2019.11.01

壮絶な過去を背負った彼女たちにとって、更生施設は最後のアジールである。

メヘルダード・オスコウイ×杉山春

文化

イランの少女更生施設に密着取材したドキュメンタリー『少女は夜明けに夢をみる』が、11月2日(土)から岩波ホール(東京・神保町)で公開される。本作を撮ったメヘルダード・オスコウイ監督は、イランを代表するドキュメンタリスト。これまでも少年更生施設を取材したドキュメンタリー映画2作を撮り、社会の“見えない存在”に光を当ててきた。ルポライターの杉山春さんは、児童虐待や家族問題、自死などをテーマに取材をしている。二人の対話からは、イランと日本それぞれが抱える「少女の生きにくさ」の共通点、そして違いが浮かび上がってきた。(取材・文 / 越膳綾子)

なぜイランの少女は感情をまっすぐ表現できるのか

――日本の児童虐待や家族問題を取材してこられた杉山さんから見て、本作はいかがでしたか?

杉山 おかしな表現かもしれませんが、この映画に出てくる少女たちは「幸せそう」に見えました。みんな壮絶な過去を背負っているのに、自分の気持ちを歌にしたり、ノートに書いたり、それをあっけらかんとオスコウイ監督に説明したりしていて、とても自己表現ができる子たちです。日本でも、同じような状況に苦しんでいる少女たちはいますが、自分がなぜ苦しいか理解できない、あるいは言葉にできない子たちが多いように思います。

オスコウイ この更生施設にいる少女たちは、みんな一緒に何か面白いことを見つけて、笑うんです。自分たちのこれからの生き方を、施設のなかでディスカバー(発見)しているように見えました。

でも、ある少女は言いました。「撮影の人たちはお菓子を持ってきてくれるし、いろんなことを話したり聞いたりしてくれるから、それは幸せなひととき。だけど、撮影が終わって去って行くときは、もっとも悲しい時間」と。

メヘルダード・オスコウイ監督

杉山 監督は、どの少女の表情もとてもよく見て撮っていますよね。メインで映っている子も、その後ろにいる子の表情も素晴らしい。彼女たちがそれぞれ持っている課題や内面性は、撮影前にわかっていたのでしょうか?

オスコウイ いいえ、彼女たちの痛みと出来事だけは知っていましたが、それ以上のことは知りませんでした。劇映画であれば、あらかじめ役者の立ち位置を決めて撮影しますが、ドキュメンタリーはそうはいかない。ですから、私と撮影監督はよく相談してアングルを考えました。こっちにカメラを向けると後ろは壁だけど、こっちならあの少女も撮れる、といった具合に。少女たちではなく、自分の位置を変えて撮っていきました。

杉山 かなり短い期間で撮影したそうですね。

オスコウイ 3カ月の撮影期間をもらいましたが、実際にカメラを回したのは20日間でした。その前に、撮影許可が下りるまで7年間も待ったのです。イランの少女更生施設にカメラが入るのは初めてで、施設の人はどうしたらいいかわからなかったようです。

杉山 それでも、粘りに粘ったのはなぜでしょう?

オスコウイ 彼女たちを映すことが、自分のためでもあるからです。実は、私は15歳のときに自殺未遂を経験しています。父が破産して、あっという間に家族が貧困に陥り、もう生きていられないと思いました。しかし、入水自殺をしようと海に行ったとき、突然、大勢の男女が車から降りてきて、大音量の音楽をかけて踊ったり、泳いだりし始めた。それを見ているうちに「自分が死のうが生きようが、この世界は回り続けていく」と悟り、死ぬのを止めました。

私の父は反政府活動をした政治犯として、5年間、刑務所に服役していました。しかし、刑務所でどんなことをされたか、詳しく話すことはしませんでした。イスラム教では遺体を水で洗う風習がありますが、父の遺体を洗ってくれた人が言いました。「お父さんは、ものすごい拷問をされていたんだね」と。遺体にはたくさんケガのあとがあり、出所から数十年がたっても消えていなかったのです。それで、私の頭のなかにはずっと「貧困」「刑務所」というテーマがあり、本作を撮ることにつながりました。

