2014.03.03

「被曝を避ける権利」を求めて

河崎健一郎×荻上チキ

社会 #原発事故#震災復興#被曝を避ける権利

原発事故に伴う混乱の中で、法律の専門家が向き合ったものはなにか。「原発事故・子ども被災者支援法」の成立に携わった河崎弁護士と荻上チキが語りあう。電子マガジン「α-Synodos」143号より転載。(構成/山本菜々子)

「ここで逃げたら卑怯だ」

荻上 今回は、「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」(SAFLAN:サフラン)の共同代表をされている河崎弁護士にお話を伺いたいと思います。河崎さんとぼくは色々な仕事でかかわっていて、いつも明晰さとアクティブさに敬意を抱いています。「原発事故・子ども被災者支援法」(以下、「子ども被災者支援法」)の成立にも関わり、積極的にロビイング活動もされていますよね。震災以前は、どのような法律問題に取り組んでいたのでしょうか。

河崎 20代のころは経営コンサルティングの会社にいたこともあって、ビジネスサイドの仕事が中心でした。一方で、30代になり、弁護士登録した直後がちょうど「派遣村」の時期だったということもあって、生活困窮者の方々の支援活動などにも取り組んできました。いずれにせよ、原発問題とはあまり関係のない分野で仕事をしていましたね。

3.11があって、震災直後の3月末には医療支援団に同行して被災地に入りました。津波被災地の圧倒的な破壊を目の前にして、弁護士という仕事は無力だなと感じました。原発事故の被害については、その頃はまだ、良くわからない、ただ漠然とした不安は感じる、というが正直なところだったと思います。

本格的に原発事故の問題に関わるようになったのは、連休明けからです。たまたま福島市での法律相談会に弁護士として参加していたとき、小児科医の方が、被曝の健康影響について根拠を示しながら踏み込んだ発言をされていました。当時は、被曝の影響について確かなことを発言する人はほとんどいませんでしたから、専門家としてここまで踏み込んで発言して大丈夫なのかと思いました。でも、そこには言葉の強さがあって、周りの人たちからも専門家としての意見を求められていた。誰もが確かなものが分からない中で、リスクがありながらも、専門家として自分の見解を話すというのも、一つの知性の在り方なのかなと感じました。

その時、その場にいた子ども連れのお母さんに、「お医者さんはこれだけ踏み込んで言葉を発しているのに、弁護士の方はなにも言わないんですか」と言われ、その言葉が刺さったんです。弁護士はいわゆる専門職ですが、原発事故に伴う社会的混乱の中で、何の言葉も持ち合わせていないこと気付かされました。そこで、東京に戻ってからいろいろ調べてみました。

調べていく中で分かったのは、実際に健康影響がどこの水準で発生するのかという難しい議論は置いておいて、この国の放射線被曝の規制は年間1ミリシーベルトを基準に設計されていたということです。また、年間5ミリシーベルトを基準に放射線管理区域が設定され、労災の認定なども行われていることも知りました。

ご存知の通り、当時の福島市の線量はこの値を大きく超える水準でした。従来の法的基準に照らし合わせると、許容されないはずの状況だったのです。そうした状況にあって、特に子どもを持つ親たちから「どうしたらいいのかわからない。一時的にでもこの地を離れようにも手段がない。」と助けを求められたときに、科学論争の議論にすりかえて見て見ぬふりをするのは卑怯だ、と思ったんです。特に私は東京の人間ですから、自分たちの電力を作るために福島が受難したのだ、という負い目のような思いもありました。

確かなものが何なのかが不明瞭な中で、専門職の人間が発言を行うことにより背負うリスクはありますが、福島のお母さんやお父さんたちに寄り添う人もいた方がいいんじゃないかと思い、考えに共感してくれた子育て世代の法律家たちを中心に声をかけて、サフランを立ち上げました。

荻上 弁護士は、代理人的な役割を遂行する部分もありますが、弱者にコミットすることで、結果的に運動のプレイヤーになっていく人もいると思います。河崎さんの中ではどうでしたか。

河崎 当初は目の前の相談者の方に対して、何ができるのかだけを考えていました。弁護士は常にそこが入口だと思います。しかし、原発事故のような新しく、そして複雑な問題に向き合うと、私たちにはあまりにも武器がないことに気がつかされます。相談者の方々の直面する困難を解決するために適用できる既存の制度が少ないのです。

