2022.02.23
呉座・オープンレター事件の対立軸――キャンセルカルチャーだったのか?
1.はじめに
2021年、大学関係者の間で呉座・オープンレター事件が話題になった。本稿はこの事件で何が対立軸だったのかを、人々へのアンケート調査の形で調べることを目的としている。
事件のあらましを簡単に述べる。ベストセラー『応仁の乱』の作者である歴史学者、呉座勇一氏が鍵付きツイッターアカウントで、ある女性研究者を揶揄あるいは誹謗していることが明るみに出て、炎上する。呉座氏は謝罪し、NHKの大河ドラマの歴史考証役を降板した。その後、有識者よりこの事件を一般的な女性差別問題として広く世に問うオープンレターが出され、1300人もの学者らが署名する。半年後に呉座氏の所属機関は予定されていた呉座氏の採用を取り消した。
この事件はいろいろな角度から議論が可能で、すでに多くの記事が書かれている。オープンレターが出るころまでは呉座批判一色であったが、採用取り消しで呉座氏への同情論が出るようになり、最近ではオープンレターの手続き上の不手際も明らかになって、論調は複雑化した。
世上の意見を大きく分けると、呉座批判・オープンレター支持派と、呉座擁護・オープンレター批判派となる(「擁護」は言いすぎかもしれないが、「そこまで責められるほどのことは無い」という論調はあり、その意味で擁護と呼んでおく)。しかし、この賛否の意見対立がどういう理由に基づくものか、対立軸が何であるかは、多くの識者が論陣を張り、論点が拡散して問題が複雑化したため読みにくい。
そこで、一つの方法として、人々がこの事件をどう見ているのかをアンケート調査で尋ね、対立軸を調べることを試みよう。アンケート調査では大雑把なことしか聞けないので、分析の解像度は低く、目の粗い記述にならざるえない。しかし、多くの人の平均的な意見から対立軸を見ることには一定の意味があるだろう。なお、この方法でわかるのは当事者の意図ではなく、周りでこれを見ている人々の見解であり、その人たちから見た時の対立軸である。
結論として、賛否を作り出す対立軸として有効なのは、男性が優遇されているかの認識、保守とリベラルの政治思想、言論の自由と正義の対立、の3つである。特に、3番目の正義と言論の自由の対立はキャンセルカルチャーでよく話題になる論点であり、本事件は(賛否は別として)日本におけるキャンセルカルチャーのひとつとして位置付けることができると思われる。
2.データと賛否の測定
調査はウエブモニター会社のモニターに対して行う。調査会社はSurveroid社で、調査時点は2022年2月7日である。事件発覚からほぼ1年経過している。
この調査で問題なのは、事件の一般の認知度が低いと予想されることである。そこで、事件を知っている人の出現率をあげるため、対象者の職業を「出版、教育、公務員、調査広告、医療、その他サービス、学生・専業主婦」に絞った。比較的知識人層に近く、時間の余裕のありそうな人たちである。
それでも事件をネットで見たことがあると答えた人は回答者4882人のうち651人で13.3%に過ぎなかった。さらにこの事件についてのブログ・記事・オープンレターそのものなどのどれかを読んだことのある人は287人(5.9%)にとどまる。事件の認知度は高くない。本稿では以下、ネットで事件を見たことがあると答えた651人を対象に分析を行う。なお、より具体的に事件を知っている287人に限っても定性的には同じ結果が得られる。
まず、呉座・オープンレター事件についての回答者の意見を得るため、次の6個の見解に対して、そう思うか思わないかを5段階で答えてもらった。
1 呉座氏の書き込みは誹謗中傷にあたる
2 呉座氏が謝罪し、NHKの時代考証を辞任した時点で幕引きすべきだった
3 呉座氏の勤め先の大学が呉座氏の採用を取り消したのは妥当な判断だ
4 オープンレターの内容は支持できる
5 オープンレターは集団リンチである
6 この事件でなにより問題なのは女性差別的な文化である
回答選択肢(5段階)
