2013.07.20

「教育」に関する選挙公約比較

仁平典宏 社会学

教育 #教育政策

はじめに

今回の選挙は、「教育なき」選挙である。

経済政策、外交、税制、原発・エネルギー、憲法といった骨太のテーマが連呼される一方で、「教育」は主要な争点になっていない。

もちろん、一応、どの政党も「教育」が大事だとは言う。自民党の下村博文文部科学大臣も、「教育再生と経済再生は安倍内閣の最重要課題であり、車の両輪」と述べてきた。だが、有権者に対するアピールという点で、「教育」の立ち位置は弱い。

表1は、各政党の選挙公約集における大項目・主要項目のテーマが、どのような順番で出現しているか示したものである。この順番が、政策的な優先順位を示しているとは限らない。だが、限られた紙面の中で、どの項目をどこにランクさせるかには、選択が働いていることも確かだ。

例えば自民党の場合、下村大臣の自負にもかかわらず、教育は7番目という微妙な位置にある。ちなみに経済は2番目。「両輪」というには、タイヤの位置がズレている感じだ。もっとも、ピンで項目になっているだけまだ恵まれている。教育が主要項目から選抜落ちしている政党もいくつかあるし、「国家システム」とか「活力ある日本」といったえも言われぬ項目の中に、「道州制」や「天下りの根絶」とかと一緒に収められているケースもある。

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表1 各政党の選挙公約集における教育・子育ての位置(クリックで拡大)

いや、もともと「教育」なんてこの程度の位置づけで今回に限ったことじゃない、という指摘は一応もっともである。だが、2007年の参議院選挙では、第一次安倍政権のもとにあった自民党は、全部で155ある公約のうち、なんと2番目から10番目を「教育の再生」にあてていた。文字通り最重要課題だったのである。さらに、2009年に政権交代を成し遂げたときの民主党のマニフェストでは、教育は7つの大項目のうち2番目に据えられている。

それに比べると、今回、教育は公約集の中でささやかに息づいている。ここには時代の空気が刻印されているかもしれない。今回の選挙で最大の争点の一つとなるであろうアベノミクスは、それまでの統治をめぐる言葉の前提を変えた。その空気は、実は「教育」をめぐる言葉と折り合いが良くない。

今思えば2000年代は「教育的なもの」の時代でもあった。ネオリベラリズムと呼ばれる文脈下では、自分で合理的に判断・選択し、その責任を取れる強い主体を目指すことが奨励され、政権交代から脱原発運動に至る流れの中では、意識の高い市民になることが奨励された。左右を問わず、より良い主体へのバージョンアップこそが賭金だった。だがリフレ政策は、過度に合理的な主体や強い主体を要請しない。主体、自己投資、訓練といった問題系を一時的に解除してくれる。

とはいえ、教育政策は、中長期的なスパンで社会に大きな影響を与えるものだ。政党選択における一つのポイントとして、検討してもらえればと思う。

11の論点

通常「教育政策」は、初等教育から高等教育までの間を守備範囲とするが、実際には、人間形成に関わる営みは、就学前の子育て・保育から、就労支援としての職業訓練まで幅広い。学校教育のアウトプットも、それら学校外部の「教育的営み」との連接の中で、意味をもってくることもある。実際に各政党は、学校制度内/外の区別に関係なく、それぞれ固有の「教育的営み」のパッケージをもっている。

よって本稿では、選挙公約に書かれた「教育的営み」について薄く広く見ていくことにする。その論点は多岐にわたるので11の論点に整理した。

(※少子化対策・両立支援については、筒井淳也「少子化対策・両立支援についての各政党の政策の比較・評価(https://synodos.jp/welfare/4756)」を参照のこと)

(1)子育て支援をいかに行うか

妊娠出産から学校卒業まで、子育てを行う親に対し、いかなる支援を行うかという論点がある。特に重要なのは、経済的負担の軽減と子育て機会の保障である。

経済的負担には、様々なものがある。子育てには、出産から保育、子どもの医療に至るまで、多様な場面でお金がかかる。これに対して、誰に、何を、何のために、どのような形で(現金か現物か)給付するかという論点がある。

子育て機会の保障において、まず重要になるのが、保育施設の問題である。待機児童があふれる中で保育サービスの総量を増やすのが急務の課題だが、これを認可保育園など厳正な基準に基づく公的施設を増やすのか、基準を緩和して株式会社も含めた多様な供給主体にゆだねるのかという違いがある。またとくに後者の場合、その保育の質を、保育労働者の待遇や専門性も含め、いかに保証するかという論点もある。

同時に、親による育児の時間・機会の保障も重要である。これは育児休業の確保やワークライフバランスの実現、育児後の職場復帰の問題として位置づけられる。ただし日本では、それは女性の生き方の問題として認識されがちだが、男性も含めた全労働者の育児機会の保障、さらには労働時間の規制という射程の中で捉えられているかどうかは、政党によって異なる。

また、子育てという論点の裏面には、児童虐待への対応や、親の不在・育児放棄に伴う児童養護施設や里親制度の利用という問題系も随伴している。これらの論点が視野に入っているかどうかも、評価の一つのポイントである。

(2)平等な教育機会を保障できるか

不平等には「結果の不平等」と「機会の不平等」という二つのタイプがあるが、このうち、本人に帰責できない「機会の不平等」は許されない――これは、政治的立場を超えた近代社会の理念である。生まれた家庭の経済的困窮によって、就学機会や社会への十全な参加が奪われるという「子どもの貧困」はその最たるものであるが、その問題をそもそも認識しているか、認識していたとして、いかなる方法(現金給付/現物給付)で解決しようとしているのか。この点は各政党の、教育のみならず社会への基本態度を見る上で重要なポイントである。

また、学校の多様性の増大や学校選択制の拡大は「機会の不平等」を拡大させうるという社会学が明らかにしてきた知見に対して、いかなる位置にあるかという問いも、同じ問題圏域にある。

