2013.05.12
ドラッカーなんて誰も読まない!? ポーターはもう通用しない!? ―― 学問としての経営学
経営学と聞いて経営者名言集や列伝をイメージする人も少なくないだろう。いったい経営学とはどのような研究を行っているのか。『世界の経営学者はいま何を考えているのか』の著者でありアメリカで経営学を研究する入山章栄氏と経済学者・飯田泰之が、世界の経営学について、学問のあり方について繰り広げる、太平洋をはさんだスカイプ通話による日米間対談。(構成/金子昂)
国際化が遅れている日本の経営学
飯田 経営学については経済学以上に誤解が多い学問かもしれません。その意味で、入山さんにアカデミックな経営学の最前線を紹介いただけるというので楽しみにしています。
入山 じつは、ぼくは飯田さんが博士課程の頃から、飯田さんのことを知っていたんですよね。ぼくが日本で経済学の勉強をしていた頃の友人が、飯田さんと同じセミナーにいたんですよ。
飯田 そうだったんですか!
入山 ええ、経営学はアメリカで勉強し始めました。
飯田 ぼくは修士までは経済政策というより実証分析の技法といったマニアックな研究をしていたんです。
いまの専門は、2000年頃のゼロ金利解除論争の際に、当時メジャーだった経済学者が教科書に書いてある内容と違う話ばかりしていることに驚いて調べているうちに本職みたいになっていた(笑)。
今日、入山さんにお伺いしたいと思っている内容にも関係するのですが、経済学の場合、比較的、制度化が進んでいるため、よほど実証的な裏づけが強くない限りは教科書通りの発言をすべきだとぼくは思っています。それに比べると経営学って、正直言ってどんな学問なのかよくわからないんですよね。
入山 はは、そうかもしれませんね。
飯田 ハーバード大学の教授であるマイケル・ポーター(Michael Porter)の「競争戦略論」はすごく腑に落ちるんです。それは経済学の博士号を持つ彼の理論がミクロ経済学に近いからかもしれませんが。でも日本の経営学って経営者の名言や列伝ばかり語っているような気がして。「いいこと言っているなあ」とは思うのですが、学問のように思えないんですよね。
入山 たしかに経営学は床屋談義に近いイメージを持たれる方もいるのかもしれません。そういうこともあって、ぼくは本書で、アメリカで行われている経営学の研究について書こうと思ったんですよ。
とはいえ本の最初に断っているように、経営者の名言も大切だと思っています。実際にすごく勉強になるんですよ。彼らは経営の最前線で、死ぬ気で努力して、厳しい意思決定を20年30年繰り返している。その中で生まれた言葉には非常に重みがあるんです。もしかしたら真理に近いことを言っているかもしれません。
ただ、その言葉が本当に真理なのかどうかを科学的な手法を使って解き明かさなくては社会科学の学問とは言えません。そして日本では知られていませんが、経営学の世界はいま、アメリカだけでなくヨーロッパもアジアも同じように科学的な手法を使った研究が進みつつあります。そういった研究を日本に紹介したいと思い、本書を執筆しました。
飯田 日本の経済学もかつて似た状況だったと思います。70年代以降、海外でPh.D.を習得された先生方が帰国されて、世界で行われている研究を紹介してくださるまでは「ケインズのあの発言は云々」と、まさに経済学者伝を語っていた。ある意味、経営学が70年代後半の経済学のようなフェーズにあるということでしょうか?
入山 海外に比べて学問として遅れているという言い方はしたくないんですよね。ぼくはアメリカで経営学を勉強し始めたので、日本の経営学のことがよくわかっていないんです。おそらく日本の経営学は、独自の発展を遂げているだけだと思うんですよ。ただ現象として、国際化が遅れているとは言えます。
飯田 ちなみに海外の研究動向を追っている日本の経営学者はどのくらいいるのでしょうか?