杉山 オスコウイ監督が自殺をしようと思っていた頃(1980年代半ば)、私はイタリアにいました。当時、イラン・イラク戦争のただ中で、イタリアに逃げてきたイラン人の若者たちが大勢いました。

オスコウイ そう、あの頃は革命があって、イランの若者たちは生き延びるために海外に行ってしまいました。

杉山 彼らはいわゆる反体制の立場で、母国にとどまりにくかった。それを聞いて、個人の人生や生活は国や社会の変化と密接に関係していると思いました。国や社会が大きく変わるとき、若者は大きな苦労を強いられる、と。

日本は、社会が落ちこんで、みんなが自信を失う時代です。しかし、正面からそれを言えない風潮があります。マスメディアの報道は「日本はすごい」という論調が多く、社会全体が現実と向き合えていないように感じます。そうした社会のしわ寄せを食らいやすいのが少女たちではないかと思うのです。

杉山春氏

オスコウイ 日本は自殺率が高いことがよく知られています。イランはまだそれほど自殺率が上がっていませんが、薬物使用や売春など、自らを壊すという意味では自殺に近いことをする少女は大勢います。

最近、編集を終えた次のドキュメンタリー作品では、麻薬中毒の少女を取材しています。彼女は刑務所にいるときはクリーンな状態でしたが、出所して1週間でまた刑務所に戻ってきました。もう絶望していると言っていました。しかし、彼女は自ら命を絶つことはしません。刑務所というコロニーの中では、誰かが落ちこんだら仲間が引っ張り出して励まし、踊らせたり歌わせたりします。自分の内面に閉じこもっていた気持ちを、外に戻してくれるのです。刑務所にいる彼女たちは非常にサポーティブで、お互いを大切に守っています。

杉山 それは今回の作品からもとてもよく伝わってきて、羨ましいと感じたくらいです。日本は格差が拡大していき、競争社会でもあり、少女たちをはじめ、若い人たちは自分が他人よりどれくらい価値があるかをすごく気にしています。イランの少女たちのように助け合ったり、ちょっとしたことに笑いを見つけたりして周囲と心をつなぐことが難しいように見えるのです。

私は92年頃に、雑誌の取材でイランを訪れました。先ほど監督が、自殺を図ろうとしたときに大勢の男女が海で遊んでいたと話しましたが、私もイランに滞在中、公園で夜のピクニックを見ました。どこからともなく大勢の人たちが車に乗り込んで、夜中の公園に遊びに来るのです。

また、イランは宗教的な理由で、若い男女関係が非常に厳しいと聞いていましたが、休みの日に近くの山まで遊びに行き、カップルでロープウェイに乗り楽しく過ごしているのも見ました。いろいろな制約があっても、みんな貪欲に人生を楽しんでいて、それがすごく面白かった。

オスコウイ イラン人の性格かもしれませんね。苦しい状況にあっても、小さな穴を見つけて出ようとします。みんなで集まって一緒にご飯を食べたり、小さな旅をしたりしてハピネスを探しているような人はとても多いんです。この作品に登場する少女たちも、一人ひとりは辛く苦しい経験をしてきたのに、みんなで一緒に笑ったり、食事をしたりすることを楽しんでいます。

彼女たちは、窃盗やスリなどの罪を犯しているので、施設の職員から「あなたもあっという間にものを盗まれるよ。だから、撮影するときは財布を持ち込まないように」と言われました。しかし、施設内に3カ月滞在しましたが、一度も盗られませんでした。逆に、食事のときは必ずシェアしてくれるし、外部からフルーツをもらえば教えてくれるような子たちです。彼女たちが罪を犯したのは空腹だったからであり、十分に食べられる環境であればそんな悪いことはしない。素晴らしい人たちでした。

(C)Oskouei Film Production

――加害者になる前に、被害者だったわけですね。

オスコウイ そうです。私は、彼女たちに「あなたは本当にいい子だね」と思ったままのことを言いました。すると、泣き出してしまう子が何人もいました。あとから気づいたのですが、彼女たちは親からも社会からもほとんど優しい言葉を掛けられたことがありません。誰も「好きだよ」とか「きれいだよ」と言う人はいなかった。だから、優しい言葉を受け入れられず、涙が流れてしまうのだと思います。