(3)いかなる学力をいかにして形成するか

個性を伸ばす教育か詰め込み教育か――この対立は明治以降何度も繰り返されてきた。世論を二分する「ゆとり教育」をめぐる議論もその意味で「平常運転」だったが、今回は幸いなことに論点に上っていない。だが、学力形成をめぐる対立軸は何本も走っている。

まず、競争を重視し飛び級や習熟度別教育などの差異的処遇を肯定する方向と、過度な競争を否定しつつ全ての子どもの学力保障を求める方向がある。後者は、そのための少人数学級の実現と教員の増加がセットになっている。

さらに基礎学力の上に、何を求めるかという点にも特色が出る。政党によって、英語教育、理数教育、職業教育、コミュニケーション力や人間力の育成など、多様なものが加わる(道徳教育については別途記載)。

(4)教員の専門性・自律性をどこまで保証するか

教員は学校教育の要であるが、1970年代以降に、教育問題が教師の問題としてフレームアップされる慣習が出来上がると、教師叩きは政治家や評論家が手軽に点数を稼ぐ手段となり、「教育改革」のたびに教員の職場環境はめまぐるしく改変されてきた。

一般的に教師に対する管理と評価が強化され、多忙さは増大している。この文脈で、大きな対立軸は、教師に対する管理を強化するか、自律性を認めて緩和するかというものである。後者のベクトルには、教師の労働強化の解消のために、教職員数の増加や、非正規教員の正規化を進める方策も含まれる。

もう一つは教師の専門性をめぐる問題系である。この間進められてきた研修の強化や教員免許更新制を肯定するか、それとも別の形で専門性を高めるかという対立軸がある。そのもう一つ外側に、そもそも教師の専門性なんて不要とする立場がある。それは民間他業種からの教員登用を進める立場である。

(5)さまざまな脅威(いじめ・体罰・地震・交通事故)から子どもをいかに守るか

子どもの安全対策としては、ハード面とソフト面がある。

ハード面に関しては、地震に対する耐震補強や通学路の交通安全対策がある。震災後に、重要な論点として浮上してきた項目である。

ソフト面に関しては、いじめや体罰といった教育問題に対する対策があげられる。昨年の大津市のいじめ事件は、その対応をめぐって、学校や教育委員会、自治体の首長などが激しい批判にさらされ、久々の一大教育論議を巻き起こした。

その一つの帰結として6月18日には「いじめ防止対策推進法案」が、自民、民主、公明、生活、みんな、維新の6党で衆院に提出された。このように「いじめ」は、今回の教育に関する選挙公約のなかで大きく取り上げられてはいるが、与野党共同での法案提出後ということもあり、大きな対立軸を形成できていない。ここで注目すべき対立軸は、同法案に見られるような道徳教育の強化や厳罰化で対応するか、管理や競争の緩和や体罰の撤廃、少人数学級の実現、スタッフの増員など、よりケア的なアプローチで対応するかというものである。

体罰に関しては触れている政党は二つのみである。不登校は一つであるが、これは学校への復帰を前提とするのではなく、フリースクールなど学校外の場への公的支援によって、学校からの「避難」を含んだものなのかという点がポイントである。

(6)地域の役割をどこまで拡大するか

選挙公約の中で「地域」という文言は、(1)「中央に対する地方」の意味と、(2)「学校に対する近隣の住民」という意味で使われている。

(1)をめぐっては、国は最低限の教育水準の維持のみにとどめ、市町村や現場の学校に任せた地域の特性に応じた教育を行うべきという立場があり、もう一方で、国の管理統制を重視する立場がある。

(2)に関しては、学校経営に地域住民・親を参画させるコミュニティスクールや学校評議会などの構想があるが、これは政治的立場を超えて広く支持されている。

(1)(2)の両方の論点に関わる教育委員会をめぐっては、大津のいじめ事件の影響もあってか、一般には地味な論点であるにもかかわらず、いくつもの政党が取り上げている。抜本的な改革が掲げてられているが、権限強化を求める政党がいる一方、廃止に言及する政党もあり、方向性はばらばらである。

(7)教えるべきは道徳か権利か

本来、両者の関係は、排他的というわけではない。だが教育論議においては、その両者が対立するものとして浮かび上がることが多い。

一つの極に、高い規範意識や道徳、ナショナリズムに裏打ちされた価値や知識を教え込もうとする立場がある。これを先鋭化するのが、教科書検定・採択の場面であり、国による教科書検定の強化を通じて領土教育などを徹底することが求められる。

もう一方の極に、個人の内面の自由を擁護し、国家道徳やナショナリズムの押し付けを拒否しようとする立場がある。後者が、それに代えて重視するのが、人権教育やシティズンシップ教育などである。

上記の対立以上によりラディカルな対立軸が、国が何かしらの道徳・規範(国家主義であれ人権であれ)を一律に教えるべきという立場と、それは最低限にとどめ地域や各学校に任せるべきという立場の間にある。

(8)大学をどう改革するか

内向きな提言が多かった学校教育に対し、大学については、秋入試の実施や留学生の増加、国際学術交流の推進などを通して、さらなる国際化を図ろうとする立場が目立つ。

そのほかは、研究費の増額や、研究者の待遇・雇用の改善などを通じて、研究基盤の強化を図ろうという提言が見られる程度である。

(9)障がい児やマイノリティの教育はどこまで配慮されているか

障がいのある子どもの支援を、インクルーシブ教育として取り上げている政党がいくつかある。それがどのような具体性をもって書かれているかが重要である。なお、外国人の教育については、ほとんどの政党が触れていない。

(10)若者をはじめとする労働者への就労支援は行われているか

若年雇用の改善については、取り上げている政党が多い。ポイントは、第一に、それが若者自身の雇用可能性を高めようとしているのか、第二に、就労構造の改善という枠内で行われているのかという点である。

