2010.08.11

ケインズの助言

片岡剛士 応用計量経済学 / マクロ経済学 / 経済政策論

経済 #失われた20年#金融緩和#ケインズ#景気回復

日本の景気回復は、生産と輸出が回復に向かいつつ、その影響が雇用や消費に波及するというかたちで推移している。だが控え目にいっても、景気回復へのリスク要因が高まりつつあるのが昨今の情勢だ。

日本の景気回復と世界経済

欧州金融市場の動揺、緩慢な米国経済の回復に関するバーナンキFRB総裁の発言、そして財政の持続可能性が疑問視されているギリシャ・ポルトガル・スペインを除く、世界各国の長期国債の名目金利の低下。こういった現象が意味するのは、世界経済の先行き懸念の拡大ということだろう。

つまり、現在進みつつあるインフレ率の低下と需給ギャップの拡大が、今後も進んでいくと見通されているのである。

海外経済の変調は、日本の景気回復に対するリスク要因として作用する。なぜかといえば、生産と輸出という景気回復のふたつのエンジンが海外経済の動向に依存しているからだ。そして、景気回復における消費増に大きな影響を与えた各種施策も、今年後半にかけて打ち切られていく見込みである。

筆者のような人間の言う事など恐らく誰も耳を貸さないのだろう。しかし、偉大なるケインズの助言の助けを通じてということなら、再考してもらうこともできるのかもしれない。以下では、『説得論集』に収録されているJ.M.ケインズの言葉を拝借しながら、政府・日本銀行の経済政策としていま何をなすべきかを簡単に論じることにしよう。

現在の問題はどのような性格のものなのか

政府と日本銀行の経済政策が、現在の問題に対して有効なのかを考えるにあたっては、まずは問題の性格について整理しておくのがよいだろう。

いうまでもなく、我が国の現在の苦境は、飢饉や地震や戦争という現象によってモノが不足していて、モノを生産するための資源も不足していることによるのではない。仮にそうであるのならば、昼夜を問わず働き、節約を旨とし、新たな技術革新を生み出すよう努める以外に苦境を乗り越える手段はないだろう。

しかし我が国の現状は異なる。つまり、資源と技術的な手段は豊富にあるにも関わらず、需要が供給を下回っているために、これらの手段が有効に活用できなくなっており、その事がデフレの定着と需要の停滞を引き起こしているのである。

喩えていえば、道路の真ん中で2台の自動車が出会い、どちらの運転手も交通ルールを知らないために、互いに進路をふさいで身動きがとれない状況なのだ。こんな時、運転手に腕力があっても問題解決には役立たない。道路を整備しても意味が無い。ほんの少しだけ、頭を働かせること、つまり「工夫」と呼ばれる手段の道具箱から、対策を探し出すことが必要なのである。

現在の苦境から脱するには、より勤勉になり(=生産性を高め)、現実を耐え忍び(=低成長を受け入れ)、倹約を進め(=カネを貯めこみ)ねばならないのであって、「工夫」などという怪しげな方法などは避けるべきだと信じる人は多い。

だがこうした人たちの自動車は、いつまで経っても身動きが取れない。徹夜で努力し、真面目な運転手を雇い、エンジンを取り替え、道路を広げても身動きは取れない。あれこれ考えるのを止めて、相手の運転手と話し合い、少しだけ左に寄るという「工夫」を生み出すまでは。

「工夫」の道具箱から何を取り出すべきか

では、「工夫」の道具箱から何を取り出すべきなのか?