政府の指示によらない避難(いわゆる区域外避難、あるいは自主避難)の場合は特にそうで、金銭的にも続かない。最後には「生活保護という制度もありますよ」というしかありません。それも一定の資産があったら受け入れられません。たくさんのハードルがある中でどうするか考えたとき、社会の仕組み自体にアプローチしないといけないと思いはじめました。

荻上 避難したらいくらかの保障を得られるという制度にしたとしても、本人の喪失感、将来期待のロス、関連して発生する諸問題へのケアもふくめてザル状態だったわけですよね。だから、相手に一度寄り添って、法体系の穴を捜し、再構築をめざしてみたと。

河崎 今考えたらそうなのかもしれませんが、当時はそんな難しいことは考えていませんでした。福島の問題にかかわるようになったこと自体は、偶然の要素も強くて、もし、津波被災者の方々に深く関わる機会が早くにあれば、もっとそちらに強くコミットしていたかもしれません。

荻上 あの時以降の心理や言説って、ファーストコンタクトで、関わる方向もかなり定まったように思います。ぼくが最初に触れた言説は、たまたま「とにかく線量を計って考えよう」というもので、正確な測り方をシェアしようというものだった。何に関わって行くのかはけっこう偶発的な要因で決まっていくものだと思いますね。

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「子ども被災者支援法」

荻上 河崎さんが3.11以降に最初に着手した法律上の問題はなんですか。

河崎 一番初めにやったのは、法律上のことではなく、社会問題化です。今では「自主避難」や「区域外避難」という言葉を使われる方も多いのですが、私たちが関わりはじめた2011年の6月の段階では、いわゆる自主避難の問題はマスメディアでほとんど扱われていませんでした。政府が避難指示を出した区域の「外」の人たちも、放射線被曝の問題に悩んでいるということについての問題意識が社会の側になかったんです。

これを社会問題化するために、SAFLANの福田健治弁護士などが中心になって、区域外の方々411世帯の11億円ほどの賠償請求書をとりまとめて、東京電力に乗りこむというアクションをやりました。ちょうどその直前に、原子力損害賠償紛争審査会が、今回の原発事故の賠償基準について指針を作ったのですが、その指針の中でも区域外避難者に対する賠償はなかったんです。(文部科学省HP:東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/houkoku/__icsFiles/afieldfile/2011/08/17/1309452_1_2.pdf

それはあんまりだと、院内集会をやったり、審査会の個々の教授に働きかけを行って、その年の終りに中間指針追補を出させることに成功しました。(東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針追補(文部科学省HP:自主的避難等に係る損害について)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/houkoku/__icsFiles/afieldfile/2012/01/18/1315180_1.pdf)

福島市や郡山市、いわき市といった、中通りと浜通りの避難指示区域から漏れた残りの地域の人たちに関しても、一定の金額、大人8万円、子供と妊婦は40万円(のちに実際に避難した人には60万円)支払うということになりました。これは避難した人にも残っている人にも等しく支払うことになりました。総額は数百億円になったと思います。もっとも、これは最低限であって、相当因果関係がある損害については、これを上回る金額についても支払うという経産大臣と首相の国会答弁も引き出しました。

こうした活動は一定の成果だったのですが、長期にわたる低線量被曝と健康不安という問題自体は続いており、何ら解決しているわけではありませんでした。損害賠償というのはもともと、過去にすでに生じてしまった損害をどのように配分するか、という枠組みですから、現在進行形の問題を解決するのには、おのずと限界があるのです。

そこで、2012年の1月頃から立法運動に取り組み始めました。「避難する権利」の獲得運動です。人は、放射線被ばくについて適切な情報を与えられ、避難を選択した場合には必要な支援を受けることができる権利を有する、というのがその骨子です。

既に存在する法律に「避難する権利」が書かれているわけではないし、「避難する権利」を認めた判例があるわけでもない。しかし、家族の健康を維持し、子どもが安心して発達することができる環境を確保することは、人間の尊厳の根幹に関わる要求であり、国家はこれを最大限尊重するべき義務を負うのだと、私たちは主張しました。それは、まさに「人権」そのものではないかと。

そうして私たちは、当時の与野党に、「避難する権利」を定める実体法の提案をすることになります。当時、原発事故の被害者救済のために個別立法が必要だとする動きは、私たち以外にも幾つもありました。そうしたものが合流し、交じりあいながらできたのが「子ども被災者支援法」(東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H24/H24HO048.html)という法律になります。