ある一人の少女はこう言いました。「お願いだから優しくしないで。お願いだから私たちを怒鳴ってちょうだい。なぜって、わたしたちは猫みたいな存在。家のなかにいるときは大事にされるけれど、主が追い出したらどうなると思う? 信用した人が悪人なら叩かれたり、レイプされたり、殺されたりしてしまう。あなたが撮影を終えて帰ったあと、私たちは人を信用するようになって危ないの。だから優しくしないで」と。

(C)Oskouei Film Production

家族5人で小さな家のキッチンに住んでいた

――作品には、更生施設に収容されている少女の親も登場します。彼らは、決して豊かそうではありません。子どもへの虐待や貧困は世代間連鎖があると言われますが、それを断ち切るには何が必要でしょうか。

オスコウイ 虐待の連鎖は、社会に住んでいるみんなのせいだと思います。親や子どもだけのせいではありません。ある少女の家族は非常に貧困で、下町の小さな家のキッチンに5人で住んでいました。父親は麻薬中毒で、レンガ工場で働いているけれど、なかなか帰って来ない。そういう環境で育つ子どもは圧迫感があるから何かしら反発します。幸いにも、彼女は更生施設を出たあと、ソーシャルワーカーが手伝って、もう少しいい家に引っ越しました。するとみんなの態度が変わったそうです。自分たちも近所の目も普通になってきたと。

杉山 そうした福祉の介入は、日本でも重要なことですよね。ソーシャルワークが十分に機能して、その家族が生きやすくなっていけば、子どもへの虐待は減っていきます。いろんな力が足りない家族が、本人たちだけで立ち直ることは難しいのです。

日本では数多くの虐待事件が起きていますが、社会が家族にたくさんのものを背負わせ過ぎていることが一因だと思います。その家族には背負いきれない、本来、福祉が担うべき機能まで押しつけられて困窮している。社会のなかで若い親がきちんと仕事が得られ、居場所を持てていれば、子どもはもう少し楽に生きられたのではないかという例を見ます。これは日本もイランも同じだと思いました。

本作には、夫が酒を飲んで倒れて入院し、退院させる費用がなくて盗みをした少女が登場します。彼女は頼れる人が誰もいなくて、更生施設の中で赤ん坊を育てています。また別の少女は強盗や売春、薬物使用で収容されていますが、「自分の父親にちゃんと仕事があれば、こんなことにはならなかった」と言っています。イランというと文化の違いに目がいきますが、就労の問題は日本もイランも共通しています。

オスコウイ ある映画祭で、本作を見た人から「こういう少女を撮ってどうするんだ」と言われました。私はどう答えていいかわからず、一つのストーリーを話しました。あるところに海辺があり、たくさんの貝が落ちている。よくみると老婆が一つ二つの貝を拾って海に戻している。若者は「そんなことをしても仕方がないじゃないか。ビーチにはたくさんの貝が死にかけているんだから」と言った。そうしたら老婆は、一つの貝をじっと見つめたまま「この貝にとっては、人生が変わるんだよ」。それだけを言って、また海へ貝を戻した。

私は、若者に対する疑問を持つときに映画を撮ってきました。例えば、『Nose、Iranian Style』はイランの若者の間で鼻の美容整形が流行していることに疑問に持ち、世界に問いかけました。今回の『少女は夜明けに夢を見る』は、美しくて純粋な少女たちがなぜ更生施設で過ごさないといけないのか、という疑問があって作りました。撮影した映像は90時間に及びました。しかし、完成した映画は76分で、10%にも満たないくらいです。残りの部分は、いつかノンフィクションの本として出版したいと考えています。

(C)Oskouei Film Production

杉山 この作品にはたびたび祈りのシーンが登場します。あくびをしながらのいいかげんな祈りと、暗闇のなかで一瞬だけれど心のこもった祈りがありました。イランの文化や彼女たちの生活のなかに、祈りが生きていることをとても感じました。

オスコウイ 撮影期間中、イスラム教の法学者が礼拝にやって来ましたが、彼女たちにとってただのセレモニーで、“仕方なく祈る時間”でした。でも、朝方だれもいないときの祈りは、一番大切な祈り。自分と神の間にはだれもいない。神を感じて悩みや願いを祈る本当の祈りです。そして、私はどんな人にも祈りはあるのだと思っています。