入山 アメリカでもっとも大きな経営学会「Academy of Management」の年次総会には世界中から1万人が参加しています。半分はアメリカの経営学者で、ヨーロッパからは1000人以上、中国などアジアからも数百人が参加しているのですが、日本は30~40人くらい。海外の研究動向を追っている人はかなり少ないと思いますね。
飯田 やはり他の国に比べても国際化は進んでいないんですね。
経営学の3つのディシプリン
飯田 本書では、経営学のディシプリンを3つにわけてお話をされていて、非常にわかりやすかったです。それぞれのディシプリンと研究内容について簡単にお話いただけないでしょうか。
入山 世界レベルで進んでいるマクロ分野の経営学は、経済学、認知心理学、社会学の3つのディシプリンから構成されています。
順番にお話をさせていただきます。
まず経済学のディシプリンを使った研究で有名な人は、先ほど飯田さんが名前をあげられたマイケル・ポーターですね。MBA(経営管理修士)課程で使われる教科書、とくに戦略論に関するものは、彼の影響をかなり受けています。他にも2009年にノーベル経済学賞を受賞したオリバー・ウィリアムソン(Oliver Williamson)の「取引費用理論」を使った研究も経済学ディシプリンによる研究でしょう。
ちなみにウィリアムソンがノーベル賞を受賞したとき、「おれたちのウィリアムソンがノーベル賞を受賞した!」と経営学者は喜んでいたんですよね。「え、それは違うんじゃない?」ってぼくは思ったんだけど(笑)。
飯田 ノーベル経済学賞って、「自分は経済学者じゃない」と思っている人が受賞することもありますよね(笑)。
入山 ありますね。2002年に受賞したダニエル・カーネマン(Daniel Kahneman)もたぶん経済学者じゃなくて心理学者だと思っているでしょう。
次に認知心理学ディシプリンですが、このディシプリンを使って研究を行うグループは、経済学ディシプリンのグループが想定するほどは人や組織が合理的ではないと考えて研究を行っています。認知心理学的なアプローチで有名なのは、やはりノーベル経済学賞を受賞しているハーバード・サイモン(Herbert Simon)。彼はこの流派の始祖とも言えますね。あとペンシルバニア大学のダニエル・レビンサール(Daniel Levinthal)、スタンフォード大学のジェームス・マーチ(James March)もこのグループの大御所です。
経営学における認知心理学的なアプローチは、とくにイノベーション経営の分析に貢献しています。第七章「イノベーションに求められる「両利きの経営」とは」では、企業はイノベーションのために「知の探索」と「知の深化」のどちらをすべきかといった問題に関する研究を紹介しています。
飯田 最後の社会学ディシプリンは、ぼくが一番知らない分野です
入山 ええ、ぼくの認識では、アメリカでも社会学の方は「反経済学」っぽいスタンスを取られている方が結構多いんですよね。「経済学は市場がすべてを決定していると考えていて、人間をぞんざいに扱っているんじゃないか」といった批判はよく耳にします。勉強不足なだけじゃないのか、と思うときもあるんですけど……。
飯田 社会学の方に限らず、一般的にイメージされる経済学ってゲーム理論以前の経済学なんですよね。それは経済学者が他分野の方と話をするとき、インナーサークルでは時代遅れになっている新自由主義的なわかりやすい話をしてしまうせいかもしれませんが。
入山 面白いですね。それは経済学者がそういうポジションを取ろうとしているのでしょうか?
飯田 論理が単線なので話すのが楽なんだと思います。
たとえば日本ではここ数年、TPPが繰り返し話題にあがるのですが、ごちゃごちゃと複雑な話をするより「自由な取引はお互いの効用を改善する」と話すほうがすっきりするので、ついそういう話し方になってしまう。
入山 なるほど。たしかにそんな気がしますね。
とにかく社会学は、古典的な経済学の仮定を崩すことを意識しているように思います。合理性ばかり考えるのではなく、人間と人間の信頼関係について考えることで、経済学ディシプリンでは分析できない部分を分析しようとしている。経営学においては、企業や組織が社会的にどのような相互作用を及ぼしているか研究しています。本書では、第八章、第九章の二章にわたって「ネットワーク理論」や「ソーシャル・キャピタル」を紹介しました。
自然言語と人工言語
飯田 アメリカで研究をされている入山さんだからこそ、お伺いしたいことがあります。海外の学会で日本の経済学者が発表している様子を見ると、英語な苦手なぼくでも「これならぼくだって英語を話せると言っていいのでは?」と思うくらい、みんな英語が下手なんですよね(笑)。
人工言語は数学的、論理的な処理が簡単なので、経済学は人工言語に置き換えようと知恵を絞ってきました。やっぱり自然言語、さらに他国の言語で論理的に話すことは難しいと思います。