そう思う、ややそう思う、どちらでもない、あまり思わない、思わない、/ わからない
1,3,4,6は、呉座批判・オープンレター支持派に近いと考えられる。呉座氏の書き込みは誹謗・中傷にあたるとし、採用取り消しは妥当と考え、オープンレターの内容を支持し、6はオープンレターの主張そのものだからである。一方、2,4は、呉座擁護・オープンレター批判派に寄った考えである。謝罪で幕引きすべきだったということは、オープンレターは不要だったと考えていることを意味し、さらにレターを集団リンチと見ているからである。
回答者の賛否を一つの指標にするため、そう思うから思わないまでの5段階の選択に対し、1点から5点までの点をつけ、平均値をとる。点をふるときは、呉座批判・オープンレター支持派の方が値がおおきくなるようにとる(たとえば1ではそう思うが5点、2では思わないが5点)。こうして得た平均値はその人の、この事件への賛否の度合いを表しており、値が大きいほど呉座批判・オープンレター支持であり、小さいほど呉座擁護・オープンレター批判となる。
図1はこの賛否の値の分布を表したものである。平均値は3.21で、やや呉座批判・レター支持が多いが、絶対水準は設問の文言の取り方によるのであまり意味は無い。それよりも分布に広がりがあることが重要である(標準偏差は0.584)。人々の意見には相違があり、賛否は割れている。
個別の問いを見ても、たとえばオープンレターの内容を支持できると答えた人(そう思う+ややそう思う)は38%いるが、同時にオープンレターは集団リンチだったと答える人も47%いる。人々の意見は割れており一様ではない。この意見の相違を何で説明できるか、すなわちどんな対立軸で説明できるかが本稿の課題である。次にこれを試みる。
対立軸の候補としては、1)性別・年齢、2)男女平等についての見解、3)保守リベラルの政治思想、そして4)正義と言論の自由、の4つをとりあげる。
図1 呉座・オープンレター事件、賛否の分布
3.性別と年齢
まず、性別と年齢の影響を見てみよう。図2の左の二つのバーは男性と女性に分けた時の賛否の値を比較したものである。男性が3.18、女性が3.23で値は近く、推定誤差の範囲(上下のバーで表される)がかぶっていることでわかる通り、ほとんど差は無い。呉座事件について男性と女性の意見が対立しているわけではないのである。この事件は女性差別が話題になってはいるが、男性と女性で意見が分かれているわけではない。つまり男性が呉座氏を擁護し、女性が呉座氏を批判しているわけではない。
次に年齢の効果を見る。古い価値観と新しい価値観が対立しているなら年齢によって意見が分かれてくるはずである。図2の右側の5本のバーはこれを見たもので、20代から60代までの年齢別に分けた時の賛否である。一見してわかるように一貫した傾向には無く、有意な差も見られない。若い人が呉座批判的で高齢者が呉座擁護的ということはない。
しばしば価値観のアップデートが必要という言説が見られるが、アップデートが古い世代からあたらしい世代に価値観が切り替わることを意味するなら、アップデートが必要という言い方は正しくない。年齢で意見に差が無い以上、世代が切り変わっても何も変わらないからである。要約すると、性別と年齢はこの事件の対立軸ではない。
図2
4.男女平等についての見解
この事件ではオープンレターが述べるように女性差別が問題となっている。そこで男女平等についての見解を対立軸に取ってみよう。候補としては二つとる。一つは男女の役割分業についての意識、もうひとつは、社会は男性優位かという認識である。
まず、男女の性別役割分業についての意識を考える。2021年に内閣府男女共同参画局が行った「性別による無意識の思い込み(アンコンシャス・バイアス)に関する調査研究(1)」では、男女の役割や思い込みの項目をいくつかあげて人々の意識調査している。この調査から上位に来た項目を6個抽出して用いることにする。回答者に以下6項目を示し、そう思うかどうか尋ねた。
1 男性は仕事をして家計を支えるべきだ