第一の点については、それがキャリア教育なのか、職業教育なのかによって、方向性は異なってくる。第二については、非正規労働者の待遇の改善をいかなる形で進めようとしているのか、その中に職業訓練は位置付けられているのか、という点に注目したい。

(11)教育/子育て予算は明記されているか

先進国の中では平均を大きく下回る教育・子育て予算(GDP比)であるが、予算額の目標を明記するか否かという選択がある。また、その場合の財源が明記されているかという点も、注目点の一つである。

ここまで、政党間の教育政策の比較のために有効と思われる論点を抽出してきた。もちろん、このほかにもいくつもの公約は存在する。それらについては、直接、選挙公約・マニフェストを確認して頂きたい。

以下では、各政党の教育政策の特徴について、上記の論点のうちいくつかのものに注目しながら、概観していく。

各政党の教育・子育て政策

■民主党:民主、教育やめたってよ(嘘)

もちろんやめてない。だが、民主党のマニフェストにおける教育政策が、後れを取っている感があるのは否めない。自民や共産にではなく、かつての自分たちにである。先述のように2009年の総選挙では、教育を中心に据えて闘った。初期の民主党は、イギリスのブレア首相が率いるニューレイバーをモデルの一つにしていたが、そのスローガンは「一に教育、二に教育、三に教育」である。それを彷彿とさせるような2009年マニフェストに対し、今回は教育項目は7つある中の4番目に「格下げ」されている。

形式だけではない。2009年時のマニフェストでは、子ども手当、高校無償化、生活保護の母子加算復活、幼保一体化、教員免許制度改正などが掲げられ、その多くが目玉政策として実現していった。それに比べ、今回は、目玉として押し出されている政策はない。その分、(2)「平等な教育機会」の問題意識のもとで経済的支援の比重が大きかった前回に比べ、今回はバランスの良い政策群になってはいるが。

さらに前回の政権時に、掲げた数値目標を達成できないことが、マニフェスト違反ということで批判を浴びた反省からか、今回、具体的な数値が出てこない。その方策も「現実的」ともいえるものになっている。

例えば、(1)「子育て支援」では、待機児童の解消が数値目標なく記されているものの、認可保育所の増設などではなく、より実現へのハードルの低い保育所定員の増員が挙げられている。そのほかの項目も、既存の枠組のなかでの両立支援の「充実」といった穏当なものに落ち着いている。待機児童解消は、今回他の政党が力を入れて謳っている分、民主党のおとなしさが目につく。前回の目玉だった(2)「平等な教育機会」も、子どもの貧困対策法が成立したばかりということもあり、今回記述は多くない。授業料の減免や給付型奨学金が言及されている程度である。

そのほか、(3)(4)教職員の数を増やして少人数学級の「着実」な「推進」が掲げられ、(5)すでに提出された「いじめ防止対策推進法」に基づいていじめ対策を進めることなどが挙げられている。(6)「教育委員会の抜本的見直し」は挙げられているものの具体的な方向性は示されず、コミュニティスクールの導入も他党と大差ない。

これに対し、(10)労働問題への取り組みは評価できるものであり、労働規制の強化、ブラック企業対策、住居確保などの自立支援などが明記されている。その一方で、若年雇用問題への対策は、学校での職業教育、進路指導、職業相談、キャリア教育の拡充というありきたりなもので、若干物足りない。

繰り返しになるが、それらの政策群はバランスが取れ、ポイントも外しておらず、決して悪くはない。実現可能性も十分にある。だが、「新しい社会を示している」という高揚感はない。

「大人」になったのであろう。だがその「成熟」は、いい意味での民主党らしさを消してはいないだろうか。

イギリスのニューレイバーが目指した「第三の道」が、あれほど教育を強調したのは、人的資本投資こそが格差・貧困の解消から経済成長に至るまでの根幹に位置づくという、社会政策理論に裏付けられていたからだ。それこそが、市場中心主義とも古い福祉国家とも異なる点だったはずだ。その社会民主主義版が「アクティベーション」ということになるわけだが、現在の日本にとって、まずは「第三の道」を目指すことの戦略的意味は、いまだ失われていない。民主党はそれを主導する位置から降りたのか。そうだとしたらどこに向かっているのか。そのようなことを感じる「大人」なマニフェストだった。

■自由民主党:たくましい日本の私

「日本を、取り戻す。」をスローガンとする自民党は、どんな日本を取り戻すのか。

選挙公約では、大項目が、復興、経済、地域、農山漁村、外交・防衛、安心、教育、政治・行政改革、憲法に分けられている。復興以外の8項目には、日本についてのキーワードが添えられている。「たくましい日本へ」が経済、地域、農山漁村、外交・防衛の4項目、「やさしい日本へ」が安心の1項目、「誇りある日本へ」が教育、政治・行政改革、憲法の3項目である。

つまり、たくましさ:やさしさ:誇り高さが4:1:3でブレンドされた日本ということになる。人間だったらあまり友達にしたくないタイプだと思うが、国だったらいいのだろうか。ちなみに唯一の「やさしさ」担当の「安心」であるが、その下位項目には、いきなり「治安・テロ対策の強化」「国土強靭化の推進」が並んでいる。どこまでもたくましい。

さて、「教育」は「誇りある日本のため」という位置づけが与えられ、どうしてもその文脈に目が行くが、はじめに「やさしい」方に目を向けよう(「子育て」は「安心」に含まれている)。

(1)「子育て支援」については、後述の教育の諸項目に比べ、実効的な政策が並ぶ。都道府県が行っている特定不妊治療の助成が挙げられている他、待機児童については、2年間で約20 万人分、2017 年度末までに約40 万人分の保育の受け皿を新たに確保すると明記されている。さらに幼児教育の段階的無償化も掲げられている。魅力的な文言である。問題は保育の受け皿をどういう形で確保しているのかだが、その点に関する記述はない。