荻上 「子ども被災者支援法」どういった法律なのでしょうか。

河崎 この法律はまず第1条で

「東北地方太平洋沖地震に伴う東京電力株式会社福島第一原子力発電所の事故により放出された放射性物質が広く拡散していること、当該放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないこと」

を前提にするとしています。これは、放射線が人の健康に及ぼす影響については、科学的に謙虚な立場に立つことを宣言したものです。政府は一貫して、低線量被曝の健康への影響について否定する方向で政策を行っていますから、まずその点で政府の立場と距離を置く前提に立っているといえます。

そして、基本理念を定めた第2条の第2項で

「被災者生活支援等施策は、被災者一人一人が第八条第一項の支援対象地域における居住、他の地域への移動及び移動前の地域への帰還についての選択を自らの意思によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない。」

としています。これは、被災地に残る、避難する、戻る、そのいずれの選択も等しく認めよう、という自己決定権の擁護を宣言したもので、私たちの求める「避難する権利」の実現への第一歩を踏み出したものと、評価できます。

もっとも、法律家の目から見ると曖昧な条文ではあるんです。定め方が抽象的なんですね。ですが、一歩目がなければ二歩目もありません。

区域外からの避難者には二つの大きな壁がありました。避難に伴う経済的な問題と、避難しようとすることを白眼視する世間の目です。避難した人の中には、周囲の友人にも知らせずに、夜逃げするように出てきた人も多くおられます。「がんばろう日本、がんばろう福島」という強力な同調圧力が働いていた。そんな中で、この法律は、「いろんな選択があり得るんだよ、どれを選択しても支援の対象となるんだよ」と宣言したわけです。社会のありようについて法律という形で表現するのは社会設計の一つの方法だと思うので、この文章を入れられたのはすごく良いと思うんです。

荻上 自己決定を援助することを明記したということですね。他のポイントはありますか。

河崎 第13条のところで、被災者への定期的な健康診断や、特に子どもや妊婦については生涯無料で健康診断をやる、と定めています。そしてもし疾病などが生じた場合には、医療費を減免すると定めています。また、第5条に

「政府は、第二条の基本理念にのっとり、被災者生活支援等施策の推進に関する基本的な方針を定めなければならない。」

としています。これが基本方針の規定ですね。どの地域を対象にするのか、具体的にどんな支援策を講じるのかなどは、すべてこの基本方針で決めることになると。主語が「政府は」と書いてありますから、閣議で決定をするということになります。

この法律が成立したのは良いんですが、なんと、その後1年間以上放置されました。しびれを切らした被災者が国の不作為を問う訴訟を提起し、それに押される形でやっと、基本方針が出されました(復興庁「被災者生活支援等施策の推進に関する基本的な方針」http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat8/sub-cat8-1/20131011_betten1_houshin.pdf)。

もっとも、待ち望んだ末に出された基本方針の内容は、ボロボロでした。

荻上 どのようにボロボロだったんですか?

河崎 まず、対象になる地域が狭すぎます。基本方針では対象地域を、福島県内の浜通りの一部地域と、中通りだけに限ってしまいました。これは当初想定よりはるかに狭くなってしまったんですね。閣議決定した際の内閣の一員である森雅子大臣は、この法案の共同提案者の一人でもありますが、法律を通した時には参議院の復興特別委員会で質疑に立って、「福島県内全域を含み、県外のいわゆるホットスポットも含む」と答弁していたんですね。それが大幅に後退してしまった。

また、支援施策の内容を見ても、すでに実施されているものを寄せ集めたのがほとんどで、この法律に基づいて新しく実施されることになった支援策というのはほとんどないのです。なかでも、避難者向けの施策の欠如は目を覆うばかりです。また、法律では国の責任で健診医療をするとなっているのに、具体的な検討は進んでおらず、有識者会議を設置する形でお茶が濁されています。

全国から寄せられた5000件を超えるパブリックコメントが完全に無視されたのは残念なことですし、加えて全国で数十の自治体議会や首長さんが、支援法に関する具体的な要請を行ったことにたいしても、全く無視されたことは、被災者軽視と言わざるを得ません。