2 デートや食事のお金は男性が負担すべきだ
3 女性には女性らしい感性があるものだ
4 女性は感情的になりやすい
5 育児期間中の女性は重要な仕事を担当すべきでない
6 共働きでも男性は家庭より仕事を優先すべきだ
回答選択肢(4段階)
そう思う。どちらかといえばそう思う
どちらかと言えばそう思わない、思わない
これらの項目にそう思うと答える人は性別による役割分業意識が強く、男女についての思い込みが強い。いわば伝統的な男性観・女性観の持ち主である。男女平等あるいはフェミニズムの視点からは、このような伝統的な男女観からは自由になるべきであり、上記項目についてそう思わないと答える人が増えることが望ましいとされるのが通例である。そこで男女平等についての見解としてこの役割分業意識をとってみる。
ひとつの指標にするため、そう思うを4点~思わない1点で点をふって、上記6項目の平均値をとる。この平均値は、その人の伝統的な性別役割分業意識の強さを表す。この値の大きさの順に回答者を4つに分類し(四分位偏差で4等分し)、呉座事件の賛否との関係を図示したのが図3である。左から右へ性別役割分業意識が弱い人から強い人へと順に並んでいる。
図3
これを見ると、性別役割分業意識と呉座事件の賛否の間に直線的な関係(相関)は見られない。性別役割分業意識が強まるといったん少し呉座擁護的になるが、最後に逆転しており、U字型である。U字型になるときは他の未知変数が関わることが多く、学問的にはチャレンジングで興味深い現象ではあるが、いずれによせ直線的な関係はない。
性別役割分業意識とは、男は仕事に生きるべきとか、女性は育児を優先すべきというような伝統的あるいは昭和的な価値観であり、男女平等との兼ね合いでは常に批判される側である。しかし、そのような価値観を持っているから呉座事件で擁護派にまわるというようなことはない。性別役割分業意識は呉座事件とは関係せず、対立軸にはならない
したがって、この点から見ても価値観のアップデートは呉座事件とは関係しないことになる。性別役割分業意識は弱めるべきとされており、実際、傾向的に弱まってきた。なので、もし性別役割分業意識と呉座事件の賛否に相関があれば、呉座擁護者は消えるべき古い価値観の持ち主で、呉座批判者はこれからの時代の新しい価値観の持ち主だという整理が可能である。しかし、実際には相関はなく、そのような整理はできない。
では、男女平等についての見解はすべて呉座事件と無関係かというとそうではない。社会は男性優遇かどうかという認識とは相関がある。東京都生活文化局が2020年に行った「男女平等参画に関する世論調査(2)」は、男女の地位が平等かどうかをいろいろの分野について尋ねている。この調査を参考に主要な4分野について、男性が優遇されているかどうかを尋ね、そう思うかどうかを4段階で答えてもらった(調査文言は同調査のものを少し修正した)
1 (現在の日本では)職場において男性が優遇されている
2 (同上、以下同じ)家庭生活において男性が優遇されている
3 法律や制度の上で男性が優遇されている
4 学校教育において男性が優遇されている
回答選択肢(4段階)
そう思う。どちらかといえばそう思う
どちらかと言えばそう思わない、思わない
前問と同じように、そう思う4点から、思わない4点まで点をつけ平均をとると、この指標は回答者が社会が男性優遇であると思う度合いを表していることになる。これとの相関を見たのが図4である。
見てわかる通りきれいな右上がりとなっており、今の社会を男性優遇社会だと思う人ほど、呉座批判・オープンレター支持派になる。オープンレターはそのタイトルが「女性差別的文化を脱するため」にとされているように、女性差別的な文化が存在して、それが女性(特に女性研究者)への抑圧になっているという認識に基づいている。
この趣旨から考えて、いまの社会が男性優遇だという認識を持っている人がレターを支持するのは自然である。逆に言えば、男性が優遇されているという見方に懐疑的な人、あるいは男性優遇は解消されつつあると考える人は、呉座擁護的、オープンレター批判的になる。男性優遇かどうかの認識の相違は、呉座・オープンレター事件の対立軸である。
