2024.11.14

ここがヘンだよEBPM(その1): EBPMをどのようにとらえるか

中里透 マクロ経済学・財政運営

政治

最近の霞が関で新語・流行語大賞を選ぶとしたら、EBPM(合理的な根拠に基づく政策立案)は間違いなくその候補のひとつということになるだろう。各省庁でEBPMの本格的な導入に向けた取り組みが進められ、「行政事業レビュー」にもEBPMの話題が頻繁に登場し、書店にはEBPMをタイトルに含む本やEBPMを特集した雑誌が数多く並んでいる。行政の効率化や政策の有効性の確保に向けた取り組みが進展していくことは、もちろんよいことだ。

もっとも、EBPMのブームには懸念されることもある。EBPMの取り組みが、これまでに行われてきた同様の取り組みと比べて優れたものであるという「エビデンス」は存在しないからだ。見た目の新しさに目を奪われて、EBPMを導入すれば行政がよくなるという「根拠なき楽観」に陥ると、期待外れでがっかりということにもなりかねない。

政策形成に合理的で科学的な手法を導入すれば行政の効率化が実現できるという思いはかつてのPPBS(Planning Programming Budgeting System)にもあったが、残念ながら期待されたような成果をあげることはできなかった。政策形成や予算編成は政治過程を通じて行われるということについての十分な考慮がなされていなかったからだ。この点についての考慮が欠けると、かつてジョン・キャンベル(ミシガン大学教授(当時))がPPBSについて評したように、EBPMの取り組みも「財政専門家の繁栄を促進する」(Promote the Prosperity of Budget Specialists)という結果に終わってしまうことになるだろう。

それではEBPMを実際の行財政運営によりよい方向で活かしていくためには、どのようなことが求められるのだろう。本稿ではEBPMの取り組みのこれまでの経過を踏まえつつ、行政の効率化と政策の有効性確保に向けた論点整理を行うこととしたい(なお、本稿に関連する参考文献などの情報については、下記の拙稿をご参照ください。「政府支出の効率化はなぜ進まないのか」(https://fe.sophia.ac.jp/wp/wp-content/uploads/2024/10/DPNo.J24-1.pdf

EBPM(証拠に基づく政策立案)とは?

EBPMという言葉は、この数年ですっかりポピュラーなものとなった。だが、そうした中にあっても、EBPMに明確な定義を与えることは難しい。日米安保条約における「極東の範囲」と同じように、「だいたいこのようなもの」ということを示すことはできても、EBPMとそうでないものの間に明確な境界線を引くことはできないからだ。

総務省行政評価局による説明をみると、統計改革推進会議や政策評価会議の提言などをもとに進められ、政策評価法という法律に基づいて行われている政策評価の適切な実施に資するツールとして、EBPMがあるということになる。この説明をながめただけでも、「行政評価」と「政策評価」と「EBPM」はどのように違うのかという話になり、行政の効率化に向けた取り組み自体の「事業仕分け」が必要なのではないかという感じになる。

EBPMが売れ筋の商品であるためか、最近ではさまざまなものにEBPMという名前が冠されて、EBPMという言葉の曖昧さがさらに増している。昭和の頃、文化包丁や文化住宅というように「文化」を冠した言葉が流行ったことがあるが、EBPMもその域に達しつつあるようだ。

とはいえ、用語の意味するところをある程度明確にしておかないと議論の展開に支障をきたすので、「EBPMとは何か」ということについて、いくつかの系に分けて記しておくこととしよう。言うまでもなくこれは暫定的な区分である。

EBPMのひとつの系は、統計的因果推論の手法を用いて政策効果の有無を検証する政策分析の枠組みとしてのEBPMである。EBPMの原型はEBM(証拠に基づく医療)にあるとされるから、これが由緒正しい「狭義のEBPM」ということになるのかもしれない。

もっとも、多数の症例をもとにある程度管理された環境のもとで分析を行うことができる医学や薬学などの分野とは異なり、国や自治体が行う多くの政策は、因果推論の手法に基づく分析をするに足るだけのデータが得られないという現実があるから、それに即してEBPMはロジック・モデルを用いた政策分析と読み替えられることがある。ロジック・モデルは各分野の行政の最終的な目標(最終成果)と、その目標を達成するために投入されるリソース(予算と人員)の間の関係を、投入⇒活動⇒産出⇒直接成果⇒中間成果⇒最終成果という枠組みに落とし込んで示すものだ。

EBPMのもうひとつの系は、EBPMをエピソード・ベースの政策立案(たまたま見聞きした事例や狭い範囲の経験に基づいて、その場の雰囲気やノリで政策の企画立案がなされること)に対置される政策形成の仕方ととらえるものだ。内閣府の説明などをもとにすると、この場合のEBPMは、それぞれの施策や事業の目的は何であるかを明確にし、その目的達成のために有効な政策手段にはどのようなものがあるかを筋道立てて考え(目的と手段の間の論理的なつながりの明確化)、そのうえで、政策目的と政策手段の間の連関について可能な限りデータをもとに確認することを通じて政策形成を行うのが、EBPMの基本ということになる。大意としては、ロジックとデータをもとに段取りを踏んで政策をつくり、政策効果の検証を行う取り組みがEBPMということになる(広義のEBPM)。