政府は新成長戦略を策定し、当面の最重要課題として、需要面の政策対応により景気を回復させ、2020年に名目成長率3%、実質成長率2%を上回る成長を実現すること、2011年度中に消費者物価上昇率をプラスにすること、そして早期に失業率を3%台に低下させることをあげている。

この目標は正しいが、問題となるのは提示されている手法だ。大きくふたつの問題点がある。

ひとつ目は、具体的にデフレから脱却するための方法論が、「政府と日銀が緊密な連携をとる」という記載に尽きていることだ。

10年超もデフレがつづくなかで、判で押したように「緊密な連携を取る」だけでデフレから脱却できると期待するのは無理である。政府と日銀が緊密な連携を取るためには、インフレターゲットといった具体的な政策枠組みを早期に構築し、責任・手段・目標を明確にした上で必要な金融緩和を行うべきだ。

ふたつ目の問題点は、政府が指定した特定産業を促進するための産業政策、法人税減税やEPAの促進といった競争政策、オープンスカイの推進といった規制緩和策が混在している点である。

産業政策の効果は実証分析で肯定的な結論を探す方が難しい。政府は企業ではないのであり、有望な産業がどこかを判断することなど不可能であることを考えれば、産業政策を止め、競争政策や規制緩和策を行うべきだ。

需要拡大のための必要原則とは

需要を拡大させ、物価を引き上げるには、市場の供給よりも速いペースで支出を増やすことが求められる。そして長期停滞がつづく現状で必要なのは、社会全体の購買力を高めることであり、そのためには借入れによる支出を社会全体で増やすこと、外需を取り込むことが必要である。

近い将来、事業が拡大し実質的なコストが減るという環境が生じれば、新たな産業が生じ、企業は溜め込んだ資金を投資というかたちで支出するだろう。利益を確保できるようになれば、借入れによる投資が進み、賃金や雇用環境も改善し、これらが更なる需要拡大に結びつく。

外需を取り込むには、金融緩和策を通じて為替レートを円安にすることが求められる。

自国通貨安は近隣窮乏化に繋がるとの批判があるが、通貨安により当該国の購買力が高まれば、輸入というかたちで効果は当該国以外の国にも波及する。

世界的なインフレ率の低下と需給ギャップの拡大が懸念されるなかにあっては、各国が一致して同時に行動を起こすのがセオリーだ。ところが、日銀の金融緩和に対する消極的な姿勢と行動が、現在の円高に影響している。現状のままさらなる円高が進めば、景気回復のふたつのエンジンである生産と輸出にも重大な影響が及び、二番底懸念が現実のものとなるリスクが高まるだろう。

じっと座りこんで「できない」と頭を振っていれば、賢明なようにみえるのかもしれない。しかし何もしないで待っているあいだに使われなかった労働力は、あとでいつでも使えるのではない。失われて、取り戻すことができなくなるのだ!

「できない」理由をあげても何の解決にはならない。大胆になり、開放的になり、実験をし、行動を起こし、さまざまな可能性を試すといったことを行ってはならない理由はひとつもない。

現在の我が国において求められるのは、ケインズの助言と「失われた20年」の長期停滞の政策の経験を念頭に、「工夫」を行うことなのである。

推薦図書

ケインズが書き記した第一級の論説集である。本書の邦訳はすでにあるが、山岡洋一氏による新訳は読みやすく、かつインフレ・デフレに関する論説をメインに収録されていることが特徴である。これは適切な選択だ。80年近い前の論説ながら、ケインズの言葉はいささかも風化していないことに驚くだろう。そしてデフレに関するケインズの論説、およびその対応策に関する議論が、現代においても参照に値するものであることがわかるだろう。

プロフィール

片岡剛士応用計量経済学 / マクロ経済学 / 経済政策論

1972年愛知県生まれ。1996年三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)入社。2001年慶應義塾大学大学院商学研究科修士課程(計量経済学専攻)修了。現在三菱UFJリサーチ&コンサルティング経済政策部上席主任研究員。早稲田大学経済学研究科非常勤講師(2012年度~)。専門は応用計量経済学、マクロ経済学、経済政策論。著作に、『日本の「失われた20年」-デフレを超える経済政策に向けて』(藤原書店、2010年2月、第4回河上肇賞本賞受賞、第2回政策分析ネットワークシンクタンク賞受賞、単著)、「日本経済はなぜ浮上しないのか アベノミクス第2ステージへの論点」(幻冬舎)などがある。

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