図4
性別役割分業についての意識と、男性優遇社会かどうかという認識の間には、はっきりした相関がある(相関係数0.399)。それにもかかわらず呉座・オープンレター事件と関係するのが片方だけというのは興味深い事実である。性別役割分業は人々の日常の意識の話であり、心理学の問題でもある。一方、男性優遇社会かどうかというのは社会をどう見るかという認識の問題であり、より政治的・社会的な問題である。
呉座事件は、前者ではなく後者の問題であったと解釈できる。社会が男性を優遇しているのはフェミニズムの中心的な主張であり、これに賛同する人が呉座批判・オープンレター支持者ということになる。
5.政治思想
次に保守とリベラルの対立軸をみてみよう。保守とリベラルは政治思想の中で古くからある対立軸であり、今回も一定の影響を与えていることはないだろうか。昨今は保守とリベラルの対立の有効性自体を疑う声もあるので、ここで検討してみよう。
そのためには人々の保守とリベラルの度合いを測定する必要がある。いろいろな方法があるが、ここでは保守とリベラルで見解の分かれそうな個別の政治問題についての賛否を尋ね、その平均値で評価する方法をとる。次の10個の意見に対して賛成か反対かを答えてもらい、点数化する。
1 憲法9条を改正する
2 社会保障支出をもっと増やすべきだ
3 夫婦別姓を選べるようにする
4 経済成長と環境保護では環境保護を優先したい
5 原発は直ちに廃止する
6 国民全体の利益と個人の利益では個人の利益の方を優先すべきだ
7 政府が職と収入をある程度保障すべきだ
8 学校では子供に愛国心を教えるべきだ
9 中国の領海侵犯は軍事力を使っても排除すべきだ
10 日本は戦前の暗い時代に戻りつつあると思う
回答選択肢(5段階)
賛成である、どちらかといえば賛成である、賛成でも反対でもない
どちらかといえば反対である、反対である /(わからない)
たとえば、1番の憲法9条の改正に賛成するのは保守側であり、2の社会保障支出の拡大に賛成するのはリベラル側である。回答選択肢は5段階なので、1点から5点まで点を振り、その平均値をとる(このとき保守側が値が大きくなるように方向をそろえる)。この平均値が大きいほど保守的、小さいほどリベラル的になる。この分類方法は筆者の別の調査(3)でも行われ、保守論客とリベラル論客をきれいに分けることができることがわかっている(4)。
回答者をリベラルから保守的に4等分し、呉座事件への賛否を比較したのが図5である。左から右にリベラルから保守になるようにならんでいる。これを見ると明らかに右下がりであり、保守的になるほど呉座擁護・オープンレター批判的になる。言い換えればリベラル的な人ほど、呉座批判・オープンレター支持になる。保守とリベラルはその区別自体がしばしば批判の対象になるが、今回のケースでははっきりと影響を及ぼしており、対立軸の一つである。
図5
6.正義と自由
最後に正義と言論の自由の軸を考える。言論の自由と(何らかの意味での)正義の対立も古くからあるテーマである。
言論の自由といえども、それが正義に反するのであれば制限されて良いのではないかという議論は古くからある、近年の日本ではヘイトスピーチ問題の時、言論の自由を制限してもヘイトスピーチを規制すべきという主張がなされた。差別的なことを言う人の言論は制限されて良いというのは、反差別の正義を掲げる人にとっては自然な主張である。
これに対し言論の自由を信奉する側は、すべては思想の自由市場による淘汰にゆだねるべきと考える。何が差別で何が差別でないかも論争によって決めるべきであり、最初から言論の機会を奪うべきではない。何事によらず言論を制限すれば、何が正しくて何が正しくないかをあらかじめ特定の立場(の人々)が決めることになり、思想の自由・言論の自由は失われる、と。