一番大きな問題は、被害当事者が政策決定に全く参加できていないことです。結局、復興庁や厚労省など密室の中で物事を決めていて、その過程に形式的にすら参加していないんです。

荻上 訴訟によってやっと重い腰を上げたと思ったら、出てきたものは必ずしも十分とは言えなかったと。河崎さんの活動を拝見していると、最初は「避難の権利」と言っていたのを、後に「被曝を避ける権利」と表現を変えましたよね。その理由はどこにあるのでしょうか。

河崎 最初は、主に避難をしている人や避難を考えている人々から相談を受けていて、その人達に対してなんらかの権利性を言えないかと考えたとき「避難の権利」という言葉が出てきました。最初に言い出したのはSAFLANの福田健治弁護士で、2011年の7月頃のことだったと思います。居住する権利があることはいわずもがなで、言及もしていませんでした。この時は「権利」に重点があたっていたわけです。

荻上 居住の権利は認められていることは前提としても、どちらかを重要だというわけではなく、同等に避難の権利を認めろということですね。

河崎 そうですね。ですが、実際には避難をすることだけを支援すれば良いわけではありません。避難者を苦しめているのは、同調圧力や周囲の無理解と、そこで生まれる断絶です。属していた社会から追い出される恐怖なんですね。避難者と、居住者の間に対立が生じる概念では、誰も救われないと考えました。居住している人も避難している人も包摂する概念を考えたとき、「被曝を避ける」点は共通しうるわけです。

最近では、社会学者の山下祐介さんは、富岡子ども未来ネットワークの市村高志さんらとの議論の中で、「生活内避難」という概念を提示しています。その地で留まっていても、食べ物に気をつかったり、移動を徒歩から乗り物に変えたり、生活の中で避難している。そういう意味で、みんな避難者なんだと。ただ、生活内避難なのか、物理的避難なのかの違いなんだと。だから、両方とも「避難」という言葉で語れるんじゃないかと彼は言っています。これは重要な指摘で、私たちの言う「被曝を避ける権利」と共通する議論だと感じています。

パラダイムシフト

荻上 支援の方法として、まず経済的な支援があると思いますが、他にはどのような策があるのでしょうか。

河崎 政策課題として必要な点が3つあると思っています。「からだ」の問題、「くらし」の問題、「こころ」の問題です。

まずは「からだ」の問題ですが、東日本の広い範囲を対象に、希望者に対する健康診断を提供することが必要です。被曝のリスクを踏まえた健康診断を、お医者さんがきちんとした体制でやり、その情報を集積するような健康診断をして欲しい。手当てをする必要があるなら、早めに手当てをする。国が責任を持ってやる姿勢を明確にしてほしいですね。国は、年間一ミリシーベルト以上の放射線被曝を基準に、除染の対象地区を定めています。汚染状況重点調査地域といいますが、これはたとえば栃木県や群馬県、茨城県などの相当部分や、千葉県の野田市や、埼玉県の三郷市なども含まれています。少なくともこうした地域の方には、健康診断の機会を提供すべきです。

「くらし」の問題についてですが、避難した方は住居の問題を解決しなければなりません。区域外からの避難者の多くの方は、現状では「災害救助法」の枠組みで、いわゆる「みなし仮設」住宅に身を寄せています。期限がもともとは2年でしたが、今は延長されて、4年になっています。4年ということは、来年ですよね。避難している人達は住居が無料だから、避難できている部分があります。元の家のローンを払っていたりするわけです。ですから援助が打ち切られると、事実上みんな強制帰還にならざるを得ない。これは大きな問題です。

「こころ」の問題は、分断をどう乗り越えて、コミュニティーをどう再形成していくか。それぞれの選択を国がちゃんと認めるというメッセージを、支援法以外にも国や自治体が発信していくことがキーになってくると思います。

荻上 南相馬で活動しているお医者さんに取材したときには、義務教育の身体測定の一環として、診断をし続けていくといったことが必要だろうと。適切に測り、他の地域と、疫学的にどういう違いがあるのかを調べていく必要がある。でもお医者さんが注意深く語るのは、マクロはマクロとして重要だけれど、一人ひとりの不安や状態に寄り添うことが第一だと。

難しいのは、微妙な範囲の誤差の話です。疫学的に確かなことは言えないけれど、実際に腫瘍が見つかったという人たちは、とてもモヤモヤする。被曝が原因だという確定がない。そこについてはどう思いますか。

