ピケティ『21世紀の資本』――グローバル化した世界を変革するための「大きな物語」

約35年ぶりのベストセラー

 

アメリカで五〇万部、日本でも発売から約二か月で一三万部売れたという。NHKではピケティの連続講義「パリ白熱教室」が放送され、朝日新聞ではピケティによるコラムの連載が始まった。各種雑誌でも「ピケティ特集」が組まれ、週刊誌『東洋経済』はすでに三度もあやかっている。経済の専門書でこれだけ話題になった本と言えば、ミルトン・フリードマンが妻のローズとともに書いた『選択の自由』(一九八〇年)以来ではないだろうか。約三五年ぶりのベストセラーの誕生である。そこに私たちは何を読み、何を得るべきなのだろうか。

 

二〇世紀の歴史をざっくり振り返ってみると、経済学の名著はそれぞれの時代にあらたなビジョンを与えてきた。

 

ケインズ『一般理論』(一九三六年)やポランニーの『大転換』(一九四四年)は、大恐慌(一九二九年)後の世界への対応として、ハイエク『隷従への道』(一九四四年)は全体主義・社会主義への対応として、それぞれビジョンを与えた名著である。

 

ガルブレイス『新しい産業国家』(一九六七年)は、当時の学園紛争において問題化された「テクノストラクチュア支配」にメスを入れ、その後長く読まれた。これに対してフリードマン夫妻の『選択の自由』(一九八〇年)は、ガルブレイスが展望した「資本主義と社会主義の収斂説」を疑い、あらたな論争を呼び起こして新自由主義のバイブルとなった。

 

一九八九年の東欧革命が起きたとき、共産主義諸国が破たんした原因に関心が集まったが、それを根源的に問うたのは、ずっと以前に書かれたハイエク晩年の主著『法・立法・自由』(一九七三~一九七九年)であった。

 

二〇〇一年に「世界同時多発テロ事件(九・一一事件)」が起きたとき、世界はグローバル化と反グローバル化の緊張によって大きな試練を受けた。だがこの世界史的な事件に応じた経済書には、実はあまりすぐれたものはなかった。事件後にベストセラーとなったのは、直前に刊行されたネグリ=ハート『帝国』(二〇〇〇年)であった。同書は現代思想の知見を動員したもので、哲学者たちがグローバリズム論議を主導した。

 

ところがここにきて、ピケティは経済学の立場から、九・一一事件後のグローバル世界の問題に、一つのビジョンを与えることに成功している。ピケティ『21世紀の資本』の原書は二〇一三年に刊行されたとはいえ、応じた問題はまさに、九・一一事件後のグローバリズム論議である。むろん研究成果の一部はすでに一〇年以上前から公にされてきた。リーマン・ショック後の「ウォールストリートを占拠せよ」や「99%ムーブメント」(所得上位層一%を批判する社会運動)に理論的根拠を与えたりもしている。

 

このたびの著作刊行によって、ピケティは大きなビジョンを描くことに成功したと言えるだろう。独自の「資本税」なるものを提起している点では論争的である。実効性はまだまだ低いが、二一世紀の一〇〇年間を見据えるなら、方向性は間違っていないように思われる。『21世紀の資本』はグローバル化した世界を変革するための「大きな物語」を提起した野心作であり、真剣に受け止めるに値する著作だ。

 

 

市場は「モノポリ」ゲームの世界か

 

最初に押さえておきたいのは、ピケティは決して「反グローバリズム」に与しているのではないという点である。むしろグローバル経済の恩恵を認めた上で、例えばタックス・ヘイブンを管理したり課税対象を広げたりするなどして、経済を民主的に管理する世界を探っている。最終的なビジョンは、グローバル経済を世界市民が管理するという「世界民主主義」の理想にいたるものであろう。

 

夢の話ではあるが、一〇〇年先を見据えて人類の英知を結集しようとすれば、政策はそのような方向性を目指すほかない。そのためには、国家間での課税制度の調整や、資金の流れに関する情報の共有、当座預金や普通預金を含めたさまざまな資本に対する課税など、現段階でできる改革を少しずつ進めていかねばならない。争われているのは、一〇年後の世界経済ではなく、一〇〇年を見据えた人類の知恵である。

 

このような超長期的な展望に立った政策論議は、実務的なエコノミストたちには一蹴されてしまうかもしれない。例えばグリーンスパン(元アメリカ連邦準備制度理事会議長)は、ピケティの提案が「資本主義のやり方ではない、なにか他のやり方だ」と批判しているが、実効性のある提案をなしうるエコノミストには、ピケティの提案は「絵に描いた餅」にしか見えないかもしれない。