入山 ええ、よくわかります。
ぼくもアメリカに渡って経営学の研究を始めた頃は、びっくりしたんですよね。みんな自然言語で議論している。当たり前ですけど、英語がうまいんです。
飯田 ですよね(笑)。
入山 ぼくは英語が下手だったので、留学当初は議論に参加できずイライラしていたんですよ。議論の最中に黒板にグラフや数式を描いて「お前が言っていることはこういうことだろう!」とかやっていた(笑)。
やはり日本の経営学者が海外の国際学会に出席しないのも、自然言語の壁が大きいのかもしれません。物理学の場合、東大や京大の大学院生も、当たり前に海外のジャーナルに論文を提出していますよね。それは数学という世界共通の言語を使っているから。社会科学分野ではもっとも国際化している経済学もやはり数学を使っている。一方、経営学の場合は、統計分析も使いますが、理論は自然言語を使う。自然言語って普通に話す分にはいいけれど、厳密な論文の場合、すごく難しいんですよ。
飯田 ええ、ぼくは英語で論文を書くときはプルーフリーダーにチェックしてもらっています。経済学の場合は数式と統計が大切なのでそれでなんとかなりますが、自然言語が重要な分野は、母国語以外の自然言語にしてしまったら別の作品になってしまう気がするんですよね。
入山 おっしゃる通りです。経済学の論文って、回帰分析の結果と数式を見ていれば主旨がわかりますよね。
飯田 忙しいときは地の文を読みません(笑)。
入山 なるほど(笑)。
アメリカで経営学の勉強を始めて9年以上経ちますが、恥ずかしながらいまだに英語に苦労しています。普通の日本人よりはアカデミックな英語を書く力はあると思うんですが、指導教官と一緒に論文を書くと、「お前の英語は全然だめだ」とぼろくそに言われてしまう。
飯田 正しい英語が使えないと言うよりは、細かいニュアンスが表現しきれないんですよね。
サイエンスとしての自然言語と可能性
飯田 英語に限らず日本語でも、たとえば社会学の用語を見ていると、その言葉が一体なにを指し示しているのかわからないことが多いんですよね。「これって何が起きたら否定されたことになるんだろう?」と思うことがよくあります。たとえば「人と人との繋がりが大切だ」という主張に対して、なにを言えばその主張の間違いが証明されるのかわからない。
入山 反証可能性の話ですよね。学問が科学であるために必要なことです。
でも日本の、とくに経済学者の皆さんが考えているよりは、アメリカを中心とした経営学って、サイエンスとしての自然言語が発達しているんですよ。それにアメリカの社会学も、科学的な手法を使うことを意識して研究している。自然言語を使って理論的に表現するためにどうすべきか、といった教科書も出ているくらい。ぼくは博士課程のときにドゥービン(Robert Dubin)という人の教科書を読みました。
それに経営学は3つのディシプリンを使う学際的な学問なので、議論する際には自然言語が便利なんですよね。その意味では自然言語が人工言語に比べて劣っているとは必ずしも言えないかもしれません。
飯田 ディシプリンの壁を越えやすいということですか?
入山 そうです。あと単純に、まだ経営学はプリミティブな学問なので、20年、30年と研究がつづけば、いずれは統一理論のようなものの地盤ができてきて、それを表現するために人工言語を使う必要も出てくるかもしれない。
ちなみに経営学が自然言語を使用していることを、経済学者は面白いと思っているみたいです。経済学は人工言語に縛られてしまうところがある一方で、経営学の場合は自然言語を使う分、「なんでもあり」なところがある。経済学から生まれにくい突飛な発想ができるんです。
飯田 ああ、わかります(笑)。
経営学の面白さは、自分の頭の中にはあるのだけど、人工言語で表現できずにいる仮説をズバッっと自然言語で出してしまう点にあります。あまりにも突飛なものはさすがに眉をしかめますが、「もう一歩越えられたら……」と思っている仮説を、経営学が言及しているとスカッとする。
入山 あー、なるほど、すごく面白いですね。
経済学と経営学の接合点
入山 いつか経済学と経営学は噛み合うことができるとぼくは思っているんですよ。
この前、池尾和人先生が「社会科学的な経済学と行動科学的な経済学(http://agora-web.jp/archives/1498412.html)」という記事をアゴラに書かれていました。池尾先生はその記事で、物理学では個々の粒子の運動が相互作用した結果、均衡状態が生まれるが、社会も同様に個々の人間の行動が相互作用して均衡状態が生まれる。昔の経済学はこの均衡に注目して分析を行っていたため、個々の人間の行動をあまり分析していなかった。それが行動経済学の発展によって、いまは個々の人間の行動も研究するようになっている。それぞれ良いところと悪いところがあるけれど、これからはそれらを繋げるのが理想的である、とお書きになっていました。ぼくはこの話がすごく腑に落ちたんです。
飯田 というと?