河崎 個別の因果関係の証明なんて不可能ですよ。サイエンスの問題とポリシーの問題は区分すべきだ、というのが私の考えです。サイエンスの分野では議論を積み重ねればよいと思いますが、それと社会が被曝の問題をどう包摂するかというのはまったく別のレイヤーの問題です。社会のポリシーの問題ですよね。国策として原子力政策を推進してきた結果の被害者なのですから、制度としては幅広な救済を志向すべきだと思いますね。

この点については、「子ども被災者支援法」では、被災者の範囲に入る人に疾病があった場合に、原則としてすべて医療助成の対象にすると定めました。第13条が、

「国は、被災者たる子ども及び妊婦が医療(東京電力原子力事故に係る放射線による被曝に起因しない負傷又は疾病に係る医療を除いたものをいう。)を受けたときに負担すべき費用についてその負担を減免するために必要な施策その他被災者への医療の提供に係る必要な施策を講ずるものとする」

という個所です。原則は国が負担することになっており、カッコ書きで「東京電力原子力事故に係る放射線による被曝に起因しない負傷又は疾病に係る医療を除いたものをいう。」と書いています。

法律的な読み方をすると、本文に書いてあるのが原則で、カッコ書きの中は例外なんです。ですから、カッコ書きの中を主張するためには、例外を主張する側、つまり国の側が立証しなければいけないと。立証責任を転換したんです。救われない人が出ないように、広い医療範囲になっています。

荻上 手広く網をかけてケアしていくことと、そのためにも診断などでしっかり測定していくという軸は非常に重要だと思います。当事者にとっては、「腫瘍が見つかった」で終わりではない。そこから医師とともに、治療を行っていくわけです。「見つかるか否か」といった「数」の話ももちろん重要ですが、様々な当事者のための「その先」の制度を整備しておくことも重要です。「見つかる/見つからない」は、ネット上ではそれぞれの立場の陣営同士の綱引きのようにみえる場面もたまにありますが、科学的には決着がつかなかろうが、当事者の不安を排除しないで済む制度はどうすべきかという議題については、別の軸で合意形成できるんじゃないかと思います。

今の日本の法制労働省の基本的な考え方は、病気になったら申請をして、「あなたは何点」と採点をし、ランクをつけていくという発想になっています。窓口申請主義で、今の病状を評価してグレードをつけていく。

ですが、ALSのような進行性の病気もあります。動かなくなってから評価され、それに見合ったリハビリや介護を受けるのではラグが出ることもあります。それに、動かなくなる前にリハビリをしたり介護の人と面通しをしたりすることで、進行を遅らせることも、スムーズな対応ができることもある。病気の進行を未然に防ぐことと、進行した時にもあらかじめ備えておくこと。ライフコースに合わせた福祉の在り方を、制度化していかなければいけないだろうというのは、他の障害問題でも常に感じていました。

「子ども被災者支援法」では、福島の被曝者に対して、問題化する前に法律をつくっておきましょうというスタンスですね。こういう「事前の話」がとても大事だと思います。病気になる前の段階から健康診断をしていこう。進行する前にしっかり手を打とう。被曝の性質を抜きにしても、単体の議論として非常に合理的で重要なポイントだと思うわけです。

河崎 よく、甲状腺がんが見つかったから健康影響があったじゃないかという意見に対して、検査をしたことで早期発見にいたったといういわゆる「スクリーニング効果」が働いていたからだという議論がありますよね。ぼくはスクリーニング効果があるというのは、悪いことではないと思うんですね。実際、検査のおかげで、甲状腺がんの早期発見ができたんですよね。その人達は治療や対応をすることができる。原発事故の影響が懸念される人たち、少なくとも、先に挙げた汚染状況重点調査地域の人々は全員受けられるようにした方がいいと思っています。そこで発見される疾病の中にはもしかしたら被曝と関係のない疾病も含まれるかもしれませんが、病気の進行が抑えられて、副次的に医療費の増加が抑えられたら、それはその個人にも、国家にとっても良いことですよね。

荻上 法律ができたので、それをどう生かすのかが問われてくるフェイズだと思いますが、いかがですか。

河崎 それが、先程も指摘したように、この法律は空文化している部分があるんです。この法律は実定法として弱いんです。罰則規定もなければ、何年何月までに何をやるということが書いていません。もう一回この法律を改正するか、理念法にして具体化立法しなければいけないのですが、その段階までは行っていません。