 

けれどもピケティは、規範理論の根幹にかかわる問題を提起している。彼によれば、このまま所得上位層一%に対して何も手を打たなければ、一〇〇年後には次のような事態になるかもしれないという。すなわち、所得上位層の一〇%が毎年の総生産の九〇%を独占し、所得上位層の一%がその五〇%を独占するような事態である。はたしてこのような状況が生まれたとき、私たちは民主主義の社会を維持できるのだろうか。革命が起きるのではないだろうか。

 

これまで自由市場経済は、健全に運営されるかぎり正当であるとみなされてきた。自由市場とは「ルールに基づくフェアなゲーム」であって、スタートラインが平等であれば、結果としての格差は認められる。プレーヤーたちは気まぐれな政府介入に悩まされることなく、長期的な見通しをもって人生を歩むことができる。自分の努力と運だけで、人生を自由に切り拓くことができる。そのようなゲームを制度化したものとして、自由市場経済は承認されてきた。

 

けれどももし、市場経済が「モノポリ」のようなゲームで、最終的には一人の独占者と九九%の破産者を生み出すとすれば、どうであろうか。私たちはそのような市場のゲームに参加したいと思うだろうか。もっと別のゲームに参加したいと思うのではないだろうか。

 

21世紀の資本主義とは、いわば「モノポリ」に似たゲームになるかもしれない。これがピケティの理論から導かれる予測である。問われているのは、ゲームがフェアであるかどうかではない。そもそも私たちは「モノポリ」のようなゲームに参加したいのかという問題である。九九%の確率で破産することが分かっているのなら、気が乗らない人も多いだろう。自由市場経済の利点を認めるとしても、ゲームのルールを変更することはできるのであり、市場のルールを再設定する権力は、私たち市民の手に任されている。

 

市場の望ましいルールを民主的に議論しながら、人々が最も納得のいくルールを設定していく。21世紀を生きる私たちに問われているのは、どのようにすれば、納得のいく市場経済になるのか、という制度の再設計問題である。望ましい制度を民主的に議論するためには、まずもって所得や資本に関する情報がすべての人々に共有されなければならない。ピケティはおよそこのような発想から、第一段階として、所得や資産などの各種の情報を共有することを提案している。その上で(以下に説明するように)「資本税」の導入を構想する。

 

むろん現実には、タックス・ヘイブンを利用している所得上位層の資産は、なかなか把握できないだろう。そうこうしているうちに、グローバル経済における所得格差はますます広がるだろう。実効的には「ブロック経済(保護貿易主義)」によって関税率を高くしたほうが、国内の格差是正のためには望ましいかもしれない。反グローバリズムの政策案のほうが、短期的には効果をもっているかもしれない。

 

けれどもピケティによれば、そのような「経済ナショナリズム」の発想は、答えではない。格差か広がった一九世紀後半のヨーロッパ社会は、その後、世界的な戦争に突入していくことになった。そのプロセスは、私たちに大きな教訓を与えている。当時のヨーロッパでは、所得格差は現在よりも広がっていた。格差は統治上の困難を生み出し、諸国を戦争へと導くことになった。要約すると、次のような理路になる。

 

 

資本主義の進展とともに、所得格差が広がる。

→人々が分断され、国内統治が困難になる。

→政府は、外国との緊張・紛争・戦争を利用して、ナショナリズムに基づく国内統一をはかろうとする。

→ナショナリズムが暴走して、後に引けない状態になる。

→戦争にいたる。

 

 

こうしたプロセスを回避するためには、人々が分断されないように、所得格差や資産格差を是正しなければならない。政府は諸外国と連携しつつ、所得上位層の資産情報を共有し、累進的な課税を課さなければならない。

 

政治的な戦略としては、例えば「上位1%の富者」を叩いて「民衆の一体感」を醸成し、資本の民主的管理に向けてこの巨大な官僚機構(テクノストラクチャー)を動かすことができれば、国の統治力は向上するだろう。ピケティはおよそこうした発想に導かれているのであろう。ますます儲ける「上位1%」の所得や資産に対して、累進的な課税を強化することを提案している。

 

むろんピケティが指摘するように、所得税の累進率を引き上げても、政府の税収はあまり増えるわけではない。上位層の所得は、劇的に下がると予測されるからである。ただし税収は増えなくても、所得格差は結果として縮まると予測されよう。【次ページにすすむ】

 

 

 

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