この対立は近年話題となるキャンセルカルチャー問題で顕著に現れる。キャンセルカルチャーとは、問題発言、具体的には差別的な発言をした人を非難し、公の場所から追放することをさしている。たとえば、2020年、アメリカの著名心理学者スティーブン・ピンカーは、一連の発言(黒人が比率として多く殺されているわけではなく、問題は警察が拳銃を撃ち過ぎることだ、など)を批判され、学会のフェローからの除名を求めるオープンレターが出された。(5)レターには600名の賛同者が署名しており日本の状況と似ている。
このとき、このレターに反論する意見書のレターが、これも多くの著名学者の署名のもとに出されたが、そのレターの題名、”A Letter on Justice and Open Debate”(6)(正義と公開討論についてのレター)は、問題の本質を良く表している。Open Debateとは言論の自由のことであり、この意見書は正義と言論の自由を対比させ、この二つの価値をいかに両立させるかを切々と論じている。この例が示すように、正義と言論の自由の対立がキャンセルカルチャー問題の核心部分である。
今回の呉座・オープンレター事件にも同じように、正義と言論の自由の対立の面があるのだろうか。アンケート調査でこれを見てみよう。
そのためには、人々が正義と言論の自由のどちらを重んじるかの尺度が必要である。このような尺度の調査はアメリカでしばしば行われている(7)が、その設問はそのままでは日本には適用しにくい。たとえば、無神論者がキャンパスで講演するのを許しますか?とか、ホロコーストを否定する本を出版することを認めますか、などの問いが使われるが、日本でこれを聞いても趣旨は伝わらないだろう。日本の普通の人が答えられる範囲内で、正義と言論の自由が対立する場面の問いを作る必要がある。そこでそのような問いを11個用意し、そう思うかどうかを尋ねた。
1 どのような下劣な意見でも持つのは自由であり、また発言も出来る社会であるべきだ
2 差別的なことを言う人に言論の自由は無い
3 言論には言論で対抗すべきであり、それ以外の方法を使うべきではない
4 間違った発言で炎上した人は、公の場から消えるまで徹底的に叩くべきである
5 ヘイトスピーチを罰則つきで禁止する法律が必要だ
6 天皇を侮辱する表現は規制されるべきだ
7 テレビの放送禁止用語は表現の自由を奪っており嘆かわしい
8 ポリコレ(ポリティカルコレクト)は言論・表現活動を委縮させている
9 不愉快な考えの相手とも共存するのが自由な社会だ
10 間違った考えの人には再教育をうけさせ、考えを改めさせるべきだ
11 公共放送たるNHKに反日的な論客を出演させるべきではない
回答選択肢(5段階)
そう思う、ややそう思う、どちらでもない、あまり思わない、思わない、/ わからない
簡単に説明する。1,3,7,8,9は言論の自由を最大限重視する立場である。一方、2,4,5,6,10,11は、何らかの正義のもとに言論の自由を制限することがあって良いという立場である。このうち2の差別表現の禁止と5のヘイトスピーチ規制はリベラル側の正義であり、6の天皇尊重と11の反日規制は保守側の正義である。
保守側の正義という言い方に違和感を持つ人もいるかもしれない。ここで言う正義とは、言論の自由を制限してもよいほどの正しさを主張する立場であり、主張の中身は問わない。主張の中身を問わなければ、保守にとっての「正義」を考えることができる。
正義と言論の自由の対立軸は、保守リベラルの軸とは一致せず直交する。たとえば言論の自由が制限されたことを嘆く声は、保守側にもリベラル側にもある。逆に、保守もリベラルも言論の自由の制限を支持することがある。
後者の分かりやすい例として、言論の自由の近縁である表現の自由についてのいわゆる萌え絵論争がある。萌え絵論争とは、漫画に置ける性表現を制限しようとする動きで、保守側からもリベラル側からも出てくる。かつて石原都政の時は非実在青少年という概念を使って漫画の性表現を規制しようとしたが、昨今はフェミニズム側からの批判が盛んである。論拠は、かたや青少年の健全育成、かたや性的消費批判で全く異なるが、ともに漫画での性表現を制限しようという点では同じである。