被曝と貧困と

荻上 子どもの被曝量を計っているお医者さんの方を取材した際、たとえば貧困等と被曝の相関が出てしまう可能性について議論をしたことがあります。情報を発信し、制度を整えても、そこにコンタクトしがたい人たちもいるんじゃないか、ということですね。その結果として健康被害が出てしまった場合、「気遣わなかった結果だ」と自己責任化されてしまうような言説が飛びかうんじゃないか。一方で、そうしたことを防ぐ議論をするのではなく、「それみたことか」と言って、別の運動に利用する人も出てきてカオスなことになるんじゃないか。そういう可能性への「議論の備え」も必要なのかなと思っていますがいかがですか。

河崎 これはすごく難しい問題です。「被曝を避ける権利」や「自己決定」を強調しても、すくいきれない部分があることを示しています。今のような話を聞いて、「じゃあ、社会がみんなを強制的に避難させるべきじゃないか」とパターナリスティックに介入する意見が強くなる可能性がありますよね。

荻上 ぼく自身は「強制避難」論には反対です。彼らの「タメ」としての地脈や人脈だったりするわけです。孤立を促してしまううえに、認知症の進行や生活習慣病など、被曝以外の健康リスクも軽視できません。そもそも、一人ひとりの意向を無視して、大くくりに議論をしてしまっている。

河崎 私も同意見です。私たちが「避難の権利」と言って「避難の義務」と言わないのは、その点です。強制避難というのは、財産権侵害、人格権侵害の典型的な局面です。よほどのことがないと正当化しえない。そのよほどのことが起こっているのが今回の原発事故であるということを割り引いても、まず考えるべきは自己決定権の擁護、つまり居住することも、避難することも等しく選択できる環境の整備であると考えています。

チキさんが指摘するタメの喪失は、実際に、強制避難の対象となった川内村で起きています。今は「帰村宣言」をして、若い人たちは元の村に戻っていますが、仮設住宅に取り残されている人もいる。今でも数百人の方が郡山近くの仮設に住んでおられると聞いています。昨年末には、その仮設住宅の人々が、食うにもこまるほどの貧困で年を越せない、との救援要請が飛び交いました。震災から三年経といういま、仮設で貧困の問題が顕在化してきている。仮設住宅に残っている人たちの多くは、高齢であったり、障害を抱えていたり、タメが少なく、社会的支援が少ない人びとです。強制避難でつながりが断ち切られ、戻るに戻れない。

荻上 仮設住宅の「スラム化」が進んでしまっています。なぜ仮設住宅に住み続けるのかを考えれば分かる。貯金や仕事、そのほかの「タメ」があれば、仮設で暮らさない選択肢もありえたかもしれない。もともと障害を持っていたり、シングルマザーだったり、生活がギリギリだった人が、震災後さらなる追い打ちを食らってしまった構図だと思います。

「風評被害」って何だろう

河崎 私は今、風評被害についてももう一度整理すべきではないかと思っています。「風評被害」という言葉は定義されていないし、多様に使われてきました。また、この言葉のせいで分断がより煽られてきました。

一つの整理のために、役に立つと思うのは、文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会での定義です(文部科学省HP:東京電力株式会社福島第一、第二原子力発電所事故による原子力損害の範囲の判定等に関する中間指針 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/016/houkoku/__icsFiles/afieldfile/2011/08/17/1309452_1_2.pdf )。この中では、「風評被害」について、

「報道等により広く知らされた事実によって、商品又はサービスに関する放射性物質による汚染の危険性を懸念した消費者または取引先により当該商品又はサービスの買い控え、取引停止等をされたために生じた被害を意味するものとする」

としています。具体的には、その忌避行動が「合理平均的・一般的な人を基準として合理性を有していると認められる場合」を想定して賠償が行われています。ここには備考があって、

「いわゆる風評被害という表現は、人によって様々な意味に解釈されており、放射性物質等による危険が全くないのに消費者や取引先が危険性を心配して商品やサービスの購入・取引を回避する不安心理に起因する損害という意味で使われることもある。しかしながら、少なくとも本件事故のような原子力事故に関していえば、むしろ必ずしも科学的に明確でない放射性物質による汚染の危険を回避するための市場の拒絶反応によるものと考えるべきであり、したがって、このような回避行動が合理的といえる場合には、賠償の対象となる。