設置基準の引き下げや民営化によって進める場合、質の保証が重要になるが、肝心なその点は書かれていない。同様に、ワークライフバランスの名の下に子育てと仕事の両立支援も書かれているが、「出産前や子育て中の母親が孤立しないように」支援するとあるように、子育て=女性の問題として対応しようとしており、男性も含めた労働者の労働環境の整備という論点まで踏み込んでいない。この点は他党のワークライフバランス政策の後塵を拝している部分である。

このように物足りなさはあるものの、教育政策に比べると保育政策は頭を使って考えられており、さらなる展開を期待したいところだ。

さて教育である。

主な特徴は三つある。第一の特徴は、(7)の道徳教育系のメニューが実に充実していることである。教えるべきは、まず「公共心」「社会性」「高い規範意識」「わが国の歴史・文化」。もちろん国土を守りぬくための「領土教育」も欠かせない。教科書は前の安倍政権で改正した教育基本法に基づき検定を強化して、以上の項目について子どもたちに教え込む。学校外でも俗悪なマンガ・アニメ・ゲームから子どもたちを守るために、「青少年健全育成基本法」を制定し、青少年に有害な作品を監視・統制していく。

第二の特徴は、(3)英語教育・理数教育の推進や、⑧留学生の増加などによる大学の国際化・ガバナンス強化などを通じて、学力の向上、及び、世界に通用する研究拠点づくりを前面に出している点だ。「『世界大学ランキングトップ100』に日本の大学が10 校以上入ること」も目指している(現在は6校)。一つ目の特徴が内向きだったのに対し、二つ目の特徴は外向きということで、ナショナリズムとグローバル化の同時進行というトレンドも抑えている。

第一の点については、やはり議論になるところだが、過度に注目する必要はないのではないか。これだけ情報に自由にアクセスできる中で、学校で教えられたことで内面が変えられるわけではない。戦前の陸軍幼年学校という場でさえ、イデオロギー教育で内面を染め上げることは不可能だった(広田照幸1997『陸軍将校の教育社会史―立身出世と天皇制』世織書房)。まして自由度の増大した後期近代社会では、「教育による洗脳」という概念自体、都市伝説のようなものである。近年の右傾化も、学校で教えられたからではなく、むしろ学校で教えられたことを「偽善」として反発するコミュニケーションを糧に成長している。

というわけで、これを押しつけられる学校や先生は大変だろうが、社会に対する影響としては大した毒にも薬にもならないというのが妥当な判断であろう。とはいえ、それらの選択が賢いかというと決して賢くはない。理由は二つある。

一つ目として、子どもたちの規範意識の低下はそんなに切迫した課題なのだろうか。周知のように、現在日本の青少年による凶悪犯罪の発生率は、過去最低の水準である。いや、人類が形成してきた国家の中でも最低レベルではないか。自民党政権が長かったわけだから、むしろ自らの成果として誇っていいくらいである。何をおびえているのか。

むしろ、(10)若年雇用の改善にしっかり取り組み、未来に希望ある生活を送れる若者が増えた方が、公共心、社会性、規範意識、国への愛着など、あらゆるパラメーターが上昇するだろう。この点について、就労支援策や非正規雇用の処遇改善を謳ってはいるが、ワタミ社長を公認候補としている時点で、その本気度はすでに疑われている。全体的に目的がずれている上に手段も誤っている。

二つ目として、ナショナリズムは醸成するより、抑える方が困難である。排外主義的なナショナリズムは、領土をめぐるコンフリクトや、自分の雇用とも直結する(とイメージされた)他国との経済競争の中では、放っておいても高まってくる。むしろ政権の狙いを超えてナショナリズムが暴走し、外交の選択肢が制約されることが最悪のシナリオである。

亢進したナショナリズムは、政府が自由にコントロールできるほど甘いものではない。その意味では、ナショナリズムが高まっている現在だからこそ、学校教育にはあえて制御用の解毒剤を仕込んでおく方が、保守主義としても賢いやり方だろう。そうしない限り、教育のグローバル化というもう一つの目標とも齟齬をきたすことになる。

むしろ真に心配すべきは、第三の特徴の点、つまり道徳教育やグローバル化教育に比して、(2)の平等な教育機会の保障に関する政策があまりに貧弱だという点である。就学援助制度や奨学金制度の充実が挙げられているが、奨学金が重い借金となり若者を苦しめるものなのか、他の政党のように返済の必要ない給付型で就学の機会を開くものかで、対極の制度になる。幼児教育の段階的無償化は望ましいが、親の就労環境が悪化する中で、リスクは学齢期を通して生起している。

幼少期・学齢期のリスクが累積・拡大すると、容易に挽回の効かない形で、進学や就職の機会を制約することになる。この機会の不平等の生成メカニズムはかなり強固であるため、中途半端な取り組みでは改善できない。ここでこそ「たくましさ」を見せる必要があるのではないか。格差の拡大は、それ自体、健康の悪化や犯罪率の上昇という形で社会を引き裂いていくが(R・ウィルキンソン&K・ピケット訳書2010『平等社会』東洋経済新報社)、本来保守主義は、この事態をこそ恐れ闘うべきだから。

かつての自民党は、自らの中に極右から社会党に近い存在まで揃えていた。「たくましさ」と「誇り高さ」だけなく、「やさしさ」や「賢さ」もそこに含まれていた。派閥間の争いは醜かったが、同時にそれが小規模な政権交代の機能も果たした。清濁併呑するその幅広さこそが、戦後長らく続いた自民の無双状態を作り出していた。

今の自民党にそれを期待するのは難しいかもしれない。たくましさ:やさしさ:誇り高さが4:1:3の自民党――。「やさしさ」をもってくれとは言わないまでも、せめて「賢さ」を、(経済政策以外でも)発揮することを期待したい。子育て・教育は夢想的なナショナリストのおもちゃではなく、個人と社会にとってはリアルに未来の選択肢集合を作るものだから。