杉山 もう一つ興味深かったのは、更生施設の職員たちがサポーティブなことです。例えば、少女が感情を表しやすいようにパペット人形の操り方を教える職員がいて、その少女はパペットを操りながら自分や仲間を慰めていました。それと、少女たちが家族に電話をしたり、語り合ったりする場所をちゃんと作っていますよね。ある少女が電話で「おばあちゃん、なんで迎えに来てくれないの? 私に路上で生活しろってこと?」と自分の願いをしっかり伝えていた場面が印象的でした。

オスコウイ あの場面は非常にイランらしいと思います。まず、よくしゃべるんです。そして、すべて悩みを出す。それと、人のせいにするところもありますね。自分ではなく周囲が悪いと。お腹がすいていて食べ物がなかったら、他人のポケットに手を入れる。それはあなたが私を飢えさせているからだよ、という考え方をイラン人はよくします。

私自身も、こんなことがありました。2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭に本作を出品し、山形の飲食店で食事をしたときのことです。箸がうまく使えないのでスプーンを頼んだら「ありません」と言われました。私は「どうしてスプーン一つもないの?」と通訳に聞いてもらったら、若い店員が泣き出してしまいました。私は驚いて「いいよいいよ」と言って箸で食べましたが、店を出てからもその店員はお辞儀をしていました。日本人は、すべて自分の責任だと思って内にこもる。責任感が強いから、ストレスも溜まることでしょう。

杉山 確かに日本人は、自分の感情や思いを人に伝えるのが苦手なところがあるような気がします。いやなことをされたら「私はいやです」ともっと言った方がいいと思います。イスラム教の女性は、個を抑制されているのかと思っていましたが、イランの人たちはちゃんと主張する。それが見られることも、この映画に惹かれる理由だと思います。監督がいずれ書くとおっしゃるドキュメンタリーの本も読んでみたいです。

作品紹介

『少女は夜明けに夢をみる』

11月2日(土)より東京・岩波ホールほか全国順次公開

予告編:https://www.youtube.com/watch?v=IBCkS-iibHw

公式サイト: http://www.syoujyo-yoake.com/

高い塀に囲まれた少女更生施設。ここに収容されているのは、強盗や殺人、薬物、売春といった罪を犯した少女たち。しかし、それ以前に彼女たちは、親や親戚からの虐待、貧困、路上生活などを余儀なくされていた。実の親に犯罪を強要された少女もいる。涙で声を震わせながら自らの罪を語る少女の腕には、痛々しい火傷や自傷行為の傷が残る。その話を聞いて、別の少女も涙を流す。更生施設は、似た境遇にある少女たちが痛みを分かち合う最後のアジール(避難所)となっている。

2016/イラン/ペルシア語/76分/カラー/DCP/ドキュメンタリー

(C)Oskouei Film Production

プロフィール

メヘルダード・オスコウイ映画監督

1969年、テヘラン生まれ。映画監督・プロデューサー・写真家・研究者。「テヘラン・ユニバーシティ・オブ・アーツ」で映画の演出を学ぶ。これまで制作した25本の作品は国内外の多数の映画祭で高く評価され、イランのドキュメンタリー監督としてもっとも重要な人物の1人とされている。2010年にはその功績が認められ、オランダのプリンス・クラウス賞を受賞している。イラン各地の映画学校で教鞭を執り、Teheran Arts and Culture Association(テヘラン芸術文化協会)でも精力的に活動している。2013年にフランスで公開された『The Last Days of Winter』(11)は、批評家や観客から高く評価されている。

この執筆者の記事

杉山春ルポライター

児童虐待、家族問題、ひきこもり、自死などについて取材してきた。著書に『満州女塾』(新潮社)、『ネグレクト 真奈ちゃんなぜ死んだか』(小学館文庫 小学館ノンフィクション大賞受賞)、『移民環流』(新潮社)、『ルポ虐待:大阪二児置き去り死事件』(ちくま新書)、『家族幻想 ひきこもりから問う』(ちくま新書)、『自死は、向き合える』(岩波ブックレット)、『児童虐待から考える 社会は家族に何を強いてきたか』(朝日新聞出版)など。

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