となっています。これが風評被害についての文科省の審査会の見解なんです。

たとえば、避難区域外の南相馬で生鮮食品を加工している会社があって、震災後に全く売れなくなったという場合、風評被害の枠組みで賠償するということになります。

荻上 かなり幅広い範囲をカバーしていると。

河崎 そうです。また、「合理平均的・一般的な人」を基準にしているのも注目すべき点ですね。放射性物質に関する健康被害に関してよく分からない現状では、忌避行動をとることが、平均的・一般的な人として不合理でないと政府は公式に言っているわけです。それを前提に、賠償の枠組みを作ろうと。

「風評被害は悪だ」とよく言われていますが、ここでは、一般的な人の合理的な行動だと少なくとも文科相は認めていて、それに基づいて賠償金も払うことになっています。食材などの忌避行動に対して、「風評被害をあおるな」と脊髄反射的に叩こうとする人がネット上などに多くいますが、ちょっと待ってくれと。

というのも、「風評被害」という問題の立て方をすると、「被害」に対しての「加害」というのがどうしても必要になるんですね。「誰が加害者か」という議論がどうしても出てきてしまいます。これが良くない。

忌避行動といっても、たとえば、多くの子どもを持つ親は、被曝の健康影響についてまだ分かっていないから、少なくとも子どもには線量の高い可能性のある食品を出すのは止めようとして、忌避行動をとっていたと思うんです。そのこと自体を、「お前は加害者だ」というように叩いても、何も生まれません。かえって対立と分断が加速します。

荻上 ぼくが会った生産者や市場関係者は、そのあたりの気持ちに理解を示す人ばかりでした。避けられてしまうことはしょうがない。だからといって、指をくわえてみているわけではない。少しでも「風評被害」が減速するために、自分達で努力をし、計測し、積極的に情報を出そうとしています。被害者であると同時に、プレイヤーであることに自覚を持っている。その過程では、根拠なき否定に対して、「それは風評被害です」と応答することもありますし、言論として必要でしょう。

難しいところは、避ける時期が終わる速度と、消費が追いつくのとが必ずしも同じではないことです。たとえば、食品加工の市場だと、一回離れてしまった店舗が、別のルートで既に商品確保しています。その奪われたパイプを全部取り戻せるのか。その分をどう取り戻すのか。風評被害に対して闘うというスタンスが、スローガンのように残っているというのは有効だと思います。

河崎 子どもを連れて山形に自主避難された中村美紀さんという女性がいて、避難先で「山形避難者母の会」を立ち上げ、ママ友のコミュニティーをつくっているんです。彼女が「みんな、自分の大切なものを守ろうとしているだけなんだ」と言っていた言葉がとても印象に残っています。避難している人達も自分の子どもや大切なものを守りたいと思っているし、生産者の方も自分たちが親から受け継いだ畑や田んぼを守りたいと思っている。みんな、自分の大切なものを守ろうとしているだけなのに、なぜこんなに対立してしまうのかという問題の立て方をしていて、素晴らしい切り口だと私は思いました。

これは、単純にどちらかの視点に立てばいいという話ではありません。どこでその分断が生じているのか丁寧に見ていく必要があります。私たちの活動も、「避難する権利」から「被曝を避ける権利」に変わっていったたように、多くの人が同意できるような言葉作りをしていくのもその一つです。細かな分断を一個一個丁寧に見て行って、上手く言葉を繋げていけたらと思います。

荻上 叩きあいをするのではなく、一つ一つの論点にどんなソリューションを出せば対立が中和されるのか。声なき多数に対して、どう合意をとっていくのか、模索していくことが必要ですね。311以降、いろいろな立場に分かれましたが、「登ってしまった山」からいかに歩み寄るのか、その舞台を用意する時期に来ているんじゃないかと思います。

知的な誠実さ

荻上 今後の課題などはありますか。

河崎 民主党時代は、政策形成に市民団体の意見を生かそうという姿勢がありました。政権交代後は残念ながらそういった姿勢は後退しつつあるように感じています。

荻上 なるほど。自民党内で意見を持っている人が少ないような、比較的新しいテーマだったら、おそらくは可能かもしれませんね。しかし、原発の場合はいろんな利権が複雑に絡み合っている。そこに新しい論理を入れるとなると、今まで構築されてきた原発推進や再稼働の議論と上手くかみ合わない部分があったりして、なかなか受け入れにくいのかもしれません。