■公明党:自公政権の「やさしさ」担当

個々では問題だらけに見えても、コンビだと大きな力を発揮することがある。2000年代以降の自民党にとっての公明党は、そのような存在だったのではないか。

自公連立政権と言われるが、選挙公約を見てみると、この二つがよく連立していると思うほど差異は大きい。自民の成分としては小さかった「やさしさ」は、公明党が一手に担当しているかのようだ。

公明党は、選挙公約の大項目の中で、「教育」を社会保障と並んで3番目に位置付けている。これは全政党の中で、もっとも上位の位置である。

例えば、(1)「子育て支援」について。待機児童を5年以内に解消し、幼児教育を無償化するという点は、自民の公約と歩調を合わせている。だがその手段として、認可外保育施設を認可施設に移行するための財政支援や、保育士の待遇改善にまで踏み込んでいるのは、問題のありかを的確にとらえている。育児休業についても両性の問題として捉えているし、個人だけではなく企業への働きかけも見られる。

自民最大の弱点とした(2)「平等な教育機会保障」については、期待したほど多くの事が書かれているわけではないが、給付型奨学金の創設は明記されている。この「給付型」の一字があるか否かが決定的に大きいのだ。

(5)「子どもの安全」のいじめ対策についても、自民が好きな厳罰化などのしばき系ではなく、スクールカウンセラーや児童支援専任教諭等の常時配置など、よりケア的なアプローチを採用している。

(10)の就業支援については、求職者支援制度の訓練メニューの拡大、非正規労働者の正規労働者への転換支援、ブラック企業対策などを一通りそろえている。さらに若者雇用対策として、就活時期の後ろ倒し、インターン・資格取得などを通したキャリア形成支援などを挙げているが、これは、内閣府が今年5月に出した「我が国の若者・女性の活躍促進のための提言」と重複しており、現政権での若年雇用対策は公明党の役割が大きいことを示す。

このほか、(9)で障がい児のための特別支援教育の充実や教科書のバリアフリー化、さらに障害者権利条約の批准の推進まで掲げている点は、多くの政党が障がい児に対する言及すらない中で、ポイントが高い。

自民が触れていない部分を、公明がカバーしているという構図である。実際に、小泉政権下の社会保障の削減圧力の中でも、若干の給付の増加が見られる時には公明党が関わっていたケースが多い。例えば、2000年代の児童手当の拡充はその一つである。

このような公明党に対する評価は意外なところからも得られている。反貧困運動の中心となり、派遣村などを通じて2009年の政権交代の機運形成の一翼も担った「反貧困ネットワーク」の中心メンバーが、今回の各政党のマニフェストを採点しているが(「反貧困ネットワークメンバーが見る公約/マニフェスト採点表」2013年7月4日 http://antipoverty-network.org/archives/1897)、そこでは採点者9名のうち、湯浅誠氏も含めた4名が公明党に最高点を与えていた。当初は意外な結果だと思ったが、社会権保障を重視する立場として、ありえない選択ではない。


このような個別の政策パッケージとしては高い評価を受ける公明党の公約の最大の問題は、自民党との連立政権の中でそれをどこまで実現できるのかという疑念を生む点にある。社会権保障を実現していくためなら、むしろ同様の方向性を掲げた諸政党と広域連合を結成する方が、筋としてすっきりしそうなものである。社会権への感性としては対極にある自民と組むことに、論理的/倫理的にいかなる整合性をつけているのだろうか。また例えば、今回の公約では、(2)高校無償化に触れられていないが、それも自民党との歩調を合わせるために、自らの立場を捻じ曲げてはいないか――この種の疑念が際限なくわいてくる。


いずれにせよ、この奇妙な政治的バランスの中で、良くも悪くも現在の社会保障の形は成立している。もし、自民が公明と連立をやめ、みんなの党や維新の会と手を結んだとしたら、小泉政権下とは比にならないほどの変化が生じる恐れがある。どこが第一党になるかという問題以上に、自民がどこと結ぶかということも、当面は重要な論点となるだろう。

■みんなの党:「みんな」って誰?

言葉の選択をめぐる心理的メカニズムとは面白いもので、自分を表現する上で、正反対の言葉を選ぶことがある。抑圧なのか否認なのか防衛機制なのか――。「みんな」という社会連帯や共同体主義を想起させる言葉が、日本で最もネオリベラルな党によって採用されている事態も、なかなか趣深いものである。

とにかくぶれない。

(1)「子育て支援」の待機児童対策は、株式会社を含めた保育所の設置基準の緩和、保育士要件の規制緩和、保育バウチャー制の導入など、規制緩和と準市場化のオンパレードである。少子化対策については、子どもが多いほど税制優遇や給付を手厚くするなど、分かりやすいインセンティブを与える。合理的選択に光あれ。これと同時に、不妊治療、新生児・幼児医療、子育てと仕事の両立支援などにも、比較的積極的に取り組んでいる。少子化を止め、長期的な消費者/労働者人口を維持するということには、経済的な合理性もあるからだ。

学校教育政策でも、徹底的な自由と競争が基本線である。まず目を引くのが、(3)小学校・中学校・高等学校等の枠を自由化し、習熟度型単位制にして、大学入学の飛び級を選択できるという項目である。さらに、(6)教育行政においても国の役割は最小限にし、市町村や現場の学校に大きな裁量権を与えようとする。教育委員会の設置の有無も自治体判断となる。

経済活動に寄与する教育を求める点でも一貫している。(3)全員に教えるべきは、どのような職業にも役立つ基礎学力や人間関係形成力、日本人としての教養だけであり、その上で、「産業界のニーズを踏まえた職業教育やビジネス教育、お金の教育」を行っていく。(8)大学改革の方向も、国立大学などの民営化の方向と、グローバル化の方向とが同時に掲げられる。

自分たちが何を行うか、どんな支持者を求めているかについて、極めて明快である。よって、(2)「平等な教育機会の保障」が全く不在なことは、指摘するだけ野暮だろう。自民に対してはその指摘は有意味だが、みんなの党に対しては何の意味ももたない。