入山 第十五章に、ジェイ・バーニー(Jay Barney)が唱えた経営理論「リソース・ベースト・ビュー」をめぐる論争について書きました。詳細は本書をお読みいただくとして、簡単にまとめると、リチャード・プリム(Richard Prim)とジョン・バトラー(John Butler)が「リソース・ベースト・ビューはトートロジーでしかなく、経営理論として体をなしていない」と批判したという話です。
飯田 リソース・ベースト・ビューは、簡単に言えば、企業の持つ経営資源が売れる商品を生み出すという考え方ですよね。
入山 はい。企業のもつさまざまなリソース ――人材や技術、知識―― に注目すべきだという考えです。プリムとバトラーはそれを「トートロジーだ」と批判しました。
じつは本書には書けなかったのですが、プリムとバトラーは、他の点でもバーニーの理論を批判しているんです。そのひとつが「どの経営資源に価値があるかは財市場のバランスで決まるのであって、経営資源の話だけでなく財市場の話もしなければ、ひとつの完成した理論にならない」という批判。
飯田 つまり売れる商品をつくり出す経営資源についてだけでなく、なぜその商品が売れるのか、市場側も分析しなくてならない、と。
入山 ええ、たしかにバーニーは経済学のメタファーを使って展開していますから、プリムとバトラーが指摘するように、バーニーの理論は不完全なのかもしれません。池尾先生の言葉で言えば、社会科学的な側面が欠けている、と。
話を戻しますと、経営学研究の多くは行動科学だと思います。そして経済学は昔から社会科学に着目して研究が進められてきました。率直に言って経営学は経済学に比べると論理体系は不十分ですし、実証研究も怪しいものが多くあります。でも面白い発想はたくさんある。あとはそれを数学的なモデルで精緻化すること。そうすれば、そのうち経済学の一般均衡分析のように、経営学の社会科学的な面にも光が当たるかもしれない。
昔に比べたら地位の高い経済学の学術誌に、経営学の論文を引用している論文が掲載されるようになっている気がします。経済学が行動科学側の研究も始めていますし、経済学と経営学はいずれ噛み合えるようになるんじゃないかと思うんですよね。
量的研究も、質的研究も
飯田 近年話題になった『ヤバい経済学』だけでなく、ギャングへの潜入実地調査を行ったスディール・ヴェンカテッシュの『ヤバい社会学』など、アメリカの社会学では、統計的な検定化、徹底したフィールドワークのどちらかがなければ、学問として成り立っていないという意識があるように思います。
一方、日本の人文系の学問の場合、量的なデータも、質的なデータも扱わないで、思いついたアイディアを好き勝手に話す方が多い気がするんですよね。
入山 そうなんですか(笑)。
飯田 それでは人文系の学問がうさんくさいものになってしまう気がしています。
入山 なるほど……もしそうなら、それは問題ですね。
経営学にひきつけて話をすると、アメリカの経営学は学問であること、つまり科学であることをしっかり意識していると思います。たとえば、経済学ほど進んではいないけれど、計量分析をちゃんと勉強している。
本書はとくに計量的な研究をメインで扱いましたが、フィールドワークのような質的なものも質の高い研究がたくさんあります。計量的な研究のほうが学術誌に載りやすいので、むしろケーススタディーで掲載されている論文は本当にいい論文が多いように思います。ぼくはアメリカで権威ある学術誌に掲載されているケーススタディーを扱った論文はできるだけ読むようにしていますよ。
日本の経営学全体のことはよくわからないので偉そうなことは言えませんが、ぼくの知っている日本の経営学者の方はみなさんしっかり研究されています。内容も素晴らしい。ただ質的な研究をされている方が多くいらっしゃるので、量的な研究の良さを知らない方がいる可能性はあるのかもしれません。というのも、「AがBに与える影響について考えるとき、統計や計量分析ではCやDといった他の要因の影響は検証できないでしょう?」と言われたことがあるんですよ。それを検証するために統計学があるのに。
飯田 統計学のイメージが、学部で勉強する単回帰分析レベルなのかもしれません。
入山 そうなのかもしれませんね。量的な研究が食わず嫌いになっていて、理解が十分じゃないまま質的な研究をされている方がいるのかなあ、と。一方アメリカでは、質的な研究を理解しないまま、量的な研究をされている方も結構いるんですよね。とくに若手の研究者は、データを分析すればいいという姿勢の人が少なからずいる。経営学は互いの良さと限界をわかった上で、バランスよく研究することが大切だとぼくは思っています。
飯田 経済学は量的データを使うことが圧倒的に多いのですが、質的なデータではなく歴史的な研究が重要な仮説を証明することもある。とくに現代の経済学では合理的期待(予想)が政策の効果のキーになりますが、期待は直接計測できないことが多い。金融市場が未発達な時期……といっても20年くらい前ですら難しい。こういったときには歴史の研究が重要になります。その意味で、経済学では、歴史研究が質的データに近いのかもしれない。
入山 なるほどなるほど。
飯田 あと最近流行の行動経済学も数量化しようと試みていますが、やっぱりいまいち数量化できない要素があるんですよね。
入山 面白いですね。行動経済学って実験もしていますよね?
