TPPの憂鬱 ―― 誤解と反感と不信を超えて

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農業は「補助金政治の先進部門」

 

農業をめぐる議論がまさにそうだ。すでに何人かの識者が明確に指摘しているように、農業はTPPにとって大きな問題ではない。しかし、TPP推進派はこれまで微温的に保護されてきた農業を世界的競争にさらしてしばき上げなければならない、という。かつての構造改革派と同じ論法である。対するに、農業を保護しなければならないという側も、市場競争は弱肉強食の世界だから、弱者としての農業を保護しなければならないという点で、かつての構造改革への反対論に酷似している。

 

プラスサムの世界では、事情は異なる。かりに日本がTPPに参加し、農業の関税が撤廃されて農家がソンをしたとしても、それは適切に保障してやることができる。だが実際に補償を行うことは難しいから、経済学での議論は補償を実現しなくても貿易自由化は望ましいという(八田達夫『ミクロ経済学I』東洋経済新報社、2008年)。さらに進んで八田達夫氏(大阪大学招聘教授)はあらゆる分野で既得権の打破を進めていけば、結果として全員のソンを補償することが可能だともいう(八田達夫『ミクロ経済学Ⅱ』東洋経済新報社、2009年)。

 

経済学の世界ではこれが最善かもしれないが、実際には現実にソンをする人を納得させる補償を政治が制度化しなければ議論は進まないだろう。TPPではそういう制度を開発する余地は残されているし、関税以外にも補助の仕組みはある。幸か不幸か農業部門は世界的に見ても補償の仕組みが開発されてきた「補助金政治の先進部門」である。そもそもTPPは補助金を議論の対象にしないし、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどの農業国でも補助金を維持しているところは多々ある。だから生産農家への補助金に切り替えればよい。本来ならば、戸別所得補償制度は、貿易自由化を見越した措置だったのだ。ただし、現在の制度は減反をする生産者に補助金を与えるというように、生産者のインセンティブを正しく刺激しない。これは変えなければならないだろう。

 

 

デフレ・円高は別の政策割り当てで

 

なお、「デフレや為替の変動のほうが大事であり、TPPは比較すると小さな問題である」という意見がある。これは各種の反対論のなかでもっとも理屈が通っている。まず為替の変動が深刻な問題であることについてはその通りである。現在の円高はきわめて深刻であり、一刻も早く本当の円高対策、すなわち日本銀行による金融の大緩和政策を行うべきである。しかも現在の円高はデフレとコインの裏表の関係にあり、デフレ脱却はいわゆる「行き過ぎた」円高解消につながる。さらにいえば、せっかくTPPに入っても為替が円高に振れるならば元も子もない。TPPの利点を最大限に生かすためにも円高を是正すべきである。

 

しかし、円高対策のほうが重要であるからといって、TPPの問題が重要でないということにはならない。ここで念頭に入れておくべきは「政策割り当ての原理」だ。これは原則としてふたつの望ましい政策目標があれば、ふたつの政策手段で対応するのが合理的とする考え方だ。

 

デフレ解消と円高の是正は短期において実現できる望ましい政策である。他方、TPPは長期において望ましい政策である。関税撤廃と将来にわたる市場を支えるルールづくりのどちらも時間がかかるだろう。このふたつを同時に推進して悪いわけがない。

 

もちろん、デフレ脱却、円高是正を進めることで関税撤廃やルール交渉に影響が生じるのならば別の話である。しかし、TPP反対論者の多くはデフレと円高が進んでいるところでTPPを推進するのはおかしいといっているのだから、デフレ脱却、円高是正政策を推進することに何ら反対する理由はないはずだ(なお、TPPを進めるとデフレが進むという議論は、TPPを進めるとデフレが解消するのと同じように単純な間違いである。若田部昌澄「‘アジア+欧米’で中国に対峙せよ」『Voice』2011年7月号)。

 

 

あらゆる政策は変化を前提としている

 

貿易自由化は、産業構造の変化を前提としている。なかにはどうしても変化を欲しないという意見も散見される。しかし、あらゆる政策は変化を前提としている。金融緩和を行うために金利をゼロにすると短資会社が困るという人たちがいる(実際には大事なのは短期金融市場であって、それは短資会社がなくても運営可能である)。円高を是正すると損害を被る人々が生じる。円高のメリットを生かせという議論が出てくるのはそのためだ。

 

しかし内閣府の短期日本経済マクロ計量モデルによると円高になると全体のGDPは減るし、円安になると全体のGDPが増える。かりにソンがあってもトクがそれを上回るはずだ。典型的には経済成長が変化を前提としている。変化を完全に嫌うのならば、すべてが現状維持になってしまう。それでも、農業は特別だというかもしれない。しかし、他の産業が特別でなく、農業が特別だというのならば、そのことを他の国民に説得しなければならないだろう。さらにまた変化を拒絶することで生じるソンについてはどうするのだろうか。変化を拒絶する人々はそれを補償してくれるのだろうか。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.265 

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