一点、追記するとしたら、規制緩和と競争の有効な範囲についてである。通常の商品は、競争によって質が低いものは市場から退出する。しかし保育所や学校にもそのメタファーは通用するのか。質が悪い保育所や学校は、事故が起こったり進学率が悪くなって、いずれ淘汰されるだろう。しかしそこに通う子どもにとって、一度きりの出来事である。際限のない試行の中でやがて悪貨が駆逐されるというプロセスに、子どもの育ちを委ねることはできない。これについては多くの研究がある。ここから、教育においては簡単に規制を緩和するのでなく、全ての保育・教育機関に一定水準以上の質を保障するべきという論点が生じてくる。ここに、前述のような親の階層による子どもの進学機会の不平等という論点も絡んでくるなら、なおさらである。

自由な競争の前提には、それを可能にするための公的な保障が不可欠である。この点を認めるか、認めたとしてどこまでを必要な条件整備とするかで、みんなの党が体現する政策への支持は変わってくる。

■生活の党:安心のまったり感

生活の党には小沢氏のイメージが強烈に付きまとう。だが子育て・教育政策の特徴としては、かつての民主党が有していた社会権保障のスタンスの一端を、ゆるく継承したものと言えるだろう。

特徴的なのは、(1)子育て支援の領域である。「中学卒業まで子ども一人当たり年間31万2千円の手当を支給」という目玉政策は、かつての子ども手当を彷彿とさせる。ただバラマキ批判を踏まえて、相当部分を「子育て応援券」(バウチャー)にするという点に、改善の跡が見られる。その一方で、待機児童の解消という現物給付に関して、具体的な提案が書かれていないのは物足りない。

そのほかの項目については、社会権保障の感覚に裏打ちされていつつ、(悪い意味ではなく)派手さのないものが多い。(2)「平等な教育機会の保障」では、高校無償化の堅持・私学への拡張や給付付き奨学金の創設が掲げられている。(3)「学級」については、義務教育における35人学級が目指され、(5)いじめ対策は「いじめ防止対策推進法」が言及されているのみである。

(8)大学や研究については、社会人入学の奨励、大学自治の尊重、国際化を通じて「ノーベル賞級の人材を育成」が掲げられている。そして、(10)「就労支援」については、非正規労働者の正規労働者化やワークシェアリングが掲げられている。その一方で、「若年の正規労働者化」を緊急課題としつつ、具体的な言明はない。

全体として、「子育て応援券」のほかは、とりわけ目立つところがない。だが、この党の公約の最大の強みは、「少なくとも変なことはしない」という安心感にある。実際これは重要な点で、思いつきで「改革」されることが多い教育領域において、的を外した改革なら、何もしない方が混乱もなくてよい、ということは往々にしてある。

また地味と言っても、ここに挙げられている「子育て応援券」、高校無償化の拡大、給付付き奨学金の創設、35人学級だけでも実現できたとしたら、その効果はかなり大きい。財政的裏付けのないまま大風呂敷を広げる前に、これらの政策のみを厳選して前面に出したものだとしたら、その政治的センスは悪くない。

■日本共産党:無謬性は強みか弱点か

共産党の選挙公約は、なかなか評価が難しい。

まず公約は、大きな5つの項目と、46の各分野政策に分かれている。このうち大きな5つの項目には教育はほとんど出てこない。「憲法と子どもの権利条約を教育に生かす」という文脈で登場するだけである。これに対し、46の各分野政策では、5保育、7子どもの貧困、26障害者・障害児、29子ども・子育て、30若い世代、33教育、34大学改革・科学・技術などで言及が行われている。

しかも、ホームページ上にある46の各分野政策は、それぞれ長大な論考となっている(志位さんはこれがすべて頭に入っているのだろうか)。社会権保障を擁護する立場からすると、重厚かつ非常に隙のない議論が展開されており、内容だけで見るなら、満点をつけざるを得ない。

だが明らかに、他の選挙公約/マニフェストとは、テキストとしての種類が異なる。公約というより、誰にも論破されないように完璧に構築された規範論的な論文を読んでいるようである。自民党とは別の意味でマッチョな気がする。それぞれのテーマにおいても、提案されている政策は非常に多い。

それらを貫くポイントは二つある。第一に、国の責任で公的保障を行うということ。様々な問題は、サービスを支える人や設備、お金が不足していることに起因することが多く、それを公的に保障することで、様々な問題が解決されるというものである。第二に、民主主義の深化である。国の管理・統制を批判し、地域、学校/教師、親、子どもの自律性の拡大が肯定される。つまり、社会権保障と民主主義という現代の規範論における二つの大きな価値に軸足を置くことによって、そこからずれる部分は確実に批判でき、よりよい改善策を提示できるという無双の議論が可能になっている。

だがその代償として、素人目にも分かるほど、膨大なコストがかかるということになる。以下、筆者の目に入ったコストがかかりそうな項目について挙げてみよう。ここに挙げたものだけでトータルでどれくらいの予算が必要なのだろうか。

(1)「子育て支援」:妊婦健診の充実、出産育児一時金を大幅に増額、休業中の所得保障・社会保険料免除、若い世代への公共住宅の建設や「借り上げ」公営住宅制度、家賃補助制度、生活資金貸与制度などの支援、国の責任で当面3年間30万人分の認可保育所を新・増設、国の責任で自治体の財政的負担を軽減、利用料補助の創設、幼稚園授業料・保育所の保育料の引き下げ、一定の基準を満たした無認可保育所に通わせている家庭への保育料助成制度、保育士の正規雇用化、賃金・労働条件の改善による保育士の確保、児童手当の拡充・期間延長、小児科・救急医療体制の確立、学童保育の拡充、義務教育段階の家計負担の解消、子どもの医療費無料化、児童相談所の増設、職員の抜本的な増員と専門性向上のための研修の充実、一時保護施設や児童福祉施設の整備増設、設備や職員配置の改善、虐待を受けた子どもへの専門的なケア、親に対する経済的・心理/医療的・福祉的な支援

