2022.02.14
教科書の中と現実の経済学――7分で読める「信用創造論」
今年の共通テストの出題をきっかけに、信用創造についての教科書的な説明の当否がネット上で話題となっています。本源的預金(現金)をもとに貸出が行われ、貸し出されたお金が預金として銀行に戻り、再び貸し出されて(以下繰り返し)、本源的預金の何倍ものお金が市中に出回るようになるという信用創造論の説明は、中学や高校の教科書にも登場して親しみ深いものです。お札の行き来を通して金融のしくみを日常の感覚で自然に理解できるという点では、この説明(しばしば「又貸しモデル」と呼ばれます)に大きな利点があるといえるでしょう。
もっとも、このことは同時にこのモデルの欠点でもあります。というのは、お札(日銀券)という「モノ」の行き来に囚われて、「与信というのは貸し手と借り手の間の債権債務関係をめぐる問題である」という視点がすっかり抜け落ちてしまうからです。ネット上で展開されている議論も、そのためにやや混乱が生じているように思われます。そこで、本稿ではこの議論について論点整理を行ってみたいと思います。
1.教科書の中と現実の世の中における「信用創造」
「銀行預金は、企業や家計の資金需要を受けて銀行などが貸出しなどの与信行動、信用を与える行動、すなわち信用創造を行うことにより増加することになるということで、この点も委員御指摘のとおりであります」(平成31年4月4日の参議院決算委員会における黒田東彦日本銀行総裁の答弁より)
「預金という元手がなくても、貸出をすれば、それと同額の預金が生まれる」。これは金融の実務に携わる人にとっては自然な話ですが、この説明に対してはしばしば拒否反応がみられます(なお、信用創造についてのこのような説明はしばしば「万年筆マネー」と呼ばれます)。その理由のひとつは、この説明が「無から有が生まれる」という印象を与えるものになっていて、このような説明をする人が錬金術師のように見えてしまうというところにあるようです。もうひとつの理由は、「お金」という公的な性格を有するものを、民間の銀行が勝手に創り出せてしまうということに対する違和感にあるようです。
中学や高校の教科書に出てくる信用創造のモデルには、本源的預金(現金)という「元手」がきちんとあります。これに対し、「貸出をすると預金が生まれる」という説明では、現金という確固たる元手がないまま、実体のないお金が勝手に増殖していくように見えるので、この説明を怪しいと感じるのは致し方ないことなのかもしれません。
もっとも、冷静に考えると、私たちの手元にある本源的預金(現金)は金貨ではなく、日本銀行券という紙幣です。この紙はうっかり失くすと大きな損失を被ることになりますが、無人島に持っていくと、単なる紙切れということになります。となれば、モノとしては額面ほどの価値のない紙幣を利用して、どのように商品を売り買いしているのか、というところから話を始めるのがよいように思われます。
日銀券という借用書
いま手元にあるお札には「日本銀行券」という文字とともに「総裁之印」という印鑑が押されています(実際は印刷)。となると、「この紙切れはいったい何なのか」ということになりますが、これは「そのお札を持っている人(占有者)から日本銀行がお金を借りています」ということを示す借用書(債務証書)です。日本銀行のバランスシート(日銀勘定)には発行銀行券が負債の部に計上されていることからも、このことは簡単に確認できます(もちろん、不換紙幣となっている銀行券の債務性にはさまざまな議論があり得ます)。
私たちは毎日のように、お札(現金)をお店の人に渡して商品を購入していますが、これは自分が日本銀行に対して持っている債権をお店の人に移転する代わりに、お店にある商品を引き渡してもらっているということになるわけです。一方、お店の人は店に置いてある商品を手放す代わりに、日本銀行に対する債権を得ます。このように日銀券という債務証書の移転(あるいは事実上の債権譲渡)を通じて、毎日、膨大な数の取引が行われているということになります。
銀行振込を通じた決済
もっとも、最近では現金の代わりに他の決済手段を利用する機会が増えました。その中で、かなり前から伝統的に利用されてきたのが銀行振込という方法です。たとえば、AさんがBさんから買った商品の代金を銀行振込によって支払う場合には、Aさんが口座を開設している銀行に依頼して、商品の代金に相当する金額をBさんの口座に振り込んでもらいます。Bさんの口座は他の銀行にあるものでもかまいませんが、ここではBさんが同じ銀行に口座を持っている場合を考えましょう(他行への振込の場合については後述します)。
この場合、依頼を受けた銀行はAさんの預金口座から指定された金額の預金をおろし、Bさんの預金口座に預入することで振込が完了します。この手続きは、Aさんが預金契約を通じてこの銀行に対して持っている債権を、Bさんの債権に移し替えるものと理解できます(いずれも預金に関する債務者はこの銀行となります)。
