別の項目では「部活の競技・活動の成績を向上させたい」と答える先生が全体の42%に及びます(この割合は一番多く、次いで「勝ち負けにこだわる」かつ「成績を向上させたい」と答えた先生が32%)。
勝ち負けにはこだわらないはずなのに、競技の成績は向上させたい――部活動の「楽しさ」「成績」という2つの価値に対して、アンビバレントな意識をもつ教員が半数近くになることを示しています。これは部活動の実態を捉えるうえで、大変興味深い知見です。
部活動の地域移行は可能なのか
――今後の大きな転換点としてあげられるのが民間・外部移行です。これまでも民間移行に関わる課題を指摘していますが、現時点ではどのような見通しや課題を持っていますか?
2019年に中央教育審議会で出された「新しい時代の教育に向けた持続可能な学校指導・運営体制の構築のための学校における働き方改革に関する総合的な方策について(答申)」では、部活動を含めた教員の労働内容を分類して、外部化の推進を求めています。
またスポーツ庁は2020年に「学校の働き方改革を踏まえた部活動改革について」を提示しており、そこでは休日の部活動を教師から切り離し、地域の活動として実施できるようにする方策を示しています。このような国の動きは大きな変化です。特に土日の部活動を外部化するという方針が示されたことで、部活動が学校から離れていくための見通しがたったのではないでしょうか。
ただ、地域移行はまだまだ具体的な見通しを持って語れるテーマではありません。本書のベースとなる調査を行った2017年時点では、まだまだ地域移行について具体的に検討するような状況ではなかったので、エビデンスをもって地域移行について詳しく論じることはできません。
とはいえ、今後重要な論点になることはまちがいありません。そこで本書の「おわりに」では思い切って、地域移行について「教員の希望」「生徒の負担」「安全面の懸念」の3つから展望を論じました。こうした展望は思いつきや論評に過ぎないと思われる恐れもありますし、研究者として発信する難しさはあります。でも、本書全体で展望以外の部分を手堅くエビデンスを持って記し、その上で「今後こうなることが考えられる」ということは言えるでしょうし、そうするべきだと思ったのです。こうしたプロセスを踏まえて、言うべきことは「展望」のかたちで伝えることにしました。
コロナ禍でも部活動は「グレーゾーン」
――コロナ禍では教育活動の制限が起こった中、部活動の扱いも問題になりました。そうしたなかでの部活動の役割や問題をどのように考えていますか?
かつて2017年に『ブラック部活動』を刊行した際、私は「『グレーゾーン』としての部活動」という枠組みを示しました。学校で「廊下を走るな」とは言われますが、部活動では雨の日の放課後に校舎の廊下を公然と走って練習しますよね。部活動は正規の教育課程ではないけれど学校管理下で行われるという「グレーゾーン」に位置するために、学校の安全管理の枠組みから外れ、歯止めがききにくい状況が生まれてしまいます。
コロナ禍でも、まさに同じことが起きています。学校では感染対策に非常に気を配っており、授業では子どもたち同士の直接の接触を控えさせますし、体育の授業中でさえマスクをつけるところもあります。ところが部活動ではマスクを急にしなくなり、授業と同じ基準で感染対策をしているとはとても思えないケースが散見されます。
感染の可能性という点で授業と部活動は区別できませんが、部活動になると基準が甘くなり、接触機会や時間の歯止めも効かなくなる。こうした、「グレーゾーン」ゆえの安全管理からの逸脱は、コロナ禍でも顕著です。
ある地域では、学校敷地内で部活動が休止された際、河川敷で多くの生徒が練習を行ったことで感染クラスターが発生しました。一人・二人が自主的に練習するというレベルではなく、保護者の手配で多くの生徒が集まって活動する、まさに「闇部活」ですよね。こうした中で、安全性がないがしろにされ、管理が及ばないことの怖さがあります。
従来、学校の管理から外れたこうした活動は、「自主的」「自由な活動」という美辞麗句で表されてきました。もちろん、自由は尊重されるべき大事なものです。しかし、そのために安全や健康といった土台をないがしろにされるとしたら、私はとても承服できません。自由の前提としての子どもの安全や健康が保証されているか――コロナ禍における部活動では、その問題が改めて浮かび上がったように思います。私が執筆した第8章では、この子どもの安全面に焦点をあてて論じています。
部活動問題は運動部だけでなく文化部も
――勝利至上主義や安全性など、部活動に関する議論はなんとなく運動部をイメージしたものになりがちです。本書についてはいかがでしょうか?