(2)「平等な教育機会の保障」:就学援助の拡充、児童扶養手当削減の撤回、児童手当の拡充・期間延長、安価で良質な公共住宅を供給、ひとり親家庭の就業支援、年収400万円以下の世帯への大学の学費免除、私立高校の授業料無償化をめざすとともに、公立に通う低所得世帯に対する制服代・交通費・修学旅行費の支援制度をつくる、すべての学校の教育条件の向上

(3)「学力」:「35人学級」を早急に完成

(4)「教師の自律性」:公立学校の非正規教員の正規化

(5)「子どもの安全」:通学路の安全対策の拡充、学校耐震化、防災拠点としての整備をすすめる、養護教諭・カウンセラーの増員、「いじめ」問題の研修、「いじめ防止センター」(仮称)の設立、親の会・フリースクールなどの支援団体や家庭への公的支援をつよめる、ひきこもりとその家族を支える児童相談所・保健所・医療機関などの専門機関を拡充するとともに支援団体への助成をふやす

(8)「大学」:大学への公費支出の欧米並み引き上げ、高等教育の段階的無償化、国公立大学授業料の段階的引き下げ、私学助成の増額、各種学校・専門学校の負担軽減、国立大学の教育・研究をささえる基盤的経費を十分に確保、国立大学の教職員の給与減額を元に戻す、少人数教育の本格的な導入や勉学条件の充実のために大学予算を増やして教員の増員をはかり非常勤講師の劣悪な待遇を改善、基礎研究の支援、科学研究費補助金を大幅に増額、女性研究者の研究条件の改善

(9)「障がい児・マイノリティ」:特別支援学校や特別支援学級を拡充・教員の増加、児童発達支援センターの機能強化、入所施設における職員配置の充実、保育所等訪問支援事業の保護者負担をなくす、学校のバリアフリー化、在宅学習の保障、メンタルサポート・医療サポートの充実、外国人教育、夜間中学開設の推進

(10)「若者をはじめとする就労支援」:ひとり親家庭の就業支援、失業給付期間の延長、有給の職業訓練制度や訓練貸付制度を創設し訓練期間中の生活援助を抜本的に強化、効果のある公的就労事業の確立、家賃補助・公共住宅建設など若者の生活支援の強化

重複があったりコストがかからないものも含まれているかもしれない。ただ、他の政党に比べ、提案されている政策数の数は圧倒的に多い。予算については、(11)「世界最低の教育予算をOECD水準まで引き上げる」と述べられている。教育予算として支出されるべきものは、上記の(2)~(9)であるが、それらはOECD水準の教育予算で賄えるのだろうか。その試算は欲しかった。その財源についても同様で、教育のみならず、あらゆる領域でこの調子でお金がかかるのだとしたら、それらをいかなる形で捻出するのかについても、試算を見たい(出ているのかもしれないが)。

通常限られた財源の中で、政策を実行していくのだから、優先順位をつけることになる。また紙媒体のマニフェスト/選挙公約には物理的制限があるので、どこかで内容を切らなくてはならない。ところが共産党の選挙公約(各分野政策)においては、ホームページゆえに制約はなく、ハイパーリンクによって議論の細部が詰められ、無謬の議論が出来上がってくる。紙面という制限がないことと、財源の制限がないことが、重なって見えてくる。

野党としてなら大きな役割を発揮するだろう。だが、与党を担う構えはあるのだろうか。その時、どういう論理でどのような優先順位をつけていくのだろうか。都議選で大躍進し今回も善戦が予想されている共産党だが、一つの懸念点は、その議論の無謬性にこそある気がしている。

■みどりの風:他の色について

政治学者のハーバード・キッチェルトによると西欧における「緑」の環境政党は、再分配を志向する社会主義的政治と権威主義に対抗する自由主義的政治とが合成した地点にある。この左派自由主義を体現する有力な政党は日本に長らく存在しなかったが、原発事故以降、環境を正面に据える政党が登場することになった。みどりの風である。

ただ、子育て・教育政策に対しては、まだ十分に議論が成熟してないようにも思われる。


例えば、(1)「子育て支援」の待機児童対策について「多様な保育、幼児教育を支援(親と子どものための待機児童対策)」とだけ述べられているが、これはどういうことなのか。また、(2)「平等な教育機会」について、子どもの貧困対策推進を掲げる割には、給付型奨学金の導入しか書かれているのみで、それ以上の言及もない。


他にも、「子ども本位の人間力を引き出す」「地域とつながる学校の実現」「地域の自然や文化とふれ合う学校づくり」「民主主義の成熟のためのシチズンシップ教育の推進」などのキーワードが書かれているだけで、具体的な展望はないようである。(10)「若者支援」については、「初任給引き上げにより5年後の年収60万円アップ」や「地方での就労誘導策、田舎暮らし支援」「充実した就労体験を実現するギャップ・イヤーの制度化」などが挙げられておりそれぞれ興味深いものの、体系性を欠いている上、もう少し具体的な説明がないと判断しづらい状況である。


みどりの教育/子育てとはいかなるものなのか、今後、議論が深まっていくことを期待したい。

■社会民主党:意外な萌えポイントあり

社民党のキャッチフレーズは、「強い国よりやさしい社会」である。前述のように、自民はやさしさの成分が1だったが、ここは100%のようである。

基本的なコンセプトは共産党と似ている。主なポイントは、国の責任で保育・教育の人的・環境的な整備を図り、教育をめぐる貧困や格差を改善し、上からの統制・管理に対して教師や親・子どもの権利と権限を擁護するというものである。