河崎 政策決定ってサッカーのようなものだと思うんです。最終的にゴールを入れて政策をつくるフォワードの人がいます。これが国会で法律を通す政治家だとしたら、そこに対して適切なタイミングでセンタリングを上げるミッドフィルダーも必要です。その後ろで議論を詰めて理屈を固めるディフェンダーの人たちも必要で、最後のゴールキーパーのところに、その社会問題の当事者たちがいると。そう考えたときに、チームの全体がうまく繋がって初めてゴールが決まる、つまり政策が作られると思うんですね。

弁護士というのは、一般的には当事者との対話の中で議論を詰めて、理屈や証拠を固めるディフェンダーのポジションなんだと思うんですが、私たちの場合は立法提案をやったり、運動をオーガナイズしたりと、ロビイングに近い活動に踏み込んでいて、そういう意味ではかなりミッドフィルダー寄りの活動をしてきたのだと思います。

ぼくらがゲームに参加した当初は、フォワードでボールをけりこんでくれる政治家の方がいました。特定の党派ではなく、超党派でフォワードが組めていたんです。しかし、今は残念ながらフォワード陣が総崩れになっていて、ゲームが成立しない状況ですね。そういう状況ですから、一度当事者とディフェンダーとの対話のところに立ち戻って、ゲームを作り直さなければならいと思っています。

荻上 「あと一歩進めばゴールですよ」というところまで持っていけば、決めてくれる人もいるかもしれない。そのために、メディアを通じて論点整理するのは大事なことですね。

河崎 そうですね。今は、いろんな講演に呼んで頂いているおかげで、研究者の方々や、様々な実務家の方々と、横のつながりをつくることができました。「原発避難者」の定義や、その状況についての議論は断片的なものだと思うので、これからは研究者の方達とも協力しながら「原発避難白書」のようなものを作り、政策決定のための基礎資料を組み立てていきたいですね。

荻上 民間で白書をつくりながら、論点を可視化させて、メディアで報じてもらうことで、世論は動いていくと思います。

河崎 日本のような人口集中地帯でこれだけの規模の原発事故が起こったのは、歴史上最初の例ですよね。その福島原発事故でどんな対応がなされたのか、あるいは、なされなかったのか、というのは、今回の私たちがチェルノブイリ原発事故を参照点としたように、世界の歴史の中での今後の重要な参照点になっていくんだと思います。その時に、初期被曝のデータもとっていない、避難の実態も把握しない、社会的な制度も不十分だった。だから、福島から学ぶべきことはありませんというのは、日本として、あまりにも恥ずかしいと思うんです。

荻上 チェルノブイリに関しては、その失敗、福島との差異を踏まえて、参照にされた。この3年の失敗と、これからの議論との差異も、言説として可視化していく必要がありますね。それが、世界に対する責任なのかと思います。

河崎 知的な誠実さ、というのを失いたくないと思っています。私たち弁護士は法律の専門家かもしれませんが、原発問題の専門家とは言えません。それでも、自分自身の問題としてこの事故にどう関わっていくのか。今できることをやっていくのは、すごく大事な気がするんですよね。

(本記事はα-synodos vol.143「3.11を振り返る(前編)」からの転載記事です。ご購読はこちら → https://synodos.jp/a-synodos

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3.11を振り返る(前編)

河崎健一郎×荻上チキ「被曝を避ける権利」を求めて

橘川武郎インタビュー「原発の出口はどこにあるのか」

岡本正「個人情報の共有で地域をつなぐ――福島県南相馬市と災害対策基本法の改正」

片岡剛士「経済ニュースの基礎知識TOP5」

中西準子×飯田泰之「福島の「帰還か移住か」を考える――経済学の視点から」

プロフィール

河崎健一郎弁護士

アクセンチュア東京オフィス勤務を経て弁護士に。早稲田リーガルコモンズ法律事務所代表弁護士。 共編著に「3.11大震災 暮らしの再生と法律家の仕事(日本評論社)」「避難する権利、それぞれの選択(岩波書店)」「国家と情報(現代書館)」「高校生からわかる 政治のしくみと議員のしごと(トランスビュー、共著)」など。 福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク(SAFLAN)共同代表として,原発事故に伴う避難者の方々への支援活動に取り組んでいる。

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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