もう一度「一般理論」に挑戦する

理論と現実のバランス

 

飯田 ぼくの友達の統計学者の矢野浩一氏は、自分のブログに「ハリ・セルダンになりたくて」というタイトルをつけてるんですが、これはアシモフの小説、ファウンデーションシリーズに出てくる天才歴史心理学者の名前です。

 

山形 「サイコヒステリック」ね。

 

飯田 天才なのか気違いなのかわからない歴史心理学者です。それにあこがれている。経済学者には、「将来を見通したい」という思いで経済学者になった人と、文系学問の中では一番緻密だという意味での「知的パズルが好き」だからなっている人がいるんです。知的パズルもときにすごく面白いし重要なこともあると思うけど、知的パズル組の人は必ずしも現実経済に興味がなかったりする。極端に言うとリーマンショックですら興味がなかったりするんですよね。

 

山形 経済をやるからにはどこかで理論と現実との対応を見なきゃいけないから、まったく現実を見ないことにはできないと思うんですが。

 

飯田 それが不思議で、たとえば、ある優秀な理論経済学者の方はかつて、「マネーが物価を動かさない」というモデルをつくったんですね。「なぜならば、日本はまだデフレにならないじゃないか」と。「もう2年以上にわたって物価が低下しています」と言ったら、「それは違うんだ。物価指数は低下しているけど、物価は低下していない」と。純粋な理論の人は、理論に合わない現実のほうをシャットダウンする人もいます。そういう人のほうが格の高いジャーナルに載っていたりすると、なかなか話がややこしくなります。

 

山形 なるほど、なるほど。美しい理論がある場合と、現実はぐちゃぐちゃしていてなかなか説明つかないよという場合と、どっちが世間的に感心されるかというと、やっぱり美しい理論のほうだ、という話かもしれませんね。

 

飯田 あともうひとつ。純粋理論だけやっていた人の中には、日銀や財務省の役人に「現実はそんなもんじゃないよ。ずるずるべったりですよ」と言われて、とつぜん「なるほど」と全面的に納得しちゃう人も結構いるんです(笑)。全然知らない世界の話だから何かすごいことを言われているように感じてしまう。「実務家が全部正しくて、経済学は全部間違えているんだ」というところまで、いきなり変わっちゃう人さえいます。たしかに官僚は「これは何とか法で、これは何年に何とか内閣で法律を通して」ということには詳しくて、「うわ、すごい頭いい」と思うけど、よく考えると大した話じゃないことが多い。でも、それにやられてしまう経済学者がいるんです。

 

山形 「緻密な理論と雑な現実」ということでいうと、『ルワンダ中央銀行総裁日記』という本があります。この本は、日銀の人がルワンダの中央銀行の総裁になり、非常に基本的な理論を使いつつも、現実には合わないことは裁量で調整するという美しいことをやって見事に成功したというものです。自分で書いているから、どこまで手前みそなのかというのはどこかで検証しなきゃ思っているんですが、そんなに外れたことは書いていません。学者としての成功と、現場として何を使うべきかのバランスは、その場にいないとわかりにくいところがあるので、非常に難しいところではありますよね。

 

飯田 このあたりは海外のほうが、まだ上手くいっているイメージですね。向こうでは、エコノミストという肩書きの人の数が日本の100倍以上いる。そうすると、ちょうどいいバランスの人から、ものすごく変な人まで、いろんな人がいる。

 

山形 そうですね。まともな経済学者がちゃんとブログとかで発言してくれるし、分析も提示してくれるし、経済学者同士の議論がわれわれの読めるところで展開される。とくにアメリカを中心としたそういった状況は、幸せだし、うらやましいですよね。日本では本当に偉い人やもう少しきちんと発言してほしい人はあまり発言しないで、ちょっとおかしいんじゃないか、ゆがんでいるんじゃないかと思う人がかなり大きな声で発言していたりする。誰かもう少しこの人たちを押さえてもらえないものかと思いつつ、たまにぼくが出てケンカとかしていますけれども、もう少し援軍が欲しいなという気はします。

 

飯田 そういう不思議な自信家って、日本ではどうしても目立ってしまうんですね。たとえば最近でも、3.11が起きて3日後に原子力の専門家になっている人みたいな(笑)。Twitterでも、「10年間原子力のことを考えていました」というノリの人が急に増えたのは不思議です。

 

ただ、ちょっと話を戻すと、データにべったりつき合っている実証の人は、純粋な理論学の人と比べて、コロッといってしまうことは少ないです。理論系の人は、一気に突っ走って突き抜けちゃうから理論家をやれるところがあるのかもしれませんね。

 

山形 それは建築家の世界でもある話で、黒川紀章先生は晩年都知事選に出たりして、ちょっとどうかしてしまった感じでしたよね。それがたまたま何を間違えたのか六本木にある国立新美術館を取ってしまったので、「やばい、何ができるか」とみんなヒヤヒヤして見ていたら、意外とまともだったので、晩年を汚さなかった。

 

飯田 晩年ということでいうと、ケインズは早めに亡くなっていますよね。ケインズが80歳まで生きていたら経済学の歴史がすごく変わっていたか、本当に頭のおかしい人になっていたか、どっちかだと思うんです。若いころから突き抜けている感じがあった人ですもんね。

 

山形 彼はバレー団に入れ揚げて、そこのバレリーナと結婚しちゃったわけですが、ある人に言わせると、当時のバレー団を追っ掛けるという趣味は超ミーハーで、今でいうとAKBの追っかけになってメンバーの誰かと結婚するようなものだということです。そういう変なことを平気でやっていた。当時イギリスの文化人は多少奇矯なことをやるのがいいことだとされてたということもありますが、変なやつではあったんですよね。

 

数学をやって官僚になって、その後経済学をやって、経歴的にもいろいろな分野を押さえてるし、あれこれエッセイを残している。そういう意味では非常に総合的な文化人だし、主要ではない変なところに手を出していた人ではありますよね。

 

飯田 当時のイギリス社会で自覚的な無神論はかなり勇気が要ったことだと思うけど、それも平気ですしね。だから、お年寄りまで生きていたら、かなりめちゃくちゃなことを言って終わったんじゃないかなと。

 

山形 どうでしょう。最後に老成したかもしれないし、わからないですよね。

 

 

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