では共産党との差異はどこにあるのだろうか。

まず提案されている項目数が2分の1以下に抑えられている(とはいえ十分多い)。

また、共産党よりも柔軟に思える点がある。例えば、(1)保育への株式会社の参入規制を緩和する「子ども・子育て関連法」に対して、共産党は「実施を許さない」という立場だったが、社民党は「実施にあたって保育・幼児教育の質の向上を求める」としている。これは実際に、待機児童が多く、認可保育所の迅速で大幅な増設が困難な中で、より現実的な判断をしたということだろう。同様に、認可外保育施設への支援や保育ママ制度の拡充など、今ある選択肢も活用するという割り切りが見られる。その一方で、「保育・教育施設の基準の欧米諸国並み水準への引き上げ」や「保育士、幼稚園教諭の処遇改善」といったより根本的な要求もなされている。

(2)教育機会の保障については、就学援助制度の拡大、給付型奨学金、私立学校も含めた中等教育の実質無償化、18歳以下の未就学者のための就学のための助成など、厚みのある政策を提言している。

そのほかにも、(3)少人数学級の実現、(4)教員の増加と自律性の強化、専門性の向上支援、(6)国家の介入を最小限にした地域や親主体の学校運営、(8)大学の将来的な無償化と奨学金の拡充、(9)障がいをもつ子どもに対するインクルーシブ教育など、左派政党として想定通りの政策が続いていく。また、(11)教育予算をGDP5%水準(OECD平均)に引き上げることが明記されているが、いかなる試算の下にあるのか知りたいと思ってしまう点も、共産党の公約に似ている。

一方で、社民党の個性が表れている部分もある。一つは、⑦子どもの権利を擁護する仕組みが前面に押し出されている点である。子どものための相談窓口や人権救済の仕組みの構築、「子どもの権利基本法」の創設、「子ども省」の創設が挙げられている。

もう一つは、(10)若者支援をめぐってである。若者に対する職業相談、職業教育、住居に関する制度の充実、ブラック企業対策、労働組合の周知と労働法教育、長期の有給教育休暇制度の創設などが並ぶ中で、意外にも「クールジャパン」とか言いだしちゃった箇所がある。冷静に読んでいくと、次のような文言となっている。

「日本が持つアニメ・漫画などのコンテンツ、伝統産業、商業デザイン、クリエーターの感性をいかした情報発信や海外展開など、中小零細企業を主導とした「クールジャパン」事業を拡大します。またクリエーターの賃金・労働条件の実態把握と雇用環境の改善に取り組み、離職者の再就職を支援します。」

これがどの程度、若者の就労支援として効果をもつのか不明だが、この辺のうっかり感を見せるあたりも、共産党と異なる点である。その評価は人によって分かれるだろうが、あえて「やさしさ」の一種だと捉えておきたい。

■日本維新の会:どこに向かうのか

さて、維新である。

今回の公約の大項目は、全て「~を賢く強くする」という語尾が統一されている。自民は「たくましさと誇り高さ」、社民は「やさしさ」だったのに対し、維新は「賢さと強さ」のようだ。もう少しで戦隊が組めそうである。

公約を見てまず気付くのは大項目に「教育」がないことだ。教育は「国家システムを賢く強くする」ためのものと位置付けられている。

方向性としては、一見すると、みんなの党の規制緩和・民営化のベクトルと、自民党のナショナリズム・権威主義のベクトルとを合成したものである。

例えば、(1)待機児童対策には、株式会社の新規参入の規制緩和や、競争を通じた「保育の質」の向上、保育バウチャー制度が挙げられている。また、(3)飛び級や留年などの能力に応じた進級制度の導入も、みんなの党に類似している。しかし、みんなの党は、規制緩和に言及する際にも「質の維持」を考慮したり、飛び級についても留年は取り上げないなど、慎重さと賢明さがあった。維新の会によるそれらの扱い方はきわめて粗っぽく、過剰である。

維新の会の最大の特徴は、教育の専門性・自律性に対する徹底的な否定にある。特に(4)「教師」や(6)「教育委員会」をめぐる記述に表れているが、例えば、教師の採用に関して、次のように教員免許すらも不要という立場をとっている。

「校長は民間企業などでマネジメント能力を培った人材を登用」「教員免許がなくても魅力的な教育を行える人材を教員として採用する権限を校長に認める」「外国語のコミュニケーション能力強化のため、幅広い層から教員を採用」

教員免許とは、教育内容はもとより、子どもとの接し方なども含めた様々な教育に関する知とスキルについて、十分な学習と実習をしたうえで得られるものである。その資格をもたずとも、民間企業でマネジメント経験があったり、英語が喋れたり、校長から見て「魅力的な教育」を行えれば教員になれるということは、教員免許のみならず、教育に関する知の専門性を完全に否定することである。これは新しい。だが、子どもとの接し方についても安全管理についても真摯に勉強したことも無く、民間企業の経験をそのまま学校に持ち込もうとする「教員」に、子どもを預けたいと考える親がどれほどいるのだろうか。その点が素朴に疑問である。

他者の自律性と専門性に対する無制約な否定――そこにあるのは他罰欲求とシニシズムであり、おそらく「賢さ」とは対極の位置にある。選挙公約を比較しながら読んでいくなかで感じるのは、この政党は、例えば自民党やみんなの党とは並列に扱えない、異なる水準のナニカだということだ。それが何かはわからない。よい悪いは抜きにして、この党への支持の変化は、社会の状態を計る指標としていまだ重要な位置にある。

サムネイル:「Shimmer」opopododo

http://www.flickr.com/photos/opopododo/6072905776

プロフィール

仁平典宏社会学

茨城県生まれ。現在、東京大学大学院教育学研究科准教授。社会学の観点から、社会保障、教育、NPO・ボランティアなどを研究している。主著『「ボランティア」の誕生と終焉――〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』(2011年、名古屋大学出版会)にて、日本社会学会第11回奨励賞、第13回損保ジャパン記念財団賞を受賞。他に『労働再審 ケア・協働・アンペイドワーク』(共編著、大月書店)、『平成史』(共著、河出書房新社)、『若者と貧困』(共編著、明石書店)など。

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