さて、ここで振り込みを通じた代金の支払いを、さきほどの現金による決済と見比べてみましょう。現金の場合には決済の際に利用されるのが日銀券(日本銀行が発行した債務証書)、銀行振り込みの場合には銀行預金という違いはありますが、いずれの場合もAさんからBさんへ債権を移転させることで、「商品の代金を支払う」という処理がなされていることがわかります。つまり、民間銀行の預金が、日本銀行が発行したお札(日銀券)と同じように決済手段として機能しているということになるわけです。
与信とそれを通じた預金の創出
このように、それぞれの取引をお札という「モノ」の流れではなく債権債務関係を通じて理解すると、信用創造についての教科書的な説明を少し引いた目で相対化してみることができそうです。さて、この視点から与信(貸付)というものをながめると、それはどのようなものということになるでしょう。
銀行からお金を借りる時、借り手である個人や企業は必要書類をそろえて融資の申し込みを行います。銀行による審査の結果、融資が可能となれば契約が結ばれ、融資の申し込みをした人の預金口座に融資額と同額のお金(貸付代り金)が入金されることになります(住宅ローンなどの場合には、入金がなされると即座に支払いの相手方の口座へ振込の手続きがなされることもあります)。
ここで留意が必要なのは、一連の流れにおいて現金はまったく登場しないということです。与信(融資)というのは、貸し手(銀行)と借り手(融資先)の間に債権債務関係(金銭消費貸借契約)を成立させることであり、預金も銀行と顧客(この場合は融資を受けた人)の間に存在する債権債務関係(消費寄託契約)ととらえることができるからです。
細かいことを言うと、消費寄託は要物契約なので本来ならモノ(ここでは現金)の提供が必要とされていますが、融資の際にはそれに代わるものとして現金と同じ金額を口座に入金しさえすればよいとされています。つまり、融資を申し込んだ人の預金通帳に融資額相当分を記帳しさえすれば、これらの取引は完了ということになるわけです。
このように書くと、あたかも無から有が生み出されるように思われるかもしれませんが、もちろんそうではありません。もしそのように感じられるとしたら、それはお札というモノの行き来をもとに預金と貸出の流れをとらえているために、錯覚が生じているということになります。貸出も融資もあくまで当事者間の債権債務関係なので、銀行は融資先に対して貸出という債権を持ち、融資先は銀行に対して預金という債権を持つという形で、この取引は自然に成り立ちます。
他行への資金の送金
もっとも、ここでひとつ疑問が生じます。融資を受けた人が、その預金を利用して他行にある相手先の口座に振込をしたらどうなるでしょう。ここまでの一連の取引には現金という「元手」はありませんから、資金の送金(振込)の依頼がきたら、そこでたちまち行き詰まってしまいそうです。
しかしながら、ここで思い出さないといけないのは、自行から他行への資金の送金だけではなく、他行から自行への資金の送金もあるということです。他の銀行に送金をする場合、大口(1億円以上)の振込については1件ごとの処理になりますが、それ以外は当日分をまとめて銀行間で決済をします。この場合、自行から他行への資金送金の金額と、他行から自行への資金送金の金額の差額の分だけを銀行間で精算すればよいということになりますから、その日の資金の受け払いの総額に比べると、銀行間の資金の精算額ははるかに少なくなるのが一般的です(「1億円以上の振り込みについてはRTGSで、日中の処理は日銀に当座貸越によって…」という注釈をつけたいという誘惑にかられますが、話が不必要にややこしくなるため、ここでは割愛します)。
もちろん、日によって、また、銀行によって、それぞれの日の資金の出入りには違いが生じますが、それに伴う資金の過不足は、銀行間で資金を融通する市場(コール市場など)において調整がなされることになります。
日銀当座預金の役割
銀行が元手なしで貸出を行い、預金を増やすことができるということであれば、このような取引を繰り返すことで際限なく与信(貸出)と預金が膨らんでいくように思われますが、もちろんそのようなことにはなりません(話が本筋から逸れてしまうので、「資金需要がなければ貸出は増えない」という話は割愛します)。貸出がなされるとそれと同額の預金が生まれますが、預金に対しては日銀に準備預金(日銀当座預金)を積まないといけないという制度的な制約があるからです(法定準備制度)。
準備預金として積むことのできる「お金」は、民間の銀行が自由に創出することのできるものではなく、日銀由来のものでなくてはならないため(これがマネタリーベース、あるいはハイパワードマネーと呼ばれるものです)、日銀がオペや貸出で資金供給をしてくれない限り、基本的には増えません(国庫金の出入り、すなわち政府と民間の間の資金の受け払いによる資金量の変動に対しては、日銀がオペでその影響を均して相殺することが基本となっています)。
もちろん、個々の銀行は他の銀行から市場で資金を調達することで準備預金を積み増すことができますが、この場合も銀行部門全体として利用できる資金量(日銀当座預金)の総額を増やすことはできません。銀行間の取引は、市場において資金を放出した銀行が日銀に開設している口座から、資金を調達した銀行の口座へ、準備預金(日銀当座預金)を振り替えるだけのものだからです(ここでは準備預金制度適用先以外の金融機関からの資金調達の話は割愛します)。