キャンペーンとしてのEBPM

EBPMのもうひとつの系は「キャンペーンとしてのEBPM」とでも呼ぶことができるものだ。この文脈では、従来の政策形成の仕方に比べてEBPMがいかに先進的な手法であるかということが強調される。予算の削減や事業の中止のためのツールとして使われがちで「後ろ向き」な従来の政策評価とは異なり、EBPMは政策の改善を促す「前向き」で「未来志向」のツールであると説明されることもある。

新商品を売り込むときには何でも宣伝が必要だから、セールストークとしてこのような説明が必要となる事情は理解できなくもないが、困ったことにこのような「キャンペーンとしてのEBPM」は、EBPMについての冷静な対応を確保するうえでノイズとなってしまうことがある。というのは、新たな手法を導入しさえすれば行政がよくなるという楽観的な見方が広がってしまうおそれがあるからだ。

改めて確認しておくと、EBPMにおいて重要な構成要素とされる統計的因果推論を用いた政策分析も、政策目標と政策手段の間の論理的なつながりを明らかにするロジック・モデルも、EBPMが話題になる前からすでに利用されていたものだ(ロジック・モデルについていうと、半世紀にわたる歴史がある)。有り体に言えば、「日本版EBPM」は、従来から利用されてきた手法をパッケージ化して、EBPMというキャッチコピーをつけて売り出したところ、統計ブーム(データサイエンスに対する関心の高まり)と統計改革の流れに乗って話題になったものである。したがって、この枠組みは見かけの目新しさから感じられるほど新しいものではない。

となれば、EBPMの先進性を示すためには、従来の政策評価制度のもとで行われている政策評価と比べてEBPMがどのような点で優れているのかということを明らかにする必要があるが、この点に関する「エビデンス」は十分に示されていないようだ。従来の政策評価とEBPMの違いを見出すとしたら、政策効果の検証に際して費用便益分析などの手法が利用されることが多かった従来の政策評価に対し、EBPMでは統計的因果推論の利用が想定されているところに特徴があるということになる。だが、これは政策の効率性と有効性のいずれに重点を置いて政策効果の検証を行うかという話であり、従来の政策評価とEBPMのいずれが優れたものであるかを示すものではない。

従来の政策評価が有効性の視点に欠けていたかというと、そうとも言えない。政策評価法(行政機関が行う政策の評価に関する法律(平成13年法律第86号))の第3条第1項には「行政機関は、その所掌に係る政策について、適時に、その政策効果(中略)を把握し、これを基礎として、必要性、効率性又は有効性の観点その他当該政策の特性に応じて必要な観点から、自ら評価するとともに、その評価の結果を当該政策に適切に反映させなければならない」とあるから、有効性の検証は従来の政策評価でもその必要性が意識されていたことになる。もちろん、統計的因果推論の手法をより幅広い分野の施策や事業の評価に活用していくことはよいことであるが、これはEBPMの「E」の部分、すなわちエビデンスの作成に関わる話であって、そのことが直ちに政策調整(EBPMの「PM」の部分)を容易にするというものでもない。

これらのことを踏まえると、EBPMに過大な期待を抱かず、落ち着いた環境のもとで堅実な議論と実践を積み重ねていくためには、EBPMを特別なものではなく、従来の政策評価の延長線上にある取り組みととらえたうえで、政策評価が期待されたほどの成果をあげることができていないのはなぜなのかということを、まず最初に考えてみる必要がある。これまでの取り組みにおいて、政策効果を検証するために利用されてきた手法に問題があるということであれば、評価手法の改善と精緻化を中心に議論を進めていけばよい。

だが、EBPMの「E」が「PM」にうまく結びついていない(PDCAサイクルでいえば、「C」が「A」にきちんと反映されていない)ことが問題ということであれば、エビデンスの利用の仕方(政策の評価を踏まえたうえでの政策調整のプロセス)のほうを中心に議論を進めていかないといけないということになる。 (後編に続く)

プロフィール

中里透マクロ経済学・財政運営

1965年生まれ。1988年東京大学経済学部卒業。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)設備投資研究所、東京大学経済学部助手を経て、現在、上智大学経済学部准教授、一橋大学国際・公共政策大学院客員准教授。専門はマクロ経済学・財政運営。最近は消費増税後の消費動向などについて分析を行っている。最近の論文に「デフレ脱却と財政健全化」(原田泰・齊藤誠編『徹底分析 アベノミクス』所収)、「出生率の決定要因 都道府県別データによる分析」(『日本経済研究』第75号、日本経済研究センター)など。

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