飯田 じつは行動経済学における実験って論争があるんですよ。
行動経済学は、金額によって反応が違う、つまり人間にとって1万円の価値は、単純に100円を100倍した価値ではないのではないかと考えます。実験の意味を疑っている人たちは、「金額によって人々の反応が異なると言っているくせに、10セントとか1セントを使って何万ドルの意思決定の検証実験する意味あるのか」と指摘をしていて、それを聞いたときは、「たしかにそうだよな」と思いました。
入山 なるほどなるほど。
本書で、経営学はマクロとミクロに分かれると書きました。マクロはどちらかと言えば、企業単位で分析し、ミクロは組織構造や上司と部下のような人間関係を分析します。ミクロでは、たとえば「どういったチームを組むとよりクリエイティブなアウトカムが可能か」といった実験を行うんですよね。
飯田 認知心理学の手法を使って実験するんですね。
入山 もしくは純粋な心理学ですね。ミクロでは、みんな実験ばかりやっていますね。
読書の手引きとして
飯田 ついつい話し込んでしまいました。最後に、本書でオススメの章やどんな反応があったかお話いただけませんか?
入山 そうですね。反響が多いのは、第四章、第七章、第八章、第九章あたりですね。
飯田 やはり第四章の「ポーターの戦略だけでは、もう通用しない」はびっくりする方は多いでしょう。というかぼくはハーバード・ビジネス・レビューが好きでよく読んでいるんですが、ぼくのような「世間の連中と違ってドラッガーが時代遅れだってことは知っている」という方には結構ショックです。
入山 なるほど、そうかもしれませんね。
あと第七章の「イノベーションに求められる「両利きの経営」とは」は、実務家に評判がいいんですよね。実務家の皆さんが問題意識をぼんやりもっていることが言語化されているのかもしれません。あとはアメリカの経営学でもそうしたことが言われていると、お墨付きになって安心するのかもしれない(笑)。
それからいま世の中で「ソーシャル」が話題になっていますから、第八章、第九章の「経営学の三つの「ソーシャル」とは何か」もお勧めです。じつはこれは本書全体に言えることですが、この本で書いてあるのはフロンティアの中では基本的なことばかりで、際立って最新の研究の話をしているわけではないんですよ。こちらの経営学者と話せば、当たり前になっていることしか書いていない。それが日本では「目から鱗だ」って言われるわけです。
飯田 その意味では日本人研究者が日本語で紹介した意味は大きいと思います。
入山 あと冒頭で飯田さんも仰ってましたが、3つのディシプリンの話も、いい整理になったと高い評価をいただきました。
飯田 あの整理は本当にわかりやすかったですね。
ちなみに、本書に「教科書がない」とお書きになっていますが、日本語で読める経営学でおすすめの本ってありますか?
入山 じつはあんまり知らないんですよね(笑)。アメリカで研究を始めたこともありますし、学術誌を読むので、本って手に取らないんですよ。普段はマンガばかり読んでます。
飯田 なるほど。たしかに、ぼくもつい最近まで経済学の読み物系の本って読んでいませんでした(笑)。
まだまだ日本では、アメリカで読まれている面白い経営学書が翻訳されていないのかもしれません。入山さんのこの本が、海外の優れた経営学研究が紹介されるきっかけになり、日本の経営学の国際化が進むことを期待しています。
(2013年2月22日 スカイプにて)
プロフィール
飯田泰之
1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。
入山章栄
慶應義塾大学経済学部卒業。同大学大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所で主に自動車メーカーや国内外政府機関への調査・コンサルティング業務に従事した後渡米し、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院より博士号(Ph.D.)を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクールのアシスタント・プロフェッサー(助教授)に就任。2013年に帰国し、早稲田大学ビジネススクール准教授し現在に至る。専門は経営戦略論および国際経営論。Strategic Management Journal、Journal of International Business Studiesなどの国際的な主要学術誌に論文を発表している。おもな著書に『世界の経営学者はいま何を考えているのか』(英治出版)。