この例からわかるように、保守だから、あるいはリベラルだからといって、正義と言論の自由のどちらを重視するかが決まるわけではない。両者は独立であり、直交する。
上記11個の見解についてそう思うか思わないか、5段階で答えてもらい、同じように点数をふって平均値をとる。その際、言論の自由を重視する側が値が大きくなるように方向をそろえておく。この値の大きさ順に回答者を4つに分けて、呉座・オープンレター事件への賛否を見たのが図6である。左から右へいくにつれて正義重視から言論の自由重視に変化する。
図6
図6は明らかに右下がりである。正義を重視する人は呉座批判・オープンレター支持の傾向があり、言論の自由を重視する人は呉座擁護・オープンレター批判の傾向がある。正義と言論の自由の対立は、この事件の対立軸たりえると言ってよい。すでに述べたようにキャンセルカルチャーの核心は、正義と言論の自由の対立なので、この事件はその条件を備えている。呉座事件はキャンセルカルチャーの事件だったのかを問われれば、答えはイエスと言ってよいのではないかと思われる。
なお、オープンレターを支持する人は正義を重視する側である。言論の自由を重視する側ではない。オープンレターの意図がどうであったかはともかく、周りの人はこれを言論の自由を守るための手紙ではなく、(反差別の)正義を実現するための手紙と見ていたと解釈できる。
7.まとめ
知見を要約する。まず呉座・オープンレター事件での対立軸は性別、年齢ではない。男性と女性の間で、この事件についての賛否の意見は同じであり、若い人と高齢者でも意見はあまり変わらないからである。さらに、性別役割分業についての意識によって賛否が割れることもない。ここから考えて古い価値観と新しい価値観の対立という整理は適切ではない。
対立軸たりうるのは、男性優遇社会であるか、保守とリベラル、正義と言論の自由の3つである。呉座氏を批判しオープンレターを支持するのは、社会は男性優遇だと考える人、リベラル思想の人、言論の自由より正義を重視する人である。逆に言えば、呉座氏を擁護し、オープンレターを批判するのは、社会が男性優遇という見方に懐疑的な人、保守思想の人、正義より言論の自由を重視する人である。正義と言論の自由が問題になるのはキャンセルカルチャーの特徴なので、この事件はキャンセルカルチャーだったという理解には一定の論拠がある。
本稿は呉座・オープンレター事件の対立軸を、人々がこの事件をどう見ているかから明らかにしようとしたものである。当事者の意図や解釈は、当然これとは異なるものでありうることは確認しておきたい。本稿はあくまで第三者がこの事件をどう見ているかから整理したものに留まる。
しかし、当事者より第三者の視点が物事を良く見ぬくこともありうる。また歴史的事件の証拠として事件当時に周りの人がどう思っていたかを残すことは意味があるだろう。そこでやや不十分な調査ではあるが、記録として公表して世に残すことにした次第である。
(1)https://www.gender.go.jp/research/kenkyu/pdf/seibetsu_r03/02.pdf
(2)https://www.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2021/03/29/documents/01_02.pdf
(3)https://synodos.jp/opinion/society/24122/
(4)https://synodos.jp/society/23196
(5)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/74937
プロフィール
田中辰雄
東京大学経済学部大学院卒、コロンビア大学客員研究員を経て、現在横浜商科大学教授兼国際大学GLOCOM主幹研究員。著書に『ネット炎上の研究』(共著)勁草書房、『ネットは社会を