このように法定準備制度のもとで日銀に預入されている各銀行の当座預金は、銀行間の資金送金(振込)に伴う決済や、コール市場などを通じた銀行間の資金の融通において、重要な役割を果たしています。
民間銀行が創り出すお金
ここまで見てきたように預金は銀行の負債です(どうしてもお金を銀行に預けるほうの立場からながめてしまうため、このことはしっくりこないところがありますが、銀行は受け入れた現金を自由に使う権利を得る代わりに、預金という債務を負うことになります)。公的な性格を持つ「お金」を民間の銀行が勝手に創り出せてしまうというは気持ち悪く感じられるかもしれませんが、冷静に考えると、自分の会社の負債をその会社が自らの経営判断で負うことができるというのは不思議なことではありません。
中学や高校の教科書に載っている信用創造の説明(「又貸しモデル」と呼ばれているもの)には「派生的預金」というものが登場しますが、これももちろん民間の銀行が自ら創り出した「お金」です。「又貸しモデル」と「万年筆マネー」のいずれで説明しても、この点は同じです。「万年筆マネー」では元手がないまま預金が生み出されるため、このようなお金ができてしまうというわけではありません。
もちろん、預金通貨、すなわち銀行が創り出すお金には公的な性格があり、銀行預金がその一角をなす決済システムは、一部が機能不全に陥るとそれが全体に波及してしまうおそれがあります。このため、それぞれの銀行が創り出す「お金」には、きちんと品質を確保する仕組みが必要となります(これは電力の系統に供給力の不安定な事業者が混じると、送電の周波数が一定に保てなくなり、場合によっては大規模停電が発生してしまうというのと似ています)。銀行の設立が現在も免許制のもとに置かれ、金融庁の検査や日銀の考査などを通じて健全性を確保する措置が講じられているのはこのためです。
2.マイナス金利について正しい理解を
中学や高校の教科書に出てくる信用創造の説明は、お札の行き来を通じてすべての取引を記述することができるため、日常の感覚で金融の仕組みを理解することができるという点ではとても便利なものです。
もっとも、この枠組みをもとに金融の仕組みを理解すると、銀行があたかも一般の人(家計や企業)がお金を貯めておく貯金箱のように、各銀行が中央銀行に開設した預金口座(日銀当座預金)がお札を積んでおく倉庫のように見えてしまうという欠点があります。新聞の紙面には「マイナス金利政策を導入すると、銀行が日銀に積んであるお金をおろして貸出に回すようになる」という説明がしばしば登場しますが、これは教科書の説明を鵜吞みにして金融政策の枠組みを理解していることから生じる典型的な誤解です。
この説明がなぜおかしいかということは、「お金をおろす」という行為が、銀行の窓口で現金を受け取って(通帳に印字されている預金の残高は減少)、それを持ち運ぶことだということを考えれば、すぐにわかります(ATMを利用する場合も同様です)。現金には強制通用力があり、受け渡しを通じてすぐに決済が完了する(ファイナリティがある)というすぐれた特性がありますが、その反面、現金を持っている人(占有者)がその適法な所有者とみなされることから、紛失や盗難などの際に大きなリスクがあります。このような性質を持つ現金の輸送や保管には大きなコストがかかるため、銀行が日銀の本支店から多額の現金をおろして貸出に回すということは通常は行われません。
もちろん、現金を利用して行われる取引は今もあるため、モノとしての現金(お札)に対する需要は根強くありますが、これは与信の話とは分けてとらえられるべき性質のものです(先ほど見たように、融資においても、お金を借りる人に現金を手渡すわけではなく、融資額相当分の資金を「代り金」として預金口座に預入する形で行われるのが一般的です)。
日銀当座預金の一部(政策金利残高)に対するマイナスの付利を起点に、マイナス金利での資金の取引がどのような形で広がっていくのかについては、紙幅の関係でここでは割愛しますが(ご関心をお持ちの方は下記の記事をご覧ください。信用乗数論は信用できるか―マイナス金利について考える(https://synodos.jp/opinion/economy/24113/)、現実の金融政策の運営についての正確な理解を確保していくためにも、信用創造に関する教科書的な説明については、適切な形で補正がなされていくことが必要であるように思われます。
プロフィール
中里透
1965年生まれ。1988年東京大学経済学部卒業。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)設備投資研究所、東京大学経済学部助手を経て、現在、上智大学経済学部准教授、一橋大学国際・公共政策大学院客員准教授。専門はマクロ経済学・財政運営。最近は消費増税後の消費動向などについて分析を行っている。最近の論文に「デフレ脱却と財政健全化」(原田泰・齊藤誠編『徹底分析 アベノミクス』所収)、「出生率の決定要因 都道府県別データによる分析」(『日本経済研究』第75号、日本経済研究センター)など。