これまでの部活動研究は、運動部に焦点をあてたものが中心でした。先に上げた中澤篤史さん、神谷拓さんの研究も運動部を対象としています。そうしたこともあり、本書がベースとした社会調査では全ての部活動を対象としました。
ですから、本書で「見える化」した部活動の実態や先生たちの意識は、運動部だけでなく文化部にも当てはまるものです。例えば勝利至上主義について論じた第6章は「部活動の成績」が焦点の一つですが、そこには吹奏楽部のコンクールの成績なども含まれています。小学校のスポーツについて論じた5章、スポーツの安全性について論じた8章を除き、部活動全般について論じているのが本書の大きな特徴です。
実際、過熱や子ども・先生の負担といった問題は、運動部活動には限りません。吹奏楽部でも、あるいは演劇部でも、同様の問題は起こっているわけで、それらを含めて論じることの意義は大きい。
部活動における体罰についての調査はありますが、そこで対象になっているのは運動部だけで、その結果に反応しているのも運動部の業界です。例えば日本体育学会(現 日本体育・スポーツ・健康学会)は体罰撲滅宣言を出していますが、文化部が体罰の問題と無縁というわけではありません。体罰や過熱といった問題が運動部とのみ結びつけられていることは、やはり課題が残ります。
いかに研究し、いかに成果を世に問うか
――本書は若い研究者との共同研究で作られています。研究や執筆時の印象的なエピソードや感じたことはありますか?
今回実施した社会調査は大規模なもので、とても一人で完遂できるものではなく、大学院生を交えた共同研究のかたちで実施しました。私たちはこのプロジェクトを「部活部」と呼び、私が「顧問」、若い研究者たちが「部員」です。それぞれ、自分の博士論文など主軸の研究がある一方、この部活部はマストのものではない、自発的・自主的なものです。でも、みんなで集まって続けていくのはとてもおもしろく、「やっぱり部活は楽しい」という実感を持ちましたね。
同時に一大学教員としては、プロジェクトを通じた研究者育成という教育上の意義も強く意識していました。若い研究者たちが大規模社会調査の技法を学ぶ貴重な機会ですし、自分のアカデミックな知識や関心が、世の中で起きているアクチュアルな問題とつながっていることを感じてほしかった。
一番うれしかったのは、部活部の顧問として部員に多くを委ねられたことですね。みんな、調査の設計から分析に至るまで、自立的にどんどん進めてくれるのです。社会調査の経験の蓄積は私のほうがありますが、若い研究者たちはアンケート項目の一言一句にしっかりとこだわり、手堅い分析をどのように行うかも自分たちで検討するなど、安心して「放置」することができました。
私の役割はマネジメントで、要所要所の相談のほかには、トラブルが発生したときに調査先との調整・相談が中心です。本書のようなすぐれた成果の発信ができたのは研究者として誇らしいことですが、同時に教育者としても、若い研究者の成長を実感できたのはうれしいですね。
――先ほどお話にあったように、この部活動研究は先にブックレット、続いて今回の書籍と2度に渡って刊行しています。どのような戦略で研究成果を世にだそうと考えていますか?
研究成果の意義には、時間軸という尺度が確実にあります。せっかくすぐれたデータや知見が得られても、そのアウトプットで社会に還元するための時間がかかってしまい、もったいない……ということもあります。そこで、2017年に行った調査結果をスピーディーに分析し、1年ですぐブックレットとして世に出したのです。部活動が社会的に大きな問題となっている時期でしたから、タイムリーに刊行できた意義は大きかったと思います。
もちろん、しっかり時間を掛けて検討することも同時に重要です。本書のプロジェクトメンバーは数年に渡って研究会を続けて、個々の分析や議論を重ねてきました。そうして結実した『部活動の社会学』では、ブックレットの時点ではまだ掘り下げられなかった知見も得られましたし、部活動と学校をめぐる構造もより明確に描くことができました。また、いくつかの章では複数の調査を接合させて検討することで、より深い見解を示すことができたと思います。
研究者の時間感覚はどうしてものんびりしてしまっています。研究成果を世の中に還元するとき、スピーディーに結果を伝えるもの、時間をかけて分析を深めるもの、それぞれ使い分けられるのが望ましいでしょう。その意味で、今回のように社会調査の意義ある成果を2段階で発表できたのはよかったと思います。
私はYahoo! ニュース個人記事やSNSを通じて情報発信も行っていますが、まとまった分量や内容のものは、ブックレットや書籍という形式のほうが適しています。そうした、時間軸と内容に適した研究成果の報告は今後さらに重要になってきますし、研究者も意識していく必要があるでしょう。
プロフィール
内田良
名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授。スポーツ事故、組み体操事故、「体罰」、教員の部活動負担や長時間労働などの「学校リスク」について広く情報発信している。ヤフーオーサーアワード2015受賞。著書に『ブラック部活動』(東洋館出版社)、『教育という病』(光文社新書)、『柔道事故』(河出書房新社)、『「児童虐待」へのまなざし』(世界思想社、日本教育社会学会奨賞受賞)、編著に『教師のブラック残業』(学陽書房)ほか多数。